大抵の犯罪には動機がある。経済的な問題や怨恨、更には思想信条など犯人の事情によって様々な犯罪が起こる。しかし犯罪の標的になった者、つまりは被害者と動機の間に、明確な関連性が存在するとは限らない。
例えば怨恨による殺人事件であれば、犯人が被害者その人を狙うのは、動機と直接的に結びつく。しかし金に困っていた窃盗犯が空き巣に入った場合、狙われた家と動機は直接結びつかない。無論、ある程度の選択理由は存在し得る。金がありそうな家を狙ったとか、郵便受けに鍵が入っていたので侵入が容易であったとか。だがそうした家が他にいくらでもある中で、つまり多数の選択肢がある中で、なぜその家を狙ったのか? 具体的な標的を決定するに至った、合理的な因果関係はそもそも存在しないことがあり得る。一言で言うと『どこでもよかった』のだ。
では殺人事件において、犯人が被害者その人を標的として選択した理由が、『誰でもよかった』というケースはあり得るだろうか? 逮捕された犯人が警察による取り調べや裁判で、そう供述することはある。実際にある。
しかし真実、『誰でもよかった』とは限らない。何らかの事情で選択の理由を隠したくて、そう言っているだけというケースはある。犯罪事実が明らかになり、逮捕や起訴されてなお、隠しておきたい事情というものは存在し得るから。もしくは犯人自身さえ、理由を明らかにしようと思ってもできない場合もある。被害者遺族が事件や犯人への気持ちを言葉で表現するのが困難であるように、犯人側にも同じことが起こり得る。言語化された動機が、真実そのものと等価であるとは限らない。記号表現と記号内容は同じではない。
「なるほど、影時間と近い感じがする……。いや、あれより異質かもしれん。召喚器が必要なくなるというのも頷ける」
初めてテレビの中に降り立った美鶴は、異世界が異世界たるところを感じ取った。現実では召喚器が必要なペルソナ使いも、テレビの中では一声呼ぶだけで召喚できるようになる。美鶴は堂島からの報告を有里経由で先月から聞いているが、改めて自分自身で実感したところである。
「ふむ……そのようだな。俺は現実でも召喚器なしでいけるようになったが、ここではより容易そうだ」
真田はグローブをはめた拳と掌を打ち合わせた。元々ボクシングを習っていた真田は、戦闘では両の拳を主体として戦う。中学時代から使っていた召喚器は今でも持ち歩いているが、使わない方がスタイルと合う。その点、テレビの中はまさにうってつけの戦場である。
「では始めましょう。小西君、足立さんを探して」
「はい」
有里に促されて、尚紀は目を閉じた。召喚器は制服の下に隠したままだ。桐条グループ謹製の超常兵器は用いずに、自分自身の内に住まう者を心で見つめる。姉の姿が頭の中で結ばれ、声が再生され、脈動や体温までも感じる。感じるごとに、尚紀は自分自身の奥深くへとはまり込んでいく。まるで水底に沈むように。
「……」
今となっては遥か昔のように思える幼い頃、鮫川で姉と遊んだ思い出が蘇る。川で泳いで、潜って息を止めるように、尚紀は集中力を高めてゆく。呼吸が苦しくなって閉じた目元に知らず皺が寄った頃、尚紀は目を開けた。
「姉ちゃん、出てきて」
一声呼ぶと、女のペルソナが頭上に顕現した。白い経帷子に包まれた肩は細く、昔ながらの小さなテレビの枠にも収まりそうなものである。やはり細い首を左右に巡らせ、やがて布で隠した顔を霧の一方へ向けた。
「これは……うちの店に穴ができてるわ」
そして喋った。声色は尚紀が思い浮かべた通りで、生前の早紀と全く同じである。
「穴ですか?」
「あそこからまた別の場所に通じてる穴よ。隠れてるつもりかしら?」
有里が問い返すと、ペルソナは説明を追加した。尚紀のペルソナと早紀のシャドウが融合したこの存在、ペルソナ呼称は『スセリビメ』は他のペルソナと異なって、あたかも固有の自我を持っているかのように振る舞う。昨日も悠や陽介と話をしたように、使用者である尚紀以外とも会話をするのだ。
「行ってみましょう」
「なるほど、穴ですね」
スタジオを後にした五人は、異様な商店街のコニシ酒店にやって来た。巨大な店に入ってみると、確かに『穴』はあった。店の入り口と同じ赤と黒の同心円が、レジカウンターの上に浮かんでいた。この店は酒樽でも何でも規模が大きすぎるが、酒屋という舞台には相応しいものが置いてある。そんな中で舞台には不釣り合いな、不自然さそのものを表す現代芸術のオブジェめいた穴が、音を発しそうな存在感で鎮座している。
「く……」
『実家』に来た尚紀は呻き声を漏らした。原色の赤と純粋すぎる黒という、趣味が良いとはとても言えない異様な穴を目にした途端、頭の片側が痛み始めたのだ。思わず右手で頭を押さえ、腰を屈めて左手を膝に当てる。
「小西、具合が悪いのか」
堂島が声をかけると、尚紀は体を起こした。
「だ、大丈夫です……」
そうは言うものの尚紀の顔色は青く、額には汗が滲んでいる。心か体のどこかでスセリビメが身じろぎしているのだ。異界の只中に設けられた更なる深みへの入り口の、その向こうに足立がいることは、状況からして間違いないと言っていい。『自分』の仇に近づいていることを感じて早紀が逸り、それが使用者に悪影響を及ぼしている。
身の丈に合わない、強大すぎるペルソナを手に入れてしまった者が陥りやすい症状だ。今の尚紀を医師に見せれば、二年前に何人かのペルソナ使いが使っていた劇薬の制御剤が必要と診断するかもしれない。
「さて……ここでもう一度確認しよう。我々の目的は連続殺人事件の犯人、足立透の確保だ」
そんな情報担当を余所に、隊長の美鶴が話し始めた。ヒールを履いた足元の床には血だまりがある。
「彼は元より稲羽支部では突出した実力の持ち主だったが、今や成長限界まで達したと考えるべきだろう。戦いは容易ではないと予測される」
足立のマガツイザナギは潜在能力においては美鶴や真田を凌ぐ域だ。それは特殊部隊に参加した当初から分かっていた。あれから月日を経た現在、理不尽なほどに恵まれた素養が完全に開花したとするならば、シャドウワーカー本部といえども油断はできない。下手を打てばテレビの世界に生じる血だまりは、悠のものだけではなくなるかもしれない。
「またこのような穴を空けているのは、我々を待ち構えているとも受け取れる。つまりこの先は敵の懐だ。罠が仕掛けられている可能性も高い」
ここまで言って、美鶴は尚紀に向き直った。軍隊の上官が部下に訓示を与えるように。
「そこでだ……小西君」
「はい」
「我々は君に強制はしない。もし体調が優れないのなら、君はここで戻ることを勧める。彼に会いたくないとか、単に気が進まないとかの理由でも構わない。何も言わずに戻ってもいい」
だが隊長の口から出てきたのは、訓示や鼓舞ではなかった。この先は敵の懐で罠があるかもと言っておきながら、迷宮の攻略には欠かせないサポート役に撤退を勧める。特別課外活動部の時代であれば、まず出てくるはずのないセリフである。
「……」
「君はこの事件における最大の当事者だ。それだけに、君の意思は尊重したい。我々に気を遣う必要はないのだ」
尚紀は以前もこれと似た話をされたことがある。『遊び気分があるなら帰れ』と。7月の霧の日、特殊部隊員として初めて戦いに臨んだ時だ。言ってきたのは堂島である。
「俺はやります」
「なぜだ?」
堂島は厳しかったが、美鶴もまた厳しい。戻る理由は聞かないと言うのに、進む理由は聞いてくる。
「……済みません。上手く言えないですけど……俺がやらなきゃいけないって……そう思っています」
夏の尚紀は『この町を守る為』と答えた。そしてそれは嘘だった。だが今は本気である。真実を知った今、引き返す道はないと思っているし、引き返す意思もない。更なる真実を知るまでは絶対に後には退かない。尚紀はそのつもりでいる。
「心配するな」
そこへ堂島が口を開いた。少年の小さな肩に、警棒と召喚器を握り慣れた無骨な手を乗せる。昨晩新たに目覚めた力と決意を、年若い少年に分け与えようとするように。高校一年生の少年の短い人生を二重三重に狂わせた事件に、今こそ決着をつけるのだと。
「お前は俺たちが必ず守る」
かつて嘘を見抜いた堂島であるから、今の尚紀は本当のことを言っているのだと分かる。部下の意志を、隊長に先んじて支部長が認めたわけである。言うなれば、これは越権行為なのだが──
「分かりました……。全員で参りましょう」
支部長の承認を隊長は追認した。尚紀が最大の当事者なら、堂島はそれに次ぐ当事者と言って良い。警察官として、相棒として、地元のシャドウ事案を担当する支部責任者として。そして三人目の被害者の『父親』として。本質的に異邦人である美鶴は、主体者たちの気持ちを汲むことにした。
コニシ酒店に開いた出入口を通り抜けた先は、荒野のような場所だった。と言うより、荒野の概念がそのまま具現化した空間だった。
「何もない……」
堂島は左右を見回したが、何も見つからなかった。何もないのだ。遠くの景色には町並みらしきものも見えるが、遠すぎて判然としない。砂漠の蜃気楼のようなもので、どんなに歩いても手は届かない、まさに景色そのものでしかない。そして手足の届く範囲には、赤茶けた地面以外には何もない。真っ平らな虚無の王国だ。と思いきや──
「む……少し行った先に、また穴がある」
美鶴は本職には及ばないものの、訓練で身に付けた情報系の能力を持っている。その力でもって、『何もないがある』とでも言うべき矛盾した空間に、何かがあることに気付いた。いや、『ある』と表現するのが正しいとは言えないが、とにかくただの地面ではないものを発見した。
「行ってみよう」
美鶴を先頭とした五人が向かった先には、二つ目の穴があった。ただし酒屋にあった横向きのものと違って、荒野の地面に口を開けた縦向きのものだ。殺人を突き抜けたら虚無に落ちて、更に底が抜けた、とでも言うのだろうか。深淵そのものの暗黒は、眼鏡を通しても全く見通せない。
「調べてみます」
何かの罠を仕掛けられていないか、尚紀は再び早紀を召喚しようとした。目を閉じて集中力を高め、奥歯を噛みしめる。また襲ってくるであろう頭痛に耐えようと、あらかじめ力む。しかし姉を呼ぶ寸前、声をかけられた。
「小西君、召喚器を使った方がいい」
「え?」
有里だ。尚紀は集中を中断し、副隊長の側を向いた。
「例えば……そうだね。あれで頭痛そのものを撃ち殺すとか、穴が空いた頭からペルソナが出てくるとか。そういうイメージでやってみるといい。今より楽になるよ」
召喚器は『銃』である。それで自分を撃つとは、死を疑似体験すること。それがペルソナ召喚の基本である。特別捜査隊はともかく、シャドウワーカーはそうだ。だから銃、即ち殺しの道具であることを意識した方が召喚しやすくなる。例えば有里は5月に堂島の訓練を監督した際、『召喚器で普段の人格を撃ち殺す』ことをイメージするよう助言して、それで成功を見た。今日の尚紀に与えたアドバイスは、そのバリエーションのようなものだ。
「はい……」
尚紀は勧めに従って、懐から兵器を取り出した。両手で持って銃口を額に当てる。そして再び目を閉じて集中力を高めた。脳の中心で血が凝り、神経が縒り合される様をイメージする。それが違和感となって、骨や皮膚に痛みを感じ始めた瞬間──
「ペルソナ」
引き金を引いて違和感を撃ち殺した。ガラスの破片は頭を傷つけることなく、ペルソナは滑らかに表に出てきた。顔を隠した女のビジョンは、少年の頭越しに深淵を覗き込む。
「あの男、この下にいる……。罠は別に仕掛けられてないし、迷路にもなってないけど……シャドウがいるわ」
スセリビメは情報系ペルソナとしては、最高レベルの能力を持っている。尚紀の生来のペルソナであるイナバノシロウサギはもちろん、りせや本部のサポート役である風花にも勝る。深淵の向こう側の地形から何から、居ながらにして見抜いてしまう。スパイ衛星さながらの便利さだ。これに匹敵するのは、ポートアイランドにかつていたストレガのサポート役くらいであろう。
「シャドウは足立さんを襲ってはいないのですか?」
「襲ってないわね。手懐けられてるって感じがするけど……ん? これは……あの男以外の反応があるわ」
有里に問いかけにもすぐ答えた。だがその最中に、意外なことを言い出した。
「何? まさか他の人間がいるのか?」
今度は堂島だ。声は硬い。足立以外の反応があるとは、もしや相棒はまた誰かを落としたのかと、気が張りつめるが──
「人間じゃない……。シャドウでもない、何か得体の知れないもの……」
何でも見抜く情報使いは、初めて歯切れが悪くなった。打ち覆いで隠されたスセリビメの目には、今まで見たことのないものが映っているのだ。存在することが分かっても、正体まで見抜けるかどうかはまた別の問題である。学んだことのない異国の文字は、書かれていることが分かっても、読んで内容を理解することができないように。
「シャドウを手懐けているのはそいつね」
「ふむ……シャドウを支配する者か」
美鶴は腕を組んだ。何となくだが、思い当たる節があったのだ。かつての戦いにおいて、『シャドウから一歩進んだ存在』と名乗る者がいた。『彼』はシャドウに命令したり操ったりはしなかったが、やろうと思えばきっとできた。そう判断するに足るだけの存在が、昨年初めにこの世にいたのだ。もしこの穴の底にいる者も、そうした類のものだとしたら──
「早い話が敵の親玉なんだろう。ならちょうどいい。まとめて倒す」
真田は拳を打ち合わせた。かの『一歩進んだ存在』の凄まじさは、真田も自分の目で見ている。それでいて恐れや緊張は伺えない。戦意は十分だ。
「有里さん。現実に出る霧とシャドウはこちらの世界から漏れていると、以前から考えられていましたが……」
堂島が再び口を挟んだ。聞いているのは、上司である副隊長だが──
「多分そうね。そいつが元凶なんじゃない?」
刑事の確認に答えたのは殺人事件の被害者だった。
「ならば……やるしかありませんな」
真田に続いて堂島も戦意を高めた。推測の形ではあるものの情報系ペルソナがこう言うからには、一つの保証と言っていい。これまで分からないままだった現実の霧を解決する突破口が、思いがけず見つかるかもしれない。元々は霧の日の獣害事件に対処する為に結成された稲羽支部の支部長として、地元民として、そして娘と『息子』を守る父親として。気迫は嫌でも漲るというものだ。
「遅かれ早かれ、倒さねばならない敵ということですね」
結論は有里が述べた。この先に何者が潜んでいるのか、まだ分からない。だが目を逸らすわけにはいかない。有里は堂島や尚紀と違って、稲羽の人間ではない。常駐を始めてそろそろ三週間になるが、異邦人のままである。しかし獣害事件を解決する意志はある。何しろ自分は事の原因であるのだから。
「行きましょう」
荒野に空いた縦穴に飛び込んだ先は、またも荒野だった。ただ空気の色が変わっていた。近頃はテレビの中でも外でも、眼鏡を通しても視界から去らないほど霧が濃くなっている。だが深淵の底らしきこの空間は、霧の濃度ばかりか色も異様だった。赤色である。黄昏の色であり、血の色だ。足立が操る雷の色でもある。
『やあ……来たかい。待ってたよ』
そして声が聞こえてきた。約束していた訪問客を自宅に迎えるような、穏やかな声だ。
「足立! お前、どこにいる!」
迎えは声だけで、姿はない。
『すぐそこにいますよ』
堂島の怒声に応えて、荒野に案内が現れた。足元で光る誘導灯である。昨晩に悠を案内したように、今日は赤い霧の中に青い光の線が引かれた。二重の光は平行に走り、五人が立つ場所から一直線に伸びている。
「大胆な男だな……」
美鶴はぽつりと呟いた。うっかりすると、感心しそうになってしまう。
穴に飛び込む前の、スセリビメの分析は正しかった。無の深淵には罠どころか仕切り壁や曲がり角さえない。生田目に落とされた被害者が生み出した迷宮とは対照的な、完全な一本道だ。すぐそこにいると言う足立自身の声以上に、空間そのものが主の意思を代弁している。
と思いきや、道を塞ぐ障害物が現れた。
『ああ、済みませんねえ……』
シャドウである。不摂生を極めた駄目な大人を表しているような、酒樽もかくやと膨らみきった腹に大きな穴が空いている。肉眼では見通せない暗黒ではなく、誰でも向こう側まで見えてしまうただの穴だ。手錠と拳銃を手にしていて、警察の制帽を頭に乗せている。それが三体、地面から湧いて出た。
4月の終わりの霧の夜、堂島を襲ったシャドウと同じ姿である。アルカナは被害者と同じ法王だ。『警察官』であることも同じである。
『何か僕が来てからシャドウが騒がしくなってんです。ま、軽く遊んでやってください』
口振りからして、足立が堂島たちを妨害する為に呼び出したものではないようだった。シャドウの方から勝手に出てきたか。もしくはシャドウを手懐けているという、足立以外の存在の仕業か。だが誰の差し金であるにせよ、倒さねばならない。ペルソナ使いにとってシャドウは倒すのみだ。
「ったく……」
堂島はベルトに吊り下げた、長さ二十センチ程度の警棒を手に取った。手元のスイッチを押して六十センチほどに伸ばす。尚紀を救助した6月以来、何度も実戦で振るい、すっかり手に馴染んだ武器だ。
「ウォーミングアップにちょうどいい」
堂島に続いて、真田も飛び出した。
日本の警察官は剣道や柔道が必修であるので、堂島も修めている。しかし武道で習う技術は、一対一の状況下でこそ真価が発揮される。武器は互いが同じものを使うか、そもそも使わず、体格も自分と同程度であることが前提だ。つまり同じ土俵での戦いを想定している。しかし実戦においては、格闘技の大前提が通用しない場合がある。と言うより、通用しないのが普通だ。
例えば警察による強行犯罪の制圧には、多数の警察官でもって少数の犯罪者に当たるのが基本だ。犯人が武器を所持していれば、対抗策として盾なりを装備する。軍隊同士の戦争においては、『同じ土俵』になどそもそも上がってはならない。戦う前から優位を確保するよう、土俵をあらかじめ組み立てることが最も重要で、それを戦略と呼ぶ。もちろん対シャドウ戦も同様である。
つまり一対一どころか一対多、多対一、多対多の全ての状況があり得る。あらゆる局面に対応することが求められるのが、ペルソナ使いの戦いであり特殊部隊の職務である。
「ふん!」
現れた警官のシャドウは一人の犯罪者を大勢で取り囲む本物の警察よろしく、数の暴力を振るってきた。当初は三体で現れたが、一体倒せば次の一体が呼ばれ、二体倒せばまた呼ばれる。その繰り返しだ。増援をいくらでも呼び出すタイプのシャドウだった。手近な一体を、堂島は警棒で叩き伏せた。
シャドウを初めて見た晩、堂島は警官のシャドウに手錠で打ち据えられ、拳銃で撃たれて重傷を負った。ペルソナの素養だけあって召喚はまだできなかったその頃は、相棒を庇うだけで精一杯だった。しかし今は違う。自らの決意によって生まれ変わった新たなペルソナの恩恵も含めて、人生最高の絶好調だ。
「なかなかやりますね。シンジとよく似ている……」
堂島と背中合わせになって戦っているのは真田である。中学生の頃から習っているボクシングは、堂島が習った武道と同様に一対一を前提としたものだ。しかし対シャドウ戦の経験においては、真田は堂島を凌ぐ量を積んでいる。格闘技の大前提から外れた多対多の戦いでも、そつなくこなす。今日初めて会ったばかりの男とも、親友と似たタイプであることもあって上手に連携を取る。
「こいつら、一匹ずつ倒していてはきりがありません! 堂島さん、一気に薙ぎ払ってください!」
両手の指では足りないくらいの数を、堂島と真田が叩き伏せた頃。有里が自らも戦いながら叫んだ。
「承知!」
現場指揮権を持つ有里の命令の下、堂島は腰を落とした構えを取った。召喚器は懐に仕込んであるが、それは使わない。警官を擬した敵の群れと、本物の刑事一人が対峙する形になる。
「コンゴウリキシ!」
そして呼び出されたペルソナは警官の姿ではなかった。法王のペルソナは名前が新しくなると共に姿も変わった。筋骨隆々の体格は元のままだが、身にまとうものは警察の制服から僧侶が着る法衣に変わった。仏教の護法善神の名の通りの、忿怒尊そのままの姿である。かつては素手だったが三鈷杵を手にするようになったことが、由来であろう神話との一致性をより際立たせている。
「やれ!」
仏法を護持し煩悩を打破するという仏の武器を、ペルソナは掲げた。瞬間、不可視の衝撃波が視界の全面へ向けて放たれた。物理的な威力を広範囲に展開する、力感溢れる大技だ。警官のシャドウは数を頼みにする分、個々の戦力は高くない。絨毯爆撃もかくやと言う隙間のない攻撃によって、警官たちはまとめて滅ぼされた。
「堂島さん……凄いですね」
「そうだね」
尚紀の感嘆に、有里は短く答えつつ思う。
(昨夜ペルソナを進化させたとの話だったが……大したものだ。ポテンシャルだけなら荒垣に匹敵するんじゃないか?)
目覚めた当初の堂島は、並の力しか持たなかった。特別課外活動部の時代から多くのペルソナ使いがそうであったように。しかし昨日に事件の真相が明らかになり、悠が撃たれたことで、堂島は殻を破った。シャドウワーカーの本部隊員と比べても見劣りしない。安定性の面でも、召喚器なしで使えるくらいだから問題ない。モチベーションも高く、今日の戦いでは十分戦力になる。有里はそう判断した。
「立入禁止……?」
シャドウの群れを滅ぼして、誘導灯の案内に従って進んだ先では、黄色いテープめいたものが道を塞いでいた。血煙を連想させる赤色の只中に、網のように編まれた仕切りがあった。よく見ればテープには文字が書かれている。長い時間を経て劣化したような文字は判読しづらいが、『KEEP OUT』とある。警察が事件現場を保存する目的で、一般人が入らないようにするものだ。
『どうぞ』
すると仕切りの向こうから声がかけられ、同時にテープの網は取り払われた。所々が切られて、否、自ら裂けて、訪れた者たちを迎え入れてきた。無関係な人間は拒むが、関係者なら拒まない。そんな相手の意思が警察の業務用の道具に表れていた。
「足立……」
堂島は相棒の気持ちに関して察せられるものがあった。だが敢えてここでは口にせず、禁じられた区画に招かれて足を踏み入れた。
「ようこそ……って言うべきかな? 尚紀君、堂島さん。それと本部の方々……」
赤い霧に包まれた一本道が行き詰まった場所で、六人のペルソナ使いが対峙した。迎える側である足立は眼鏡をしていない。よれたスーツの下には、シャドウ対策の得物である拳銃が仕込まれているはずだが、手に持ってはいない。一見すると丸腰の状態で、訪れた側の五人を迎えた。
「足立さん……」
五人の側は尚紀が先頭に立っていた。普段の情報担当は戦列の後ろにいるものだが、今日は前に出ていた。その両脇を、少年を守るように堂島と真田が左右に立っている。有里と美鶴は後列だ。
「……」
足立は小さく微笑んでいる。迎えの挨拶の他には口をきこうとしない。
「どうして姉ちゃんを殺したんですか」
だから尚紀は自ら聞かねばならない。早紀はなぜ死んだのか。足立はなぜ殺したのか。動機は何であるのか。何がどう捻じ曲がって、現職の刑事が女子高生を殺す事態が生み出されたのか。被害者『本人』の証言によれば言い寄られたとのことだったが、納得は到底できない。真実は犯人の口から語ってもらわねばならない。ならないのだが──
「さあ?」
足立は答えなかった。
「さあって……」
「何でなんだろうねえ……。悪いけど、理由なんかないんだよ」
この世には理由のない犯罪というものは、確かにある。酷い話であるが。その酷さを悪いと思っているように、本心から思っているように、足立は表情に辛さを出した。普段より寝癖の大人しい頭に右手を差し入れ、首を傾げる。犯人の視線は被害者遺族の少年から逸らされた。
実のところは、足立が早紀を殺したことに理由らしきものはある。あるのだが、それをここで説明したくはなかった。硬いレンコンがどうなどと言っても、それは太陽のせいで人を殺したと言うのと同じようなもので、納得できる者がいるとは思えなかったから。仮に納得されたところで、それもまた本意ではなかった。何か適当な嘘を吐いて、殺人に至る『物語』をこしらえるのも気が進まなかった。
本当のことは言いたくない。嘘も吐きたくない。ならばどうするか?
「僕からも聞いていいかい。何で君はここに来たの?」
答えは決まっている。追及してくる相手を逆に問い返すなりして、話を逸らすことだ。そして逸らした方向へ、一気に体ごと雪崩れ込んでしまうことだ。追及どころではなくしてしまうのが、一番手っ取り早い。
「それは……」
「お姉さんの復讐? 正義感? それとも……ただの遊び?」
「……」
ここで足立は笑った。尚紀が特殊部隊に参加して以来、厳密には煮物の縁を叩き切った7月8日以来、何度も見せてきた特殊部隊の上役としての笑顔ではない。かつて早紀にも見せた、目尻を下げた悪人面である。
「僕的には、三番目じゃないかって思ってるんだけど……。ほら、君ってそういう奴じゃない? ねえ、違う?」
「その通りですよ」
答えが上がったのは、尚紀の背後からだった。
「!?」
追及される側に回った少年は、声に驚いて振り返った。後ろにいるのは特殊部隊のトップ二人だが、足立の問いに答えたのはもちろん有里や美鶴ではない。二人も後ろを見ている。その視線の先には鏡があった。
「お、お前……!?」
ここには人間が六人いる。だが鏡に映っているのは一人だけだ。小柄で線が細く、高校の制服を着た一人の少年の鏡像だ。武器の類は手にしておらず、両腕を組んで心なしか斜に構えている。顔は一部女性的な線の細さがある。だが眼鏡をしていない目は造作こそ細いものの、そんな印象はない。霧の鏡に映った瞳は金色に光っている。
「何だよ、俺はお前だよ。小西尚紀さ。シャドウワーカー稲羽支部の情報担当!」
テレビの中に人が落とされると、その人のシャドウが出る。それは本人と同じ顔で目だけが金色に光る。言動は敵意に満ちていて、極めて攻撃的。まともな話し合いは不可能。そもそも話し合う必要もなく、現れれば問答無用で叩きのめすことが推奨される。先月に悠たち特捜隊からもたらされた、人から出るシャドウの法則と対応策は、概ねこんなところである。
「お前はここに遊びに来たんだろ! つーか、ハナッからお前は遊んでただけなんだ! せっかくペルソナなんて、分かりやすい特別な力を手に入れたんだ。使わねえんじゃもったいねえよな!」
金色に光る鏡像が『真実』でもって本体を詰る。特捜隊の戦いにおいては何度も繰り返された事態が、12月にもなった今また再現された。
「あわよくば、シャドウワーカーの本部に入れてもらえるんじゃねえかって期待してたよな? クソつまんねえ田舎を出て、ウゼえ親も潰れかけの店も捨ててよ!」
「……」
霧の鏡に我が身が映った尚紀は、『自分』が並べ立てる揶揄に答えない。自覚していることばかりだから。早紀の死が獣害事件ではなかったと知った先月から何度も考えた末に、昨日『早紀』に告白したことだ。大勢の人の前で言われるのは恥ずかしくはあるが、耐えられないほどではない。
「姉ちゃんが殺されたって、らしい理由もあるしなあ!」
だがこれは限度を超えている。
「違う……!」
思わず否定の言葉が口からついて出た。たとえ客観的な真実であろうとも、自分で分かっていても、咄嗟の反論が出てしまうことはある。頭で認識することと、口に出して言われることは別である。高校生の少年少女たちが『お前なんか俺じゃない』と言ってしまうのは、無理もない話なのだ。しかし──
「有里、これは例の現象とは違うぞ」
「ええ」
最初に美鶴が気付いた。次いで有里も気付いた。
「小西君、落ち着け。あれは君ではない」
「ペルソナで見れば一目瞭然だよ。僕たちが分かるのに、君が分からないわけがない」
「あ……!」
隊長と副隊長に言われて、情報担当は気付いた。突如現れた存在は、自分の『本心』が霧に映し出されたのではない。鏡像なら尚紀は先月にあいのそれを見ているが、それとこれとは別物だ。10月に堂島宅前で出現した一条と長瀬の顔をした者たちとも違う。ただの幻だ。音声付きの立体映像に過ぎない。
「あら、バレちゃった?」
そしてホログラムを映し出したのは──
「花村君のシャドウを参考にしてみたんだけど、ちょっと嘘っぽかった?」
尚紀のシャドウ、ではなくてその幻を生み出したのは足立である。セリフも足立が考えたもので、尚紀の本心を映し出したものではない。かなりの部分で当たってはいるが。
「シャドウの反応がなかったからですよ」
答えたのは有里だ。有里は審判のコミュニティの『恩寵』によって探知能力を身に付けた。解析もできない半端なものだが、現れた存在が本物かどうかくらいは分かる。
「小西君がここに来たのは、僕が頼んだからですよ」
そして足立の最初の質問にも、有里が答えた。
「あっそ……それじゃ何で君は彼を連れてきたの。僕と顔を合わせたら、彼が傷つくとか思わなかった? サポート役なら本部の人でも良かったじゃん」
「鳴上君の報告によれば、こちらで人間を探すには相手の人柄などについての情報が必要とのことでした。山岸は貴方と会ったこともありませんし、僕や堂島さんが貴方の印象を伝えたところで、見つけられない可能性が高いと思ったのです」
足立との接点なら、堂島はもちろん有里も持っている。しかし殺人犯だとは思いもしなかった時の接点だけだ。悠から聞いた特捜隊の戦いにおいては、りせを始めとする有名人を探すにも、世間で言われている噂では被害者に辿り着けなかった。ならば風花が探しても足立は発見できないと、有里は判断した。足立がコニシ酒店に居続ける保証もない。では誰なら見つけられるか?
「しかし小西君なら、貴方は逃げも隠れもしない……」
有里が尚紀に白羽の矢を立てたのは、被害者『本人』をペルソナにして、しかも尚紀自身も足立と親しいからだ。だから尚紀なら見つけられる。と言うより、尚紀なら足立は逃げない。そう読んだのだ。
「案の定、貴方は逃げなかった。酒屋や上のフロアにあった穴も、彼が来なければ出さないつもりだったのではありませんか?」
「ったく……君ってホント容赦ないね? 使えるものは何でも使うっての?」
利用できるものは何でも利用する。利用されていると分かっていても、そうせざるを得ない方向に持っていく。有里がそういう類の人間であることは、足立はかなり早い時期から分かっていた。そもそも尚紀がシャドウワーカーに参加したのも、有里が推薦したからだ。反対する堂島を宥めて透かして、上司である美鶴も押し切った。素人の高校生や融通のきかない堅物よりも、こういう人間の方が概して手強い。
「あんまやりすぎてると、そのうち左遷されちゃうよ?」
「気を付けます」
愚者と道化師。コンビを結成できそうな二人だが、冗談のようなやり取りはここまでだった。今日は誰も遊びに来てはいないのだ。
「足立!」
堂島だ。相棒を鋭く見据え、有里とは対照的な厳しい口調で問い質す。
「山野を殺したのもお前か」
「ええ、天城屋で。警護に行った時です」
「なぜだ。なぜ殺した!」
「うーん……何ででしょうねえ? 若気の至りって奴ですかね?」
足立は尚紀に聞かれた時には何も答えなかったが、山野の件には少し言葉を費やした。もっとも実質的には、何も答えていないに等しい。たとえ真実であっても説得力はない。足立自身の態度に真面目さがないから。警察や世の中を非難して自分を正当化したりはしないし、理屈をこねて堂島を貶したりもしないが、それよりもたちが悪いくらいである。糠に釘を打つようなもので、押しても引いても何も出てこない。
「それが……お前の答えか」
答える気がないのが、足立の答えである。堂島は唇を噛んだ。怒りを噛み潰すと、別の思いが浮かんでくる。
表の仕事で相棒になって八ヶ月。裏では七ヶ月。その間にあった様々な出来事が思い出された。春以来、足立は何人もの人を助けた。裏の仕事の始まりでは堂島の命を助けた。獣害事件の被害者たちも助けた。生田目に誘拐された菜々子を助けたのも、足立である。稲羽支部で最強を誇る副支部長がいなければ、山野と早紀以外の死人が何人出ていたか分からない。
(お前は俺たちの命の恩人なんだ……)
だがそれとこれとは話が別だ。シャドウ対策でどれだけ功績を挙げようと、犯罪は犯罪だ。身内であろうと見逃すことはできない。捕まえた後で何かの取引が行われる可能性はあるが、それは今考えることではない。
「足立……お前を逮捕する!」