「――って言う割には、女の子と会ってるだけですもんねー」
須磨洟子はトイレの窓枠に腰掛けて、脚をぶらつかせておかしそうにそう笑った。
「そりゃあ、須磨。君は大丈夫だけど、幽霊の中にだってけっこう危ない奴だっているんだからな?」
「あ、悪霊とかですか……!?」
何故、そんな恐ろしさと同時に希望で満ちた目で見るのだ。
好奇心旺盛か。
「そんな大したもんじゃねえよ。ただの危険思想者だったり、ただの犯罪者だったり、ただの神様だったりしただけ。――何にせよ、神霊に関わる人間なんてろくな奴はいないよ」
「ん、それは夢浮橋先生もですか?」
「たぶんね。そして世界にはもっとヤバめな集団が――いや、この話は止めとくか……」
体育館を使用する生徒は全て帰路に着いた。あとは残業の教師とか用務員さんとかが残っているだけで、学院内は完全に封鎖されたわけではない。
そんな微妙で短い時間を使って、僕は幽霊・須磨洟子のもとを訪れるのだった。
女子トイレに。
……ああ、何て背徳的な。教師ってこんなこともしなくてはいけなかったのか。
「ね、先生。面白いことしましょうか」
「あ?」
凹んでいる僕の気持ちなど知らず、まるで無邪気に僕の肩を、個室の方向へ押した。
「……って何すんだよ」
「いいからいいから、入ってくださいよ」
言われるがままに、僕は入り口から順に数えて十一番目の個室に入る。そこは、何故か須磨がよく入っている個室だった。
しかし、女子トイレに入るだけではなくまさか個室にまで入れられるとは……、なんだ、この箱は。ゴミ箱だろうか。いいなあ、女子はゴミ箱まで配備されてて。しかも個室に一つ。女尊男卑というやつだろうか。どうでもいいけど腑に落ちないし、羨ましい。
すると、コンコン、とノックの音がする。
「はい」
「あ、返事した」
訳が分からない。「もういいですよ」と須磨はドアを開いた。
「何がしたいんだ?」
「だからですね、実は私がノックしたのは隣の十二番目だったんですよ」
「あ?」
それはおかしい。だって明らかに揺れたのは十一番目のドアだった筈だ。
「……ネジが緩いのか?」
「お、正解!」
理由は簡潔にして簡単だった。
要は十二番目のドアと十一番目のドアの間の工事に欠陥があったらしい。十二番目のドアが必要以上に揺れ、十一番目のドアにも振動を及ぼすようだ。それもノックのように、上手い具合に。
「言われてみりゃあ確かに違和感が無かったでも無いな――しかしあの訳の分からないけど何だか面白い花子さんの不思議な出現条件に、こんな裏話があったとは……、何だかすっきりした気分だぜ」
「ぶっちゃけ、普通に十一番目をノックされても返事します。――ところで先生。成仏ってどうすればいいんですか?」
「頭のネジが緩いのか!?」
話の脈絡が遥かにぶっ飛んでいる。
こいつも会話が下手糞なんじゃないだろうか。
「ところでじゃねえよ、それが本題だろ? お喋りが楽しいのは分からんでもないが、本当はきみ、ここに居ちゃ駄目なんだから」
「あー……、ですよね」
どうやら須磨自信、この世に大きな未練が有る訳ではないらしい。ならばどうして――と言う話だ。
「いや、もうちょっと面白い話しません? ほら、何を隠そうこの私、転校したことあるんですよ? 小学二年生の時に」
「時に須磨。お前がこのトイレに現れたのはいつ頃だ?」
シカトしてやった。
「何しろトイレだし……あんまり時系列は分かんないんですけど、たぶん一週間くらい前だと思います」
調べによると、それは確かに生徒の間で『トイレの花子さん』騒動が騒がれ始めた時期と一致していた。しかし問題は須磨の服装だ。この学校の制服であるが、指定の紺のブレザーではない。時代さえ感じさせられる深い緑のセーラー服だった。
「須磨。生年月日を覚えてるか?」
「昭和六十年の五月十九日です。ぴっちぴちの十七歳ですよ!」
ああ、道理で言葉遣いが懐かしい――ではなく、道理で制服のデザインが違うわけだ。
しかし『道理』で何て言ったものの、当然それも調査済みであったりする。彼女がその身に纏っている制服、つまり彼女が死した時に身に着けていた制服は、六年前の玄舟学院の制服だったのだ。
「しかし、おかしいね」
「え、何がですか? 本当に私、十七歳ですよ? 誤魔化してませんよ? サバ読んでませんよ? ていうかどちらかと言うともうちょっと大人っぽく見られたい年頃なんですから」
「いや、ちょっと黙ってろ」
昭和六十年前生まれの十七歳。つまり彼女が死んだのは、今からちょうど十二年も前になるのだ。なのに今になって幽霊として出て来るなんて、自分が関わった事件を逐一メモしているわけではないが、思えばこんな例も初めてである。
どうやら法則として、死亡した人間が幽霊化する期間は一年間内のようだ。これは神霊学の総本山でも確定されてある事項なのだが――まさかここにきて『異例』とは。
「あれ、夢浮橋先生っておいくつでしたっけ」
黙ってろと言ったのに、彼女は黙らない。まあ、それで激昂するほど僕は矮小な人間ではないけれども。
「二十八だよ」
「えっと……もし私が生きていたら、二十九歳ですね。あれ、先生の年上ですよ?」
須磨は嬉しそうに、口元をにやっと歪める。
「うわ、何だか急に先生のことが可愛く見えてきました」
「あのな……それでも君は十七才だろ? 仮面ライダー龍騎世代に死んだ、肉体も精神もぴっちぴちの十七歳の少女だろうが」
「ええー、それでも……ね?」
くそ、増長しやがった。思ったよりずっと面倒臭いぞ、この子。
「……おばちゃん」
「うええええ!?」
どうやらクリティカルヒットのようだった。
「ちょ、おばちゃんは、やめて……ごめん、なさい……」
本気で落ち込まれてしまった。
「元気出せよ、君は十七歳なんだから。ぴっちぴちの」
「ん……そう、ですね……。そうですよね!」
そして立ち直りが恐ろしく早かった。さすがは女子。失恋してもあんまりくよくよせず、すぐに立ち上がると噂の生物だ。
「それで須磨。お前は二十九年前に生まれ、ここの生徒で、十二年前に死んだ。そこまでは分かっているもののどうしても分からないことが一つだけある」
それは、調べれば知れた筈の事項だ。だがどこからか――いや、心当たりは有るのだが、圧力がかかっているのだ。障るな、触れるな、と恐らくあの最悪な校長からストップがかかっている。だからこそ、この事項だけは調べることが出来なかった。
だったら、本人に訊くしかない。
「どうしてここなんだ?」
「ここ――って、トイレですか?」
「そうだ。お前はこのトイレ内から出られない。そうだな?」
「はい。理由は憶えていないんですけど、どういうわけか出られないんです」
それもその筈だ。自由にこの世界を徘徊できる幽霊は、自分の死に場所以外に強い未練がある霊だけだ。そうじゃない幽霊は、主に死亡した場所の一定範囲から出られないようになっている。一般的に言う、地縛霊というやつだ。
「つまり、君はここで死んだ。ここから出られない以上、それは間違いない筈なんだ。問題は君が何故、ここで死んだのかだ」
「………………」
須磨は黙りこくる。饒舌だった筈の口を閉ざし、ただじっとタイルの床を見詰めていた。
「――憶えて、ないんです」
ようやく出た言葉が、それだった。
「憶えてないだって?」
「はい。……どうしてここなのか、何があったのか、本当に何もかも憶えてないんです」
ごめんなさい、と須磨は謝罪の言葉を口にした。
彼女と出会って初めての、彼女の哀しい表情だった。
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「効率が悪いのではないか?」
自宅に帰り、リビングで子供向けパズルに興じていたつむじの最初の一言がそれだった。
「アイス、溶けてるぞ」
「このくらいが丁度いいんじゃ」
幼女はどろどろになったカップアイスをスプーンですくい、幸せそうに口に突っ込んだ。
「美味っ」
「そいつは何よりだ」
手早く荷物を片付け、キッチンに向かう。今日の夕飯は炒飯を作ることにした。自分の分は勿論として、つむじの分も用意する。神である彼女に食物は必要ないのだが、そこは気分だ。それにつむじ本人も味は分かるので飯は食べたがる。
炒飯二皿を手早く作り、麦茶二杯と共にお盆に乗せてリビングに向かう。すぐにつむじはパズルを切り上げ、テーブルに向かって手を合わせた。
「頂きます」
「頂きますしてやろう」
こいつの頂きますは、命への感謝が欠片も籠ってない、上から目線だ。まあ、実際に上位なのだから仕方ないのだろう。こいつの「頂きます」なんて、所詮は僕の猿真似でしかないのだ。
「それで、何の効率が悪いんだ?」
テレビを点けて、何となく尋ねる。
「貴様のやり方じゃ。ぷうまと言ったか、あの小娘の幽霊は――」
「須磨な。それはピューマをモデルとしたロゴメーカー」
まあ、確かにあの子の単純さは獣並だろうけども。
「自分の死んだ理由を忘れる霊がおるわけなかろう。貴様も言うてやればよかったのじゃ。『嘘を吐け』とな」
「お前はストレート過ぎるんだよ。僕はあの子を成仏させようとしてるんじゃない。学校に何らかの迷惑がかからないように世話してるだけだ。結果、それがあの子を救うことになればそれに越したことは無い」
「はん、偽善的な」
冷笑し、慣れないスプーンで彼女は炒飯を掬う。相変わらずその姿に似合わない、しかし完成された、冷たい眼だ。
「貴様と儂の付き合いはそれほど浅いものではあるまい。儂が神と言うことを差し引いても、貴様のことなどぱんつの色まで分かるわい」
昼間の妙な会話に聞き耳を立てていたらしい。
「何色だ?」
「ぴんくじゃろう?」
当てずっぽうにしても、僕のイメージを下げないものにしてほしい。ていうか、それこそ分かっててもいいことだろうに。
お前、それでも神様かよ。
「儂は貴様のことなら誰よりも知っていると自負しておる。貴様の生徒よりも、貴様の後輩よりも、貴様の師よりも、貴様の友人よりも、貴様の嫁よりもな。だから分かるのじゃ。貴様にあの娘を救う気など微塵も無い。この前言っておった、確固たる目的・計画とやらの一部としか思っておらん。そうじゃろう?」
「まあ……、そうだな」
こいつ相手に嘘を吐いても同じだ。通じる通じないではない。こいつとはあくまでも、信頼関係を築いておくべきで、それには余計な嘘など不要だ。
「貴様があの小娘をどうする気かしらんが、ただ成仏させるだけなのならばとっとと終わらせた方が良いのではないか?」
「お前の言う通りだ。須磨を成仏させるだけなのなら、そうだな。多少乱暴な手を使ってでも無理矢理追い出さなきゃいけないのかもしれない。そんな強引な手に出なくとも、僕の話術に、お前の神術を借りればそれで一発だ。――だがな。僕はあの子を成仏させることを目的としていないんだぜ、つむじ」
僕の言葉につむじは首を傾げる。心を読むことが出来る筈の彼女だが、こいつも僕と同じように、僕と信頼関係を確立させることを第一としているため、僕相手にそういうのは使わないのだ。
「教えろ、小僧。お主はあの小娘をどうするつもりなのか」
頷き、僕は簡潔に目的を話した。
「………………」
つむじは絶句する。
「……最低じゃな、お主」
「まあな」
わざと素っ気なく応え、僕は炒飯を平らげた。
あ、この辺は伏線バリバリだな。
この頃の僕は、伏線に凝っていたのかもしれません。
たぶんそういうテクニックの覚えたてだったのでしょう。