それは、一つの恋だった。
動機も理由も目的も原因も印象も狂気も命題も疑問も謀略も尊厳も崇拝も妄執も結論も益体も正解も根拠も負荷も潔癖も遠慮も基盤も独善も傾向も打算も妥協も煩悶も誠実も憧憬も偏見も曖昧も相談も葛藤も構想も徹底も計算も契約も無念も容赦も寂寞も抵抗も屈託も欺瞞も要望も選別も混沌も懸念も禁忌も倦怠も権限も躊躇も不安も解説も回避も規則も企画も良識も防備も踏襲も癇癪も恐怖も思考もなく。
僕はただ、帚木鵆に恋をした。
あの雨の日から僕の心は、彼女に囚われていた。
だから。
だから僕は。
ここで帚木鵆と――
「む。起きた」
目を開けると、そこにはつむじがいた。僕の体に馬乗りになっている。
「今回はヤバかったのお。一発で失神するとは思わなんだわ。まあもう大丈夫じゃ、ちゃんと傷は塞いだ。背骨も一応、嵌め直した。かかか、儂も治療に慣れてきたようでのお。痛みも残っておらんのではないか?」
「……成人男性の上に幼女が馬乗りになるってのは……犯罪チックだな」
「何も言う。貴様なんか以前、儂におんぶしてもらったじゃろう」
そういえば二ヶ月前。いやでもあれだって犯罪チックだった。
「なあ、つむじ」
「何じゃ小僧」
「この場合、勝負はどうなる?」
「殺し合いとは言ったものの――じゃれ合いと正したがの。よくよく考えてみれば儂に貴様を殺すことは出来まい。貴様が死んだら儂も消えるのでな。それでもあえて勝負を付けるとするのならばやはり儂の勝ちになるじゃろうな。三途の川くらいまでは行けたじゃろう」
「三途の川とかあんの?」
「あれ? 貴様らがあるとか言っとらんかったか?」
無いんだ。
「じゃあ――ちーちゃんはどうなる?」
「さあて、どうするか――貴様もなんか元通りになったようじゃし、貴様の要望通りにしてもいいのかもな。《キリツボキッス》を解除して《キリツボライン》で貴様に近寄れんようしに、それでちょくちょく監視に行けばよいのじゃろう?」
「そうしてくれんのなら――凄くありがたい」
「うむ。……あいすとってくる」
そう言って、つむじはふっと消えた。廃校に残されたのは負け犬となった僕だけである。とりあえず上体だけ起き上がらせて、嘆息する。
「何つうか……」
惨めだ。
情けない。
元通りになったとつむじは言ったが、僕の心情としてはまだいまいち。引っ掛かっている内容はちーちゃんのことで、つむじが提案した譲歩じゃあ、何か駄目な気がする。
それじゃ、決着がつかない。
じゃあ決着って――どうすればいいんだ? 昨日のように面倒を見たところでまた僕の意志が緩んでしまう。でれでれにだらしない男に成り下がってしまう。それは駄目だ。僕はもう二度と、あんなに弱くなるつもりはない。あれじゃ半年間もちーちゃんと一緒に居られる自身が無い。
それに昨日の夕方、つむじは僕を攻撃したが――その矛先がちーちゃんに向けられるとも分からないのだ。神にかかれば幽霊など何度も殺すことが出来る。
「じゃあやっぱり、あの条件を呑むしかないのか……」
いいじゃないか。
ちーちゃんは解放。二度と会えないけど、それ以外ならどこに行ってもいい。それで求めるものを見付けて成仏するのも、半年を終えて成仏するのもいい。
それで、いい。
それで、いいんだ。
「たーだーいまっ」
不意に、上空からつむじが再登場した。
「……っくりした。え? 何だお前。もう戻ってきたわけ? えらく早いな」
「じゃからあいすをとってくると言ったじゃろう。ほれ」
がさ、と音を立てて幼女は『白い何か』を差し出した。
「……何、それ」
もちろんそれが何なのかくらいは知っている。知っているどころかほぼ毎日のように使用する、言うなれば家族のような存在だ。
レジ袋。
コンビニのレジ袋が、差し出された。
「お、お前、買い物……出来たのか!?」
「貴様にやる。それなりに頑張った褒美じゃ」
「……ありがと」
小さなレジ袋を受け取る。中にあった商品はたった一つ。
「じゃから言ったじゃろう? あいすをとってくると」
バニラ味の、ホームランバーだった。
「え……どうしたのこれ。買ったの?」
「買った。ああ、よく分からんがこれも渡された。これもやる」
鈴のような音を立てて、数枚の硬貨が放られた。このホームランバーを本当につむじが購入したとするのなら、恐らくお釣りだ。
「金を拾ったのでな。えっと――ひゃくえん? たぶんひゃくえんじゃった。数字くらいはざっとじゃがわかる。ひゃくより低い値のばにらはこれしかなかったものでな。ほら、食え。冷めてどろどろになるぞ。棒のあいすはどろどろになるとマズい」
「はあ、どうも」
青いラッピングを剥いで、少し溶けかけたバニラアイスを口に含む。熱くなった身体が冷えるようで、気持ちが良い。
「……拾ったって言ったけど。拾得物横領罪とか知らねえよな」
「何じゃ、それ」
だよなあ。
諦めて僕は、まるで管理されているかのようにつむじの満足気な視線を浴びながらひたすらアイスを食べた。拾ったお金で買ったという、罪深いアイスを。
「……拾った?」
何か、妙な繋がりが。
「なあ、その百円玉ってどこで拾ったか覚えてるか?」
「なんじゃったか――『ぷーけっと』?」
「マジですか」
どうしてタイ南部、マレー半島の西にある小島に日本の硬貨である百円玉が落ちてるんだ。ていうかどこまで行ってんだ。どうせ言い間違だけど。
「……アーケード?」
「おお、それそれ」
「参ったな……」
その百円玉を落としたのは恐らく、僕だ。弦弧ちゃんとスタバでお喋りしていた時に、運命の話になった時に、ふと例え話をしようとした時に、落とした百円玉だ。
「いやあ、貴様のところに遊びに行こうとしたら既に誰かと喋っておったのでな。邪魔するのも悪いかと戻ろうとしたらふと光るものを見付けてな。それで拾ったのが百円玉じゃ。かかか、儂も神に微笑まれたかのお」
なるほど、あの百円玉は宝くじにも毒にもならず、アイスになって僕のところに戻ってきたというわけか。何たる傑作。これがあの百円玉の運命か。
「こいつはちょっと――僕の運命論にも修正が必要かもな」
あの百円玉はアイスになるべくしてアイスになった。そして僕はどのような経路を辿ろうがアイスを食べる運命にあった。
エンディングは同じでも、まさか通ったフローチャートでここまで違うものなのか。
『つむじが僕に好物を与える』――それは青天の霹靂とも言える、衝撃の出来事である。そして正直に言えば、僕にはそれが酷く嬉しかった。
「……運命ってのは」
「うん?」
「辿る経路で全然違うな」
「かものお」
「だったらここが――分岐点だ。僕は選択しなければならない。正しいかどうかは分かんねえけど、それでも僕はここで一発、心の底から自分を納得させる選択をしなければならない」
バニラクリームを舐めきって、アイスの棒をレジ袋に突っ込む。結果が同じだろうと、結末は変わらなくても、それでも『僕が』決着を付けなければならない。
十年間の苦悩に。
十年間の逃避行に。
終止符の打ち方が、ようやく分かった。
「どこへ行く?」
立ち上がった僕に、全てを理解したような顔つきであえてつむじが尋ねた。
「戦いに」
「そうか」
「さっき言ってた、ちーちゃんのことだけど――あれ、いいよ。もうやんなくていい」
「そうか」
「僕がやるから」
「そうか。行ってこい、儂の夢浮橋芥」
重い女のようなことを言って、つむじは僕を送り出した。黒い雲が空を覆っている。遠雷が聞こえる。雨はまだ降っていなかった。
バトルの後にこれだけ砕けて話せるのは引くよなあ……(他人事)。
次回、クライマックス。
泣くところです。