ケムリはサラと合流し、サラが帰還する際に登場していた空中輸送機へ乗り込むと、輸送機の左右の可変プロペラが機体を持ち上げ、クレスト社の残骸だけが残った広大な庭から上空へと飛び立った。
輸送機がある程度高度を上げて、その眼下に無数に上空へ伸びる長大な針の群れのような研究都市のビル群を収めると、次に両翼の可変プロペラが前方へと稼動し、水平方向へと加速して研究都市の薄く煙る空を飛翔しはじめた。
『ボクの戦闘データ。みんな欲しがるだろうな~。ムフフフ……』
「……」
ケムリは輸送機の乗員席に座りながら、アルバニ3号が車体の上半分を消失したまま、しかしそれをまったく気にする様子もないように両手を車体前方の単眼の両脇にそえて、何かよからぬ妄想にひたっているようなのを、何か言いたげな様子で、しかし何も言わずに目線を突き刺していた。
そしてそのケムリの横には、ぴったりと、サラ=ハースニールが満面の笑みで隣に座っているのだった。
よくない。これは非常によくないぞ。
ケムリは浮かれるアルバニ3号を見やりながら、隣にぴったりと座るサラの感触を頭の隅に追いやりつつ、頭を悩ませていた。
どうしてこうなった。自分はただ、攻殻13課の手伝いとして、言わばボランティアとして、人畜無害な後方支援として、ほとんど非公式な形で所属していたのではなかったのか。それがいつの間にやら、アイギスという兵器のキャリアーにされ、最前線に立たされた挙句、国家公安庁の最高戦力の一人、13課の死神の異名を取る女に手篭めにされる勢いでモーションをかけられている。しかもサラは豪放磊落な性格に加え、ケムリの目にもかなりの美貌とプロポーションの持ち主でもあったので、いいよる男は少なくないのだ。
したがって、それに反比例してケムリへの絶大なやっかみの種にもなっており、それがケムリの悩みの種にもなっている。
『あぁ~。ボク、しばらくほかのアルバニたちにやっかまれちゃうかもなぁ~。いやぁ~、まいったなぁ~』
輸送機のドック内で、アルバニ3号が、うれしそうに右手のマニピュレーターアームで消失した車体の上方をポンポンと叩くようなそぶりをした。
アルバニのその様子を横目に見ながら、
これはよくない。いや、本当にまいるぞ。ケムリは心の中でそうひとりごちた。
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輸送機がしだいに減速をはじめると、輸送機は次に目の前に迫ったある高層ビルを目指し、そしてその屋上へと着陸すると、二人と一機の自立思考多脚戦車をおろし、そして屋上に併設された格納庫へと向かった。
「ふー、一週間ぶりだなぁ。あぁ、愛しの我が家よ」
「ケッ」
サラがアイギスを装着したままでエレベータに向かいながら伸びをしてそう言うと、ケムリが小さい声で毒づいた。
「何が愛しの我が家だよ。お前は毎日どっかのホテルのスイート暮らしじゃないか」
「まぁそれはせっかくだからね。それにこれは精神的な意味でってことだよ。そんなこと言ってケムリもそうでしょ?」
「僕は別に…… サラと一緒にしないでくれよ」
「なんだよつれないなぁ。もしかしてアレかい? テッサが怖いんだろ? あの子はおとなしそうで結構頑固なところがあるからなぁ、そういえばケムリとおない年なんだっけ」
「別に……」
エレベーターの中でケムリが首を横に振ると、サラはうーんとうなって続けた。
「じゃぁ雲将のじじいでしょ? 心配しなくてもあいつはいつか私が消してやるよ」
「いや違うよ。っていうか物騒だからやめてくれよ」
「じゃぁ桜だ。あの子はどうもケムリに対してあたりが強いからね」
「別に…… そもそもどっちかっていうとIRTに僕みたいなやつがいればあれが普通の反応だろ」
「となると碧礫か藻蛇ってことになるけど、わりとうまくやってると思うけどなぁ……」
「……」
こいつ、自分のことは完全に棚に上げてるな。ケムリは信憑な様子でうなるサラを尻目にそう独白した。
実のところケムリにとって13課本部のどれが困るということは厳密にはなかったが、しかしそれぞれがそのときどきでケムリの頭痛の種になったのだった。
「そういえばケムリはここ1週間なにかあったかい?」
「特に何も…… 来週学園でウルオスのリーグオブリーグスがあるくらいだよ」
「相手は?」
「確か一登瀬(ヒトトセ)学園のシルバーフォーだったと思うけど」
「ストーンズ相手にシルバーフォーのチームか。それはケムリ達は結構な噛ませ犬じゃないか。それに第三世代のウルオスじゃケムリは足手まといだよなぁ」
「うるさいよ。僕だって努力はしてるんだよ」
「第三世代型がうまく使えないんだったら、学園側に言って第二世代型に代えてもらったら?」
「そんなこと言えるわけないだろ。大体、第二世代型じゃ今度はパワー不足になっちゃうじゃないか」
「ふーん。でも十分だろ? 第二世代で」
「うっ……」
黒辻ケムリは第三世代のパワードスーツの扱いがうまくない。うまくないというか、その反応系は天敵のようなものだった。
それはケムリが脊髄反射のレベルで第二世代型の反応系に特化しているからで、そういう理由でケムリのアイギスは反応系を第二世代の反応系が使用されることになっている。
ケムリは返答に窮して、別の話題を切り出すことにした。
「とにかく無理なもんは無理なんだよ。サラはどうだったんだよ。たしかイギリスに行ってたんだっけ?」
「そうだよ。英首相に暗殺予告が出てて、その護衛さ」
「ふぅん。わざわざ日本に要請があるなんて、イギリスも人員不足なのかな」
「アイギス使いはそもそもの絶対数が少ないからね」
「それで首尾のほうはどうだったの?」
「そりゃ愚問だねケムリ。ちょっとゴタつきはしたけど終始穏便なものだったよ」
「終始穏便ね……」
とはいえ、そういうのがサラでは、実際のところ結構激しい戦闘があった可能性もあるので、額面どおりに受け取ることもできない。
仮に一個大隊をサラ一人で相手にしていたとしても、彼女はこういう言い方をするだろう。そういう女である。
「ケムリ、ついたよ」
エレベーターが止まり、扉が開くとサラが先に扉から出て、ケムリも後に続いた。
するとほど近くして、サラに一人の女性が声をかけた。
「あの、ハースニールさんっ!」
「うん? ああ、こないだの」
ケムリが見るに、その女性は情報部のオペレーターであるようだった。
女性はうれしそうにサラへ駆け寄ると、手に持っていた雑誌をサラに見せていった。
その雑誌の表紙には、サラが後ろ髪をかきあげるようなポーズで涼やかな目線を送っている。
このポーズはおそらくカメラマンにせがまれたのだろう、以前カメラマンにいろいろと注文をつけられると文句を言っていたのをケムリは思い出した。
それで今回もまたぞろ広報部と出版社に頼まれてモデルのようなことをやらされたんだなと二人の後ろで予想していた。
「これ読みました。ハースニールさん、とても綺麗にうつってます!」
「ああ、ありがとう。また今度食事でも行こう。私は今から作戦室に戻らなきゃならないんだよ」
「あ、はい! "また”誘ってください!」
ん?
ケムリはサラの後ろでちょっとした違和感を感じ取った。
サラが情報部の女性に涼やかな笑顔でもって軽く手を振ってその場を去ったあと、廊下を歩きながらケムリがサラにたずねた。
「サラ、お前“あの子にも”手を出したのか?」
「うん? あぁ、そうだよ。ずいぶんかわいかったから、私もついはりきっちゃってさ」
「はりきったって何をだよ。あ、いや言わなくていいよ」
「今度あの子も混ぜて3Pでもする?」
「しない。ていうか13課本部の廊下でR18用語を使わないでくれよ」
「あはは、ケムリは照れ屋だなぁ」
「ああ、いやもうめんどくさいからいいや、頭痛くなってきた」
サラは両刀使いである。つまり、男でも女でもいける口らしかった。
そして情報部や研究部に、特に女性に食指を伸ばしまくっているということを聞いたときには、ケムリはほとんど卒倒しそうになったものである。
ちなみに、ケムリやサラの所属する作戦部に手を出さないのは、作戦中に情で判断を鈍らせられると困るから、ということらしかった。
なおことあるごとにケムリを誘っているのは、ケムリとはすでに深い仲だから、ということらしかったが、ケムリはそれを頑として了承しなかった。
しばらくして、サラとケムリが歩く隣についてきていたアルバニ3号がケムリにたずねた。
『ねぇケムリ君。質問があるんですけれドモ……』
「なんだい?」
『サラさんが言ってた3Pってナニ?』
「しらんよ。お前は知らなくていいことだよ」
『ほほー。別にいいもんねー。自分で検索するから…… ややっ』
しばらくアルバニが歩きながら車体前方の白い単眼をグリグリとやったあと、驚いたように2本のアームを持ち上げて言った。
『ケムリ君。このベッドの上の人たちはどうして取っ組み合いなんてしてるの?』
「僕に聞かないでくれよ。頭が痛くなってきた……」
『ナルホド、3Pは頭が痛い…… っと。いやぁ、人間の心理と挙動は実に興味深い!』
アルバニのAIに必要のない、しかも間違った知識が加えられようとしているが、別に毒になるようなものでもなかろうとケムリはそれを訂正しようとはしなかった。
その後、ケムリとサラはアルバニ3号を自律思考多脚戦車のドックへと送っていき、ほかのアルバニたちがアルバニ3号にワラワラと寄って集まるのを見届けると、次に二人の目的地である13課の作戦本部へと向かった。
「ハァ……」
「うん? どうしたんだよ」
サラの隣を歩くケムリが小さくため息をつくと、サラがそれに気づいて軽い口調でケムリにたずねた。
「お前は本当に気楽そうだよな。僕はどうもそうはいかないみたいだよ。今回の作戦は、完全に失敗だったし」
「失敗? クレスト社のことなら、データを守ることには成功したじゃないか? まぁちょっとゴタつきはしたけどさ」
「サラに関してはそれでいいけどさ。でも僕はそうじゃない。結局のところお前がいなかったら、データの転送を許してたかもしれないって、ダハクもそう試算してたんだろ? 僕だって今思い返せばその可能性はかなり高かったと思うよ」
「わからなくもないけどね。気にしすぎじゃないかい? あんまり気をもんでたら持たないよ?」
「簡単に言うけど、そうも思い込めないんだよ」
「ふぅん。まぁいいか。私はケムリのそういうところも好きだし」
「うるさいよ。ならがんばって気にしないことにするよ」
「照れるなよケムリ。まぁそれなら重畳だ」
話しながら、二人が作戦本部室の扉に到着すると、部屋の扉がプシュ、と小さい音を立てて静かに開いた。
足を踏み入れたその部屋は、かなりの広さ、中学校や高校の体育館はあろうかといったような面積に、2重層構造になっており、部屋の置くには階段があり、それで2階へと移動できるようになっている。
ケムリはサラのあとについてその階段を登り、作戦本部室の巨大な半透明のスクリーンを背にした統括室長の机の前でサラと一緒に敬礼した。
「おかえりなさい。サラさん、ケムリさん」
「はっ。サラ=ハースニール少佐。ただいま帰還しました」
「ならびに黒辻ケムリ三等補佐。帰還しました」
サラとケムリがそういうと、統括のイスに座っている少女、テッサ=フラクタルが優しく微笑んだ。
この少女はケムリよりもさらに小柄で、クリームホワイトの髪を背中でやわらかくまとめ、その服にはいくつもの勲章がつけられていた。
「あまりかしこまらなくても大丈夫ですよサラさん。今日は雲将さんもいませんし」
「そうなんだ。ちょっと損した気分だな」
サラはそういってパッとポーズを崩すと、統括室長の机の前に並べられた6つのソファーのうちのひとつにドカっと座って
「テッサ。何か飲み物を頼むよ。できればアルコールだとうれしいね」
「サラさん。一応私はあなたの上司なんですけれど…… それに今は職務中ですから、とりあえずアールグレイにしておきますね」
テッサは少しガクっとした様子だったが、そう言いながらも部屋の隅の戸棚へと向かった。
「ケムリさんもアールグレイでよかったですか?」
「うん。僕はなんでも…… というか自分でやるよ」
「いいんです。サラさんもケムリさんも任務を終えたあとなんですから、座っていてください」
「でも、僕は……」
ケムリが言いよどんでいると、テッサーはソファの前のテーブルに紅茶のカップを置きながら言った。
「今回の一件で悩んでいるんですか? ケムリさんの考えも、理解できなくはありませんが、でも少なくとも、あなたがいなければクレスト社に突入していた3つのウルオス小隊の被害は甚大を極めていたはずです。それに関して言えば、あなたのおかげでウルオス小隊の被害を最小限に抑えることができたということもまた事実なんですよ」
テッサはケムリがまだ何か言う前に、ケムリの考えを正確に推測し、加えてそれに対する回答を話した。
ケムリはテッサのそういった普段どおりの振る舞いには特段に気にすることもなく、テッサの話した内容を検討してみて、その言はやはり妥当なものだと判断できた。
少しだが胸のつかえが取れたような心地でケムリもサラの隣のソファーに座り、テーブルのアールグレイを口に運んだ。
紅茶のふくよかな香りと、砂糖のほのかな甘みに、一瞬ささくれ立った心が優しくなでられるような心地になる。
ケムリがアールグレイを一口含んで、かすかに目をほそめると、サラでもテッサでもない声がケムリの名を呼んだ。
『統括は言葉を濁しておられます。黒辻ケムリ。あの場合、速やかな対処は十分に可能であったとダハクは考えます』
部屋に響く電子音に、ケムリは統括室長の机のさらに後ろの、透明のガラスのさらに向こう側の真空処理がされたフロアの中を見やった。
そしてその部屋の中央にある巨大な精密機器を見ながら、紅茶のカップをテーブルに戻してから口を開いた。
「考える? 人工知能のお前に人間のような思考ができるとは思わなかったよダハク」
『もちろん可能です。とはいえ、ダハクのような高次、複合的な思考演算処理が可能な人工知能はほかにありませんが』
ケムリの皮肉に、ダハクはあくまで無機的に返答した。
「じゃぁどうすりゃよかったんだよ? 彼らを惨殺すればお前は満足だったのか? こういっちゃなんだけど。僕はまだ高校生なんだぞ?」
『必要な職務上の規定内容には、ケムリの発言はなんら抵触しません。そのような発言はナンセンスです』
ナンセンスときた。ケムリはうんざりとするようだった。
超量子スーパーコンピューター。通称ダハク。研究部において“テッサが開発した”とされるこの量子高次人工知能は、ケムリを発見し、また攻殻13課の作戦部にアイギスキャリアーとして配属させた“張本人”でもある。
ダハクの演算はまさしく正確無比だったが、ケムリはしばしば、このカタブツとの議論に辟易させられるのだった。
「そりゃそういう風に演算するかもしれないよお前は、だってお前には心がないんだから」
『おっしゃるように、ダハクには人間の心情を演算することにいささかの構造的問題があるといえます。しかしながら該当状況における損害評価は、明らかにダハクの演算を支持します』
「そりゃぁあの会社のビルの数百倍のデータと、侵入者たちの命の天秤ってことかい?」
『それだけではありません。仮にあのデータが他国に漏洩すれば、それを材料にさらに争いが発生することは明白です。具体的には……』
「わかったよ。僕の負けだよ」
ケムリはダハクの計算を疑っているわけではない。
それにダハクと以前5時間ほど議論を続けて、相変わらず平行線を出なかったことを思い出して、ケムリは早々に見かけばかりの白旗を上げることにした。
そしてその後しばらくして、テッサがサラとケムリのほうを向いて口を開いた。
「さて。サラさん、ケムリさん。これから私は出かけなければならないのですが。お二人にもついてきていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん? どういう理由で私とケムリが? 私たちはこれから一緒に私のホテルに行こうってところなんだけど」
「違うよ。ぜんぜん違うよ。僕は断固として宿題やってから家に帰る予定だ」
サラとケムリが口々にそういうと、テッサはもうひとつ説明を付け加えた。
「実はこれから3省庁統合統括会議に出なければならないんです。ですからサラさんには私の“護衛”をお願いします。ケムリさんはそういったことに慣れておく意味でも、見学ということで同行をお願いします」
「統合統括会議ってことは、ハフィントンか。なら仕方ないな。行くよ」
サラがそういって立ち上がるのを尻目に、ケムリはまだ不服といった様子で。
「なんかよくわかんないけど、公安の最高戦力が護衛につくなら大統領でも守れるだろ? 僕まで行く必要ないんじゃないか?」
「ケムリさん。さきほど私はあなたにお願いするという形をとりましたが、拒否するというのなら、あらためて命令しちゃいますよ?」
「……ならどっちにしろ同じじゃないか。わかった行くよ」
「よかった」
テッサが微笑むと、ケムリはばつが悪そうに立ち上がり、テッサとサラに続いて13課本部の扉を出た。