P-1グランプリの閉会後、稲羽市立病院に入院した陽介は翌日の5月4日に退院した。元々外傷は癒えていたのと、本人の強い希望が入院が短期間で済んだ理由だ。その日は退院の手続きで陽介が時間を取られたのと、大会が何とも後味の悪い形で終わった為に、悠の『帰郷』を祝う集まりなどが開催されることもないまま過ぎた。
そしてそのまた翌日、5月5日の昼間に事件関係者のうち高校生たちが集合した。事件が起きれば必ず開催する、例の会議である。
「さて……全員揃ったところで、特捜会議を開始します!」
司会はいつも通り陽介である。病み上がりだが体調が悪いわけではないので、これまでの例に倣った。ただし場所はいつものジュネスのフードコートではなかった。
「つか、何でここでやるの?」
「フードコートじゃ人の目が多すぎますよ。連休なんだからなおさらです」
千枝の疑問に答えたのは尚紀だ。機密事項が大量にある話を公共の場でやるべきでないと尚紀が注意したため、人目が限りなく少ないテレビの中のスタジオでやることになったのだ。
霧のない特別捜査隊の拠点に集まったのは、十一人の少年少女だ。特捜隊からりせを除く七人と、シャドウワーカー稲羽支部高校生組の四人である。りせは芸能人としての仕事がある為、ここに来れていない。
「けど人の目、そんなにあったか?」
「やなこと仰いますね、一条さん……」
一条の指摘に陽介は顔を顰めた。ゴールデンウィークのしかも子供の日なのだから、ジュネスとしては当然年間でも屈指の書き入れ時のはずなのだが、人の入りは多くはなかった。フードコートなら全席が埋まり、こんな大人数が座るなどとてもできないのが当然なのだが、実はできそうな状態だったのだ。
守護する存在がいなくなった稲羽の土地は、緩やかに衰退へ向かっている──
「ああ、悪い……。うちの実家もちょっとな……」
「そんなのどーでもいいクマ! それより事件の話クマ!」
ジュネス八十稲羽店の経営状況が心配になりそうな不景気な話を遮って、今日の本題をクマが切り出した。ちなみに今日はアルバイトのシフトを入れていない為、マスコットとしての仕事着でもある着ぐるみを着ておらず、金髪碧眼の美少年の姿を見せている。
本題にまず悠が応じた。
「ああ、ラビリスはこの世界のどこかへ行ってしまった。居場所は分からないか?」
「うーん……ゴメンクマ。ラビチャンのニオイは感じられないクマ」
「俺も分かりませんね……余程遠くに行ったか、実はもう外に出ているのか……」
情報系の能力のあるクマと尚紀のいずれも、ラビリスの居場所は分からなかった。事件の発端で中心人物であり、そして今はシャドウが本体に成り代わってしまった『機械の乙女』は、今や行方不明である。悠は俯いて自分の爪先を見て、陽介は腕を組んで苦い顔をする。
「シャドウワーカーの本部の人たちも探してるはずだよね? 小西君たちは何か聞いてないの?」
雪子が尋ねたが、尚紀は首を横に振った。
「いえ、何も……堂島さんは本部に協力しているみたいですけど、やっぱり俺らにはやらせないつもりみたいです」
「一昨日はやらせたのにな!」
「一発でヘトヘトになるんじゃ、しょうがないでしょ……」
長瀬が怒りの声を上げ、結実が応じる。
「つーかさ……ラビリスって去年の事件みたいに、誰かにテレビに入れられたんだよね? 誰がそんなことしたんだろ……」
千枝が事件の核心を突いた。ラビリスの行方も重要だが、より重要なのは事件の犯人だ。その正体と動機である。
「それなんだよな……。俺が気を失ってる間に、ここで犯人っぽい奴の声がしたんだよな? 何者なんだ?」
陽介は集まった皆の顔を見回した。しかし犯人に誰も心当たりはない。と思いきや──
「あの、それについてなんですが……昨日一日、僕なりに調べてみました」
直斗だ。この職業探偵は高校生ながら仕事で忙しくしているが、ゴールデンウィークの間は体を空けているので、今日もいる。
「小西君たちはご存知でしょうが、有里さんご夫妻はポートアイランドにある月光館学園の出身です。桐条美鶴さんと真田明彦さんも同じのようです」
「それって個人情報じゃないの? どうやって調べたの?」
「簡単な話ですよ。あのお二人は高校時代はフェンシングとボクシングの有名選手だったようで、いくつかの大会の過去の優勝者リストに、名前と学校が掲載されていたんです。普通にネットを調べるだけで、いくつも出てきましたよ」
個人情報保護という言葉が流行している現代であるが、個人名が出ているところには出ている。特に美鶴と真田は裏の顔はともかく、表の顔は高校時代からそれなりに有名だった。
「月光館学園は桐条グループが運営する学校です。そこで桐条グループが過去に関わった事件を洗ってみたのですが……」
直斗の話によると、桐条グループの研究機関である桐条エルゴノミクス研究所、通称『エルゴ研』は十二年前の夏に大規模な爆発事故を起こしており、世間ではポートアイランド・インパクトと呼ばれている。同時期、月光館学園の生徒が何十人も不登校になっていたとのことだった。
「マスコミは事故によるトラウマだと報じていますが、実態は三年前に社会問題になった無気力症……シャドウワーカーが言うところの影人間になったようです」
「去年の今頃にエビがなった奴か」
長瀬が口を挟んだ。あいは昨年4月に霧の日に町中に現れるシャドウに襲われ、いわゆる無気力症になった。回復したのは6月だ。
「そうです。去年の獣害事件と同じですね」
直斗の話は更に続く。影人間の症例は事故の前後から継続して発生し続けたが、ちょうど有里たちが月光館学園に在学中だった2009年に急増したらしい。ただし年間を通じて患者の数は常に増え続けたわけではなく、約一ヶ月の周期で回復する人が多数出ており、当時の学界でもそれは指摘されていた。しかしそれも11月までで、以降は翌年1月まで増加の一途を辿った。そして2月初めに大量に発生していた患者たちが一斉に回復し、以降はほとんど現れなくなって、事態は収束へと急激に向かったとのことだった。
「つまり?」
「2009年の11月に彼らの戦いは何らかの転機があり、2010年の1月から2月に終わりを迎えたのでしょう」
「そういや……アイギスさんが人間になったのは二年前だって言ってたな」
時期の符合に関して陽介が呟いたが、直斗はすぐに話を戻す。
「気がかりなのは、転機があったと思われる11月に月光館学園で死者が出ているんです」
そう言って、直斗は一枚の写真を取り出した。生徒ではない成人男性で、ウェーブした長髪が縁取る顔に人のよさそうな笑みを浮かべた紳士である。
「幾月修司氏……この年の7月まで、月光館学園の理事長を務めていた人物です。死因は自殺として処理されていますが、どうも不可解なんです。自殺の理由は不明ですし、それになぜ退任から数ヶ月過ぎてから以前の職場で命を絶ったのか……」
「その人とシャドウワーカーの関係は?」
「分かりません。しかし彼の辞任や死にシャドウワーカーが関係しているのではないか……そんな気がしてなりません」
怪しい時期に発生した死人とシャドウワーカー。直斗が両者を結び付けて考える根拠は──
「こないだの有里さんと犯人の話か……」
尚紀の言う通りである。一昨日ラビリスが逃走した後、犯人らしき声は『有里が殺した』と言っていた。もちろん言いがかりの可能性もないわけではないが、それは都合が良すぎるというものだ。そもそも非公式の特殊部隊などというファンタスティックな組織である。過去に後ろ暗いことくらいありそうなものだ。
「殺しねえ……なら犯人の目的は仇討ちか? シャドウワーカーが昔何してたか、お前らは聞いてねえのか?」
「あまり詳しいことは教えてもらってないんだよ……」
完二の問いに、尚紀はばつが悪そうに答えた。稲羽支部の高校生組は、特別課外活動部の時代の戦いの実態をほとんど聞いていない。ペルソナやシャドウ全般の話よりも機密のレベルが高い為だが、尚紀たち自身が聞く必要があるとは特に感じていなかったことも、情報が不足している原因の一つだ。今となってはそれが悔やまれる。
「高校生の頃の有里さんたちは、影時間っていうシャドウが出てくる時間帯に戦ってた……ってことくらいか。今はなくなってるらしいが」
特殊部隊の前身について、悠が口にした。これは3月に足立の手紙を受け取った際、有里から聞いた話にあった情報だ。今の事件とどこまで関わるかは疑問な話だが。
そして犯人像について、陽介が別の視点から話を振り出した。
「みんな、怒らないで聞いてほしいんだが……あのPV、結構当たってたって思わないか?」
「何ですってえ!?」
すかさず千枝が嚙みついた。P-1グランプリの出場者につけられたキャッチフレーズはどれも酷かったが、酷さに順位をつけるなら千枝のそれは上位に来るだろう。他と比べてもインパクトが強い。
「だから怒んなっつったろ! つか、あっちだよ。俺らのシャドウとさ!」
「あー……うん。私は千枝や花村君のシャドウは見てないけど、完二君のとか直斗君のとか……当たってるかもね」
目を伏せながら、雪子が同意した。自分は棚に上げている。
「つまり、犯人は去年の僕らの戦いをある程度知っている。花村先輩はそう仰りたいのですか?」
直斗は例として挙げられた自分のことは無視して、本題の話を続けた。探偵の目から見ても、これは鋭い指摘だった。陽介は一昨日の大会の最中からこの点を気にしており、だから自分のシャドウが原因ではとの見解に至った。もちろんそれは誤りだったわけだが、キャッチフレーズの由来についてまでは否定されていない。あれはシャドウの言動を見た者でなければ思いつくことができないというのは、一理あるままだ。
「ああ、それと事件が起きたタイミングだ。まるで悠が帰ってくるのに合わせたみたいじゃねえか」
プロモーションビデオでは悠が真っ先に紹介されていた。もし悠が稲羽にいない状況で流されていたら、片手落ちな感がある。即ち犯人は悠の来訪を知り得て、かつ昨年の特捜隊の戦いをある程度知っている、中でも各人のシャドウを見たことのある人物。思い当たるのは──
「まさか……足立さん!?」
殺人事件の犯人と多くの意味で縁が深い尚紀が激しく反応した。足立は当然事件については詳細まで知っているし、悠が来ることも堂島から聞いている可能性もある。しかし直斗が宥めた。
「いえ、足立さんは今でもシャドウワーカーか公安が拘留しているはずです。鳴上先輩の動向は監視していれば分かるはずですし、足立さん以外にも去年の戦いを知り得る人はいるはずです。僕らも見ていたマヨナカテレビのライブにはシャドウが映っていましたし、後から録画も流されていたらしいですから」
「ぐはっ!」
刺されたような声を上げたのは、果たして誰か。あれは自分たちだけが見れるものではなく、この地域に住む不特定多数が見れる。だから昨年は度々噂になっていた。直近のプロモーションビデオも同じだ。自分たちの狂態が世間に流されていたことを改めて思い知って、恥ずかしさがぶり返す。
「去年に稲羽市かその周辺に住んでいて、かつ桐条グループの関係者。その辺りに犯人はいるでしょう。まあ……このくらいは、シャドウワーカーも分かっているでしょうが」
今日の特捜会議の結論を直斗が述べた。その表情にはやや陰りがある。一日で調べたにしては話を大分前に進められたはずだが、それでも事件の解決までは遠い。具体的な名前は幾月以外に何もないし、情報面でシャドウワーカーより優位にある点は今のところない。そもそも事件の背景が特殊部隊の側にある以上、当然だが。
「なーに弱気になってんだよ」
それを完二が窘めた。と言うか励ました。
「稲羽は俺らの町じゃねえか。だったら俺らが守って当たり前じゃねえか。よそ者は出しゃばんなとか、んなこと言うつもりはねえがよ。すっこんでろって言われて、はい分かりました何て言うつもりもねえぞ」
今日ここに集まって事件について頭を捻っているその理由を、改めて口にした。皆は一昨日、美鶴からもう事件に関わるなと言われた。実際に怪我人が出た以上は当然の忠告なのだが、素直に聞く者はここにいない。他人が反対しようとも、自分の意思を貫く傾向があるのがペルソナ使いだ。
「今度有里さんらと会ったら、根掘り葉掘り聞き出してやりゃあいい。お前、そういうコーショーっての得意だろ?」
「完二のくせに、いいこと言うじゃねえか」
陽介がからかうと、完二は口を尖らせた。
「くせには余計っすよ」
「はは……頑張ります。それはそうと、今日か明日に事件に動きが出るかもしれません」
探偵の警告に皆が反応した。全員の視線が完二から直斗に戻る。
「なんでクマ?」
「犯人が鳴上先輩の動向を監視しているなら、先輩が稲羽にいるのは明日までであることも知っている可能性が高いからです」
悠が都会の実家に帰るのは明日の予定だ。もしも陽介の言う通り、悠の『帰郷』に合わせて事件が起きたのであれば、悠がいるうちに次の行動を起こす可能性は確かにある。
「悠、お前実は犯人に心当たりあったりしねえ? 去年の知り合いとか」
「……いや」
陽介の質問に悠は否定の意を返した。歯切れは悪いが嘘ではない。こんな事件を起こし得る知り合いに心当たりはない。ただし──
(ないわけじゃないが、彼女たちは……)
実は悠は陽介や直斗とは違う視点で、気になっている事柄が一つあった。当の犯人、またはその背後関係は、果たして人間なのかということだ。犯人が自分たちのことを知っているとしても、マヨナカテレビはどうやって流したのか、という問題が残る。
3月20日の経験からすると、あれは人間がテレビに入ると自動的に流れるようなものではないはずだった。その前提として、流れるように『設定』されていなければならない。それは人間ができることではない。できるのは常人とは無論のこと、ペルソナ使いとも異なる超常の存在だ。例えば神──
(マリー……)
虚ろの森で消えたマリーと、それと深く関わる存在だった黄泉比良坂にいた女神ならば、あのマヨナカテレビを映すことは可能だろう。しかし彼女『たち』はもういない。ただそれを口に出すのは憚られた。背中を預ける仲間といえど、また苦難を共有する相棒といえど、やはり言いたくないことはある。
「鳴上君、大丈夫? 顔赤いよ。風邪?」
「ああ……大丈夫さ」
結実が心配そうに言うように、悠は体調が悪い。しかし休んでいるわけにはいかない。ラビリスを見つけ出し、犯人を捕まえ、そして自分の体内の問題の始末をつける。悠がやらねばならないことは多い。悠自身は自分の体調不良の原因を分かっているが、それは誰にも言っていない。他人を頼ることができない問題というものは、やはりある。
高校生たちが集まっている間、大人たちも集まっていた。場所は天城屋旅館の上部屋である。書き入れ時のはずのゴールデンウィーク中でありながら空室がいくつかあったので、急遽の宿泊が可能になったのだ。取り敢えず男部屋と女部屋として二部屋取っており、今はより広い女部屋に全員が集合している。有里、アイギス、美鶴、真田、風花、そして堂島の六人だ。
「ラビリスをテレビに落とした犯人がいることは、やはり間違いない。ラビリスは自らテレビに入ったのであって犯人などいない可能性も考慮したが、そうだとすると矛盾が多すぎる」
犯人が存在することについて、まず美鶴が確認した。犯人がいないとした場合の矛盾とは、まずラビリスの能力は他人に幻覚を見聞きさせることがせいぜいなので、5月1日に発生したハイジャック事件を起こさせるのは無理だ。また、特捜隊の存在とプロフィールをどうやって知ったかという問題もある。そして何度も煮え湯を飲まされる原因になった見えない壁だ。あれは壁があると錯覚させるのに近いものではあったが、幻覚としてはラビリスに可能と思われるレベルではなかった。
「はい。それと調べてみましたが……どうやらラビリスの幻覚を生み出す能力は、実は彼女自身の自己認識に関して搭載された機能だったようです」
「どういうことだ?」
美鶴が聞くと、過去の研究資料を調べた結果について風花が説明した。曰く、ラビリスの開発時点では、後継機に実装された人格のベースを一から構築する技術が確立されておらず、ある実在の人間の人格をダビングしたものをベースにしたのだと。ラビリスの『心』が後継機の初期状態よりも、人間のそれに近かった理由がそこにある。しかしそうするとラビリスの自己認識がモデルになった人物になってしまい、現実と矛盾が発生する。そうならないよう元々調整はしていたが、保険としてラビリス自身が『自分を騙す』為に搭載されたのが、幻覚機能だったらしい。
「なるほど。本来は自分自身に向けるべき機能を他人に使ったのが、一昨日のあれというわけか。業が深いな……」
「そもそもの仕様自体に矛盾がありますね……」
話を聞いていたアイギスは、ぽつりと呟いた。
「アイギス」
「……」
夫が気遣うように声をかけたが、妻は返事をしなかった。そんな二人を美鶴は目の端に留めながらも、話を続ける。
「それと気になるのが、事件が起きたタイミングだ。例のPVでは鳴上君も紹介されていたが、彼は現在、稲羽市在住ではない。今月2日からこちらに来ているのは、連休に合わせたショートステイに過ぎない。そうですね? 堂島刑事」
陽介が気付いたタイミングの問題に、美鶴も気付いていた。美鶴は有里と違って特に悠と縁があるわけではないが、特捜隊(そういう呼び名があることは知らないが)のリーダーであることくらいは知っている。
「ええ。滞在は明日までの予定です」
「鳴上君が来ることを知っていたのは、誰でしょうか?」
「私が伝えたのは娘だけです。足立にも言っていません」
そして堂島も陽介と美鶴同様に気付いている。事件の犯人候補に足立が挙がり得ることにも気付いている。ただし足立が犯人であるとは、堂島は思っていない。より疑うべき者がいるからだ。
「そろそろ本題に入りませんか」
堂島は美鶴ではなく有里に目を向けた。
「と言いますと?」
「今回の事件の犯人について、心当たりがあるのではありませんか?」
シャドウワーカー本部は前身である特別課外活動部の構成員を、ほぼ丸ごと引き継いでいる。だから犯人について、実は本部の人員の間では一種の暗黙の了解ができている。しかし稲羽支部の支部長という立場の堂島は、未だ知らない話だ。だからこう聞くのは当然である。本職は刑事である堂島は、探偵の直斗が気付いたことにも気付いているのだ。
「……」
そして聞かれた以上、黙っていることはできない。有里は一度目を閉じ、そして開いた。その僅かな時間の間に、腹を括った。
「お話ししましょう。幾月修司という男をご存知でしょうか」
「月光館学園の理事長だった男ですね」
幾月の名前と表向きの立場については、堂島は昨年の5月に公安警察から聞いている。ちなみに公安はこの事件に対して静観の構えを見せている。事件に積極的に介入することも、これを好機と桐条側に強制捜査を入れてやろうとかの動きはない。そういう現状に対して、組織同士の政治的な対立を一気に先鋭化させかねない話を有里はした。
「そうです。三年前の11月、僕がある男に頼んで殺させたのです」
幾月の死因は自殺とされているが、他殺の可能性があると公安は疑っており、堂島にもその疑惑を伝えている。それを肯定したわけだ。
「有里、君がさせたわけではあるまい」
幾月の死に関係する諸々の事情を、美鶴は昨年の9月に有里自身の口から聞いている。だからこう言うのだが、特殊部隊の副隊長と支部長の話は続く。
「なぜそのようなことを?」
「幾月は我々の元締めだったのですが……裏切者だったのです」
「誰が殺したのです?」
「榊貴隆也……過去の桐条グループの実験体だった男です」
「その男は今どこに?」
「二年前の1月、僕が殺しました」
「……深い事情があるようですね」
警察官にあるまじき反応である。人を殺したと告白した『犯人』に対して、いきなりこの物言いはない。しかし社会の裏側に身を置いて一年が過ぎ、政治的なものにも関わったせいで、昔気質の刑事はものの考え方に変化が出ていた。だから堂島は、『今すぐ』有里を逮捕すべきとは考えない。少なくともこの事件が解決するまで、当代最強のペルソナ使いである有里の力は欠かせないはずだからだ。それくらい合理的になれていた。
「有里君……」
「そういうことか……」
「……」
端的ながら話を聞いた風花は俯き、真田は腕を組んだ。元締めの死についての三年越しの真実に、ある程度察してはいたもののはっきり聞かされていなかった二人は、各々感慨を抱く。ちなみに当時から知っていたアイギスは黙っている。
「幾月が生きていることはあり得ません。ですが我々も把握していない関係者がいる可能性はあります」
「親族関係はどうなっています?」
「幾月に家族はいないはずです」
「ふむ……」
堂島は腕を組んで考える。少々の時間を置いてから、再び有里に尋ねる。
「犯人の目的は、幾月の復讐以外に何かあり得ますか?」
「気になることとしては……我々のシャドウを集めるとの、一昨日のあの声の主の発言です」
「ペルソナとシャドウは本質的に同じものだと聞いていますが、奪うことが可能なのですか」
「それは分かりませんが、過去にはペルソナを他人に譲渡した例もあります」
「そう言えば……去年の11月には小沢のペルソナが生田目に移動していましたな」
有里が言っているのは特別課外活動部の時代の出来事、正確には現在に繋がらない過去の出来事だが、稲羽支部の戦いにおいても似た実例はある。その点から考えれば、自分のペルソナを他人に渡すことは可能なはずである。ならば所有者の意思に反して奪うことも可能かもしれない。
そして奪ったペルソナまたはシャドウで、何をするのかと言えば──
「美鶴、シャドウを集めると言えば……」
ここで真田が口を挟んだ。堂島に聞かせるべきかどうか議論の余地はあるはずだが、敢えて聞いた。
「ああ……あれだな」
「何でしょうか」
「十二年前のポートアイランド・インパクトと呼ばれる事故の原因が、過去のグループが行った実験の爆発事故にあることはお話しましたが、その実験と言うのは多数のシャドウを集めて結合させることだったのです」
堂島の問いに美鶴が答えた。当時の桐条グループ総帥の桐条鴻悦がシャドウを結合して何をするつもりだったのかは、今となっては不明なことも多いが時間を操ることが目的であったと、組織から見れば新入りの堂島にそこまで伝えた。
「……何ともスケールの大きな話ですが、犯人の目的はそれなのでしょうか?」
「今の時点では何とも言えません。可能性があるとしか……」
美鶴の歯切れは悪いが、これは隠し事をしているわけではない。犯人の目的は本当にまだ分からないのだ。正体についても幾月の関係者と推理が可能なだけで、まだ何の証拠もないのだから。
「あの、済みません。実はもう一つ報告できることがあります」
ここで風花が手を挙げた。
「ごく最近、旧エルゴ研のサーバーがハッキングを受けて、その中のあるファイルにアクセスしようとした形跡がありました。ファイルの作成者は……幾月さんでした」
「何?」
風花の説明は続く。ファイル名は『project_puppetmaster』。直訳すれば『人形遣い計画』か。それが何を意味するのかは不明だが、ファイルは黄昏の羽根に関する実験の資料であるらしい。侵入に使われた端末は恐らく稲羽市内にある。侵入自体は失敗しているが、犯人は侵入経路を偽装した形跡がなかった。それはファイルの存在、そして自分の存在をこちらにアピールする為にわざとそうした可能性もあるとのことだった。
「黄昏の羽根の実験……ということは、私や姉さんに関するものですか?」
アイギスが尋ねたが、風花は首を横に振った。
「高度に暗号化されていて、まだ一部しか解読できていません。ただ、解読できたデータの中に『皆月翔』という名前が何度か出てきています。その人物に関する記録じゃないかと」
「皆月翔……」
美鶴が名前を呟き、腕を組んで考える。知らない名だったが、これは手掛かりになるかもしれないと記憶に留める。そしてふと閃いたことがあった。その内容は──
「美鶴さん、去年に荒垣さんが襲われたことがありましたね」
有里が口にした。今は小料理屋を営むペルソナ使いの荒垣真次郎は、昨年の9月12日にポートアイランドの溜まり場で何者かの襲撃を受けた。相手は名乗らなかったが、言動にある特徴があった。それは話題の裏切者に通じる特徴だ。
「ああ、私も今それを思い出したところだ」
そこへ真田が声をかけた。
「美鶴、シンジや順平たちも招集しないか? これはもう、あいつらにとっても無関係な話じゃないぞ」
「……そうだな。情報は共有させる。最低限、常に連絡が取れる状態にいてもらおう」
それで大人たちの話は一段落した。事件の背景はシャドウワーカーの過去にあることはほぼ間違いなく、多少だが手掛かりがある分、特捜隊より事件の真相に近いところにいる。しかしそれだけに、特殊部隊の認識は自分たちの過去だけに留まっている。
事件の原因や犯人の動機などの真相の更なる背後、言わば事件の深層には、舞台であるテレビの中の世界とは何であるのかという問題、そしてその世界に繋がる出入口が存在する八十稲羽の土地そのものの神秘がある。しかし有里は悠と違って、事件の深層を掴む以前に、そもそも発想がそこまで至らない。なぜならそれは、当の深層そのものとの関わりが深い特捜隊の領分であるからだ。そこが高校生のアマチュア集団である特捜隊が、大人のプロ集団であるシャドウワーカーよりも優位にある点だ。
「ん? 失礼」
有里の懐から電子音がした。電話の着信である。スマートフォンを取り出して画面を見てみると、二人の子供を預けている桐条グループの託児所からだった。
「はい、有里です。はい……何ですって!」