夢浮橋芥に勝つには、心を折ってしまえばいい。
総角飽飢人を閻魔三銃士に任命した者は、総角にそんなアドバイスを与えた。総角はそれに従って綿密に作戦や展開を練り、それでいてこの勝負に臨んだ。
将棋対チェスも自分で考案した勝負内容だが、それを思い付いたのは本日の午後になってからだ。チェスのルールなど駒の動かし方くらいしか知らない身としては、夢浮橋と大体条件は同じである。
出来るだけフェアに。
どうせ将棋とチェスじゃ将棋が勝つに決まっているのだから、せめてポーズだけでも公平に。
故にハンデの提案をも夢浮橋に任せたのだが、当人は将棋とチェスの圧倒的なルール差に気が付くことなく甘いハンデを決めてしまった。
油断するなと言う方が無理な話だ。
この程度の細工に気が付かないとは、これは聞いていたよりもずっと簡単に事が済むのかもしれない。
そういう『緩み』はあったものの、作戦自体はまったく変わらなかった。総角は一切の容赦をせず夢浮橋を攻撃し続けた。
即ち沈黙。
多弁は銀でも沈黙は金。何も言わなければ論破されることも言い包められることもない。駒を進めることにだけ集中しておけばミスすることはない。機械になれ。夢浮橋芥など認識さえせずに、ただの『相手』として、相槌を打つだけで処理すればいい。
そういう対応が、夢浮橋芥にとって最も効果的であると有力な情報が入っている。事実としてそれは通用した。苦し紛れのように軽口を織り交ぜながらも夢浮橋の眉間には皺が寄っていたし、額には脂汗さえ浮かんでいた。
それがフェイクだとは、思わなかった。
「……これは」
思わず、声が出た。
「どういうことですか?」
「え、何がです?」
白々しく答える夢浮橋。自分が尋ねたいことなんか、一目瞭然だというのに。
そして総角が尋ねた結果も、盤に目を落とせばまた一目瞭然であった。
拮抗しているのだ。
将棋対チェスのあまりにも結果が見えていた筈のバトルが、開始から約一時間。こともあろうに互角に、まるで天秤の両の皿が宙に浮くかのように、フィフティ・フィフティの状況で今もなお繰り広げているのだ。
(馬鹿な。長過ぎる)
焦りは隠せているだろうか。同時にそんな危惧さえ頭に浮かべつつも、総角は現状に疑問を投げかけた。
(どうしてここまで粘れる?)
何度チェックを掛けたことだろう。その度に浅ましくも見える様で悉く逃げ回り、同時にこちらの駒を的確に削ってくる。
(何故この状況で――まだ心が折れない?)
こんな勝負として成立さえしていない勝負を。
無理だと分かっているくせに、不可能だと悟っている筈なのに。
夢物語だと、知っているだろうに。
まだ――喰い下がる?
「――そろそろ一時間くらいですかねえ」
不意に夢浮橋は口を開いた。
「思ったより長くなっちゃいましたね。いやまあ、僕の往生際が悪い所為でしょうけど」
「……恥じることではないでしょう。時として潔さが美徳とされるように、時として不屈が映える時もある」
「今がそうだと?」
「いえ――喰い下がられるこちらとしては、出来れば潔く投了でもしていただければ助かるのですが」
「あはは、それもそうですね。それも考えときますけど――はい、王手」
まただ。
こちらの攻めの合間を縫って、適格に縫うわけでもなく強引に突き破って、夢浮橋は王手をかける。隙を突く――わけでない。それはあたかも、意図して隙を作られているような。
(意図?)
(作られている?)
そこでようやく――本当に時間が掛かったが、ようやく総角飽飢人は異常に気が付いた。
(私は今――何をさせられている?)
数十秒前、自分はどうしてあんなに喋ってしまったのか。
知らなかったとはいえ、ポーンのクイーンへの昇格に気付かなかったことも。
チェックメイトまであと一歩まで届かず、あまつさえ反撃を許している。
どうして対局が一時間も続いているのか。
追い詰めている筈なのに、何故こうも焦る?
「……夢浮橋先生」
ここで初めて、ゲームに不必要な内容で、総角から夢浮橋に話しかけた。
「大学はどちらへ?」
「えっとですね、大学っていうか専門学校って感じなんですけど、外国の方なんですよ。まあ、機会があったから行ってみたって感じ何で、そこまで頭の良い学校じゃないです」
「なるほど。それで、校名は?」
「アンダーハート機構です」
ぞくりと。
総角の老体に、悪寒が走った。
(舐めていた)
(そんな巣窟を生き延びた人間だったとは……!)
総角は自分の目の前にいる人間が、一心理士(カウンセラー)であるとどこか油断していた。だが世界最高峰の心理学教育機関の卒業に成功した者となれば、ここまで一時間指していた自分の将棋は、一切が掌握されていたのかもしれない。
(決めなければ)
何としてもこの勝負を、早く終わらせなければ。総角は静かに誓うと、手元を探った。この時点で総角にとっての最も勝率を上げる攻撃は、奪った駒の召喚だ。
だが、探った駒はたった一つの――歩兵であった。
(……そんなことが可能だというのか)
疑問と同時に、総角は答えに辿り着いた。
この夢浮橋芥はチェックから逃れていたのも、苦し紛れに王手を繰り出したのも、浅ましく逃げ回って情けなく反撃していたのも、全てフェイクであり、真の目的はこちらの駒を削ることにあったのだ。
(そして私に――奪った駒を消費していることを意識から外させていたというのか)
集中力と冷静さを標的とした総角の策は、結果的に少しとして夢浮橋に効いていなかった。どころか逆に、集中力と冷静さを奪われていたのは他でもない総角自身だったのだ。
(ならば)
(今からでも集中し、今からでも冷静になればいい)
こちらの有利は変わっていない。そして永劫変わることはない。
「王手」
こつん、と夢浮橋はナイトを動かす。だがその反撃は、集中力と冷静さを強引に取り戻した総角にとって予想済みの行動であった。
(そうだ。私だって、そうする)
『冷静』になって盤を見渡してみれば、既にこの時点でこちらの勝ちは確定している。あとはこの手に握った――最も弱く最も強い、言うなれば『一般人』のような歩兵を打てば、勝負は終わる。
「――チェックメイト」
ぱちん。総角は、そう宣言した。
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「負けたじゃん」
炒飯に没頭していて僕の話なんか聞いていない風だった翅さんは、しかしそこまで話したところで驚いて顔を上げた。
「だってチェックメイトでしょ? チェックメイトを間違える人はいないわ。格好付かないから絶対確認するでしょう」
「ああ、間違っていなかったよ。確かにあそこで歩兵がいれば、僕のキングはどこにも逃れることなく負けていたんだからね」
「じゃあどういう魔法を?」
尋ねて翅さんは幾度目かになるだろう、蓮華を口にを頬張り、「美味しい」と呟いた。
「あそこに歩兵を打ったからこそ、総角教頭は負けたんだ」
「それってどういう――あ。あーあー、なーる。そういうこと」
頭の良い人だ。すっきりしたように、相槌を打った。
「二歩ね」
「そ。同じ縦一列に二つの歩兵が並んだら反則負け。総角教頭はそのルールを犯したんだよ。僕が狙っていたのはチェックから逃げることでも王手を狙うことでも駒を削ることでもない。反則による勝利だ」
バレないように声とか空気を調整するのには、若干骨が折れた。あの時、既に盤の上にいた歩兵に気付かれていたら終わりだったわけだし。
「『待った』のハンデはそのためね。三回消費して、その後もう一度『待った』の使用を求めておいて、計算通り却下される。そうすれば間違っても総角先生は『待った』なんて使えないものね」
「そこまで理解されると気持ち悪いなあ」
「気持ち悪いのはそっちよ。だってどうもその策、対局の途中に思い付いたものでしょ?」
「一時間くらい続けてたんだから思い付いたって不思議じゃ――」
「不思議よ。将棋もチェスも頭脳の格闘技。特にあっくんみたいに追い詰められた状態じゃ、閃きなんかパニックで通行止めよ」
言い放って翅さんは炒飯の咀嚼を再開した。手厳しい人だ。
「ま、とにかく。馬鹿し合いで僕に勝とうとすることなんかがそもそもの間違いなんだよ。あんな老獪、敵ですらない」
「最低ね、あなた」
何はともあれ、閻魔三銃士・総角飽飢人戦。
勝利。決まり手・マインドコントロール。
入手ヒントは、『GAME』。
しかし脅迫とかマインドコントロールとか、
この主人公、クズだな!