夢物語   作:危橋たけ

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奔走編・その三

 

「ドン・キホーテを知っているかい、夢浮橋くん」

 サボテンの針先を弄びながら、松風界隈(まつかぜかいわい)はそう尋ねた。針金細工を彷彿させるような、背の高い痩せた男だった。

「十七世紀初頭にスペインで書かれた長編小説さ。著者は『模範小説集』、『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』で有名なセルナンデスだね。騎士道物語にハマった愚かな男が、痩せ馬に跨って従者をと共に遍歴の旅に出るっていう話で、『ラ・マンチャの男』の原作となった話だよ。博識な君なら良く知っているよね」

「僕が知ってるのは、そのエセ騎士が風車とドラゴンを見間違えて立ち向かって行ったって部分だけさ。お前みたいに無駄なところまで知ってねえんだよ」

 松風は振り返り、目を細めていやらしく笑った。本当に、嫌な笑顔。まるで狐のようだ。

「この世に無駄な物なんて無いんだよ、夢浮橋くん。俺はこの耳を通してこの頭に入って来る情報を、どれもこれも愛おしく思ってるんだからね」

 松風は玄舟学院の校長である。二年前、余生を持て余していた僕を拾った人物であり、同時に僕とつむじを――桐壷を引き遭わせた張本人とも言える。

「お前、二年前と言ってること違うぞ。無駄なものがあるからこそ人生は素晴らしいとか――けっこう面白いこと言ってた気がするんだが」

「あはは、分かってないなあ夢浮橋くん。いくら四十代を迎えても俺は成長してるんだぜ? 芋虫が蛹にならずにはいられないように、生きている以上、人は成長せずにはいられない」

「逆に言えば、死んでいる人間は成長しない」

「そうさ」とシニカルに松風は笑う。こいつは僕の異常性について知っている数少ない人間だ。神霊を認識できない人間の中で、僕のことを知り、それを信じる者はかなり貴重だと思う。少なくともカタギの人間では。……いや、もしかすると信じていないのかもしれない。第一、こいつに信用をおかれるという事態がまずからして悍ましい。

「それで、僕はもう帰っていいのか?」

「それはいくら何でも早いだろう。まだ一時間しか経ってないじゃないか」

 何だかデジャヴだけど、一時間は長い。

「一時間もデュエル・マスターズに付き合わせればもう十分だろう。確かに今日、僕は午後の授業が無い日だけど、仕事はあるんだからな」

「それも俺のおかげだろう? だったらデュエマの数十戦くらいはいいじゃない」

 八回も同じデッキで勝負して、どうしてこいつは飽きないのだろう。勝つにしろ負けるにしろ、相手がこいつでは嬉しくも悔しくもない。

「ところで君の相棒――ロシナンテは元気かい?」

 遠い言い回しで理解に苦しんだが(下ネタかと思った。誰の馬がが痩せ馬だ)すぐにそれが『桐壷』のことを言っているのだと理解した。しかしその言い方では、もしや僕がドン・キホーテだと言いたいのだろうか。

「悪いがあいつは、僕を背中に負ぶさりはしても、ロシナンテさんほど従順じゃなくてな」

「じゃあ文字通りじゃじゃ馬だ」

「ちょっと上手いこと言ってんじゃねえよ」

 僕はテーブルの上に散乱したカードを集めながら、松風を睨みつける。

「桐壷がどうあろうと、それがお前に何の関係があると言うんだ。僕がお前を嫌いな以上、あいつだってお前のことを嫌ってるんだぜ」

「あれえ、冷たいじゃないか夢浮橋くん。誰のおかげで君は神を飼えていると思うんだい?」

「お前の『所為』だ」

 適当にカードを重ねて、一教師としては勇猛果敢とも言える体制だが、黒いソファに身を任せた。

「そして、『飼う』って言い方をするな。あいつはただ僕のもとに気紛れで身を置いているだけで、腹を見せちゃいない。主従関係で言えば、間違いなく神であるあいつの方が主だろう」

「ふうん……まあ、いいんだけどね。どうでも」

 じゃあ何で訊いたんだ。

「とっとと本題に入れよ。こちとらお前のことが嫌いなんだよ」

「俺は君が大好きだよ。それに、俺は校長先生だ。校長先生の話が長いのは、九年間の義務教育プラス三年間の高等教育を受けたことがある君はよく知っていることだろう?」

「キャラ作りかよ……」

 というかこいつの場合、話が長いのではなく話が逸れまくっているだけなのだ。その逸れた話も、長いと言えば長いのだが。

「まあまあ、俺が君にある用事なんか星の数ほどあるんだから、いつ呼んだって同じじゃない? ――それに、夢浮橋くん」

 つかり、と小気味の良い革靴の音を立て、松風は僕に一歩歩み寄った。

「嘘吐くなよ」

 それは汚らわしいとも言える微笑だった。人間離れした、生き物離れした、ゴキブリが可愛らしく見えてしまうような、そんな気持ちの悪い存在が、松風界隈という『存在』であった。

「俺が君に用が有るんじゃないだろう? 『君』が、『俺』に用が有る。だから君は俺の呼びかけに応じ、仕事を放り出して校長室なんかに来た。そうだろう? 夢浮橋くん」

「話が早い――なんて、さっきまではぐらかしてばかりだったお前に言うのには、矛盾してるだろうな」

 松風はいつだってそうだ。例えるとすれば、幼く分かり易く例えるとするなら、自分から先にふざけておいて次にふざけた奴を上から目線で注意するような。そんなだからこいつは嫌われ者で、誰よりも世渡りが上手いのだ。

「さあ、尋ねて御覧、夢浮橋くん。俺は君の為ならば、分からないことだって知ったかぶりして答えて、君を安心させてあげるよ」

 いや、それは何の解決にもなっていない。

「質問なんかねえよ。――そうだな、言っちまえばお願いみたいなもんだ」

 僕は松風に一つ、しかし無限の要求をした。

「十二年前、お前の受け持っていたクラスの生徒だった、須磨洟子について全ての情報を寄越せ。さもないと桐壷をお前にけしかける」

 脅迫――人を癒やす立場にある僕には、あまりにも矛盾した行為だった。

『お願い』と言ったのは嘘だ。

 

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 アドレス帳に登録されたその名前は、『胡蝶翅(こちょうつばさ)』のままだった。

 僕と彼女の関係が始まって一年経とうとしているというのに、未だにこのアドレス名は変更されていない。これと言った理由も無いので、ならばさっさと変更した方がいいことは理解している。ただ、いつも忘れてしまうのだ。変えようと思った時に変えないのが原因だろうが。

 もしかしたら僕はどこかで、彼女のことを『胡蝶翅』と思っていたいのかもしれない。

「――ま、大した違いは無いか」

 呟いて、彼女の電話番号にコールする。ほどなくして、無機質な声が聞こえてきた。それは、携帯電話の電源が切れているか、電波の届かない場所にあるという、丁寧で有名な報せだった。

「仕事中か……?」

 僕は諦めて、デスクの上の資料に向かう。松風からせしめて来た十二年前の玄舟学院の資料だった。

「それ、何に使うんですか?」

 若紫志吹が、デスクの上を覗き込んできた。

「……いつから居た?」

「五分前でーす」

「それは、僕がこの部屋に入って来る前じゃないのかい?」

「いやー、魔が差して思わず隠れちゃったですよ」

 カウンセラー室を見渡す。備品である椅子にテーブル、デスク、書類棚。そして僕の私物である茶棚とその中身くらいが、この部屋の全てだった。隠れる場所など、およそ無い。

「――はっ! まさかテーブルの下に隠れていたと!?」

「ふふふ……敢えてもっとも単純な場所を選ばせてもらいましたよ。先生! 故人曰く、『女子隠すならテーブルの下』!」

 それはどこの変態が言ったのだろう。弦弧ちゃんが口を滑らせたのか? いや、死んでほしいのは確かだが故人じゃないけど。

「そんでそれ、何ですか?」

「君には関係ないよ」

「うわあ……」

「何だよ、うわあって」

「そんな悲しい言葉、先生が生徒に向かって言うものじゃないと思いますけど? 最近の若者はなっていない、とか責められますけど、やっぱりそういうのって大人の責任じゃないかと思うんですよね。先生みたいに、子供を邪険に扱う大人の――」

 鬱陶しくなってきたので、お菓子を与えた。

「わーい! 先生大好きっ!」

 まったく若紫の言う通りだ。きっと悪いのは大人なのだ。彼女を馬鹿に育てた親が悪いとしか考えられない。

「さてと……」

 若紫が居たんじゃ、案件に集中なんかできやしない。僕は資料を封筒に閉じ、とりあえず通常業務に戻ることにした。

「あえ、ふぇんえーふふんおひんひんおふぉ?」

「お菓子をモグモグしながら喋らない。君、今度親と会わせろよ」

「む……え、それってどういう意味ですか?」

「頬を赤らめるな。勘違いが凄まじすぎる」

 妄想たくましき年代にせよ、この子の脳味噌はちょっと特殊だ。もう小説家にでもなったらいいのに。そいで稼ぎまくって、学校なんか辞めちまえ。

「まあそんなことより先生。カッターナイフを貸して下さいよ。プリント切るのに使いたいのであります」

「軍人か。いや、ケロロ軍曹か。――はいよ」

 僕はデスクの引き出しから小型のカッターナイフを取り出し、取っ手の方を向けて差し出した。

「わあい、ありがとうございます」

「カッターくらい持ってねえのかよ」

 文具の所持状況にも個人差はあるだろうが、カッターナイフはどの部類に入るのだろう。パーセンテージが気になるところだが、若紫は僕の言葉に意外な顔をした。

「あれ、知らないんですか? 生徒はカッターとか、明確な刃物を持っちゃいけないんですよ」

「へえ、そうなのか」

 意外な校則だ。そしてもう一つ意外なことに、若紫はちゃんと校則を守っているのか。

「学校ね……」

 それだけのワードで、不意に僕は須磨洟子のことを思い出した。若紫ほどの情報通なら、また新しい話を持ってきているかもしれない。何せ本人と普通に会話していて訊き出せた情報と言えば、小学二年生の頃に転校したという貧相でどうでもいい情報だけなのだ。カッターも貸したことだし、代わりに教えてもらうとしよう。

「若紫、例のトイレの花子さんって結局どうなったの?」

「あれ? 先生も何だかんだ言ってて人の子なんですねえ。そういう根も葉もホモ無い噂話が好きですよね」

 さりげなくホモとか言いやがった。何気にこの子は腐女子と言う種に分類されるタイプなのだろうか。

「別にそういう……いやさ、言い訳はするまい。その通り。僕はこの間君から聞いたトイレの花子さんの話がどーっしても頭から離れなくてね。あの日から一度だってトイレに行けない。もー気になって気になってさ。夜だって眠れなくて困っている。だから聞かせてくれないかな。トイレの花子さん事件について。綿密に。余すところなく。即刻」

「………………」

 目が疑っていた。

 しまった。嘘にしては盛り過ぎた。

「……まー、いいですけどね。何でも」

「そうかい、助かるよ」

 依然として訝しむような若紫に、もう一つお菓子を放る。動物園のリスザルの餌やりコーナーを彷彿させる動きで、素早く彼女はそれに飛びついた。

「あふぁむふぁむはんへんほふぉー」

「お菓子をモグモグしながら喋らない。本当に、君は一体どんな教育を受けたんだ」

 今度、弦弧ちゃんに家庭訪問に言ってもらおう。あいつは嫌がるだろうが、まあ僕が頼めば喜んでダッシュで行ってくれるであろう。

「えーっとですね。依然として、花子さんの被害は続行中であります」

 それは今となっては毎日会いに行っている僕からしてみれば既(すで)に知っている事項だ。

 しかし須磨の奴、『被害』とか言われちゃってるよ……。まあ、多感なお年頃にとっては、幽霊なんて被害呼ばわりで十分なのだろうか。ホラー映画の影響もあるし、幽霊は世間から怖いものとして認識されているのもあるし。

「いやー、しかし大変ですよね。もちろん被害に遭った生徒は軽傷もいいところの、擦過傷にも満たないような外傷ですけど、これ以上続くようなら体育館トイレは封鎖とかされるんじゃないでしょうかね?」

 は?

 被害? 外傷? 封鎖? ――どういうことだ?

「ちょ、ちょっと待ってくれよ若紫。話が見えない。被害だって? 被害ってそりゃ……どういう意味だ?」

 僕の言葉に若紫は首を傾げ、やがてはっと気が付いた。

「先生知らないんですか? 職員朝会とか、そういうので聞いたりは?」

「ああ、僕は一身上の都合で職員朝会には参加してないから。それで、どういうことなんだ」

「いや、だからですね」

 聞かなければよかった。

 聞かなければいけなかった。

 失念していた。『そういう』行動に出てしまった霊も、過去に存在したということを。

「体育館女子トイレで、怪奇現象が起きてるんですよ。無風の筈なのに物が突然動いたりとか、備品が飛んできたりとか。それで、三人の女子生徒が怪我しちゃったんですよね」

「もちろん、さっき言った通りの軽い怪我ですけど」と続ける彼女の言葉など、もはや僕の耳に届いていなかった。

 

 不幸の星の下に生まれているよね、と誰かが僕に言った。恐らくその発言は、どうしようもなく正しい。

 どうしてこう、問題ばかり山のように積まれるのだろう。

 




若干盛り上がってきたような気がします。

そういえば、「活動報告」なるものを書いてみました。
よかったら読んでちょんまげ。
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