「来たぞ先生、当番とやらだ」
連邦捜査部シャーレ、その当番制度
膨大な仕事量に忙殺されている先生の為に、学園を問わず一人の生徒が補助に向かう。もっとも、シャーレは基本的に何の用が無くても出入りできる場所ではあるのだが
当番以外でシャーレを訪れる者はごく僅かだ。いるにはいるが、数える程度。基本的にアビドスに居るか、仕事で出張に出ている医者も大多数の生徒と同じ、当番制が無ければシャーレに足を踏み入れる事は無かっただろう
「……先生」
「あ、あはは……ごめんね…?忙しくてさ………」
先生の机に、文字通り積み上げられた書類の山。明らかに一人で捌ける量ではない
だからこその当番制度ではあるのだが、生徒を夜遅くまで働かせるわけにもいかず、かといって日中に二人だけで捌き切れる量でも無く、結局朝から晩まで先生が書類とにらめっこ、なんてことは珍しくもない
「見た目は誤魔化せても、症状は誤魔化せないぞ。軽い過労だ、愚か者め」
「う……でもこんなに多いと…」
「ならもっと多くの生徒を呼んで手伝わせろ。シャーレにはそれができるだけの権限がある筈だ」
「あ……そうだ、その手があった」
実際、医者の言う通りではある。メイクで隠してはいるが、先生の目には既に隈が浮かんでいた。その状態で、この書類の山
「過労だなんてつまらない症状を僕に見せるな。忠告はした、その上でまだそれを続けるなら、僕は君を診ない」
「そういう医者は元気だよね。医者って結構忙しいイメージがあるんだけど」
「その通りだ、実に忙しい。君ほどではないがな………医者の不養生という言葉があるだろう。体調不良になる医者ほど信用できないものはない。常に健康であり、患者に異常があればそれを見逃さずに処置する。それが医者だ」
「おー……プロだ」
「栄養を摂り、適度な運動を行い、適切な時間に充分な睡眠を取る。この三つさえ徹底できていれば、ほとんどの人間は体調不良とは無縁の生活を送れる」
他の生徒とはまるっきり違うな、なんて思いながら、先生は医者に感心する。その名の通り、彼は根っからのお医者様なのだ
「そういえば、医師免許とか持ってるの?」
「僕がヤブ医者に見えるのか?」
「持ってるんだ。まだ学生なのに凄いね」
「もう三年になるな。もっとも、年収は三億も無かったが」
話せば話すほど、知りたい事が溢れて止まらない。なんだかもっと話していたい────先生はその気持ちに従い、医者へ質問を投げかけ続ける
「たまに出かけるって聞いたけど、仕事?」
「患者がいるなら僕の出番だ。治してくれと頼まれれば僕が出向いて治す。無論報酬は貰うがな」
「この前はどこに?」
「百鬼夜行だ、中々面白い症状だったから印象に残っている。腕が黒く染まって動かなくなる……怪談、と言っていたか?」
「………怪談?」
凡そ医者の、それも症状の説明からは出てこないような単語に首を捻る先生。その様子に気づいた医者は、「あぁ」と短く呟いてから説明を続けた
「僕は普通の医者とは少し違うんだ。具体的に、担当する治療が他より一つ多い」
「その一つ……っていうのが?」
「キヴォトスには病気も怪我もある……その上で、明確に存在するものがある───オカルトだ」
「え?」
「今回の怪談も同じだが、そういう人智を超えたよくわからないモノがキヴォトスにはあるんだ。身近なもので言えばアビドス砂漠だな。あそこには化け物が眠ってる」
キヴォトス怖いな、改めて先生はそう思った
「それで、その腕は治ったの?」
「治したさ。楽な仕事だった……ええと、そうだ、御稜ナグサだ。カルテを見るか?」
「いや、それは別にいいんだけど……患者の名前、覚えてないの?」
「覚えなくていいからな。基本的に、僕と患者の関係は一度会えば終わる。それで治してしまうからな。今は……経過観察の患者が一人いるが、それだけだ」
「経過観察の患者って?」
「明星ヒマリ……ミレニアムの三年生だ。病弱でな、三年前から僕が診ている。体質的に、何をやっても健康とは無縁の生活を送らなければならない奴はいる……恥ずかしい話だが、こればっかりはどうにもならん」
目を閉じ、ため息と共に言葉を溢した医者を見て、先生は思案する
医者という職業は、その性質上どうしても人の死に関わる事がある。それは避けられない事実だし、仕方ないと割りきる事もできるが……目の前の齢十七の少年は、それをどう捉えているのか
「……ねぇ、その、答えたくなかったらいいんだけど」
「どうした?」
「助けられなかった人って……いたりするの?」
医者は一瞬動きを止め────
「いないぞ」
「そうだよね、やっぱり………え?」
「なんだ、おかしな奴だな。いるわけがないだろう」
さらりと、事もなげに医者はそう言った
「そもそも、医者の前で人が死ぬなんておかしな話だ。人を治し、生かすのが医者。そりゃあ生き物は皆老いて死んでいくが、君が言っているのはそういう事ではないのだろう?」
「それは……勿論、そうだよ」
「患者は全員生かして帰す───
全てが腑に落ちたような感覚を、先生は覚えた
人の命を預かる医者という仕事に、誰よりも誇りを持って真摯に向き合っている。患者の模範になると同時に、いついかなる状況でも自身の全力を発揮して治療に当たる為に常に自分の健康を保ち続け、常に向上心を絶やさない
一度のミスも許されない。それが医者という職業だと誰よりも理解した上で、さも当然のようにミスなど無かったと言ってのけた
技術、経験、実績に裏打ちされた自信と余裕───感じていた他の生徒との差異の正体は、これだ
「ミスをしない人間はいない。だがな──
「……凄い自信だね?」
「当然だ。僕が今まで治せなかった患者はいないし、僕の腕を超える医者も存在しない。僕より上がいるとすればそれは……そうだな、それこそ神とでもいうのだろう。傲慢だと思うのなら、患者を連れて来い。完璧に治してやる」
感心を飛び越え、尊敬の念を目の前の生徒に抱いた先生は、思わず口からその言葉を漏らした
「……すごいね」
「光栄だな……さて」
いつのまにか取り出していた書類を纏め、医者は言った
「もういい時間だが、仕事は終わったか?」
「……………あ」
やばい、先生の脳裏に浮かんだのはこの三文字だった
医者との会話にかまけて、完全に仕事を失念していた───!
「僕は会話中に終わらせたが………」
「えっと……手伝ってもらうことは…?」
「嫌だ」
「お願いします神様仏様お医者様………!」
恥も外聞も捨てて全力で頼み込んだ先生。その姿を見て、医者は「はぁ……」とため息を一つ
「……仕方ないな」
「……え?」
「もう夜だ、新しい生徒の手伝いは望めない。僕が君を見捨てて帰るのは簡単だが、それで過労にでもなられたら結局僕の仕事が増える。………それに、当番だしな」
「本当に……!?神様仏様お医者様……!」
「並べるな、僕はただの医者だ。……緊急性の高いものだけに絞れ。それだけを終わらせてさっさと寝ろ」
「うん!ありがと!」
やけに気合いの入った返事に、医者は苦笑しながら書類の山へ手をつけ始め───
「そういえば」
「まだ何かあるのか」
「いや、救急医学部と救護騎士団ってあるでしょ?やっぱり関わりがあったり───」
「嫌いだ」
え、と反射的に声を漏らした先生をよそに、医者は言葉を繋いだ
「能力も認める。志も同じだ───だが、どちらもトップが好かん。個人的な主義主張の話だ」
「まだ生きている患者を死体呼ばわりするな、怪我人を投げるな丁重に扱え。医療従事者が人を盾で殴るな、何が"ミネが壊して騎士団が治す"だ、壊すな治療に専念しろ」
「氷室も蒼森も、能力自体は高いのにそれ以外が残念だ」
「……ああ、でもそうだな。鷲見と……もう救急医学部ではないそうだが、火宮、あの二人はいい。経験が無い分荒削りだが、伸び代がある。素晴らしい」
「個人的には氷室と蒼森に影響されないか気が気でならん。二人さえ良ければ僕の下で医学を学ばせてやりたいのだが……振られてしまってな。現実はいつもうまく行かない事ばかり……おい、手が止まっているぞ」
「あ、いや……すごい喋るなと思って…」
「馬鹿を言え。僕は元々よく喋る」
意外な一面を見たな、なんて少し嬉しい気分にもなり───書類の山という現実に引き戻される
結局、驚くほどの処理速度を発揮した医者によって緊急性の高い書類はものの数十分で片付けられ、先生は久しぶりにまともな睡眠時間を確保する事ができたのであった
お医者さんプロフィールその1
ホシノとは同級生。過去にアビドスでつまらない症状を治している
「僕がどうやって人を治しているか…?ふむ、仕事風景の話だな。企業秘密だが……才能とだけ言っておこう」