夢物語   作:危橋たけ

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さらば夢浮橋先生!
新たなる物語!


惨劇編・その二

 

 生きていた。

 

 何やかんやで、生きていた。

 また、死にそびれてしまった。

「やあおはよう、夢浮橋くん」

「――今までの人生で最悪のおはようだ」

 松風界隈(まつかぜ かいわい)はいやらしい笑みを浮かべた。針金細工を彷彿させるような背の高い男だ。

 僕は自宅のベッドに横たわっていた。何だか情けないことに、全裸でベッドに入っている。何故裸なのか、考えるのも面倒だ。

 毎朝必ず目にする真っ白な天井。少し横に目を遣れば松風の極力見たくない顔面が視界に入ってしまう。努めて目を逸らすが、分かっているのか松風は意図して顔を覗き込んできた。

「やれやれ、君は本当に俺のことが嫌いなんだね、夢浮橋くん。これでも俺は君の雇い主なんだぜ? 愛想良くしてくれたらボーナス弾んじゃうよ?」

「金なんか要らねえからとっととクビにでもしてくれよ。そろそろ玄舟学院を辞める理由が欲しいんだ」

「駄目駄目。それだけは勘弁してくれよ夢浮橋くん。俺は正直、玄舟学院なんて畜舎よりも君の方が惜しいんだ」

「最悪の口説き文句だ」

 松風界隈。玄舟学院学校長。二年前どん底にいた僕を別のどん底に引きずり込んだ張本人である。大体の知的生命体に嫌われる特技を持つ、神様も悪戯では済まされない発注ミスでこの世に生を受けた最悪の人間だ。

「今――どういう状況だ?」

「どうもこうも、見ての通り。道端で貧血により倒れていた君を俺が見つけて家まで送って上げたんだ。義を見てせざるは勇無き也とは言うけれど、さすがに感謝はしてほしいね」

「嘘吐け。ばっちり胸に後遺症が残ってんだよ」

 皮を破り肉を貫き、動脈を千切って内臓を抉って、ごっそりと胸に穴が空いた感覚が、痛みが、まだ残っている。胸に手を遣ると、在るべきものはちゃんと在った。しかし感覚までは拭えない。確かに『ここは』抜け落ちたはずなのに。

「しかし君もぎりぎりの人生送ってるねえ。で? 今回は誰にやられたんだい? 昔の女とか?」

「或いは今の女かもな――翅さん、あれでけっこうえぐい性格してるから」

 言って、すぐに間違っていると気付いた。残念ながら我が妻は大して僕に興味を示していない。ちーちゃんの件じゃなくても仮に浮気をしていたとして、それでも気に留めないかもしれない。

 考えていて凹むが、たぶん翅さんも浮気とかやってるかもだし。

「ま――あそこで間違いないだろうな。未だに僕のことを狙う奴がいるとしたら『XP』しか考えられない」

「『XP』――クロス・プログラムだね」

 わざわざ言い直さなくたって分かっている。世界最高峰の脳味噌と技術を集めた最悪の組織。――僕の古巣だ。

「でもあそこと君はもう決着を付けたんじゃなかったっけ? 二、三年前にさ。だから俺は君を誘えたんだけど」

「いくつかの禍根は残ってるさ。だからと言って、今更僕に手を出すのは契約違反だ」

 だけど僕には心当たりがある。昨日――もう一昨日だろうか。つむじに燃やされたあの男がXPの関係者であるとすれば、謎の襲撃にも説明がつくのだ。

 何より、あんな攻撃。あんな綺麗に胸を開ける芸当、神様じゃなきゃあそこ以外誰が出来ると言うんだ。

「傷、さ。治したの……桐壷だろ」

「うん。よく分かったね」

 嘘を吐くわけでもなく、すんなりと松風は肯定した。

「僕の怪我を好き好んで治す奴なんてあいつしかいない。義を見てせざるは勇無き也とは言っても、あそこまでいくと有難迷惑だ」

「彼女にも厳しいねえ。何も親切心じゃないってのは分かっているだろう? 桐壷つむじは君が死んだら消えてしまうんだ。躍起になって治すのも然もありなんさ」

 そう。僕らは繋がっている。一蓮托生――にも関わらず、つむじは僕の前に姿を現さない。それは単に、あいつが箒木鵆の存在を気にしているからだ。

「そりゃそうだ。君の愛する彼女、箒木ちゃんを殺したのは他でもない桐壷ちゃんなんだからね。いくら神でも空気くらい読めるさ。顔なんか出せやしないよ」

「――知った口を利くな。もうお前帰れよ。何してくれたか分かんねえけど何かしてくれたのは分かるから、感謝するから、ありがとうだから、もう帰ってくれ。お前の顔見てると傷が疼く」

「傷なんか無いよ、君には。もう治っちゃってんだから」

 松風は僕の剥き出し胸元を一瞥する。――二年前に鍛えるのを辞めてしまったくせに、呪われたかのように胸板は薄くならない。引き締まった筋肉が付いた胸はまったくの無傷だ。

 研鑽も。

 勲章も。

 証拠も。――何もかもが嘘だったかのように、すっかり消えている。消されている。

「『そこまで』のことをされておきながら、どうして君は桐壷と共に居られるんだい? 彼女は箒木ちゃんを殺した」

「………………」

「それだけじゃない。手習(てならい)わをん――君の師匠まで殺した」

「………………」

「それだけじゃない。君も、殺した。君が必死で作り上げた自分を

悉く台無しにした。ようやっと普通の人生を掴み始めた高校生の君を、艱難辛苦を乗り越えてプレイヤーとして成功を収めた君を、堕落しながらも惰性生活に身を委ね始めた君を、殺して殺して殺し尽くした。――俺なら無理だね。だから甚だ疑問だよ。なあ夢浮橋くん。夢浮橋芥。どうして君は――桐壷を、切らない?」

「……うるせえんだよ、松風」

 胸の痛みが、強くなる。

「お前には関係無いんだよ。だから関わろうとするな。僕にも桐壷にも、手を出そうとするな」

 否定しか出来ない。嘘を吐いて、否定するしかない。何故なら松風界隈の言葉は全て、僕が常に自分に投げかけて来た疑問だったからだ。

「残念だが断るよ、夢浮橋くん。というか無理なんだよ。何故なら俺は既に君と関わってしまった。一度触れてしまえば二度と抜け出すことは出来ない――君たちは混沌たる底なし沼さ」

「詩人だな」

「死人なのさ」

 嘯く松風。死ねばいいのに。

「おーけー、もうお前に関しては大方諦めてる。ただこれだけは言っておく。否、頼むよ。これはもうお願いだ。脅迫ではなく懇願として受け取ってくれ」

「いいよ。何だい?」

「帚木鵆の件に手を出すな」

 部屋の入口。ドアの向こうで微かに音がした。松風には聞こえていない。ちーちゃんが、会話を聞いている。

「あの子をお前に壊されたくない」

「……いいよって言った手前、今更断るわけにもいかないね。でも夢浮橋くん、君は何か勘違いをしていないかい? 失念をしていないかい? ――僕に幽霊(かのじょ)は壊せない」

 そう。そうだった。幽霊の人格は変わらない。どれだけ傷つけられてもどれだけ愛されても、此岸と彼岸には絶対的な境界線が敷かれている。故に幽霊、帚木鵆の世界に対する認識は変化することはない。そしてそれは、僕にとってもまた同じだ。

「だから君が幽霊の帚木ちゃんに好きというのは滑稽じゃないのかな? 君が好きなのは死んだ帚木ちゃんじゃなくて生きている帚木ちゃんなんだ。そりゃ帚木ちゃんの方は単に『夢浮橋芥』という人間が好きなわけだから、君を好きでいて間違いないんだ。いや、好きになるという選択以外有り得ないんだよね。死んだとき好きだったんだから」

「……やめろ」

 ドアの向こうで。

 ドアを隔てて、ちーちゃんが聞いているんだ。

「やめない。君のお願いを聞いてやるんだ。これくらいは許してくれよ」

 松風は黙らない。僕を俯瞰しながら口を動かす。

「言うなれば幽霊である箒帚木ちゃんは既に帚木ちゃんじゃないんだ。帚木ちゃんはもう死んだ。もう居ない。あれは帚木ちゃんの姿をした何かが帚木ちゃんの人格を真似ているだけだ。それを君は好きだと言うのかい?」

 どうしてそんなに知った口を利くんだ。

 お前には分からないくせに。

「君はね、呪われてるんだよ。あまりにも人を好きにならなかったが故に、唯一好きになった帚木鵆という存在にどうしようもなく依存してるんだ。十年間そうだっただろう? 何かにつけて近い女性を箒木ちゃんの物差しで測っていたし、夢を見るのも帚木ちゃん。自分を支えるのも、奮い立たせるのも、全部全部帚木ちゃん。ねえ夢浮橋くん。君も曲がりなりにもカウンセラーなんだから『それ』が良くないことだって分かるだろう?」

 それは研ぎ澄まされた刀のように。

 よくよく狙いを定められた弾丸のように。

 

「生きる理由に、死人を使うなよ」

 

 突き刺さった。

「……分かってるよ。全部、分かってる。僕が間違っているし僕が捻じ曲がっている。それでもあの子は、ちーちゃんは僕の前にいるんだ。僕を好きだと言ってくれるんだ。――だからせめて、終わるまではちゃんと一緒にいてあげたいんだ」

 それがたとえ、呪いでも。

「……なるほど、だったら荒療治だ」

 そう言って松風は扉の方を向いた。――そっちには扉しかない。扉の向こうには廊下しかない。だけど僕は、僕にだけは、そっちに帚木鵆がいることを知っている。

「松風――」

「帚木ちゃーん! 聞こえるぅー!? 僕は夢浮橋くんの上司で松風界隈という者なんだけどー!」

 何で。

 何でこいつは、そこにちーちゃんがいることが分かる? 当てずっぽうにしても異様過ぎる。こいつはただの人間だ。人格が最悪なこと以外は、ただの人間である筈なのだ。

「魔法の呪文を教えてあげるよ! 性質の悪い死人から、君のだあああい好きな夢浮橋くんを救ってあげる魔法の呪文をね!」

 否。こいつはただの人間じゃない。

 松風界隈である。それだけで十分なのだ。

「――言ってやんなよ、『嫌い』ってね。それだけで彼は君から解放される」

 不意に。

 何かが外れた。

「いい加減に――」

 いい加減に。いい加減にしろ。いい加減にしろよ。いい加減にしろよこの。

「――いい加減にしろよこの野郎おおおおお!」

 寝そべっていた体を強引に引き上げて。力無く下がっていた右腕を強引に伸ばして。松風のワイシャツの襟を強引に掴んで。長身痩躯の松風を、強引に力任せに薄手の絨毯に叩きつけた。

「え、ちょ待――」

 弁解も聞かず、僕は拳を振り下ろした。左の拳は容易く松風の頬を打ち据える。鼻と口から、鮮血が飛び散った。

「あ……ぐ……はっ」

 がくがくとショックで痙攣しながらどうにかこちらに目を遣る松風。こいつの瞳に、僕はどういう風に映っていたのだろう。やがて痙攣は、純粋な恐怖から来る震えに変わった。

「ごめん、なさい……」

「………………」

「俺が悪かった。調子に乗り過ぎました。許して下さい。勘弁してください。痛いのは嫌です。恐いのは嫌です。もう何もしません。二度と帚木鵆に関わりません。だから――」

 殺さないで下さい。

 ――どこまでこいつは低いのだろう。いっそのこと僕も、こいつのように自分本位に生きられたらどれだけ良かったのだ。自分を守るためにプライドもアイデンティティもキャラクターも放棄できる、長命を約束された強かさを持っていられたら、ここまで壊れることは無かっただろう。

「……帰れよ」

 千切れんばかりに掴んでいたワイシャツを離した。途端に松風は這うようにして寝室を後にする。脱兎の如く――とはよく言ったものだ。

「あ、あっくん……」

 開け放たれたドアの隙間から、ちーちゃんが顔を出した。僕と目が合う。顔を引っ込める。まだ眼が恐いままなのだろう。

「嫌いだなんて言わないでくれ」

 自然と口からそんな言葉が出た。

「僕はきみが好きだ。今は、きみが好きだ。だからきみも僕を好きでいてほしい。――前にはちゃんと、自分で進むから」

「はい……ありがとうございます」

 声は震えていた。大したものだ、あの最悪は。ちーちゃんが部屋に入ろうともしない。彼女は確かに、迷っているのだ。

「でもとりあえず……服を着てくれませんか」

 あ、そっちでしたか。

 




松風校長は最悪でいいなあ。
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