試合終了後、桐皇学園の選手達は軽くミーティングを済ませ、明日の練習時間を確認した後は個別解散となった。原澤監督は若松を病院へと車で連れて行き、今吉も後輩たちに指示を出し同じ三年の諏佐と共にさっさと帰途へ着いた。
なんだかんだいって勝利をものにした桐皇学園だが、一日で負ければ終わりという試合を二回連続で行ったのだ。試合に出た選手達は精神的に興奮しきっていた試合直後より、ある程度時間が経った帰りの時に疲労を実感するのだった。何処か気持ちのいい疲労感ではあったが。
克樹、青峰、桜井に桃井は先輩からせっつかれて荷物持ち等を行っている他の一年達を横目にダラダラと帰宅の準備を進めていた。克樹は霧崎第一のラフプレイによって出来た痣などに湿布を桃井に張って貰っていた為、さらに時間がかかっていた。
やっと一年の四人が体育館から出るとなった時、夏という季節がら空は明るいものの既に時刻は17時を過ぎていた。
帰ろうとする克樹たちを体育館の出口で待ち受けていた影が二つ。一人は片手に本を読んでいるメガネをかけた男。方や、何人かの女子にサインを受け渡している男。
「お、やっと出てきたッスね」
「まったく、待ちくたびれたのだよ」
『キセキの世代』と呼ばれる者達。黄瀬と緑間だった。
「きーちゃんにミドリン! やっぱり来てたんだっ」
二人にいち早く反応したのは桃井。そして呼ばれた愛称に思わず顔をしかめる二人。二人とも桃井の名付けた愛称に納得がいっていないのがわかる。
「……来てたのかよ」
先ほどまで眠そうにしていた青峰も二人を見つめる。
―――何かいきなり空気が重たくなった気がするんですけどッ!? 自分、謝った方がいいですかッ!!?
いきなりの雰囲気にテンパり始める桜井。
去年の全中決勝で活躍した選手が四人も集まっているのだ。集まって佇んでいるだけなのに他の選手達とは風格が違う。桜井は同じ一年生だとはとてもじゃないが思えなかった。
先ほどまで黄瀬にサインをねだっていた女子達も何かを感じ取ったのか、その場から逃げるように去っている。桜井自身も気づかない内に腰が引け、一歩下がっていた。
それと同時に決勝リーグやインターハイではこの人達と戦わないといけないと考えると背筋に寒気が走る。
四人から発せられるオーラに押され、いつものように謝ることさえ出来ない。この四人に挟まれながらもニコニコと笑顔を保ったままの桃井の気が知れなかった。
本を片手に会ってからずっと目を顰めて不機嫌を隠そうとしない緑間。
先ほどと同じく眠たそうな表情だが目だけはギラリと光っている青峰。
右手を首の後ろに回しながらコキコキと首を鳴らし、一人リラックスモードの光谷。
今から写真でも撮るかのように爽やかな笑顔をしている黄瀬……は口元が引くついているので同じだと桜井は内心で思う。
「……なんか重たい雰囲気なんスけど。とりあえず青峰っちと光谷っちは決勝リーグ進出おめでとッス」
場の雰囲気を見かねたのか、耐えられなくなったのか黄瀬が重たい空気を消にかかる。心の中で思わず「スイマセン! ありがとうございます!」と叫ぶ桜井。
「ふんっ。首を洗って待っていると良いのだよ」
緩みかけた空気を緑間が一瞬にして重たい空気へと変質させる。黄瀬の表情も本格的に引きつり始める。
「……ハッ」
「まぁまぁ、落ち着けって。二人から見て今日の試合はどうだった?」
青峰が緑間に対して反論を仕掛ける前に光谷が話題を変える。緑間がムッと顔を顰めるが、すかさず黄瀬が話題へと飛びつく。
「流石は光谷っちって感じだったッスね! あんなプレイは『
「知るかっつーの。あんなゴミクズ共に本気を出すわけねーだろ」
「相変わらず、人事を尽くしていないようなのだよ」
「まぁ青峰らしいっちゃ青峰らしいけどなぁ」
それから発言一つ一つは厳しいものの、先ほどよりは棘が取れて会話をする四人。それでもこのメンツの中にはとてもじゃないが入れない。会話が終わるまでは空気に徹していようと決意する桜井だった。
「……どちらも腕は鈍っていない所は見れた、十分収穫はあったのだよ。オレはそろそろ帰る」
「まぁ緑間っちは来週試合ッスもんね。確か黒子っちとぶつかるんスよね?」
帰ろうとする緑間の居る秀徳は来週、Aブロック予選トーナメント準決勝、決勝を行う。それに向けての練習もあるのだろう。
「黒子君って桃さんが気にしてた人だっけ? あんまり覚えてないんだよなぁ」
「そう! そうなの! 格好良いんだから!」
黄瀬が言った黒子という人物。前に桃井が話してた人物だろうと見当づけて、その姿を思い出そうとする克樹。その黒子という人物に思わずといって風に食いつく桃井。桃井がそこまで言う人物なら思い出させそうなものだが、未だに思い出せない。
「秀徳と当たるのは誠凛が王者正邦に勝ち上がればの話なのだよ」
「テツ一人じゃ無理だろ。アホ臭い」
まだ当たると決まったわけじゃないと緑間が発言し、青峰も溜息をつきながらソレに乗っかる。
「……ふっふっふ! 甘いッスよ青峰っち。誠凛には火神っちっていうまだ発展途上だけど、
黄瀬が自慢げに言ったセリフに克樹は少し驚く。『無冠の五将』クラスではなく『キセキの世代』クラスと言ったのだ。『キセキの世代』である黄瀬がそこまで言うならよっぽどの選手に違いない。
表情を変えていない所を見ると桃井もその存在は知っていたようだ。青峰はまだアホ臭とばかりに話を聞き流している。
「……へぇ。『キセキの世代』に負けない、か……。でも『無冠の五将』でもないし無名っぽいけど、良く知ってたね黄瀬君」
「黄瀬はその火神に練習試合で負けたからなのだよ」
「んぐッ……。緑間っち……、そういうこと言っちゃうッスか?」
緑間の突き放すような一言に黄瀬は撃沈して涙目になる。しかし、さらりと言ったが克樹にとっても聞き逃せないような一言だ。緑間も簡単に言ってのけたが『キセキの世代』である黄瀬を破ることの出来る人物は全国でも片手で数えれるほどの筈だ。
「……うん? 黄瀬、テメー負けたのか?」
黄瀬が負けたということを聞いた為か、先ほどまで話しを聞き流していた青峰も食いついた。
「黒子っちとの二人掛かりで負けたんスよ! 一対一じゃ負けてないし、次は二人掛かりでも勝つッスよ!」
「負けた事実に変わりは無いのだよ」
「ヒドイ!!?」
「黄瀬が二対一でも負けた、ねぇ……。流石はテツってとこか?」
「……悪いが青峰。お前と黒子たち誠凛が戦うことは無いのだよ」
そう言って緑間はきびすを返す。その背中には常勝無敗だった『キセキの世代』のプライドが垣間見えた。
「緑間っちと黒子っちの試合。なんかワクワクするッスね。そうだっ! 試合見に行かないッスか!?」
「テツ君の試合!? 行く!!」
「やだぜ、メンドクセー。そもそもテツと緑間が当たるかわかんねーんだろうが」
青峰がもう既に興味は無くなったかのように吐き捨てる。黄瀬が負けたという言葉に一回は反応したけども、黒子との二人掛かりということで興味は薄くなったようだ。
「もうっ! 青峰君は何でそういうこと言うかな!?」
「うーん、俺は行こうかな?」
「じゃあオレと桃っちと光谷っちの三人ッスね」
「確か時間は13時からだし、昼飯を一緒に食べてから行こうか」
「サンセー!」
それから集まる時間と場所を決めて、黄瀬とは別れた。黄瀬が居なくなると同時に桜井が会話に復帰する。今まで忘れられてた為少し落ち込んでいるようだった。反対に桃井は気になる人と会えるのが嬉しいのか、テンションが高い。青峰は再び眠そうな顔に戻っていた。
原澤監督は決勝リーグの決まる一週間、スタメンの練習を軽く流すように留めた。これは予選トーナメントが終わるまで練習と試合を繰り返し行ってきた選手達がオーバーワークにならないようにする為である。体に負担が掛からないようにするのが目的だ。
逆にその一週間で試合に出れなかった選手達には猛練習が課せられた。これは試合にあまり出れなかったベンチメンバーを篩いと発破をかける為である。
今回の試合のように主力メンバーが不慮の故障をした時、シックスマンやサブの層の厚さが問われることになる。この辺は圧倒的な強さで決勝リーグへと駒を進めた桐皇学園でも、新鋭である為三大王者たちには及ばないものがある。
今回は去年の決勝リーグ進出チームの大半がAブロックで潰しあってくれる。原澤監督は既にインターハイは出場確定と考えていた。東京都の代表校は三枠だ。Aブロックからどの高校が上がってきたとしても三枠に入るのはほぼ確定と見ているのだ。
ならば、決勝リーグで多少層が薄くなったとしても今のうちにベンチメンバーのレベルアップすることは意味があるだろう。見据える先はインターハイ出場ではなくインターハイ優勝なのだ。
そして練習自体は軽いスタメンにも原澤監督からあるものが渡されていた。
「監督……、これ何なんですか?」
「見ての通りですよ」
今吉が渡されたものを見て呆然とするスタメンたちを代表して質問する。そして呆気ない原澤監督の返答。確かに見ての通りなのだ。見ての通りなのだが何故渡されたのかがよくわからない。
「見ての通り、マスクです」
原澤監督から渡されたものは、何の変哲もない普通のマスクであった。
「スタメンの皆さんにはこれから一週間コレを二重につけて練習を行ってもらいます」
渡されたマスクを渋々装着し練習を開始する克樹たち。見た目は非常に間抜けであった。ちなみに青峰は練習をサボっている。もし参加していてもマスクはつけなかったんじゃないかと克樹は予想している。
このマスクをつけて練習することで簡易的な高地トレーニングを可能とする。克樹たちは決勝リーグまでは常にマスクをつけて練習することになった。
「思っとったよりキツイんやな、マスクつけて運動するんわ。後ワシの場合メガネが曇る」
「汗を掻いてマスクが湿ってくるとさらにキツイですね。……桜井くん生きてる?」
「……すい、ません。……いつも、通りの……練習じゃ、なくて助かりました」
「一番悲惨なんは諏佐やな。マスクつけて通常通りの練習入っとるし」
「ですね。他はというか若松さんはケガですし、青峰はふけってるし」
空気の薄い高山や高地に登って体を動かすと酸素を運ぶ赤血球ヘモグロビンが増える。この状態は数ヶ月維持される為、下山してから激しい運動しても、呼吸が楽になって息が上がりにくくなる。マスクトレーニングはこの空気の薄い疑似状態をつくり、赤血球の増加を促す為のものだ。
そうして克樹たちは身体的には軽いが心肺的には非常にハードな見た目はまるで間抜けな練習を一週間繰り返して行った。いつか、この練習の効果が出ると信じて。
インターハイ東京都予選トーナメントAブロック準決勝と決勝が今から行われる体育館前に克樹と黄瀬それに桃井は居た。
体育館前に居る三人は周りからかなりの注目を浴びていた。克樹と黄瀬は月バスなどでも取り上げられている為、バスケ関係者からは知名度が高いのだ。しかし、注目を浴びてる原因はそれだけではなかった。
「それにしても黄瀬くんは美味しいお店知ってるんだね」
克樹の服装はスートと土星のようなワンポイントが入ったボーダーの七分袖シャツにダメージジーンズという出で立ち。シンプルながら体格が良い為、良く似合っている。
「値段もリーズナブルで美味しいって事で隠れた名店らしいッスよ。ファンの子に教えて貰ったんスよ」
現役のモデルである黄瀬は無地のタンクトップに薄手のデニムシャツを羽織り、淡い色のチノパンというこちらもシンプルながら完璧に服を着こなしている。
「きーちゃんは相変わらずだねぇ」
「……桃っちこそ。久しぶりに黒子っちと会えるかもしれなからって気合入れすぎッスよ。昔、黒子っちとデートした時並みじゃないッスか……」
黄瀬はため息をつきながら桃井の装いを見る。桃井の格好はただただゴージャスであった。
注目を浴びる理由として克樹と黄瀬の知名度の高さも確かにあるだろう。しかし、それ以上に桃井の女子高生とは思えない体つきを前面に押し出した服装が注目を浴びていたのだ。とてもじゃないがバスケを観戦しに来た服装ではない。
「その黒子くんとデートした時もこんな服装だったんだ……」
「ちょっ!? なんできーちゃんがその時のこと知ってるの!?」
「なんでって、青峰っちと一緒にストーキングしたから!」
テヘッとばかりにウインクしながらサムズアップする黄瀬。
「青峰君も!?」
「青峰っちと一緒にナンパを撃退したり、職質されたりとそれはもう大変だったんスよ!?」
もしこの場に青峰が居れば「テメェは職質されただけだろうが……」と突っ込まれるようなセリフである。実際、職質されたのは黄瀬だけであり、ナンパを蹴散らしたのは青峰だったのだから。
「そんなことしてんだ青峰……。それより桃さん、午後からゲリラ豪雨があるかもしれないらしいけどそんな格好で大丈夫なの?」
「大丈ー夫! 後で着替える用の服も持ってきてるからっ!」
「後で着替えるのに何でそんなカッコしてるんスか……」
豪雨の対策として通常の服装も持ってきていた桃井。通りで大きなバッグを持ち歩いていると克樹は納得する。
「それは、だって……テツ君と会うの久しぶりだしッ」
頬を染めてイヤンイヤンと乙女モードに入る桃井。克樹と黄瀬はそれはもう冷めた目で見ていた。黄瀬は黒子っちの事になると相変わらずッスねぇという諦めの境地であり、克樹は普段から想像もできない程の変貌ぶりに呆れていた。
やっとこさ落ち着いた桃井を連れて、克樹と黄瀬は体育館の中へと入っていく。
既に四校の選手達はアップを初めており、互いに火花を散らしていた。今の時刻は12時半、これから三十分後運命の決戦が開始する。そして五時間もすれば栄光を手にする一校と手に出来ない三校に容赦なく分かれる事になる。
栄光を手にする事が出来るのは何処なのか、まだこの時は誰も知らない。
実況:黄瀬 解説:桃井 ゲスト:主人公 でお送りいたします。