ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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道化の救世主(2012/3/20)

 通学路でもある鮫川の土手を走って、悠はそのまま学校へと向かった。一年間通い続けた道を通り抜けた先には、シンボルツリーの桜に挟まれた校門が見えた。春休みの期間中だが、今日は折良く登校日である。門出を祝福する花には一瞥もくれず、悠は急いで校舎に足を踏み入れた。

 

(いないかな……)

 

 土手で見失った『少年』を探しているのだ。ミナヅキは随分と着崩していたものの、八十神高校の制服を着ていた。ならば学校に来ているのではないかと思ったのだ。初めて私服姿で学校を訪れた悠は、下駄箱のところで周囲を見回した。すると他の知り合いと目が合った。

 

「あ、悠……どしたの? あんたも補習……じゃないか」

 

 あいだった。悠と違って制服姿である。

 

「……ブラブラしているだけさ」

 

 悠は君に会いに来たとは言わない。事実そうではないし、恋人の関係にあるわけではない人に、しかも他の男と付き合っている女に言うのはかなり不適切だから。しかしここに来た目的も、悠は言わなかった。

 

「あっそ……じゃあさ、補習終わったとこだし、ちょっと付き合ってよ」

 

 あいは階段を上って行った。悠は目的を持ってここに来たのだが、断りはしなかった。

 

 

「ね、この場所覚えてる? あたし、飛び降りようとして、あんたが止めてくれたの」

 

 二人は屋上にやって来た。特別捜査隊はここで捜査会議をしたこともあったが、ここにまつわる出来事はそれだけではない。他の思い出の一つを、悠はあいに言われて遠い記憶から引っ張り出した。

 

「そんなこともあったな」

 

「今さらだけど? 止めてくれて、話聞いてくれて……ありがと」

 

「大したことはしていないさ」

 

 名ばかりの『特別な関係』になった七夕の当時、あいは孤独だった。校内では有名人で人気もあったが、やはり孤独だった。そういう境遇にある人にとっては、悠がしたことに意味はある。しかし自己評価が底を打っている『愚者』は、感謝の言葉を受け入れたくなかった。

 

「ふふ……ホント、大したことじゃないよね!」

 

 あいは朗らかに笑う。しかしすぐに笑顔を引っ込める。

 

「あたし去年の事件とか、あんま詳しい話は聞いてないよ。でもさ……辛いこと色々あったんでしょ? 愚痴くらい聞くよ?」

 

「……」

 

 悠は動かない表情の裏で、少なからず驚いていた。あいはペルソナ使いにはならなかったが、事件の当事者ではある。誘拐事件と獣害事件の両方で被害者になったのは、あいだけだ。しかし自ら手を動かす意味での当事者ではないので、事件の全てを知らされてはいない。悠自身、あいにその話はほとんどしていない。だが事件の真相を知らなくても、今の悠が抱えている問題には気付いている。

 

 堂島は気付いておらず、特別捜査隊の仲間たちは知りつつも昔のままだ。だがあいは身内と仲間たちのいずれとも違う。立場に違いがあるだけでなく、絆の主への気持ちにも温度差がある。

 

「確かに……辛いことばかりだったよ」

 

 その違いに後押しされて、悠は少しだけ『愚痴』を零した。

 

「入院もしたし、他にも色々な……。いなくなってしまいたいと思ったこともあった……」

 

「そっか……大変だったね」

 

 あいは表情を陰らせた。だがすぐに笑顔が戻る。

 

「でも湿っぽいのは今日までね! 明日は大輔や一条と駅まで見送り行くから、しゃんとしてなさいよ!」

 

 悠はあいに『大したこと』はしていない。だからあいも同じようにする。愚痴を聞いて、ただ聞くだけだ。具体的な解決策を示すことは、そもそもできない。できることはとにかく励ましてやるだけだ。そして悠にとってはそれで十分だった。

 

「しょんぼりしてると、みんな心配してゴールデンウィークとか押しかけてこられちゃうよ?」

 

「それは大変だな」

 

 悠は萎んだ顔を引っ込めて小さく笑った。余計なことを言われ過ぎない方が、精神的に楽でいられる。だが笑顔もまたすぐ引っ込める。表情の使い分けは、昨年の今頃より遥かに巧みになっている。

 

「ところで……ミナヅキを見ていないか?」

 

「ん、誰?」

 

「文化祭で会った奴さ。顔に傷がある……」

 

 ひさ乃に引き合わされて以降では、悠は文化祭の二日目にミナヅキと会っている。一緒に出し物を回っていたあいは、その時ミナヅキに話しかけていた。

 

「顔に……? ああ、思い出した。そう言えばいたね、そんなの」

 

 しかしあいの反応は乏しい。

 

「君、あいつと知り合いじゃないのか?」

 

「んー……知り合いじゃないわね。名前だって今聞いたくらいよ。随分前に、どっかで会ったような気がするんだけど……あれから顔見てないわ。うちの生徒じゃないんじゃない?」

 

「そうか……」

 

 下駄箱前で偶然遭遇したあいに付き合って、わざわざ屋上まで来たのは、かの死神の担い手について何か聞けるかもしれないと思ったからだ。しかし当ては外れた。

 

 実際のところ、あいはミナヅキと縁は乏しい。執着してもない。文化祭の日は、傷がありながらも美しい容貌と昨年の春に『守られた』という無意識の断片によって、動悸が速くなる感覚を覚えたものだった。しかし長瀬と付き合うようになった今は、たとえ再び出会っても当時のような反応は示さないだろう。

 

「あ、そうだ。今日、小沢も来てるわよ」

 

 尋ね人の情報は得られなかった。まるでその代わりにするように、あいは別の人の名前を口にした。

 

「あんた、あの子とは別れたって聞いてるけど……彼女だったんでしょ? 最後くらい、何か言ってやりなさいよね」

 

「……そうだな」

 

 

 結実との『特別な関係』は既に終止符を打っている。しかし引っ越しの前に挨拶くらいはするべきであろう。屋上であいと別れた悠は、ミナヅキを探すついでにその足で実習棟の一階へ向かった。

 

「なまむぎなまごめなまたまご!」

 

 すると演劇部が部室にしている会議室の前で、歯切れの良い早口言葉を耳にした。知っている声である。

 

「小沢」

 

 扉を開けて中に入ってみると、結実がいた。他の部員はいない。

 

「鳴上君……」

 

 元彼女は笑顔で迎えてくれた。

 

「思いが通じたのかな?」

 

 話によると、今日の結実は提出物があって学校に来たのだが、そのついでに練習をしていたとのことだった。悠は演劇部では完全に幽霊部員になってしまったが、結実は年が明けてから復帰している。

 

「私、演技下手になっちゃったみたいでさ……一から出直しだよ」

 

「ブランクがあるんだから、仕方ないさ」

 

 結実は一学期の後半ごろから部活に出ない日が多くなり、二学期は一度も出なかった。運動でも芸術でも、練習を休めば腕は落ちる。かつては部で一番の芸達者だった女優は、基礎の発声練習からやり直している。

 

「それもあるけど……目標が高くなった気がするんだ」

 

 結実は窓際に移動し、外を見た。

 

「私のいる世界を、ちゃんと生きたい。私を生んでくれたこの世界に、貢献できるようになりたい……なんて、ちょっと大袈裟かな?」

 

「いや……適切だと思うよ」

 

 悠は亡き恩師の教えを思い出した。結実の言葉を諸岡風に言い直せば、アイデンティティを見出して社会に貢献したいという意味だ。悠は倫理の授業で出された課題について、元彼女と話し合ったことはないが、結実は自分で辿り着いている。

 

「ありがと。だからね……本当の演劇をしたいんだ」

 

 高校生にできる社会的な活動と言えば、生徒会に入って学校の為に何かをする、地域の活動をする、ジュネスでレジ打ちなどのアルバイトをする。色々あり得るが、結実が選んだ道はそういうものではない。手当たり次第にやるよりも、昔からやってきたものを、より深く実践したいとの思いがあった。

 

「お父さんが……きっと見ていてくれるから」

 

 結実は顎を持ち上げて、部室の窓から天を見上げた。天上にあるという異世界から、死んだ父親が見ていてくれている。そんなことを思いながら。

 

「生きるって、きっとたくさんの人にバトンを渡すことなんだよ。血とか遺伝子とかじゃなくて、想いみたいなもの。本当の演劇で……想いを伝えたい。大昔からずっと伝えられてきた想いに、私の想いも載せて……」

 

 ここで結実は振り返った。晴れやかな笑顔を添えて。

 

「鳴上君もバトン、たくさん渡したよね。私もバトン、貰ったよ……」

 

 その笑顔から目を逸らして、悠は黙り込む。

 

(俺は君に……何も渡してなんかいないよ)

 

 悠はこの一年、担い手たちから『バトン』を渡されてばかりで、渡した覚えはない。昔の記憶は不確かになってきているが、とにかく自分自身にそんな印象はない。先月から下がりきっている自己評価に反して、結実は元彼に礼を言う。あいとは違うその反応が、悠を苦しめる。

 

(君以外の人の、誰にも……)

 

 一年間で集めたコミュニティは数多い。担い手の数は二十三人に上るが、絆の強さは一定ではない。個々人に温度差はある。月の絆は『信仰』度合いが低い方だが、太陽は高い方だ。

 

 

 分かり合えない思いを抱いたまま、悠は会議室を出た。そして学校に来た目的の人について考えを巡らせる。

 

(あいつ、ここの制服着てたけど生徒じゃないのかな。確かにあんな目立つ顔の奴がいれば、学年が違ってたってどこかで見そうなもんだしな。そうすると……)

 

 未だ極まっていない死の絆の担い手を探して、悠は学校を後にした。

 

 

 悠はジュネスにやって来た。この地域最大の商業施設は人の出入りが激しい。しかし今日は客の入りが多くはない。そんな気がした。

 

(探しやすくていいか? いや、そもそも来てないかな……)

 

 今日は春分の日だ。学校は元より春休みの期間中で、普通の勤め人にとっても休日であるはずだが、ジュネスの活気は今一つだった。これでは尋ね人が来ているか怪しい気がした。だがやる前から諦めてはいけない。

 

 一階の食料品売り場から、二階の家電売り場その他を見て回って、屋上のフードコートにやって来た。ここは昨年の4月から何度も特捜会議を開催して、他にも陽介たちとコミュニティを進めた、最も思い出深い場所である。今となっては辛い思い出になっている場所を、悠は一人で見回した。

 

(いないか……参ったな)

 

 ミナヅキはいない。特捜隊の仲間たちも来ていないし、その他の学校や町の知り合いたちもいない。目に入るのは、暇そうな店員の他には家族連れが一組いるだけだった。

 

 稲羽は田舎町ではあるが、町全体から人一人を探し出すのは大変なことだ。学校におらず、最も人の集まりやすいここにもいないとなると、あとはもう出会った病院くらいしか思い当たる場所はない。ミナヅキは付き合いが浅いから期待しているのだが、浅いから見つけるのに苦労する。情報社会の現代にあって、連絡先の交換もしていない友人とは、果たして何であろうか?

 

 そんなことを思っていると──

 

「やあ、鳴上君」

 

 声をかけられた。休日でありながら閑散としたフードコートには、先客は家族が一組いるだけだった。その一人から声をかけられた。振り返ると、そこに昨年の事件の勝者がいた。

 

「え……有里さん!?」

 

 河原で生田目に会った時も驚いたが、同じくらい驚かされた。シャドウワーカー本部の副隊長で最強のペルソナ使いが、フードコートの白いラウンドテーブルに座っている。このワイルドの先輩の顔を見るのは、菜々子が一度死んで蘇った日以来、三ヶ月以上ぶりである。

 

「どうしてこちらに……」

 

 思いがけない再会に、悠は少なからず混乱した。昨年は月に一度くらい出張で来て、後には単身赴任で長い間こちらに滞在していたはずだが、事件がとうに解決した今となっては、それも過去の話だ。港区に住んでいる有里が、なぜここにいるのか。

 

「ちょっと用があってね……それより紹介しよう」

 

 有里は一人ではなかった。若い女が一人と、二人横に並んで座れる型のベビーカーに乗った赤子が二人いる。

 

「家内と息子だ」

 

「初めまして。アイギスと申します。主人からお話は伺っています」

 

 若い女は長い金髪をポニーテールにまとめ、深い青色の目をしていて、ちょっと驚くような美女だった。悠にとって自分史上最高の美人はベルベットルームの魔女だったが、有里の妻はそれに近い領域にいた。そして──

 

「ワン!」

 

 もう一人、もといもう一匹いた。白い柴犬がテーブルの下から出てきて、一声鳴いた。

 

「これはコロマルだ」

 

 さも当然のように、有里は飼い犬を紹介した。真っ白の見事な毛並みを誇るように撫でてやる。しかし犬がここにいるのは、当然とは言えない。

 

「あ、あの、お客様……困ります」

 

 元気一杯な犬の鳴き声を聞き咎めたか、一人の店員がやって来た。ジュネスはペット同伴での来店は禁止されている。衛生上の問題があるし、どれだけ愛らしい生き物でも犬や猫が苦手な人はいるものだ。盲導犬か、せめてキャリーバッグに入れているならまだしも、放し飼い同然の状態ではさすがに駄目だ。

 

「ああ、済みませんね」

 

 有里は注意されても落ち着きを崩さない。店員を一瞥しただけで、妻へと目を向ける。その視線に含まれる色は、とても誠実そうなものだった。

 

「アイギス、先に戻っていてくれないか」

 

「……はい」

 

 対する妻は少々の間を置いて答えた。

 

「それでは鳴上さん、失礼します」

 

 犬のリードを手に引っ掛けつつ、赤子を二人乗せたベビーカーを押して、アイギスはフードコートから建屋へ向かった。歩くたびに揺れる長い金髪を見送ると、悠の脳裏に閃くものがあった。

 

「あの……」

 

 有里に妻子がいることは以前から聞いていたが、会ったと思ったらすぐに去っていった。去った理由は明白だが、タイミングに違和感を覚えた。有里は飼い犬を口実にして、わざと家族を遠ざけたように思えたのだ。なぜそんなことをしたのか?

 

「座りなよ。話したいことがあるんだ」

 

(そうだ……コミュが終わってないのはミナヅキだけじゃない。この人と足立さんもだ……)

 

 悠はアイギスが座っていた椅子に腰を下ろしつつ、勘が確信に変わるのを感じた。有里は悠がやって来たので、妻子を返した。つまり有里が稲羽に来た理由は自分。自分との間に結ばれている審判のコミュニティを進めに来たのだろうか。イゴールが言うところの、『一つの言葉』を与えに来たのだろうか──

 

「これを預かっている」

 

 有里はジャケットの内ポケットから一封の茶封筒を取り出した。宛名は書いておらず、封は既に切られていた。

 

「足立さんからだ」

 

「!?」

 

 時刻は昼間だ。まだ一日は終わっていないが、八十稲羽で過ごす最後の日は思いがけない縁が続くようだった。コミュニティのない二人の人と出会ったと思ったら、今度は完了していない三人との予期せぬ遭遇である。最後の日だからこそ、まとめて片付けに入っているようだった。

 

「足立さんは今、僕たちの所にいてね。色々話を聞いてるんだけど……」

 

 続けて有里は事情を話した。堂島には手紙の写しを見せており、当初は堂島から悠に渡してもらおうと思っていたのだが、これ以上甥を事件に巻き込みたくないと断られた。それで堂島には内緒で、自分が届けに来たのだと。

 

「……」

 

 封筒を開くと三枚の便箋が入っていた。三つ折りにされたそれらは、どれも折り目が綺麗に揃っている。初めて見た足立の手書きの文字は几帳面なものだった。

 

『突然の手紙に驚いているかな。それとも怖いかな?』

 

「!……」

 

 冒頭でいきなり息を飲まされた。

 

『君が年の瀬に目を覚まして、退院したって話は聞いているよ。死なずに済んで良かったね……って僕が言うのも変かな? いや、変じゃないよね。君、あのまま死んでいた方が良かった……とか思ったりしてない?』

 

 図星だった。死なずに済んで良かったとは、悠にとって相当にたちの悪い皮肉である。そして足立がそれを言うのは最悪だ。殺人犯は拘留中の身であるはずだが、長らく顔も見ていない高校生の心理を、手に取るように見抜いている。

 

『本題に入ろう。僕はどうやってテレビに入れるようになったのか、知りたがっている人たちがいる。僕がペルソナに目覚めたのは4月の終わりだけど、あの二人をテレビに落として死なせたのは僕だ。僕は初めて召喚する前から、あれができたんだ。生田目もそうだろう。と言うか、あいつはそもそもまともに目覚めてなかったっけ? ま、生田目は取り敢えず置いといて……君は僕と同じパターンなんじゃないのかな?』

 

 悠が初めてテレビに入ったのは、初めてペルソナを召喚するより前だ。そのことは堂島にも伝えてある。

 

『それで堂島さんや有里君に、何かきっかけがあったのかって聞かれてるんだ。でも残念ながら、自分でも分からない。取り敢えず可能性を一つ消去すると、影時間があった頃には棺桶に入っていたはずだよ。ああ、影時間って知ってる? 知らないなら……まあ、有里君にでも聞いてよ』

 

『もし君が、自分が目覚めたきっかけが分かるのなら、君から教えてやってくれないかな。参考になるかどうか分からないけど、情報を一つ提供するよ。僕が自分にこの力があることを知ったのは、稲羽に来てすぐの頃だ。最初に来てからその日までの間に、何かがあったはずなんだ。君も来た日から初めて入るまでの間に、何があったか考えてみてくれないかな』

 

 ここで一枚目が終わった。

 

『拘置所……じゃないけど、まあ便宜上そう呼ぼう。こっちで暇していると、去年のことを色々思い出すよ。堂島さん、有里君、尚紀君……それから君のこともね。知ってるかもしれないけど、僕が稲羽に来たのは左遷でね。去年の春頃は都落ちしちゃったって思ったよ。でも今にして思うと、こうして稲羽から遠くに連れてこられたことこそ都落ちみたいだよ』

 

(都落ち……)

 

 便箋を持つ手に力が入りかけた。稲羽を去った足立は都落ちした。明日に去る悠は落ち武者だ。言葉は違うが意味は同じだ。

 

『これを読んでいる君は稲羽にまだいるのか、もう都会に帰っているのか、僕には分からない。だけどまだ都落ちしていないのなら、ちょっと真剣に考えてみてほしい。最初のきっかけは、一体何だったのかをね。君が変に人気者なのも、原因はそこにあるのかもしれない』

 

(こ、この人……)

 

 ここまで読んで、悠の体は震えだした。稲羽を去るのは悠にとっても都落ちだと、足立は決めつけている。と言うより、正鵠を射ている。足立はマリーの件を知っているはずがないのに、正しいことを言っている。まるでマーガレットのような千里眼だ。手紙を読んでいるだけなのに、まるで本人がそこにいるかのような気がして、撃たれた時の悪寒が蘇る。それでいながら手紙を投げ出すことはできない。続きを読む視線は止まらない。

 

『山野真由美と小西早紀を殺したのは僕だ。それは事実だし、逃げるつもりはないよ。たとえ力を得たのが、どこかの誰かさんのせいなんだとしても変わらないさ。でも物事の因果関係はどこまでも遡れる。人を殺せる力を僕が得たその原因を、もし君が突き止めることができたなら……凄いよね。君は僕を捕まえられなかったけど、もっと凄いものを、いわば黒幕を捕まえられるかもしれないんだ。そしたら君が色々やって来たことも、意味があるものになる……』

 

 二枚目はここで終わった。震える手で紙をめくり、最後の手紙を読むと──

 

『……何てね? そんなわけないよね? 真に受けちゃ駄目だよ? 原因とか黒幕とか、そんなんどうでもいいじゃん? 投げ出しちゃった方が楽なんだからさ? 僕としてはそっちを勧めるよ。せっかく生き残ったんだから、適当に楽しくやってればいいよ』

 

「足立さん……」

 

 一瞬、気が抜けた。それと同時に、ほっとした。更なる戦いや辛苦を強制されなくて安堵したのではない。コニシ酒店で撃たれて以来、ずっと心に巣食っていた足立への恐怖が和らいだ気がしたのだ。

 

(この人は……俺のことを分かってるんだ)

 

 足立が怖くなくなったわけではない。ただ足立が『理解者』であるという認識が、不思議な共感や感謝の気持ちが、恐怖に違う色を混ぜ込んだのだ。銃で撃たれた事実は変わらないが、そこに死を感じなくても良かったのだ。

 

(俺……馬鹿なことしたな)

 

 堂島や仲間たちを足立に殺させてはならないと、一人で会いに行った日のことだ。足立は誰も殺すつもりはなかったはずだと、目覚めてから堂島に言われた。その時は『そうなんだ』で済ませたが、今は腑に落ちた気がした。足立はもう殺しをするつもりは、本当になかったのだ。

 

 ついでに今年の初め頃、絆の残業に勤しんだ日々も思い出された。あれはマーガレットに勧められたからと、マリーの為だった。そして足立を超える力を得ようと思ったからでもある。いつかどこかで再会しても、今度は勝てるようにと。実のところは、殺し合いになどなりようがないのに。そんな自分の愚かしさに笑い出しそうになってしまった。

 

 その瞬間、時間が止まった。

 

『我は汝、汝は我……。汝、遂に絆の真実を見たり』

 

(え……?)

 

 脳裏にカードが浮かぶ。蛇のような怪物の絵と生贄の女が描かれた、欲望の寓意画だ。それが光を放って、ひび割れて、表面が剥がれ落ちた。道化師の絆が欲望に変貌した時と、同じ幻視である。まさか再びアルカナが変わるのかと、心の中で笑いを止めると──

 

『ここに欲望の絆は、道化師へと戻りたり……』

 

 かつて上絵を剥いで下絵を露わにした絵は、下絵も剥いだ。二重に剥がされた心の絵は、当初の絵柄に戻ってしまった。まるで裏の裏は、ただの表に過ぎないのだと言うように。自分自身を笑った途端、笑いを取る人という意味の『道化師』に戻った。そして真実を見出した成果は──

 

『絆の真実……それは即ち真実の目なり。今こそ汝には見ゆるべし。道化師の究極の力、マガツイザナギの我が内に目覚めんことを……』

 

「マガツイザナギ……」

 

 欲望のアルカナとは、恐怖という意味だったのかもしれない。女を殺し友人も殺す恐ろしい敵だと思った途端、絆が変貌した。だがそれは間違っていた。なるほど足立は犯罪者であり悪人でもあるが、頭が七つあって角が十本もある怪物ではない。悠もまた決して怪物でないように。悠と足立は、どちらも絶対善や絶対悪ではない。絆の正義や血の味に酔う熱狂がないから。ただの人間に過ぎない。

 

「それは足立さんのペルソナだね。コミュが極まったのかい?」

 

 有里が声をかけてきた。足立は自分のペルソナを召喚する際、いつも『マガツ』と略していたので、悠はそれがペルソナ呼称だと思っていた。だが真実は違っていた。初めて知った足立の力の名が、それと似た名前の存在を告白させた。

 

「ええ……俺の最初のペルソナはイザナギでした」

 

「なるほど」

 

 力と絆の先輩は目を閉じて深く頷いた。年上と年下の二人の後輩たちが、互いにどんな絆で結ばれていて、どんな宿命を背負っていたのか、察せられるものがあった。

 

「かけがえのない絆を手に入れて、良かったね……と言いたいところだが、聞かせてほしい。君はどうやって力を得たんだい?」

 

 だが有里はリアリストである。コミュニティを厭いはしないが、所詮は勘違いみたいなものと見なしている。だから後輩たちの『和解』を祝福しつつも、過度に感動はしない。すかさず本題に入る。

 

「分かりませんが……影時間って何ですか?」

 

「二年前の1月まで毎晩0時になると発生した、シャドウが現れる時間帯のことだよ。常人は象徴化と言って、棺桶の姿になってしまうんだ。ちょうど君の年頃に僕や家内はそこで戦っていたんだけど、見たことない?」

 

「……いいえ」

 

「こっちで外のシャドウに襲われたことはないの? 例えば山野さんが亡くなった日に、シャドウの声を聞いてない?」

 

「いいえ」

 

「そうか。じゃあやっぱり君が力を得たきっかけは、足立さんのそれと同じなんじゃないのかな」

 

「……」

 

 足立と同じ。殺人犯である道化師と同列に扱われても、もう悠は恐れや恥ずかしさを感じることはない。だが分からないものは分からない。自分たちが力を得た契機など、想像もつかない。

 

「何か思い当たる節はないかい? こっちに来てから初めてテレビに入った日までの間に、何があった?」

 

「そんな昔のこと……覚えてませんよ」

 

 一年近くも前である。いつ何があって何をしたかなど、覚えていないのが普通だ。一生忘れられないような出来事ならまだしも、有里が聞いているのは悠が異常な経験を始める前の話である。何があったと聞かれても答えようがない。

 

「本当に?」

 

 だが有里は引き下がらない。テーブルに肘をついて身を乗り出してきた。

 

「鳴上君。君は昔のことを覚えていないんじゃなくて、何もかもを忘れているんじゃないかい?」

 

「!?」

 

 悠は驚いた。足立には虚無感に侵された心理を見抜かれたが、有里もだ。

 

「君はこの町に来てからのことを、全て忘れようとしている……。もしかしたらそれ以前も含めた、今までの人生の全てを忘れようとしているんじゃないかい?」

 

「どうして……」

 

 なぜ分かるのか。審判のコミュニティはまだ極まっていないから、有里は不条理に惑わされないのだろうか。それとも──

 

「分かるさ。僕も昔そうだったからね」

 

 他人に対して真実を持たず、どんな嘘でも平気で言える。何が起ころうと何も感じず、誰が死のうが何も思わず、心を絞っても涙一滴出てこない。何にも属さない、数字のゼロのような存在を表す愚者のアルカナを体現すること。それを俗に無気力症と言う。シャドウに精神を奪われた影人間という意味ではなく、文字通りの意味での無の化身。心の質量を持たないこと。かつての有里は、そういう人でなしだった。

 

 だが今はそうではない。昨年のちょうど今頃、有里は無気力症を克服した。その証明は、十年以上前に死んだ両親の記憶を取り戻したことだ。

 

「人は過去に経験した全てを覚えているんだ。忘れるのは、逃げ出したいからだ」

 

「……」

 

 悠は足立の手紙をたたんでテーブルに置き、右手を自分の胸に当てた。ジャケットに入れてある櫛を手で感じる。

 

(俺は、逃げているのか……)

 

 この一年間の結論は、既に諸岡に報告している。だが自分はまだ逃げているのかもしれない。辛い真実から目を背けて、自分自身にさえ秘密にしている、更なる闇が潜んでいるのではないか。マリーの櫛は虚ろの森を出てからもずっと持ち歩いているが、なぜそんなことをしているのか。別れの証を肌身から離さずにいて、底の抜けた無力感に浸り、絶望に蝕まれるに任せていた。だが悲しみだけを見つめるとは、実は目を背けることに他ならないのではないのか。

 

「マリー……」

 

「……」

 

 悠の独り言を、有里は問い返しはしない。長い時間をかけて、ただ待った。

 

「……」

 

 先輩を待たせたまま、後輩は考える。今となっては遥か遠くに感じる、過去の出来事を思い返してみた。ただし必死になって、全力を傾けて掘り起こすのではない。精神を極限まで押し広げて全身全霊で執着して、両手を力の限りに伸ばしきっても、なお掴めないものはある。そういうものは、虚心坦懐に構えていると向こうから勝手にやってくることがある。

 

『占いは信用されますかな?』

 

『ねえ、落ちたよ。これ、君のでしょ』

 

 そして本当にやって来た。

 

(そうだ、思い出した……。電車の中で夢を見て、ベルベットルームに初めて行ったんだ。あの時はまだマリーはいなかった。初めて会ったのは……駅だ)

 

 不意に、自然に、雨粒が頬に当たるように、春の記憶が蘇った。泥の中から宝珠が浮き上がるように、悠は思い出してきた。

 

(俺はいつ、テレビに入れるようになった?)

 

 初めてテレビに入った、と言うか自分の力を自覚したのは、早紀のマヨナカテレビを見た時だ。自室のテレビに手と頭がもぐり込んだのだ。それは正確にいつの日だったか?

 

(転入したのは、確かこっちに来て二日目だ。その日は先生に言われて、帰り道で足立さんが戻してて……。あれを試したのはその日の夜? ……違う、その次の日だ)

 

 転入初日は諸岡に落ち武者と予言されて、足立と遭遇して、それで終わった。翌日に陽介たちと一緒にジュネスに行って、マヨナカテレビの噂を聞いた。それで都市伝説を試したのだ。つまり初めて稲羽に来た日から、三日目までの間に何かがあったはずである。それは何であろうか。諸岡や足立、陽介との出会いも捨てがたいが、やはりマリーではないだろうか──

 

(この力は……マリーに貰ったものなのか?)

 

 心の川底から浮き上がった珠が、閃きの光を反射した。光は一つの認識になる。即ち自分の力は、始まりからマリーに関係しているということ。運命の人そのものであるので、ありそうな話ではある。ではマリーは何の為に、自分に力を与えたのか?

 

(マリーが俺に力を? どうして……?)

 

 不幸を呼ぶことにしか使えない力を、マリーが与えたのだろうか。しかし仮にそうだとしたら、マリーが死んだ今、真意を尋ねることはできない。夢には毎晩のように出てくるが、話すことも触れることもできないのだ。

 

(ん? 夢……?)

 

 有里が釣り出した見晴らしの珠は、どうも綺麗な球形ではないようだった。歪んでいるのか傷だらけなのか、思いがけない方向に光を反射して、突拍子もない記憶まで照らしてしまう。

 

(待て……そうだ、思い出した! ここに来た初日の夜! 変な夢を見た! 真っ白な世界で、誰かがいた!)

 

 夢は目が覚めたら忘れるものだ。現に悠も二日目の朝には忘れていたのに、一年も経った今になって思い出した。

 

(白い世界……人影……。思い出せ、俺……何かがあったはずだ)

 

 これは何かの手がかりになる気がした。白い世界と言えば霧である。つまりテレビの中の異世界だ。自分は初日の夜、実はテレビに入っていたのだろうか。それとも夢の中で、来るべき事件に向けて予告のように訪れたのだろうか。夢で霧に落ちることはある。撃たれて寝込んでいた時も、霧の中にいた気がする。昨年暮れの夢の霧から、自分を救ってくれたのは──

 

 臆病者の言い訳のような論理を積み重ねて、考え事が当初の目的からずれようとした時、またしても閃きが走った。

 

『寝ぼけないで! 君、今すっごく危ないの! 向こうで一番危ない場所に落ちたの!』

 

 夢と現実の境で朦朧とする愚か者を、叱って叩き起こす言葉。頭に浮かんだ声はマリーのものだ。マリーは何度も悠を『起こした』が、このきついセリフで起こしたのは夏の日──

 

(そうだ! 7月に生田目さんに落とされた時だ! あの時も落ちた先に誰かがいた! こっちの場所は……ガソリンスタンド!)

 

 思わず手を打ってしまった。自分の掌から発した音で、悠は我に返った。

 

「思い出したかい?」

 

「ええ」

 

 確かに思い出した。有里に促されて考えてみたら、重要な記憶を自分の中から見つけた。初めてテレビの窓から入るより早く身を置いた異世界と、生田目、つまりは自分のシャドウのような男に落とされた先の異世界。これは何かが繋がっている気がする。それは足立が言うところの『黒幕』にまで繋がっている。勘はそう告げていた。

 

「マリーって子、有里さんもご存知ですよね。俺、この町に初めて来た日に彼女と会ったんです。ベルベットルームに通う前からです」

 

 しかし口では勘と違うことを言った。自由に動かせる『愚者』の口は、こういう時に便利である。

 

「俺の力は彼女に関係しているのかもしれません。初めて会ったのは八十稲羽駅でした」

 

「駅か」

 

「済みません。それ以上は分かりませんが、駅に何かあるかもしれません」

 

「分かった。ありがとう」

 

 全くもって便利である。全般的に素直で物分かりの良すぎる仲間たちばかりか、力と絆の先輩さえ口から出任せで欺ける。有里は二年前に無気力症を克服したが、それは大嘘吐きの『愚者』でなくなったということだ。イゴールが評したように、悠はある意味で有里の上を行ったのだ。その証拠は──

 

『我は汝、汝は我……。汝、遂に真実の絆を得たり。真実の絆……それは即ち真実の目なり。今こそ汝には見ゆるべし。審判の究極の力、メサイアの我が内に目覚めんことを……』

 

 時間を止める『我』の声だ。審判のコミュニティが真実のものとして認められた。嘘でもって引き出した完了宣告は、後輩の勝利宣言でもあった。そしてその一方で──

 

『彼は汝、汝は彼……。彼、遂に汝との絆に真実を見たり。真実の絆……それは即ち真実の目なり。今こそ汝には見ゆるべし。汝がペルソナにアナライズの力の宿りしことを……』

 

 先輩も後輩が聞いたものと同じ声を聞いた。絆の主と担い手であるから、言葉の上辺は異なっている。しかし厳粛を通り越して芝居がかった声の調子は同じだった。

 

「コミュが極まったね」

 

「そうですね」

 

 先輩はにやりと笑い、後輩も同じ笑みを返す。

 

 この二人はどちらもコミュニティの存在を自覚しており、そしてその力を利用していた。絆を束ねるワイルド同士の二人は、二度目の春を迎えたこの時期になってもなお、友情や信頼で結ばれはしない。ただ互いに利用しあって、アリバイ的な協力や感謝の言葉を交わして、『我』そのものさえ欺く。

 

「じゃあ俺は行きますね。これは貰ってもよろしいですか?」

 

「ああ」

 

 悠は足立の手紙を懐に入れて席を立ち、フードコートから去っていった。その足取りは軽かった。

 

 

 家族を遠ざけ、後輩も立ち去って、有里は一人になった。霧はとうに晴れているのだが、八十稲羽の町は奇妙に活気がなく、フードコートは依然として閑散としている。祝日の昼間だと言うのに、他の客は誰もいない。遮るもののない春の風に何とはない寒さを感じながら、有里は視線を巡らせた。

 

(来たか)

 

 田舎の広い土地を見渡せる、地域で最も背の高い建物の屋上。そのフェンス際に一枚の扉があった。先ほどまではなかったはずの、突然現れたその扉は群青色だった。

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