俺が転移してから2年弱。日本が滅亡してから、今年で25年になるらしい。
当時の日本に起きた災禍は、今も克明に記録が残っていた。数あるメディアが写した映像や、無数にできた持ち主のいないスマホのメモリが、まざまざとその恐ろしさを伝えていた。戦争記録の映像ほど信じられないものはないが、少なくともこれらの真実は取り違えようもない。
黒鉄色のそれは、突如として南シナ海に姿を現したという。そして、近海の船舶を軍民区別せず襲いかかった。幾つもの船が沈み、飛翔物にも敵意を示すそれらは、明確な人類への敵意を持っていた。現代兵器の悉くを弾く頑強な皮膚に、大型タンカーを沈める攻撃力。“海獣”と呼ばれるようになったそれらは、未だに目的も正体も判明していない。
“海獣”の正体について、多くの人々が好き勝手に説を唱えたようだ。
日本の衰退を狙った東側諸国の新兵器だと言う説。
極秘開発していたアメリカの生物兵器が脱走したと言う説。
太平洋戦争の戦没者が、地獄から帰ってきたと言う。
“ゴジラ”のように、太古より訪れた地球の自浄作用が目覚めたと言う説。
どの考察も間違っているようで、どれも否定できない説得力があった。なにせ、誰にも真相は分からない。投棄された核物質で突然変異した魚だろうと、現実に現れたゴジラだろうと、あまり関係はないだろう。事実として“海獣”は人類の脅威であり、今まさに日本は斜陽にあるのだ。いや、とっくの昔に終わっているのかもしれない。
ともかく。それは、人類にとって侵略者であり殺戮者だった。“海獣”は恐ろしい速さで海を喰らい尽くした。そして日本は、この理不尽に抗いきれなかった。日本だけではない。フィリピン、フィジー諸島、インドネシア。太平洋上の国々は、すべてだ。軍は虚しく領海を明け渡し、東京は火の海へと沈んだ。通商路は途絶え、物資のない日本は機能不全となり、軍はその体裁を保てないほど兵士を失った。やがて国連加盟国の名簿から、日本の名前は失われた。
港町
西暦2045年10月初旬。例年よりも二度上がった最高気温を、ノイズ混じりのラジオが告げていた。8月から続く猛暑は、もう暫く続きそうだ。少しずつ長くなる夏の季節は春秋冬を塗りつぶして今日も太々しく夏日を記録している。
ブロックに腰掛けジリジリと現場を焼く日向を、ぼーっと日陰から睨む。睨んだところで地面を揺らす陽炎は変わらず。ひょっとしたら地面が溶けるのではと、他人事のように思った。森の木々は新緑を保ち、頭上から照らす太陽は今日も絶好調のようだ。静かな夏の香りが真っさらな街を包んでいる。
「おい佐藤」
「はいはい、なんでしょう」
そっと親方が隣に座った。厳つすぎる親方の顔に、にへらと覇気のない顔を向ける。薄汚れた作業着の袖で手汗を拭って背筋をの伸ばす。
「もう何年になる」
「そうですね、かれこれ2年が経ちそうですかね」
親方は口数少なく不機嫌そうであるが、優しい男だと俺は知っている。親方は俺の顔を見ると小さく鼻を鳴らした。
何か嫌な予感を察した俺は、胸を張ってじっと待つ。微妙な空気。
「続ける気か」
「ええ、汚れ仕事で体力勝負ですが悪くないです」
俺はここぞとばかりにこの仕事が気に入っていることをアピールした。不景気を突き抜けてうっかり滅びた日本に、まともな働き口など望めない。自分の身は自分で守らなければならなくなると、身寄りのない俺は瞬く間に東京都民の仲間入りだ。
「それに、いい景色に出会えますから」
ふと今日の作業現場を見渡す。青い空に繋がる海原から、堤防を越えてある住宅跡地。沢山あった瓦礫も遺留品も、今はすっかり纏められてトラックの荷台だ。放棄されたここも、あと数ヶ月したら緑が生えるだろう。諸行無常だ。気に入っている仕事だ。本当だよ?他に働き口もないし。
「そうか」
「はい」
親方は表情を変えなかった。どうやらクビは回避できたようだ。やったぁ。だが、そうも簡単に行かないようで、またしばらくして親方は思い口を開いた。
「いい仕事がある」
「え」
俺は身構えた。このご時世、いい仕事なんてものは存在しない。高い報酬は致死率とイコールであり、安ければ労働刑を意味していた。それに比べたら回収業務は天国だ。平和でゆったりできる。半分農家みたいなもんだ。現場は地獄のパーティー会場跡地だが。俺は死ぬのだろうか。
「倉庫番だ」
「倉庫番」
俺の言葉に、親方はむんと頷いた。聞き間違いではないようだった。倉庫番。倉庫を不審者から守るため見張るやつか。てか、そもそも倉庫なんて持つような資産家は日本に残っているのかが疑問だった。ただ、言い返そうにも親方の意思は固いようだ。すでに親方の中では決定事項なのだろう、安らかな顔をしておられる。
「お前なら大丈夫だ」
「うっす」
親方は俺の返事に、わかりやすく表情を変えた。
なにが?と言いたかったが、俺の雇い主は親方だ。この終わりかけた島国で、素性の知れない男を雇ってくれる非常に稀有なできた人間だ。普段は頑固で首を曲げない人だが、今では珍しい精神的余裕のある人情家だ。俺は頷くしかなかった。俺の全てのライフラインを握る親方の気分次第で俺の人生終わらせることもできるんだぞ。恐ろしい。
「頑張ります」
「おう」
親方は命の恩人だ。終わりかけたこの世界で、他人に手を差し伸べることのできる限られた”人情家”だ。何も返すものがない俺にとって、唯一できること。それは、俺はそんな彼の思いに報いること。25歳、住所不定戸籍なし、佐藤。明日から倉庫番になります。
泊地
かつては膨大にあった日本領有の島々は悉く”海獣”の魔の手に落ちたが、日本近海はまだ無事なようだ。太平洋側は過去に繰り返された”海獣”による被害で、多くの港町が焼かれたそうな。
そのせいだろう。島から見える本島の岸辺には、一つの明かりもない。俺を島から伸びる渡し板まで乗せてくれた小型船の明かりが、夜の闇に紛れていくのをじっと見送った。それが見えなくなると、本当に寂しい。
無人島にひとり、荒れ放題の細道を歩く。海から吹く風がパンパンと佐藤の軍服を叩く。携帯の明かりを頼りに、目の前の簡素な立て看板を照らした。
『第五島泊地』
掠れ寂れた文字は、なんとも哀愁を誘っていた。同時に不安も。
あからさまに手入れのされていない歩道をあかりで辿れば、丘の方にまで続いている。気が遠くなる。けれど、立ち止まっていても夜は深まるばかりだ。ため息をついてから空を見上げて、俺はゆっくりと歩き出した。
「ん?」
ふと、暗闇の中に光が見えた。出迎えだろうか、光は揺れながらも近づいてくる。ふっと緊張が緩む。よかった。俺が来ると言う連絡はしっかりと伝わっていたようだ。危うく一人、見知らぬ島で遭難するところだった。なら、わざわざ夜中にハイキングなんてせずに、あの小さな港で待っていればよかった。呑気にそう考えていると、すぐそこまで近づいた光が激しく揺れた。
「てぇりやっ!」
凛とした鋭い気合の声が暗がりを裂いた。携帯を向けたまま安心し切った俺は、成すすべなく謎の襲撃者の攻撃を受けることになった。
側頭部を襲う激痛。全身の力が抜けて、俺はパタリと細道に倒れ意識を失った。最後に見えたのは、空を踊るツインテールとツンとした美少女だった。