「…………」
「どうして何も言わないの?」
「いやその、ええとさ。あー……、あの、誤解なんだよ」
「ふうん」
「本当に、誤解です」
「いや、ここは二階でしょ」
「そっちの『ごかい』じゃなくて……え、ちょっと待って。何で急にそんなに面白くないこと言ったの!?」
「何となくだよ。まあ別に、あたしにとっちゃ誤解だろうと瓦解だろうとどっちでもいいんだけどね。お前もいい大人なんだし」
これはもう、無理のようだ。
どうしよう。この人生で最大のミスを犯してしまった。
とりあえず僕はお母さんをカウンセラー室に招いた。インスタントコーヒーの新しいのを開け、貰い物の一番高いクッキーを開けたが、それら二つをテーブルに並べるも、ソファに浅く掛けたお母さんは手を付けようとしない。
恐いなあ!
「それで、お母さんはどうして急に学校に? 連絡でもしてくれればもっとこう……プランというか、立ち回りとかさ」
「何を訳の分からないことを言っているんだ。――別に、あらかじめ玄舟学院文化祭、通称玄舟祭のことを知っていたわけじゃないよ。うん。断じて前々からチェックしていたわけじゃない。ただまあ、仕事の都合でこの辺に来てさ。で、ふらっと通りがかったこの学校でお祭り中だったから立ち寄ったわけ。お前の顔も久し振りに見てみたいなあと思ってね。もう一度断っておくが、お前に会いたかったわけじゃないんだからね? 何となーく、会っといた方がいいかなと思っただけであって、心配だったわけじゃないということ」
「は、はあ……」
そうも念を押されると、少し凹む。
もう少し優しくしてくれればいいのに。
「仕事って? お母さん、保育士だよね。この辺で用事で来そうなところあったっけな。保育園も無いし」
「あー、それはあれだよ。PTA? そう、PTA。PTAで来たんだよあたしは」
「保育園にもPTAってあるんだ」
「あるよあるよありまくりだよ。ペアレント・ティーチャー・アソシエーション。子供ならば保護者は存在して当たり前だよ。その用事で来たんだ」
「どこに?」
「………………」
何故か口ごもるお母さん。
「どこだっていいだろ。お前には関係無いことだ」
一蹴されてしまった。やはりこの人はまだ、僕のことが嫌いなようだ。悪印象を受けておいてなんだけど、印象が変わらないということはある種の安心さえ覚える。
「そういえば、玄舟祭を楽しんでどうして第二保健室に? どこか怪我したとか?」
「まさか。単にお前の声がしたから行っただけだよ。あんなに大声で騒いでたら誰でもお前だって分かるって」
そう言えば、弦弧ちゃんを起こすのにだいぶ大声を出していた気がする。
「ん? じゃあお母さん、僕が無実だと分かってるだろ? あの声はあの先生を起こすために出してたわけだし」
「いや、声がこもっていて内容までは」
依然として僕は強姦魔のレッテルを剥がせずにいるようだ。
「ていうか声がこもってて僕の声だって分かったんだ」
「そりゃ分かるって。何故かっていうと、それはお前の声が特徴的なわけで、別にあたしがお前の声ならば声がこもろうが聞き取ることが出来るわけじゃあないからね。調子に乗るな。何なら聞くまで忘れていたくらいだ」
「それはそれで落ち込む……」
何てツンツンした母親だ。
デレてくれれば最高なのに。――否、母親にそういうのを求めるほど落ちぶれてどうするんだ。思っていて自己嫌悪。
「……じゃ、そろそろ行こうかな」
「もう? 玄舟祭は色々あるから見て行けばいいじゃん」
「それならもう見た。もしかしてお前、あたしがお前に会うためにここにきたと思ってない?」
「いや、まあ目的の一つではあると……」
「勘違いするな不肖の息子。あたしはお前なんかどうでもいい。来週のサザエさんくらいどうでもいい」
「僕はけっこう気になるけどな、来週のサザエさん……って、お母さん。一応、僕に会っとくつもりだったって言ったじゃん」
「……ははん、何を言う不祥事の息子」
「不祥事の息子!?」
紅葉賀弦弧の件をどうにかこの母親の脳内から抹消出来ないものか。
「あんな適当な出任せを信じているというのかい。おいおいあたしを誰だと思っている。お前の母親だよ?」
「うわ、納得」
ていうか人間って、ああいう無意味な場面で嘘を吐くことが出来るのか。スタイリッシュ過ぎるわ。
「ん? ところでその嘘の意味は?」
「伏線だ」
凄え。
絶対嘘だ。
「もういい? あたしは帰るよ。お前より愛するデブ猫が待ってるんだ」
「本当に帰るんだ。うちとか寄らなくていい? 翅さんにも三年くらい前に会ったっきりだろ」
「胡蝶研究棟の直系のお嬢様と、研究者で喰いっぱぐれて保育士に転身したあたしじゃ恥ずかしくてそうそう顔も合わせられないよ。それに言ったろ? デブ猫が待ってるんだ。一食でも抜いたら機嫌損ねるんだよ」
「はあ、そうすか。でもちょっと訊きたいことがあるんだけど」
どうして、そんな質問を投げかけてしまったのか、この時点で僕はまったく理解出来なかった。自分のことなのに、疑問しかなかった。しかし後々になって気付く。――つまり僕は、予感していたのだ。この情報が知っておくべきだと言うことを、こんな時点で僕の感覚は、卑しくも察知していたのだ。
「夢浮橋塵と、愛母さんと逢さんのこと、教えてくれない?」
「……どうしたの」
思わず、と言った風にお母さんは聞き返してきた。
「お前が親のことを気にするなんて珍しいね。明日は颪かな?」
「発音といい漢字といい見逃しそうだけど、颪は天気違うから」
「で、何。兄貴と、愛ちゃんと逢ちゃん? 教えてくれと言われてそれを拒むほど野暮じゃないけど、具体的に何を? AKBの推しメンでも聞きたい?」
声に出す価値は無いが、心中で一応断言しておく。三十年ほど前にAKBはいない。いたとしても、たぶんおニャン子だ。
「ちなみに四人全員、山本スーザン久美子だ」
「こ、心を読むな……」
知らないし、どうでもいい。
「お母さんの目から見て、あの人たちはどんな感じの人だったのかを知りたいんだ。何でかってのは、まあいまいち自分でもよく分からないんだけどさ」
「ふうん、変なの。まあいいよ。お前の親の話さ。お前にはそれを知る権利があり、状況的にはそれは義務だ。あたしの適当な解釈で良ければ、好きなだけ話してあげるよ」
「頼む」
承諾は、意外でさえあった。断られることを前提として頼んだのに、少し拍子抜けだ。
「夢浮橋塵――兄貴はね。まあ何というか、生まれてくる時代を間違えたような男だったよ。――時代が時代なら天下を取ることも容易かっただろうし、というかあの時代だったからこそ天下を取れなかったんだろうね」
「えらく――スケールが大きいな」
「偉大な父ってかい? まあどう見たって兄貴は父親っぽくなかったけどね。兄貴にとってお前は実験動物みたいなもんであり、お前にとって兄貴は他人よりも遠い存在であった。そしてあたし達から見ても、兄貴は何を考えているのか分からなかったよ。誰よりも兄貴の近くにいた私も、誰よりも兄貴に心酔していた逢ちゃんも、誰よりも兄貴を理解しようとした愛ちゃんだってね」
「……何か、悲しい人だな」
「そうかい? ――そうかもね。悲しいくらい優しく、強く、賢い人間だったよ。夢浮橋塵という男は」
ある人が言った。――夢浮橋塵は、『最高(ハイエンド)』であったと。
「ま、兄貴についてはこのくらいかな。次は逢ちゃんだ」
「逢さん、ね。母親三人に関しちゃ、あの人が一番僕から遠いんだよな。いや、産みの親だから近いんだけど」
「そだねー、別に兄貴と逢ちゃんが近視相姦したわけでもないんだし、言ってみればお前って人工授精で産まれてきたようなもんだからね」
正確に明記すると、二十八年前。
――否、時代がどうとかじゃなくて、この場合びっくりなのは夢浮橋塵が独自でその技術を完成させたことだろう。
「兄貴とあたしら三姉妹の遺伝子とちょいとした改造。ガンダムSEEDで言えばお前、コーディネイターだからね」
悔しいけど分かり易い……。
ただその作品じゃコーディネイターってかなりデカい勢力だから、僕という存在の比喩には若干なり切れてない。
「逢ちゃんの役目は単なるお前の『母体』だからねえ。さっきも言ったけど逢ちゃんはとにかく兄貴に心酔しててさ。だってあの兄貴のこと『お兄さま』って呼ぶんだよ? どんだけブラコンだって話だよ」
「のくせに、息子の僕には興味無しだもんなあ。幼いながらに僕は自分の生まれてきた意味を問うたよ」
「思春期早いね」
酷く昔のことだが、僕は逢さんと唯一交わした会話を今でも憶えている。
『何を間違えようと、俺のことを母と呼ぶな。そして極力、俺と関わるな』
……一人称が特殊なことなど触れようもなかった。
「逢ちゃんは当時、『人類最強』と呼ばれていたからね。兄貴がボディガードに据えたのはそこから」
「そんな二つ名を持つ母親は嫌過ぎる……」
「そういうお前も十字架機関じゃ『最強』で通ってるそうじゃないか。つまりそれって『人類最強』だろう? 血だねえ」
「何かの勘違いだよ。勘違いも甚だしいな。手違い? むしろ人違いだ」
「いや人違いは違うだろう」
「じゃあ勘違いで。――僕はただ、運が良かっただけだ。悪運が強いだけ。たまたま生き残っただけ。何も強くは無い」
ふうん、と適当にお母さんは頷いた。逢さんについての話は、それで終わりだった。
「じゃあ次は愛ちゃんね」
それから僕らはほんの数分語り合って、午後になる前に別れた。お母さんは本当に玄舟祭には飽きてしまったようで(飽きっぽい人なのだ)、お土産をいくつか買って帰って行った。一体仕事はどうなっているのか尋ねたが、結局教えてくれなかった。ただどういうわけか目が泳いでいた。
一年六組のイタリアンレストランで昼食を済ませ、カウンセラー室に戻るついでに、僕は二年一組のお化け屋敷に入ることにした。
夢浮橋先生とお母さんは、口調とか誤魔化し方とか似せています。
ツンデレなところも似ています。
親子だからね!