夢物語   作:危橋たけ

28 / 51
抱擁編・その四

 

「泣いてたの?」

 僕は尋ねた。少女は頷いた。

「何で泣いてたの?」

「……好きな人が、私の代わりに嘘を吐いてくれたんです。それが苦しいことだって分かっていたのに、本当は私が言わなきゃならない魔法の呪文を、唱えてくれたんです」

 僕は帚木鵆の手に触れた。死人のように冷たかった。

「僕は――勘違いしてたね。いくら自分を誤魔化したって、いくらきみを突き放したって、ちっとも心の中がすっきりしない。カウンセラーのくせに」

「でもそれが、あっくんの選んだ正しい答えじゃないんですか?」

「違うね。正しくないと悟ったから、僕は今ここにいる」

 あんな別れ方じゃあ駄目だった。駄目もいいところだ。最悪だ。少女は世界を愛していた。だったら最後まで、最期の時まで世界を好きでいてほしい。禍根も遺恨も後悔もなく、彼女に似合った綺麗な感情でこの世を去ってほしい。

「成仏の方法、覚えてる?」

「はい。一つ目は未練を解消すること。二つ目は半年間、過ごすこと。そして三つ目は――」

 そこでちーちゃんは言いよどんだ。分かっているのだろう。僕が正に、その三つ目の方法を実行しようとしていることを。

 

「そう。――きみを、殺す」

 

 死んだ人間をこの世から追うためには、幽霊となった状態で更に死を迎えることだ。それを行えるのは理を越えた存在である神と、例外的に霊への接触が許された僕だけだ。

「……なあ、ちーちゃん」

「ごめんなさい」

 先に、彼女の方が頭を下げた。

「嫌ですよね、死んだ人でも殺すのは。……嫌な事させて、本当にごめんなさい」

「あ――謝るなよ。それは僕の台詞なんだ。あの日、きみを救えなかった僕の……」

 十年前の後悔だ。

「僕はきみを守りたかった」

 ただそれだけだ。

 神に敵わなくたって、力が足りなくたって、だからと言って責任を感じずにはいられない。せめて一緒に死んでやりたかった。――なんて、それこそ弱い発言だけど。

「……嬉しいです。それを聞けただけで、私は幸せですよ」

 涙を浮かべて、笑みを浮かべるちーちゃん。それは悲しく、そして儚い笑顔だった。

「……どうやって、死にたい? 変な質問だけど」

「首を絞めて下さい」

「いいの? 苦しいよ」

「苦しくていいんです。そうしたらきっと、近く、長く、あっくんと一緒にいることができますから」

「……そっか」

 やはり、どこまでも純粋だ。

 純粋に僕を好きでいてくれる。本当に堪らない。そういうところに、惚れたんだ。

「ねえ、あっくん――さっきの、別れ際の言葉をもう一度言ってもらっていいですか?」

「最後のって――あれ?」

「あれを聞いたら、たぶん怖くなくなります」

 僕も言っていて悪い気になったのだが――それでも、彼女が望むのならしょうがないだろう。打って変わって優しい表情で、暖かい口調で、その言葉をかけた。

「僕は生きる。きみは死ね」

 きみを殺して、僕は生きる。

 手を伸ばす。

 きみに触れる。

 肩を握る。

 抱き寄せる。

「おやすみ、ちーちゃん」

 死者への言葉を送り。

「ありがとう」

 僕はゆっくりと、腕に力を込めた。

 

 ----------

 

 空から雨が降って街を濡らす頃。帚木鵆は、僕の腕の中から消えていた。

 体温の無い彼女の不思議な暖かさがまだ残っている。

「……雨に濡れれば、分からない――か」

 あの日、ちーちゃんはそう言った。

 あの日、僕らは出会ってしまった。

 出会わなければよかった――なんて、今は思わない。あの時出会わなければ、僕はまともに生きることすら出来なかっただろう。

 十一年前の出会いは。

 それから二年無いくらいの短い青春の日々は。

 紛れもなく、僕の宝物だった。

 運命のような出会い。偶然のよう日々。いたずらのような告白。失敗のような別れ。夢物語のような僕らの世界。

 それを乗り越えて、僕はようやく前に進む。

 だから今だけは、この雨に紛れて。

「何が濡れちゃえば分からない、だ……適当な事言いやがって……バレバレなんだよ……畜生……!」

 頬を伝う雫は、降り注ぐ雨に似ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。