夢物語   作:危橋たけ

38 / 51
 超ややこしいから、気を付けて!


三日目 黒髪編・その一

 夢浮橋塵(ちり)という名の男がいた。

 僕の口からその男について語るには幾分、憚られるものがあるのだが、敢えてその性格を一言で表せば『狂っている』という言葉が当てはまる。

 男は狂っていた。

 それが幼い時に初めて夢浮橋塵を意識した時に感じた、つまり第一印象だ。夢浮橋塵は僕にとって父親にあたる人間だったのだけれど、きっと一般的に語られるような普通っぽい親子関係でなかったのだろう。父にとって僕は実験動物(モルモット)のようなもので、そこにはきっと親子間の『愛情』と呼ぶべきものは皆無であった。僕に『愛情』を向ける係は、夢浮橋塵ではなかった。

 夢浮橋愛(あい)という女がいた。

 夢浮橋逢(あい)という女がいた。

 夢浮橋藍(あい)という女がいた。

 夢浮橋塵の三人の妹。夢浮橋塵にとって夢浮橋愛は助手であり、夢浮橋逢はボディガードであり、夢浮橋藍は准教授であった。

 そして僕にとって彼女達三人は母親であった。

 夢浮橋愛は僕を愛する係であった。僕に愛情を向け、僕に好意を持たせ、僕を自分たちの下に縛り付ける役目にあった。

 夢浮橋逢は僕を産む係であった。二十八年前の技術では胎児を母体無くして産むのは難しかったようで、故に三人の中で最も丈夫で最も健康体である彼女がお腹を痛めて僕をこの世に産み出した。

 夢浮橋藍は僕を管理する係であった。僕が三人の中で最も長い時を過ごしたのは彼女だっただろう。戯言のような話だが、彼女に至っては僕はまるで『母親』であるかのように錯覚していた。

 僕を束縛した助手は、僕のことを愛してくれた。

 僕を産んだボディガードは、僕のことに無関心だった。

 僕を世話した准教授は、僕のことが嫌いだった。

 ――どうして今になって、自分の親のことを思い出したのかは分からない。ただ朝目覚めて、何となく頭に浮かんだのだ。

 夢でも見たのだろう。至った結論はそんだものだった。夢にふとそういったことが出てきて、覚醒と同時に忘れてしまったのだ。

 両親についての回想はそれで終了だった。

 遮光カーテンを開けるとまだ日が昇っていない。全体、今は何時だろう。

 玄舟学院文化祭・通称玄舟祭の最終日は、そんな風に始まった。

 

 ----------

 

 伝統的に三日間行われる玄舟祭も、最終日となればさすがに一日目二日目とは格段に勢力が増していた。訪れるお客様もさながら、生徒の教師もこの世の春とばかりに狂喜乱舞するばかりである。

 青春だなあ。

 そんな時にカウンセラー室に立てこもっていてはKYな人と思われてしまう。嫌々ながら(嫌々ながらなんてのは失礼だ)適当に、賑わう校舎を徘徊することにした。

 そしたら、熊に捕まった。

「……えっと」

 僕の肩をがっしり掴んで話さないのは、ネコ目クマ科の大型哺乳類、何故か二足歩行の熊である。(ネコ目なんだって)

 それは実際の凶暴な肉食動物を根本から否定しかねないほど愛くるしい、つぶらな瞳の熊の着ぐるみであった。だらしなく開けられたピンク色の口はメッシュ状になっており、恐らくここで視界を確保しているのであろう。チープな口腔内から鋭い視線を感じた。

「何でしょうか?」

 もしも普段学院内に熊の着ぐるみがいたら、どういう結末になるのか想像できないほどの問題だが、しかし今日は昨日一昨日から続く文化祭だ。熊の着ぐるみくらいさして珍しくもない。僕はあくまで冷静に熊に訊いた。

「……がう」

 返ってきたのは低く作られた声だ。どうやら会話にならないようである。

「いや、がうじゃなくて――」

 そこで、僕は熊の腹(もちろん布製)に『2年3組メイド喫茶!』と書かれていることに気付く。

「お前、若紫――」

 なのか、と言い終える前に、熊は前足(両腕)を挙げて僕に飛び掛かって来た。

 割かし、ガチで。

「がおおおおおお!」

 可愛らしい笑顔の奥に凶暴なる獣の本性が見える。

「こ、こいつさては本物――」

 な、訳が無い。僕は上半身を捻り、右の肘を『2年3組メイドカフェ!』に、要は対象のボディに叩きつけた。

「うぇ――っ!」

 加減はした筈だが、熊は簡単に吹っ飛び、そして倒れた。余興か何かと思われたようで、通行人が歓声を上げる。熊は、起き上がらない。

「……やっべ。強く当て過ぎたかな」

 ぬいぐるみ越しだからダメージは大きくない筈だし、そもそも副室長クラスの討神師ならばこのくらいのダメージはダメージとも言えないだろう。

「もしもし?」

 そう呼びかけても、熊は答えない。

 しょうがないので僕は熊を肩に担ぎ、近くの第二保健室に運びこむことにした。

「これもシュールな光景だな……」

 さながら『熊、仕留めました!』みたいな。明日から『熊殺し』の異名を担ぐことになってしまったらどうしよう。

「失礼しますー。ちょっと彼女、熱中症で倒れちゃったみたいなんですけど」

 そんな大嘘を吐いて外科担当、第二保健室に入室したが、残念ながら外科保健医である朝顔針夜(あさがお しんや)は不在だった。とりあえず熊を手近なベッドに寝かせる。

「まあ、結果オーライと言っておこう」

 これでしばらく、この混沌とした祭を回らずに済むだろう。しかし若紫もここまで恨まなくてもいいのに。ただ松風をけしかけただけじゃないか。

「……いや、然もありなんか」

 さすがにやり過ぎだったかな、なんて一人で反省する。やはり後で店には顔を出しておこう。

 しかしそれにしたって、若紫の耐久力は貧弱過ぎないだろうか。防御力が弱いのであれば回避能力を上げる筈だし、僕の攻撃スピードもあまり高くなかったことからそれは着ぐるみを言い訳に出来るレベルのものではない筈だ。

 戦闘専門じゃないとか?

 否、若紫に頭脳戦が出来るような脳味噌は無い。だとすると彼女にはやはり、何らかの特殊能力があるのかもしれない。

「あ、そういえば熱中症を言い訳にするんなら着ぐるみを着せたままじゃおかしいよな」

 僕はベッドに横たわる熊の、熊の部分を剥ぎ取ることにした。構造はよく分からないが、首元のチャックを下ろすと、割と簡単に頭部とボディの着ぐるみは脱衣させることが出来た。

「な――っ!?」

 彼女のその顔は、若紫志吹のものではなかった。

 あの奇行。意味不明理解不能な行動原理、それは全て、顔が隠れているからこそ出来たことなのだ。そして僕に襲い掛かった時の獣のような性質。なるほど、こいつは――確かに、獣だ。

「弦弧(げんこ)ちゃん……?」

 数学教師、紅葉賀(もみじのが)弦弧。性格に大きな不全を抱えた。僕の後輩である。そう、彼女は確かに、二年三組の担任教師だ。

「何を――ていうかこれは……!?」

 そしてもう一つ、驚くべきことに着ぐるみの下の彼女の服装は、下着姿であった。

 薄いピンクのブラジャーとショーツのセット。肩紐にはどういうわけか、本当にどういう訳なのか、『あくたせんぱい命』・『あくたせんぱいLOVE』と刺繍がされてあった。

 いやいやいや、マジでマジでマジで。

 何? こいつ何なの? どういう心境でこういう奇行が出来るのだろう。毎日何を食べればこんな馬鹿みてえな行為に及べるわけ? ていうかこいつは人間だろうか。色ボケた猿かもしれないし発情期の猫かもしれないし秒単位で繁殖を繰り返す微生物かもしれない。ともすれば元からこんな感じの宇宙人の可能性もある。ヤバいヤバい。きっと地球を侵略するつもりだそうに決まっている。一刻も早くホワイトハウスに連絡しなければ。あちこちの国が溜めに溜めこんだ核弾頭を使う日が来たのかもしれない。しかしホントに何なんだ、この状況。幽霊ときて神様ときて、挙句の果てに宇宙人? どんだけ盛るんだこの小説。ていうか僕がまずどうにかしなければいけないのは、この後輩を殺して埋めることなのかもしれない。そうだ、せっかくの玄舟祭だ。『死体遺棄体験』をやろう。もちろん棄てる死体はこいつだから一回限りだが、誰にも罪がバレることなく、

「夢物語過ぎるわ!」

 自分で自分に突っ込んだ。自傷行為だ。

「……駄目だ、冷静になろう」

 どうすればいいか。――問うてみれば、簡単だ。この変態を起こしてしまえばいいのだ。

「――おい、弦弧ちゃん! 紅葉賀弦弧ちゃん! しっかりしろ! 起きろ起きろ起きまくれ!」

「むぅん」

「本当は起きてるんだろ!? ふざけてるんだろ!? いいからとっとと起きてくれ! 起きてくれたら何か一つくらい頼みを聞いてやるから! おっぱいを揉んでやるし、僕のどこかしらの部位の体毛を好きなだけやるから!」

「うーん……うふふ、同人誌はご法度……」

「むしろ眠っている!?」

 疲れてるんですね。

 とまあ、こんなふうに約数十秒ほど僕は紅葉賀弦弧を揺すり続けたが、結局彼女がそれで目を覚ますことはなかった。後から聞いた話じゃ、起きたのは午後になってからだとか。

 とにかく僕は迂闊だった。

 紅葉賀弦弧を強く揺するために僕は彼女の素肌の肩を掴んでいたのだが、それは傍から見れば覆い被さるような体勢であった。もしもこれが漫画とか小説とかアニメとかなら突然誰かが入室してきてあらぬ誤解を受けることとなるだろう。

 結論から言えば、そうなった。

 弦弧ちゃんを起こすことばかり集中していた僕は、第二保健室のドアが開くのに気付かず、気付いたことと言えばその『人物』のまるで夢でも見ているかのように驚愕に満ちた視線であった。

 さてここで問題。その人物は誰だっただろう。ヒントは一番見られたくなかった人だ。

 桐壷つむじじゃない。奴はそもそもこの状況を理解出来まい。胡蝶翅でもない。奥さんに見られるのは一番ヤバいのかもしれないが、あの人は意外とそういうことを気にしない。

「……何をやっているの、芥」

 今年で五十歳近い筈の彼女は、相変わらず若く見える。少し小柄でショートヘアだが、状況が状況なため、ぞっとするほど視線は冷たい。僕は引きつった笑顔を浮かべ、どうにか彼女に声をかけた。

「……やあ、お母さん」

 夢浮橋藍。

 唯一存命している、僕の母親だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。