ハートの一船員【番外編】   作:葛篭藤

2 / 3
戦争後しばらくしてからの話。


少年Aの敗北(前)

 

 

「ダメだっ、舵が利かねェ!!」

「急いで帆を上げろ!! このままじゃ船がひっくり返っちまう!!」

「親方っ! 船底に穴が!!」

 

 ”偉大なる航路”にて遠海漁業を生業とするその一団は、突然の嵐に見舞われていた。

 数分前までの穏やかな海が嘘かのように、波はうねり、風が吹き荒れた。“偉大なる航路”を渡る彼らにとってはもう慣れたことであるが、油断は禁物だ。

 大人たちは互いに怒号を浴びせながら、荒波で揺れる船艇の上を右へ左へと駆け回る。その中を、船の見習いである少年アレスも周りの指示に合わせて駆けずり回っていた。しかし、横波を受け、船は途中大きく傾いだ。

 

「みんなどこかに掴まれっ!!!」

 

 言われるまでもなく、船員たちは皆近くのものに掴まって身を支えた。アレスも近くのロープにしがみついたが、濡れた掌は衝撃に堪えきれずずるりとロープの表面を滑った。

 掴まるものがなくなったアレスの体は傾く船艇の上を転がっていく。そして――

 

「うわああ!!」

「アレス!!?」

 

その身は呆気なく荒れ狂う海原へと投げ出された。

 

 

 

 

 

「……んー……」

 

 微かな光が瞼を通して眼球に届く。それを受けて、アレスはゆっくりと目を覚ました。

 ぼんやりとした視界がだんだんとクリアになっていく。そうして、まず目に入ったのは見覚えのない天井だった。

 ――どこだここ……?

 目覚めたばかりでまだ頭が上手く働かない。何故見知らぬ部屋で寝ていたのかとアレスが記憶を辿ろうとしたのも束の間、自分の寝ているベッドのすぐ脇に人がいることに気付いた彼は、一瞬でその思考を中断させられた。

 そこにいたのは、一人の少女だった。黒い髪に青い瞳の、端正な顔立ちをした少女だ。年頃はおそらくアレスより一つか二つくらい下だろう。だが、少女の纏う空気はどこか凜として大人びているように感じられた。

 彼女は目を覚ましたアレスを無表情にじっと見つめていた。目が合っても表情一つ変えない。だが、アレスの反応も似たようなものだった。彼は状況も忘れてその少女に見惚れてしまっていたのだ。

 夜の海のような静けさをたたえたその瞳に強く引き込まれ、アレスは意図せずに彼女を見つめ返した。そして、今はなんの表情も浮かべていない彼女が笑ったらどんなだろう、とそんなことを瞬時に考える。すると、不思議と息苦しさが彼を襲った。

 つまるところの、一目惚れだった。

 そうして見つめ合うこと数秒、ふと我に返ったアレスは慌てふためいて飛び起きた。というより、慌てすぎてベッドから転げ落ちてしまった。

 

「う、おっ……?!」

 

 ゴンッだとかガタンッだとかの派手な音を立てて、彼は背中から床に倒れ込んだ。

 

「い……ッ……!」

 

 体を走る痛みにアレスは思わず呻く。が、何故か痛むのは打ち付けた背中ではなく脇腹だった。不思議に思って見てみると、そこには包帯が巻かれており、治療の痕が見られた。胴体だけではない。よく見ると、体のあちこちに包帯が巻かれている。

 もしかして彼女が? とアレスがドキドキしていると、ちょうどその人物が目の前にやってきた。

 アレスは自分の醜態に恥じ入ったが、彼女は最初と変わらぬ無表情で、なにをどう思っているのかが彼にはまったくわからなかった。しかし、次に彼女が取った行動は、アレスに向かって手を差し出すというものだった。どうやら助け起こしてくれるつもりらしい。無表情な彼女とその親切な行動のちぐはぐさがアレスには好ましく感じられた。

 

「あ、ありがとう……」

 

 最初からみっともないところを見せてしまったと後悔しかけたが、おかげで手を握れるのかと考えると自分の間抜けな行動もそう悪くはないと思えた。

 ドキドキしつつ、アレスは彼女の手を取る。なんとなく冷たい手を想像していたが、予想に反して彼女の手は温かかった。小さくて柔らかくて、思わず守ってあげたくなるような女の子の手だ。

 そんな手に負担をかけるのが躊躇われて、アレスは手を取ったにもかかわらずほとんど自力で起き上がった。

 

「あ、あのさっ」

 

 二人向き合って、アレスがいよいよ彼女に話しかけたとき、突然部屋のドアが開いた。

 

「なァ、なんかおっきい音したけど、どうかしたか?」

 

 そう言いながら入ってきたのは、少女と同じく黒い髪の、だが彼女と違って瞳も黒い、これと言って特徴のない少年だった。しいて言うなら、人当たりが良さそうだというくらいか。

 その少年が現れると、少女は彼の方へと移動してしまう。それを残念に思いつつ、兄妹だろうかとアレスが考えていると、少年は唐突にぱっと表情を明るくした。

 

「あ! 目が覚めたのか! よかった! 具合はどうだ? どっか痛いとか、気持ち悪いとかないか?」

「別に、ねェけど……」

 

 少年の勢いに押されてアレスが引き気味に答えると、少年は「そっか、よかった」とにこにこと笑みを浮かべた。最初から今までずっと無表情のまましゃべらずにいる少女とはまるで対照的だ。

 その少年の登場で、アレスはようやく自分の状況とそれに至る経緯を思い出した。少女に眩んでいる場合ではない。

 

(そうだ、確か嵐に遭って……)

 

 傾く船の外へと投げ出された。誰かがとっさに浮き輪を投げてくれたおかげでアレスは沈まずに済んだ。しかし、向こうにアレスを引き上げるだけの余裕はなく、彼は波に揺られるまま船とはぐれてしまったのだ。その後、浮き輪一つで嵐の海を漂い、何度も荒波をかぶるうちに意識を失った。そして、再び意識を取り戻したのが、ついさっきの話だ。

 つまり、自分は彼らに助けられたのだろうと推測できる。

 

「あ、お腹減ってないか? なんなら、なにか食べるもの持ってくるぞ」

「あー、それはありがたいんだけど、それよりも今はこの状況の説明をしてくんねェ? お前がオレを助けてくれたのか?」

「ああ、そっか、そっちの説明が先だよな。うん、まあ、そう。君が海を漂ってるところに船で通りかかって、見たところ嵐に巻き込まれたみたいだったから」

 

 少年の言葉を聞いて、今更ながらアレスはほっと息を吐いた。例え嵐を生きて乗り越えられても、見つけてもらえなければいずれは死んでいた。この大海原で遭難しているところを発見してもらえた自分の幸運に感謝せずにはいられない。

 自分の説明が終わると、少年は今度はアレスに「そっちの経緯も一応聞いていいか?」と尋ねてきたので、アレスも自分の事情を説明した。

 

「――そっか、大変だったな」

「まあ、つってもこうして生きてるわけだし。他のみんなは無事だろうから」

「へえ、落ち着いてるんだな」

 

 アレスの落ち着いた態度に、少年は感心したように言う。だが、その隣の少女はといえば、相変わらずの無反応。その反応にアレスは内心がっかりと肩を落とした。

 しかし、そんなアレスの心中など知るよしもない少年は、「そういえば自己紹介がまだだったよな」と会話を進めていく。

 

「俺はチトセ。んで、こっちはリーゼって言うんだ。そっちの名前も聞いていいか?」

「……オレはアレス」

 

 ようやく少女の名前がわかったことは喜ばしいが、さっきから少年――改めチトセばかりが話していることにアレスはそろそろ不満を感じ始めていた。それとも、実は彼女は口が利けないんだろうかとアレスが思案していると、チトセが「あー」となにか言いづらそうに口を開いた。

 

「……でさ、実は一つ言わなきゃいけないことがあるんだ」

「言わなきゃいけないこと?」

 

 疑問に思って聞き返すと、チトセは「うん」とひとつ頷く。そして、眉をハの字にしながらへらりと気の抜けるような笑みを浮かべ、爆弾を一つ。

 

「俺たちさ、海賊なんだよね」

 

 

 

 

 

「おう、少年! 調子はどうだ?」

 

 黙々と欄干を磨くアレスにそう声をかけてきたのは、シャチという船員だった。その後ろにはリーゼとチトセもいる。バケツと釣り竿を持っているところを見ると、どうやら釣りをしに来たらしい。

 アレスは無言で三人を一瞥すると、我知らずと眉を潜めた。

 シャチの問いかけに答えないアレスを、シャチは不思議そうに、チトセは心配そうに見る。

 

「大丈夫か? 疲れたんなら、俺代わるけど」

 

 心配そうに覗き込んでくるチトセに、アレスはますます眉間の皺を深くした。

 

 彼らが海賊だと打ち明けられたとき、アレスはさすがにそれをすんなりとは信じなかった。だが、明らかにカタギではなさそうな他の船員や船長に会わされた後には、アレスも納得するしかなかった。それによく考えれば、そもそもそんな嘘を吐いたところで彼らに得はないのだ。

 危害を加えるつもりはなく、近くの島まで送り届けてくれるというチトセの言葉を信用して、アレスは大人しく彼らの世話になることにした。ただしその分の労働は要求されているが、それについて文句はなく、今もこうして従事している。

 そんなアレスにチトセはまた「しっかりしてるな」と感心した態度を見せたが、実はそれはリーゼにみっともなく狼狽える姿を見せたくないという強がりが半分だった。

 彼女も海賊だということには驚いたが、それくらいのことでは彼の恋心は挫けなかった。

 だから――アレスがチトセに敵がい心を抱くのにそう時間はかからなかった。

 

「……疲れてねェよ」

「そうか? まァ、無理はしないようにな」

 

 アレスの素っ気ない態度にやや戸惑いを見せつつ、チトセはアレスの頭をぽんと撫でた。それがまたアレスの癇に障って、彼はついその手を払いのけた。

 

「ガキ扱いすんな!」

「ご、ごめん。よくリーゼにやってるから、つい……」

 

 返ってきた返事にアレスはまた頭に血を上らせる。そう、原因はこれだ。

 リーゼとチトセは仲がいい。特にリーゼの方がチトセを慕っている。無口で無表情なのは変わらないのにそれがわかってしまうのだから相当だ。

 それでも最初は仲のいい兄妹なのだろうと思っていたのだが、聞くところによると二人は兄妹でもなんでもないと言う。だからといって二人が恋仲かというとそういうことでもないらしく、他の船員たち同様“仲間”という括りの内にいるらしい。

 恋人同士ではないと知ってひとまず安心したアレスだったが、リーゼがチトセを特別に好いているという事実は変わらない。ならば、アレスにとってチトセの存在が面白くないということも変わらない。

 まして、こんな風に仲の良さを感じさせる発言をされれば、むっとしてしまうのも仕方のないことだった。

 

「お前だってオレとそう年齢変わらないくせに」

 

 そう悪態をつくと、何故か返ってきたのはきょとんとした顔だった。

 

「……えーと、ちなみにアレスはいくつ?」

「15だ」

「……俺、こう見えて19歳なんだ……」

「えっ」

 

 気落ちした様子で告げられた言葉に、アレスは思わず驚きの声を上げた。そしてチトセをまじまじと見る。とても自分と4つも離れているようには見えない。だが、チトセの隣でシャチがゲラゲラと笑っているところを見ると、本当のことらしい。

 

「いつものことと言えばいつものことだけどさァ……」

「まあまあ! 若く見えるって一般的にはいいことだと思うぞ!」

「散々笑ってくれたくせに、いけしゃあしゃあと」

 

 と、じゃれ合う二人をよそに、アレスはチトセが4つも年上だという事実に微かな敗北感を感じていた。彼から見れば、確かに自分は子供だろう。

 

「……とにかく、オレは平気だ。お前ら釣りしに来たんだろ。さっさとそっちやれよ」

 

 居たたまれなさからそう言って、アレスは三人から目を逸らした。

 チトセはそんなアレスを気にする素振りを見せたが、シャチに引っ張られるようにして舳先の方へと移動した。

 

「誰が一番大きいの釣れるか勝負な!」

「おー。勝ったらどうなるんだ?」

「一番下の奴になんでも好きな命令一つできる!」

「ベタだな。だがまァ、その勝負乗った!」

 

 そんなやりとりを交わす二人の横で、リーゼは黙々と釣りの準備をしている。

 アレスは欄干を磨きながらその後ろ姿をひっそりと見つめた。それだけで、彼の鼓動は勝手に速くなっていく。

 実はまだほとんど言葉を交わしてすらいない。チトセに言わせると「人見知りだから」ということらしいが、アレスからすれば半分くらいはチトセのせいだった。話しかけようと思っても、リーゼの隣には大体彼がいるのだ。

 そんなだから、アレスにとってリーゼは相変わらず謎の多い少女だった。それでも、不思議と惹かれる。無口で無表情な彼女の心の内側に踏み込んでみたいと思ってしまう。

 だからこそ、チトセが気に食わなかった。おそらく、彼女が一番心を許している男。

 

(なんであいつなんだ?)

 

 アレスにはチトセがリーゼの気を引くほどの人間には見えなかった。どこにでもいそうな男だ。むしろ、少し頼りなさそうな印象さえ受ける。

 いつの間にかアレスはチトセの方を睨むように見ていた。すると、突然背後からぽんと肩を叩かれる。

 びくりとして振り返ると、そこにいたのはペンギンという船員だった。

 

「驚かせちまったか? 悪いな」

「べ、別に」

 

 つい強がった返事を返すと、ペンギンが小さく笑う。

 

「欄干磨きは終わりそうか?」

「もうちょい」

「そうか。それが終わったら休憩していいからな」

 

 どうやらそのことを伝えに来てくれたらしい。

 アレスは「わかった」と返事をして、残りの作業を終わらせようと再び欄干に向かった。しかし、ふと思いついて立ち去ろうとしていたペンギンを呼び止めた。

 

「あのさ、チトセってどんな奴?」

「チトセ?」

 

 ペンギンは不思議そうに聞き返してきたが、すぐに「うーん」と考え込んだ。

 

「そうだな、いろいろあるが……おれがよく思うのは真面目ってことだな。些細なことにも手を抜かないっつーか、責任感が強いんだろうな。それで、たまに不器用な奴、かな」

「ふーん……」

「どうしてそんなこと聞くんだ?」

 

 当然の疑問を、アレスは「ちょっと気になって」と適当にごまかした。

 

 その後欄干磨きを終え、自由の身となったアレスはふらふらと船内を歩き回った。そして、適当な船員を捕まえては、チトセのことを尋ねてみた。リーゼのことも聞いてみようかと思ったのだが、それは少し気恥ずかしくてできなかった。

 そうして集めた証言をまとめると、大体こんな感じだった。

 「いい奴」、「お人好し」、「ヘタレ」、「気遣い屋」、「心配性」。あとは、真面目だとか責任感が強いだとかの言葉も何度か出てきた。中でも特に多かったのが「いい奴」という回答だった。

 なるほど、船員からの評価は概ね良いようだ。だが、アレスは納得がいかないままだった。

 

(なんだよ、あんな奴。“いい奴”かもしれないけど、男らしいとか頼りになるとかじゃないし。実際、「ヘタレ」って言われてたし)

 

 ならば、もし仮にチトセが男らしくて頼りになるような人物だったら納得したかといえば、それも違うのだろう。結局のところ、アレスはチトセの存在自体が気に食わないのだ。

 とはいえ、男らしさがアレスにとって重要な要素に思えていることは確かで、だからこそ彼は余計に納得のいかない気持ちになるのだった。

 

「よっしゃあ! 勝ちはいただいたぜ!」

「げっ、俺びりじゃん」

 

 しばらくしてもう一度甲板に出ると、ちょうど彼らの勝負とやらが終わろうとしているところだった。

 シャチが自分の釣った魚をチトセに自慢げに見せつけている。その光景をアレスがなんとはなしにいい気味だと思いながら見ていると、不意にリーゼが自らの釣り糸を海から引き上げた。

 

「なっなんだリーゼ? なにかするつもりかっ?!」

 

 何故かやたらびくびくしながら、シャチがリーゼに問う。が、彼女はそれを無視すると、突然空に向かって釣り竿をぶんっと振り抜いた。勢いを付けたルアーが上空へと消えていく。

 ――え?

 なにを、と思いアレスは空を見上げると同時に、リーゼは今度は体全体を使って釣り竿を思い切り引く。すると、数秒遅れて船の甲板に落ちてきたのは、なんと全長2メートルはありそうな鳥だった。ズドンという大きな音と共に甲板に叩きつけられたその鳥は、ぐったりとして動かない。

 

「うお、すげ」

「ハァっ!? ちょ、おま、これは反則だろ!!」

「一番大きい“魚”とは言ってない」

 

 とんでもない屁理屈だ。だが、確かに彼女の言う通りだった。

 シャチは言い返す言葉が見つからなかったのか、彼女の捕まえた鳥を前にさきほどのチトセのようにがくりと肩を落とした。

 

(い、意外とパワフルなんだな……)

 

 リーゼの行動に若干戸惑いを隠せないアレスだったが、すぐに思考は別の方向へと向いた。あんなに強いなら尚更チトセは不釣り合いなんじゃないか、と。

 しかし、それでも――

 

「すごいな、リーゼ」

 

 たったそれだけのチトセの言葉に、彼女は嬉しそうな反応を見せるのだ。

 

 

 

 

 その日の夕飯のメインにはリーゼが捕まえた鳥が使われた。大きな食卓を囲みながら、海賊たちは賑やかに食事を進める。

 シャチは彼女が鳥を捕まえたときの話を悔しそうに語って聞かせた。「あんなの反則だよなー」と唇を尖らせると、ペンギンが「一本取られたな」と笑う。

 結局リーゼの勝ちで終わった彼らの勝負だが、リーゼがチトセになにを命令したのかアレスは知らなかった。なんとなく知りたくなかった。

 彼らを気にしすぎている自分に少し辟易として、アレスは努めて彼らを思考の外へと追いやった。そして、ちょくちょく話しかけてくる船員たちと適当に言葉を交わして気を紛らせながら、食事を胃へと掻き込むのだった。

 

 食事後は皿洗いをするよう言い渡された。厨房でコックの船員とちらほら話ながらの皿洗いを終えて食堂へ戻ると、人気のないその空間に一人の人物がいた。

 

「よお」

 

 アレスにそう挨拶をしてきたのは、この船の船長、つまり海賊団の船長であるトラファルガー・ローだった。

 細身でそれほど屈強そうにも見えない男だが、纏う空気はそこはかとなく危なげだ。一目見て、関わらない方がいいとアレスは判断した。

 なので、このときも彼は「どうも」と最低限の挨拶だけを返してその場を去ろうとしたのだが、ローの次の言葉にぴたりと足を止めた。

 

「――チトセのことをいろいろと聞いて回ってたらしいな」

 

 一瞬血の気が引いた。自分の船員についてこそこそと探られて気を悪くしたのかもしれないと思ったのだ。

 しかし、ローは気を悪くするどころか何故か楽しげな様子で、にやりと口元に笑みを浮かべた。

 

「おれには聞かねェのか?」

 

 完全に面白がられている。

 そんなローの様子にむっとしたアレスは、ここで聞かないのは逃げることと同じだと彼に向き直った。

 

「……あんたは、あいつのことどう思ってるんだよ」

「バカが付くほどのお人好し」

 

 すぐさま返ってきた返答にアレスはぽかんとなる。

 

「な……なんだよ、それ。褒めてんのか?」

「どうだろうな」

 

 掴み所のない返事にアレスは困惑する。ローはその様子を面白そうに眺めながら、また口を開いた。

 

「お前にはあいつはどう見える?」

「……普通の奴」

 

 アレスがぼそりと答えると、返ってきたのはくつくつと喉の奥で低く笑う声だった。

 

「な、なにが面白いんだよ」

「いや、ただその通りだと思っただけだ」

「その通りって……」

「普通にいい奴で、普通に真面目で、普通に小心者。まァ、そんなところだろ。なにも間違っちゃいねェよ」

 

 間違っていないというわりに、ローの口調はなにかを含んでいるように意味深だ。そして、彼の言葉は「だが」と続いた。

 

「お前はバカがついたお人好しってもんを知らねェ」

「……?」

 

 どういう意味かとアレスが聞き返そうとしたそのとき、不意にガチャリと食堂のドアが開いた。

 

「あ、船長発見! ……と、アレス?」

 

 そう言いながら入ってきたのは、話題の人物であるチトセだった。

 チトセの登場にアレスは思わず顔をしかめたが、チトセはそれに気付いた様子もなく「珍しい組み合わせですね」と呑気な感想を零す。

 ローが「たまたま居合わせただけだ」と答えると、チトセはローに疑わしげな視線を向けた。

 

「船長、アレスのこといじめてませんよね?」

「こんなガキいじめて楽しむほどおれも暇じゃない」

「どうだかなァ。アレス、変なちょっかいかけられなかったか?」

 

 そう言って、チトセがアレスを振り返る。

 チトセにとっては何気ない言葉だったはずだ。もしかしたら本当に心配してそう聞いてくれていたのかもしれない。だが、その言葉はさっきのローの不可解な発言と合わせて、アレスが溜め込んでいた不満を最大限に刺激した。

 つまり、アレスはキレた。

 

「オレは……お前が嫌いだ!!」

「え」

 

 突然の告白にチトセはきょとんとした顔をした。だが、意味を理解するとその表情は気まずそうなものへと変わる。だが、

 

「……みたいだな」

 

 そう言って、チトセは困ったような顔でへらっと笑った。

 嫌いだと言われてそんな風に笑うチトセの神経が、アレスには理解できなかった。

 

「っバカにしてんのか!!」

「え、いや、そんなつもりじゃ」

 

 チトセは心外そうに弁明しようとしたが、その態度ですらアレスを苛つかせる。

 

「へらへらしやがって……むかつくんだよ! 少しはなにか言い返したらどうなんだよ?!」

 

 そう怒鳴りつけたのに、チトセが次に言ったのは「ごめん」という謝罪の言葉だった。

 一体なにに対する謝罪だというのだろう? 「へらへらしてごめん」? 本当に、馬鹿にしているとしか思えない。それとも、これが「バカがつくほどのお人好し」という奴なんだろうか。だとしても、こんなのはもうお人好しでもなんでもない、ただの腰抜けだ。

 

「……この、腰抜け野郎っ!!」

 

 こんな奴になにを言っても意味はないと罵倒を浴びせ、アレスはチトセを押しのけて食堂を出て行った。

 

 しばらく通路を突き進んでいくと、前方からリーゼが歩いてきた。驚いて思わず足を止めたアレスだったが、リーゼは彼を気に留める様子もなく通り過ぎようとする。アレスはその彼女の腕をとっさに掴んで引き留めた。すると、リーゼは無表情に彼を振り返る。

 

「あ、わ、悪い」

 

 掴んだ手をぱっと放すと、彼女は「なにか用か」と目で聞いてくる。

 もちろん、これといった用などなかった。ただ、目が覚めたとき以来初めて二人きりになれたこの機会を逃したくなかったのだ。

 話したいこと、聞きたいことはたくさんあった。こんな風に二人で話す機会が来たらどんな風に切り出そうかということも考えてあった。だが、アレスの口からとっさに出てきたのは考えていたどれとも違う言葉だった。

 

「す、すごかったな、あの鳥捕まえたとき! まさかあんなの捕まえるなんて、驚いたけど、そんなところもいいと思う、っていうか……」

 

 しかし必死に紡ぎ出した言葉は、だんだんと尻すぼみになっていき最後には途絶えた。

 リーゼは若干怪訝そうにアレスを見たが、それ以外の反応はない。同じように賞賛しても、チトセに見せたような反応は当然得られない。

 わかっていたことだったが、その当たり前のことが今のアレスには理不尽に感じられてならなかった。

 

「……んで、あいつなんだよ」

「?」

「チトセのどこがいいんだよ!! あんな奴……かっこ悪いだけじゃんか!!」

 

 アレスはとうとう苛立ちに任せてそう吐き出してしまった。そして、すぐに我に返る。

 

(まずい! やっちまった!)

 

 チトセを慕っているリーゼにチトセの悪口を言ったところで、自分の印象が悪くなるだけだ。

 アレスはリーゼの反応を怖々と窺ったが、目に入ってきたのは心底不思議そうな顔をした彼女だった。

 彼女はぱちぱちと目をしばたたかせた後、ほんの少し首を傾げる。そして一言。

 

「チトセはかっこ悪くない」

「っ……だ、だったらあいつがかっこいいとでも言うのかよ!?」

「うん」

 

 思わず聞き返した言葉に、リーゼはあっさりと頷いた。

 

(かっこいい? あいつが?)

 

 冗談としか思えなかった。悪口に言い返す度胸もないあんな奴、と先ほどのことを思い浮かべる。 しかし、リーゼは至って本気のようだった。

 あいつのどこが、と聞きそうになるが、アレスはその言葉を飲み込んだ。リーゼの口からは絶対に聞きたくない。

 そうなると、せっかくの二人きりだというのに、もう交わすべき言葉が見つからなかった。

 「変なこと言ってごめん。おやすみ」と早口に告げると、アレスは逃げるようにそこから立ち去った。

 そして、もうなにも考えまいとその日は早々にベッドに潜った。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。