夢物語   作:危橋たけ

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3月4日 終了編・その一

 

 -----十月一日-----

 

 月の光が少しも射さない闇夜。

 少年か少女かの判別も付かない、深いフードを被った小柄な人影が、まるでスポットライトを当てられた歌劇の登場人物のような佇まいで街灯に照らされていた。

「やあ、お兄ちゃん」

「……誰だよお前」

 その時の僕は、どうしようもなく気が立っていた。ついさっき、本当につい十分ほど前に、負けてきたからだ。

 深夜の玄舟学院が校長室にて。

 桐壷を失って来たからだ。

「別に、誰でもないさ。ぼくは誰でもない、何でもない、何かであってはいけないぼくさ」

 小柄なフードは名乗らなかったけれど、実際のところ僕はその時点で彼、もしくは少女の素性を察していた。

 神だ。

「僕を殺しに来たのか」

 それは質問の形だったけれど、僕の中では確信があった。

 僕という人間は神に嫌われる能力を持っている。完璧に視認できるだけなのだが、彼らにとってそれは『だけ』ではなく、十分に驚異的なものであるようだ。

 殺せるものならば殺しておきたいそうな。

 だけど対神能力の高さと、何より『桐壷』を味方に付けていることから実際に神に狙われることは、ほぼ無い。

 しかし僕を守る『桐壷』が消滅した今、僕に対する脅威は正しく半減――否、七割は落とされている。彼ら神を始める敵対勢力にとっては、格好のチャンスになるのだ。

「違うよ。あなたなんか殺したって何も変わるもんか。自意識過剰もほどほどにしとくといい。聞いてるこっちが恥ずかしいよ」

 しかし彼、もしくは彼女は、ともすれば言い過ぎなほどに否定した。否定というより、拒絶だ。

「だったらお前は何をしに来た」

「何を――ね。何もしないのが本来のぼくなんだけど、今回ばかりはそうもいかないのかな。まあ強いて言うなら」

 少年、もしくは少女の口元が歪む。そして暗いフードから、うっすらと瞳の不気味な輝きが視えた。

「助けに来たんだよ」

 そして彼、もしくは彼女は、ゆっくりとこちらに手を伸ばした。

 

「『桐壷』を甦らせる」

 

 -----三月四日(1)-----

 

「《神具・冗戯(じょうぎ)》」

 少年、もしくは少女は身の丈ほどの大剣のような神具を振りかざし、空気――否、空間を切り裂いた。

「神具……か。つむじ以外の奴が使ってるの、初めて見た」

「そりゃそうさ。元より神具っていうのはあいつのオリジナルだからね」

 僕らは切り裂かれた空間の中に足を踏み入れる。空間と空間に在る空間。質感。温度。上下感覚。前後感覚。何もかもがあやふやで荒唐無稽な場所。

「オリジナルって、どういうことだ?」

「言った通りさ。あなたは知らなかったんだね。意外と言えば意外だし、まあ桐壷のことを鑑みれば然もありなんか。確かにあいつはそういうこと言わなさそうだ」

「……神具を造ったのは桐壷だってことか?」

「頼ることなく自ら推理する姿勢は大いに立派だ。でもちょっと違うね。神具を造ったのは確かに桐壷だけど、製造時期はお兄ちゃんに敗北した後――ちっさくなってからだね。つまりは『つむじ』ちゃんとなってからだ」

「じゃあ……」

「そう。神具とは、極めて弱体化した『桐壷』の力を補うために、あいつ自身が作り出した能力の塊だよ」

「あー……ん、うん。さすがに全部は察せないな。詳しく教えてもらえるか?」

「オッケー、お兄ちゃん」

 数分ほどの短い時間だったけれど、少年、もしくは少女は僕に神具について丁寧に、簡潔に、例え話すら用いて、とても分かり易く教えてくれた。焦点を変えてみればそういう丁寧な説明が可能なほど僕らの目的地は果てしない場所で、神具についての話が終わっても、異空間が終わることはなかった。

「……あのさ」

「何かな、お兄ちゃん」

「あんたが博識だってことも、たぶん神様だってことも理解した。それで結局、あんたは誰様だ?」

「別に、誰でもないさ。ぼくは誰でもない、何でもない、何かであってはいけないぼくさ――って、最初にも言ったと思うけど」

 そんなんで納得できるわけが無い。僕は更に追求する。

「どうしてつむじを――桐壷を助けるんだ? あの嫌われ者が神相手に交友関係を持っていたとは初耳だけど」

「初耳? 本当にそうかな?」

 フードの下で少年、もしくは少女はニヤリと笑った。

「じゃあこうしようか。こっちからもあなたのことを明らかにするから、その後ぼくに色々訊いてくれ」

「……先に、僕のことを教えろって?」

「違うよお兄ちゃん。あなたはぼくの質問に答えてくれればそれでいいんだ。ぼくもあなたの質問に答えるからさ」

 昔、こういう手法で騙されたことがある。相手のターンの後に僕のターンが行われるのだが、時間が足りなくて結局相手だけがターンを行って終了したという、とんでもない詐欺だ。

「質問は一つだけにしないか」

 それを踏まえて、僕は少年、もしくは少女にそんな提案をした。

「一つの質問を交互にしていくんだ。それなら不正は無い」

「不正って……。まあ、お兄ちゃんがそうしたいんならぼくはそれを尊重するよ。じゃあぼくからいい?」

 早速、少年、もしくは少女はこちらに向き直った。相変わらず表情はほぼわからないけど。

「お兄ちゃんは父親を恨んでる?」

「……夢浮橋塵を?」

 どうしてここでその名前が出てくるのか、甚だ疑問だが、恐らく追及したところで無駄なのだろう。

 ――恨む理由は、ある。夢浮橋塵はおそらく僕に、神の否定能力を植え付けた。今のところそれが最も大きい僕が彼を恨む理由だ。

 だけど。

「ううん」

 恨む理由があるからと言って、それと僕の感情は結びつかない。

「もう、いいよ。きっとあの人が僕の父親じゃなかったら僕はずっと幸せに生きてこれただろうけど、でも今の人生だってそう悲観したもんじゃない。これはこれで、アリだ。僕はあの人を赦すよ」

「赦す、か。ふうん、そっかそっか」

 頷いて、少年、もしくは少女は再び歩みを進める。

「じゃあ次は僕な。――あんたは僕の『神の否定』を知っているのか?」

「知ってるよ。だからぼくはお兄ちゃんの考えが分からないし、喧嘩したら多分死ぬ。ところでつまんない質問だよね」

 少年、もしくは少女は挑発するように笑った。

「ぼくの次の質問は――うん。お兄ちゃんさ。夢浮橋塵を殺したことを、今でも後悔してる?」

「してない」

 重い質問だったけど、反射的に即答した。

「あの人を放っておけばいつか何かを間違って、取り返しのつかないことをしていただろう。とんでもなくスケールがデカい、良くないことをしていただろう。愛母さんと逢さんは後悔してなくもないけど、それでも夢浮橋塵に関してはあれで良かったと思っている」

「そう思うようにしているの?」

「それは質問だろう」

「そうだね。ごめん」

「……『神の否定』を持っている者――人間でも神でもいい。僕以外のそういうやつはこの世にいるのか?」

 いつの間にか僕の質問の総合的な論点がこの少年、もしくは少女の素性から『神の否定』に変わっていたが、僕の興味はそっちに行ってしまったのだから、しょうがない。

「いないよ。この世にそういう特異能力者はお兄ちゃんだけさ。ところでぼくの質問だよね。――お兄ちゃんは、自分がこの世に生まれてきたことを後悔してる?」

「………………」

 すぐに、答えることが出来なかった。

「あれ、聞こえなかったかな。自分がこの世に生まれてきた――」

「聞こえたよ、ちゃんと。ちょっと悩んでるだけだ」

 きっとこの質問には、イエスで答えるのが正しいのだろう。僕は夢浮橋塵を赦しているけど、また同時に彼を殺したことを肯定している。さっきは『何かやらかしそうだったから』なんて嘘を吐いたけど、本当は僕をこの世に産み出したことに恨んでいたのだろう。

 恨んではいないさ。

 だってもう、殺したから。

 ちゃんと死んでくれたから、赦すんだ。

「……何とも言えないな」

「え、狡くない?」

「だってさ。神様にはいまいち分かんないだろうけど、僕は生きてるんだぜ。これからの人生、続くとするなら良いことも悪いこともある」

「……はあ。まあ、いっか。お兄ちゃんの質問どーぞ」

 恐らく理解してはくれなかっただろうけど、承認はされたようだった。意外と緩い神様だ。

「『神の否定』を持っていた者――人間でも神でもいい。僕以外のそういうやつはこの世にいたのか?」

「それ、さっきと同じ質問……じゃ、無いね。過去形か」

 つまり歴史上、『神の否定』を持つ者がいたのかという質問だ。さっきの質問は『今現在』のことを訊いていたのだ。過去であればひょっとすると、と考えての質問だ。

「ご明察。確かにいたよ」

 そしてその考えは、的中してくれていた。

「そしてそれは、このぼくだ」

 想像の遥か上をいく形で。

「え、ちょ、それはどういう……」

「これで、最後の質問にしようか。そろそろ近いし」

 質問は一つずつ。それは、絶対のルールであった。

「お兄ちゃん。夢浮橋芥。あなたは、桐壷を愛してたかい?」

 ここにきて。

 唐突に、突然に、脈絡も無く、流れを無視して、不意打ちのように、『桐壷』について尋ねてくるのであった。

「うん」

 そして僕はまたもや反射的に、頷いてしまった。

「そっか。そりゃあ良かった」

 フードの下で、嬉しそうに少年、もしくは少女は笑った。そして次の瞬間、前方からの光が僕の目を眩ませた。

「はい到着」

 少年、もしくは少女の声が聞こえる。目を開くと、花畑だった。

「ここは……?」

 雲一つない快晴の空の下、見たこともない美しい白い花が一面を支配している。まるで絵本の中のような、奇妙な景色だった。

「最後の質問、お兄ちゃんの番だよ」

 促されたので、尋ねた。

「じゃあ――あんたの名前は?」

 少年、もしくは少女はフードを取った。その顔は僕にとって、一時期はどうしようもなく近く、限りなく近く、そして今となってはどうしようもなく遠く、夢物語のように遠い顔であった。

 

「ぼくの名前は『浮舟』。桐壷の最初で最後の友達にして、あなたの『神の否定』の元保持者だよ」

 

 僕の記憶が正しければ、その顔は今から十五年前の――男の子か女の子か見分けがつかない顔をコンプレックスとしていた時代の、夢浮橋芥、つまりは僕自身の顔だった。

「……元保持者って?」

「夢浮橋塵にあげたんだよ。要らなかったからね。そしたらその能力のみを、人為的な技術によってDNAに『神喰らい』させるんだもん。いやはや、凄い人間だよね、夢浮橋塵って」

「あんたはとっくに消滅したと聞いてたけど。桐壷に」

「うん、まあ、それはあれだ。愛の力? とかなんとか」

 教える気は無いようだ。昔の僕の顔で、浮舟ははにかむ。

「お兄ちゃん。ここからずっと歩いて行った先に、桐壷がいる。上手くいったとするなら、たぶん起きてくれる筈だ。後は頼むね」

「……あんたは行かないのか?」

「行かないよ。行けないよ。だってぼくは、ここで消えなきゃきえないから」

 あまりにも自然に、何でもないことのように、浮舟は言った。

「僕の存在の消滅を以てして、桐壷は復活する。何事にも犠牲はつきものなんだ」

「……そこまでして、桐壷を?」

 僕の問いに、浮舟は無邪気に笑った。僕の十五年ほど前は、こんな風に笑えていたのだろうか。

「好きなんだよ、あいつがさ」

「……そっか」

「お兄ちゃんと同じようにね」

「……そうだな」

「だから、ぼくのことを終わらせてくれないか」

「……分かった」

 僕の腕の骨は、『鬼心』と呼ばれる対神装備で構成されている。頑丈さに重きを置かれたものなので、特殊攻撃は出来ないものの物理攻撃ならば数ある『鬼心』の中でもトップクラスのものだ。

「こんなこと言うのはなんだけどさ、浮舟。僕は、あんたに会えて良かったと思ってるよ」

「奇遇だね。ぼくもなんだ。お兄ちゃんと会えて、桐壷の為に消えられて、とてもとても、幸せだ」

 僕は、拳を振りかぶる。

 浮舟は、両腕を広げる。

 

 

 

 

 

「夢浮橋パンチ」

 

 

 

 

 

 その拳はいとも簡単に浮舟の小柄な体を貫通し、血液の代わりに白い花弁が――そう、この野に広がる白い花と同じものであろう、花弁が散った。

「……おやすみ、浮舟」

「うん……ま、おやすみ」

 それを最期に、傷口が徐々に広がって、ついに浮舟の体の全ては白い花弁となり、やがて風と共に野に渡って行った。

 

 -----三月四日(2)-----

 

 そして僕は、つむじを見つけた。

 花に抱かれるように眠る、小さな幼女を見つけた。

「つむじ」

 そう呼んでみたものの、その眼が開くことはなかった――『こういうの』をよく見ている僕からすれば一目瞭然だ。

 それは、死体だった。

 圧倒的なまでに、屍であった。

「……まあ、だよな」

 上手くいったとするなら、と浮舟は言っていた。

 つむじが甦る筈がない。あいつは消えたのだ。消滅して、滅却されたのだ。取り返しがつかないのに、取り返しがつくわけがない。

「だから、つむじは、もういない」

 確かめるように僕が言った瞬間、まるで長い時間に襲われたかのように、幼女の死体は――高速で腐敗した。

 白から、緑へ。緑は深くなり、やがて黒く陰る。長く黒い髪はただ悍ましいだけのものとなり、浴衣は朽ちて襤褸となる。

 これで、消えてしまった。

『つむじ』の痕跡が、この世界のどこからも、完全に消滅した。

「……なあ。お前は幸せだったか?」

 僕は腐乱死体に手を伸ばした。僕の指は微かに腐乱死体の頬を撫でたが、それだけで死体の頬はぐずりと崩れた。

「僕はお前が何なのか知らない。誰なのか知らない。でもお前は、『つむじ』だった。僕にとって、桐壷にとって、かけがえの無い大切な存在だったよ」

 だからもういい。

 もう、休んでいい。

 やっと、死んでいい。

 桐壷にその身体を捧げた、終わることを許されなかったただ一人の少女。僕は彼女にようやく、さよならを言う。

 

「おやすみ」

 

 そして。

 そして、腐乱死体は風化するように白い花弁と化して、野に散って行った。

「……なあ」

 誰かに呼びかける。誰に対してかなんて、言うまでもない。

「これで良かったのか?」

 答えは返ってこない。

「閻魔を消すためとか大義名分はあるけど、実際お前、どれだけのものを犠牲にしてきた? あの女の子にしても浮舟にしても、ちーちゃんにしてもだ。――どうやって償うか、分かってるだろう?」

 答えは返ってこない。

 

「絶対に閻魔を倒す」

「かかか――当たり前じゃ、小僧」

 

 野に咲いていた一面の白い花はページを捲ったかのように一瞬で消え、代わりに目の前に、ある女性が君臨していた。

 背は高く、それを強調するかのような正しい姿勢。凹凸のある身体には黒い浴衣を纏っており、眼光は鋭く、そして凛々しい。

 何より目立つのは恐ろしいくらいに真っ黒で、悍ましいくらいに長い髪。総じて彼女は、美しかった。

 

「おかえり、桐壷」

 

「ただいま、小僧」

 

 かかか、と悪戯っぽく、甦った最強の神は妖しく笑った。

 

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