音色が繋ぐ、過去と未来   作:ぞんぞりもす

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カズサとバンド 三

「こんにちは、先生。昨日ぶりですね!」

 

 公園にやってきたレイサは続けて「実は昨日、杏山カズサを取り逃がしてしまいまして……先生はあれ以降会いましたか」と私に尋ねた。

 

「会ったよ」

「何もされませんでしたか?」

「うん、レイサが思うようなことにはならなかったかな。その証拠に私は今日も元気だろう? 私が銃弾を浴びたらただでは済まないからね」

 

 私を横から覗いたり背後に回ったりと忙しいレイサの好きなようにさせて、頃合いを見てベンチに誘導した。動き回っているときもそうだったけれど、となりに座るとさらに強く柔軟剤の香りがした。

 降り注ぐ午後の日差しを二人で浴びる。風がそよいでレイサのツインテールが靡いた。新緑にパステルカラーの優しい色味が加わり、風景画みたいに穏やかな色調が広がっていた。

 日中の風は太陽の熱をもらっているからか、心なしあたたかい。

 

 なんと話そうかなと考えているうちにレイサが口火を切った。沈黙を恐れている様子はなかった。

 

 レイサはカズサの中学時代を説明し、彼女がいかに危険であるか私に理解を求めた。

 

 ベンチにちょこんと座っていたレイサはときおりヒートアップし、ばっと立ち上がっては私の顔にぐいんと顔を近づけて説明した。

 

 大きな笑い声を響かせながら、下校中らしい中高生が公園を横切る。様々な色をしたスニーカーが地を踏み、それぞれ異なった音を出す。

 レイサは放課後まっすぐにここに来たのだと思った。用事があったらそっちを優先してねと伝えていたから、つまり、そういうことなのだろう。

 

「カズサはもう、レイサが考えているようなことをするつもりはないと思うよ」

 

 カズサからは文化祭が終わるまで突っかかってこないよう頼んでほしいと言われていたけれど、それは根本的な解決ではないような気がして、私は一歩踏みこんだ。

 

「レイサも見ていて思わない? 中学のときみたいに、二言目には『ぶっとばすぞおらぁ』って感じじゃないなーって」

「それは……! ふふ」

 

 私の言葉は穏やかだった。声と言葉の調子があまりにも違っていたせいか、レイサは笑みをこぼす。

「しかし」私を見つめる竜胆色の瞳には刺し違える覚悟が見えた。

 

 レイサは再び、レイサの思うカズサを話した。

 バンドを結成した話は聞いていたようで、新しい徒党を組んだと解釈していた。

 

 この子の問題は人に話を聞いてもらえないことにあるんじゃないかな、と思う。

 

 脅迫的な焦燥に突き動かされて、したい話をしてしまう。

 そしてそれは往々に、人が聞きたい話ではない。

 だから鬱陶しく思った人が離れていき、それを防ごうとして、レイサはより口数を増やす。

 

 負のループだった。

 

 私はレイサの話を辛抱強く聞いた。途中で一回だけスマホを触らせてもらって、バンド練習に遅れる旨を伝えた。

 レイサは一度「私の話をこんなに長く聞いてくれたのは先生が初めてです」と照れた。

 子どもの残酷さに胸が引きちぎられた。誰が悪いというわけではない。だから不満は出てこない。努力が報われない現実に無念ばかりが募った。

 

 夕暮れが、暴力的な暖色を空に塗り広げる。パステルカラーの元気な少女は空を見る。今にも消えてしまいそうなほど儚い存在に思えた。

 

「レイサはさ」話し切って黙ったレイサに言葉を投げかける。レイサは身動ぎした。

「あー……いや、私は、なんだけど」そんなに畏まらなくてもいいよ、とそんな気持ちをこめて、あえて軽い調子で言った。

 

「私はね、会話をターン制バトルだと思っているんだよ」

「……はい?」

 

 生真面目な顔で私を見たレイサに繰り返す。

 

「ターン制バトル。人との会話が」

「は、はい。ばとる」

「ターン制のね。二人きりでの話って、今の私とレイサみたいに交互にターンがやってくるから」

「そう……ですね?」

 

 困惑からか、レイサはちんぷんかんぷんですと顔に出した。そのまま首を傾げたものだから愛らしさがあった。

 ゲーム触ったことないんだろうなぁ。

 

「だから今みたいに、私の話を聞くみたいにして、カズサの話を聞いてみたら? 自分が自分がっていかなくても、黙ってると案外、相手のほうから話してくれたりするよ」

 

 相手の話をしっかり聞いたほうがいい。たったそれだけだと思う。でも今のレイサにはそれが難しいから、人間関係で苦労している。

 それなら少しずつ教えるというか、慣れてもらえばいいと思った。

 

 人は『自分の話を聞いてくれる人』の話を聞く。

 人は自分の話をするのが大好きだから、自分の話を聞いてくれる人を信用する。

 

 レイサの言いたいことをすべて消化させたのにはこういう訳があった。

 

 レイサは俯いていた。ぴったりとくっついた膝小僧と、なめらかな太腿にちょこんと乗せられた手が、育ちのよさを伺わせた。彫刻家が一生をかけて作った作品みたいに整っていた。

 

 私は口を開く。誰に言うでもなく、ただ風に乗って綿毛が飛んでいくみたいにふわふわと。

 

「もしも人間関係を改善したいと思うのなら、自分が言いたいことを言うんじゃなくて、相手が話したいことを聞いてあげたほうがいいよ。それだけで格段に人から好かれるようになる」

 

 しばらく黙りこんだレイサはぽつりと言った。

 

「何回も失敗しました」

「失敗は本来、次へのステップのはずなんだけどね……繰り返すと落ちこんでしまう気持ちは分かるなぁ」

「はい。それで、上手にやんなきゃって焦るようになってしまいます」

「失敗を繰り返せば繰り返すほどにね」

 

 レイサはゆっくりと頷いた。

 

「ピアノとか勉強とか、戦闘もそうですけど。練習を繰り返すほどうまくやれるようになります。でも人と話すのだけは違っていて……私がそれに気づいたころには、口だけが滑るようになっていました」

 

 はは、と。レイサの浮かべた笑みは、自分を情けなく思っている人のものだった。

 もしかしたら、人と話すこと自体に恐怖が植え付けられているのかもしれない。

 私は本人じゃないから分からない。私にできることは適当に話すことだけだろう。

 

「今もそう?」

「今は……どうでしょう。そんな感じはしません」

「そっか。それはよかった」

 

「先生から見てどうです?」とレイサは通りを見ながら言った。

 私も同じように通りを見た。コピペしたような建物から吐き出された人々が、コピペしたような表情と、コピペしたような足取りで駅に吸い込まれていく。日が暮れたときの景色だ、と思う。夕暮れはいつだって私を押さえつける。

 

「さぁ……。普通に話すって、よく考えたら意味分からないことじゃない?」

「それはそうですけど。振ったのは先生じゃないですか」

「そうだっけ」

「そうですよ」

 

 レイサは穏やかに笑った。

 私はごく自然な手つきでジャケットの内ポケットをまさぐり、コンビニで買っておいたセブンスターに火をつけた。え、とレイサの顔がこわばる。

 一度煙を吐き出してから、私は信じられないものを見たような顔の少女に笑いかける。

 

「レイサ。君は今、正義という観点から見て、私のおこないを悪いものだと思っている」

「それは……はい」

「だろうね。ここ喫煙所じゃないし、レイサにも受動喫煙の被害が及ぶ」

 

「先生」咎めるように言って、レイサが少し身を引いた。

 私は笑って流した。吐き出した煙が風でたなびいて、やがて上っていく。とんとん、と慣れた手つきで灰を落とす。土にはらりと落ちて、風によってころころと転がって、緑色の中にすっと消えた。

 

「正義にはいろんな軸がある。レイサの軸からすれば、私のおこないは許すべからざる悪なのかもしれない」

 

 でもね、と吸って吐き出す。久しぶりのタバコは懐かしい味がした。数年ぶりに実家に帰ったときのように、なんだかよく分からないけれど、漠然とそうそうこれこれと思ってしまう。背骨なのかもしれない。生きていると贅肉だらけになってしまうから、背骨に立ち返ると安心する。私が私であることを実感できる。

 

 タバコが。そしてそれに付随する記憶が。きっと私を形作っている。

 ここ数日、懐かしいものに再会してばかりだ。

 

 ジャケットににおいがついてしまうなぁ、と鮮烈な橙を見ながら思う。

 となりを一瞥するとレイサが身じろぎした。レイサはずっと黙っていた。早速実践している。まったく真面目なことだ。

 

「実はね、私は今吸わないと、死んでしまいそうだったんだ。渇望で狂ってね。そう、吸わなければ死んでしまう状況で吸った。だとしても、レイサの中で悪と断じることはできるかい?」

「言いがかりじゃ」

「言いがかりだよ。でも世の中の正義っていうのはこれくらい適当なものなんだよ」

 

 私の言葉は夜の響きを帯びていた。まもなくそれがやってくる。急激に時間が進行したように、東の空が深く塗られていった。

 

「潔癖でいたい気持ちも分かる。でもね、潔癖でいようと自分の振る舞いを強制しすぎれば、いずれ身動きが取れなくなって窒息してしまうんだ。少しは息抜きをしたほうがいい。毒薬変じて薬となる。逆もしかりさ」

 

 立ち上がり、短くなったセブンスターを地面に捨て、革靴で踏んづけて消した。いきなり毒物が回ったからか体が重いが、それでも心地よさのほうがまさっていた。

 

 レイサは険しい顔をしていた。自分の中にある確固たる価値観に異物が混ざったことを受け止められないような顔だった。

 

「無理にレイサの立ち居振る舞いを変えたいわけじゃないんだよ。人の数だけ正義があるってことを知ってほしいんだ。中学時代のカズサにとっては勝負こそが、勝利こそが正義だった。でも、人との関わりとかによって考え方が変わって、今のカズサは、のんびりとスイーツを食べることが正義だと思うようになった。私はこう思っているよ。明日カズサに確認してごらん。聞く姿勢を見せれば、カズサはきっと応じてくれるよ」

 

 レイサは難しい顔のまま「一晩じっくり考えてみます」と言った。

「うん、よろしい」私はそう言って小さな頭をひと撫でして公園をあとにした。帰り際に視線を向けたとき、レイサはじっと吸い殻を見つめていた。

 

 

 バンド練習はおおむね順調なようだった。

 アイリは教本を読んで理解するのが苦ではないようだったし、ナツは教本を読むことと叩くことを交互に繰り返して試行錯誤していた。問題は教本を噛みちぎってしまいそうなほど憎々しげな顔をした二人だったが、そこに私がカバーに入ることで事なきを得た。

 

「あれ先生、ギター持ってきてないの?」とカズサは開口一番に言ったけれど、私のごまかし笑いを見て何かを察したのか、それ以上は聞いてこなかった。レンタルのギターでも教えられるから、問題はなかった。

 私を見るカズサの目からは複雑な感情を読み取ることができた。それを一つひとつ(ほど)くことを、私はしなかった。

 

 

 やがて撤収時間が迫り、私は「忘れ物がないか確認するよ」と言って空っぽのスタジオに戻っていた。なんの残骸もないスタジオは、引っ越しのために空にしたアパートみたいで、私の心の穴を埋めてくれるのは新天地への期待や不安ではなく、虚無だった。

 

「文化祭、入賞できると思う?」

 

 不意に後ろから声がした。

「たぶんいけるよ」と苦笑しながら体ごと振り返る。ベースケースを背負うカズサは、小さな体に不釣り合いな重荷を背負っているように見えた。

 

「対バンの――あー、ええと。他に参加する人たちのレベルは分からないけど、このまま練習を続ければかなりいい線いくと思う」

 

 カズサたちの筋はよく、文化祭のパフォーマンスという予想をはるかに超えるだろうと思う。けれど断言はできない。学園祭には得てして魔物(トラブル)が潜んでいる。

「そっか」と気の抜けた返事をしたカズサがとなりに並んだ。私はカズサの視線に誘導され、再びスタジオを見る。

 

 一つ教えれば五を質問し、十を覚える。頭でイメージした動きに、体が一発でついていく。四人からはそんな印象を受けた。

 彼女たちの才能にコンプレックスを抱くことはなかった。

 

 ただ、楽しそうに演奏する姿が網膜に焼き付いて、夢に出てしまうと思った。

 ……友だち、か。

 

「先生、なんかちょっと変だよ」

「そうかな?」

 

 心を守るために、言葉が滑り落ちる。防音がしっかりとした部屋には残響が少ない。その分だけ言葉に重みも心もこもりづらい。いつもより淡白なカズサの声からは、けれど心配が感じられた。

 

「話せない?」

「カズサ。忘れてほしいんだよ。昨日のことは」

 

 私は、ほほえみながら拒絶した。猫耳がぺたんと落ちて「ごめん、そうだったね」と俯くカズサを見て胸が痛くなる。何度経験してもこの痛みには慣れない。痛いことを知識として身につけていても、強度は変わらない。

 それでも拒んでしまうのは、私にとって、聖域がそれだけ大切なものだからだろう。心臓に刺さった杭を抜くことはできないし、動かすだけで痛むから、できるだけ衝撃がないように生活しようとする。

 

「誰しも忘れたい過去の一つや二つ、あるだろう?」

「じゃあどうしてそんなに――」

 

 言葉を荒げかけたカズサが黙り込む。そして「ごめん。今のも触れちゃうね」と言った。山の頂上から谷底に突き落とされたような落差があった。

 カズサの目に光が反射した。悲しみに限らず、こらえきれない感情が形となって発露することを、涙と言うのだと思った。

 

「化粧が崩れてしまうよ」

「直すからいい」

「感受性が豊かなことは、様々な表現が可能になるということ。怒りも悲しみも、いつかすべてベースで表現できるようになると思う」

「教科書みたいな言葉、嫌い」

 

 私は声を上げて笑った。「でも実感がこもってる」とカズサはぼそっと追撃した。ぐすっと音が聞こえた。

 これを繰り返せば、やがて離れていくだろう。これまでの人と同様に。そして私はこれからも、付かず離れずの距離を維持することに徹するだろう。それでいいと思った。それがいいとは、思えなかった。

 

 退出時間がぎりぎりまで迫り、私たちは追加料金に追い立てられるようにしてスタジオを出た。

 出口付近できょろきょろする私を見て、カズサは「他の三人ならもう帰ったよ」と言った。

 

「あと、もう遅いからシャーレまで送らせて。それはいいでしょ?」

 

 私も頑固だけれど、カズサも頑固だと思った。

 建物から吐き出された私たちは、周囲の人に溶けこめない重い足取りで進んだ。闇に溶け込むという点でそれは一級だったけれど、都会はあまりにも物理的な闇が少ない。心の闇ならたくさんあるのにと思って、自分の性根に苦笑した。

 

「そっち、シャーレのほうじゃないよ」

「足が向いたんだよ。夜の散歩はいいだろう?」

「じゃあ私も、足が向いた。一緒に帰ろ、せんせ」

 

 途中で一度だけ言葉をかわしたことを除き、私たちは無言で歩いた。自然と遠回りしていた。

 なんの話もせずひたすらに歩くというのは、現代人の感覚からすれば苦痛でしかないと思ったけれど、カズサはときおりほほえみを浮かべていた。忙しなく変わる表情を見て、疲れないのかな、と思った。同じような表情を浮かべていれば疲れることは格段に減るのに。

 

 目が合った瞬間に優しさを描く目と口の端がむず痒かった。歩くのが速くなったり遅くなったりした。顔を見られるのが嫌で、できるだけ暗い場所を選んだ。

 

「そういえば」恥ずかしさを都会の闇でうやむやにして、私はぽつりと言った。

「うん」相槌を打ったカズサが横目で見上げてきた。

 

「レイサと会ったよ。今日」

「え、もう? 早くない?」

「バンド練習はもう始まってるからね。できるだけ急いだほうがいいかなと思って」

 

「そう」とカズサは目を伏せた。歩くのが心持ちゆっくりとなった。

 帰りを急いでいるらしいサラリーマンが何人か、私たちを追い越していった。たくさんの靴で踏みつけられて変色したタイルが、長年抑えつけられた心のように、褪せて変色している。

 言うかどうか迷って、口にした。これはカズサの気持ちを確かめるためだった。

 

「幸い今日は空いているみたいだったしね」

 

 レイサが所属している自警団は、きっちりとした組織ではない。正義という大きな旗のもとに集まった個人だ。これが正義実現委員会だったら休みを合わせるしかなかっただろう。

 私はここまでを説明した。

 カズサはどこか上の空で「幸い、ね」と呟いた。

 

 カズサはおそらく、レイサのことを心の底から嫌っていない。嫌えていない。でも、鬱陶しいと思っている。

 二人が分かり合う未来はきっとどこかに存在している。私は確信していた。たとえそれが願望に近いものだったとしても、私は手伝いがしたかった。

 

「レイサはどうして自警団に入ったんだろうね」

「正義バカだからでしょ」

 

 答えはすぐに返ってきた。冷たい言葉と冷たい調子だった。

 

「辛辣だ」

「先生も否定しなかったよ」

「揚げ足を取るのはよくないなぁ」

 

 見張りや見回りなどで部隊単位で動くことの多い正義実現委員会のほうが、レイサの求める人間関係は作りやすかっただろう。それなのに、なぜ自警団。

 ふと芽生えた疑問はすくすくと成長した。唸る私を見かねてか、カズサが説明してくれた。

 

「正実って基本的に学園内、学園間の揉め事に対応するみたいなんだよね。もちろん街なかで暴れてる人がいたら制圧に動くんだけど。私も中学時代に何回か追いかけられたことあるし。で、まぁティーパーティーお抱えだか、ホストお抱えだか忘れちゃったんだけど、そういう軍事組織なんだよ」

 

 軍事組織、と反芻する。外部で言う軍隊が近いのだろう。それでは自警団は、個人でパトロールする警察か。キヴォトスの市民にとってより身近なのは自警団……のような気がする。

 

 友だちと信念とを天秤にかけて、レイサは孤独でいることを選んだのだった。

 

「組織に所属すれば、レイサ個人の正義を掲げるのが難しくなるのかな」

「そんなのよくない? 口を開けば正義、正義なんてさ。子どもじゃないんだから」

「そうかもしれないね。でも、自分の正義を曲げてまでどこかに所属するのはごめんだって人もいるよ」

「子どもっぽいなぁ」

「譲っちゃいけない一線って、あるだろう?」

「……昔はあったけどさぁ」

 

 カズサの声は呆れていた。昨日も聞いた声だった。どこか優しい感じがするのは、気のせいじゃないと思う。

 カズサが私を気にかけるのも、こういう、無視され続けた心の叫びが雰囲気となって放たれたものを感じているからかもしれない。

 

「悩んだのかな、レイサは」

「何に?」

「正義実現委員会か、自警団かで」

「さぁ、どうだろう」

 

 特に悩むこともなく自警団に入ったのだろうか。一瞬で、自分の心を踏みにじる選択をしたのだろうか。

 

「大した子だね」

「正義感だけはあるんだよ、あいつ」

 

 カズサは空を見ていた。星がきらめいていた。ここは都会なのに満天の星空を見ることができる。

 

「あ、流れ星だよ、先生」カズサの人さし指の先には何もない。もう見えない。

 

 流れ星にお願いごとをするなんてふざけていると思う。あれはいずれ損なわれる命の輝きだ。去り際こそ最も輝くなんて、嫌だ。そんなものに願って叶うはずがない。叶ってほしくもない。

 

「もう見えないね」私は足を止めた。

 流れ星が、かつて誰かが流した涙なのかもしれないと思ったからだった。

 

 

 翌日、私は昨日と同じスタジオにいた。バンド練習の途中でレイサから連絡があり、早めに抜けることになった。

 建物の外までカズサが見送りに来てくれた。すでに八時だったので、周囲の建造物がぎらぎらと光を放っている。

 

「ごめんね。用事が終わったら戻ってきたかったんだけど……時間が」

「ううん。大丈夫だよ。ボーカルの練習もしたかったなぁって思ってたから、むしろちょうどいいかも」

「カズサは歌声を聞かせたくないタイプなの?」

「そりゃそうだよ。なんの間違いかボーカルになっちゃったけど」

 

 私がレイサから呼び出されたことを知らないカズサは、学校関係の急ぎの用事だと思っているようだった。私は誤解をそのままにした。今は練習に集中してほしかったからだ。

 風に背中を押されて一歩を踏み出そうとしたとき、おずおずとカズサが訊いてきた。

 

「先生のところの人は、違ったの?」

 

 そして両手をぶんぶんと振って言い訳した。

 

「いや、その! 言いたくないならいいんだけどさ! でも、先生の口ぶりからバンドによって違うのかなーって思ったり、本番で歌うためにはそういう気持ちの切り替えとかも必要なのかなー!? とかって思っただけだから! 別にそんな、先生の触れたくない部分を聞いたわけじゃないから!」

 

 カズサの言わんとしていることに気づいた私は、まず謝った。私の静かな調子が移ったらしく、カズサの熱も引いていった。

 

「私のところのは、そりゃもう暇さえあれば歌ってるようなやつだったよ。私が調子に乗って伴奏しちゃうのもよくなかったんだろうけどさ」

 

 駅のほうに目をやった。建物に遮られて見えないけれど、おそらく駅前の広場でライブしている人がいるだろう。

 

 ベース兼メインボーカル。

 ときおり一人で路上ライブをするようなやつだった。You Tube で弾き語りを載せたりもしていた。バンドのチャンネルを運営していたキーボードから編集を習ったりもしていた。音を伝えるすべての手段に熱い男だった。

 話しながら、そいつの歌う姿が蘇ってくる。

 

「歌うことっていうか、魂が震える瞬間がこの上なく好きなやつだった。力強く張った歌声がときどき感情に振り回されて震えるんだけど、その揺らぎが一番の特徴だった。何かを伝えるために歌ってたんだろうけど、それを本人が直接口にしたことはなかったな。気分の切り替えとか、そういう話もしてなかった。冗談を言ってばっかりだったかも。ごめん、こんな話して」

 

 語りすぎたと自覚して、とっさに謝っていた。普段ならしない過ちだった。

 カズサは私の謝罪に反応しなかった。たった一言だけ「先生、優しい顔してたよ」と言った。

 

 なんと答えたらいいのか分からなくて「もう行くよ」と返事とも報告ともつかない言葉が飛び出す。

 

「うん。気をつけてね。暗いし、何あるか分かんないから」

「それ、本当は私がみんなに言うべきセリフのはずなんだけどなぁ」

 

 なかなか歩き出せなかった私の背を、カズサは優しく押した。自然と一歩を踏み出すことができた。

 

 

 レイサとの待ち合わせ場所についたとき、彼女は一人でブランコに揺られていた。

 夜に浮かび上がる公園の輪郭。ブランコは隅にあった。光と闇の混ざり合う場所で、レイサは体を不規則に揺らしながら、光と闇を行ったり来たりしていた。

 遠目から漂っていた寂寞は、近づくに連れて濃さを増していった。

 

「こんばんは、レイサ」

「先生」私に気づいたレイサが顔を上げる。怒りがあって、戸惑いがあって、悲しみがあった。感情が揺らいでいる。呼応するように、光って、翳って、存在も揺らいでいる。

 

「すみません、わざわざ」

「ううん。ちょうど散歩がしたかったんだ」

 

 私はレイサのとなりに腰を下ろした。きぃと音がでる。座面は固く冷たい。錆びたチェーンを握る。ざらざらとしたものが手につく。ぱんぱんと払って、開いた太腿の間に手を置く。

 いい大人が小さなブランコに収まっているものだから、間抜けな体勢になった。

 

 レイサはブランコを止めて私を見る。

 

「話してもいいですか。途中で余裕がなくなるかもしれませんが」

「余裕がなくなるのは悪いことじゃないよ。余裕がなくならないように努力している今が大事。忍耐力はそうやってしか身につかないからね」

 

 レイサは安心したらしい。はい、としっとり頷いて、閉じられた太腿に手を重ねた。

 

 レイサは最初、登校中にカズサに話しかけようとしたのだと説明した。

 

「そのとき、一緒にいた方を思いきりなぐ……叩いていたように見受けられて。私また、話を聞けなくなるかもしれないと思って」

「その子、穏やかなピンク色の髪をサイドテールにしてて、洗濯ばさみのヘアクリップをつけてた?」

「先生はエスパーですね」

 

 ため息をぐっとこらえて「かもしれないね」と言った。ナツが余計なことを言って、カズサが突っこんだのだろう。

 

「先生が説明してくれたので、杏山カズサは改心したと思いましたし、落ち着いて話をしてみようと思いました。でも実際には、違っていました。いえ、違っていたのではなく、私としては違っているように思えました」

「今の話し方、珍しいね」

「先生を見習ってみました」

 

 レイサは照れくさそうにほほえんだ。

 

「先生は、私はこう思っているってよく言うじゃないですか」

「まだ会って三日目くらいだけど」

「実際そうなんじゃないですか?」

「さぁ、どうだろう」

「あっ今ごまかしましたね」

 

 私は今度こそため息をついた。

 ひとしきり笑ったレイサが静かに話を戻す。

 

「杏山カズサの凶行を見て、私はきっと落ち着いて話せなくなると思って、たとえば休み時間や放課後に話そうと思って機会を窺っていたんです。でも、なかなかそれが訪れなくて。もっと言えば、考えれば考えるほどに気持ちの整理がつけられなくなっていって。先生を頼ってしまいました」

「私は頼れる大人だからね」

「はい」

 

 即答され、微妙な沈黙が漂う。レイサはそれに気がついていないらしく、不思議そうな表情を私に向けた。タバコを取り出してやろうかなと思ったけれど、やめた。

 

「ともあれ、だ。やっぱり一度話しかけてみたほうがいいんじゃないかな。やめる言い訳はいくらでも思いつくけれど、その通りにしていれば改善はないと思うから。問題が起こったときは、私がカズサのほうに話を通したりすることもできるわけだしね」

「何度も先生を頼ることになるかもしれません。先生が無理に今日合わせてくれたことには薄々感づいていますよ、私」

「それで生徒が前を向けるのならお安い御用さ」

「先生は人気者ですから、いつか押し潰されてしまいますよ」

「それは困ったね」

「困るだけですか」

「想像がつかないから」

 

 会話の焦点を徐々にずらし、大味なことを言ってみる。相手からすれば、となりを歩いている相手がいきなり後方の彼方に行ったような心地がしたと思う。

 何がどんなふうに想像がつかないのか、レイサは尋ねなかった。私に話す気がないと踏んで会話を諦めたのかもしれない。

 

 しばらくの沈黙の後に「明日もう一度やってみます」と言った。

「何かあっても大丈夫だよ」と立ち上がり、小さな頭を撫でる。強烈な花の香りがした。

 レイサは私を最寄り駅まで送ってくれた。

 

 

 異変は翌日に起こった。カズサがバンドの練習に遅れたのだ。

 

 スタジオの扉が乱暴に開けられて、ヨシミが「何してたの」と言ったのに返事をせず、カズサは私を屋外に連れ出した。カズサは誰とも目を合わせなかった。強い力で私を引く手が、頼りなく思えた。

 

 私たちは建物の側面に回り、午後からはずっと日陰となっていたであろう場所に向かう。風も、空気も、壁面も、地面も、夏の夜に布団に入ったときのような、一瞬だけ居心地のいい冷たさで私たちを迎えた。

「ごめん、宇沢のこと」カズサは俯いていた。

 

「気晴らしに少し歩いてみる?」

 

 カズサの髪が左右に揺れ、不規則に桜が散った。

 

「そんなことしてる時間があるなら練習するよ。私一人のせいで時間が削られるなんてやだ。せっかくみんなで集まってるんだし。先生のことも、練習に集中するために頼ったわけだし」

 

 でも、とカズサは言い淀む。ややもすれば周囲に飛び散ってしまいそうな感情を封じるように、片手が片腕を押さえている。どこともなく横を見た。居心地が悪そうだった。

 

 レイサと揉めてしまったことに気持ちを乱されているのか、レイサから何かしらを言われて気に病んでいるのか、レイサに暴言を吐いてしまったり手が出てしまったりしたのか、ただ気持ちの整理がつかないだけなのか。

 私はゆっくりと話し、説明を求めた。カズサはそれすらも分からないと首を振った。

 

「ただ、宇沢、帰るとき、すごい落ちこんでて。それで、悪いことしたのかなって。けっこうきついこと言ったと思うし」

 

 風に靡く木の葉の音が鮮明に聞こえる。私たちの間に満ちる沈黙は深く、重かった。カズサは沈黙ですら自分への責め苦のように感じているのか、自分を抱きしめて小さく立っていた。

 まるで自分が責められることが納得いかないというように、突如としてカズサは声を荒げる。

 

「そうするしかなかったんだって! あいつ、なんかいきなり話聞くようになって、これなら普通に話せそうだなとか思ってたらいきなり『それでも一回だけ戦ってほしい』とか言ってくるの! まだ挑戦状とか持ってんの。ばかばかしいとか、いいかげん卒業したらとか、思ったし、言った。中学時代のことは忘れたいことなのに、どうして蒸し返してくるわけ? してほしくないって、私は思ってるの」

 

 私は相槌を打たなかった。カズサから射抜くように見つめられる。韓紅の瞳の奥には、いまだに中学の名残があると思った。

 

 レイサに相手の地雷を踏んでしまったときの対処ができるとは思えない。加えて、「私と一緒にいてくれる人はいない」「いつも一人ですし、話す相手もいませんが」などと頭の片隅に囁きかけられていて感情が安定するはずがない。

 カズサもまた、抱えこみすぎて疲れていたのだ。

 しくじったな、と思った。もっと間に立ったほうがよかった。

 

「ひとまず、レイサのことは私に任せて」

「あいつ、今日はもう一人で休むって言ってたから、家にいると思うし、出てこないと思うよ」

 

 不機嫌で居心地の悪そうな声。同時に、言わずにはいられなかったという感じもした。なんだかんだ言って心配なのだろうと思う。カズサは自分の過去を知っている人物として、宇沢レイサを特殊な位置に置いているのかもしれない。

 

「練習が終わってから、一度レイサの家に行ってみるよ。今は連絡だけしてみる」

「家知ってるの? あいつの」

「分からない」

「トリニティの女子寮にいる。練習終わったら門限すぎるし、入れないと思うよ」

 

 少しの間考えて言った。

 

「忍び込むかぁ」

「ばれたら大変だよ」

 

「だとしてもね」肩を竦める。傷つけたのは私だ。背を押すように見せかけて奈落に突き落としたのは、紛れもなく私なのだ。

 

「私は自分がろくでもない扱いを受けることに抵抗はないし、自分でやってしまったことの責任を取らない大人になるつもりもないよ」

 

 カズサは私の言葉に打ちのめされたかのようにしゅんとした。

 

「私に何かできることはあるかな」

「ひとまず今日はそっとしておいたほうがいいんじゃないかな。今日の夜、私のほうからカズサに連絡するよ。レイサと会うことができたら、そのときの報告も兼ねて。夜遅い時間になるかもしれないけど、それでも平気?」

 

 私は優しい声を出した。カズサは言葉は返さずに頷いた。握られた短いスカートにしわが寄っていた。

 建物の正面に回ろうとしたときにカズサが声を上げた。

 

「頼ってばっかりだな、私、先生に」

 

 ちょうど差し込んだ陽が眩しいとでも言いたげに目もとを片手で覆って、深く一度息を吐いた。

 その顔をさせてしまったのも自分だと思うと、自分へのいらだちと侮蔑がこみ上げてくる。軽率だった。行き場のない感情が、冷たい風に乗って少しずつ流されていく。背に当たり、心を巻きこみながら上方へ向かい、うなじで開放されるか耳から頬へと流される。

 目線をカズサに合わせて、そっと頭を撫でた。

 

「頼ってもいいから」

「……先生なら気づいてるかもしれないけど、私、あんまり人に頼れなくてさ」

「うん」

「本当にこれでいいのか分からなくて、不安でぐちゃぐちゃになっちゃいそう」

 

 私はどうすることが正解なのか分からなかった。大丈夫と言ったところで、気休めだ。

 

「私にしてほしいことはある? 今。できる限りするよ」

 

 抱きしめて、と言われたからその通りにした。ベースケースもマシンガンも持っていないカズサは、ただの少女だった。

 

 頼りない細さを感じながら、ふと思う。カズサが一人で抱えこんでしまうようになった理由と、暴力に頼るようになった理由を。

 全然そんなふうに見えなかったけれど、私のところに来た時点で相当限界に近かったのかもしれない。ここでも、しくじった。頼り慣れていない人が人を頼ることには、山を超えるほどのエネルギーが要るというのに。

 

 私の胸の中からくぐもった声が聞こえた。

 

「過去って、切り離せないのかな。いつまでも私の後ろをついて歩くのかな」

「壊死した部分を除去するみたいに過去を取り除けたら、あまりにも人生が綺麗になりすぎるよ」

 

 きっとそういう生き方をしている人もいる。大学進学で上京して一人暮らしを始めたりすれば、過去は故郷に置き去りにされるから。

 

「私は過去がなかったら今の自分がいなかったから、これ以上はなんとも」

「割り切れてる?」

「割り切れてたら、カズサから心配されることはなかったと思うよ」

「先生も……なんだね」

「うん」

 

 そのまま黙っていると、不意に「もう大丈夫」と、弱々しい声だったけれども聞こえた。顔を上げたカズサと至近距離で見つめ合う。

 

「そろそろ戻んないと変な誤解受けちゃいそう」

「今この状態でも十分に受けると思うよ」

 

 カズサは一瞬で顔を赤くして離れた。わたわたと言い訳するカズサにほほえみかけると「あぅ」という声ともつかない音を出した。

「戻ろう」と言っても動かないので華奢な手首をそっと引いた。胸の内を暴れまわる葛藤の重みが、そのまま足に伝わっているようだった。

 

「他のことを疎かにする訳にはいかないよ。私がなんとかする。心配しないで。あぁいや、心配はしてもいいかも。でもちゃんとなんとかしてくるよ」

 

 ふっと息を吐いて、「なにそれ」とカズサは言った。弱々しかったけれど、カズサが笑ってくれたから、私も笑みを返すことができた。

 カズサはゆっくりと一歩を踏み出した。私はそっと手を離した。

 

 

 私は過去を肩にかけて、トリニティ自治区を歩いていた。練習が終わったあと、シャーレに戻る途中でアロナに頼みこんで女子寮をくまなく探してもらったけれど、レイサはどこにもいなかった。

 直感的に、夜風に当たっているのだと思った。春の夜風は冷たい。それは罰にもなるし、自分の頭を冷やしてもくれる。

 

 久しぶりに背負って歩いたギターケースは、まるで何かの呪いみたいに、私の背から胸へと根を張り、心臓を冷たく包みこんだ。拍動のたびに痛んだけれど、すでにそれにも慣れてしまった。強度の変わらない痛みにすら、人はいずれ慣れてしまう。

 

 ふと、あの強烈な柔軟剤の香りがした。私はその方向に吸いこまれていった。

 

 前に会ったことのある公園のベンチに、レイサは座っていた。彼女の体格も相まって、家に帰れず途方に暮れた迷子の子どもがいるようだった。

 ぽつりと電灯が佇んでいた。鮮烈な輝きが降り注ぎ、レイサの体格の何倍もありそうな長い影が地面に生まれ、それは闇に溶けるように周囲の黒に同化していた。

 

 地面を歩く音に、レイサがゆっくりと顔を上げる。彼女は「先生」と力なく笑った。

 

「となり、いいかい?」

 

 私はレイサの返事も聞かずに腰かけた。ギターケースをベンチに丁寧に立てかける。夜の湿気を吸いこんだ木材の水気がスラックスに移り、変にベタついた。

 

「話は聞いたよ。カズサから。お疲れ様」

 

 変に気遣うのは逆効果だと思った。

 レイサは何も言わない。弱々しい自嘲の笑みを浮かべるばかりだった。

 

 夜空を思い切り叩いて、星星をぼろぼろと落っことしたような光が遠くに見える。私たちの周りには、電灯一つに照らされるだけの暗闇が広がっていた。

 

「私、久しぶりに杏山カズサに会えて浮かれていたんだと思います」

 

 地面に投げられる言葉は弱々しい。レイサは大きく息を吸い、それがため息とならないよう、慎重に吐いた。自分がため息をつくことが罪だと思っているみたいだった。

 

「迷惑をかけている可能性を考えられませんでした。申し訳ない思いでいっぱいです」

 

 ついに、ため息がこぼれた。レイサは悲痛な笑みを浮かべた。

 

「誰かにとって、忘れたい思い出になってしまったのは、ほんの少し残念です」

「残念という言葉で、悲しみを覆い隠しちゃいけないよ。自分にとっての特別が、相手にとっての同じである訳はないんだから」

 

 私の言葉はなめらかにレイサを切り裂いた。

「そんなこと言ったって」レイサは口を噤む。言葉と一緒に涙があふれてしまうからだと思った。

 

「悲しみを直視してしまったら、私は……!」

「レイサはどうして、カズサに挑戦状を持って行くの? 浮かれていたからという理由の裏には、絶対に、カズサと関わりたい理由が隠されているよ。唯一勝てなかった相手に勝ちたいとかね。でも、中学時代に勝てなかったという理由で、どうしてそこまでこだわれるんだろう。レイサはそこから目をそらし続けてるよ」

 

 レイサは奥歯を噛み締めて私を射抜いた。見たことのない形相だった。竜胆色の視線には、悲痛な怒りがあった。自分が神聖視している領域を土足で踏み荒らされた怒りだと思った。

 私は飄々とギターケースに手をかけた。

 

「無理に私に話さなくてもいいけれどね、後悔したままなのはもったいないよ。レイサとカズサはうまくやっていけると思う」

 

 私はきっと、上手に笑えていた。

 ギターケースから相棒を取り出して、構える。数度音を出して体を慣らす。

 

 キヴォトスで歌うつもりはなかったけれど、救われないレイサがあまりにもかわいそうだったから、同情からか、私は歌った。孤独を癒やすすべを身につけるまで、私はつらかった。目の前の小さな女の子にそれを味わわせるのは不憫で見ていられなかった。

 

 レイサの怒りは鳴りを潜め、今度はありありとした困惑が表情にあらわれた。

 

「なにを」

 

 私はレイサに、いたずらっ子のような笑みを向けた。

 

「私はね、歌には力があると思っているんだ。人と話す気力すら湧かないときに一方的に勇気をぶつけてくれるから。もちろん暴力になる可能性もあるけれど。でも、私たちはどんなにつらくても孤独でも明日を歩かなきゃいけない。だからレイサに歌を贈るよ。失敗しても、君なら前を向けると思うから」

 

 私はレイサに、アレンジを加えた『なないろ』を贈った。一音目から、私の声には揺らぎがあった。

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