「先輩」
とある休日、医者の家
医者は、珍しい事にシロコ*テラーの前に正座させられていた
「これは?」
「コーヒーメーカーだな。洗練されたデザイン、多機能、味も上等……らしい。いやぁ、いい買い物を────」
「先輩」
「はい」
二人の間に置かれた、小さな段ボール。全ての原因はこれであった
「いくらしたの?」
「五万円程だな」
「…………その、何で買ったの?」
何も、シロコ*テラーも医者の全ての買い物に口出しする訳ではない。仕事に関わる物、個人的な趣味嗜好、自分で稼いだ金なのだから、どう使おうとも構わない、がシロコ*テラーの意見であった
だからこそ、シロコ*テラーはわからなかった
「先輩、コーヒー飲まないよね」
「飲まないな」
「……私も、飲まないよね」
「飲まないな」
現在同居中のシロコ*テラーも、家主である医者も、コーヒーは飲まない。たびたびここを訪れる対策委員会の人間の中にも、コーヒーを好んで飲む人間はいない
全くもって完全に無意味な買い物であったからこそ、シロコ*テラーは理解できなかったのだ
「…………何で買ったの?」
「何でだろうな」
シロコ*テラーは医者がわからなくなった
理知的、論理的、ここまで踏み込まなかったが故に構築された医者のイメージが、音を立てて崩れていくのを、シロコ*テラーは感じていた
「………プレゼント、とか?」
「違うな。正真正銘僕が欲しくて買った」
シロコ*テラーの知る限り、医者はそこまで飲食に執着を見せる人間ではない。無論、人並みに楽しみはするが、水もジュースも同一に見ているようなタイプだという事を知っていた
「……飲むの?」
「よっぽどの事態で無ければ飲まないな」
挑戦に踏み出した訳ではない事も分かった。ますますわからなくなる
「………えっと、その、な」
バツの悪い顔で、医者は切り出した
「昔からこうなんだ。直感的に欲しいと思ったら、使う使わない関係なく買ってしまう。浪費癖……とでも言うのだろうか」
"───あぁかわいいなコレ"
シロコ*テラーの中に一つの感情が芽生える
「その……毎月の返済分を加味しても金が余ってしまって。返済に使おうとしてもホシノに止められて。一度投資もしてみたんだが……その、かなりの額吹っ飛んで」
恥ずかしそうに体を縮こまらせ、言い訳をする医者の姿は、シロコ*テラーに強烈な印象を残した
「貯めておくのも性に合わなくて……だから、その…こういう、買って使わなかった物が、まだ結構あるんだ」
「…………」
「捨ててしまうのも忍びなくてな……」
「そう、なんだ」
"────かわいい"
やはり、その感情だった。医者がかわいいのだ
医療技術はキヴォトス最高、家事も完璧、生活リズムまで健康を保てるよう徹底的に自己管理している。欠点の無い男、それがシロコ*テラーにとっての医者のイメージだった
本能で理解してしまった。そのイメージは間違いで、医療技術と私生活以外はからっきしポンコツなのだ
「…………その、ごめんなさい」
後にも先にも、ここまで庇護欲が掻き立てられる事はないだろう。シロコ*テラーはそう思った
同居中の後輩の前で悪癖を晒し、それが昔から何度も行われている失態である事を自らの口で語り、大抵は"すまない"の医者からでてきた"ごめんなさい"
小動物のようにも見えた。自分と同じように獣耳がついていたなら、きっと力なく折り畳まれているだろう
「……先輩」
「な、何だ?」
「今までに買った物、全部見せてよ」
医者の表情が引き攣った
庇護欲と同時に掻き立てられた加虐心。もっともっと、こんな先輩を見ていたい───
「や……やらなきゃダメか?その…僕も少し、恥ずかしくて………」
「ん、使える物もあるかもしれないし」
シロコ*テラーにとってはかわいい先輩鑑賞タイム。医者にとっては過去の失敗晒し上げタイム
どんどん出てくる要らない物を紹介していく度、シロコ*テラーの顔がほころぶ。ただ、その後ろで医者の顔は羞恥に染まっていく
「……うぅぅ」
「これは?」
「……………それは、な」
──────────────────
「ただいま」
「あ、帰ってきた」
「お帰りなさい、先輩」
仕事から戻った医者が対策委員会部室で目にしたのは、きっとどこかで爆睡しているであろうホシノを除いた対策委員会五名だった
「……何か話していたのか?」
五人で借金の返済方法以外の何かを話し合っていたことを、医者は雰囲気から察した
「ん、これ」
シロコのスマホの画面に映っていたのは、とある映画のポスター。黒と赤で殆どが構成されていたそれは、所謂ホラー映画のもので
それを認識した瞬間、医者の視線が僅かに逸れた
「最近暑いし、皆でどうかと思って」
「あー……悪いな、その日は予定が入っていて」
「…………先輩、まだ日にち言ってない」
即行でボロが出た
どういう理由か、医者はこの誘いを断ろうとしている───全員はそう確信を抱いた
基本的に、医者は後輩の頼みや誘いを断らない。どんなに忙しかろうと時間を捻出して誘いに付き合うし、よっぽどの無茶振りでなければ頼みも引き受ける
だからこそ、今の医者は異常だった
「…………先輩?」
「えっと、その、何だ。最近忙しくてな、いつ時間が取れるかわからないんだ」
バレバレの嘘だった
視線は泳ぎまくっているし、言葉の端々に違和感がある。かつてないほどの不調だ
「先輩」
「どう────」
シロコは医者を呼んだ。医者の視線がシロコに向けられ───そこには、映画のポスターが映し出されたスマホがあって
医者がそれから全力で目を逸らしたのを、五人はばっちり確認した
「………その、もしかしてホラー、苦手?」
「は、ははは、そんなわけが無いだろう。幽霊だとか化け物だとか、科学的に絶対あり得ない」
「先輩」
「だから何────ひっ」
震えまくった声で説得力皆無の否定を述べる医者に対し、シロコの間近でのポスター照射。医者の腰が引ける
「……ポスターも駄目なの?」
「ははは、だから別に僕はホラーが苦手なわけでは────ひゅ」
再度のポスター照射。尻餅をつきそうになった医者の体をシロコ*テラーが支えた。それはもう慈愛に満ちた表情で
もう決定的だった。医者はホラーが苦手だ。それも筋金入り
「……先輩、見栄を張る必要はない」
腕の中で小刻みに震える医者に、シロコ*テラーは優しい声音でそう言った。それに若干の含み、具体的には"皆の前で極度のホラー苦手を告白しろ"という意図も込めて
「……そう、だよ。僕はそういう、ホラーの類が苦手、なんだ……」
医者はホラーが苦手である。単純に、科学的に説明のつかないモノが苦手なのだ
対策委員会の人間には知る由もない事だが、とある生徒との関わりの関係上、そういった科学的に証明し難いモノについて人以上に知ってしまっているのも要因の一つだった
「だから、その……見るなら僕はパスだ。泣き叫ぶ自信がある」
"この先輩、かわいいな"
五人の思考が完全に一致した瞬間だった
「セリカ、ホシノ先輩起こしてきて」
「今から行きましょうね〜☆」
「ん、私が持ってく」
「は?ちょ、待っ」
抵抗虚しく医者は連れ去られ、強制ホラー映画という名の拷問にかけられる事になったのである
医者を除いた対策委員会六名のスマホの中に、涙目になりながらシロコ*テラーにしがみつく医者の写真が保存されるのはまた別の話である
お医者さんプロフィールその5
ホラーが苦手。マジで苦手。グロいのは余裕
「ん………」
「しがみついてますね…」
「どんだけ苦手なのよ……」