後半の校長先生の告白は変わった形式で書かれておりますが、彼が一人で喋ってるだけですよ。
深夜だった。
数日前、同じように校舎を徘徊した時とまったく同じ、闇の中だった。
まったく、同じ。確固たる目的を持ってしてここに来たのだ。ただ違うのは調査でもなく、検査でもなく、一つの決戦という名目でここを訪れたということだ。
「――まあ、場所が女子トイレじゃ締まらねえよな」
しかしトイレとは言っても、今では危険色の赤いコーンが入り口を塞いでいる。考えてみれば、幽霊騒動で立入禁止になるトイレなんて馬鹿馬鹿しい――もちろん被害が明確で、しかし現象が不可解な分、苦し紛れに赤いコーンを設けたくなる気持ちも分からなくもない。
僕は易々とコーンを飛び越え、とっくに薄れてしまった背徳感を噛み締めながら女子トイレに入った。
迷いなく真っ直ぐ、奥の方――十二番目のドアをノックし、あの言葉を口にする。
「はーなーこさーん」
それは、彼女を呼び出す呪文でさえあった。僕と須磨の間柄ならもはやそんな形式は不要なのだが、しかし今夜ばかりは、最初そうするつもりだったように、彼女のことを呼ばなければならない気がした。
「あ、はーい……って先生? どうしたんですか、こんな夜中に。びっくりしたなー。お茶でも淹れましょうか? なんちゃって。水道水しかありません」
十一番目の扉から、いつものように須磨は顔を出す。
「須磨、話があるんだ」
少女の冗談を流し、僕はあくまでも冷たい口調で話を進める。そんな僕の様子を不審に――否、分かっている筈だ。僕が何をしに来たのか、何を話しに来たのか、こいつは分かっていなければならない。
「須磨。きみは自分がどうしてここに……、トイレに居るのか、憶えていないと言ったよね」
「え、あ、はい。そうです」
「だけどね、それはおかしいんだよ」
どんな賢い人間であろうと、何度も死ねる生物などいやしない。幽霊になるのは一度しかないし、その一度目は必ず初体験になる。
そう、そもそも知っている筈が無いのだ。地縛霊が場所と自分の関係性を『憶えていない』なんて、言えるわけがない。
「君はまるで知っている風だったよ、須磨。霊は生を終えた場所に現れるという、その現象を。だから『憶えてない』と言ったんだよね」
「えっと……どういう……」
「普通は『知らない』じゃなくて、『分からない』って言うんじゃないかな」
僕の言葉に、須磨は肩を震わせる。そして取り繕うように、声を絞り出した。
「た、ただの予想ですよ……。前にテレビで、そういうのやってたような気がするし……」
「そっか」
彼女の反論など、僕は刺して気にも留めなかった。きっとこの子は『薄型液晶テレビ』とか『地デジ化』とかを知らないんだろうなあ、と他人事のように思っただけだ。
「聡い奴ならそういう予想も付くだろうがな、確証は無いだろう。だから、普通は訊くぜ? 自分の予想を勝手知ったる風な僕に、その予想が正解かどうか確認するんじゃないか?」
「………………」
須磨は沈黙を以て肯定する。構わず僕は、言葉を続ける。
「いや、まあこんな話しても時間の無駄だよな。――なあ須磨。例外があるかもしれないからこんな言っちゃうのもなんだけどさ。幽霊が自分の死んだ理由を、忘れたり、知らなかったりするわけがないんだよ」
考えるまでも無く当たり前だ。死という人生を締めくくる一大イベントを、どうして忘れることが出来ようか。『ショックで記憶が』とかは通じない。死んでるんだからショックもへったくれもないのだ。
そう。霊である以上、そもそもからして自分が死んだということを認識が出来ていないわけがないのだ。
「つまり嘘なんだろう、須磨。お前が自分がトイレに居る理由を憶えてないっつうのは」
「………………」
少女は何も言わなかった。或いは何か言おうとしているのかもしれない。微かに開く口。小刻みに震える体。さながら追い詰められた犯罪者のように。
「ごめんね。本当は全部、分かってるんだ。きみのことは調べた。松風に――きみの最期の担任、きみを救えなかった担任教師、松風界隈に訊いてね」
「……やめてください」
不意に、少女の口からそんな言葉が漏れた。だけど僕はやめずに言葉を続ける。
言いたくない。真実を突きつけるのは、残酷だ。
「君、ここで自殺したんだろう」
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「情報を寄越せ――か。また随分乱暴な言い草だね。わかったよ。いくら俺と言えど、桐壷に手も足も何も出るわけが無い。色々惜しいものもあるし……うん、いいよ。今回ばかりは特別に嘘抜きに、君に教えてあげるよ。
「須磨洟子。――僕が意図的に情報網を塞いでたから調べられなかったよね。生まれは九州で、父親の仕事の都合でこの街に来たんだって。家族環境は両親と二つ下の弟が一人。まあ、今となっては家族みんなバラバラに別の場所に引っ越しちゃったらしいけど。理由はたぶん、須磨さん自身にあるのかな。
「――ああ、死因ね。なかなか手っ取り早いところ訊いて来るね、夢浮橋くんは。そう生き急ぐなよ。まったく、そんなんだから神様になんか気に入られちゃうんだぜ?
「はいはい、余計な話はここまでね。
「失血死だよ。
「そう。肉体の三分の一もしくは半分以上の血液を失ったことが原因で、須磨洟子は死んだんだ。
「となるともう、君の予想通りだよ。
「彼女は自殺した。
「――んだよね。カッターナイフで手首をずぱっと切って。それは今、学校に明確な刃物を持ち込んではいけない校則の起源になってるんだけど、余談かな。
「しかし恐ろしい話だよね。自分の手首を死ぬほど深ぁーく切っちまうなんて、並大抵の覚悟じゃできないよ。俺みたいに病んでいる人の気持ちを知りたくて、遊び半分で手首切ったことのある人間には、到底理解出来ないぜ。
「そんな不愉快な顔するなよ。どうせ俺には、君みたいに人の気持ちなんか分かりゃしないんだからさ。
「まあ俺個人の意見としては、自殺する奴はとんでもない勇者だ。自分で自分を殺すなんて格好良いにもほどがあるぜ。老後のために貯金なんか情けない真似をしちゃってる身としては、ぜひとも肖(あやか)りたいものだね。
「――冗談だよ。いいじゃないか、ちょっと茶化してみたって。
「それで、あと訊きたいのは須磨さんがどうして自殺をしたのかって話だろう? それが俺にも分からない――っつう嘘には引っ掛からないよね、君は。
「うん、知ってる。
「教卓から毎日見てたもん。担任として、教室という名の飼育小屋の風景ををね。
「あれはいじめだよ。
「まあ、そうは言っても少女漫画で読み切りとしてありそうな、ハードな奴じゃないけどね。あくまで小さくて、軽いもんさ。
「いじめに軽いも重いもないだって? あはは、カウンセラーっぽいことも言えるんだね、夢浮橋くん。そうだね。その通りだよ。いじめなんてどれも同じなのさ。『する方』はいつだって冗談で、『される方』はいつだって本気で苦しい。ほんのささやかなちょっかいがその人を深く傷つけてしまう。――それを知らない人なんて、この世界には夥しいほどいるんだ。そうじゃない人より多いのが現状だよ。まあ、『人の気持ちを考えなさい』だなんて土台無理だよね。だって人は誰かになれないんだ。仮面ライダーよろしく変身するか戦隊ヒーローよろしく徒党を組むかウルトラマンよろしく巨大化するかでしか、俺達は生きていけない。神様でもない限りね。
「話が逸れたかい? とにかく、須磨洟子はいじめられていた。虐げられて、疎外されて、外されていた。
「そしてストレスの捌け口が見つからず、このままの生活を続けることに耐えられず、彼女は自ら命を絶っちまったってわけだね。
「とりわけ重くもいじめで自殺に及ぶのが不思議かい? そういう顔してるよ。――まあ、よほど彼女は人生経験が足りなかったんだろうね。虐げられたりおちょくられたりしたことが無かったんじゃないか? 良い子っぽくはあったから、どうせ九州のど田舎で学校の中心人物でもやってたんだろうよ。弱いプライドが倒壊して、脆い心まで崩壊したんだろう。そういうもんだよ、人間って。君も知ってるようにね。
「体育館トイレだった理由は、たぶん人目が少ないからだろうね。現に情けない話、休日が重なった所為で発見が遅れてね。彼女の遺体はちょこっと腐敗してたそうだよ。彼女自身は片付け易いようにとでも思ってたのかな。こう、手を便器に突っ込んでてね、血の海ってわけじゃなくてもそこそこな凄惨な光景だったよ。
「聡明な夢浮橋くんならとっくに気付いてるよね。十二年前だね。玄舟学院の体育館の大規模リフォームが行われた時と、須磨洟子が死亡した時期が一致しているということを。
「そりゃあ、女子生徒が自殺したトイレをいつまでも使っておけるもんか。ちょうど体育館も老朽化してたから、ついでに磨いてみたってわけさ。過去の払拭ってわけだね。いや、もはや過去の腐食かな? なんちゃって。
「まあ――はい、これでちゃんちゃん。あとは資料を渡すから、それでお勉強してね。
「ああ……、これはどうでもいい話だから聞かなくてもいいんだけどさ。
「まあ聞いての通り、結局俺は何も出来なかったんだよね。須磨洟子のことも、彼女をいじめた子達のことも救えず仕舞いでさ。頑張ったつもりだったんだけど、当時、若造に毛が生えた程度の俺じゃ無力もいいところだったわけだ。
「だから、こんなこと君に頼んじゃうのも非常に心苦しいというか、厚かましい話なんだけど……」
次で締め。