真夜中の校門は、開け放たれていた。
真夜中の校長室の扉も、開け放たれていた。
「鬼ごっこってあるじゃん。夢浮橋くん」
松風界隈は、高価そうな机の上に君臨するかのように腰かけていた。
「鬼側と人側に別れて、人が鬼に触られたら負けって言うかなりポピュラーな方のゲームなんだけどさ。あのゲームの面白いところって、人側の勝利条件が無いってことなんだよね」
日付が変わって二時間。時刻は午前二時ジャスト。ホラー的に言うならば丑の刻だ。
「理不尽なもんだよね。鬼側は人を全滅させればそりゃ勝ちだろうけど、人側はただ逃げ惑うだけさ。為す術も無く、ひたすらに逃げ惑うだけ。こんなに悲しいゲームがあろうかね、夢浮橋くん」
松風界隈は蛇のように笑った。嫌な笑顔だ。
「――あれは、一人が鬼のゲームだろう」
ようやく僕は言葉を発した。少し油断すると、この最悪に呑まれてしまいそうだった。
「それで、捕まえるたびに鬼が交代していくゲームだ」
「そう! そうなんだよねー、夢浮橋くん。良かった良かった。これに気付かなかったら俺は君を本気で見限っていたよ。君の言う通り、鬼ごっこは人側が絶望を味わうゲームではなく、鬼側が絶望と孤独と永遠を味わうゲームなんだよ。どっちにせよ理不尽なゲームだよね。差別や迫害の第一歩だ。このゲームを経験して、人はみんな大人になっていくんだろうよ」
「……結局お前は何が言いたいんだ?」
僕は松風との距離を詰める。詰め寄っても、松風は動じた様子を見せない。
「強い力は忌避される」
「……強い力ってのは」
「まあ、人と違う点だね。存在そのものが強大かつ尊大である神の中でも突出した力を持っていたからこそ、『桐壷』は疎まれた。神を否定する特別を所持しているからこそ、君はそれを公言しない」
「だったら何でお前は――わざわざ閻魔を喰ってまでしてそんな特別な力を望んだんだ」
「馬鹿か君は。何をしようと最悪(おれ)は孤独なのさ」
嘲笑うように松風は鼻を鳴らした。自虐的にすら見えなかった。孤独なんて、そんなことはこの松風界隈にとって悲しいことでも哀れむべきことでも何でもないのだ。徹底的に、日常茶飯事だ。
「そういえば夢浮橋くん――君が独りなのはどういうことかな?」
「………………」
「しらばっくれてんじゃねえよ。桐壷は復活済みなんだろう? 俺にそれが分からないわけがないじゃないか。にもかかわらずどうして、桐壷の気配が無いんだ?」
「別に、お前なんか僕一人で十分だって話だよ」
「……そんなベタな挑発をされるとは思ってなかったよ。え、それ乗ったほうが面白いのかな?」
くくく、と可笑しそうに松風は笑った。
「……上等じゃねえか夢浮橋くん。だったら君の屍でも晒して、桐壷を引き摺り下ろしてやるよ」
乗るのかよ。
乗り乗りかよ。
「嘗めるんじゃねえよ? 俺の中には閻魔の力だけでじゃなく、その昔閻魔が喰った桐壷の力の大部分が入ってるんだ。君だろうが世界だろうが割と楽勝でぶっ壊せるんだよ」
「そいつは恐ろしい――つまり、勝負内容は肉弾戦でいいのか?」
「え、違うよ。痛いじゃん、そんなの」
僕が身構えたところで、あっさりと、松風はそれまで演じていたキャラを脱ぎ捨てるのであった。
「俺は非暴力主義なんだよ。すぐ殴ってくる君と違ってね。だってほら、パンチって殴る手の方も痛いよね。攻撃は最大の防御とか言うけど、実際、攻撃する度にヒットポイント減る筈だよ」
「お前の屁理屈はよく分かったが……じゃあ、どうやってケリ着けるんだよ。今更、頭脳ゲームなんかやりたくないぜ?」
三日に渡って行われた玄舟学院文化祭、人呼んで玄舟(げんしゅう)祭。その裏で、僕は閻魔の情報を巡って閻魔三銃士という奴らと小競り合いをしたのだが、まあどれもこれも頭脳ゲーム的というか、頓智というか。けっこう疲れたのを覚えている。
「まーったく君は暴力どころか戦うことしか考えてないんだね。日本人なら日本人らしく平和的に平和ボケでもしてろよ。争いは何も生まないとか言ってさ」
「少なくとも僕は、今夜お前をぶっ殺すつもりで来たんだけど。争う以外に無いだろう、お前と僕との間にはさ」
「無くもないよ。例えば――そうだな」
松風は、一歩踏み出す。そのまま歩を進め、正しく僕の目と鼻の先まで来てようやく歩みを止めた。
「『世界の半分をお前にやろう』」
「要らん」
即答した。心から要らなかったのだ。
「おいおい返事が速過ぎるぜ夢浮橋くん。勇者か君は」
「いや、どうせなら全部欲しいよ、世界。半分手に入れるって、それはつまり残り半分は不安要素ってことだろ。そんな心労を抱えるくらいなら世界なんか欠片も要らない」
「……前言撤回。君は主人公には向かないね」
可笑しそうに嘆息して、松風は元の机の上に跳躍して戻った。それは人間の跳躍力ではなかったけど、不思議と違和感は無い。
「じゃあ、世界全部上げるよ。そしたら君は、俺の共犯者(なかま)になってくれるのかい?」
「……松風。お前はまだ僕を味方につけようとしているのか? こちとら喧嘩腰なんだ。それに応じるつもりが無いことくらい察してほしいんだが」
「だから、俺が世界を君に明け渡すならばこっちに付いてくれるのかと、そう訊いてるんだ」
あくまでも、松風の眼は本気だった。これが冗談だったらどれだけ良かっただろう。僕なんか必要ないと、笑い飛ばして蹴飛ばしてくれればどれだけスムーズに事が進むだろう。
「……はん、深く考えるまでも無えや。最初から答えなんか決まってるよ、松風」
見落としてはならない。
忘れてはならない。
「お前は世界を壊すと言った」
「……言ったけどさ」
「壊れた世界を押し付けられたって迷惑なだけだ。誑かそうとしてんじゃねえよ、最悪。今更そう言う詐欺を使うな」
「あはは、参ったねえ。さすがに騙されちゃくれないか」
本気の眼なんて、嘘だったのだ。否、こいつの最悪は、いつだって本気だ。だからもう、終わらせなければならない。
「相変わらずだよな、松風。松風界隈――僕はお前のそういう所が
『嫌いなんだよ』」
僕が合言葉を口にした瞬間、桐壷の最後の神具が発動した。
-----三月四日(1)補足-----
「神をコンピュータと譬えよう」
少年のような少女のような容姿をした神、浮舟はそう僕に説明した。この時点で僕は、この神の名も素性も知らないのだけれど。
「コンピュータの意味は電子計算機だけど、昨今のコンピュータはその一言で語れないほど色んな機能が付いているよね。情報入力、媒体再生、メール、カメラ、テレビ、エトセトラ」
「もうパソコンが仕事の象徴である時代は終了したよな。趣味でパソコン使う奴もいるし、うちの学校にもパソコンのクラブがある」
「つまり技術が発展したんだよね。その発展した技術の中で最も特筆すべきは、ずばり『容量』」
人差し指を立てて、軽く浮舟は格好付けた。
「容量こそが、実は神と神との優劣の差だったりする」
「そう……なのか」
「容量が小さいパソコンにはカメラ機能は付いてないし、容量がとてつもなく大きいスパコンなんかは超高速で情報を処理する能力を持つ。だから――」
だから、全盛期の桐壷は最強だったのだ。
大量の容量を持つからこそ、万能であり強力であった。何でも出来る神の中でも最高峰の存在だったのだ。
「ぼくなんかは大した容量じゃないからたかが知れるね。何かに特化したわけじゃなく、とりあえず必要なことに振り分けてる感じ」
「容量ね――でもそれじゃ、他の神の吸収行為についてはどう説明するんだ?」
『神喰らい』は神そのものになる行為だから理解出来るが、初代閻魔が全盛期の桐壷の力を大量に奪ったという歴史を知っている以上は、容量どうのこうのにはいまいち納得できない。
「簡単な事さ。容量ごと奪えばいい」
簡単な事だった。
凄く敗北感。
「はあん……それで、神具っていうのは?」
「別の媒体ってことだね。ディスク、SDカード、USBメモリみたいなものさ。コンピュータの中には無いがコンピュータと連動させることによって成り立つ媒体。それが神具さ」
桐壷自身が造り出した能力の塊、と浮舟は言っていた。つまり神具の力こそ、本来、桐壷が持っていた能力ということになる。
「純然たる攻撃性。霊体の拘束。縁の断絶。空間操作。全部、桐壷が元々持っていた力だよ。『つむじ』ちゃんになって容量が小さくなったってことだね。それで『つむじ』ちゃんの肉体を維持する方に意識を回したら、ほぼ何も出来なくなったってわけだ」
「だから、神具を造った?」
「その通り」
身震いが、した。
僕に倒され、弱体化してまでもあいつは諦めなかったのだ。
閻魔を滅すことを、諦めなかったのだ。
「……あんたが《冗戯》を持っているのは?」
「借りたのさ。ぶっちゃけ無断だけど、拝借ってことで」
神具のデメリットの最たるはそこにあるのだろう。神ならば、誰でも使える。譲渡が可能でありバリエーションが豊富と言えば聞こえはいいだろうが、奪われてしまったのならばそれは脅威だ。
「『過ぎた力』だな」
「神具がかな?」
「要は自分に収まりきれなかった力だろう? 或いは見苦しいもんだぜ。既に過ぎた力なのに、ぶんぶん振り回すつむじはさ」
自分でも滑稽だと思っていたのではないだろうか。浅ましいとも言える諦めの悪さを。
「――もしも今から復活させる桐壷が、全盛期まではいかなくとも閻魔に力を奪われた後、半減後でさえあればもう神具を使うことはないだろう。でも、使うとしたら?」
浮舟は見透かすように僕の眼を見た。試すかのように、見つめるのだ。
「……更に『過ぎた力』を行使すると?」
「そうなったらどうなるんだろうね」
浮舟は悲しそうに笑って、
「たぶん、桐壷は消えるんだろうね」
残酷にも、そう口にしたのであった。
-----三月四日(4)-----
神具《白消(びゃくしょう)》。
別称、《キリツボイレイザー》。
それが今回の作戦の要である百パーセントの力を取り戻した桐壷による最終神具だ。
フェイズ1。僕が校長室に乗り込み、松風の注意を引く。
フェイズ2。桐壷は力の大部分の気配を消すことに向け、全力で松風の探索から隠れる。
フェイズ3。『嫌いなんだよ』を合言葉に、最終神具を発動。
この作戦は成功に終わり、目的を果たすという点ではベストの結果を出せたと見ていいだろう。だがしかし、迂闊なことに僕はこの作戦に多くの疑問を抱かなかったのだ。桐壷自身が立てたこの作戦を、あっさりと受け入れ、予定通りに成功させてしまったのだ。
「この神具で、閻魔の中の儂の力は消える。そうなれば、残る閻魔の力は貴様一人でさえどうにでもなるであろう。否、人間である貴様でしか閻魔にしか勝てん。奴の弱点は人間じゃ。というわけで、後は頼んだぞ、小僧」
そんな短いやりとりの後、作戦は開始され、終了した。
終了して、僕の眼前には塗り潰されたように真っ白な、桐壷が横たわっていた。
「……何やってんだよ」
校長室には僕と桐壷だけだった。松風は足を引きずりながら逃げたが、今はあいつのことなんて気にならなかった。
真っ白な、桐壷。黒い髪も、黒い浴衣も、色を失ってしまったかのように真っ白だった。
「何やってんだよ! お前は!」
僕は吼えると、弱々しく桐壷は笑う。
「何をやっているか――か、それは……こちらの、台詞じゃ。……閻魔を逃すな、小僧」
「閻魔じゃねえよ……! あんなんもうどうでもいいよ! お前の方が大変じゃねえか! 何でこんな……何をやったんだ!?」
桐壷は唸って、馬鹿にするように鼻で笑った。
「分かっておるじゃろう……? 貴様なら――目星くらい……」
神具《白消》。《キリツボイレイザー》の正体。そんなの、
「……そうだけどさ……」
呼んで時の如く、それは消してしまう力なのだ。『ある物』を一切合切、真っ白にする力。その『ある物』こそが、『桐壷』なのだ。
『桐壷』という力の存在を消す。それが最後の神具の正体だ。
自爆の、神具だ。
「閻魔の中にある強大過ぎる『桐壷』の力を消す為にそうしたんだろう!? だけどそれじゃ……!」
自身さえ消えてしまうというのに。
「まあ、そう悲観するな小僧……かかか、見ろ儂を――未だに残る儂の身は、恐らく『浮舟』の部分のかもしれん」
まったく、とどこか嬉しそうに桐壷は嘆息した。
「まったく、儂は消える時まで楽にはいかんようじゃな――まあ今までしでかしたことを省みれば……当然の、報いじゃ。因果応報とはよく言ったものよ……」
「……消えるなよ」
僕の身体は引き寄せられるように桐壷の傍らまで足を運び、そして膝をついた。
「こんなところで、消えるなよ」
「何じゃ……しおらしくなりよって。気持ち悪い……貴様は儂に、消えてほしかったのではないのか?」
「違うよ。僕が殺したかったんだ。お前という存在を、ちゃんとした形で、僕の手で、殺したかったんだ」
こんなのは、こんななあなあで終わるなど。
「違うんだよ……! こういう結末なんて!」
「……小僧」
「大体、お前は何やってんだよ! 閻魔を倒すだのなんだの言っておきながら、その為にいろんなもんを台無しにしやがって! お前の所為でどれだけの人間が悲しんだと思ってる! どれだけ僕が苦しかったと思ってる! そんな悪逆を働いておいて――どうしてこんなところで消えそうになってんだよ! 馬鹿じゃないのか!?」
桐壷は、答えない。
「そんなの僕が納得できると思ってるのか!? 納得しないと思ってたからこの策を話さなかったんだろうが! 終われば文句も詮なきことだとでも思ったか! 言っとくけど僕は、まだお前なんか許してねえからな! 黙ってお前を看取るような優しい人間じゃねえからな!」
桐壷は、僕を見詰める。
「まだ幸せにもなってねえお前を、ここで消えさせてたまるか!」
「……しあわせ、か」
ようやく、真っ白な神は口を開く。
「驚いたな――貴様まだ、儂を幸せになど……? かかか、貴様こそ馬鹿か……儂が幸せになってどうなる。貴様に何の得になる。儂を恨んでおる貴様にとって、そんなのは……」
「馬ー鹿」
僕は桐壷の唇に自分の唇を押しつけて、その言葉を遮った。人間のそれとは違う、冷たくて、儚くて、悲しい感触だった。
「お前はどうしたいんだよ」
「……かかか」
緩んだように、桐壷はまた笑った。それは一瞬前の口づけを思わせるような、悲しい笑顔だった。
「幸せになりたいさ」
「……だったら――」
「儂はもう、幸せさ」
消えそうな真っ白な手が伸び僕の頬に触れる。そこで初めて僕は自分が泣いていることに気付いた。
誰かの死に目に泣くなんて、初めてだった。
「儂は神様じゃ。誰かと問われてそうとしか答えることの出来ないただ一つだけの、孤独で卑しい神様じゃ――幾百の神が儂の所為で消えた。浮舟も、要らんというのに儂などに身を捧げよった。儂は他より強い力を持ちながら、多大な犠牲がなくては存在すら出来ん弱い神じゃ」
最強などと謳われて。
皮を剥がせば最弱じゃ、と。桐壷は続けた。
「ここで消えて当然じゃというのに、貴様は泣いてくれるのか」
「……泣いてねえよ」
「かかか、それにしても、儂は幸せじゃ」
僕の頬に添えられていた手が、力無く落ちる。僕は空中でその手を掴むが、微かに白い花が漏れた。
「夢浮橋芥。貴様の為に消えれて、儂は――」
「やめろよ……! 何でお前まで、浮舟と似たようなことを言ってんだよ! 消えさせねえって言ってんだろ!」
「そういうな。――かかか、貴様でもそのような表情をするのか。よくわからん感情じゃが、可愛いものじゃ」
桐壷はまだ笑うのだ。笑える状況じゃないのに、あたかも幸せだという戯言が本物であると主張するかのように。
「――ああ、幸せじゃ。最期まで、貴様がおってくれるのじゃからな。これ、儂に罰はあるのじゃろうか。かかか」
そして、突然桐壷の表情から笑みが消えた。
「ごめんなあ、小僧。貴様の生涯を、儂は滅茶苦茶に壊してしまった」
今更の、謝罪だ。
「ありがとう、小僧。『あいす』買ってくれて。『ちゃーはん』食わせてくれて。一緒にいてくれて。幸せにしてくれて」
今更の――
「もう、いい。もういいのじゃ。あの時、貴様が儂を倒すのは必然じゃった。じゃから罪滅ぼしなど要らん。貴様は好きなように生きればいい。儂などもう、捨てておけ。捨ててくれ。頼む」
心なんか読めない筈なのに、僕の罪悪感は見透かされていた。
閻魔を倒すためにあちこちで戦っていたあの頃の桐壷を、僕は殺してしまった。復讐だとしてもそれは、あまりにも愚かだった。
「行け。夢浮橋芥。消える時は一人で構わん。貴様にはまだ、やることがあるじゃろう」
僕は、立ち上がる。桐壷を置いて立ち上がり、踵を返して歩き出した。
「おやすみ、つむじ」
返事は帰ってこなかった。
僕は振り返ることなく、校長室を後にする。