玄舟学院の体育館は、十二年前に大規模な工事が施されている。もともと規模が大きい学校なのだが、よほどお金が余っているのかリフォームというより建て替えに近い感じで、体育館は以前より格段に広く綺麗になったそうだ。
「もしも十二の個室があるとすれば、最も状態が新しいここだ」
「はあ、確かに大きいが校舎に比べればまだまだ小さい方ではないか」
体育館の大きな扉の前に着地したつむじは、世間知らず故のそんな間抜けな感想を漏らした。
「いや、当たり前だろ。校舎よりデカい体育館はもはや体育館じゃない。スタジアムだ」
日本体育大学でもそんな素敵な設定を持っていない。こいつにはもう少し、常識というやつを身に付けてほしい。
「試合は勿論だが、でかい大会の会場としても使われてるからな。観客席まである体育館なんか、僕は噂でしか聞いたことがなかったが――体育の時も観客とか入れるのかな」
「貴様の改まった意見などどうでもいいわい。とにかく早う降りろ小僧。そんなに儂の背中が好きか?」
未だに背中に負ぶさっていた僕に、つむじは首を百八十度回して嘲笑した。――いくら神様だからって、人型ならば人型の常識を守ってほしい。
「狭くて落ち着くね」
軽口を叩いて、僕は幼女の背中から降りた。神と言うのは徹底して何でも出来る存在だ。身体に関することも例外ではなく、幼女の身体は山をも越え、大気圏突破の衝撃にすら耐えきれる耐久力を持っている。現に空間跳躍とか魔法染みた裏技まで使えるわけだし。
まあ、元の神ならば身体の操作など不要らしい。幼女の死体を乗っ取った、人間の肉体を持つ彼女だからこそ必要とされる技術ということだ。面倒臭いとよく言っているが、それをしないと壊れるのは自分の身体なので、つむじは肉体操作を怠らない。
その点、身体に関してはまったく普通の人間の僕は、跳んだ時もの凄いスリルを感じたし、着地の時には気絶しそうになったわけだが。ジェットコースターとして売り出してやろうかと思う。
「それで、雪隠――『といれ』に行くんじゃったな。しかし貴様、女子専用の雪隠にずかずかと入るわ、幼女の背中にずけずけとおぶさるわ、神たる儂と言えどさすがに感心するばかりじゃ」
「もはや突っ込むのも面倒だから簡潔に言うが――違うから」
静かに言って僕は歩き出す。「かか」と哄笑した後、彼女は僕に続いた。
「ところで小僧。そろそろ教えてくれていいのではないか?」
「何だ。スパロボの隠しユニット入手法なら墓場まで持ってくぞ」
「安い墓場じゃな……」
仰る通りだった。
「今、貴様が何をしようとしているのかじゃ」
「それに答える義務が、僕にあるのか?」
「あるに決まっとるじゃろう、戯けが。移動とはいえ儂も手伝ったのじゃ。室町の時代に無知な農民を騙して火縄を大量生産させておった武将がおったが、そのようにはいくまい。それに忘れたとは言わせんぞ、小僧。儂と貴様の関係は、隠し事が在ってはならん間柄じゃろう」
つむじの――桐壷の言葉は酷く冷たかった。冷たくて、そして鋭かった。氷は尖ればよく斬れる。鉄の刃物よりもずっと、獲物を切り裂くこと切れ味が鋭い刃物にもなり得る。
「あくまで噂だが、この学校に霊がいるかもしれない。女子トイレに生息――いや、死息とでも言うのか? そういうわけで女子トイレを巡回してるわけだ」
「確証は?」
「えっと、無い。噂話?」
おどけたように言ったのが不味かったのだろう。
どん、と背中に強い衝撃が走った。
「ふざけるなよ……小僧が」
コンクリートの壁に叩きつけられていた。
冷たい視線はそれでいてぎらぎらと燃えていた。つむじは怒っていた。何に対して――なんて、愚問だろう。
「確証も無い、証拠も無い噂話に、何故貴様が振り回されておるのじゃ。――貴様は自分の立場を理解しておるのか?」
つむじの小さな身体が宙に浮いて、僕の首を締めるように掴んでいた。まったく、神の前では物理法則も有ったものではない。
「……生徒に何らかの悪影響が出たらどうするんだ。ある程度の意志があれば、奴らは生物にすら触れることが出来るんだぞ」
「ならば調査など昼間でよかろう。こんな夜中に綿密に計画を縫って、注意深く徘徊するほどのことではない。女子専用の雪隠じゃろうが。貴様なら舌先三寸口八丁でどうにかできたであろう? ――のお、小僧。貴様の仕事は人と話すことではなかったのか? 人と話、悩みを殺すのではなかったのか? 霊媒紛いはよほどの余裕が無ければしないと言うておっただろう。……貴様に余裕など無い。貴様にあるのは、悪意と嘘と――思惑だけじゃろう」
僕はおもむろに、首を絞めつける彼女の手を掴んだ。離せと言う意図を伝える行為だ。理解したつむじは僕の首から指を離し、床に着地した。
「分かってんなら付き合えよ、『桐壷』。とにかく僕は、僕の目的の為に動いてるんだ。それは間違いなくお前の利になる。だからお前は僕を手伝えよ。そのチート能力の半分でも貸してくれ。――それは全て、僕と、お前のためだ」
「……かか、まあいいじゃろう。貴様の茶番、付き合ってやる」
まるで先程までのシリアスな空気が冗談だったかのように、つむじは冷笑し、踊るように歩き出した。――こういう奴なのだ。こいつにとって僕は命の源であるけれど、しかしだからと言って行動の全てを制限するつもりは無いらしい。能力をフルで使えば僕を人形にしてしまうなど造作も無いだろうに。
つまり、桐壷つむじには目的が無いのだ。
この世界に存在する意味が無い。
最強の神・桐壷は今は昔――神としての領域から外れてしまった堕神は『ただそこにいるだけ』であり、彼女にはもはや、存在意義などどこにもないのだ。
何て、哀しい。
哀れだ。
「――ああ、小僧」
「ん?」
唐突につむじは振り返り、口ごもりつつ続けた。
「んっとな……壁にどんってしたのと、首をぎゅっとしたの。すまんかった」
神は恥ずかしげに、目を合わせずに謝ったのであった。
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体育館女子トイレには個室が十二個あった。
一レーン五個の校舎内に対し、一レーン六個だ。やはり女性は恵まれているなあ。――いや、男子トイレに便器が多くても、結局のところ無駄だけども。
「ま、とりあえずビンゴってことで」
大きな大会の二次会場として使われることもある――だからだろう。大きな大会は当然人間も多くなるだろうし、一般の方の利用者も当然いるということで、普通より多めの十二個、存在しているということだ。
しかし若紫の情報はいつだって曖昧だ。手掛かりしか言わず、それを言えば簡単に事が済んだということを、いつだって言いそびれる。
「謎解き『げーむ』みたいじゃのお」
「ああ、まったくだ。最近、本とか読めないからな」
読んでいればいくらか推理力が高まるのかもしれない。探偵とか刑事は、学生時代図書館に通い詰めていたのだろうか。
くそ、本を読みまくってミステリー小説家になった方がまだ楽な人生だったのかもしれない。
「それで、どうするのじゃ」
「ああ、まあここからは普通にあの方法で呼んで……っと、そういえばつむじ」
「何じゃ変態小僧」
さりげなく妙なのを冠された。
「お前、幽霊とか察知出来ないのか? 神様なら分かるだろう」
「出来るのかもしれんが、生憎とやり方が解らん。やる必要も無い暮らしだったからのお」
じゃあ結局、ここに「花子さん」がいるかどうかは自分の目で、このおかしな目で確認するしかないということか。
「ええと――つまりあの一番奥の扉を叩けば確認できるらしい」
「何じゃ、意外と簡単じゃの。これなら『すぱろぼ』の方がまだ難しいというものじゃ」
「一丁前に略してんじゃねえよ、リタイアしたくせに」
「儂を諦めさせたあの『げーむ』の方が悪い」
どうして明らかに負けた側であるくせに上から目線なんだろう。神様だからか?
「ま、とにかくやるぞ」
「うむ。やってこい」
一番奥の扉に立つ。ここから「花子さん」を呼べば――隣のドアから出て来るそうな。……まあここは聞いた通りの行動をしよう。馬鹿らしいにもほどがあるが。
「――くしゅんっ」
と。
不意に、くしゃみの音がした。
それは何かが擦れた音でも、何かが途切れた音でも、何かが吸い込まれた音でも、レベルが上がった音でもなく、紛れもなく人間のくしゃみの音だった。
思わずつむじを見る。幼女はぶんぶんと首を振った。そう、こいつではない。音がした方向くらいわかる。十一番目の個室の中からしたのだ。
「――誰か、いるのか?」
花子さんとは限らない。もしも一般の生徒であった場合、「何をしてるんだ」「いや、あんたこそ何をしてるんだ」とお互いに言い訳が必要な状況になってしまう。こんなことで男に生まれた自分を呪うのだった。しかしどうもしないわけにもいかない。得体の知れないものに、とにかく僕は声を掛けた。
すると反応して、普通に声を掛けられたことに反応して。
「はーあ」
若い女性の声が響いた。
「誰かって……まあ、居ることに居るんだけど居ないんだもんね、あたしは……、あーあ、どうせ出てっても『うわ、勝手にドアが開いた!? 怪奇現象だー!』ってことにしかならないし、返事しようにも声が通るのは何故か「はーい」っていう返事だけなんだし、それ以外は聞こえないみたいだし……、あーもう! お化けなんてつまんないなあ」
そんな文句と共に、十一番目の扉が開いた。
そこから出て来たのは、この学校のものではない制服を身に纏った高校生くらいの少女だった。その瞳は血のように赤く、その肌は雪のように白い。どちらも霊である特徴だ。
「――って、え? 夜じゃん! ていうか男の人!? そして女の子!? え、どういう状況なんだろう、これ……」
「………………」
「………………」
僕とつむじは、勝手に慌てふためく少女の方向を見る。少女はこちらが視えていないものだと認識しているようで、視線に気付かずあたふたしていた。
「親子かな? あ、でもこんな夜中にトイレに来るって変だな。んー……、まさかアレがアレであんなことを!?」
それはどういうことだろう。
ムカついたので僕は拳を作り、頬を赤らめる少女の頭に振り下ろした。
「――!? い、痛あ……!」
「突然すまんな」
一言謝っておいたが、当の少女は更に困惑する。
「……え、今、当たったの……?」
「ああ、当てたからな」
「ええ!? 今、あたしの言葉に応えた!?」
「まあ、聴こえるからな」
「えええええ!?」
僕が出会ってきた幽霊の多くは、彼女と同じような反応をする。自分の存在が認識されたことに困惑し、混乱し、そして次に――
「あ、あの……あたし……ずっと独りで……」
幽霊は孤独である。
彼らが誕生する理由は未だに明らかになっていない。怨念の強さとか、思い残したことがあるとかはまったく関係無い。ただランダムに、突如としてそこに現れる。
「――う、嬉しいですっ!」
だから歓喜する。自分が視られたということを、認識されたということを、過剰と言えるほど喜び、嬉しがるのだ。
こちらの気持ちも知らずに。
「僕は夢浮橋。夢浮橋芥だ。この学校の心理学教師及びスクールカウンセラーをしている。君は?」
言いたいことは山ほどあるだろう。だけど、だからこそ僕は最初に自分の名前を告げた。
これから永い付き合いに『なってしまう』かもしれないからだ。
「あ……私、須磨洟子(すま はなこ)です」
納得した。『トイレの花子さん』事件の真相を。
本当に彼女はただ、返事をしただけだったのか。
これが僕と、半年後に世界を救うことになる少女の幽霊との、あまりにも歪なファーストコンタクトであった。
徘徊編終了。
次回、奔走編突入!