ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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相棒たち(2011/4/16)

 今週の初めから断続的に降り続いた雨は、この日の朝に小休止を迎えた。しかし予報によれば、昼前には再び降り始めるとのことである。そろそろ雨音を表す擬音のバリエーションも尽きる頃合いだ。

 

 梅雨時でもないのに、驚くべき降水頻度と言わざるを得ない。もしもこれが異常ではなく稲羽市とその周辺では例年通りの天候で、しかもこれが年中続くとか言うのなら、悠にとって少々困ったことになる。毎日のようにマヨナカテレビを確認しなければならなくなり、睡眠時間が削られる。夜更かしをする習慣のない人間には、地味に辛い事態である。

 

「よっ、おはよーさん」

 

 眠気が残る頭を努力して支えながら、ゆっくりとした足取りで通学路を歩いていた悠に、自転車に乗った陽介が後ろから追いついてきた。数日前に派手に転んだマウンテンバイクは、乗り手がブレーキを握るのに合わせて甲高い音を発した。元よりブレーキパッドが摩耗しているのかもしれないところへ、湿気の残る道路でタイヤが水を吸ったかして、特大の目覚まし時計もかくやという大きな音を立てた。

 

「元気そうだな」

 

「ああ、よく眠れたから」

 

 悠は慣れない夜更かしをしたせいで寝不足になっていた。だから今日の授業は居眠りせずにいられるか今から不安なくらいなのだが、陽介はそうでもないようだった。昨日は悲しみ、動揺、怒りなど、感情の振り幅の大きさは人生最大のものだったはずだが、今はもう落ち着いている。顔色も良くなっている。そうすると──

 

「花村、昨日の夜中のテレビ、見たか?」

 

 夜更かしの原因はこれだ。和服を着た女性と思しき人影がマヨナカテレビに映っていたのを、悠は確認した。だがよく眠れたらしい陽介はどうなのかと心配したのだ。もし見ていないなら、今後に向けた認識に相違が出かねない。

 

「ああ、見たぜ。誰だかいまいち分かんなかったけど」

 

 心配は杞憂だった。してみると、陽介にとって日付が変わる時間帯まで起きているのは、普通のことなのかもしれない。

 

「でもアレに映った以上、放っとけない」

 

「ああ、放課後またジュネスに行くか」

 

 今日は土曜日なので授業は午前中で終わる。悠は部活や委員会の類をしていないので、放課後は基本的に暇だ。陽介もバイトがない限りは暇だ。今日の予定が早々に決まったところで、陽介は自転車から降りた。そして俯いて地面を見た。夜明け近くまで降り続いた雨は、学校へ向かう高校生の足取りを邪魔する水たまりを、いくつも作っている。

 

「なあ、また誰かが放り込まれたんだとしたら、やっぱマジでいるのかな? 犯人……」

 

「多分な。クマも言ってたし」

 

 昨日テレビの商店街へ向かう前のスタジオで、クマは言っていた。最近、何者かがテレビの中に人を放り込んでいる気配がすると。なぜそんなことが分かるのかは不明だが、とにかくそういうもので、悠のように自力で入ってきた場合とは気配が違うらしい。着ぐるみが嘘を吐くとも思えないので、その点に関して悠はクマの言葉を信用している。つまりテレビの中の世界を凶器として使っている人間が、この世にいるということだ。

 

「だよな……けど人をテレビに入れてる殺人犯なんて、警察が捕まえられるわけねえ。絶対、俺たちで犯人見つけようぜ!」

 

 陽介は顔を上げた。悠はどちらかと言えば冷めた方だ。そして陽介は悠とは逆に熱い方だった。もっとも異常に熱いわけではなく、年相応に、普通の範疇に属したものではあるが。そうした熱意が、濡れた地面から悠へと向けられた陽介の表情には伺えた。

 

「警察の手に負えない難事件を高校生が解決するのか」

 

 悠は身内に刑事がいるのだから、警察が当てにならないとは進んで言いたくはない。だが彼らの手に余る事件であるのは確かだ。特にテレビに入れられた人を救助するのは、ペルソナ使いにしかできない仕事だ。

 

「高校生二人と、謎の生物一匹な! へへ、何かマンガみてえだな」

 

 ついでに言えば、二人とも転校生だ。ある意味、古典的なまでに良くできている。そんな自分たちの状況におかしくなったか、陽介は笑い始めた。普段から軽口を叩くことが多い明るい高校生らしく笑う。

 

「つか、マンガだったらベタすぎて、ボツになるか? 事実は小説よりも奇なりって言うけどよ」

 

 もちろんこれはマンガではないし、小説でも演劇でもない。現実だ。シチュエーションがベタだろうが何だろうが、そんな理由でボツにはならない。新聞のテレビ欄に掲載された番組は、その時間が来れば放映されることが決まっているようなものである。『役』を貰った悠と陽介が犯人を捕まえるか、或いは犯人が自ら舞台から降りない限り、どこまでも続いていく問答無用の現実である。

 

「一つだけいいか?」

 

「ん?」

 

 朗らかに笑う陽介を悠は遮った。

 

「犯人を捕まえたら、そいつをどうするんだ?」

 

 突っ込んでみると、陽介の勢いは急に削がれた。さっきまで笑っていた顔に、目に見えて戸惑いの色が広がる。

 

「どうするってそりゃあ……警察に突き出すんだろ」

 

「警察が取り合うか? と言うか……犯人を法律で裁けるのか?」

 

「……」

 

 もう一歩突っ込むと陽介は沈黙した。これは重要な問題だ。殺人犯として人を裁くには、様々なものが必要だ。犯人の身柄や被害者の遺体はもちろんだが、それだけでは足りない。客観的な証拠が不可欠だ。例えば凶器、現場の遺留品や指紋などの証跡。更には犯行動機、アリバイがないことの証明、本人の自供、その他諸々だ。犯罪捜査や刑事裁判などドラマや映画などでしか見たことがなく、しかも数多く見ているわけでもない悠にも、それくらいは分かる。

 

「……」

 

 陽介が黙っている間、悠は想像してみた。紆余曲折の果てにとうとう犯人を捕まえて、警察に突き出すシーンを。凶悪な人相の犯人をロープか何かで後ろ手に縛り、陽介と二人がかりで押したり引いたりして歩かせて、警察署の入り口を三人で跨ぐのだ。ざわめく署の警官たちを脇目に、受付で悠が堂島を呼び出す。そしておっとり刀で駆けつけてきた叔父に、甥はこう言うのだ。

 

『こいつが犯人だよ』

 

 すると叔父はこう答えるのだ。

 

『はあ? テレビ? ペルソナ? 馬鹿言ってんじゃない!』

 

 鬼刑事に一喝され、肩を震わせる高校生の図が目に浮かんだ。それはもう、ありありと。悠は叔父との付き合いはまだ短いが、最初は呆れて次の瞬間に怒り出す形相や、悪戯な子供を叱り飛ばす声色まで容易に想像できた。そしてこれは想像に留まらない。何も対策を打たないでいれば、必ずこうなると約束されている確実な未来だ。

 

(でも叔父さんに信じさせるだけなら、方法はあるはずだよな……)

 

 間抜け極まる自分たちの姿が現実となるのを回避する方法を、悠は考え始めた。実際問題として、犯人を捕まえたらどうするかを。或いは捕まえる前にどうしておくべきかを。

 

(あ、でもな……信じられたら信じられたで、それはそれで……)

 

 悠は元来の性格として面倒くさがりである。テレビに放り込まれた被害者を救助し犯人を捕まえることは、昨日から陽介と約束しているし、反故にするつもりはない。しかし先々を見据えた戦略を検討する作業は、やはり面倒だ。そしてそれに加えて、考え始めた矢先に望ましくない事態が発生する可能性に思い至ってしまった。

 

「んなもん、捕まえてから考えりゃいいじゃんか! 気が早すぎるって!」

 

 悠が悩み始めたところへ、陽介は楽観的なセリフを口にした。自分の名前のように、春の花が咲きそうな快活な笑顔を添えて。

 

「まあな」

 

 たったそれだけで、悠は陽介の楽観に乗った。そして二人は肩を並べて学校へ向けて歩いた。陽介は自転車には乗らず、手で押しながら歩いた。これから共に戦う『相棒』の歩幅に合わせるように。

 

「実は昨日さ、俺んちのテレビで試したら、頭突っ込めたんだよ。お前みたいに」

 

「本当か?」

 

「ああ、あの力が目覚めたからだと思うけど。ペルソナ、つったか」

 

 陽介はジライヤと呼んだペルソナの力。それを得ると共に、向こうの世界に自ら渡る力をも得たわけだ。その報告を聞いても悠は特に驚かなかった。昨日の諸々の出来事からして、陽介は悠と同じことができるようになっていたとしても、特に違和感はない。むしろあれだけのことが起きて、陽介がテレビに入れないようなら、それこそ違和感が出てしまうだろう。

 

 やがて陽介は足を止めた。悠も足を止め、若い二人は視線を真っ直ぐ合わせた。

 

「もしかすると……この事件を解決する為に、俺たちが授かったものなのかな?」

 

 そう言う陽介は真剣だ。かなり恥ずかしいセリフを口にしていて、本人もその自覚はあるはずだが、堂々と言ってのけた。赤面もせずに。ならばとばかりに、悠は滑稽な領域に一歩踏み込んだ。

 

「お前は選ばれた……ってことか?」

 

 少しばかり冗談っぽく。すると陽介の顔に朱が差した。

 

「はっきり言うなって! さすがにハズいぜ! つか、テレビに入るのもペルソナも全部お前が最初なんだから、お前こそ選ばれたんじゃねえのかよ!」

 

 いささか深く踏み込み過ぎたようだった。しかし陽介は照れてはいるものの、昨日鏡像に言われた時のように怒りはしなかった。

 

 そもそもなぜ『選ばれる』ことが恥ずかしいのか? それは現実的でないからだ。超人やヒーローは万人が望むものであり、恥ずかしいのは望んでも得られないのが普通だからだ。子供の頃はヒーロー物の特撮やアニメに憧れても、大人になれば現実を知る。だから人は恥ずかしがる。中には過去の己を認めたくなくて、ヒーローそのものを憎悪する人間さえいる。子供っぽい夢想に遊ぶのは、大人がするべきことではない。それはもはや理屈ではなく、世間の人々の間で自動化された定理である。

 

 しかし悠と陽介が得た力と置かれた状況は、妄想でも虚構でもない。紛うことなき現実だ。世にも稀なる力を現実に手に入れて、どうしてそれを恥じねばならないのだろうか。まして若い二人は、力そのものを無価値と見なすような世捨て人の精神とは縁遠い。

 

「お前とならさ、犯人見つけて、この事件を解決できるような気がするんだ。ま、よろしく頼むぜ!」

 

 陽介は片手で自転車を支えながら、もう片方の手を差し出してきた。知り合ってからまだ一週間も経っていないが、その視線には悠に対する信頼感が滲み出ている。それは異常な世界で異常な経験を共にした、他では決してあり得ない連帯感のなせる業か。それともまた別の何かによるものか。

 

 悠はその点は考えなかった。ただ自分からも手を差し出し、握った。

 

「よろしくな」

 

 すると昨日に引き続いて、またしても時間が停止した。

 

『我は汝、汝は我……』

 

 陽介の手を握ってその体温を感じ、雨上がりの土の匂いを空気の中に感じ、遠い都会から来た自分が八十稲羽の土地に迎えられたことを感じたその状態で、世界の一切が停止した。そして新たな絆を見出したと厳粛に告げる、『我』の声が脳裏に響き渡った。

 

(またか……何なんだろうな、これ?)

 

 頭に声を響かせる『我』は何者であるのか、そして『絆』とは何であるのか。この件に関して、未だ誰にも何の話も聞いていない悠には分からない。しかし悪い気はしない。むしろ面白くなってきたと思わざるを得ない。

 

 人の死が関係しているのだから不謹慎であることは承知しているが、それでも面白く感じずにはいられない。そしてそういう自分に特に嫌悪も感じない。ならばこれ以上深く考えるのは、無粋というもの──

 

「取り敢えず、携帯の番号教えてくれ」

 

 悠は謎の声から始まった内省を打ち切り、制服のズボンのポケットから携帯電話を取り出した。もう長い期間に渡って使っている、折り畳み式のいわゆるガラケーだ。仲間として事件を一緒に追うのなら、連絡を取り合えるようにするのは必須だ。テレビの中では電波が通じるはずもないが、現実では当然必要になる。例えばマヨナカテレビが放映されれば、それについて話し合わねばならないはずだった。

 

「おうよ。あ、そう言えば……」

 

 陽介の携帯電話も悠と同じく、折り畳み式のタイプだった。しかし陽介はポケットから取り出したそれを開くや、自転車のサドルを腰で支えて両手を自由にした。そしてキーが並んでいる機械の下半分ではなく、映像や文字を表示する画面部分に指を当てた。だが何も起こらない。指は画面にもぐり込まない。

 

「入んねえか……携帯でもワンセグとか見れるし、もしかしたらって思ったけど」

 

「俺も入らないな」

 

 携帯電話でテレビと同じことができるのか、二人して試してみたわけだ。だが駄目だった。この結果からすると、携帯電話ではマヨナカテレビも確認できない可能性が高い。つまりマヨナカテレビは飽くまで『テレビ』でなければならず、他の機械では無理。なぜそうなのかは見当もつかないが。

 

「ま、いいけどよ。つか、テレビが見れれば何でもいいってんなら、逆に困るところだったぜ。俺ら、スマホやタブレットも使えなくなっちまうじゃん? 持ってねえけどさ」

 

「それは不便そうだな。俺も持ってないけど」

 

 指で画面に直接触れて操作する電子機器は、最近になって一般にも出回り始めた。悠と陽介はそうした文明の最先端をまだ手にしていないが、手にしても問題はなさそうだった。そのことに少しだけ安堵し、笑いながら、二人は互いの電話番号とメールアドレスを交換した。そして通学路を再び歩き始めた。

 

 

 余談だが、二年二組の教室に入るなり、悠と陽介は千枝から突然の追及を食らった。千枝が言うには、昨晩のマヨナカテレビに映ったのは雪子ではないかと。親友の安否を憂うあまり、千枝は泣き出しそうになったが、二人に宥められて旅館に電話してみた。すると雪子は普通にいた。そんな一悶着が、ホームルーム前の三人の間で起きた。

 

 そして放課後、三人はジュネスに向かった。珍しく家電売り場に人が多かった為に、テレビに入ることはできなかったのだが、いつものテレビ越しにクマと話したところ、放り込まれた人はいないとのことだった。マヨナカテレビに映ったにも関わらず、人がいない。その状況に釈然としないものを感じつつも、三人はそこで解散となった。

 

 

 

 

 その日の夜、早紀の遺体発見現場では──

 

「全く、何がどうなってやがる……」

 

 堂島は傘を差しながら、事件について一人考え込んでいた。そこへ足立が小走りでやってきた。その手にはやはり傘を持っている。

 

「やっぱこれ以上は出なそうっすね。犯人に直接繋がる物証はなしか……」

 

 この二人は雨の中、事件現場で数人の制服警官を指揮して手掛かりを探していたのだ。しかし収穫は足立が言った通り、まるでなし。遺留品の類は何も見つからなかった。降り続く雨に洗い流されてしまったか、元から存在しなかったのか、そこは判別がつかないが。

 

「まだ殺しと決まったわけじゃない」

 

「そうですけど、事故とは考えにくいっすよ」

 

「……まあな」

 

 堂島が言う通り、山野と早紀の死は未だ殺人と断定されていない。その主な原因は死因が掴めていないことだ。外傷は無論のこと、毒物が使われた形跡もない。刃物で刺された跡でもあれば話は早いのだが、そうした明確なものが何もないのだ。いかなる手段によって被害者は命を奪われたのか、その道のプロである警察がいくら調べても、まるで見えてこない。しかし二人揃って見せびらかすような状態で発見されたのだから、事故とはやはり考えにくかった。

 

「これで殺しなら、鉄板で同一犯による連続殺人だな。だが……」

 

 取り敢えず凶器その他の殺害手段を脇に置いて、殺人だと仮定する。そうすると犯人像が見えてこないのだ。当初は不倫関係のもつれとして、元議員秘書の生田目太郎とその妻の柊みすずが疑われたが、二人ともアリバイが固かった。ではその二人以外で怨恨などの動機を持ち得るのは──

 

「お前、山野の警護に出てたんだろ? 何か不審な点とかなかったのか?」

 

「そりゃ不審だらけでしたよ。不倫騒動で気が立ってたんでしょうけど、誰彼構わず当り散らしちゃって……天城屋の女将さんになんか、酷いもんでしたって。旅館の人が仕返しを考えたって、全然不思議じゃないっすね」

 

「らしいな……それがまた厄介だ」

 

 堂島は疲れた顔を見せた。広く考えれば、天城屋旅館の従業員全員に動機があることになる。そして極端に広く考えれば、アナウンサーという仕事柄、山野が勤めていたローカル局の視聴者全てに動機があることになる。有名人に対する犯罪というものは、直接会ったことさえない人間が加害者となる事例が現実にあるのだ。

 

「二件目の動機はもっと分からん。口封じとしちゃおかしいしな」

 

 そして捜査をより混乱させているのが、二人目の被害者である小西早紀だ。被害者同士の最大の接点は、遺体の第一発見者であるという点だが、二件目の発生は一件目が発表された後である。口封じにならないし、そもそも一件目からして死体を吊るすなどという常軌を逸したやり方なのだから、隠す意図がまるで見えない。ならば二人を結ぶ線が、他にないかどうかだが──

 

「他の繋がりって言や、山野が死の前に滞在した宿の娘と同じ高校……ってくらいか」

 

「らしいっすね」

 

「もちろんそんだけじゃ、動機と全然絡まねえ。だが……」

 

 堂島は若い相棒に背を向けて、早紀が吊るされていた電柱の下まで歩いた。そして傘を肩にかけて、変わり果てた姿となった女子高生がいた場所を見上げた。闇の深い稲羽の夜空から降る雨が、無精髭の出始めた堂島の頬を叩く。肌に感じる春の冷たさが、煮詰まった思考を少しだけ解いていく。

 

「気になるのは、死体が上がったのと同じ日に発生した二つの事件だ。いや、そもそも事件扱いされてねえが……その同じ高校の生徒が二人、意識不明で倒れた。二件の殺しを結ぶ線が、そこにあるかもしれん」

 

 堂島が言う通り、死体が上がった今月12日と15日の早朝、八十神高校に在籍する女子生徒が病院に担ぎ込まれたのだ。しかし二人とも外傷はなく、暴行の形跡などもない為、警察は事件性を見出してはいない。と言うより、殺人事件の陰に隠れて目立たなくなり、脇に置かれていると言った方が正しいかもしれない。だが堂島は気にしていた。根拠は特にないのだが。

 

「お、出ましたね! 刑事の勘!」

 

 そこへ足立の合いの手が入った。実年齢よりも若く見えるくらいの、人懐っこそうな笑顔を添えて。だが堂島は相棒の囃しを耳に入れてはいなかった。

 

 ──

 

 足立が口を開いたまさにその瞬間、雨に触れている堂島に、ある『声』が届けられたのだ。この日の朝、悠が陽介の手を握った時のような。だが甥が聞いた厳粛な、侵すべからざる神聖さを感じさせ、時間までも止めてしまう声よりも、ずっと曖昧だった。何を言われたのか分からないし、そもそも言葉になっていないかもしれない。まるで霧に隠されたような『声』だった。

 

「おい、何か言ったか?」

 

 だから堂島は自分が何に襲われたのか、理解できなかった。もしや口の軽い相棒が何かいらぬことを言ったかと、普段から鋭い視線を更に強くして振り返った。

 

「え!? い、いえ……何も言ってませんよ」

 

 そして足立も、相棒の身に何が起きたのか理解しなかった。ただ自分の失言を聞き咎められたかと思って、傘を持っていない方の手を慌てて振り回した。

 

「ふん、まあいい」

 

 堂島は再び電柱を見上げた。冷たい雨は相変わらず降り続いている。予報では明日は晴れるらしいが、朝はまだ遠い。

 

「だが倒れた二人は未だ入院中……。ろくに話も聞けん状態だ」

 

 堂島は死人が出た日に倒れた二人を気にはしている。しかし事件とどう繋がるのかは、全く見えていない。想像もできない。藁にもすがると言うか、思い付きの域を出ていないのだ。だから相棒以外の同僚や上司にも、この思い付きを話してはいない。

 

 しかし泣き言を言っても仕方がない。どれだけの難事件だろうが、警察は何とかして真相を究明しなければならないのだ。

 

「今はガイシャ周りをしつこく洗うしかねえか。歩いていりゃあ、きっと何か手掛かりもある……」

 

 そのくらいで堂島は頭を一旦切り替えた。

 

 

 その日の夜遅い時間になってから、堂島と足立は署に戻ってきた。昨晩もそうだったが、署内に残っている職員は数多い。つい先月までは、猫探しだの夫婦喧嘩の仲裁だの、警察の仕事ではないことなども舞い込んできたのだが、そんな雰囲気は除湿機に吸い込まれる湿気のように拭い去られている。突然降って湧いた『連続殺人』は警察、特に刑事たちに本来の職務を思い出させている。

 

「ちょっと一服してくる」

 

 堂島は刑事課の出入口近くの傘立てに傘を放り込むや、自席に戻る前にそう言った。

 

「はーい」

 

 足立は相棒の後には従わず、そのまま自席へ向かった。足立も煙草は吸うものの、一日の本数は堂島よりずっと少ない。赴任してきて半月ほど経っているが、署内で吸ったことはほとんどないくらいだ。だから堂島は相棒を置いて、一人で喫煙所へ向かった。

 

(署内がちょっと浮ついてるな……)

 

 雨を含んだ革靴が廊下に湿った音を立てる中で、堂島は考えた。片田舎の稲羽では大きな事件などめったに起こらない。それが今は全国区のニュースになっている。堂島の二十年近い刑事としての職歴の中でも、類似の事態はすぐには浮かんでこない。そんな有様だから、署内は良く言えば緊張感のある、悪く言えば祭りの前に準備の段階から熱中して、いざ本番となればどれだけの大騒ぎになるか想像もつかない、地に足がついてない様子に見えるのだ。

 

 実直を旨とする堂島にすれば、危うさを感じずにはいられない。何か一つきっかけがあれば、容易に誤った方向に捜査が進んで、散々振り回されそうな予感がする。堂島の見る限り、事件前と変わらないでいるのは、飄然とした元本庁の相棒くらいだった。

 

(もっともあいつは普段から緩すぎるが……)

 

 そんなことを考えているうちに、喫煙所に辿り着いた。堂島が勤め始めた頃は、自席でも煙草が吸えたものだったが、最近は色々うるさくて警察署でも分煙が進んでいる。

 

「ふー……」

 

 煙草に火を点けると、長い息が漏れた。雨の中を歩き回った疲れが、紫煙の伸びる長さに表れている。消えゆく煙を追って、堂島の視線は空気の淀んだ小部屋をゆっくりと動いた。すると反対側の隅に、二人の先客がいるのが目に入った。ただし刑事ではなく地域課の警官だった。息を吐き出して急な疲労を覚えた堂島は、事件に関する思考を一旦止めて、二人の会話を聞くともなしに聞いた。

 

「聞いたか? 警視庁から刑事が来るってよ」

 

「何だ、殺しの件か?」

 

「いや、そっちじゃなくて。意識不明で倒れた高校生の件だってよ」

 

 瞬間、堂島の目に光が戻った。

 

「おい、ちょっと詳しく聞かせてくれないか?」

 

 そして気付いたら、喫煙所の反対側の隅まで歩み寄っていた。疲れてはいても、気になるものは気になる。

 

 

 同じ署の同僚とはいえ、部署の違う刑事からの突然の質問に地域課の二人は面食らったが、聞いたことには答えてくれた。そして煙草を吸い終えた二人は喫煙所を出た。その頃には堂島も吸い終えていたが、しばらくその場に留まった。

 

(なぜ警視庁から? しかも事件扱いされていない方に……)

 

 これで来るのが県警で、用件が山野真由美と小西早紀についてであれば、特に驚くような話ではない。むしろ当然だ。殺人のような重大事件となれば、所轄だけに任せずに県警本部が出張って来るのはよくある話だ。所轄の刑事たちにすれば、手柄をさらわれる形になるので不満を持つ種ともなるのだが、それでもよくある話である。しかしこれはよくある話ではない。

 

 東京都を管轄する警視庁から、わざわざ遠く離れた稲羽に刑事が来る。しかも事件扱いされていない出来事に関してだ。何か裏があるのではと、堂島は疑念を深くする。

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