ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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よもつへぐい(2012/2/12)

 昨年の、特に一学期の頃の特別捜査隊の戦いは楽なものだった。ダンジョンをうろつく有象無象は言うまでもなく、人間から出たシャドウも敵わないほど強いということはなかった。コンプレックスが顕現した影たちは、変に動きが鈍かったり大きすぎたりした。数の優位もあった特捜隊にとっては、多くが敵ではなかった。りせの影には苦戦したが、あれは例外だ。大体の場合においてシャドウは弱く、特捜隊の行く手を阻むには力不足だった。だから実戦の経験などあるはずのない高校生だけでも、次々と起こる誘拐事件に対応できたと言える。

 

 そんな『優しい戦い』なる撞着語法で表すべき、奇妙な容易さが失われたのは二学期だ。直斗の救助に動いた9月には、特捜隊は苦戦を強いられた。まるでシャドウにはめられていた枷が外れたように。どれもこれもが力強く、素早くなった。

 

 では三学期になって初めての戦いである、今日においてはどうか。

 

「ヤマトタケル!」

 

「ロクテンマオウ!」

 

 近未来的な戦闘機の機首を思わせる仮面をかぶった直斗のペルソナが、小剣を掲げた。それとほぼ同時に完二も召喚する。全身赤色のロボットめいた姿のペルソナが長剣を振りかざす。二体のペルソナはタイミングを合わせて、敵に二重の電撃を浴びせた。相手は王冠をかぶった小人のシャドウだ。マリーの迷宮を攻略する途中で現れた敵である。

 

 その辺から湧いて出た小粒なシャドウを二人がかりで、息を合わせて、それでようやくだった。

 

「はあ、はあ……」

 

「みんな、大丈夫……じゃないね」

 

 心配げなりせが零した通り、皆が疲労の色が濃い。年が明けたせいなのか何なのか、枷はシャドウから人間に移っていた。皆の中で最も実戦経験の少ない直斗は、膝に手を置いて肩を上下させている。多い方である雪子や千枝も、顔に疲れを滲ませている。普段は可愛らしい限りの容色が損なわれるくらいだ。

 

「これ、どうなってるの? 体が凄く重い……」

 

「あたしら、なまってんのかな……」

 

 マリーが姿を消した場所にあったしめ縄を越えてから、特捜隊は何匹かのシャドウを叩き伏せてきた。聖域の奥地に入ってから時間はあまり過ぎていないが、消耗の度合いは激しかった。まるで一つの迷宮を休まず往復したくらいに疲れている。これは長期間に渡って戦いをしなかったことによる、なまりであるのか。

 

「ううん、そうじゃないと思う……この場所のせいじゃないかな」

 

 りせは首を横に振った。ペルソナ使いにも戦力の衰えは起こる。ブランクがあれば体力や実戦の勘は落ちるし、心境の変化によってペルソナ能力が落ちることもある。だが今の特捜隊の消耗ぶりは、そんな普通の劣化を遥かに超えている。一回戦うごとに、背中に重荷を背負わされるような感覚があるのだ。

 

 ただ一人、悠だけはそれがないが──

 

「私たち、マリーちゃんに拒まれてるのかもしれない……」

 

 元より現実と一線を画す神聖空間の中にあって、この迷宮はより特殊な場所だ。武器や道具は持ち込めない。そしてそれに留まらず、力そのものにも制約がかかる。その要因は、この空間を生み出した者の意思。言葉に訳せば『来るな』または『帰れ』。異界渡りの旅人の心を挫き、帰らせる意思だ。

 

「……」

 

 悠は梅の花が舞い落ちてくる天を仰いだ。昨年に何度もやった被害者救助の異世界探索であれば、そろそろ一時撤退の判断を下すべきところである。しかし──

 

「口だけの人間、嘘吐きな大人……」

 

 リーダーの口から出てきたのは、撤退命令ではなかった。

 

「先輩?」

 

「世間体とかいう奴、正義の顔した偽善者。自分……」

 

 脈絡の見えない言葉を、悠は並べた。皆の怪訝な視線が集まっても、気にせず続きを述べる。

 

「動物……可愛いのだけ。猫とか。ミルクティー、レモンもいいけど。黒。青。グレーも、濃いのは許す」

 

「それもマリーちゃんの?」

 

「ああ……リストだ。嫌いなものと、好きなものの」

 

 詩と言うより箇条書きのような代物だが、マリーの作である。ただしジュネスのイベントで歌った、『盗作』した歌詞には組み込んでいない。悠がこれを聞いたのは、即席バンドを結成してから三週間ほど後の文化祭の夜だ。

 

 一度聞いただけであるのだが、この通り暗唱できるくらい悠の記憶にはしっかり焼き付いている。どの詩もそうだが、トラウマさながらに痛みを伴って心に食い込んでいる。このリストの詩に関して言えば、痛みを感じるのは──

 

(正義の顔した偽善者……か)

 

 悠がマリーに拒まれたのは、今日が初めてではない。元から愛想の悪い少女だったが、特に酷かったのは7月15日、悠がマヨナカテレビに映った日だ。悠はあの晩に自宅でタロット占いをしてみて、出てきたカードは愚者の逆位置だった。空っぽの頭で逆立ちした寓意画は、『正義を気取っていやがるくせに、悪の怪物と何も変わりゃしない』と悠を詰った。それはまさしくマリーが嫌いと歌ったものである。

 

 しかしいつまでも後悔に浸ってはいられない。ここには恋の当事者以外の者が、何人もいるのだ。

 

「なあ相棒……俺、思うんだけどさ」

 

 陽介だ。

 

「マリーちゃんってさ、普通の子じゃね?」

 

「何?」

 

 相棒の言葉に悠は眉根を少し寄せた。無茶な評価だと思えたのだ。マリーは悠の知る限りで、『普通』という言葉から最も縁遠い存在であり、陽介も知っているはずである。クマの影を思わせる人外の目を見たのは、つい先ほどだ。だが陽介は構わず畳みかけてくる。

 

「いや、そりゃあよ? ちっと変わったところもあるぜ? 濃いっつーか……センスあり過ぎっての?」

 

 優しいことに、ポエムが痛いとかウザいとかは言わない。リーダーの想い人を揶揄する言葉は、サブリーダーは口が裂けても言えない。

 

「けどよ……んなの、多かれ少なかれ誰でもあることじゃね? 濃さでいったら、俺らだってかなりのもんじゃね?」

 

 ここで陽介は笑った。『ガッカリ王子』なる不名誉な仇名もあるが、客観的に見れば美男子と評するべき顔で爽やかに笑う。

 

「花村先輩、何で俺を見るんすか……」

 

 完二は薄い眉を深く寄せたが、陽介は気にせず話を進める。

 

「俺らってさ? ちっと濃ゆくて、はみ出してるペルソナ使いで……でも普通の高校生なんだ」

 

 デパート店長の息子、カンフー好きの少女、老舗旅館の娘、腕自慢の金髪の少年。ここまでなら十分『普通の高校生』の範囲内だ。アイドルや探偵を普通と言ってはさすがに語弊があるが、それはこの際置いておく。

 

「マリーちゃんがどこの誰なのか……んなの、どうでもいいさ。お前の言う通りだ。あの子は俺らと同じ……ちっと変わってるトコもあるけど、それでもさ。口だけの奴が嫌いで、猫とミルクティーが好きな普通の女の子じゃねえのかな?」

 

「……かもな」

 

 マリーに対する陽介の評価は、自分自身について言われているように悠は感じた。正義を気取っているが、悪の怪物と変わらない。だが諸岡によれば、この世の争いはどれもそんなものだと言う。それはつまり、悠は『ありふれた』悪に過ぎないということ。決して異常な悪ではない。人より器用で交友関係は広いが、揺るぎない善でもない。自分が何者なのか探して、途中でやめて。大した力もなく特別な存在でもない。センスが過剰で猫が好きな少女に、普通に恋して普通に追いかけるただの少年。

 

「帰ったら、うちの前にたむろってる猫の世話でもするか」

 

 それは存外、悪くない自己評価だった。殺人事件の解決はできなかったが、それさえ青春の一ページとして受け入れられる。失意に目覚めたクリスマス以来、初めてそう思えてきた。激動の高校二年生は春から大冒険の連続で、年の瀬に大きな挫折を味わって、年明けに彼女を捕まえて終わる。それもまた良いではないかと。警察の手に負えない難事件を見事に解決して、ヒーローとして称賛されることと比べて、どれだけ悪いだろうか?

 

「あれ、鳴上君って猫派? 犬もいーよ!」

 

「おま、話混ぜるなっての!」

 

「ふふふ……あはは!」

 

「ほら、天城のツボに入っちまった……」

 

「はは……ううん、そうじゃなくて。何かちょっと、元気出てきた気がする」

 

 千枝のずれた合いの手がよほど面白かったのかと思いきや、雪子は意外に早く笑いから復帰した。

 

「去年は色々あったけど……みんなが生きて、乗り切れたんだもん。今日だって、頑張んないとね……」

 

 先ほどは枷の重みによって弱音が出てきたが、今は少し明るい笑顔を見せた。雪子は仲間内でも困惑される奇癖の持ち主だが、やはり大変な美少女である。憂い顔も一つの魅力だが、華やいだ笑顔の方がやはり似合う。好きな人に好きと言ってもらえなくても、まだ笑顔を失ってはいない。

 

「うん! あたしもそれが言いたかったんだって! 花村、分かってないなー!」

 

 それはもちろん千枝も同様だ。リーダーへの思いは報われないでいるままだが、それでも気力を失ってはいない。去年は守れなかった人を、今日は守りたい。そういう思いはまだ残っている。

 

「俺が悪いのかよ!」

 

「はは……ところで皆さん、お気付きでしょうか?」

 

 俄かに明るい雰囲気が持ち上がったところで、直斗が口を開いた。一度緩んだところで、理屈でもって締め直すのが参謀の役割だ。わざとらしいくらい冷静な声を出して、皆の注目を集める。

 

「入り口からそうでしたが、この空間は墓所を模しています。しかしちょっと似つかわしくないものもあります。例えばあれです」

 

「ん……うちの看板か?」

 

「あっちは……惣菜大学じゃない? ビフテキ串のおいしいトコ」

 

 陽介と千枝の言う通りで、曲がりくねる参道の向こう側の景色には、周囲から浮き上がっているものがいくつかある。ジュネスや惣菜屋の看板などだ。よくよく見れば、他にも色々ある。高台のベンチ、本屋の書架、学校の門柱などである。

 

「ええ。僕らの町にあるもの……僕らの日常そのものです。こちらの世界は全て、誰かの心の風景です。ここもそうなんじゃないでしょうか」

 

 この迷宮の外形が墓であり、中で舞う溢れるほどの花々が葬送のそれだとするならば、それらは死の覚悟と、死を美しいもので覆いたい思いを表していると解釈できる。その一方で、思い出の片鱗が象嵌のように散りばめられている。それが意味しているものは何か?

 

「ねえ先輩……マリーちゃんってさ、死にたくないんじゃないのかな?」

 

 ここでりせが口を開いた。

 

「誰だってそうよね? ま、中には違う人もいるだろうし……私たちだってさ? 自分のシャドウが出てきてはっちゃけた時は、軽く死にたい気持ちにもなったけど? 今こうして、ちゃんと生きてんだもん」

 

 人が最も恐れるものは自分の死だ。恐れない人も、自ら死を望む人もこの世にはいるが、それはそれである。ほとんどの人間は生を望み、死を避ける。人間、と言うより生き物にとって生は普遍的な願望である。

 

「先輩だって撃たれて寝込んでたのに……私、今ここで先輩が生きてることが、すっごく嬉しい」

 

「……」

 

 死の淵から生還した少年は黙った。これは初詣で結実に言われた言葉だ。欲深い彼氏を助けられなかった無欲な彼女は、悠が生きていることだけで満足して身を引いた。特捜隊女性陣の中で最も積極的で、結実と火花を散らしたこともある、りせの口から同じことを言われると奇妙に辛い。

 

「辛いこと、苦しいこと、世の中いっぱいあるし、あったけどさ……。でも、生きていかなきゃ。マリーちゃんだって、本当はそう思ってるはず」

 

「ああ……きっとそうだ」

 

 小さくない針の痛みを感じながらも、悠は頷いた。

 

「うっし! そんじゃあ、さっさとあいつ捕まえて、俺らん町に帰りやしょう! んでもって、ジュネスでもどこでも連れてってやりましょうよ!」

 

 完二の宣言で、しばしの休憩は終わりになった。時間にすれば大したものではないが、皆が力を取り戻した。悠は異様なほどに絶好調で、一人でも何とかなりそうに感じている。だが他の仲間たちも皆で支え合えば、この迷宮を乗りきれるはずだと思えてきた。

 

 

 仲間同士で支え合い、励まし合う。それが絆の本質であるならば、虚ろの森の戦いにおいては、絆は確かに役に立った。一度戦うたびに十度も戦ったような疲労がのしかかってくることは変わらない。だが重荷を跳ね除けることはできなくても、背負ったまま走り続けることはできた。

 

 互いにかける言葉でもって、行動でもって。そして敗北で終わった昨年の戦いを取り返す気持ちでもって。ジュネスの看板その他の日常に飾られた神秘の領域を、特捜隊は踏み越えた。一人で得た勝利よりも皆で掴み取った勝利の方が、きっと価値があると信じて。

 

 

 延々と続く白い参道を駆け抜け、無数の花びらを散らしたその果てに、悠たち七人は神秘の最奥に到達した。そこは卵型のドームのような建造物だった。高さは高層ビル並み、横幅は野球場もさながらである。そんな全体の巨大さに比して、何とも小さな出入口が一つだけ開けられていた。塞ぐ扉はない。

 

 道は一つしかなく、出入口も一つだけ。主に招かれて誘われるように、悠は飛び込んだ。陽介たちも続く。

 

「マリー!」

 

 卵の中は、開けられた口に合わせて比較的小さな空間だった。祭壇を連想させる台座の上に、白い石棺が置かれていた。その前に千早を着たマリーがいた。

 

「やめて……マリーなんて呼ばないで!」

 

 振り返ったマリーは叫んだ。虹色の左目が何の感情も映さない一方で、残った右目で表情を作り、与えられた名前で呼ぶ男を怒鳴る。そして次の瞬間、右目からも表情が消える。

 

「私の名前は……クスミノオオカミ」

 

「神……?」

 

 翼をもがれた堕天使は神だった。だが日本神話は本を一冊読んだだけで、詳しいというほどではない悠は知らない名前だった。諸岡がいれば、縁起の一つや二つは解説してくれただろうが。師を失って久しい若者は、神の名を告げられても実感が乏しかった。マリーという名の方がよほどしっくりくる。顔から浮いている左目以上に、神の名はマリーにそぐわない。そう感じられた。

 

 悠のこの印象は、少女をずっとその名で呼んできた為も当然ある。だがそれ以上に『マリー』こそがこの少女に相応しいと、『なぜか』感じていた。偽名を聞かされて本人も偽名だと言っているのだが、実はやはり本当の名前ではないのかと。日本の神の名は神話における役割や司るものを示す名前、つまりは『役職名』や、祀られる土地の名を冠したものであることが多い。よって神の名は世間に向けて通す仮の名に過ぎず、存在自体の『真の鍵』たる真の名こそがマリー。勘はそう告げていた。

 

(そう言えば……確かあれは、ペルソナを手に入れてすぐの頃……)

 

 勘が冴えているばかりか、記憶も嫌に鮮明だった。悠はマリーに関することなら何でも覚えている。ある春の夜に夢でベルベットルームを訪れて、マリーと二度目に会った時のことを思い出した。リムジンの青い闇で少女の姿を見た途端、心が大きく騒いだ。惑乱した少年を宥めて、少女の名前を教えたのはマーガレットだった。そしてかの小姑こそが、妹のような少女の名付け親だ。人間から隠された異世界の中でも更なる隠された領域を事もなげに見つけ出し、少年を案内してみせた魔女が名付けたのだ。そこにはきっと、何かの意味が秘められている──

 

「そう……私は人間じゃない。君たちの敵……」

 

 その意味が『敵』であるはずがない。クスミノオオカミなる神が何であれ、マリーは敵ではないはずだった。なぜなら道化師から欲望に変貌した足立と違って、永劫のコミュニティは既に完了宣告を受けているのだ。一度極まった絆は二度と壊れない。悠は銃と針の痛みと引き換えにして、絆の不条理を理解している。

 

「敵か……」

 

 しかし本質が敵ではなくても、現実は現実である。どうして今ここでマリーに拒まれているのか?

 

「俺のせいなんだな」

 

「先輩……!?」

 

 イゴールの言葉が思い出された。ベルベットルームを使用する対価、即ちマリーと出会った代償として、あの鼻の長い怪人は『自分の選択に相応の責任を持つこと』を要求した。よって今のこの状況も、自分の行動の結果として受け止めなければならない。たとえ本当の事実は違うとしても。

 

「……」

 

 マリーは無言のまま、じろりと目を剥いてきた。異邦人の緑と人外の虹色を両方とも。それはイゴールやマーガレットが契約者たる悠に時々向けてきた、ぞっとする目である。子供の我がままや癇癪など、銃で撃ち殺すように容易く黙らせることができる。こういう相手に意地や思い込みをいくら叩きつけても無駄だ。

 

「目を背けろ……確かに俺は君にそう言った。だったらその責任を取らせてくれ」

 

 少年は腹を括った。マリーが敵になったのは、何者であるのか探すのをやめたから。つまりは自分のせい。見つけると春に約束しておきながら、秋には破ったペテン師の責任。悠は理不尽極まりない因果を認めた。

 

「どうすればいいか言ってくれ」

 

「……帰って。私が死んで、全部終わりにするから。邪魔しないで……」

 

 終わりにするのは昨年の事件である。殺人事件と獣害事件の舞台であった神秘の霧。多くの人々の運命を狂わせた事件を完全に終わりにする為に、マリーは後始末をしようとしているわけだ。だがもちろん悠は認めない。

 

「それだけはできない!」

 

 もし事が単に後始末をするだけで、マリーは死ぬわけではないのだとしても、悠には認めにくい話である。まして恋した少女の命と引き換えに得られた平和を、どうして楽しめるだろうか? 記憶を失うことも、何の慰めにもならない。いや、誰が忘れても悠はきっと忘れられない。それは罪と苦痛をより深くするだけである。

 

「もうどうしようもないの! 全部手遅れなの! 私は霧を食べちゃったんだから、もう戻れないの!」

 

「方法はあるはずだ!」

 

 真実を探して、見つける。その方法はあるはずだと、悠はかつて言った。言った相手はミナヅキである。悠は知らないことだが、あの死神の絆の担い手はその日にマリーと出会っている。そしてマリーは動けなくなるほどの恐怖を覚えたのだ。かの強大な人外の影を悠の言葉の裏に見出しでもしたか、マリーは人外の目を伏せた。

 

「無理……君じゃできない」

 

(む……!)

 

 ここで再び勘が働いた。悠では無理。では誰なら可能なのか。マリーを助けられるのは誰なのか。悠は何が足りなくて、望みを叶えられないのか。マリー自身も意識してのことではないかもしれないが、とにかく話が一歩前に進んだ。

 

「もういい……もういいの。私は死ななきゃいけないの。そうしないと……」

 

 だが進んだ話は、すぐに後戻りした。

 

「帰らないなら……力尽くで戻ってもらう」

 

 そしてマリーの体が宙に浮いた。

 

「!?」

 

 浮いたのだ。何も履いていない両足が、祭壇から浮き上がった。シャドウの早紀が宙に浮いていたように。マリーはシャドウではないが、やはり人間でもないのだ。超常の証は左目以外にもある。

 

 祭壇の前に殺気が満ちた。青い電光が散り、空気が震え始めた。『殺す』や『死ね』のような安易な言葉など遠く及ばない、明白極まる戦いの意志が立ち現れた。

 

「結局こうなっちまうのかよ! どうすんだ、相棒!」

 

 力を持つ相手にどう応じればいいのか。戦うのか、戦わないのか。

 

(どうする……どうすればいい!?)

 

 状況は既に問答無用の領域に突入しているが、悠はまだ思い切れない。相手はマリーである。11月に菜々子のシャドウが出現した時もそうだったように。しかし──

 

「先輩! 何ビビッてんすか!」

 

 完二が啖呵を切った。テレビに入れば戦うのみ。被害者のシャドウが現れれば、先手必勝で叩きのめす。それが特捜隊のやり方だ。勝手なことばかり言う鏡像と話し合っても、ろくなことにならないから。9月に直斗の影と戦った時も、話し合いを打ち切ったのは完二だった。

 

「ここでケツまくっちまったら、あいつは死んじまうってんでしょ! だったらやるしかねえだろ!」

 

 虚ろの森の最奥までやって来てから、悠以外の面々はほとんど口を挟まずにいた。リーダーと想い人の話には、二人の間にあった出来事を知らない彼らには理解しかねる部分が相当あったから。しかしこの場で詳しい説明を求めるには、彼らはリーダーに対する遠慮がある。だがそれもここまでだ。

 

「う……うん! 鳴上君、やろう! ここで諦めたら、何の為に今までやってきたのか、本当に分かんなくなっちゃうよ!」

 

 千枝も同調してきた。

 

「これ以上、あの霧のせいで誰かが苦しむなんて駄目……私たちがやらないと!」

 

 雪子もだ。こうなると場の流れは決まりである。話し合いには割り込まなくても、戦いとなればまた別だ。虚ろの森の戦いは、彼らにとっても再起なのだから。後に退くことはできない。

 

「先輩! いいですね!」

 

「やむを得ないか……やるぞ!」

 

 直斗の確認に悠は折れた。今日の戦いに仲間たちが付き合うことを認めたのは、他ならぬ悠である。ならば仲間たちの希望を受け入れて、望まない戦いでもやらねばならない。それもまた自分の選択に責任を取るということだった。

 

「うっしゃあ! 行くぜ、直斗!」

 

「はい! ヤマトタケル!」

 

 完二と直斗の召喚タイミングを合わせた合体攻撃が、誰の為なのか分からない戦いを始める合図になった。特捜隊で最も大きいペルソナと、最も小さなペルソナ。多くの意味で好対照をなす二人は、共に電撃を放つ。雷神が競演し、激しい雷の渦が沸き起こる。しかし──

 

「……駄目です! 効いていません!」

 

「この野郎! 雷は効かねえか!」

 

 マリーは空中に浮いたまま半身に構え、左手を開いて突き出している。人の右目は後ろに隠され、人外の左目が前に出ている形だ。虹の色彩が指の隙間を通って増幅され、殻になってマリーの姿を覆い隠している。その殻に電撃は弾かれた。

 

「りせ、解析を!」

 

 すかさずリーダーが情報担当に指示を出した。マリーと戦いたくはない。だが何もしないままでは、どうしても収まらない状況だ。それは認めざるを得ない。被害者の影のように叩きのめすのではなく、取り押さえることを目的とするにしても、ある程度は荒い手段に訴えざるを得ない。ならばまずすべきなのは、能力や耐性の解析である。それがペルソナ使いの戦いの基本だ。

 

「うん、カンゼオン! って、え……!?」

 

 りせのペルソナは恋愛のコミュニティの影響によって、昨年の11月に生来のヒミコから進化した。新たなペルソナは解析の速度が以前よりも向上したようで、マリーの耐性を素早く見抜いた。だがその結果は信じがたいものだった。

 

「何これ……? 効く攻撃が……ない!?」

 

「何だと!?」

 

「火も氷も……魔法は全部駄目! 物理がかろうじて通るだけ……? 何なの、これ! まるで……有里さんみたい……」

 

 具体的な解析結果を報告しながら、りせの声は暗い予感に覆われるように消え入った。だが悠の耳には、最後までしっかり届いた。

 

 りせが『印可』によって新たにしたペルソナで、初めて解析したペルソナ使いは有里だった。最強のペルソナであるオルフェウスを、りせは見たことがあるのだ。あの格の違う存在を、りせは今になって思い出した。もっとも耐性だけで言えばマリーの堅牢さは有里を凌ぐ領域だが、それはこの際置いておく。ただ思いがけず出てきた男の名前に、悠は刺激されるものがあった。

 

(有里さんが……?)

 

 悠の心にある嫌なものが走った。かの審判のコミュニティの担い手とは、菜々子が一度死んで蘇った日以降は会っていない。電話もしていない。だが堂島や尚紀から聞いた話によれば、足立を直接倒したのは有里だったらしい。自分と同じワイルドで、コミュニティを集めていて、そして昨年の事件における勝者の一人だ。

 

「ちょっとは効くってことでしょ! じゃあ頑張るだけよ!」

 

 千枝が動いた。特捜隊の中では、千枝は完二と共に物理的な攻撃を得意としている。

 

「マリーちゃん、ごめん!」

 

 祭壇へ向けて踏み出しつつ、スズカゴンゲンと呼ばれるペルソナを召喚した。女武者は光る長柄をバトンのように振り回し、宙に浮くマリーへ向けて横薙ぎに叩きつけたが──

 

「うわっ!」

 

 戦車の突撃も弾かれた。長柄はさすがに刃こそ立てられていなかったものの、込められた力と速さは本気のものだった。全力で振るった打撃は、放ったペルソナと使用者の千枝へと跳ね返ってきた。

 

「千枝! しっかりして!」

 

「これは……見切りの技みたいなの!? ま、まずいよ! 殴るのも駄目!」

 

 ペルソナ能力というものは、かなり幅が広い。単に敵を攻撃するだけでなく、防御に使える力もある。例えば敵の攻撃を見切る技だ。マリーは物理攻撃に対するその種の技を持っていると、りせは判断した。しかも単にかわすのではなく、敵の攻撃をそのまま跳ね返してくる。これでは殴ったり斬ったりは、通用しないどころか危険すぎる。

 

「そうかよ! じゃあこれでどうだ!」

 

 次いで陽介が動いた。陽介のスサノオが得意とするのは風の魔法だが、攻撃におけるもう一つの柱がある。

 

「食らえ!」

 

 青いツナギを来た怪人のペルソナは紫色の光を放った。あらゆる耐性を無効化する万能の光である。特捜隊ではワイルドの悠の他、全方位型の直斗が使える術だが、陽介も使える。8月に相棒と海へ行った際、唐突な閃きが走って身に付けた。どこの何者であろうと、これだけは防げないはず──

 

「帰って!」

 

 だが甘かった。万能の力といえども、文字通りの意味で誰にでも通じるわけではない。例えば同じ力に対しては、単純な押し合いになるだけだ。

 

「うわっ……!」

 

「きゃああ!」

 

「くっ……!」

 

 中空に現れた陽介の光の玉が炸裂した瞬間、同じ色の光が頭上から降ってきた。万能の光をマリーも放ったのだ。しかも陽介のそれより大きい。テレビの中の天国で、足立は生田目の攻撃を押し戻したように、マリーは陽介の光を粉砕して見せた。ついでに千枝を助け起こした雪子も耐久力に優れた完二も、まとめて吹き飛ばされた。

 

(強い……!)

 

 悠は刀を持たない両腕を顔の前で交差して、光をかろうじて防御した。衝撃に全身が痺れるようだった。膝を折らずにいるのが精一杯で、反撃などとてもできない。これではマリーを取り押さえるどころか、祭壇に近づくことさえ難しい。

 

「くっそ……マジかよ! 足立じゃあるまいし、こんなのが何人いやがるんだ……!」

 

(あの人の言う通りってことか……)

 

 成人の日の夜に、電話でマーガレットから貰った忠告が思い出された。マリーを探す戦いは悠にとって最後の戦い、即ち最も過酷な戦いになるかもしれないと。まさにその通りである。攻撃手段はないに等しく、地力でも向こうが勝る。言葉も通じない。八方塞がりとはこのことだ。

 

(どうする……? どうすれば分かってもらえる?)

 

「分かったでしょ? だからもう帰って……」

 

 言葉が通じないなら道は二つ。逃げるか戦うかだ。逃げ道はマリー自身が用意してくれているが、悠はもちろん選ばない。

 

「……それはできない」

 

 逃げられないなら戦うしかない。そして力が足りないなら、力以外で戦わねばならない。そう思うと頭をよぎるものがある。腹に凝るものを感じずにはいられない、震えを隠すことさえ難しい、恐ろしい男の名が蘇る。

 

(足立さん……)

 

 悠は唇を噛んだ。脳裏に痛みと共に浮かぶのは、昨年にいくつもあった転機のうち最大のもの。殺人事件の犯人が明らかになった、忌まわしい12月7日だ。あの日も力では敵わない相手と戦わねばならなくなって、力以外で戦おうと思った。即ち絆だ。

 

「お願いだから帰ってよ! 君をこれ以上、傷つけたくない……」

 

 では絆で戦うとは、一体何であろうか? 足立との絆を信じた結果は敗北だった。道化師の絆の担い手を説得して自首させようと思ったのだが、絆の主はできなかった。では絆で戦うとは、本当に何なのだろうか? 主はどうすれば永劫の絆の担い手を説得できるのだろうか? 悠に答えは見つからない。

 

「私をこれ以上傷つけないで!」

 

 マリーは左の掌を上に向けた。特捜隊にとってこの姿勢はペルソナ召喚の合図である。マリーの場合は呼び出されるのは、アルカナのカードではなく虹の紋様である。手の上に瞳が浮かび、光を発する。万能の光だ。

 

「……!」

 

 対する悠は交差した両腕を顔の前からどかし、防御の構えを解いた。それでいて、攻撃に移るわけでもない。ただ肩から力を抜いて、無防備な自然体になった。自分を殺せるだけの力が、今まさに撃ち放たれようとしている時に武装解除した。

 

『君になら、殺されてもいい』

 

 今の悠の態度を言葉で表せば、そんなところか。全ての抵抗を捨てて死を受け入れようとしたその瞬間、ガラスがひとりでに割れた。

 

 ──

 

「!……」

 

 マリーは目を瞠った。人の右目はもちろん、人外の左目もだ。機械的な虹色の目に、初めて感情の色が灯った。その目が映しているものは──

 

「カグヤ……」

 

 立ち尽くす悠の前に、一体のペルソナが現れていた。人の姿でありながら虫、取り分け蝶と似た姿を持つペルソナだ。だが悠に呼ぶつもりはなかった。男女の間に立ちはだかるように、ペルソナの方から勝手に出てきた。悠が名前を呼んだのは、出てきた後だ。

 

「ヒルコ……」

 

 そして悠のペルソナをマリーが呼ぶ名は、使用者が呼ぶそれとは別だった。殺しに発展しそうな痴情のもつれを、体を張って止めようとする子供のようなペルソナを、マリーは神の名で呼んだ。

 

「マリー……」

 

 だが悠は自分のペルソナの『別名』を聞かされても、それに気を留めない。クスミノオオカミの名に一顧もしなかったように。

 

「これは君と俺の絆から、生まれたペルソナなんだ……」

 

 ただ異邦人のペルソナの由来を語った。神話や物語ではなく、現実の由来を。

 

「……」

 

 絆で戦うとは何か? それは情に訴えることだ。力で敵わず、言葉も通じない相手に対してできる、唯一の手段。二年前、有里は長男と同じ名を持つ存在を相手に、そのようにして戦った。つまり親子の情で相手の心を折ったのだ。

 

「葦の船に乗せて、流しちゃえばよかったのに……。どうしてそんなの、後生大事に持ってるのよ……馬鹿みたい」

 

 そしてマリーも折れた。雷のように激しかった戦いの意志は、急激に霧消した。

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