ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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ぶつかり稽古(2012/5/3)

 P-1グランプリの一回戦の組み合わせは、抽選などは行われずに主催者によって恣意的に決められたものである。しかし全てが予定通りに進んではいない。例えば完二と直斗が両者失格になったのは予定外だし、エリザベスの乱入は完全に予定外だ。クマ総統は大会全体を掌に乗せて思いのままにしているとは言えない。神ならぬ身に取りこぼしはある。

 

 ともあれトーナメント方式であることには違いないので、二回戦以降は勝ち抜いた者同士が普通にぶつかるはずである。

 

 シャドウワーカー本部付きのペルソナ使いである真田は、八十神高校を模したダンジョンを一人で歩き回っていた。スーツのネクタイを緩めて、かなりの早足で進んでいる。

 

「同じ場所を回らされているようだが?」

 

『ああ、見えない壁は誘導の為だけでなく、対戦者が現場に到着する時間を合わせる目的もあるのだろう』

 

 一見すると独り言のような真田の言葉に、返事をしたのは美鶴である。二人は一回戦で戦って真田が勝利した為、美鶴はペルソナの通信能力を使って真田の探索をサポートしているのだ。この通信は発言の上書きによる妨害を受けない為、二人は普通に会話ができる。

 

『む……その廊下を進んだ先の教室にアイギスがいる。有里、聞こえるか?』

 

『はい、聞こえます。アイギスがいる部屋に真田さんが誘導されているようですね』

 

 そして有里も情報系の能力があるので、アイギスのサポートをしている。もちろん美鶴とも通信ができる。

 

『予期できたことだが、どちらか一人しか先に進めなくなる。せめて余計な消耗は避けるべきだろう』

 

『ええ、どちらかが道を譲りましょう』

 

 隊長と副隊長が相談するのを余所に、真田は対戦者のいる教室の反対側、廊下の窓に近付いた。

 

「いや、わざわざ敵の思惑に乗ってやる必要もない」

 

 そして窓を開けた。

 

『明彦!?』

 

「やはりな……敵は道を塞ぐことにしか気が回っていない。元々壁や窓だった部分はそのままというわけだ」

 

 言うが早いか、真田は窓の桟に手をかけて外へと飛び降りた。敵の盲点を突くと言うか、無鉄砲と言うか。現実の世界で高い場所から飛び降りるのと同じ一瞬の浮遊感の後に、真田は着地した。

 

『お前な! 降りた先がどうなっているか分からないんだぞ!』

 

「大丈夫だっただろう」

 

 運のいいことに、降りた先は光も音も空気さえもない無の空間などではなく、無数のシャドウが蠢く掃きだめでもなかった。やはり学校の敷地内らしき場所で、建物に囲まれた中庭だった。通信越しの美鶴の叱責を受け流して、真田は再び窓を開けて校舎内に入った。飛び降りた場所とは階の違う廊下に出た。

 

 そしてちょうど別口で誘導されている参加者の一人と鉢合わせた。運がいいのか悪いのか──

 

「え!? だ、誰!? 何で窓から!?」

 

「おっと、間が悪かったか」

 

 緑のジャージを着た女子高生、千枝だった。そこへモニターから文句が飛んできた。

 

『全く、非常識な男クマねー! 窓から出るなんて、お行儀が悪いクマ!』

 

 天井を破壊するエレベーターガールに比べればまだましだが、想定外なことをされたクマ総統は機嫌が悪くなっている。当初は思惑通りに進んでいたこの大会が、どうも計画からのずれが大きくなってきていることを感じて、苛立ちが溜まり始めたところだ。

 

『どーせ勝負にならんから、ポートっ子と稲羽っ子はマッチメイクしたくなかったんだけど! 出会っちゃったんなら、しょーがないクマ!』

 

「やれやれ……」

 

 真田は再び廊下の窓に手を触れようとしたが、届かなかった。オープンフィンガーグローブ越しに感じる質感は見えない壁のそれだった。クマ総統は先ほどの失敗から学んでいる。もちろん前後の廊下にも同じ壁が張られているはずだ。こうなった以上、戦わざるを得ない。

 

 二回戦第二試合は真田とアイギスの勝負になるはずが、選手が所定のリングに現れなかった為、急遽組み合わせが変更になった。真田は振り返って『代役』の顔を見る。

 

「お前はこの町のペルソナ使いだな。確か名前は……男勝りの足技系ドラゴン」

 

「そのキャッチやめてください! 女捨ててないですから!」

 

「そこまでは言ってないが……」

 

 実際、真田は肉食獣呼ばわりはしていないし、千枝もそう聞こえているわけではない。認識を歪める例のノイズは二人の間に走っていないのだ。なぜかと言うと──

 

『里中君、落ち着いてくれ。私の声を聞いてくれ!』

 

「え……? りせちゃんじゃないよね、誰?」

 

『私は桐条美鶴。シャドウワーカーだ。そこの真田明彦もそうだ』

 

 ペルソナによる通信ができる者がバックアップしている限り、本当は言っていないことを聞かせて戦わせる作戦は通用しないからだ。

 

「シャドウワーカー!? 本部の人?」

 

『そうだ。去年の事件では世話になった』

 

 昨年12月8日に真田と美鶴はジュネスのフードコートを訪れている。実は千枝はそこで真田の顔を見ているのだが、話はしていない。しかも当時は今日と違って非常識な格好をしていて、おまけにサングラスもしていた為、眼前のスーツ姿の男がそれだとは分からなかった。

 

『敵は他人に幻を見聞きさせて、戦うように仕向けることができる。今はやっていないようだが、私は情報系の能力があるから話は私としてくれ』

 

 そうして千枝は事情をある程度聞かされた。もちろん全てではないが、可能な限り。シャドウワーカーはある任務があってテレビの世界に来たこと。敵の目的はまだ分からないが、同士討ちを狙っているであろうこと。二人の人間を見えない壁に閉じ込めて戦わせ、勝者しか先に進めない仕組みにしていることなどだ。

 

『この事件は我々が対処する。道を譲ってくれないか』

 

「……嫌です」

 

 数秒考えた後に、千枝は美鶴の提案を断った。視線は真田に固定されている。

 

「ほう、なぜだ?」

 

 ここで美鶴ではなく真田が聞いた。その目つきはかなり鋭く、値踏みするように腕を組んで見下ろす。スーツの下にある太い筋肉が熱を持ったように、その場から動かないまま圧力を増大させた。比較的小柄な千枝は、縦と横ばかりか奥行きも大きい真田と並ぶと、より小さく見えてしまう。

 

「なんでって……」

 

 千枝の声に戸惑いの響きが一瞬出た。しかしすぐに目に力を込めて、対戦者を見据える。

 

「えっと……あたしたちも仲間が巻き込まれてるんです。敵が何か変なことしてるってんなら、助けに行かないと!」

 

 特別捜査隊は五人がジュネスのテレビから入った。千枝は自分以外の四人と他の三人の動向は分からないが、どちらにしても仲間を放っておくことはできない。敵の罠にかかって同士討ちをしているようなら、仕掛けを伝えて止めないといけない。そしてそれ以上に──

 

『里中君、君なりに腕に覚えがあるのだろうが……真田はプロだ。君が勝てる相手ではないぞ』

 

 千枝は目に更なる力を込めた。いや、力と言うより意地か。相手が強いことは分かっているが、それでも退こうとしないのは意地だ。

 

「勝てるからやる、勝てないからやらない……そんなのはもう、嫌なんです。ここで逃げたらあたし、もう誰も守れなくなっちゃう……」

 

 思い出すのは昨年の殺人事件の顛末だ。悠が足立に撃たれた12月7日、千枝は自分の無力を思い知らされた。足立に睨まれたら一歩も動けなくなり、翌日にシャドウワーカー本部が介入してきた時は何も言えなかった。自分では足立に勝てないことは分かっていたから、真田たちを黙って見送ったのだ。4月から長い時間をかけて追ってきた事件を、最後は無抵抗で他人に持っていかれたわけだ。何と情けないのかと、千枝は自己嫌悪に陥った。

 

 あれと同じことはもうしたくなかった。たとえ勝てなくても。

 

「いいだろう。一つ、胸を貸してやろう!」

 

 睨み上げてくる千枝に対して真田は視線を緩め、笑みを浮かべた。それは部活の後輩の初々しさを可愛がるような笑みだった。真田は先ほど余計な戦いはしなくてもいいとアイギスとの勝負を避けたが、戦いそのものが嫌いなのではない。決してない。腕組みを解いて拳を顔の高さに持ち上げ、細かなフットワークを披露した。

 

「負けませんよ!」

 

 千枝もフットワークを始めた。それはスキップのように大きく跳ねるもので、二人のリズムは大分違った。習った技術の体系が違うのだ。

 

「やっ!」

 

 最初に千枝が動いた。右足を後ろに引いた半身の構えから、前に置いていた左足を跳ね上げて横蹴りを放つ。狙いは真田の正中線の更に中央、みぞおちだ。真田はガードの腕を下げて、肘の辺りで蹴りを受ける。

 

「ふむ」

 

「はっ!」

 

 千枝は蹴り足を床に下ろしながら両手を突き出した。拳は握らず、掌を向けて打ち出す。中国風に言うと双按である。千枝の得意技の一つで、シャドウ相手によく使っていた。千枝の左足が着地すると同時に、両の掌が真田のガードの上に当たった。手元と足元でペルソナ使いの力が炸裂する、なかなかの技である。真田はフットワークで足を床に下ろすタイミングをインパクトの瞬間に合わせて、踏ん張って掌底の諸手突きを受ける。そして千枝は一度間合いを外す。

 

「空手ではないな。中国拳法……南派少林拳の流れと見たが」

 

「そっちはボクシングっすか」

 

 素手の武術や格闘技は世界に数多くある。その手の知識が人よりある二人は、相手が使う技術に見当をつける。実戦において、敵の技を知っているか知らないかでは大違いである。

 

「ふっ!」

 

 今度は真田から動いた。千枝の問いに答える代わりに右の拳を放つ。真田は左利きなので、これはジャブだ。腰を入れずに手だけで打つ。威力は低いがスピードが速く、連続して打ちやすい。それを三発放つ。

 

「くっ……!」

 

 千枝はガードを固めて真田のジャブを防ぐ。すると真田は一歩踏み込んで左のボディブローを放つ。今度は腰が入っており、千枝はガードしたものの後ずさる。距離が空いたところで脇を締めて、再びジャブ、次いでストレート。ボクシングの基本中の基本、ワンツーだ。部活で先輩が後輩に手本を見せるような、教科書的な攻めである。それを繰り返す。

 

(やっぱこの人強い! でも……)

 

 千枝は真田の三度目のストレートを屈んでかわした。ボクシングで言うダッキングよりも深く沈み込む。片膝が床につくくらいだ。そこから右足を軸に回転し、左の回し蹴りを低く放つ。中国拳法の前掃腿、プロレス風に言えば水面蹴りである。狙いは真田の右足だ。

 

 ボクサーは普段狙われることがない、足への攻撃に弱い。現実の異種格闘技戦なら、ボクサー相手には床に寝転がってひたすら足を蹴る戦法もあるくらいだ。しかしそんな常識は、実はボクシングにこだわりがない真田には通用しない。

 

 真田は右足を開きつつやや前に進めて、千枝の蹴りを受けた。空手で言う脛受けだ。ローキックに対する防御法の一つである。

 

「いった……!」

 

 蹴った千枝が顔を歪めた。蹴り技において足のどこを相手に当てるかは、技によって様々だ。回し蹴りなら足の甲、足首、または脛が普通である。だが特に脛は痛覚が鋭い為、上手にやらなければ蹴った方が足を痛める。真田は最小限の動きで千枝が狙った打点をずらし、相手の蹴り足にダメージを与えたのだ。

 

「上手く受けろよ!」

 

 しかも真田は止まらない。体勢の大きく崩れた相手に向けて、打ち下ろしの左ストレートを放つ。ボクシングでは倒れた相手への攻撃は反則だが、真田に躊躇はない。加減はするが。

 

「くう……!」

 

 千枝は倒れた体勢のまま両腕を交差し、十字受けで真田の下段突きを防いだ。それでも腕から全身に衝撃が響く。顔面にまともに入っていたら、一発でKOされていた。

 

「あ、あんたボクサーじゃないんですか!?」

 

 千枝は床を転がって距離を取り、痛む腕をさすりながら立ち上がった。脛受けは地味だが、なかなか高度な技術だ。ボクサーができる芸当ではない。しかし真田は違う。何なら蹴りでもできる。

 

「無駄口を叩いている場合か!」

 

「トモエ!」

 

 向かってくる真田に対して、今度はペルソナを召喚した。柄にも刃のついた薙刀、いわゆる双刃刀をバトンのように振り回して突撃する。千枝は自らの手足以外でも、多くのシャドウをこうして葬って来たのだ。

 

「カエサル!」

 

 そしてそれは真田も同様である。倒したシャドウの数は千枝よりも多いくらいで、しかもカエサルは生来のペルソナから進化したものである。皇帝の剣は戦車の長柄と衝突するや、すかさず打ち落とした。スズカゴンゲンならまだ対抗できただろうが、トモエとはそもそも実力の差がある。

 

「さあ、まだまだ行くぞ!」

 

 そして真田自身が再び千枝に肉薄した。すかさずジャブを飛ばす。次いでフック、アッパーも仕掛ける。

 

 ペルソナ使い同士の戦いは対シャドウ戦と比較して、似ている点が多い。ペルソナにはシャドウと同様に耐性があり、弱点を突けるかどうかが重要なのが代表的な類似点だ。一方で違う点もある。シャドウを相手にする場合はあまり関係ないが、ペルソナ使い同士では勝敗を左右しうる重要な要素がある。対人戦の技術と経験の有無だ。

 

(あー! 套路ばっかじゃなくて、もっと散打やっとくべきだった!)

 

 千枝は普段から拳法の修行をしている為、特捜隊の中では対人戦の技術がある方だ。しかしそれも自己流に近いもので、修行も型で汗を流す程度だ。組手は全くと言っていいほどやっていない。なぜかと言うと、相手がいないからだ。昨年に悠が修行に付き合っていた頃も、組手はしていない。好きだった少年と殴り合うことはできなかった。

 

 対照的に真田は経験豊富だ。中学から高校時代はボクシングの練習と試合で、卒業後は武者修行で、人間相手の格闘は数え切れないほど行っている。武器を持った複数の人間と渡り合ったこともある。高校生の集まりである特捜隊はおろか、護衛役なども含めたシャドウワーカー全体の中でも、最も対人戦の経験があるくらいなのだ。実地に裏付けられた確かな技術は、千枝の及ぶところではない。

 

 ペルソナ能力で差がある上に格闘技術でも差があっては、勝負になるはずがない。戦前のクマ総統と美鶴の評価は正しかった。

 

「どうした、遠慮はいらんぞ!」

 

「くっそおぉぉ!」

 

 それでも千枝はめげずに蹴る。前蹴り、回し蹴り、後ろ蹴り、膝蹴り。もちろん拳や肘も振るう。しかし通じない。多くは華麗にかわされるか、無駄のない動きでいなされる。体重は真田の方がずっとあるはずなのに、自分より軽やかに見える。それでいながらたまに当たると、岩を蹴ったようにびくともしない。そして真田からの攻撃は、鉄の塊でも投げつけられたかと錯覚するほど重い。これを俗に蝶のように舞い、蜂のように刺すと言う。

 

 

「はあ、はあ……トモエ、お願い!」

 

 ボクシングで言えば三ラウンドほどの時間を全力で戦い続けた千枝は、肩で息をしながら距離を取った。召喚された女武者のペルソナは長柄を脇に溜め、残った力を集中させる。

 

「ほう」

 

 トモエの構えは、あからさまに技を仕掛ける形である。こういう時は先手を打って妨害するのが常道だが、胸を貸してやるつもりの真田は敢えて待った。見えないリングの中央付近で、端にいる千枝と視線を合わせる。距離は三メートルほどで、普通に長柄を振っても届かない。

 

「行っけー!」

 

 女武者は使用者の掛け声に合わせて長柄を突き出した。瞬間、テレビの中の空気が弾けた。堂島も一回戦で悠に仕掛けた遠当ての術、不可視の鉄槌である。まともに当たれば真田といえども無傷では済まない。

 

「ふっ!」

 

 真田は首を右に傾けた。ボクシングで言うヘッドスリップである。目では見えない千枝の必殺技を、ペルソナの構えから射線を読んでかわしてみせた。ボクシングであれば乾坤一擲のストレートをかわしたので、顔の傍を通り抜けた敵の腕に自分の腕を重ねるようにして、クロスカウンターを見舞ってやるべきシーンである。ただし距離が空いているので、真田が反撃に選択したのは己の拳ではなかった。

 

「ここまでだ」

 

 瞬き一つでカエサルが召喚され、古代の軍人めいたペルソナは左手に持った地球儀を掲げた。すると千枝の頭上から一筋の雷が落ちた。

 

「ああっ……!」

 

 電撃はトモエの弱点ではないが、耐性もない。ダメージはそのまま通り、千枝は床に倒れた。かくして稽古は終わった。

 

 有里と悠が脱落した現状では、P-1グランプリの優勝候補最右翼は真田である。貫禄が違う。

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫っす……」

 

 真田は倒れた千枝に手を差し伸べた。真田は手加減はしたつもりだが、その為に決着まで時間がかかった。結果的に長い勝負になったので、千枝の消耗具合はかなり酷い。手を引いて上体を起こしてやっても足がついてこず、なかなか立ち上がれない。

 

「あ、いたた……」

 

「仕方ないな、カエサル」

 

 ペルソナが召喚され、治癒の光が零された。真田は得意と言うほどではないものの、回復魔法も使える。疲労は取れないが傷は癒える。痛みが引いた千枝は、ようやく立てた。

 

「す、済みません……」

 

「さて、どうだった。有意義だったか?」

 

 二人の戦いはどちらが先に進むかを決める勝負であったが、一種の指導でもあった。練習が終われば反省会が必要である。スポーツでも武道でも、練習のやりっぱなしでは効率が悪い。課題を見つけて次に繋げることこそが、上達の近道である。

 

「えと……夢中でしたけど、力の差ってのを感じました」

 

「お前、普段はスパーリングの相手もいないのではないか?」

 

「分かるんすか……」

 

「当然だ。本や動画を見て反復練習しているのだろうが、コーチにもついていないな。自己流ではすぐに限界が来るぞ」

 

 ぐうの音も出ない正論である。千枝は項垂れた。

 

「まあそれにしてはフォームが綺麗なのと、根性は買うが……それだけではいかん」

 

「真田さんは……どうしてそんなに強いんですか?」

 

「強い?」

 

 千枝の質問に真田は目を見開いた。意外なことを言われて虚を突かれたように。そしてしばし考え込んでから、端的に答えた。

 

「ふむ……それはな、俺が臆病な男だからだ」

 

「へ?」

 

 千枝は意味が分からなかった。真田は自分史上最強の男だった。今まで戦ったどのシャドウよりも強い。まともに戦っていない足立は取り敢えず別としても、特捜隊の誰よりも強いと感じた。リーダーの悠でも一対一では真田に敵わないかもしれないと思った。そんな格の違う男が臆病とは、どういう意味なのか。

 

「お前から見れば、強いように見えるだろうな。だがそれは違う。俺は失うことをいつも恐れている……臆病な男だ」

 

 ほとんど初対面の千枝に対して、真田は自分の心の深い部分を聞かせた。会ったばかりの相手でも拳を交わせば親友にも等しい関係になり得ると、一種暑苦しい前時代的な考えが真田にはあった。

 

「失う……」

 

 他人からこんな話をいきなり聞かされると、心が引いて壁を作ってしまうのが普通だが、千枝はそうしなかった。戦うことで生まれる急激な信頼感とは、いわゆる吊り橋効果に似たものである。特に相手が異性であれば。そして元々の想い人を射止められず、しかも自分の気持ちに疑問を持った状態であれば──

 

「勝てるからやる、勝てないからやらない。そんなのは嫌だと言ったな」

 

「はい……」

 

 千枝は気恥ずかしさを感じた。そんな可憐な少女に、真田は優しい目を向けて首をゆっくりと横に振った。

 

「それは間違っている。勝てない戦いをやるのは、馬鹿のすることだ。かえって何も守れなくなる」

 

 真田は一見すると猪突猛進そうだが、実のところはそういう柄ではない。人情の機微に一部疎いところもあるが、朴念仁ではない。心はむしろ繊細な方だ。冷静な判断力も備えているし、ものの道理も分かっている。

 

「それで自分が死ぬだけならまだいい。自業自得だ。だが自分だけでは済まないことも、世の中にはあるんだ。仲間を危険に晒すことも、関係ない人を巻き込んでしまうこともな。勝てないと分かっていても、やらなければいけない……そんな機会は一生に一度あるかどうかだ」

 

 真田はかつてその『一生に一度』を経験したことがある。当時を思い返して遠くを見る。今いるこの異界はかつての戦いの舞台とは違うが、似てはいる。同じような場所で戦う年下の少女に、未熟だった頃の自分自身が重なる。そして自分に厳しくするように、相手にも厳しい顔を見せた。優しさを隠して、強い視線と口調で少女の蛮勇を叱る。

 

「勝てないなら勝てるまで鍛えろ! 鍛えずに勝てない敵に挑むのは、怠惰に過ぎん!」

 

「どうやって鍛えればいいんですか?」

 

「それはな……一にトレーニング! 二にプロテイン! 三に肉だ!」

 

 瞬間、千枝の目が光った。ほぼ文字通りの意味での肉食獣の目である。女は捨てていないが、それはこの際関係ない。

 

「肉!?」

 

「そうだ。何はなくとも、まずは体力だ。飯をたくさん食う奴が強い。特に肉だ。肉を食わん奴は強くなれん!」

 

 力説である。話しながら拳を握り、スーツの袖が破けんばかりの力こぶを誇示する。

 

『明彦……お前の偏った理論を吹き込むな』

 

 これまで真田が訓示を述べるのを黙ってやらせていた美鶴だが、これはさすがに口を挟んだ。しかし千枝は聞いていない。目をキラキラと輝かせて、『肉』がぎっしり詰まった真田の厚い胸板や太い首を見上げる。

 

「そっかあ……やっぱり肉は正義だったんですね!」

 

 かくして吊り橋効果は吹っ飛んだ。傷ついた少女の心に芽生え始めていたある感情は、別のものに置き換わった。それは世間では認められていない真理を理解する同志を見つけた感動であり、上級者に対する尊敬の念である。強さ、心構え、そして肉。真田はまさに、千枝が志向する全てにおける目標そのものだった。

 

「師匠と呼ばせてください! 師匠!」

 

「いや、それは……」

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