握りしめたハンドガン。地面に倒れ込んだ死に体の男と、ひび割れたタブレット。全てが滅んだキヴォトスにおいて、それがシロコ*テラーの目の前にある全てだった
「だめ、やめて───」
やがて、その全てすらも色彩が飲み込んでいく。色彩の嚮導者となった者に自由意思は存在せず、ただ無名の司祭たちの意思を代弁するだけの存在と成り果てる────そこに、数発の銃声が響く
「────なぁ、おい。泣くなよ、シロコ」
「先……輩」
真っ先に死んだはずの人間。キヴォトス崩壊の第一歩となった男───医者が、そこに立っていた
片目は潰れたのか常に閉じられたまま、顔半分を頭部から今尚流れ落ちる血が濡らし、腹部も同様に赤く染まっている。何より、そのヘイローはヒビだらけだった
「……僕も、ついさっき目覚めてな。まったく、奇跡もいいところだ、まだ動けるなんて────言っておくが、妙な期待は持つなよ。あと30分が関の山だ」
30分。それが何を意味する時間なのか、わからないほど鈍感ではなかった
「ヘマをした、すまない。目覚めてすぐセトは消したが………今更、だな。この光景が、元に戻るとも思えない」
「………謝ら、ないで。先輩は何も悪くない」
「そう言ってもらえると救われる。さて、本題に入ろう。別れ話はこれで終わりだ」
「っ…………」
別れ話
医者が口にしたその単語が、シロコの心を抉る。わかっていた事だった
「僕はもう長くない。だが、こうして目覚めてお前達に出会った以上、やる事は決まっている。色彩は確実にお前達の体を蝕む、肉体の傷も同じだ。だから、僕に時間が残されている限り応急処置を施す」
「……治療じゃ、ないんだね」
「悔しいが、時間が足りない」
致命傷を負っていようとも、医者は医者だった。シロコ*テラーにとっては見慣れた手つき、医者にとっては何千何万と繰り返した慣れた手つきを以て、応急処置は施されていく
「色彩の……侵食を抑える。シロコの傷はそれほどでもないが……先生の方が深刻だ。……っ、内部までは…ごほっ、どうにもできない。外側だけでも繕う」
「っ…先輩……」
「いい、いい。気にするな」
血を吐き、激痛に耐え、それでも医者は手を止めない。シロコを、先生を、治してあげられない未熟な医者───それでも、未熟な医者なりの最期の仕事を全うしなくてはならない
最低限の言葉だけを発しながら、応急処置は着々と進んでいく
「………終わったぞ。もう少し、時間があれば……はぁ、無い物ねだりだな」
僅かなタイムリミットに追われながらも、医者はシロコと先生を処置した。そこが医者の限界だった。顔は青白く、体から流れる血が砂を赤い塊へと変えていく
「ごほっ、ごほっ………おい、いつまでここにいるつもりだ。早く行け、やるべき事は残っている。…………幸せを、探せ。砂狼シロコ」
「先輩!」
医者の体が、シロコ*テラーの腕の中へと包まれる。冷えた体温が、まだ残る血が、シロコの体を濡らす。二度と戻ることのない暖かさが、医者の身に残った最後の力だった
「……離、せ。死んでいくだけの未熟な医者に、使っている時間など……無い、だろう。看取る必要は無い」
「っ……ごめん、なさい。先輩」
「何故謝る。お前が謝る必要は……」
「先輩の最期の時間は……私のために使われていいものじゃ、なかったのに」
かつての思い出の名残を探す?せめて少しでも安らぎを得られるよう、身を労わる?或いは───医者にとっての始まりである、母親の元へ向かう?
最期の時は、それを迎える者の為に使われるべきだった筈だ。だが現実は違う。死へと向かう二人の命を僅かに伸ばして、それが医者の限界だった
「……………………なんだ、それ。ふざけるなよ、シロコ。僕は医者だ、どんなに未熟であろうとも、僕は医者だ、医者なんだよ。それが、自分が死ぬからと患者を放置などする訳がないだろう!」
「っぁ…………」
静かに、力強く医者は叫んだ
「…………結局、この体たらくか。……ごめんな、母さん。駄目だった、僕にはできなかった」
幼いあの日に交わした約束が、脳裏をよぎった。もう、医者の目は見えていない。最期の仕事を終えて、死に際───ここまでの状況になって、やっと姿を見せた個人的な執着だった
「………違う、違うよ、先輩」
そこに、シロコ*テラーが割り込んだ
「未熟なんかじゃない。ずっと、ずっと私たちを守ってくれた。私たちに幸せをくれた。たくさん、助けてくれた!」
「だから、だから───────」
「ありがとう、私たちの、最高のお医者さん」
「………冥利に、尽きる、な」
医者は笑った。最期の瞬間まで、誰かを救えてよかったと
「………先輩。せん、ぱい」
涙。医者が最期まで守ろうとした、大切な後輩の涙。最期の仕事に報酬があったとするならば、その涙以外にはあり得ない
「……あぁ、うあ……うああぁぁ……」
医者の言葉は正論だ。やるべき事は残っている。死者に構っている時間など無い。生前から、あまり感情を表に出さなかった男だ。死ぬ間際まで理屈をこねるのも道理と言える
わかっている。こんな事をしている場合でないとわかっていても、シロコ*テラーは嘆かずにはいられなかった
──────────────────
「……わた、し」
真っ暗な部屋──医者の家に用意された、シロコ*テラーの部屋の中。ベッドの上で目覚めたシロコ*テラーの瞳から、涙が一筋垂れていた
「夢………先輩の、夢」
なんて事はない。ただ、昔に経験した出来事を夢として見ただけだった。全ては過去のことだ。別のキヴォトスに訪れ、そこでまだ生きている医者の治療を受けた以上、シロコ*テラーも先生も健康体だ。ただ、夢を見ただけ。その内容が、ひどく悲しいものだっただけ
「ん………起きてしまったのか」
それでも、シロコ*テラーの心に安らぎがあったのは、自分の手を握る、暖かい誰かのおかげだった
「……せんぱ……い?」
「君が随分と魘されていたからな、悪い夢でも見たのか」
「……うん。ごめん、起こしちゃった?」
「構わんさ」
眠るシロコ*テラーの側に腰掛け、その手を握っていたのは、紛れもなく医者だった
「眠れるか?何か必要なものがあるようなら持ってくるが」
「ん、平気。先輩こそ、寝ないの?」
「君を放ってはおけないだろう」
医者の手が、シロコ*テラーの髪を撫でた。大事なものを労わるように、傷ついたものを慰めるように。その手からは、ただ多くの愛情だけが伝わってくる
その手つきに、なんだか我慢ができなくなって
「先輩」
「あ、こら……はぁ、好きにしろ」
男にしては華奢な体を抱き寄せ、ベッドの中へと引きずり込んだ。抵抗はしなかった。ただ、困ったようにため息をついて
「それで、何か話があるんじゃないのか」
「何で知ってるの」
「僕にわからないと思ったのか。昼間から、いつ切り出してくるかずっと待っていたんだぞ」
「………そっか。その、先輩が相手だと、ちょっと気後れしちゃって」
終わりを迎えて、救われて、シロコ*テラーは確かに未来へと歩みを始めている。彼女の言う話とは、未来に関する事柄であり、言いづらかったのは───相手が医者であるからだ
「その………私、医者になりたい。先輩みたいに…はきっとできないけど、誰かを救えるようになりたい」
「理由を、聞いても良いか?」
医者の道───献身の下、人を救い続ける茨の道。その道を誰より速く突き進む為に、名前と記憶を捨て去った男がいる───それが、それほどの道が、シロコ*テラーが歩み出そうとしている道だった
「……先輩みたいに、は無理だけど。私は助けられてここにいるから、私も誰かを助けたいだけ。……………あとは、その」
「その、何だ?」
「…………………………………かっこ、よかったから」
「はぁ?」
一つ目の理由はとても理解できる、医者にとっても喜ばしい理由だった。だが、二つ目の理由に関しては────非常に、非常に喜ばしいが、理解はできない理由だった
「っ〜〜!だから、先輩が!その、仕事してる時の先輩、その……かっこよかったから!私もそうなりたいなって……」
「……そう、か。なるほど、僕に憧れたわけか。ふふっ───や、違う。バカにした訳じゃないから力を緩めてくれないか、潰れる」
改めて口に出すと恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめたシロコ*テラーが医者を強く抱き寄せる。腕の中にある確かな温度に安らぎを得ながら、未来の事を語る。大切で、幸せな未来の話を
「何はともあれ、そう言う事なら話は早い。医者を志す人間がいて、偶然にもキヴォトス最高の医者がいる。ちょうど助手も欲しいと思っていたところだしな───経験に勝るものは無い。明日から早速始めるとしよう」
「!、うん……!」
過去を振り返って、選択を重ねて、そうして未来へと至る。シロコ*テラーと医者の道は交わったが、同じ道を、二人は同じ速度で歩む事はできない。医者が照らした道を、シロコ*テラーがゆっくりと、しかし確実になぞるだけ
「話、聞けてよかった。ほら、もう寝よう」
「ん、そうだね……先輩、その、今日は、このままでいい?」
「構わないよ。……おやすみ、良い夢を」
お医者さんプロフィールその6
誰も彼が銃を持つところを見たことが無い。戦えるのか、強いのか。その一切は謎である