なので幽霊の話です。
とにかくまずは一人、いなくなります。
初めは、小さな懐疑であった。
――儂がいないと貴様は何も出来ないのじゃから。
――貴様が儂と一緒に飯を食べたいということは分かった。――恋愛というのはつまり、虚構か?――濡れるのが嫌ならばそれまでに終わらせることじゃ。――今はそういうのが流行しとるのじゃろう。――思い出した。『中三病』じゃ。――儂はやっぱり死ぬのは嫌じゃ。――貴様にやる。それなりに頑張った褒美じゃ。――行ってこい、儂の夢浮橋芥。――降参。――この未発達なろりろりぼでーが堪らんで。――いやあ、愉快愉快。――決め台詞にするつもりじゃったがすっかり忘れておった。――貴様、生意気に当たりおったな! ――勝手に斧を置いとったら怒られるのではないか? ――誰がお化けじゃ。――それはアレじゃ。『つっこみどころ』じゃ。――何をすれば、儂らは勝てる。
――貴様は独りじゃないのじゃ。
「お前さ。人間に近付いてるんだよ」
「な――何を……!」
分かり易く、つむじの瞳が揺れた。まるで人間のように、動揺が見て取れた。
それでも僕は、容赦しない。
「一緒に戦いたいのならどうしてそう言わないんだ。僕は何も一人が良くて独りで戦ってたわけじゃない。それこそチートだけど、お前がいてくれた方がよっぽど簡単だったさ」
「ならば何故――」
「お前が人間になれるかもしれないからだよ!」
咆えた。
咆えてしまった。
「お前はちーちゃんを殺した! 他にもたくさんの人を殺した! 僕の人生を滅茶苦茶にしたし、世界中を引っ掻き回した! だけどだからって、お前の幸せを蔑にしていい理由にはならん!」
「し――幸せ……?」
それはまるで、この世界に生まれて初めて聞いた言葉であるかのような。そんな不器用な反応を、桐壷つむじは見せたのであった。
「……どうせお前なんか神堕ちだよ。別に、人間になっていいんじゃないか?」
「馬鹿な。馬鹿が。儂は堕ちても神。人になど、他の『何か』になど、なれるわけが無い」
「なれたらなるのかよ」
黒髪の少女は言葉に詰まる。――それも人間らしさだ。今までは話半分さえ聞いていなかった僕の話を、こいつは理解しようとして聞いているのだ。
「じゃあなっちまえよ。お前は何でも出来る。お前と僕なら何でも出来る。お前が人間になるくらい、楽勝だ。そして幸せになることなんて、超楽勝だ」
「……それは貴様に、何の得がある?」
装うように声の調子が戻る。ただし瞳の冷たさも熱さも恐ろしさも、先ほどより格段に和らいでいた。
「儂が幸せになると貴様は幸せか? かかか、とんだ聖人君子じゃな。押し付けも甚だしい――」
僕はつむじの顔を掴み、両の頬を引っ張った。
「馬ー鹿、お前はどうしたいんだよ」
「……はにゃへ」
言う通り、離した。街灯に照らされたつむじの表情は真っ赤に火照っており、それに気付いてつむじは僕に背中を向けた。
「閻魔を消す」
「……うん」
「それが終わったら、ちゃんと考えるぞ。手伝え」
「ああ、そうしよう」
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しまった。
閉まっていた。
「馬鹿か貴様は」
背中から浴びせられるつむじの声がとても痛い。
「や、だって……お前が……だって……」
もはや声にならない。
校門は閉まっていた。鉄格子によって固く、閉まっていた。
つむじと長く会話している間に、居残っていた教職員達は撤退してしまったのだろう。教職員用の門は向こう側なので正門からだと分からないものの、それにしたって気配くらいは気を付けておけばよかったのに。
「何というか、アレじゃの」
「言わないで……」
「貴様、かっこわるいの」
「言うな!」
――お前が人間になれるかもしれないんだよ!
――馬ー鹿、お前はどうしたいんだよ。
数分前、格好付けて言った台詞がとてつもなく恥ずかしい。何だかもう、死にたい。本当に死にたい。
「――小僧。この程度の門、貴様じゃなくとも越えられるのではないか? 七尺か八尺か……」
「防犯装置が付いてんだよ。施錠中にある程度の衝撃が加えられると即刻、自動(オート)で防犯会社に通報される。ちなみに校門じゃなくとも塀を乗り越えようとしても鳴るからな。進退窮まりの極みだ」
なので夜の校舎に忍び込む場合には事前にこっそり、それはもうこっそり、絶妙な時間帯を狙って防犯装置の電源を切らなくてはならない。実際四月の『トイレの花子さん』騒動の際にはそれで校舎内を歩き回ったし。(何をしていたかは言いたくない)
「かかか、貴様も混乱しとるようじゃのう」
シニカルに笑って、つむじは鉄格子に近付く。
「こういうのは力押しじゃ。公僕が来るのならばそれもよい。ただそれよりも先に、貴様が『のーぱそ』を手に入れ、脱出すればよいだけなのじゃからな」
言ってつむじは鉄格子を――蹴っ飛ばした!
「あほー!」
咆える、が。
「……あ?」
鉄格子はまったく無事だったし、アラームも鳴らなかった。ただそれなりの力で鉄格子が、がしゃんと音を立てて揺れただけだったのだ。
「……ふむ。元よりこの柵をぶっ壊すつもりは無かったのじゃぞ? ただ衝撃を与えて、その装置に引っ掛かったら貴様がどういう反応をするのか見たかっただけじゃ」
「てめえ。――つうか、鳴らないな。防犯」
これを、どう形容しよう。
偶然(ラッキー)じゃ説明が付かない。誰かの仕業ならばそれはそれで事なのだが――そう。これは、『胸騒ぎ』だ。
嫌な予感、だ。
「……行こう」
「うむ」
鉄格子を乗り越える時も、アラームはならなかった。どころか玄関さえ鍵が開けられていた。それだけではない。学院内全ての扉の鍵が、扉という扉の鍵が、まるで何かを誘うかのように開けられていた。
そして、
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そして、僕達はカウンセラー室の扉の前で呆然と立ち尽くす少女を見付けた。
「……須磨?」
深い緑色のセーラー服。玄舟学院の制服は紺色のブレザータイプのものなのだが、しかし彼女は紛れもなく玄舟学院の生徒である。
生徒であった。
女子トイレの個室内で自殺した、十二年前までは。
「……あ。夢浮橋先生だ」
呆然とした瞳のまま、須磨はこちらに気付く。口元は緩んでいるが、その不自然な視線からそれが笑みだということに、一瞬、分からなかった。
「な――何をしてるんだ。こんなとこで」
「……カウンセラー室に、誰かが入ろうとして……いけないと思ったので、扉を塞いでいました」
「誰かって――」
どういうことだ?
素直に、頭の中でそういう疑問が浮かんでいた。
「小僧」
不意に、背後からつむじから声を投げかけられる。
「いる」
「は? 何が――」
「閻魔じゃ」
冗談ではないようだ。つむじの表情からは焦燥のようにも見える真剣さがはっきりと表れていた。
「近くにいる。儂は捜しに行く。貴様は、そこな幽霊の相手でもしておれ」
「しておれっつっても、お前な――」
それどころじゃないだろ、と反論しようとするがそれよりも早くつむじは消えてしまった。
忽然と。
「……何なんだよ」
「桐壷の言う通りだと思うよ、夢浮橋くん」
夜の廊下に、また新たな声が響く。この世で最も聞きたくない声だ――カウンセラー室から須磨を押しのけるように扉を開き、松風界隈が悍ましい姿を現した。
「お前、何して――」
「クロス・プログラムだろうね。たぶん狙いはこれで」
見ると、左手にはノートパソコンが携えられていた。――閻魔大王の情報が隠されているという、ノートパソコンだ。
「場所が割れている以上、この部屋に置いとくのは危険だね。これは俺が預かっておくから、後で校長室まで取りにおいで」
「何言ってんだ。返せよ、それ。大事なものだ」
「知ってる。だから一先ず俺が預かると言っているんだ。いいかい夢浮橋くん。君のやるべきことは、須磨さんに別れを告げることだよ。君の、世代は違えど生徒にね」
須磨は呆然と、ただただそれが役目であるかのように呆然と、虚空を見詰めている。僕と松風の会話など、少しも耳に入っていないかのように。
「忘れていたのかい? 呆れるね。今夜でもう、『時間』だというのに」
「……そうか」
そうなのか。もう、半年か。
「それじゃ、また後で」
かつん、かつん、と小気味のいい革靴の音を立てながら、松風は廊下の闇に消えて行った。残されたのは僕と、須磨洟子だけだ。
「――須磨」
立ち尽くす少女に歩み寄る。僅かだが、須磨は僕の声にぴくりと反応した。
「もう、そんな時期なんだな」
「……はい。お別れを、言わなきゃいけないんです」
力無く笑う須磨。あの馬鹿みたいに天真爛漫な笑みをどこに忘れて来てしまったのだろう。本当の意味で、消えてしまいそうだ。
「いっくんにもちゃんとお別れしました。でもやっぱり最後には先生とお別れしないと」
「どうして? 行幸はずっと、きみの面倒を見てくれたじゃん」
「夢浮橋先生は、最初に私に気付いてくれた人だから」
それは。
それは――きっとこっちの台詞じゃないだろうか。
「嬉しかったんです。本当に、嬉しかったんです。先生に会えて良かった。先生で良かった。先生のおかげで私は半年間、夢のような日々を送れました」
「そうか」
ああ、この子は本当に馬鹿な子だ。
死んでから、嬉しいとか良かったとか夢のようなとか、どうしようもなく馬鹿みたいじゃないか。
「私は夢浮橋先生が好きです」
「……そっか」
「幽霊も恋をするんですか?」
「さあ。でもしてはいいさ。僕はこんなに嬉しいんだから」
それは初恋じゃなかったかもしれないけど。
小学校の時、僕はこの子が好きで。自分の話を聞いてくれたこの子が好きで。
それこそ、嬉しかったんだ。良かったんだ。夢のようで、夢物語だったんだ。
なあ。こういうのはポジティブシンキングも甚だしい、希望的観測の極みなのかもしれないけれど。
きみは小学校の頃、年下だけど僕のことを好きでいてくれたんじゃないか?
僕が好きだったように、きみも僕を、好きだったんじゃないか?
「夢浮橋先生」
須磨は手を伸ばす。
僕はその手を、迷うことなく取る。まだ、触れる。まだ、大丈夫だった。
「おやすみ、洟子お姉ちゃん」
僕が空を掴むと同時に、須磨洟子は消えてしまった。
彼女がカウンセラー室を守り続けたことが、良かったことか悪かったことか、結果が出るまで分かりはしないけど。
恐らく須磨は、世界を救ったんだと思う。