何だ、この小説。
ところでこの決戦の舞台は同県内の廃校である国立百葉箱(ひゃくようばこ)高等学校だ。それは僕とちーちゃんと母校であり、つまり弦弧ちゃんと空蝉の母校でもあるのだが、哀れなことに三年前とある『戦争』に巻き込まれて完膚なきまでに崩壊させられている。
校舎自体はその影響であちこちが痛んでいるが、廃校に追い込まれるほどではない。あの時、傷つけられたのは校舎ではなく学校という一つの存在だ。滅茶苦茶に荒唐無稽に、つまり学校としての機能を圧倒的に破壊させられたのだ。
六月十七日、午後十五時。僕らはそんな可哀想な舞台で相対していた。
もちろん相対していたのはほんの一秒も無かったであろう。師匠は僕に『先に動いて一撃で仕留めれば勝ちだよー』と教えた。それで勝利を収めたことは幾度もあったが、ただこの時点で僕は自分の迂闊さを知る。
それが、桐壷相手に通じたことは無かった。
「儂の必殺、《キリツボカッター》《キリツボファイヤー》《キリツボパンチ》《キリツボトライアングル》《キリツボノット》《キリツボシャープペンシル》《キリツボフリーズ》《キリツボテープ》《キリツボペーパー》《キリツボサンダー》《キリツボノックボール》」
頭部に一発、ストレートを決めんと突進した僕を、つむじは十一種類の攻撃型神具で迎え撃ったのであった。
「――うおぉっ!」
急ブレーキをかけるもそれで躱せる距離ではない。――神具の威力は一発一発が尋常なものに非ず。それに回せる防御など、両腕の『黒揚羽』くらいのものだ。
衝撃。熱気。激痛。金属音。轟音。それら全てが一挙に僕を襲い、突進より三倍くらいは早い速度で、来た道に押し戻された。
つまり、吹っ飛ばされた。
背中が鉄筋コンクリートに叩きつけられる。それだけで気が飛んでしまいそうだ。
「……げほっ!」
咳き込むと、喉に引っ掛かっていた血だまりが廊下に垂れた。母校を血で汚してしまった、と今の状況には不釣り合いな罪悪感を覚える。
「む。外装は無傷なようじゃの。さすがは鬼の腕。神具を用いても傷一つ無し、か」
「痛みはばっちり伝わるけどな」
「ならば痛みに溺れろ」
矮躯を包むように装備された神具の一つ。《神具・黒芯(こくしん)》が発射される。一メートルほどの長さを誇る鉄杭は真っ直ぐに僕を狙う。
「悪いが師匠のおかげで、痛いのには散々慣れてるんだ――よ!」
右腕で鉄杭を振り払う。左手で真下の床を殴る。床が抜ける。がくんと重力が全身を襲い、万有引力によって僕は下の階層に逃亡した。
そう。逃亡。
下の階層――二階の廊下を、とにかく走って逃げた。逃げた。逃げるのは得意だ。逃げ足が速い。逃げてばかりの人生だ。
逃げながら、考えた。
「――やっぱ体、鈍ってんのかな」
いや、それは負けている言い訳にもなりはしない。僕がなまっていると言うのなら、つむじなんか身体が変わっているのだ。
美しい幼女は三年前まで長身の美女だった。メイド服でも着てくれればばっちり僕の好みだったのだが、当時は復讐の念が強過ぎてそういうことは考えなかった。
考えが邪な方向に逸れてしまった。
とにかく正確には現在の『桐壷』は神と呼ぶに値しない。神の力を持ちながら人の姿を借りた、訳の分からない化物だ。
言ってしまえば『神もどき』。三年前の正式な『桐壷』には及ぶ筈もないが――それでもどうやら、腕の鈍った僕よりは強いようだ。
「――くそっ」
毒づく。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ! 冗談じゃねえぞ……この僕があんな不良品に後れを取るなど――」
「不良品とは随分じゃな」
背後に。
背後につむじが、抱き付いていた。
「なっ――!?」
「まあ儂も最近貴様を屑呼ばわりしたことじゃし、おあいことしとくかの、相棒よ?」
その細くて白い腕から掌底が放たれ、僕の背中を打ち据えた。
ごきん、と嫌な音が。
「う、ごおおおおおお、おおお!?」
背骨が――『ズレ』やがった――!
「おーおー、弱いのお貴様は。弱くなったのお貴様は。以前の剣幕はどこへ棄てて来た」
「うる……せえ……っ」
この学校には三年間いたが、廊下に這い蹲ったのは初めてだ。骨が軋む音を聞きながら左腕を振り上げ、背中を軽く殴った。正確かどうかは怪しいが、どうにか背骨を嵌めて立ち上がる。
「ふむ、骨を嵌めるくらいは出来るのじゃな。いっそへし折っておけばよかった」
見下すように冷笑するつむじ。
「昔の貴様は強かった。強くて――恐かった。そう、恐怖じゃ。初めて人間に対して恐怖を覚えた。じゃが今の貴様は欠片も恐ろしくないな。儂と対等にぶつかり合っていた時が幻のようじゃ。なあ小僧。貴様はどうして――そんなに弱い?」
「……知らねえよ」
「否、知っておる。儂とて分かるぞ。かかか、骨まで透けて見えるようじゃ」
揺らいでおるのじゃよ。桐壷つむじは続けた。
「他でもないあの小娘――『ぴーたん』と言ったか」
「ちーちゃんだ」
人の元彼女をアヒルの卵の漬物と間違えるな。
「あれが出てから貴様の意識は乱れっぱなしじゃ。誰がどう見たところでそれが理解出来る」
僕が異常だ、と。
行幸は言った。
「……僕はさ」
「うむ」
「本当に、あの子が好きだったんだ」
その感情に気付いたあの頃の僕は、人を好きになってしまったと酷く後悔して、同時に人を好きになれたと酷く安堵した。
「本当に――本当に本当にちーちゃんが好きで、嫌いだったし恐かったし苦手だったけど、やっぱり好きで」
どうしようもなく、幸せであった。これまでの嫌な事を全て払拭するほど、補って余るほど、僕は『青春』というものに溺れた。
そしてちーちゃんは、溺死した。
「百メートル無かっただろう。あの日の僕とちーちゃんの距離は」
「じゃから――走れば助かったとでも? あの小娘を守ることが出来たとでも? 自惚れじゃな。あの日の貴様が百人立ちはだかろうとも、儂は瞬時に貴様百人とあの小娘の胸に穴を開けとったわ」
「だったら千人であの子を守り、最後の一人になってもあの子を逃がす」
その言葉が本気で言えているということに自分でも驚いた。こんな白々しくて臭い感情――用いることが出来たのか。
「僕が死んでも、あの子には生きてほしかった」
「――はん、それが嘘でなければ大したものじゃ。なるほどならば貴様の強さは既にあの頃から形成されていたということか」
「強い?」
あの頃の僕を強いと呼ぶのは大いに反論がある。むしろあの頃の僕が最も弱かっただろう。ちーちゃんを守れなかった後悔。自責。逃げるかのような放浪。そこで師匠と出会って、ようやく強くなるための修行が始まったのだ。心も体も、あの頃に関しちゃ脆弱も良いところだ。
「気構え、じゃよ。今の貴様にはない。あの小娘を救おうと儂に立ち向かってるつもりじゃろうが、それが無意味だと分かっているのじゃろう?」
「無意味だと?」
「無意味じゃ。無益じゃ。そこには何も無い。ちゃんと考えておるのか? 目を逸らすなよ、小僧。あの小娘は――」
とうに死んでおるのじゃ。
つむじの言葉が胸に刺さる。知っている。知っているさ。あの子がどこにいようが何になろうが、そんなことは関係ない。思想が暴走さえしなければ、誰かに被害をもたらすことはない。
だけど。
「お前が……お前がそれを言うんじゃねよ……!」
睨みつけると、面白そうに幼女は口を歪ませた。
「――いい憎悪じゃ。それでこそ儂の敵と成り得る」
「質問に答えろ。何故、東屋を殺した」
「奴は貴様に迫り過ぎた」
「何故、僕を殺そうとした」
「殺そうとはしとらん。貴様が死んだら儂も死ぬ。意識が消える直前に傷を治した」
「質問に答えろ……!」
「……弱くなり行く貴様に、腹が立った」
「何故、十年前ちーちゃんを殺した」
ずっと、気になっていたことだ。
どうしてこいつは十年前のあの日、帚木鵆を殺す必要があったのだろう。あの善良で純粋な少女のどこに、殺される理由があったのだろう。
「それは儂に勝ったら教えてやる」
つむじの身体を覆っていた十一の神具が、全て消えた。幼女の脆い身一つとなって、『桐壷』は僕と相対する。
「久し振りに見せてみよ。何もかもさえ破壊し得る、貴様の必殺技を」
必殺技――言い得て妙だ。確かにあれは僕の決め技的なものであると同時に、本当の意味で『必殺』でもある。対象を必ず殺す――攻撃能力破壊能力殺傷能力の全てを極めた、XP脱退時の会談で封印を義務付けられた最終奥義。
「良いよ――僕の必殺技、《夢浮橋パンチ》」
手習わをんが僕に託したものの一つ。それは力任せに、全身の筋肉を使い、無駄なき動きで、重く、重く、重い一撃を相手に叩き込む単純であり純然たるパンチである。それが、『黒揚羽』の正統の攻撃手段だ。
「愛してるぜ、つむじ」
「儂もじゃ、小僧」
駆け出す。
飛ぶ。
左腕を振りかぶる。
背中の痛みも胸の痛みもあちこちの痛みも無視して、僕は鉄の骨を、つむじの矮躯に叩きつけ――
「ひょい」
られなかった。
「なっ……あ!?」
避けられた。
「すまんなあ、小僧。儂はやっぱり死ぬのは嫌じゃ。この身体でそれに耐えることなど出来んのでな」
シニカルに笑い、空中を舞う僕の体に抱きつく幼女。僕は――僕の中には、ただただ驚愕しかなかった。
「お前――この流れで避けるとか……!」
「かかか。じゃから、ごめんて」
抱き付いた桐壷つむじの左腕が、僕の胸を貫通した。
昨日の傷と寸分たがわぬ箇所を、器用に貫いた。
夢浮橋先生、間抜けでいいなあ。
書き易いなあ。