これにて夢物語、最終回です。
「よお」
緩慢に歩む松風は僕の姿を認めて、意外にもまだ気さくに片手を挙げた。
「桐壷は――今度こそ消えたかい」
「……何、やってんだろうな」
夜明けまであとどれくらいだろう。空の色は、未だに黒い。
「僕らは、何をやってるんだろうな」
辟易するほど戦って、絶望するほど破壊して、そうやって何もかもを失っていく。
どうしてそんなことをやっているのだろう。
何をやっているのだろう。
「決まってるじゃん。最悪さ」
まったくその通り。こんなの、最悪だ。
「じゃあさ。訊いちゃうけどお前、何がしたいんだ? 閻魔になって、閻魔の能力を手に入れて、それでどうするつもりなんだ?」
「そりゃ、ちゃんと閻魔大王の仕事をしようと思ってるよ。先代の閻魔大王はかなりぶっ壊れた奴だったからね。ここいらで僕が、正しい閻魔として生死というのを統括してやるよ」
「嘘吐け」
あまりにも、見え見えだ。無意味なほどに剥き出しの嘘だ。
「お前が『正しい』をやれるくらいなら、そもそも最悪だなんて呼ばれてないだろうが」
「まあ、嘘だけどね」
松風はいつものように気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「目的ねえ。――別に目的なんてどうでもいいじゃん? この世に意味のあることなんて極めて少数だぜ。無意味なテロ。無価値な犠牲。無感動な生死。意味なんて求めるのは微温湯に浸かってふやけた人間の証明でしかないよ」
「………………」
「それでもどうしても目的とか意味が欲しいんなら、好きなだけでっち上げてやるよ。例えば――好きな人が死んだからってのは? 俺は好きな人を蘇らせるために閻魔の力が欲しかったんだ、とか。ああ、それならもう恋人の方がいいな。逆に友達ってのも……」
「松風」
咎めるように、閻魔大王の名を呼ぶ。
「もう、いいから」
「……何がかな」
「僕はもう、わかってる。お前はちゃんと目的があって、閻魔になったんだ。そこには確固とした意味がある」
少し考えれば分かったことなのだ。僕は、僕らは、どうしようもなくこの男に踊らされていた。
「松風、お前は閻魔を倒したかったんだ」
「……え、どういう意味? 閻魔は俺じゃん」
あくまでも白を切る松風。だけど僕の中ではもう、決着は着いていた。
「そもそもの悪は先代の閻魔大王だった。現に桐壷はそいつを倒すために三千年も戦ってきたわけだからな。どういう経緯かは推察くらいしかできないが、とにかくお前はその閻魔大王を倒すことに成功した。閻魔に近付き、味方の振りをして、裏切った。――そして『神喰らい』をして閻魔を倒した」
「あははは」
乾いたように松風は笑った。僕は笑わなかった。
「ひょっとして君は、この俺が正義に目覚めて、身を挺して先代閻魔を消したと、そう言いたいのかい? あんまり荒唐無稽じゃないかな。恥ずかしさを通り越してまったく新たな感情が生まれるよ」
「――別に、お前がそれをやった動機なんか個人情報だから訊き出そうとか思わない。話したかったらそうするといいが、僕はこんな時までカウンセリングをしてやるほど仕事熱心じゃないんだ」
どうしてこんなことになったのだろう、と心から思い、僕は溜息交じりに続けた。
「でも少なくともお前は、死ぬつもりだったんだろう?」
「………………」
松風は、もう。
否定をしなかった。
「自分が閻魔になって、僕達の敵になって、そして消されるつもりだったんだ。自分の中の閻魔ごとな」
「それじゃ、何かい? 俺が君達にわざと負けるつもりだったと、そう言いたいのかな?」
論点をずらそうとするのは、もはや使い古された手だ。
「いや――そうじゃないだろう。お前はたぶん、僕らならば自分を殺せると確信していたんじゃないか?」
それはきっと、あまりにも滑稽で、徹底して歪で、どうしようもなく気持ちの悪い解釈なのだけれど、それを一言で表すのであればこうとしか言いようのない。
「信じてたんだろう? 僕達なら自分を殺してくれる、って」
「……ちっ」
松風界隈はつまらなさそうに舌打ちして、
「正解だよ、夢浮橋くん。まったく、ままならねえもんだぜ。最後の最後にバレちまうなんてさ」
つまりこれで、去年の四月から実に一年過程の真実の全てが明らかになったのであった。
「勝てねえもんだなあ。君が俺を殺して嬉しくなったり悲しくなったりしてる様を想像してニヤニヤしてたというのに、結局暴かれるなんて。俺はどこで何を計算違いしたんだろうなあ」
「そりゃお前、僕にしか視点を向けていなかったもん。お前の計算違いが生まれたのは、たぶんちーちゃんのこと辺りだろう?」
「まさか君自身が帚木鵆を殺して、しかもより強くなって持ち直すとはね。――いや、あ、そうか。全ての要因は――」
「そう。桐壷だ」
分岐点は、僕の成長ではなく桐壷の成長だったのだ。あいつがどういうつもりだったのかは今となっては知る由も無いが、『つむじ』としての生活を経て、あいつは人間を知った。その学習と成長が、僕に変化を促したのだ。
「あいつがいなかったら、僕はお前に勝てはしてもまた何かを失っていたんだろう。――全てを、失っていただろう」
結局、僕は一貫して桐壷に守られていたのだ。情けない話だが、不思議と嫌な気はしなかった。
「あいつばっかり喋ってたから、最期まで言えなかったけどさ。僕は桐壷には心底、感謝してるよ。あいつがいて本当に良かった」
「それを俺に言われてもねえ……。まあ、そういうことなら夢浮橋くん。君は俺を倒してくれるんだろう?」
その問いに。
勿論だ、と手放しに頷くことは出来なかった。
「どうしたんだよ、夢浮橋芥。俺を倒すんじゃないのか? 消すんじゃないのか? 殺すんじゃないのか? 閻魔(おれ)の処理はつまり、桐壷の遺言でもあるわけだからさ」
「でも……だけど、お前の真意を知った上で、それでもなおその遺言に従うのは――どうにも、憚られる」
それは失言だったのであろう。松風はまるで僕を捕えたかのように、鼻を鳴らして笑い飛ばした。
「おいおい、今更何を言っているんだよ夢浮橋くん。君は事実とか真実とか、それっぽい理由さえあれば喜び勇んで飛びついて、楽に曖昧に事を済まそうとするような奴だっけ?」
「違う――ただ僕は、もっと上手く解決できると言っているんだ」
「はん、まるで平和ボケの日本人だね。笑わすんじゃねーよ。君は結局、桐壷が憎いんだよ。大好きなちーちゃんを殺した桐壷のことが、憎くて憎くて憎くて憎くて! だから桐壷を否定したいのさ。能力通り『神の否定』を決行した上で、より良い結末を自分の手で生み出したいのさ。それでようやく、『桐壷に勝った』だからね」
それはまるで悪魔のように。最悪な悪魔のように。松風界隈の言葉が僕の身を這う。
「ち、違う――」
「違う!? 何が違うのさ! ――よーく考えて見なよ。それは君にとって本当に『違う』かい? 君が否定しているのは神か? 虚構か? 自分か?」
何が、違うって?
何が違うかなんて、僕に分かるはずがないじゃないか。
そう、松風の言葉に違う部分なんて欠片として存在していない。僕は桐壷が憎かった。ひょっとしたら今でも憎いのかもしれない。だから否定したいだけ? 拒絶しただけ?
「そ、それでも……」
それでもいいじゃないか。
僕は桐壷に『勝って』、その上でより良い結果を生み出そうとしているんだ。違うことなんてないけれど、きっと正しいことだ。
「いや――『違う』」
僕は。
松風を、否定した。
「松風。『それはそれ』、『これはこれ』だ。僕は確かに桐壷が憎い。だけどそれと同じように、桐壷が大好きなのさ。あいつを否定するつもりなんて、これっぽっちも無い」
「……ふうん、じゃあさ。どうしてこの期に及んで僕を生かそうとする発想が出てくるのさ。桐壷の遺言は?」
やはり、松風界隈にとって桐壷の行動はイレギュラーな点が多いようだ。こいつの予想は、桐壷に関しては悉く外れる。
「あいつは死に目にそんなことは言ってない」
「……馬鹿な」
瞬間、松風の口元の笑みが消えた。
「『桐壷』の力を奪われたから読めなかったのか? あいつは最期まで、馬鹿みたいに消えたよ。ごめんと謝って、ありがとうと感謝して、まるで人間のように終わっていった」
「何で……? あ、あいつは、俺への憎悪すら憶えていなかったというのか……!」
狼狽える松風。つまり桐壷は最強だったのだ。最悪の手が届かぬほど、強かったのだ。僕は、最悪に歩み寄る。
「『世界の半分をお前にやろう』」
校長室での意趣返しではないが、今度は僕の方から松風に詰め寄ったのであった。
「……夢浮橋くん?」
「お前はもう殺さない。生かしてやる。だから閻魔大王を継いだ身としての責任を果たせ。お前は死の世界を統括するんだ」
生と死。これぞ正しく『世界の半分だ』。元より、それが閻魔大王の本来の役割であったはずなのだ。
「……まーったく、してやられたぜ。よもや勇者の方が魔王を口説きにかかるなんてよ。推測はしてたけど、夢浮橋くん。ひょっとして君は主人公じゃないどころか、ラスボスなんじゃないかい?」
「何とでも。最悪に太鼓判を押されようが、僕はとりあえず、僕は生きているこの世界を守ってみるよ」
もっともこういうのは、勇者の台詞だろうけど。
「そうだね――夢浮橋くん。ここいらでちょっと休憩して、君の口車に乗ってみるのも悪くないかもしれないね」
「そうか。了承してもらえるなら助かる――」
「悪くないけど、最悪だ」
え、と僕は訊き返すと同時に、松風の『桐壷』を失った極めて普通の力で、突き飛ばされていた。
「『要らん』!」
それはあまりにも強い、はっきりとした拒絶であった。
「え……?」
「論破してみたくらいで調子に乗ってんじゃねえよ、夢浮橋くん。俺が綺麗言で屈服するような人間に見えるかい? だったら最悪だなんて呼ばれてねえよ!」
「何を――お前に拒否権なんてあるかよ! お前の動機じゃ、これより良いやりようはないだろう!?」
「『良い』? はっ、それが駄目なんだよ、夢浮橋芥」
松風界隈は両腕を広げ、まるで歌うように言い放った。
「俺は『最悪』だ。それ以外の結末は認めない」
どうして。
どうしてここまで、届かない。
「理由? 意味? 動機? それがどうした。そんなのいつだって好きなようにでっち上げれるじゃないか。そうだなあ、俺がさっきの君の言動にムカついたから、ってのは? 丸く収めた感が、してやったり感が、糞みてえなそういう感情が君から滲み出たから拒否したって、そう言えば君は納得してくれるのかい?」
「何が納得だ……! 仮にそれがお前の拒否理由だったとしても、僕からしてみればお前を殺す理由にはなり得ない。むしろお前の真意を知った今、僕にお前を殺せるわけがないじゃないか!」
勿論、それもこの最悪には通じない。松風は嫌らしく笑い、僕の全身に悪寒が走った。
「じゃあ、理由をやろうか? 君が、俺をどうしたって叩き潰したくなるような理由をさ」
思い返せば、どうして松風界隈は閻魔大王を騙すことが出来たのか、それが一つの謎として浮上する。閻魔の中には『桐壷』の力が入っており、当時人間であった松風の心を読むことなど、容易かった筈なのだ。にも関わらず彼がまんまと松風に裏切られたのは――
――松風界隈が、自身の心さえも偽ったからだ。
だから僕は、その理由がでっち上げであってもはったりではないことが分かった。たとえ人とも神とも外れた所業であっても、この男ならばそれをやってのける。自らを犠牲にして閻魔を消そうとしただけ、精神力は伊達ではない。
松風界隈。それはアンダーハート機構の第一期四年間を生き抜いた、たった一人の卒業生の名前だ。そもそも『心』という分野ならば、僕より遥かに上なのだ。
「『地獄絵図』を発動させる」
「な――っ!?」
それは、先代の閻魔大王が百の神から襲撃される原因となった罪だ。生と死を『ごちゃ混ぜ』に。大量の幽霊と現世に流した、知る者ぞ知る、歴史的大惨劇である。
「まあ、初めてやるわけだから、まずは小規模なところからやってみようか。例えば――玄舟学院なんてどうだい? くくくく、楽しみだなあ。だってこの学院に関係した死者が一気に溢れ返るんだぜ? 想像するだけでぞくぞくするよ」
「お前……!」
「キレてんじゃねえよ、夢浮橋くん。君にとっても悪い話じゃないぜ? 須磨さんにはまず会えるだろう? 些細な関与を拾うとするなら、帚木ちゃんとかママにも会えるかも。ね、楽しみだろう?」
その時の僕は、計らずしも憤っていた。松風の思惑通り、まんまと『理由』を手に入れていたのであった。
「素晴らしいよね、『地獄絵図』。生も死も、みーんな一緒に平等に楽しく楽しく暮らせるんだ。地獄だなんて、とんでもない」
「ふざけるな……! そんな悪平等、許すわけがねえだろう!」
「悪平等? 違うね、俺に言わせりゃ『最悪平等』だ」
また嫌らしく、松風は笑う。僕には悪寒を感じる余裕は無く、ただただ憎悪を向けていた。
「学校という飼育小屋に関して校長先生の決定はほぼ絶対だよ。一カウンセラーの先生が異論を唱えることじゃない。それが嫌なら、力尽くでも止めてみな」
その挑発に。
僕は、乗ることにした。
「……分かった」
「そうかい」
「お前がそうなら、僕が守る」
「何を?」
「決まってる。生徒をだ」
「君は生徒が嫌いなんだろう? 可愛くて、美しくて、自分に無いものをあまりにも持っている彼らが大嫌いなんだろう?」
「そうだよ。だから守るんだ。可愛くて、美しくて、自分に無いものをあまりにも持っているあいつらが大好きなんだよ」
「――何だ、君はちゃんと『先生』が出来てたんだ」
「出来た『先生』なんていない。僕らはただ生徒に教えて教えて教え尽くして、そして社会(みらい)に送り出すだけの卑しい公務員だ」
「綺麗事だね」
「僕達は大人だから、綺麗言をやらなきゃならない。あいつらが大人になるまで、守って上げなくちゃならないんだ」
そしてでっち上げでも、それを犯すことを口にした松風は。
もう、僕には救えない。
「それじゃ、触れ合おうか」
松風は拳を構えて。
「それじゃ生温い。殴り合いでいいだろう」
僕も応える。
「微妙。やっぱり殺し合いかな」
「それがいい」
僕らは、走り出す。
秩序を理由に。悪逆を理由に。正義を理由に。犯罪を理由に。愉快を理由に。復讐を理由に。快楽を理由に。憧憬を理由に。逃避を理由に。嫉妬を理由に。理屈を理由に。惨劇を理由に。憎悪を理由に。敵対を理由に。我慢を理由に。自分を理由に。生徒を理由に。
こうやって、触れ合うことを望んでいたのだ。
こうやって、殴り合うことを望んでいたのだ。
こうやって、殺し合うことを望んでいたのだ。
須磨、ごめん。ちーちゃん、ごめん。愛母さん、ごめん。浮舟、ごめん。つむじ、ごめん。
僕はみんなの為じゃなくて、自分の為に戦うことにする。
自分と、こんな最悪の為に戦うことにしたよ。
それでも僕を、許して下さい。
生きている僕を、許して下さい。
こんな懺悔も、夢物語だけど。
こうして世界の命運を懸けた戦争が、極めて静かに、極めて小規模に終結した。
後に『静かな戦争』と呼ばれるこの騒動はその後に関しても静かであり、まるで疾しいことであるかのように誰もが口を噤み、そして闇に葬られていった。
その後の玄舟学院に『静かな戦争』に関する痕跡は何一つとして残っていなかったのだ。
二人の遺体も、血痕も、余波も。
不自然なほど『残っていなかった』からだ。
故に夢浮橋芥と松風界隈。どちらが勝者だったかを知る者はいない。
殺し合った彼らのどちらが最後まで立っていたかを知る者はいない。
そうやって、知られることなく語られることなく。
一つの夢物語が、歴史の中で終わっていった。
Fin.
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