「ひっひっひ……怖いっすよ……?」
入口で河童に入場券を渡すと、明らかに作られた声でそう言われた。
「さんきゅー、竹河(たけかわ)」
「……今は河童です。というか何で着ぐるみ越しで生徒が判別出来るんですか」
「その河童、可愛いね」
河童の着ぐるみは、午前の熊と同じメーカーのようだった。あれはトラウマだ。もう着ぐるみなんて可愛くない。ゆるキャラも嫌いだ。特にふなっしーが嫌いだ。
「ひっひっひ……ごゆっくり……」
「さんきゅー、竹河」
暗い中に足を踏み入れた。――このお化け屋敷には多目的ホールが振り当てられており、それ故、規模はなかなかのものだ。入り口の河童、クラス委員長の竹河巳鳥(みどり)を筆頭に人員の気合は昂っていたようで、一日目には失神する者まで出たようで、それ以降、若干の規制が掛かっているらしい。
「のお」
じゃあ一日目に来ればよかった、と思うのは人情だろうか。しかし僕はお化け屋敷の経験が薄い。高校生の時、遊園地に遊びに行ったきりだ。あの時は集中出来ていなかったので、怖くも何ともなかった。
「のお、小僧。聞いておるのかこの変態」
ところでさっきから幼女の幽霊に付きまとわれている。
「誰がお化けじゃ。じゃあ何様じゃかと? ――神様じゃ!」
「帰ってくれ。僕は今、お化け屋敷を楽しむつもりで満ち満ちているんだ」
「いやじゃから、霊が視える貴様が今更こんな作り物で楽しんでどうするのじゃ。それは、アレじゃ。『つっこみどころ』じゃ」
「うるせえなあ。ちょっと黙っててくれよ。後でアイスやるから」
「心得た!」
こんな扱いが容易い神様がいていいのだろうか。
………………。
それから、数分。
僕とつむじ(喋らない)は存分に、それはもう存分にお化け屋敷を堪能した。そして大体、半分を過ぎたところで僕は一つの結論に至り始めていた。
(これは)
(何が、面白いのだろう)
どうにもこの『お化け屋敷』なるアミューズメント施設は僕の肌には合わないらしく、怖くないしびっくりしないし、入場券が貰い物でなければ払い戻しを要求したくなるような憤りさえ覚えた。
「――なあ、つむじ」
ちょっと退屈になって来たので同行している神様に話しかけてみた。黙っていろと言い放った矢先なので情けない。
振り返ると、居なかった。
「あのちんちくりん、飽きやがった」
ちなみにこのお化け屋敷には途中リタイアできるように、各所に非常口が用意されてある。もう出ちまおうか、と思った瞬間。
「楽しくないかな?」
声が。
どこかで聞いたことがある声が、暗闇に響いた。
仕掛けではない。
仕掛けなら分かる。しかしこの声の主の気配は――気を抜き過ぎていた。『こんなところ』にいるわけがないと、油断という言葉の立場が無いほど油断していた。
「つ――つ、つ、つ、つむじっ! 『分廻(ぶんかい)』を引け!」
「『キリツボコンパス』」
瞬時に黒髪の幼女が再登場し、空間を隔絶した。――これでこの仄暗い空間――直径十メートルも無いだろうか。桐壷つむじが解除しない限り、誰であろうと侵入することも脱出することも出来ない。
「何事じゃ小僧」
「……敵襲、でいいのかな――くそ、まさかそういう……ここできて『それ』か。予想以上――否、予想以下だよ畜生。最低だ。最悪より最低で最低より最悪だ。どうしてこういう……悪魔みてえな策が思いつくもんだ……!」
「おい、何事じゃと訊いておる。儂は何をすればいい」
「………………」
「何をすれば、儂らは勝てる」
つむじは――小さな幼女の姿をした神は、僕の肩をしかと掴み、僕の瞳をしかと見据えていた。
「――ごめん、つむじ。少しパニくってた」
「かかか、まあ良いわ。冷静になれ小僧。言ったじゃろ? 貴様と儂は今や協力関係じゃ。『仲間』なのじゃ。貴様は独りじゃないのじゃ。一人だけ楽しく頭なんか抱えるんじゃないわい」
台詞自体は格好良いが、それを自覚しているのか、幼女の表情は見事なまでのドヤ顔だった。
そこは隠せよ。
「とりあえず、この場は僕に任せてくれ。たぶん、『これ』は僕一人でやらなきゃいかないと思うんだ」
「ふむ――まあ、貴様がそういうのならばそうなのじゃろうな。して儂はどうすればいい?」
「待機、だな。呼んだらすぐ来てくれればそれでいい。とりあえず『分廻』は継続しといてくれ。邪魔者が入らなくてちょうどいい」
「委細承知」
おどけるように言って、つむじは姿を消した。本当に消えるように、姿を消した。
――さて。
『この事態』が何かの冗談じゃなければ、僕はこれからとんでもない激闘に入る筈だ。今までの過酷な思い出の一切が前哨戦であったかのような、死を覚悟するくらいじゃ物足りないほどの激闘だ。
本当、嫌だ。
嫌だ、いやだ。
逃げ出してしまいたい。辞めてしまいたい。死んでしまいたい。
少し前までの僕ならば、こういう時、逃げたし辞めたし死んでいただろう。だけどどうにも今の僕は、違う。まったく面倒な話なのだが、すっかり現実に目が向いてしまっているのだ。これをどう形容しよう。
覚悟?
――じゃない。覚悟なんかトイレついでに済ませれる。もっと、複雑な――真諦、だろうか。きっと僕は、夢浮橋芥という一人の男は、既に諦めてしまっているのだ。真に、諦めてしまっているのだ。
三ヶ月前、帚木鵆をこの手で殺したその時から。
「ふうん、割かし物わかりが善(い)いね。善いね、善いね――芥ちゃんがそういうかっちょ善い男になって、ボクはとても嬉しいよ」
優しい、声。清濁、善悪、全てを合わせ飲み暖かく抱き締めるような、『愛』に満ちた残酷なまでに優しい声。
見た目で特徴的なのは、髪。それは足元まで伸ばされていて、しかしながら真っ黒な艶の輝きが見惚れてしまうほど美しい。
そして肌の白さと瞳の赤さは、共通事項だ。
「ところでこんにちは、芥ちゃん。久し振りだよね」
「ああ、久し振り。愛母さん」
夢浮橋愛は、優しく微笑んだ。
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閻魔三銃士。
一つ目は神様。
二つ目は人間。
三つ目は幽霊。
そういうことらしい。
もしも冒頭から対戦相手の情報を知っていたとしたら、僕は絶対にこの勝負を投げていただろう。
神様は、勝てる。これでも十字架機関(クロス・プログラム)という対神機関に在籍していた身、むしろ神の方が戦い易いくらいだ。
人間は、勝てる。それは僕自身が人間ということもあるし、勝負内容に歴然な差があろうと、偶然さえ引き起こせればいくらでもやりようはある。そうでなくとも僕は心理学者の末端なのだ。
しかし幽霊は、勝てない。その理由は僕が幽霊を敵に回した経験が皆無であるからで、故に対抗策は練れず、偶然さえ期待できない。
更に、夢浮橋愛。
彼女が幽霊でなくとも、僕はどうしても自分が夢浮橋愛という母親に勝てる気がしないのだ。
否、恐らく勝てない。
「まあ簡潔に申し上げるけど、ボクは閻魔三銃士の三人目だぜ」
故に、優しく微笑んだその口からそんな言葉が吐かれた時、ある種の絶望のようなものを感じた。
「先に種を明かすと、閻魔大王はオーストリアの〇〇一三号研究棟にて十三年前に死んだボクを幽霊として甦らせ、更に芥ちゃんがいる日本は玄舟学院までご送迎してくださった――ということだね。さて芥ちゃん、何か質問はあるかな?」
「……何つうか、言葉も無いかな。ご丁寧に説明してもらった矢先で悪いけど、未だに僕は何がどうなっているのか分からないよ」
冷静を装って淡々とした口調を努めるが、実際、頭の中は杯盤狼籍もいいところだ。ぐっちゃぐちゃだ。今日はこんな事ばかりだ。
「ただまあ一つ言っておくけど、僕はあなたに会いたくなかった」
言ってから、違和感を覚える。違うな、これは――違う。
「ん? どうかしたかい」
「あ、いや、今の無し。無しね」
そうじゃないだろう。
そういうのはもはや無意味だって気付いたばかりじゃないか。嘘を吐くな。偽るな。これくらいのこと、正直に吐け。
「会えて嬉しい」
ひょっとすると声が震えていたかもしれない。それほど僕は、嬉しさに打ち震えていた。
少年の頃の僕は、愛母さんに本当に良くしてもらっていた。産んでくれたのは逢さんで、育ててくれたのはお母さんで、愛してくれたのは愛母さんだ。
それはきっと僕を夢浮橋塵の下に留めておくための演技だっただろうけれど、それでも僕は、彼女に絶対的な信頼を寄せていたし、ずっと一緒にいたかった。
「会えて嬉しい――ね。善いね、それに関してはボクも同意見だ。会えて嬉しいぜ、芥ちゃん」
改めて、愛母さんは優しく微笑んだ。
――そうだ、この笑みだ。
この見るものを安心させる暖かな微笑みが、本当に好きだった。
「それはそうと、十三年前にボクを殺したね」
突然。
忽然。
その微笑みが酷く冷たいものに変わった。
「あ――あ、愛母さん……」
「ボクを殺して、逢ちゃんを殺して――そしてお兄ちゃんを殺したね」
それはまるで、睨みつけるようだった。鋭い眼光。視線で人を殺してしまうような、怖ろしい瞳。
「別に、今更芥ちゃんを糾弾しようなんか思っちゃいないぜ? だってそうだろう。芥ちゃん。芥ちゃんだったら嫌っていうほど知ってるはずだぜ。須磨洟子(すま はなこ)然り、帚木鵆(ほうきぎ ちどり)然り――ね?」
ゆっくりと、愛母さんは僕に歩み寄る。一歩一歩、踏みしめるように歩み寄り、そしてゆっくり、それでいて不意打つように抱き締めた。
「死んだ人間は、もう二度と帰ってこないんだから」
耳元で囁いた。