ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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飴と鞭(2012/5/3)

 陽介と会長が連れ立って放送室に入ると、りせが迎えてくれた。その表情に疲労感は見えるものの、怪我をしている様子はなかった。

 

「花村先輩!」

 

 テレビの中の放送室の装いは、現実のそれに入ったことのない陽介にも、本物とは違うことが容易に分かるものだった。テレビ局の調整室さながらの異様な広さに、壁や机にいくつも設置された多数のモニター、そして一方の壁のほぼ全面を占める巨大なガラス窓と、その向こうに広がる景色。ジュネスのテレビから入った先にある、特捜隊が拠点として使用するスタジオめいた場所が窓の先にあった。自分たちはいつものテレビから入ったことを、今さらながら思い出させる。

 

「無事か? シャドウは?」

 

「ニセクマ? だったら出てったきり。妙な気配は二つくらいあるんだけど……」

 

「二つ?」

 

 意外なことを聞いて、陽介は訝しんだ。シャドウのことなら、誰と誰から出たのかと。賽の目は丁半どちらが出るかと思っていたら、実は両方とも出るというあり得ない結果になったのかと。そう思いきや──

 

「よう、俺。久しぶりだな」

 

 背後から声をかけられた。振り返ると、先ほどまではいなかったはずの金の瞳の少年が、柱を背にして立っていた。音もなく唐突に現れた。顔は陽介のそれで、腕を組んでいる。

 

「花村先輩のシャドウ!?」

 

「え……花村君の!? ウチやないの!?」

 

『ヨ、ヨースケのシャドウだったクマか!? クマのせいにしとったくせに、実はヨースケだったクマか!』

 

 驚くりせと会長、ついでに通信越しのクマを余所に、陽介は改めて広すぎる放送室を見回した。しかし鏡に映ったように陽介と同じ顔をした存在以外に、シャドウの姿はない。自分と悠の両方のシャドウが出たという直感は外れたようだった。そう判断して、陽介は自分の『鏡像』に返事をした。

 

「ああ、一年ぶりか? もう会うことはないと思ってたんだが」

 

 陽介は何とも冷静だった。表情は落ち着いており、声にも震えはない。

 

「ペルソナになったら二度とシャドウは出ねえと思ったか? 残念だったな。人は弱さを手放せない……俺は何度でも出てくるぜ!」

 

「そうみてえだな……。分かってるよ、お前は俺だ」

 

 自分と同じ顔の、ただし金の瞳に悪意が満ちている存在に向けて、『我は汝、汝は我』と認知すること。この言葉を口にするのに、昨年は大きな葛藤と悠の戦いを必要とした陽介だが、今日はすぐに言った。

 

「何だ、随分素直だな」

 

「目を背けたってしゃあねえだろ。この騒動の原因はお前……つまり俺なんだろ?」

 

 戦わずしてシャドウを認める。今まで誰もできなかったことに、陽介は挑戦した。仲間の前で、そして新たな仲間候補の会長の前ではやりたくないことだったが、仕方がない。腕を組んで緊張を抑え、言葉を連ねる。

 

「不謹慎だって分かっちゃいたけど、やっぱ、どうしてもな……。どっかでワクワクしてた。今度の事件は、俺をどう変えてくれるんだろうって。進路指導表も出してねえで、フラフラしてる俺をさ」

 

 陽介は昨年の事件によって奪われたものもあるが、与えられたものもある。昨年の4月15日、テレビの中のコニシ酒店に現れた鏡像が言ったように、事件に楽しみを見出す気持ちは確かにあった。事件が続いていたあの期間、陽介は良くも悪くもただの高校生でなくなったのだ。楽しい気分にもなれた。決して常に楽しいわけではなく、むしろ事件の後半は辛い出来事の方が多くなったが、時々は楽しかった。

 

「今にして思うと格闘大会ってのも、分かんねえでもねえな。だって相棒が帰ってくるんだからよ。あいつは俺らのヒーローなんだから……悠に勝って俺が取って代わってやるって、どっかで思ってたんだろうよ」

 

 陽介が悠に取って代わる──

 

 魔術師のコミュニティは破壊されている。しかしだからと言って、即座に陽介が悠を嫌うことはない。それをやっては、自分自身の否定に繋がるから。その点は他の仲間たちも同様である。

 

 ただ仲間の誰からも頼りにされ、学校の成績は優秀で、料理もできて音楽にまで才能があり、おまけにやたらと女にモテる相棒を妬む思いが抑圧されなくなった。悠と戦った時の陽介の幻が吠えたように、羨ましいと思う気持ちを口にすることができるようになった。みっともないセリフを吐くことの恥ずかしさはあるものの、口が裂けても言えないというほどではなくなっている。

 

 完二が直斗を諦める気持ちが薄れたように、直斗が男を見る目が節穴でなくなったように、千枝が真田に弟子入りしたように、クマが悠を目指すように、コミュニティの軛から離れた陽介は悠を凌ぐことを狙っている。

 

「ルサンチマンって弱い奴が強い奴に嫉妬するって意味だろ? ムカつくけど、言い得て妙だ。肉食獣だの黒雪姫だのってのも、結構当たってるって思ったしな。つか、思って当然だ。あのキャッチ、俺の中から出てきたんならさ……」

 

 ここまで言って、陽介は腕組みを解いた。シャドウが出た理由や背景までも理路整然と述べているうちに、心の表面だけでなく深い部分まで穏やかになってきた。まさに己の影を受け入れる、その準備が整ったように腕組みを解いた。もはや腕で守らねばならないものはない。

 

「お前は俺で、俺はお前だ。認めるからよ……もうやめようぜ?」

 

 演説の締めとして、陽介は最初と同じ殺し文句を再び口にした。しかし──

 

「くくく……それが目を背けてるっつうんだよ!」

 

 金の瞳の双子は笑う。戦って打ちのめされていない為に、まだまだ元気いっぱいであるように、大きな声で笑う。

 

「何?」

 

「悠は相棒だもんな。あいつなら何を言っても許してくれると思ってんだろ? あいつに甘えて本心を隠そうったって、そうはいかねえぜ!」

 

 会心のスピーチを決めた陽介だったが、相手の方が一枚上手だった。

 

「確かにお前はキャプテン・ルサンチマンだ。だが嫉妬してるのは、悠にじゃねえだろ」

 

 ここで放送室に気配が一つ増えた。いや、増えたと言うよりも、元からそこにいたものが己の存在を声高に主張し始めたと言うべきだろう。りせが感じていた妙な気配の二つ目が姿を現した。情報系の能力を持たない陽介にも分かるくらい、はっきりと。

 

「花ちゃん……」

 

「え?」

 

 陽介を花ちゃんと呼ぶ人は一人しかいない。いや、『一人だけいた』と言うべきか。今はいない。しかし金の陽介が腕組みを解いて体を横にずらすと、柱の前にいないはずの人がいた。

 

「せ、先輩……!?」

 

 自分の『鏡像』を見ても驚かなかった陽介だが、これには心底から驚いた。シャドウの更に影から、かつて恋した人が現れた。老舗の酒屋の長女でジュネスのアルバイトでもあった、小西早紀だ。その目は金色に光ってはいない。

 

「お前はヒーローになりたいんじゃねえ。お前が欲しいのは先輩だろ! ウザがられてもシカトされても、やっぱり大好きな小西先輩だ!」

 

「……!」

 

 陽介は愕然とした。昨年の終わり頃から、早紀の死を乗り越えなければならないと思っていた。そして時が過ぎて思い出す機会が減り、いつの間にか克服したつもりになっていた。しかし実はそれこそ『目を背ける』に他ならなかったのかと。最初はあれだけ回った舌は硬直し、体も動かなくなった。純情な少年が好きな人を前にして金縛りになるように。

 

「悠に嫉妬してる? 馬鹿言うなよ。お前はあいつを妬んだりなんかしねえ。するはずがねえ! だってあいつはヒーローじゃねえ! あいつは何もできなかったんだ! 生田目は足立が倒して、足立は尚紀が倒したんだ! 悠はモロキンの仇だって取れやしなかった! あいつは落ち武者さ! この町で何もできなくて、すごすごと都会に帰った落ち武者じゃねえか!」

 

 容赦のない評価である。しかし間違っているとは言えない。悠は戦いに敗れたのだ。

 

「お前が妬んでるのは、尚紀だ。お前を差し置いて先輩の仇を取っちまった、尚紀を妬んでるんだろ!」

 

「ち、違う……」

 

 急変した話に頭がついていけない。震える声で否定するのが精一杯だ。説得力の欠片もない。

 

「違わねえよ。お前は一生、先輩の死を乗り越えられない。一生忘れられない! でもよ……それって悪いことか?」

 

 セリフの最後で、金の陽介は急に表情を変えた。目に映るもの全てを嘲笑う、シャドウらしい口巧者の嫌らしさが消えた。どういうわけか消えた。

 

「花ちゃん……酷いこと色々言って、ごめんね……」

 

 そして『早紀』は陽介に話しかける。尚紀に連れられて足立との戦いに赴き、そのまま帰って来なかった想い人が話しかけてきた。それは奇跡的な出来事と言っていい。最後の日は弟と過ごして陽介のことなど一言も言わなかった、愛しい、だが憎い人がやっと陽介の方を向いたのだ。その表情は──

 

「憑き物が落ちたって感じだな」

 

 金の陽介が言う通りだ。憑き物、即ち目に映るもの全てを憎むシャドウが落ちた、生きていた頃のままの姿である。

 

「そうさ。これが本当の小西早紀だ。綺麗で面倒見が良くて、嫌われ者のジュネスの息子にも優しくしてくれる、お前の好きな小西先輩さ!」

 

「違う! 小西先輩がここにいるはずがない! 先輩は成仏したんだ!」

 

「本当か? 先輩が成仏したのを、お前はその目で見たのか?」

 

「う……」

 

 陽介は早紀が消えるところを自分の目で見てはいない。マヨナカテレビの録画放送で見ただけだ。それを知っている金の陽介は痛いところを指摘する。ただしその口調は、無知や欺瞞を嘲笑するものではない。

 

「つか、成仏って何だ? 天国に行くことか? だったらこの世界にいて当然じゃねえか」

 

「!」

 

 追い打ちに陽介は絶句した。テレビの世界とは何であるのかよく分かっていないが、もし死後の世界でもあるとしたら、どうであろうか。気味の悪い場所も戯画的な場所もあるが、3月20日に霧が晴れた時は美しい景色が一面に広がった。それはまさに、海の彼方や山の向こうにあるという幸せの国のようではないか。

 

「お前はずっと、この世界で先輩を探してたんだ。そしてとうとう見つけたんだ。悠に勝って、格闘大会に優勝した。ヒーローになって、カッコいいトコ見せられたじゃねえか。もう十分じゃねえか……なあ? ずっと好きだった人と、夢の国で一緒になる……それのどこがいけねえんだよ?」

 

 依然として金の瞳の陽介は陽介を嘲笑しない。自分のシャドウを見た人間らしくない冷静な受け答えをした陽介に対抗するように、本体の神経を逆撫でするのが常套手段のシャドウらしくない言動をする。甘く、優しく、誘惑するように。女をあてがい、堕落させるように。鞭で打つより効果的な、新たな手法を編み出したように。

 

「花ちゃん……私、ずっと言えなかったけど……」

 

 この世には苦痛よりも耐え難いものがある。過酷な一年を経た戦士をも陥落させる、致命の一言が発せられる──

 

「せ、先輩……」

 

「花村先輩、駄目! その人は小西先輩じゃないよ!」

 

 落ちる陽介を引き止めるように、りせが叫んだ。その途端、『早紀』の姿にノイズが走った。この大会の参加者の目と耳をおかしくさせるノイズの、その逆パターンだ。テレビに映った映像が乱れるように、恋した人の顔や体が乱れ、変わっていく。服さえ別のものに変わる。

 

「な、尚紀!?」

 

 目元や顎回りなどが姉とよく似ていると言われる弟が現れた。今朝から連絡の取れなかったシャドウワーカー稲羽支部の情報担当であり、陽介が妬みを抱く当の人、小西尚紀だ。気を失わされ、立った状態で柱に縛り付けられていた。

 

「チッ、あと一歩だったのに!」

 

「じゃあ……先輩はやっぱり……」

 

 早紀はやはりここにはいなかった。死んだ人間がテレビの中にいることは、あり得ないとは言えない。しかし早紀はもういない。一時はいたが、五ヶ月近くも前に光と化して消えている。その事実が陽介を打ちのめした。

 

 全ては手遅れだった。早紀を探して命を懸けた、あらゆる努力は徒労だった。絶望の重さがのしかかり、肩が落ちる。

 

「先輩、しっかりして! 小西先輩はもういないけど、みんなついてるよ!」

 

 丸まった背中をたたき直すように、りせが再び声を上げた。すると放送室のモニターに見慣れた顔が映った。

 

『あんた、まだ気にしてたのね……』

 

『好きだった人がいなくなるって、辛いよね……。時間が過ぎても、忘れられないこともあるよね……』

 

『消えない傷というものも、この世にはあります。しかし過去だけを見ていては、人は生きていけません!』

 

 千枝、雪子、直斗が順番に映った。もちろんP-1グランプリの総統や実況の煽りではなく、りせのペルソナ能力の応用だ。自分の声を届けるだけでなく、自分以外の人の声を繋げることもできる。そして四人目が映った。

 

『陽介、お前の気持ちはよく分かる』

 

「相棒……」

 

 忌むべき2月12日、悠はマリーを失った。だから悠は陽介の気持ちが分かる。好きだった人を失い、二度と取り返すことはできない。言葉だけの安易な同情ではない、舌を噛み切りたくなる無念を知る者同士として分かる。

 

『だけど、お前の人生はまだ終わっていないぞ』

 

 相棒の声を聞くと、陽介は不思議と落ち着く。コミュニティが失われてもそれは変わらない。現実の経験に裏付けられた共感までは失われていない。『人生』という言葉に照れることもなく、今の状況に相応しいものとして受け入れられる。

 

「は、はは……気を遣わせて悪いな。お前、何か酷い言われようだっただろ?」

 

『大丈夫だ……と言いたいところだが、あれだけボロクソ言われるとちょっと傷つくな。後で一発殴らせろよ?』

 

「おま、ちょっと待てよ! 言ったのは俺じゃねえっつうの!」

 

 そう、悠を落ち武者と貶したのは金の瞳の双子であって、陽介ではない。自分に責任のない他人の暴言であると、陽介はそう言った。

 

「てめえ……」

 

「はっきり言ってやろうか? お前は俺じゃない!」

 

『おお!? ヨースケ、言っちゃったクマ!』

 

 眉を顰める双子に対して、陽介はより直接的に言い直した。シャドウの否定は暴走のキーワードであり、『自我』を発現させる魔法の合言葉であるはずだ。しかし陽介の双子は怪物に変化しない。眉根を寄せて奥歯を噛み締め、顔を苦くするだけだ。

 

「どうした。本体から否定されたら暴走すんだろ。やってみろよ!」

 

「うん……こいつ、花村先輩から出たシャドウじゃない! シャドウと本体の間にある繋がりがないわ!」

 

 陽介の判断をりせが保証した。りせも最初は驚いたが、落ち着いて見れば分かる。情報系ペルソナの目はごまかせない。クマは分からなかったようだが。

 

「小西先輩のことは忘れてねえよ。でもな、先輩が今でもこの世界にいるなんて考えたこともねえよ! 大体先輩にカッコいいトコ見せてえんなら、格闘大会なんかやらねえっつうの! まともにやったら、俺が優勝できるわけねえんだから!」

 

 クマと戦ってから放送室に到着するまで、陽介は自分のシャドウがP-1グランプリを企画し、主催しているのではと危惧していた。と言うより、唐突に思いついた疑念に囚われて、広い視点で考えることを忘れていた。よくよく考えてみれば、陽介のシャドウが全ての原因とするのは相当な無理がある。事件に期待を抱いていた陽介の心理面とは整合するが、それ以外では穴だらけだ。

 

 第一に、シャドウが再度出現したならペルソナを使えなくなる可能性が高いが、P-1グランプリが始まって以来、陽介は普通にペルソナを使っている。第二に、マヨナカテレビに例のプロモーションビデオが流れたのは陽介がテレビに入る前からだ。第三に、マヨナカテレビは稲羽市周辺に住む人なら誰でも見れる可能性があるのだから、ルサンチマンを始めとするキャッチフレーズを思いつくことは陽介以外でも不可能ではない。第四に、陽介は会長をテレビに落とした覚えは当然ない。第五に、陽介のペルソナに他人の会話を上書きするような便利な能力はない。あったらきっと人生は容易かった。

 

 このように矛盾点はいくつもある。探せばまだまだ見つかるだろう。

 

「お前は俺のシャドウじゃない……会長のだな?」

 

「……失敗したか。やっぱ飴より鞭か」

 

「化けの皮、剥がしてやるぜ! 来い! ジライヤ!」

 

 十字手裏剣を両手の甲に装着した、忍者のペルソナが召喚された。使用者の気力の充実を反映するように、いつもより力感に溢れている。ペルソナの周囲でつむじ風が巻き、敵を上から見下ろして威圧する。陽介自身も短剣を取り出して構え、相手を鋭く見据える。

 

 この一戦、陽介は必ず勝てると感じていた。傷一つ負わずに圧勝できそうだ。しかし──

 

「おおっと、動くな」

 

『陽介』は尚紀を縛っていたロープを、右手に持った短剣で切った。そして気を失ったままの尚紀の首に素早く左腕を回し、盾にするように体の前に引き寄せた。やろうと思えば、いつでも尚紀を刺し殺せる体勢だ。

 

「てめえ! 汚ねえぞ!」

 

「馬鹿かお前? キレイなシャドウなんているわけあるかよ!」

 

 なるほどシャドウが綺麗だった試しはない。しかしシャドウが人質を取るなど初めての事態である。もっともそれを言うなら、シャドウが格闘大会を開催することからして異例であるが。

 

「こっちに来て、ペルソナを寄越しな。そしたらこいつは放してやる」

 

 そして異例はまだ続く。今度は身代金の要求だ。

 

「ペルソナを……寄越せ?」

 

 ペルソナを手に入れる方法ならば陽介にも分かっている。テレビに入って自分のシャドウを出し、それを受け入れればいい。悠は例外だが、特捜隊の他の面々は皆そうして超能力者になったのだ。しかし手放す方法は分からない。まして他人に譲渡するなど、想像もつかない。

 

 どうしろと言うのだ──

 

 陽介はそう突っ込みを入れようとしたが、できなかった。

 

 ──

 

 何の予告もなく、いきなりの轟音が耳を襲ったのだ。何か言ったところで、誰にも聞き取れなかっただろう。

 

「あがっ!」

 

『陽介』は眉間に不可視の一撃を受けたように仰け反った。全く認識していないところからの完全な不意打ち攻撃を食らい、尚紀から腕を離してしまった。

 

「尚紀!」

 

 咄嗟に陽介が動き、人質を取り戻した。足立が犯行を自白した時、犯人を追ってテレビに飛び込もうとする尚紀を引き留めたように、陽介はこういう時に機敏に動ける。亡き想い人の弟を腕に抱える。

 

「う……ここは? 花村さん?」

 

 そして尚紀は目を覚ました。

 

 針の穴を通すように狙いすました一撃で状況を変え、人質の安全が確保できたことを見計らって、とどめの一撃が陽介の背後から飛んできた。陽介が弱い電撃だ。今日の悠も一度使った、雷の秘術である。その時の陽介は殺す気かと叫んだものだが、これはまさに殺すつもりで放たれた一撃だった。

 

 ──

 

 一発で『陽介』は霧消した。悲鳴も恨み言も何も言えず、有象無象のシャドウと同様に黒い煙になって消えた。本体に受け入れられてペルソナになるなど、とてもできない惨状だ。

 

(何てこった……つか、まさか悠が来たのか?)

 

 相棒がどうにかして見えない壁を突破して、応援に来てくれたのかと思って振り返ったが、そこにいたのは悠ではなかった。陽介たちよりいくつか年上に見える、黒いパンツスーツを着た金髪の女だ。肌は抜けるように白く、掘りが深くて目は青い。西洋人風のその顔立ちに、陽介は見覚えがなかった。ただ頭上で佇む翼の生えた白い男のペルソナは、悠が使うものの一つと同じだった。

 

「え、違う? けど相棒と同じペルソナ……?」

 

「誰!? いつの間に……」

 

「アイギスさん!」

 

 りせにとっても知らない顔だが、尚紀は知っている。昨年の修学旅行でポートアイランドを訪れた際に、尚紀たち稲羽支部高校生組は有里に夕食を奢ってもらい、そこでアイギスにも会っている。ちなみに当時のアイギスは妊娠中だったが、今は腹が引っ込んでいる。

 

「お久しぶりです、小西さん。貴方たちは花村陽介さんと久慈川りせさんですね。ここは私が引き受けますから、皆さんは避難してください」

 

 アイギスはメサイアを消し、扉が吹き飛んだ放送室に足を踏み入れた。薙刀を手に持っている。テレビ局を思わせる広い空間を見回し、そして目的の人に目を留める。

 

「姉さん、やっと見つけました」

 

 目的は会長である。会長は八十神高校の制服を着ていて、そこから出ている手足は顔同様に人間のものだが、それでもアイギスには『彼女』こそが目的の人物だと分かる。消去法で判断できるのもあるし、勘がそうと告げているのもある。血の通った人間であるアイギスには閃きもあるのだ。

 

「姉さん……? ウチが?」

 

 傍から見れば、会長はアイギスより年上には見えない。二人の今の服装のせいもあるが、たとえ同じ服を着ていてもアイギスの方が年上に見えるだろう。既婚者でしかも二児の母と高校生を並べれば当然だ。

 

「そうです。私は貴女の妹です。そして貴女は……」

 

 会長は理解できずにいるが、アイギスは言葉を連ねる。しかし──

 

「対シャドウ特別制圧兵装五式ラビリス。それがそいつの本当の名前」

 

 アイギスの言葉は途中で引き取られた。扉がなくなった部屋の外、廊下から軍帽をかぶってマントを着た着ぐるみがやって来た。ただその声色は、モニター越しに大会参加者を煽っていたものとは違っている。

 

「てめ、ニセクマ!」

 

 陽介は尚紀から手を離し、りせと『会長』の前に出た。非戦闘員の三人を素早く背中に庇う。そしてアイギスもクマ総統に向き直る。

 

「ペルソナ使いでない人がこの世界に入ると、その人からシャドウが分離すると聞いています。姉さんの覚醒については記録が残っていませんが、不完全だった可能性があります。ならばテレビに入れば、姉さんのシャドウが出現することはあり得ます」

 

 昨年に稲羽市で発生した一連の事件については、アイギスも聞いている。だから『姉』の身に何が起きたかは、大体のところは推理できる。そして『姉』のシャドウが誰なのかも分かる。その本名を、しかも人間には付けられない型式まで口にしてみせた者こそがそれであると、アイギスは確信していた。

 

「こいつ……会長さんと繋がりがある! ニセクマが会長さんのシャドウよ! 間違いないわ!」

 

 答えはりせが叫んだ。かくしてアイギスの推理と直感は、情報系ペルソナによる裏付けを得られた。

 

「ふふふ……!」

 

 クマ総統の目が光った。興味深いものを見つけて光るのではなく、文字通りの意味で。格闘大会の主催者はシャドウの証明である金色に光る己の瞳を、参加者たちに隠すことを遂にやめた。

 

 同時に着ぐるみから煙が発せられ始めた。仮の姿は粘性のある黒い油が沸騰するように泡立ち、黒く染まった煙が一瞬立ち込めた。それは大会で何度か焚かれた白いスモークのように、すぐ消えた。黒いスモークの晴れた先では、蛹が殻を破って羽化するように、クマが野獣の仮装を脱いで『真の』姿である人間の形を披露するように、クマ総統は姿を変えていた。

 

 それは白い顔、長い銀の髪、そして白い体を持った美しい女の姿だった。しかし八十神高校の制服から覗くその手足は、美しいの意味合いが違う。儚い手弱女(たおやめ)のそれではなく、鍛えられた戦士のそれでもない。流線型の車のボディがスポットライトを浴びて輝くような、金属的な意味で磨き抜かれた美しさだ。人を危険から守る為に作られ、頼もしさをも備えた鋼鉄の手足である。背中にはやはり金属でできた、蝶の羽めいたオブジェを背負っている。

 

 クマ総統だった存在は顔を上げ、閉じられていた目を開いた。瞳の色はシャドウらしく金色だ。それ以外の顔の作りは、『会長』と同じである。その顔がやはりシャドウらしく、悪意を湛えてにやりと笑った。

 

「ロボット……?」

 

 陽介は違和感を覚えた。昨年から今日までに起きた一連の事件は概して現代ファンタジー風味だったが、そこに突然SFが侵入してきたように思えたのだ。学校を模したこのダンジョンで人型のロボットが出てくるのは、いささか意外に感じた。

 

「い、嫌や……違う! ウチは、ウチはそんなやない!」

 

 そんな陽介と違って、『会長』は激しく動揺した。

 

「落ち着けよ! シャドウは何でもありなんだ。見た目は問題じゃねえ!」

 

 泣きそうな少女を陽介は宥めた。こういうテイストで変貌するシャドウも過去にもいた。例えば直斗のシャドウだ。あれはダンジョンも近未来風だったから違和感がなかったが、今日も別にあり得ないわけではないはずだ。例えば『会長』はSFやロボットアニメが好きで、或いは嫌いで、その影響でシャドウがこんな姿を取っているのだとすれば、別におかしくはない。陽介は一瞬でそこまで考えついた。しかし──

 

(ん!? ちょっと待て。悠が言ってたじゃねえか! 有里さんたち、人型兵器を探しに来たって! 名前は確か……)

 

 陽介はクマと戦った後に、自分のシャドウがこの事件の原因なのではと閃いたように、今また卒然と閃いた。思考をあちこちへ飛ばしてしまい、外れを引くことも多い悪い癖のような閃きである。しかし今回は当たりを引いた。悪いことに、当たった。

 

「ラビリス……だって? 君が?」

 

 振り返ると、赤い目の少女と目が合った。少女は心底から怯えた表情を見せている。胸の前で組んだ両手は震え、膝は笑っている。いつもの気丈さが消え失せて、守ってやらねばならないと思わせる弱弱しい姿だ。唇も震えており、思わず発せられた陽介の問いに答えられる状態ではなかった。

 

「そうよ、そいつの名前はラビリス。忘れてるみたいだけど!」

 

 答えない本体に代わって、シャドウが返事をした。

 

「でもこうすれば思い出すんじゃない? 自分が誰なのか……何をしてきたのか!」

 

 シャドウは金属の指を鳴らした。シャドウの本来のやり方である、本体を責める鞭を鳴らす音だ。するとノイズが走った。早紀の幻が解けて尚紀の姿が露わになったように、生徒会長の幻が解けた。




 カワイイものには牙がある! 恩讐の姉恨兎(シスコンラビット)! 小西尚紀!
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