神や精霊などの聖なる存在は、それそのものが『生身』の形で姿を現すことは、基本的にはない。それらは何かの事物を通じて現れるもので、聖なる存在が顕現する現象を、宗教学ではヒエロファニーと呼ぶ。物としてのヒエロファニーの最も身近な例は、神や仏の像だ。そして社会的なイベントとしては、身近なものは『祝祭』である。要は大昔から現代に至るまで世界のどこでも行われ、多くの人間が参加してきた祭礼や儀式だ。そして一般に知られずペルソナ使いだけに知られた祝祭の時と言えば、影時間である。
かつては影時間にだけ現れていたシャドウ。これもまた聖なる存在と言える。生理的な嫌悪感を催す姿のものもいるが、それは問題にならない。よって影時間を神聖時間とするならば、影時間と同様にシャドウが現れるテレビの中は、差し詰め神聖空間と言うべきか。
そして聖なる存在は、何も人から生まれた異形の怪物ばかりではない。今は失われた神聖時間においては、月を実体とする神が顕現した。では現在ある神聖空間には、果たして何が存在しているのか。それは何によって、何を依代として顕現するのか。
テレビの中に生み出された不毛の荒野。これまでの被害者が生み出したコンプレックスが形になって現れた迷宮とは対照的な、単純極まる構造の異世界である。それが表すものは虚無そのもの。時間を遡ってみれば、そうなった経緯や事情を表す事物はきっとある。生み出した者の心理も、そこから理解し得るかもしれない。しかし今という時におけるこの空間の中には、虚無を生み出した要因の痕跡は何一つない。
創造神でありながら禍津神を名乗る存在が君臨する、神聖なる無の空間。それは昨年の初め頃に現世に降臨した、ある女神が支配する世界と似たものか。もしくはそれを招来すべく時間を操作する道具を創造した、ある老人の望んだものか。
命が全て死に絶えたような世界の最奥で、六人のペルソナ使いが対峙した。人数比は五対一だ。戦力は拮抗しているとは言い難い。戦う前の段階から一人の側が不利であるのは明白だ。まさに籠城した建物を警察に包囲された、孤立した犯罪者そのものだ。人質もいない。
「投降しろ! いかに君でも、我々全員を相手にはできまい!」
隊長の美鶴が降伏を勧告した。足立の実力は並のペルソナ使いを大きく凌いでいるが、対する五人もただ者ではないのだ。全員がまとまって戦えば、結果は見えている。
「嫌です……つったら、どうします?」
だがもちろん足立は応じない。ここで投降するくらいなら、昨日悠を撃つこともなかった。戦力的な不利など、足立は初めから度外視している。表情はいつもの飄然としたもので、余裕さえ漂わせている。早紀に切られた白い傷跡だけが、顔の中で不自然に浮き上がっていた。
「その時は、腕尽くでだ」
五人の側から真田が一歩前に出た。オープンフィンガーグローブをはめた拳を握り、力こぶを見せる。腕尽くこそ真田の望むところである。その為に武者修行を切り上げて、わざわざ日本に帰って来たのだから。サングラスで隠された目は外からは見えないが、その代わりに口の形でもって戦意を示す。大型の肉食獣を思わせる気迫が漲り、周囲を漂う赤い霧がひとりでに揺らめいた。
だが足立は表情を変えない。
「えっと、どちらさんでしたっけ?」
「真田明彦だ。覚えておけ!」
真田はマントを翻し、筋肉の鎧を露わにした。線が細い足立とは対照的な、力に溢れた肉体を誇示する。それが開戦の合図となった。
「ふっ!」
一見すると重そうな真田の体は、意外に素早く動いた。瞬時に間合いを詰めて、右の拳を鋭く放つ。しかし──
「む……!」
先制のジャブは空を切った。足立がかわしたのではない。グローブの拳が顔面に触れた瞬間、姿が掻き消えたのだ。
「それは幻です! 本物は……姉ちゃん!」
尚紀がガラスを割った。召喚器の銃口は額に当てられ、尚紀自身は腰を屈めている。この姿勢では敵から目を切ってしまうが、サポート役のペルソナ使いにとっては問題ない。しかも今の足立は肉眼で見ても意味がないのだ。
足立がやっているのは、昨晩に特別捜査隊を翻弄した目くらましだ。自分の幻を見せて攻撃させ、本体は別の場所に移動する。便利だが所詮は幻である。情報系ペルソナの目には本体の居場所が分かる。昨晩もりせは分かったように、尚紀にも分かるのだ。そして尚紀はりせにはない攻撃能力がある。
「そこ!」
顕現したスセリビメは掌をかざした。生前の早紀と同じ細い指が広げられ、魔力が凝集する。瞬きする間に炎が渦巻き、弾丸となって一直線に放たれる。敵の居場所を認識し、攻撃の準備に入り、実行に移す。その一連の流れには淀みがなく、隙もない。手慣れていると言えるくらいの、スムーズな一撃である。
「うわっちゃ!」
一見すると何もない空間で炎が爆ぜた。次の瞬間、足立の姿が露わになった。
「あっちゃー! やっぱ通じないか!」
足立は苦笑いを浮かべている。幻を使った目くらまし戦法は、力だけある者や目だけある者に対しては大きな効果がある。だが両方持つ者には通じない。尚紀はりせと違って、声を出して皆に敵の居場所を知らせる必要がないのだ。足立が逃げる隙を与えない。しかもイナバノシロウサギと違って、スセリビメは攻撃能力も高い。小動物が放つ炎はライターで紙切れを燃やす程度の灯火に過ぎなかったが、経帷子を着た女のそれは猛火だ。並のシャドウくらいなら軽く火葬できる。
そして攻撃を一つ当てられると、幻は解除される。つまり尚紀がいる限り小細工は通じない。足立はまともに戦うしかない。
「行くぞ!」
再び真田が吶喊してきた。両手を顎の前で構え、上体を揺らし、足元では細かなフットワークを披露する。足立の懐に入り、ジャブを連打する。続けてストレートを放ち、フェイントのダッキングからすかさずアッパー。動きは素早く、正確だ。一対一が原則の格闘技術を存分に発揮する。
「かあ! お兄さん、鬱陶しいねえ!」
海外へ旅立っていた真田が日本に戻ってきたのは、有里や美鶴が呼んだからではない。真田の方から志願してきたのだ。
稲羽のシャドウ事案については、真田も春から話は聞いていた。新たなペルソナ使いが何人も現れて、中でも現地の副支部長に任命された刑事は自分を凌ぐほどの潜在能力があると。そしてその刑事が殺人事件の犯人だと聞いた時、帰国を決断した。そして有里は真田の参戦を了承した。
シャドウワーカー本部のペルソナ使いは非常任を含めれば十人いる。産休中のアイギスを除いても、人数は稲羽支部や特捜隊を凌いでいる。しかも数だけでなく、個々の戦力においても本部は他に勝る。一昨年4月から昨年1月まで、数えきれない死線を潜り抜けて培った実力は、稲羽のペルソナ使いたちが及ぶところではない。ただし足立だけは話が別だ。
人数が増えれば戦力は増すが、犠牲が増える可能性も高まる。今日の作戦において特捜隊の参戦を許さなかったのは、言葉を選ばず言えば『足手まといだから』だ。しかし本部隊員は違うかと言えば、そうでもない。ゆかりや順平など、実戦から遠ざかっている者たちを足立と戦わせるのは、かなり危ない。だから彼らは連れてこなかった。その点、真田は武者修行の成果で昨年よりも実力を上げているくらいだ。有里には及ばないものの、他の本部隊員の間では頭一つ抜けている。だが──
「舐めんなよ!」
足立の反撃が始まった。瞬き一つでマガツイザナギを召喚し、血に塗れた矛を振りかざす。その動きは真田以上に速く、重い。
「ぬう……! 噂通りだな!」
頭上から襲い来るペルソナの打撃を、真田は生身の両腕を交差させて防いだ。ペルソナの恩恵を受けている腕は折れるまではいかない。だが痺れが残る。想定通りの強敵であると、最初の一手で分かる。
二人のペルソナ能力を比較すれば足立の方が上だ。経験豊富な真田といえども、地力で勝る相手に一対一では分が悪い。容易くやられはしないものの、勝ちを拾うのは困難だ。
「アルテミシア!」
そこへすかさずハリカルナッソスの女王の名が呼ばれた。青いドレスを身にまとい、鞭を手にした女の姿だ。美鶴のペルソナである。得意とする冷気の魔力が渦巻いて、足立を右手側から猛然と襲った。瞬間、真田は一歩下がって吹雪から身をかわす。
「のわっ!」
美鶴と足立の戦力を比較すれば、やはり足立が勝る。しかし軽くいなせるほど、美鶴が放つ魔法は優しくない。まして真田を前に置いた状態で、片手間で凌ぐにはかなり難しい。
「コンゴウリキシ!」
「厳しいっすね!」
そこへ堂島の打撃が襲ってくれば、後手に回らざるを得なくなる。しかも膂力に限定すれば、堂島は足立にもそうそう劣りはしない。日本の寺院によくある仏像そのままの姿の鬼めいたペルソナの突きは、やはり片手間では凌げない。
「まだだぞ!」
一人にかかずらっていると、他の二人は畳みかけてくる。コンゴウリキシの三鈷杵をマガツイザナギの矛で受けた直後、真田の拳が再び襲ってきた。上体を反らして、ギリギリで回避するのが精一杯だ。
真田と美鶴と堂島は、いずれも一対一では足立に勝てない。しかしマガツイザナギの矛や実銃の射撃がどれだけ強烈であろうと、一発でやられはしない。耐性における不利もない。三人の戦力を足し算すれば、足立にも勝るのだ。そして引き算が適用されるほど三人は弱くない。足手まといがいない時こそ、数の力は真価を発揮する。
「くそ! 君たち、卑怯だぞ! 一人に大勢でよってたかって!」
足立は有象無象のシャドウなら百でも片付けられるし、生田目もほぼ一人で倒した。特捜隊もひと捻りだった。しかし今日の相手は違う。仲間が誰もおらず一人で戦わねばならないことが、実戦でどれだけ響いてくるか。多数の強敵と同時に渡り合わねばならないことが、どれほど困難か。足立は初めて体で思い知った。
「オルフェウス」
そして最強のペルソナまでもが戦場に呼ばれた。三対一でも不利なのに、有里も加われば足立の勝ち目は完全になくなる。しかし──
「ん……これは! 気を付けてください! 何か来ます!」
数の暴力で押し切れる。皆がそう思い始めたところで局面が動いた。最初に気付いたのは尚紀だ。空間を満たす霧そのものが、ひび割れるような感覚が走った。耳で聞いたり目で見たりするものではない。ペルソナの感覚に訴えてくるものがあるのだ。戦列の最後尾にいる尚紀の後ろで、得体の知れない異様なものが出現しようとしている。もちろん先ほど尚紀を詰った偽物ではない。
「姉ちゃん!」
すかさず召喚器を額に当て、再びスセリビメを召喚した。ペルソナは『自分の』仇に背を向けて、虚無の空間そのものに薄布越しの視線を向ける。
「例のもう一つの反応ね」
やがて前線で戦っていた者たちも振り返った。情報系の能力を持たなくても感じられる、強い気配が赤い霧に漲ってくる。それは初めは音として、次いで地面の震動として現れ、そして目に見える形となった。黒い虚無の大地に波紋が浮かび始めたのだ。
「小西!」
堂島が最初に後列まで戻ってきた。逮捕すべき犯人を置いて、守るべき部下の傍まで近づいた。揺れ動く地面から姉弟を庇うように、波の中心を見据える。
「これは……」
突剣を構えた美鶴も足立に背を向けた。油断なく、ゆっくりと。次いで真田も振り向く。ちょうどオルフェウスを召喚したところで最前列にいた有里だけは、足立の側を向いたままだ。そうしている間にも、波打つ地面の黒い輪は広がっていく。
ペルソナ使いがテレビに手を触れると、沼に石を落としたように波紋が浮かぶ。酒屋の穴を通り抜けてやってきたこの空間は、底なし沼の底であるはずだが、実は更なる溝が存在していた。虚無の海溝から海底の地面に、何かが現れようとしている。
波紋は肥大化して音と揺れは増していき、やがて地面が泡立ち始めた。泥の底からガスやマグマが噴き出して、川や海を汚すように。一際巨大な泡が浮かぶと共に、深淵の住人が姿を現した。
高さが五メートルはある球体の怪物、いや、目玉の怪物だ。瞳は金色ではなく、豊饒を表す虹色である。しかし自然の虹と違って、奇妙に人工的な雰囲気がある。色の境界線が鮮明すぎるのだ。テレビ映像の色彩の元である、光の原色表が瞳の中にあるとでも言おうか。雨と太陽がもたらす自然美は、そこからは感じられない。
「この形……?」
有里は前に立つ足立を目の隅に留めつつ後ろの怪物を横目に視界に収めると、ある引っ掛かりを覚えた。姿形から連想されるものがあったのだ。
(ニュクス……じゃないよな。似ていると言えば似ているが……別物だ)
特別課外活動部の時代の最後の戦いにおいて、滅びの塔に降臨した神である。あれも人間の目に近い形をしていた。しかし今のこれは人工的でありつつも、かの神ほどには機械的ではない。
「影を操る異能の者たち……」
昨年の神聖時間に現れた『目』は、機械的な監視装置よろしく意思のない存在だった。それとは異なり、今年の神聖空間の『目』には固有の意思がある。言葉も発する。
「招かれざる異邦人たちよ……」
しかも口調には怒りが滲んでいる。人々の意志に応じるだけの受動的な存在や、山海や天体のような自然物は持ち得ないものだ。この怪物は『感情』を持っている。それはこの目玉は、世界の滅亡を招来する存在とは異なることを、何よりも明らかにする証拠だった。
そして証拠を積み重ねるように、次々と言葉を並べる。
「私は期待していた。私の世界に抱かれて、己が影を我が物とする者たちに。信心によって影を光へと転じる……これぞまさに古き良き力。その新たなる形。人の可能性……それを私は見極めたかった」
「影を光へ……? 鳴上さんたちのこと?」
目玉の話に応じたのは尚紀だ。特捜隊がペルソナを得た現場は見ていないものの、話は聞いている。自分たちとは異なる独特な経緯によってペルソナを得たのだと。そして霧が晴れなくなった夜から、尚紀はシャドウワーカーと特捜隊のペルソナの違いを考えていた。
異なる土地や時代で生まれていながら、似た神話はこの世にいくつもある。その類似点と相違点を考察して世界や人間の真理を見出す比較神話学のように、尚紀は考えていた。今まで解答を得られなかった疑問の答えを、この目玉は語っているのだ。
「そうだ……しかし貴様らは違う!」
怒りを露わにしながら。
特捜隊はここに一人もいない。尚紀は一時期、悠の仲間と言っていい立場にあったが、もう解消されてしまった。堂島は身内として悠と縁が深いし、密かに息子のように思っているが、それでも仲間ではない。有里は悠の先輩であって仲間ではない。美鶴と真田に至っては、そもそも悠と会ったことさえない。彼らのペルソナは『信心』によって影から光へ転じたものではないのだ。
「貴様らはその浅ましき兵器を用いて、影の力を利用する……卑劣である! 何によっても購わず、ただ利だけを求めるさもしき行いである!」
「これを……?」
尚紀は手に持った召喚器を見た。超常の兵器を今使っているのは尚紀だけだが、シャドウワーカーはこれを使うのが本来のやり方だ。その意味は死を疑似体験すること。ただし飽くまで疑似であって、本物ではない。弾の入っていない銃では人は死なない。召喚器が撃ち殺すのは、その人自身ではなく普段の人格だ。死を偽装することで、自分のシャドウを一時的に引きずり出す。つまりシャドウを『利用』する。それがシャドウワーカーのやり方だ。
「その貴様らが、私の世界を踏みにじる……許し難い!」
眼球を模した体から、いくつもの突起が飛び出てきた。細長いそれは角や触手ではない。穴の開いた管だ。管の口からは、白い霧が音を立てて噴き出している。最も原始的な機械である蒸気機関を連想させる、古典的な怒りの表し方だ。
「こいつ……アメノサギリって言うみたいね。外に霧を広げているのは、やっぱりこいつよ」
怒れる目玉の名は、顕現したままのスセリビメが口にした。猛り狂う相手とは対照的に、口調は冷静なものだった。
「つまり事案の元凶か」
「向こうから来てくれるとはな。探す手間が省けた」
「お二人はあちらへ」
「うむ」
有里の指示で、美鶴と真田は対峙していた足立から離れて尚紀の周りに集まった。アメノサギリを前に置いて、正面中央に堂島が立ち、その左右を美鶴と真田が固める。尚紀は大人たちの後ろだ。背後に現れた敵に対して、四人でフォーメーションを組む。足立の前に残っているのは、有里一人だ。
そして有里はアメノサギリから横目を外し、足立に正対した。背を向けた状態で後ろの四人に指示を出す。と言うより、その一人だけに指示した。
「堂島さん、そちらの指揮はお願いします」
今日の作戦における現場指揮権は、有里が持っている。しかし成り行きで前後を敵に挟まれてしまったので、一つの方面を堂島に任せることにした。人選に迷いはない。
「私が?」
だが任された方は驚いた。堂島は稲羽支部の支部長ではあるものの、本部から見れば幹部の立場にはない。しかもここには特殊部隊全体の長である美鶴もいる。それを差し置いて、自分が指揮することになるとは思っていなかった。自分で良いのかと、反射的に聞き返してしまった。
「俺は構いません」
しかし堂島の困惑を余所に、真田はすぐに認めた。
「現状、堂島刑事の指揮が最善と判断します」
美鶴もだ。組織上は部下に当たる年長者の指揮下に入ることを、簡単に了承した。美鶴はシャドウワーカーの隊長で特別課外活動部でも部長を務めていたが、一昨年の4月以降は現場の指揮を取ったことはない。経験のある人間に任せることにしたのだ。
シャドウワーカーの隊規では、実戦においては部隊内での地位が最も高い者が指揮を取るなどの、明確な規程は元よりない。それは副隊長の有里が、現場では美鶴にも指示することを想定したものだった。それに加えて、5月の稲羽支部の結成に際して急遽追加した条文がある。支部の作戦に本部の人員が参加する場合、本部の人員が指揮するのが原則だが、現場判断により支部の人員が指揮することも可とするとの一文だ。それがここで生きることになった。
「分かりました……」
堂島は警棒を手に敵を見据えた。霧の中で何度も蹴散らしてきた、有象無象のシャドウとは明らかに異なる相手である。だがもちろん、事件の解決を固く決意している刑事は怯まない。腹はとうに括っている。
「小西、解析を!」
「アルカナは月! 光、闇、状態異常は全て無効! 弱点はありませんが、打撃と四属性は全て効きます!」
指揮官の命令に情報担当は即答した。最高レベルの情報系ペルソナは、この巨大な怪物でも解析できる。
「真田さん、弱化魔法を!」
「承知! カエサル!」
一声呼ぶと、真田の頭上にペルソナが顕現した。世界を征服した古代の皇帝の名を持つ、武装したペルソナである。ローマ時代を彷彿させる鎧兜に身を包み、右手に長剣、左手に地球を表すと思われる球体を持っている。ペルソナが地球儀を掲げると異界の空から光の輪が降りてきて、目玉の怪物を包み込んで弾けた。敵の攻撃力を下げる補助魔法である。真田は外見や言動は猪突猛進型だが、この種の力を得意としている。
「桐条さんは回復優先で! 小西は隙を見て魔法を撃て! 火でも風でも、何でもいい!」
「了解しました」
部下の命令に応じて、隊長は突剣を縦に構えた。美鶴はゆかりや天田と違って、回復は得意という程ではない。しかし指示された以上はやる。組織の長である前に一人のペルソナ使いとして、自分にできることをやると決めた。
「大丈夫です……俺たちは必ず勝てます!」
各々の基本的な役割が決まったところで、戦列の最後尾で尚紀が叫んだ。ただの掛け声ではなく、彼我の戦力を分析した上での判断だ。
(まあ、大丈夫だろう)
急造ながらチームを組んだ四人のペルソナ使いたちは、各々自分の仕事をやり始めた。有里は振り返らず背中で確認する。そして自分の仕事に取り掛かるべく、足を一歩前へと進めた。
「やりましょうか」
有里の仕事はもちろん足立である。想定外だが、アメノサギリが突如現れて二正面作戦を強いられた以上、この布陣で戦うのが最善である。
「君か……」
足立は強い。大勢でよってたかってやれば話は別だが、一対一で互角以上に渡り合える者は、シャドウワーカー全体でも一人しかいない。最高レベルの戦闘型ペルソナ使いである足立と正面きって戦えるのは、有里だけだ。
「ねえ、君は何でここに来たの?」
ただ始める前に口上があった。
「さて……なぜだと思いますか?」
「君って鳴上君と仲いいみたいだけど、彼の復讐?」
「……いいえ」
悠は有里の後輩である。仲がいいと言ってもあながち間違ってはいないし、気にかけてもいる。しかし撃たれた後輩の復讐をするつもりはない。もし有里が仇討ちなどと言えば、堂島や陽介は気を悪くするだろうし、本部の者たちは熱でもあるのかと疑うだろう。その程度の関係だ。
「じゃあ正義感?」
「そんなわけありませんよ」
即答である。そして本当のことだ。今も昔も、有里は正義の為に戦いはしない。そもそも『正義』なるものが、この世に存在するとは思っていない。港区と稲羽市に住む全てのペルソナ使いの中で、有里はロマンティシズムから最も縁遠い男である。善を自称することはないし、死の彼岸から吹く甘い風に酔うこともない。責任感は強い方だが。
「はは、そうだね。そんなわけないよね。君に限って」
足立は笑った。皮肉や嘲笑ではなく、本当の笑いである。特殊部隊の実質的なリーダーが悪党であることは、ほとんど初めて会った時から分かっていた。方向性は異なるものの、悪党同士として親近感を覚えるくらいに。
「そんじゃ遊びかな?」
足立はこの三択を先ほども尚紀に聞いたが、答えは出なかった。足立は尚紀に対しては三番目だろうと予測してみせたが、あれは挑発に過ぎない。だがこれは本気だ。『面白そうだから来ました』と言われても理解できる。足立自身、シャドウワーカーの仕事を面白いと思ったことは、短い期間だがある。
しかし有里の答えは違っていた。
「これが僕の仕事だからです」
答えを聞いた途端、足立の顔から笑みが抜けた。
「ああ……なるほど。お父さんは、お仕事頑張んないといけないもんねえ? 納得したよ」
未成年だが妻帯者で今月には父親になる予定の男の答えに、足立は納得した。遊びだと言われても納得しただろうが、三択から外れた四番目の答えはより深く腑に落ちた。怒りや苛立ちは欠片も浮かんでこない。完全に理解できる答えである。『ガキは引っ込んでろ』はおろか、『お前には関係ない』とも言えない。
昨晩の足立は特捜隊を追い払った。そうした理由は、彼らは『事件に無関係』だからだ。だがそれを言うならば、有里こそ無関係そのものである。獣害事件はともかく、殺人事件には原因もなければ責任もない。死んだ被害者たちとも無縁である。
だがそれでも有里は足立と戦う。なぜならこれが有里の仕事だからだ。闇に包まれた謎や、どれだけ言葉を尽くしても説明できない複雑な事情など何一つない、極めて単純な行動理由だ。
有里は誰の信者でもない。かつて聖なる時間で救世主にならなかった男は、聖なる空間に身を置いても変わらない。他人を祭り上げはしないし、自ら聖性をまとうこともない。信心のない俗人として、ただ労働に励むのみである。
「分かった……やろうか」
ここで足立も腹を括った。本意ではないが、こう言われてしまっては受けざるを得ない。楽しいことや、やりたいことだけを選んで生きていくことはできないのが、世の道理だ。その苦い味を噛みしめて、足立は有里の申し込みを承知した。笑みの抜けたその顔を、斜めに走る傷が、堂島風に言えばぐっと良いものにしていた。