ひゃっはあ。
僕らの住む街の外れに『真木柱(まきばしら)山』という、森林に囲まれた、割かし低めの山がある。そこは端的に言えばつまらない山で、松茸が生えているとかツチノコが出たとか浮いた話も無く、あるのはそこそこ由緒正しい神社だけである。
『真木柱神社』。
『真木柱』という神が管理していたのだが、どうやらその真木柱、四ヶ月前から姿が見えない。つむじの話によれば消滅してしまったようなのだが、確証は無い。
「まあ、真木柱がいようがいまいが、僕にはどうでもいいことなんだけど」
夕方。
そろそろ玄舟祭も締まり、二日目へ向けて生徒たちは慌ただしく動いていることだろう。教職員達はおざなりに会議を始める頃だろうし(サボった)、つまりどこかの誰かさんが僕をこの場所に誘い出すには、妙にタイミングの良い時間であった。
「真木柱神社に来い」
何とはなしに文化祭を回っていた途中、擦れ違い様に言われた言葉がそれだ。
誰と擦れ違ったのかなんて、賑わいを極めた廊下の中じゃあ分からない。男の声なのか女の声なのか、イントネーションもオクターブも、とにかくその言葉を記憶した瞬間に、頭の中から消えてしまった。
「さてさてどこぞの神様か、XPのイカれた誰かか――」
そんな怪し過ぎる誘いに乗る馬鹿が果たしてどこにいるというのか。その問いに答えるとするのなら、僕は遠慮しがちに手を挙げることになるだろう。
どうやら僕は、乗る馬鹿だ。
「ふむ、しかしどっちの化物が待ってるにせよ、つむじを連れて来た方が安心だったかもな――いや、あの戦闘狂(ベルセルク)が一緒だと成立する筈の会話も成立しねえからこれでいいんだろうけど」
夏場に老人が昇ったら高確率で召されてしまうであろう段数を誇る階段を昇り、僕は真木柱神社に到着した。比較的綺麗な方であろう社。守り神は白い蛇。春には小規模だが祭りもやっている。
殺風景だ。――そんな印象が第一だった。
別に神社が錆びれているとか、そういう感じは先述の通り全く無い。ひとえに神聖な場所は『誰もいない』だけで酷く寂しい雰囲気に包まれてしまうものだ。
そう、誰もいない。
誰も、いなかったのだ。
僕はきょろきょろと辺りを見渡しながら神社の敷地を歩き回ったが、それでも結局、呼び人は居ないようだった。
「ははーん、こりゃ予想してなかったパターンだな。ひょっとすると僕はアレか、エイプリルフールでもないのに騙されたかな?」
わざと大きめな声でそう言ってみた。
「……ホントに誰も出て来ねえし」
ふむ。
三十近くになってこんな悪質な悪戯をされるとは思わなかった。
「ま、それはそれで珍しい経験ってことで、大人っぽく受け入れるとしますかね」
独白して、せっかくなので参拝して帰ろうと、社の方へと近づいた時だった。
そこでようやく、僕は『異様』に気付く。
「……うん?」
京都に柏木(かしわぎ)神社なる社を治める柏木という神がいる。そいつは神と呼ばれる中でも図抜けて人間とコミュニケーションを取る方で、社の中にパソコンを三台完備し、ネットやら株やらで遊ぶ酔狂な神様である。
つまり雰囲気漂う社の中にそんな先進技術が設置されていても困惑するわけで、柏木神社までじゃなくとも、僕は真木柱神社の社の中にそんな和洋折衷の失敗例のようなものを見た。
ノートパソコン。
電源が入っており、ディスプレイから光を放つノートパソコンが一台、設置してあった。
「……よもやこれを無視して帰れるほど、夢浮橋先生は図太い神経を持っちゃいねえよ」
社の戸は誘うように開かれている。僕は罰当たりなことに土足で社に入り、そのディスプレイを確認した。
『パスワード
□□□□□□□□□□』
「………………」
入力画面だ。
コンピュータに触れた経験のある者ならば三者三様そう認識するであろう、入力画面であった。
試しに『A』のキーを押してみる。空白部分にアスタリスクが表示される。バックスペースを押すとそれが消える。まあ、典型的で特に変わったところは見受けられない入力画面だ。
「それさあ、チャンスは一回だから迂闊に触んない方がいいわよ」
背後から、冷たい声が発せられた。
「ご丁寧にどうも――ところで、生きてたのか」
振り返るとそこには、絢爛な十二単を身に纏った背の高い女性が僕を俯瞰していた。
「姿も気配も無いから消えちゃったかと思ってた。心配してたんだよ、真木柱」
「ふん、悍ましい嘘は止して頂戴。私がいようがいまいが、あんたにはどうでもいいことなんでしょう?」
どうやら随分序盤から聞かれていたようだ。
となると、新たな問題が浮上する。
「いつからいた? こうやってあんたを目にするまで気配が取れなかったんだけど」
僕の感覚は死んでいない。ある程度の距離――少なくともこの神社の敷地内に関しては、神がいるかどうかを感じ取るくらい容易だったはずだ。
「背後を取られたのなんか久し振りだ」
「さあて、何ででしょう?」
僕の問いに答える気は無いらしい。冷たく鼻で笑い、真木柱は踵を返す。縦横無尽に、自由自在に、荒唐無稽に、真木柱は神社中を歩き回った。
「あんたが僕を呼んだってことで間違いは無いのか?」
「正解。私としてはあんたの顔なんて見たくなかったんだけど――まあ頼まれたんじゃしょうがないわね。私だって義に報いる感性は持っているのよ」
「誰に頼まれた?」
「まったくお粗末な脳味噌ね。生態系の頂点まで昇りつめておいてまだ何かに質問しなきゃ理解出来ないの?」
これだから人間は、と吐き棄てる真木柱。
「確認のつもりだよ。僕の考えている奴で間違いが無いのならばそれでいいんだけど、間違えてたら恥ずかしいだろう?」
「そうね、確かにそうだわ。そして考えてみたら私の役目は、あんたにこのゲームのルールを説明するころだったわけだしね」
「……ゲーム?」
訊き返す僕を、真木柱は呆れたように嘲笑った。
「それも『確認』? これだから人間は惰弱で嫌いなのよ。個体じゃ生きていけない。他のものを見下さなければ生きていけない。まあ別に、私が人間を創ったわけじゃないからとやかく言う筋は無いんだけどね」
嘆息して、そして歌うように両腕を広げて真木柱は声のトーンを変えた。
「私達のことは、閻魔三銃士とでも呼んで頂戴」
やはり、閻魔大王。
僕の考えている奴で、一応間違ってはいなかったわけだ。
「ルールは簡単。私達三人の提示した条件をクリアしてヒントを入手し、それを元にそのパスワードを解除する。いずれにしてもチャンスは一度きり。解除出来たら閻魔大王の居場所を教えてあげる。――ま、こんなものかしら。ここまでで何か質問は?」
「質問っつうか……むしろ、どこから突っ込んでいいものなのか考えものだな。えっと――さしあたってはまず一つ訊くが、それはやらなくちゃいけないことなのか?」
「やらなくてもいいんじゃないのかしら。こっちだって押し売りしてるつもりじゃないし。――ただこのゲームをやらずして閻魔大王を突き止めることが出来るというのならば、話は別だけど」
「………………」
確かにその通りだ、とは一概に言えない。
このゲームの誘いが出た時点で、閻魔大王はこの辺りにいることは確定したも同然だ。ならばつむじと二人で感覚知覚を最大限まで引き上げて捜査し直せば自ずと見付かるのではないか。
「いや――それは無理かな」
思い出せ、僕はさっき、真木柱の気配に気付かなかった。
プログラムで鍛え上げた能力を以てしても、この神の接近に気付かなかった。それは一言で表せば、『有り得ない』ことだ。いくら視えないとはいえ、いくら何でもありとはいえ、感じることが出来ないなんてことはない。
導き出せる答えは一つ。閻魔大王が、それが『出来る』ということだ。
そもそも奴は最強時代の桐壷を『喰った』神だ。封印の影響で能力減退していなければ、最強クラスの能力を持っていると考えて間違いはない。
ならば気配を消すことくらい、容易なことだろう。
そしてその能力を『仲間』である真木柱に与えたと考えれば、途端に辻褄が合う。
「……やるよ。やらせてくれ。どうやら僕らには、それしか手がないようだ」
とにかく。
僕の推理が正しければ、あくまで正しければの場合だが、もう気配なんて不確かなものに頼ることは出来ない。それがたとえ罠であろうと向こうの土俵であろうと、出会って戦って、そして勝たなければならない。
「結構。それじゃ三銃士戦一戦目を開始するわ。最初の相手は私、真木柱。あんたの勝利条件は、私を屈服させること。何でもいいから『参った』と言わせてみなさい」
「分かった」
僕は駆け出して、
腰・肩・腕・肘・手首・指先。それらの筋肉を余すことなくフル活動させて、
左の拳を発射した。
精一杯の皮肉を込めて、それは必殺、『夢浮橋パンチ』と呼ばれている。
「――は」
真木柱が呆けたように声を発したのは、僕の腕がその身体を貫いた後だった。
「……降参、か?」
神の身体から血は出ない。ただまるで桜の花弁のように、真っ白い細かな神体を形成するパーツが散るだけである。
「馬鹿じゃないの?」
そう、それだけだ。
拳を抜き取り、距離を取る。真木柱は未だに涼しい表情のままである。
「あんたの戦闘能力はやっぱり大したもんだけどさあ――それってあくまでも、十分に戦闘行為が通じる相手にしか使えないと思うのよね」
「いや――大体の神には通用すると思うんだけど」
見ると、既に真木柱の腹の穴はすっかり塞がっていた。まったくこれは、あながち僕の推理も間違っちゃいないかもしれない。元より真木柱は戦闘向きの神ではない。だから痛覚の除去に超速再生なんて高等技術、出来る筈がない。
閻魔大王は、どこまでこいつを毒したというんだ。
「特に制限時間は無いんだけど、どうする? 別にこのまま殴り続けてくれても構わないわよ。避けるつもりはないから」
そういえば。
つむじもよくこんな風に、得意になって調子に乗るものだ。高尚だろうと異形だろうと、神にだって性格というものはあるものなのだろうか。
どちらにせよ。
真木柱に関しちゃ、僕が思っているよりずっと矮小で、馬鹿なようだ。
「いや、もう殴るのは終わりだ。楽しそうなところ悪いんだけど、もう仕込みは終わってる」
その時ようやく、真木柱ははっと気付いたようだった。
先ほど殴られた自分の腹から、真っ黒な杭が生えているということに。
自分の身体が、まったく動かなくなっているということに。
「……どういうことかしら、これは」
「今更だけどさ。あんたの口調といい、身体の動きを封じたくだりといい、デジャヴを感じずにはいられないんだ。三ヶ月前だったっけ。あれは」
「これは何だと訊いている!」
真木柱の表情から、余裕は無くなっていた。
つまり、こいつが何かと争うには器量が足りないということだ。否、足りないのは経験か? どちらにせよ、僕と本気でやり合うというのなら、失礼ながら役不足だ。
「呪具っていうんだよ。パンチの時にどさくさに紛れて打ち込ませてもらった。XPの呪術局が造り上げたっていう、神の動きを一定時間封じるんだってさ。ええと、何つったっけ。ヘアピンみたいな名前だったと思うんだけど、まあ名前なんかどうでもいいよな。とにかくあんた、小一時間はどう足掻いても動けねえ筈だから」
「はん、急に饒舌よね夢浮橋芥! いいわ。小一時間で私から降参を引きずり出せるというのなら、好きなだけ暴れるがいい!」
「ああ、そうするよ」
僕は真木柱に背を向けて、神社の床下を覗き込んだ。――良かった、錆びてはいないようだ。
「ちょっと――何やってんのよあんた!」
手を伸ばして、『それ』を掴んだ。
「何をするつもりなのよ! それで!」
「あんたが考えてることと同じことだ」
それは斧だった。鉄の刃に樫の柄を付けた、長さ一メートルほどの普通の斧。普通の斧だから、これで真木柱をグロテスクに殴り切ることは出来ない。
そりゃそうだ。
僕はシニカルに笑って見せて、真木柱神社の柱を目がけ、斧を振るった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
真木柱の絶叫が響く。
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結論から述べると、僕は真木柱に勝利を収めた。
つまり真木柱のように人間の信仰を神社に憑依して集める神にとって、神社という存在は正しく命と同様に重要なものであるのだ。
この街の経済事情では倒壊した神社を修復するのは難しい。そのことは事前に調査しているし、真木柱も知っているだろう。
「そのけーざいじじょーを把握しておって、なおかつ真木柱神社を壊すための武器まで用意。それはひょっとして小僧。貴様は真木柱が敵であると知っておったのではないか?」
帰り道、事情を一通り理解したつむじはそんな質問を投げかけて来た。
「まさか。知ってたら閻魔より真木柱を探すだろうよ。ただ僕は、ありとあらゆる可能性を考慮して、その上でどんな意外な状況でも勝ちを取れるように準備しといただけさ」
「用意周到にも程がある。天才か、貴様」
「ただの臆病鶏(チキン)さ」
事実それは、プログラムの方でも使われる神への対抗策だ。社を持つ神が人類に敵意を示す場合は少ないものの、しかしそれでもゼロじゃない。そうなった場合、破壊すべきは神の身体ではなく信仰を集める社だ。
「どちらにせよ、とりあえず三銃士戦第一回目は何一つ傷付けずに勝利を収めた。僕も怪我無し、真木柱に関しちゃ言うまでも無し。もちろん神社の方にしたって、寸止めしたんだから傷は付けちゃいないから役所に怒られることはないだろう」
「勝手に斧を置いとったら怒られるのではないか?」
「……バレなきゃいいんだよ」
真木柱に至っては、とりあえず閻魔大王との繋がりを断つように言っておいた。斧を持った状態で頷かせたから若干脅迫っぽくはあっただろうけど。
「奴が約束を守ってくれたとすれば、頭一つは除去出来たとなるだろう。ゲームだけじゃなくてそっちも勝利を収めたわけだ」
「それは真木柱が約束を守った場合の話じゃろう? もし奴が未だに閻魔のところにいるというのならば、儂が奴を消すぞ」
「いやいや、そうなったら僕がやるって」
何はともあれ、閻魔三銃士・真木柱戦。
勝利。決まり手・脅迫。
入手ヒントは、『Knock・Out』。
『夢浮橋パンチ』、決まらないなあ。