『もしもしあっくん? 頼まれてた霊化現象のタイムラグについてなんだけど、あれってたぶんね――』
「待て待て、早えーよ」
電話の向こうでいきなり饒舌になり始める、胡蝶翅(こちょう つばさ)を制す。
「もしもしと言うのならばこっちももしもしと言うまで待ってくれよ。それに久し振りなんだから、いきなり本題に入るのは冷たいんじゃないか?」
『ん、それもそうね。私ったらまた仕事のクオリティとスピードの高さを仇としてしまったわ』
なんて、嘯く翅さん。自分で言ってんじゃねえよ、とおざなりに僕は突っ込んでみせた。
「まあ、大陸レベルに離れてるんだから却って話すことなんて無いけどさ。――えっと、健康?」
『健康も健康。花マル元気ちゃんよ。この間なんて豪雨の中、みんなでフットボールして遊んだわ』
「小学生か」
『みんなは高熱に見舞われたけど、私一人だけ異常なしでね。変な疎外感を味わったものだわ』
「空気の読めない健康だな」
馬鹿は風邪を引かないと言うが、当然ながら翅さんは馬鹿という概念の対極に位置する脳味噌を持っており、つまり風邪を引かないのは馬鹿と極端な天才ということになるのだろう。
ちなみに風邪を引いたことがない僕はきっと馬鹿の方だ。
『そっちはどんな感じ?』
「えーとね。末摘花(すえつむはな)先生の定年退職が決定した」
『誰それ』
「体育の先生。小さくて可愛らしいお婆ちゃん」
『そんなお婆ちゃんが体育教師する学校ってのも面白いわね……どうでもいい情報ながら感服したわ』
「ちなみに握力は八十キロ」
『ぶはははっ!』
受けた。
ちなみに本当は七十五キロだ。
『さてと、面白可笑しく笑わせてもらったところで、早速だけど本題に入っていいかしら』
「そうだね。茶番はここまでってことで」
六月十五日の夜。帚木鵆と再会して状況の説明を終えてから、僕はすぐに翅さんに連絡をとった。幽霊化までに十年もかかるなんてことはまず有り得ない。それは理として許されない。だから僕は、翅さんにそのことを報告したのだ。
もちろん、ちーちゃんのことについては全力で伏せた。出会った幽霊が昔の彼女だったんだよ、なんて口が幾重に裂けようとも話す気にはならない。別に翅さん自身は気にも留めないであろうが――それでも僕的には、黙っておきたかったのだ。
『結論から言うと、「解らない」わ』
「え?」
『もちろん進行はしたのよ? 須磨洟子の例と合わせて、かなり捗ったと言えるわ。それでも未だに不明瞭な点がいくつも残されているという話で、とりあえずそれを聞く?』
「聞くよハニー。教えてくれ」
『了解ダーリン。――まずは須磨洟子の件について。これは死亡から十二年も経過している異例中の異例の件よね。勘違いやら数え違いも可能性としては浮上したんだけど・・・・・・』
「いやあ、それは無いだろう。その辺はもちろん、僕だってしつこいくらいに確かめたもんだし」
『そうよね。他でもない現状として体験しているあっくんが手ずから調べてくれてるんだもの。勘違いなんてしようと思わない限り難しいわ』
それは暗に、僕が勘違いしようとして、しているのではないかと問われているようだった。
『次に今回の『名前のない女子高生』の件。これで状況は一変したわ。死亡状況は異なるとはいえ、年齢層が一致している。それにその少女の死亡時期は十年前。十二年前ではない。ある面は一致してある面は異なっているこの状況。何かを選別しているかのようだと私たちは考えた』
「選別?」
『選定と言ってもいいわ。つまりその年代。その少女たちは、何かに対して何らかの影響を持つ存在だったのよ』
「……ちょっと待て」
それじゃ。
それじゃあまるで。
「つまり……何者かが意図的にあの二人を幽霊化させた、って聞こえるんだけど」
『それ以外の解釈が出来るのならばあっくんの感性は優秀ね』
果たしてそんなことが可能なのか?
たとえば神々は何でも出来る。何でも出来るが、何でもは出来ない。時間と運命についての操作がその代表で、その二つに関しては絶対的に不可能な筈である。
だから、死んだ人間を『どうこう』出来る権限は無い。
幽霊化は理であって、摂理であって、何者かの手によるものである筈がないのだ。
『だから言ったでしょ? 「解らない」のよ。何がどうなっているのか――『胡蝶研究棟』挙げての大波乱よ。こうなったら神という概念自体について洗い直す必要があるんじゃないかって。そうなったらまた『十字架機関』と連携しなくちゃなのかも』
「はあん、大変だ。――僕もつむじに訊いてみるよ。あいつの記憶力が生きてれば、その手のことは詳しいだろうし」
『……桐壷様が、教えてくれるの?』
酷く不思議そうな声が、電話の向こうから聞こえた。
「そうだけど」
『何というか――あらら? あっくんと桐壷様ってそういう関係だったかしら。そりゃ命を共有している一蓮托生の存在だったんだけど、しかしそれでいて圧倒的な「敵対関係」があったじゃない。桐壷様にとってあっくんはライバルで、あっくんにとって桐壷様は怨敵。もちろん、そんな矛盾した関係性を保持しているからこそあなた達は対として成り立っているのだけれど』
「まあちょっと――あってな」
『ふうん? まあいいんだけど。仲が良いと言うのならそれに越したこともないわけだし』
理解したような言葉ではあったが、口調自体は全力で訝しんでいるようだった。――やはり事情を知っている翅さんにしてみたら、僕とつむじが必要以上に結託しているのは滑稽というか、とにかく異様な光景なのだろう。
「別に――ただ今回の案件がさ。『嫌な予感』がするんだよね」
『ふうん?』
「何というか、これは放っておいたら大変なことになる気がするんだ。だから怨敵だろうと使える手は使う。手段は択ぶべきじゃないかなって。――もちろん、これはただの予感なんだけどさ」
『いえ、あっくんがそういうのならきっとそうなんでしょう。二年三年のブランクがあろうと、あなたは『十字架機関』で常に前線に立ち続けた、きっての『戦士』――『殺戮者』なんだから』
「……もう忘れたよ」
そうは言うが、もしかするといずれはその暴力を使う状況が訪れるのかもしれない。僕の『悪い予感』が当たった場合、の話だが。
『ま、いいわ。とにかくまた何か分かったことがあったら連絡するから、そっちも出来るだけ調べといてね』
「ああ。――あ、ちょっと翅さん」
せっかちにも電話を切られる気がしたので、至急彼女を呼び止めた。――僕は翅さんに、伝えなくてはならないことがあったのだ。
『何かしら』
「あのさ」
言え。
これを言わなければ、僕は進めない。
「――一緒に住まない?」
約五秒。永遠かと思われた五秒後、電話の向こうで『え?』と訊き返す声が聞こえた。
「日本に帰って来てくれないかな。仕事がしやすいからドイツに渡ったってのは分かるけど――でもどうにか仕事が出来るってんなら一緒に住まないか?」
『いいわよ』
「返事が速い!?」
どうして訊き返した!
『いや、ガチで聞こえなかったから。駄目よ、カウンセラー先生がもごもご喋っちゃ』
「あ、はい……」
頷きながら、何だか笑えてきた。
いいんだ。
あんなに緊張したのに、拍子抜けだ。
『ま、仕事がしにくくなるのは確かにその通りなんだけど、あっくんからそう言われちゃしょうがないわね。そうするわ』
「何か意外だな。少しは渋るか困るかすると思ってたのに。或いは断られるとも覚悟してたんだけど」
『まさか』
ふふ、と翅さんの可笑しそうな笑い声が聞こえた。
『あのね、あっくん。私はあなたが好きなの』
「……うん」
『たとえあなたが私のことを嫌いだろうと、もう私はあなたに惚れちゃってるの。愛しちゃってるの。ひょっとしたらあなたは私がドイツにいる間に浮気をしたかもしれないけど、まあ別にそれはいいわ。浮気したら殺す、なんて束縛発言するほど若くないんだから』
「三十歳なったばかりだろ」
『まだ若いと言ってくれるなら感涙ものね。今更口説かないでよ、やだわ』
棒読みで照れられた。
『でも私は、浮気をしなかった。浮気をする暇が無かったわけじゃないわ。出会いはあったしアプローチを掛けられたこともあった。でもほら、私って心底あなたに惚れてるのよ。だからそういう気にならなくてね』
「そ、そうですか」
『だけどね、あなたが私に愛されることを拒絶するのならば、その時はあなたを殺す』
「………………」
『あなたが離婚届を突き出そうものならば、あなたを殺して私も死ぬ。一緒に死んで、あの世で好きなだけいちゃいちゃしましょう、あっくん』
ふふ、と再び翅さんの可笑しそうな笑い声が聞こえた。嬉しそうで、可笑しそうで、犯しそうな声だった。
『ああ、もう時間だわ。それじゃあね、あっくん。いまいち予定ははっきりしないけど、遅くても来月にはそっちに行けるようにするから。ばいばい、ダーリン』
「ばいばい、ハニー」
携帯電話を切り、振りかぶる。
「怖えよ!」
投げる。ぼすっ、と鈍い音を立てて、ソファのマットレスに直撃した。
「……相変わらずヤバいな、あの人は」
機械的で、猟奇的で、独善的で、狂気的。全てのことに狂っているマッドサイエンティスト。『四翅傾名(ししけいめい)』の一つ、『胡蝶研究棟』の鬼才・胡蝶翅。彼女にとってこの世の全ては研究材料――らしい。
そして例外が、僕だという。
「だから、過大評価なんだよ――」
頭を抱えつつも、僕はどこかで七月を楽しみに思っていた。
部屋を掃除しておかないと。