『えーっと……気を取り直して、P-1グランプリ再開! 二回戦第一試合はシスコン番長対キャプテン・ルサンチマン! みんな真っ先に思いつく定番中の定番カード! スタートよ!』
群青色の嵐が去った後、床に投げ出されたモニターに映る実況がゴングを鳴らした。なお、見えない壁はさりげなく再生している。エリザベスと違って悠と陽介は壁を破壊する術を持たない為、仲間割れのリングから逃げることはできない。
──
そして人の目と耳を歪めるノイズが走った。もはや毎度お馴染みの定番演出である。
「相棒、お前は正気か? 天城みたいに消毒とか言わねえ? もしかして里中や直斗ともう戦ってたりする?」
陽介は雪子と一回戦で戦った時、相手は正気を失っていると思った。この大会の仕掛けをまだ正確に理解していないので、声に出して聞く。そして悠の返事は陽介には違って聞こえる。
『天城? 里中と直斗? 知らん! 興味ない! 大事なのは菜々子だけだ!』
悠の表情も実際とは少しばかり違って見える。口角を少し上げて目がギラギラと光る、そっとしておくことが処世術の面倒くさがりならずとも距離を置きたくなるタイプの、いわゆる痛い人の顔をしている。これまでテレビの中で悠のシャドウが出現したことはないが、もし出たらこんな感じかもしれないと陽介は思った。コミカル風味で深刻さに欠けるが。
「おい! お前までおかしくなってんのか! 菜々子ちゃんが大事なのは分かるけど、そうじゃねえだろ!」
『おかしいのはお前だ! いいか、よく聞け……』
「な、何だよ……」
『気安く、"菜々子ちゃん"なんて呼ぶなぁぁ!』
悠は剣を持っていない左手を一度体に巻き付けるように回し、戻す勢いを乗せて陽介を指さした。実際の悠はそんなことはしていないはずだが、そう見える。
「はい、スミマセンデシター……じゃねえよ、馬鹿野郎! マジでシスコン番長か! 真面目にやれ!」
『俺はいつも真面目だ! 真面目に菜々子が可愛いんだ!』
悠のふざけ具合はもはや漫才の領域だった。陽介はその手の娯楽番組が嫌いではないが、今はそんな場合ではない。もうここは一発、必要なら五、六発くらいツッコミを入れてやろうと、もといぶん殴って正気に戻してやろうと短剣を手に駆け出した。
魔術師のコミュニティが破壊された影響は、確実に陽介に出ている。ペルソナがスサノオからジライヤに戻っただけではなく、心理的な面でもそうだ。昨年11月や今年2月にケンカした時とは違う意味で、相棒と戦うことに躊躇いを感じなかった。
一方で悠は──
『相棒、校門前にいたクレーマーのクソ女、どこ行ったか知らねえか?』
「は? 誰のことだ……」
悠は堂島と話し合った為に、戦う前にする話は実際と違って聞こえることを既に理解している。だから今の陽介が言うことに耳を傾けるべきでなく、応じるべきでもないと分かっているのだが、脈絡の見えない話に思わず聞き返してしまった。
『あのな! お前、女囲いすぎだっつの! 里中に天城にりせ、直斗もなんだろ、どうせ! 他にもいっぱいいんだろ! 十人くらい!』
「誤解だ!」
そして思わず言い返す。言っても無意味であるばかりか有害だと分かっていても、つい口に出してしまうことはある。例えば女たらしだと思われるのは心外だ。
確かに昨年の一年間では、やろうと思えば十人くらいの特別な関係という、『特別』とはどういう意味だったか考えざるを得ない状態を実現できたかもしれない。しかし悠はそんな人でなしの所業はしていない。一時期浮気をしていたのは事実だが、結実とあいの二人だけで、しかも後者は実質的には付き合っているとは言えなかった。
そして今となっては自由の身である。付き合った二人とは別れ、愛した人は死んだ。堂島と同じ男やもめだ。蛆が湧くとはよく言ったものである。
『嘘つけ! んでもって今日はクソ女をナンパする気なんだろ!』
「どうでもいい……」
『うらやまけしからんっつってんだよ! チクショー!』
「ルサンチマンってこういう意味でしたっけ? 先生……」
短剣を持って向かってくる陽介を見て、悠はため息が出そうになった。亡き恩師の補習を思い出しながら、剣を持ち上げて構えた。そこに今までにない重さを感じた。
悠にとって陽介は勝てない相手ではない。手抜きをしても勝てるほどではないが、負けるとは思わない。万全の状態であれば、という但し書きがつくが。
「カグヤ!」
天人のペルソナを召喚し、頭上から三筋の光線を撃たせる。光の力による言わばレーザーガンであり、それ自体は矢のような速度で放たれるが、陽介は直前のペルソナの挙動を見て素早く右手へと回避する。
「遅え!」
反射神経が並ではないので、予備動作の大きい技は余程タイミングよく撃たない限りよけられる。そして攻撃に移るのも速い。
間合いに入った陽介は左の短剣を横から鋭く振るい、次いで右で突く。悠はどちらも剣で受けると、すかさず陽介は左右同時に切りつけてくる。悠が一歩下がってかわすと、陽介は追いすがりつつ下から左を切り上げた。悠が上体を反らしてかわすと、次の瞬間には陽介が一歩、いやあっという間に三歩分以上下がって、投擲用の小型の短剣、いわゆる飛び苦無を投げてくる。
(く……足が動いてないな、俺)
悠は苦無をかわし損ね、肩に受けた。切り上げを無理な体勢でよけたせいで、連続攻撃に対応できなかった。
「行くぜ!」
そして陽介は再び走る。長剣と短剣ではリーチの差は歴然だが、悠は間合いの優位を活用できずにいた。数十センチ程度の差は、陽介にとって指呼の距離に過ぎないのだ。すぐさま短剣が届く位置までやって来て──
「むっ……!」
悠の薙ぎ払いを陽介は屈んでかわしながら、左手側へ回る。そして更に姿勢を低くして、地面を這うように足を切りつけてきた。陽介は悠が既に足に来ていることを見抜いており、機動力を完全に潰すつもりで来た。対する悠は振り回してくる相手の動きを追いきれず、後手に回る。
(さっきのエリザベスさんは余計すぎた!)
悠は内心で歯噛みする。瓦礫の下敷きになった陽介はエリザベスに回復してもらったが、悠はされていない。乱入戦で散々痛めつけられたままなのである。もちろん傷は自分のペルソナで癒せるが、非常にスピーディーなこの勝負でそれをやっている暇はない。しかもできたところで、回復魔法で疲労は取れないのだ。足に来ているものは治らない。
ついでに言うと、エリザベスに投げ技と同時にかけられた恐怖の術により、精神的にかなり参っているというのもある。
「メサイア!」
何とか反撃をと、救世主のペルソナを召喚して電撃を放つ。北欧神話で主神が自らを縛り首にすることと引き換えに得た真理を表す、雷の秘術だ。だが外れた。と言うより、外した。
「殺す気かよ!」
陽介はそう言いつつも余裕がある。対する悠は片目を閉じ、右手を頭に当てて苦しい表情になる。頭を締め付けられるような痛みを感じている。
メサイアとカグヤは、いずれも魔法を得意とするタイプだ。だから距離を置いての飛び道具の撃ち合いなら分があるが、縦横無尽に駆け回って一ヶ所に留まらない陽介を捉えるのは難しい。特にメサイアの強力極まる魔法は頭痛がして狙いが定まらない分、当たる気がしない。しかも当てたら陽介を殺してしまいかねない為、ますます使いにくい。
結果的に、攻撃の手数は陽介が圧倒的に優勢になる。悠もすぐに倒れはしないが、ジリ貧の状態だ。動きが激しい分スタミナが先に尽きるのは陽介だろうが、このままではその前に悠が押し切られる。ならばどうするか?
(メサイアとカグヤが駄目なら、あれしかない!)
悠が今使えるペルソナは三つだ。ワイルドとしては少ない。だがその三つはいずれも強力だ。そのうち一つは陽介に膂力で勝り、速さはやや劣るが近い程度のものはある。そして魔力も高い。
「マガツ!」
道化師のアルカナの最奥に位置するペルソナだ。それを呼び出した瞬間、陽介の表情が変わった。
(このペルソナ……足立のじゃねえか!)
昨年の12月7日、悠が足立に撃たれた日に陽介は足立のペルソナを見た。自分が叩きのめされたのは一瞬のことだったが、それでもその姿を覚えている。一昔前の応援団長のようなバンカラファッションのスタイルで、長柄の武器を持ち、そして血に塗れた赤黒いペルソナだ。
ちなみに悠が初めて召喚したペルソナはこれとよく似ているのだが、陽介はそっちかもとは思わない。イザナギという名前くらいは修学旅行でも話題にしたので覚えているが、最後に使用されたのが一年も前なので見た目は忘れている。相棒は何十ものペルソナを使ってきたので、全部はとても覚えきれない。
(こいつまさか……悠じゃなくて、足立が化けてるとか!?)
テレビの中は不可思議に満ちている。ならば人が他人に化けることも可能かもしれない。元より負けるつもりはなかった陽介だが、事がここに至って本気の度合いが増した。
「行け!」
悠はペルソナを突撃させた。魔人は長柄を下に構えて走り、間合いに入るや斜め上へ向けて突き出す。陽介は必死の形相で上体を大きく反らし、そのまま後方へ宙返りする。いくら素早いとはいえ、動作が大きすぎる。隙ありと見た悠は自らも駆け出す。
(く……足が本当に駄目だ)
しかし遅かった。ペルソナは速くても悠本人はそうでもない。身体能力もペルソナの影響を受けて向上するが、やはり疲労を取ってはくれない。結局陽介には追い付けず、間合いを大きく外された。しかし──
(いや、これはチャンスだ)
悠はこの距離に勝機を見出した。マガツイザナギは斬り合いも強いが、それだけが売りではない。非常に強力な全方位型のペルソナなのだ。3月に使った時は勢い余って悠自身も傷つけてしまったが、今日はそうせずにできそうな気がする。足立本人と違って、ペルソナは悠の言うことを聞いてくれそうな気がしていた。
「マガツ、雷を!」
再び召喚された禍津神は長柄を上へ掲げた。するとイザナギの青い電撃とは違う、赤い電撃が頭上から下されてきた。一筋の稲妻ではなく、雨のように降り注いでくる。広範囲に放たれる為、いくら陽介でもかわせない。
「あがっ!」
そして電撃はジライヤの弱点である。シャドウもペルソナ使いも弱点を突かれると、威力の大小に関わらず怯んだり転んだりする。陽介は床に尻餅をついた。もう一発か二発も受ければ終わりだ。ジライヤは速度も膂力も魔力もあるが、耐久力に欠けるのだ。
(クソッ……こいつにだけは負けたくねえ!)
陽介の足立に対する恨みは深い。死んだ早紀への気持ちは乗り越えなければならないと思っているものの、それはそれである。満身の憎悪を込めて、相棒と呼んだ最も親しいはずの仲間を睨む。視線で刺し貫いてやれば、端正な相棒の顔の裏に嘲笑う足立の顔が見えるのではと。しかし──
(ん?)
もちろん足立の顔は見えなかった。その代わり、悠の顔には斜めに走る薄い傷跡があるのに気付いた。朝にフードコートで見た時は気付かなかったが、戦いながら浮き上がって来たのか。そして次の瞬間、悠が突然腰を屈めて口を押さえるのを見た。
悠は愕然としていた。自分自身に。その目は大きく見開かれている。
(えっ……嘘だろ! こんな時に!)
勝てると思ったまさにその時、戦いの激しさに体が抗議してきた。喉に何かが絡んで口と体の奥を繋ぐ道が塞がれてしまい、息が吸えなくなる。吐く息はごく細く、ひゅうと笛を鳴らすような音がする。咳が出る前兆だ。
この試合で悠が背負ったハンディキャップは、実は二つあった。直前のエリザベスとの戦いと、この一ヶ月ほどずっと体調不良が続いていることだ。フードコートで千枝と雪子に心配された通り顔色が悪く、体重も落ちている。そして時々咳き込む。
「ゴホッ」
勝負の最中だと言うのに、悠はこらえきれずに咳をしてしまった。言うまでもなく大きな隙である。致命的なミスである。格闘技の試合の解説者が見れば、何をやっているんだと呆れるだろう。
「うおお!」
今度は陽介が勝機を見出した。弱点を突かれて転んだものの、悠が追撃できずにいる間に立ち上がり、そして全速力で駆けてきた。これまでで最も速い。悠が咳から立ち直った時には、もう短剣の間合いに入っていた。そして悠が剣を構え直すと、いきなり真上に跳躍した。その高さは陽介自身の身長を大きく超える。
「食らえ!」
空中で飛び苦無を三本投げた。それを悠は剣で弾くのではなく左腕をかざして防ぐ。飛び苦無自体は大きな威力はないので、重い長剣を振り回して隙にするよりは良いと思っての判断だった。しかし盾にした自分の腕の上から向こう側を覗くと、頭上にいたはずの陽介の姿が消えていた。
次の瞬間、下から切り上げが来た。
「ぐっ……!」
陽介は空中でペルソナを召喚してそれを足場に急降下して、着地するやすかさず飛び切りを放ったのである。人間は視界が横に広い関係上、全般的に上下の動きに弱い。自分の腕で視界を半分塞いでいてはなおさらだ。そこで普通の人間にはまずできない鋭角的な機動をやられては、悠が不覚を取るのもやむを得ない。完全に体勢が崩れた状態で懐に入られた。そして風が走った。
勝った──
陽介は得意とする竜巻の魔法を至近距離で放ち、悠の体を大きく舞い上げた。メサイアと違ってマガツイザナギは風に耐性を持たない。隙を突いたコンビネーションの会心の締めは、本来の実力差を埋めるばかりか覆すのにも十分だった。
敗れた──
(これで陽介には……二敗一分けか? 負けが込んでるな、俺……)
そんなことを思いながら、悠は背中から床に落ちた。勝負あった。特別捜査隊のリーダーはサブリーダーに敗れた。仲間たちがこの結果を知れば、番狂わせに驚愕するだろう。驚かないのは悠くらいだ。
『何ということでしょう! 大方の予想をひっくり返して、花村選手の勝利です! 鳴上選手、今日は調子が悪かったですねえ。日頃の不摂生が祟ったのでしょうか?』
実況の言う通りだ。運も実力のうちと言うが、コンディション調整も同様である。
「く……」
悠は敗れはしたが、気を失ってはいない。連戦でやたらと重い体を起こすと、依然として短剣を構えたままの陽介と目が合った。表情も非常に厳しく、眉根を寄せて睨み据えてくる。陽介は残心を切らしていない。たとえ悠が今から襲い直しても、心と体のどちらも対応できる状態でいる。
「相棒……お前、本当に相棒か?」
そしてこんなことを聞いてきた。
「何?」
「足立じゃねえのかって聞いてんだよ」
悠は得心した。足立に貰ったマガツイザナギは足立自身のペルソナでもあった。同じペルソナを複数の人間が使う例などめったにないから、陽介は疑いを抱いたのだと。思い返せばマガツイザナギを使い始めた途端、陽介は雰囲気が変わった気もした。
「俺は鳴上だよ」
『お前の相棒だよ』とは言わなかった。
「証拠はあるか?」
陽介はまだ疑っている。刑事が容疑者を問い詰めるように、本人の証言だけでは信じない。対する悠はにやりと笑った。
「好きなタイプはナースだろ」
「おま、証拠ってそれ!? 言うに事欠いてそれ!?」
「リアルで好きなわけじゃなくて、優しい人とか守ってあげたくなる人……だったな」
これは昨年の10月30日、文化祭の日の夜に聞いた話だ。ちなみに悠の好きなタイプも同じである。
「ああ、マジで悠だわ。間違いねえ」
陽介が異性の好みを他人に話したのは、その日の一度だけだ。場所は天城屋旅館で、テレビの中ではない。マヨナカテレビの録画放送の視聴者で陽介のシャドウを見たことのある足立でも、さすがにこの秘密までは知らないはずだった。陽介は納得して構えを解き、顔も緩めた。
「天城越えを達成したわけか」
「違うと思うぜ、絶対……」
会話が通じるようになった二人は情報交換から始めた。戦う前は正気を失うのではなく言葉が上書きされることと、これまで誰と戦ってきたかを話した。
「さっき天井が崩れて落ちてきたけど、ありゃ何だったんだ?」
「それは……分からん。それよりも……」
ただし悠はエリザベスについては話すのをやめた。何と説明すればいいのか分からないし、ほとんどのコミュニティが壊れていることも言いたくなかった。話を逸らすように、一回戦で堂島と戦ったことと、シャドウワーカー本部の人員がテレビに入っていることを伝えた。
「有里さんまで来てんのか……」
陽介は腕を組んだ。そして脇を向いて目を逸らし、呟くように言う。
「ならいっそ、あの人らに任せるか? 鉢合わせたら戦わなきゃなんねえだろ」
「いや……戦わずにいることはできないだろう」
ここに来るまでの間、見えない壁に何度も妨害された。あれは参加者を逃がさない為であるのと同時に、対戦者同士を誘導する為でもあると推測できた。陽介が動かず留まっていても、次の対戦者がここまでやって来るだけだ。消極策では事件は解決しない。むしろ元凶に近付けなくなる分、事態の悪化を招きかねない。
「ああ、なるほどな……」
悠の説明で、陽介は選択の余地がないことを理解した。元より思考回路が論理的な為、筋道を立てて話を聞けばしっかり理解できるのだ。
「はあ……最強の座を争わないといけねえわけ? お前じゃなくて俺が?」
しかし理解はしても、納得はしていない。陽介は完二と違って、最強というものに対する憧憬は特にない。悠に勝ってもそれを喜ぶ気持ちは湧いてこず、むしろ大会を続けることに気が進まないでいる。腕はずっと組んだままだ。
「大丈夫だ。俺に勝ったんだから」
「分かったよ……」
責任とは平等ではなく、力の大きさに準じて負うべきものだ。そして勝負した結果というものは、力を測る基準として極めて重要だ。結果に表れない実力など戦前の無責任な勝敗予想と同じで、厳然たる事実の前には吹き飛ばされても文句は言えない。ハンデ付きとはいえ陽介は悠に勝った以上、悠より大きな責任を負わねばならない。たとえ不本意でも。
「それと頼みがある。こっちに菜々子が来ているかもしれないんだ」
「え? おいおい、お前まだ……」
戦前のシスコン番長の言動を繰り返されたように感じて、陽介は思わず笑いそうになってしまった。だが悠と目が合うと笑みを消した。眼前の相棒は、あの従妹狂いの漫才師とは違った。
「マジで?」
「叔父さんとお前がそう言った……ように聞こえただけだから、確証はない。俺の動揺を誘う罠の可能性もあるから、実はいないこともあり得るが……気にかけておいてくれ」
「そっか……分かったぜ」
ここで陽介は腕組みを解いた。昨年12月に菜々子が一度死んだ時は、陽介も激しい怒りを覚えたのだ。悠や堂島と違って親類ではないが、他人事ではない。
そして今度は陽介が別の人についての話題を振り出した。
「ところでお前、会長を見てないか?」
「誰のことだ?」
「俺もさっき初めて会ったんだけどな」
そうして校門前で遭遇した『生徒会長』について説明した。キャプテン・ルサンチマンはクソ女呼ばわりしていたが、本物の陽介はもちろんそんなことは言わない。ちなみに高校生活に身が入らなくなっている陽介は、直斗と違って、先月八十神高校で行われた生徒会選挙の結果を知らない。3月に都会に帰った悠も、当然ながら知らない。
「ちょっと待て。その子……人間だったか?」
説明を一通り聞いた悠は、傍から見ると奇妙な質問をした。だが神秘の世界で戦ってきた特捜隊にとっては、そうでもないはずだ。
「は? いや、まさか……シャドウじゃなかったかって聞いてんのか?」
ここはテレビの中であり、人間でない存在はいる。と言うより、人外こそがこの世界の主な住民である。中でも人の姿をしたシャドウと言えば、昨年起きた一連の事件の鍵である。
「いや、そうじゃない。叔父さんから聞いたんだが、そもそも有里さんたちが来たのは……」
しかし悠が言わんとしたのは、昨年の殺人事件とは全く違う種類の話だった。荒唐無稽さ加減ではいい勝負だが。
「人型兵器……って、マジかよ」
シャドウと戦い、制圧する為に作られた機械の兵器。ペルソナ使いである自分たちを棚に上げて何であるが、そんなマンガやアニメに出てきそうな存在が現実にいるとは信じ難い話だった。
「嘘みたいな話だけどな。もしかしたら、その子がラビリスなのかもと思ったんだが……」
「誰かを見てロボットかもなんて発想、そもそも出てこねえけど……そんなふうには見えなかったぜ。うちの制服着てたんだが、手足は人間のそれだったしよ。それに……」
顔は凄い可愛かった、と言いかけてやめた。喉まで出かかったのだが、ここはボケるところではない。幻とはいえシスコン番長に真面目にやれと言った手前、口と頭を軽く見られる発言は控えた。
「何だ?」
「何でもねえ。とにかく機械とは思えねえぜ」
「そうか……なら違うだろうな。叔父さんによると、機械らしくないのは顔くらいって話だったから」
「なるほど。けどそうすると、会長は何でテレビの中にいるんだ?」
シャドウワーカーに関する話はここで終わり、特捜隊の話題が戻ってきた。
「もしかして……その子は被害者じゃないのか?」
特捜隊において、被害者とはテレビに落とされた人のことだ。直斗がその可能性に思い至ったように、悠も気付いた。
「そっか! 去年もずっとそうだったじゃんか! 何で気付かなかったんだ、俺……」
「マヨナカテレビに映ったのが俺たちだったからだろう。被害者はいないと思い込んでたんだ」
言われるまで気付かなかった陽介だが、その他の点に違和感を覚える。陽介は決して愚かではないので、視点の提示はできる。
「ん? 待て。会長が被害者なら、何でマヨナカテレビに俺らが映ったんだ? あれは被害者のシャドウが映るもんだろ?」
「いや……あれは被害者の願望や本音が映るものだ。確かに去年は被害者本人が映るケースが多かったが、他人に対する願望が映ることだってあり得るはずだ」
陽介の指摘を受けた悠は、話を更に一歩進める。事件の捜査に重要なのは個々の頭の良し悪しよりも、視点の数だ。つまり仲間である。議論は続けるほどに認識が深まっていく。一人の天才よりも団結した凡人たちの方が良い仕事をすることもある。
「会長が俺らを戦わせたがってるってか? 何で? 俺、あの子とは初対面だし、お前なんか知りもしねえだろ? それにもしそうなら、俺らがペルソナ使いだって会長は知ってるって事にならねえか? いつ、どうやって知ったんだ?」
「……情報がどこからか漏れたのかもな」
「情報漏洩……? もしやクマ? 完二や天城? それとも長瀬とか? 海老原とか?」
昨年に八十稲羽で発生した、ペルソナやシャドウにまつわる事件の関係者は数多い。殺人事件だけでなく獣害事件もあった。両事件の関係者の中には、残念ながら口が軽そうな人はいる。
「大勢いるな」
「うわ……機密保持とか絶対無理だわ」
陽介はサブリーダーと言うか中間管理職と言うか、そういう役割に適性がある。自分一人で考えを進めることが難しい問題でも、同じ問題に挑む仲間がいれば足し算以上の高いパフォーマンスを発揮する。つまりコミュニケーション能力が高いのだ。語彙は豊富とは言えないが。
「俺らのことが多少は世間に漏れても不思議じゃねえか。それを聞いた会長が『こいつらが戦ったらどうなるんだろう』とか、ちょっとでも考えたとすれば……」
「そうだな。本人に悪気がなくても、マヨナカテレビは関係ないかもしれないしな」
しかし推理は所詮推理である。事実の裏付けがなければ机上の空論と変わらない。陽介が事実を見出すのは、まだこれからだ。