始まりは形から   作:しおバタぱん

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さよならフルート

佐々木家は黄檗駅から少し歩いた住宅街にある。近くの黄檗山萬福寺が目印で手前の分かれ道を逸れた先の住宅街がわが自宅である。

「今日、北中はオフの日なんだと。妹に話したらぜひ会いたいって言ってたしいい機会だから誘ってみた。今から連れてくることは伝えてないけど…」

「急に来たら迷惑じゃない?」

「うち、母親が深夜まで仕事だから大丈夫。部屋が汚いのはちょっと勘弁してほしい。ごめん」

ある程度綺麗に保ってはいるがやっぱり来客が来るなら日頃から掃除しておくべきだった。

「…なら、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな」

彼女の言葉に満足気に頷き、玄関の扉を開けた。

「ただいまー」

玄関のドアを開けいつものように帰宅を告げた。少し声が上ずってしまったのは希美にはバレていないだろうか。

「お兄ちゃんお帰り!今日は早かった…ね?」

どたどたと階段を下り梓が出迎えた。通常より空間の狭い玄関を見た梓は声をすぼめた。

「彼女さん?」

「違う!前話したフルートの同級生!話したいことがあって、外じゃなんだしうちに誘ったんだ!」

早とちりをした梓を気恥ずかしさを隠すように大声で否定した。そんな様子がおかしかったのか傘木が吹きだして笑う。

「あははは!彼女じゃなくてただのクラスメイトだよ。初めまして、傘木希美です!侑にはいつもお世話になってます!」

「勘違いしちゃってごめんなさい。佐々木梓です!お兄ちゃんがフルートが上手いって褒めてますよ!」

それだけ言うと梓はお茶を出すと言い残しリビングへ急ぎ足で駆けていった。帰宅早々疲れた顔をする俺を傘木はにこやかに見ていた。折角家まで連れてきたのにいつまでも土間で立たせたままなのはよろしくない。傘木を中に入れるため、先に家に上がった。

「…梓が変な勘違いしててなんかごめん。どうぞ、入って」

「お邪魔します」

先ほどと違いおずおずと話す彼女を不思議に思いリビングに案内した。

本題を切り出すタイミングを計っていたら、お互い沈黙してしまった。気まずい時間が続き梓の出してくれた紅茶を啜る。紅茶は飲みやすい温度まで下がっていた。時間も有限ではない、そろそろ話さなければ。

「…希美、部活辞めたのか?」

「…うん。あそこにいても腐るだけだったから」

「そっか。俺さ、希美達が辞めたって吉川から聞いたとき正直ムカついた。短い期間だったけど、一緒に協力した仲なのに一言も希美から伝えられてないから、その程度なんだって思った」

俺の言葉に傘木は顔を上げ、かぶりを振った。

「違うよ!侑のこともみんなと同じように大事な友達だよ!」

「えっと、別に怒ってるんじゃなくて。希美達が吹部にいても何もならないっていうのはよくわかるんだ。俺が半年待とうって言ってたのは多分君たちとの考え方の違いだから」

そう言うと彼女は胸を撫でおろした。なんとか誤解が解けたようでこちらもホッとした。

「みんなが楽器を持って帰って家で吹けるわけじゃない。部活という限られた時間を無駄にしている今が嫌だったんだろ?」

その言葉に彼女は控えめに頷いた。

「うちさ、防音室があるんだよね。俺のクラリネットも梓のトロンボーンも母さんが買ってくれたもので、ほかの人より長く練習できる。環境の違いが希美達との考えの食い違いになった。君たち南中の急く気持ちまで考えられてなかった」

ごめん、俺は頭を下げた。何故南中出身者がここまで部の改善を急いだのか皮肉なことに三年生との言い争いで気付いた。みな平等に時間や環境があるわけではないのだ。そこまで彼女は黙って俺の話に耳を傾けてくれていた。

「正直先輩達が抜けても吹部がよくなることはないと思う。この環境が嫌で辞めてく君たちを俺は止められない」

中学の苦い記憶から脱するため、心に誓うように大きく息を吸った。

「だから!君がいつかこの部に戻りたいって、思った時帰れる居場所をつくるために、吹部に残るよ」

傘木は苦笑した。その笑みは俺の真意を図りかねているように見えた。

「なんで私のためにそこまでしてくれるの?退部したらもう関係ないと思うんだけど...」

その言葉に少し困って頭をかいた。本人に直接言うのは恥ずかしいのだがここまで来たら伝えてしまった方がいい気がした。

「…君が全国を目指すって言ったから、何かを本気でやり遂げてみたかったんだよ。俺に道を示してくれた君に並びたかったから」

目を背けていた傘木の方を見るとニヤニヤしていた。羞恥心で顔から火が出そうだった。

「侑そんなに私のこと思ってくれてるのー?嬉しいなあ」

顔の熱を冷ますために口にしていた紅茶が気管に入り咽てしまった。いきなり何を言い出すんだ。

「げほッ!げほ…こ、ここまで上手くフルートを吹けるのに部活のせいで辞めるのがもったいないって思っただけ!」

はいはい、と完全にあしらわれてしまった。未だ嬉しそうに笑う彼女を見るとこちらの頬も緩んだ。

「部活は辞めるけど、フルートは辞めないから心配しないでよ!私、市民吹奏楽団に入ることにしたの!」

「そっか、良かった!希美が楽器を続けてくれて俺も嬉しいよ」

窓から覗く日はすでに傾いていた。話したい事も全て話せたし、これ以上長居させてしまうと暗くなってしまって帰るには危ないな。

「ごめんね、今日付き合ってもらっちゃって。もう暗くなるし帰りは駅まで送るよ」

「ううん。私の方こそ相談できなくてごめん」

それから駅までは何も喋らず向かった。傘木と二人きりの時には度々沈黙している時があったのだが今までのものとは違いさほど気まずい思いはしなかった。隣に傘木がいるというだけで体が熱いのはきっと夏のせいだけではない。

「送ってくれてありがと!また来週ね!」

先ほどまで無言を貫いていたのとは打って変わって大きく手を振る彼女。部活を辞めても繋がりが消えるわけではないし、また部活に戻ることだってあるかもしれない。また来るいつかに思いをはせ、負けないように大きく手を上げた。

「またな!希美!」

今日彼女と対話をしてようやく自覚した。傘木に協力したのは変わりたかったという理由だけではなかった。俺は傘木希美のことが好きだったんだ。

 

傘木達が退部して以降、吹部は急速に安定化した。前から練習時間中には談笑に花を咲かせていた三年は邪魔者がいなくなったためか決壊したダムのように歯止めが利かなくなっていた。それに反比例するように一二年は陰気な雰囲気が続いていた。合奏にも覇気は無く辛気臭いものとなってしまっている。一年でコンクールメンバーに選ばれたのは鎧塚さんだけでそれ以外の人はパート練以外の時間、適当な教室に集められバックアップとしてコンクールの練習を続けることになっていた。とはいったものの一年十四名、二年三名ではやれることは限られ基礎練を中心に軽い合奏程度しか行えていなかった。小笠原先輩をはじめとして同じパートの島や果ては全然話したことのなかった人まで話しかけてくれるようになったのは、無視をしたくてしていたわけではないというのが判明し安心したのだが、どうも割れ物を扱うかのように気を使われているようで少し気が滅入ってしまった。休憩時間となったのでこれ幸いと脱兎のごとく三階の水道まで逃げ出した。

このスポットは個人練の時も使っており、さほど日も当たらず人も来ないので個人的にお気に入りの場所なのだ。先刻のきまりの悪さを振り払うように水筒の水を呷った。

「お疲れ、佐々木。落選組は仲良くやってる?」

あんまり人が来ないからわざわざここまで来たのに田中あすか先輩が目の前に現れた。懇意にしているのなら階を変えてまで休憩場所なんか探していない。

「…お疲れ様です。仲良くしてたらこんなとこまで休憩に来ないですよ。そっちも休憩ですか?」

俺が聞くとあすか先輩はうんざりしたように言った。

「そ。下手な癖にプライドだけ高いやつらと一緒に過ごすのは疲れるよ。佐々木もそう思わない?」

何を問いたいのかあすか先輩の真意を測りかねた。部の異分子となった俺に何を言わせたいのだろうか。

「ノーコメントで。そもそも上を目指していないと言っていたので、下手なのは仕方ないんじゃないですか」

「そういう普通のことが聞きたいんじゃないんだけどなー。希美ちゃんと反乱を起こした時みたいなの期待してたのに」

あすか先輩はつまらなそうに言い捨てた。その態度に眉の間を微かに曇らせた。

「そんな言い方なくないですか?」

「だってそうでしょ?三年が先生を懐柔してるのは佐々木も気づいてるでしょ。だから、ボヤを小さく留めたいっていう先生の思惑を利用しようとした」

この人の言ってることは全て合っている。まるで心の中を覗き込まれているみたいだ。吹き出た冷や汗が背中に染み出し声が震えた。

「…そうですね。だったら何です?あすか先輩ならもっといいやり方、思いついたっていうんですか?」

「いや、あれがベストだったと思うよ。まぁ私だったら松本先生とか教頭とかもっと上に掛け合うけど。そうじゃなくて、そもそも今年部を変えようってこと自体間違いなんだよ。あいつらが卒業するまで静観すべきだった。違う?」

傍から聞けばあすかの先輩の言っていることは正しいように聞こえる。俺たち反乱組は反逆に失敗した負け組でしかなく結果を見れば腐った部の環境に傍観を決め込むべきだったのかもしれない。

「そうかもしれませんね。でも、俺がしたいからしたことです。間違っていたとは思いません」

俺の毅然とした返答にあすか先輩の顔が一瞬不快気に歪んだ気がした。あたりに張り詰めた空気が流れ、思わず開いていた手のひらを閉じた。

「無償の肩入れは優しさじゃないと思うけどなー。依存を生むだけで誰にもいいことはないでしょ。君は賢いから分かると思ってたけど」

「…買いかぶりすぎですよ。で、何が言いたかったんですか?」

「べっつにー。優しい先輩からのアドバイス」

ピリついた雰囲気が一気に弛緩した。ほんの僅かな間見せたあの表情の意味を探ろうとしてもあすか先輩はいつものとらえどころのない感じに戻ってしまった。結局この人に振り回されただけだった。彼女も休憩時間が終わったのか踵を返し音楽室の方へ歩き始め、俺もげんなりした様子で付いて行く。

「じゃあ私音楽室に戻るね。サボらずちゃんと練習するんだぞ若人よ」

手を振り別れを告げた彼女は冗談めかしに言った。

「…最後に一つ聞いてもいいですか?」

「いいけど手短にね。合奏始まっちゃうから」

「俺、今向こうで浮いてるんですけどどうしたらみんなと仲良くやれますか?」

その言葉にあすか先輩は腹を抱えて笑った。真剣な悩みだったのだが馬鹿にするような態度に口をとがらせ反論した。

「一応マジな悩みなんですけど」

目に涙を溜めたあすか先輩はごめんねと前置きした。そんなに面白いと思ったのなら何よりである。

「佐々木がそんなことで悩んでるなんて思わなくて!そうだね、やっぱりみんなと話すしかないんじゃない?」

じゃね、それだけ言うと小走りで帰っていく。一人階段に残され、ゆっくりと段差を下った。

俺たちがやったことで部の秩序を壊してしまったのは事実としてある。俺は南中出身者の気持ちを思うことができていなかったが、俺たちは部に残る人たちのことは蔑ろにしてしまっていた。あすか先輩はこのことを言っていたのかもしれない。教室の前まで来るとまだ楽しく談笑している声が聞こえたが時間ギリギリになってしまっていた。

そっと教室に戻る俺に甲高い声が飛んできた。吉川のその声に俺は首を竦めた。

「もう練習始まるんですけど!」

「ごめん。あすか先輩と話してて少し遅れた」

あすかというワードが出た時先輩達が反応した。心配半分驚き半分といった顔で小笠原先輩は俺に尋ねた。

「あすかと?なんか変なこととか言われなかった?」

「あ、いや。悩みがあって話を聞いてもらってただけなんで大丈夫です」

俺の返しに安心したのか小笠原先輩はホッと息を吐いた。先輩の様子を見て俺は一歩踏み出した。

「あの、…少し俺の話聞いてもらっていいですか?ここにいるみんなに聞いてほしいんです」

小笠原先輩は困ったように周りを見回したが、俺の顔を見ると強く頷いた。

「みんな、佐々木君の話聞いてあげてほしい。いい?」

先輩の言葉に全員の視線が集まった。いつもは揶揄ったりしてくる滝野も真剣な顔つきでこちらを見つめる。いつになく真面目な雰囲気に気圧されたがその圧迫感に負けるまいと震える声を張り上げた。

「今回の騒動でみんなを巻き込んで迷惑をかけてしまって本当にすみませんでした!」

俺は頭を下げた。みんなの表情は見ることが出来ないが反応が薄いところから困っているのだろうか。謝ったところでこの現状が変わらないことはよく知っている。

「謝られても、何を今更っていうのはよく分かっています。いじめが原因で苦しむ人がいるのなら、それを解決したくて強引な手段を取りました。それがみんなに窮屈な思いをさせてしまったことを謝りたくて、それで…」

言いたい事が出てこない。言うべきことは分かっているはずなのにどうしても言葉に詰まる。言い淀む俺を見かねてか吉川が口を挟んだ。

「あんたは辞めていった希美達のことで私たちが佐々木のこと悪く思ってるって言いたいの?」

彼女の問いは刃物のように突き刺さった。実際、部をかき回して被害を与えた俺を快く思うわけがなかった。何も言えぬ俺に吉川はすごい剣幕で迫った

「香織先輩達がどれだけあんたに気を使ってると思ってんのよ!!希美達が部活を辞めても一人残ったあんたが孤立しないように話しかけて、私たちにお願いまでして!先輩達の気持ち想像してみなさいよ!!」

「優子ちゃん、もういいから…」

中世古先輩が控えめに吉川の袖を掴んだ。吉川と同じくその頬は朱に染まってはいたがその原因はきっと恥じらいのものだろう。根回しされていたことを知り、変な誤解で独り相撲を取っていたことに気付き顔から火が出そうだった。

「佐々木君、私はあなたに感謝してるの。ずっと一年生が無視されてる時も先輩にお願いすることしかできなかった。先輩に疎まれることが怖くてそれ以上抗議することができなかった」

だからねと優しく諭すように中世古先輩は言った。

「佐々木君が先輩に面と向かって言った時、ハッとしたの。このままじゃダメだって。そう佐々木君が思わせてくれなかったら、きっと来年以降もこうしていじめが蔓延する雰囲気が出来上がっちゃう。だから、君を嫌いに思ってるなんてことはないの」

「…香織に言いたい事全部言われちゃったな。佐々木君。私は、ううん。少なくともここにいるみんなは、佐々木君の行動で心が動いたんだよ。今年は無理かもしれないけど、先輩がいなくなったらまともな部活にしたいって思ってる」

小笠原先輩の言葉に反論はなかった。先輩の言ったように、この部はきっと変われる、良くなるスタートラインに半年掛かってようやく立てた気がした。みんなの反応を見ていた彼女は満足したように深く頷いた。

「佐々木君がまだこの部にいてもいいって思うなら、一緒に良い部にできるように協力してくれないかな?」

小笠原先輩はいつもの控えめな彼女とは違い有無を言わさぬ強い目でそう言った。きっと俺が引き受けてくれると信じて。

「…勝手に勘違いしててすみませんでした。ぜひ、協力させてください!先輩方には庇って貰った恩がありますから!」

「…ありがとう。よーしじゃあ目指せ府大会銀賞でこれから頑張ろう!」

「小笠原先輩、そこは目指せ金賞って言って欲しいんですけど…」

勢いよく拳を突き上げた先輩に滝野が突っ込みを入れた。恥ずかしかったのか咳払いを一つ入れ小笠原先輩が続けた。

「気を取り直して、府大会金賞目指して頑張ろう!!」

『おおー!!』

みんなで掲げた拳はこの部に入って初めて心が一つになったと確信した。

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