「ったく、この眼鏡、役に立たねえな!」
「ヨースケ、シドイ! クマお手製メガネ、どんだけ役に立ったと思ってるクマ!?」
「ああ、悪いな。この霧、去年のと違うのか?」
陽介はクマの眼鏡を顔から外し、制服の上着のポケットに入れた。特別捜査隊の絆の証明を、陽介は悠と違って失くしてはいないので家から持ってきたが、今夜の霧には効果がなかった。かけてもかけなくても視界は変わらないのだ。赤い霧はそれ自体が発光するようなので、町の灯りが完全に消えていても暗闇にはならない。しかしやはり視界は悪い。ジュネスに向かうべく鮫川の土手を走っているのだが、先がまるで見通せない。
「うーん……違うトコもあるけど、似たトコもあるクマ」
「違いは色と、眼鏡で見通せないことか? じゃあ似てるのは何だ?」
「むむむ……この感じ、何ちゅーのかしらん。クマのボキャブラリーをもってしても表せない……何たる繊細にしてオモムキあるこの空気!」
「お前、元々ボキャは貧しいだろうが……」
5日の特捜会議では、マヨナカテレビを確認しようとの話は出ていない。しかし何となく感じるものがあったのか、陽介とクマは二人揃って自宅で深夜のテレビを確認して、そして驚愕した。格闘大会のオープニングめいた内容だったのは前と同じだからまだ良いとして、0時になる前に始まり、終わったら大晦日よろしくカウントダウンがついたのには驚かされた。日付が変わると同時に携帯電話を始め全ての機械が止まり、町を異変が襲った。挙句、尚紀たちが磔にされた映像が流れた。
特捜隊は昨年からマヨナカテレビのライブが映っても、その夜のうちに行動を開始することはなかった。事件発生から被害者に危険が及ぶまでそれなりの時間的余裕があったのと、深夜のジュネスに忍び込むのは骨が折れるからだ。しかし今夜はそうも行かない。
何もせずに朝を待っていたら、永久に朝が来ないことになりかねない──
見慣れない赤い闇と、陽介の両親が棺桶になった姿は、歴戦の二人に強烈な危機感を与えるのに十分だった。だからすぐに家を飛び出し、ジュネスのフードコートを目指して走った。仲間たちと連絡が取れない以上、合流するにはいつもの場所に行くのが最善だと思ったからだ。クマの能力で仲間の居場所が分かれば話が早いのだが、それもできずにいた。
「ぶえっくし!」
「またかよ! 汚ねえな!」
霧が濃い為なのか、昨年の現実の霧やテレビの霧と違うからなのか、クマの鼻即ち探知能力は効きが悪かった。探ろうとした途端に、クマは鼻がむずかゆくなってしまう。もちろん花粉症ではない。
「うう……失礼しまクマ。でもやっぱ、この感じはテレビの中みたいクマ」
「ってことは、俺と悠以外のみんなもペルソナ使えるってことだよな。んでもって、シャドウも出るはず……」
「うーん……そうなんだけど、それだけじゃないクマ」
クマは立ち止まり、腕を組んで考え出す。
今のこの状況が何なのか、テレビの外にいるはずだが、テレビの中にいるような感覚がある。しかし赤い霧が出ていることが、その原因というわけではない。そもそもこの霧はテレビの中から流れてきたものではないはずだ。なぜならテレビの霧は3月に晴れたから。しかし霧がなくなっても、テレビの中でペルソナは普通に使える。よってテレビの中を『それ』たらしめているものは、そもそも霧ではない。ではテレビの中を特徴づけているものが何で、外を中のようにしてしまっているのは何か。両者は同じなのか、違うのか──
「えーっと……テレビの中は、入った人の現実クマ。つまり入った人が見てる現実や望んでいる現実で、お外でそれをしているのは……でもって外が中に似てくるちゅーことは……」
「急いでんだから早くしろよ!」
陽介は論理的だが観念的な思考には慣れていないので、クマの独り言が何を意味していて、クマがどうしてそんなに気にするのか理解できない。そんなことより今は一刻も早くフードコートに行くべきだと、つい苛立ちが募る。
「もー! ヨースケの分からんちん!」
クマはクマなりに一生懸命考えているのだが、相応しい言葉がどうにも見つからないでいる。自分の中でも明晰になっていないから、陽介に理解させるのは至難の業だ。しかしだからといって、これはおざなりにできない問題だった。勘のようなものだが、非常に重大な意味が隠されている。そんな気がしていた。
「ん? おろろ~?」
しかし思考が迷路にはまっていると、感覚が仕事をした。
「今度は何だよ……」
「キタキタキター! クマセンサーにビビッと来たですたい!」
「おい、待て!」
この地方のものではない方言風に叫んで、クマは土手を駆け下りて河原に向かった。一人で行かせては危ないと、陽介も下りて河原に足を踏み入れた。
鮫川のほとり、普通の時間なら釣りをする人もいるであろうその場所は、何とも奇妙な風景に様変わりしていた。近くに見える橋は途中でねじれて一回転し、道路標識が立方体や球形になって宙に浮いている。それらの背後には、異様に大きく白い光を放つ月が赤い空に浮かんでいる。現実をベースにしながらそれを不自然に捻じ曲げた、見る者に不安感を与えることを目的とした現代芸術の作品空間のような有様だった。
陽介にとって鮫川の河川敷はかつて相棒と殴り合い、絆創膏を渡した思い出の地である。それが不吉さを帯びて変質したその場所に、当の人がいた。
「待たせたな」
八十神高校の制服を着た『悠』である。上着のボタンを全て開けたいつものスタイルで、手には長剣を持っている。
「悠、来てたのか!」
早いうちに合流できて幸運だった。いや、ここは見つけたクマを褒めるべきか。何にしても良かったと、陽介は笑顔を見せた。しかし──
「ヨースケ! ちょっと待つクマ! そいつはセンセイじゃないクマ!」
先行したクマが大声で警告した。いつもふざけるクマには珍しい、眉根を寄せた本気の形相だ。
「何!? 誰かが悠に化けてるのか!?」
陽介はグランプリの二回戦で悠と戦った時、マガツイザナギが召喚されたのを見て足立が化けているのかと思った。実のところは陽介の勘違いだったわけだが、今度こそ誰かが、例えば足立が、即ちこの事件の犯人候補が現れたのかと身構える。もしそうなら、ここで倒さねばならない──
「そーじゃなくて! そいつからはシャドウのニオイしかせんクマ!」
「悠のシャドウか! とうとう出たのか!」
陽介は放送室に向かった時、事件の原因が自分か悠のシャドウのどちらかではと危惧した。それもまた勘違いだったわけだが、今度という今度こそ悠のシャドウが出たのかと、陽介はますます身構える。思えば特捜隊の他のメンバーは全員テレビに入ったらシャドウが出たのに、悠だけは出なかった。仲間のシャドウは全員分を見たくせに、自分のシャドウは誰にも見せずに隠し通してきた悠が、遂にここで『本性』を見せるのか。他の誰でもなく、相棒たる自分に──
と、忙しく認識を切り替える陽介を、『悠』は嘲笑う。
「ふふふ……群れなければ生きていけないクソ虫どもめ。そのくせ、話がまるで進まない……話せば話すほど混乱するばかりだな!」
言うが早いか、『悠』の瞳が金色に光った。ここにいるのは本物の悠ではなく、シャドウであることを明確に証明するものだ。ただしコニシ酒店に現れた陽介のシャドウのように、悠の心から生まれた本物のシャドウであるかと言うと──
「さあ、リング・インだ!」
『悠』が手を掲げるや、赤く光る四本の柱が降ってきた。それは『悠』と陽介を囲むように、そしてそのうち一本はクマの真上に降ってきた。
「ギャー! 死ぬクマ!」
そう言うものの、寸前で地面を転がって回避したクマは無事である。ただ赤い柱から不気味な光が放たれ、四本の柱が互いに繋がれた。『リング』が立方体の形に組まれ、『悠』と陽介を中に置き、クマを外に置いて分断する形になった。
「これは……またあの壁か!」
赤い柱同士を繋ぐ光はすぐに消え、一見すると柱の間には何もないように見える。しかし『外』にいるクマは、何もないはずの空間に手と顔を押し付けて、着ぐるみの顔がひしゃげている。もちろんパントマイムではない。明らかにそこに壁がある。P-1グランプリで参加者に同士討ちを強いた、例の見えない壁だ。できたら最後、破ることはできない。磔にされている尚紀以外は。
『おんやあ~? おダメさんのヨースケもちょっとは学んだクマか? そのとーり! P-1って言ったらタイマンの勝者しか先に進めないのがルールクマ!』
赤い柱、いわばリングのコーナーポストにはテレビが備え付けられていた。そこに映し出されたのは、もちろんクマ総統である。本物のクマはそこにいるが、仮装をやめるつもりはないようだ。
「むー、またまたニセクマの登場クマかー! どこまでもクマ人気にあやかるつもりクマね!」
「お前……ラビリスか!?」
憤慨するクマを余所に、陽介はクマ総統に向けて問う。陽介の心にあるのは、ある種の期待だ。そうであってほしいと願う気持ちがある。しかし画面の中のクマ総統は悪い笑みを深めて、陽介を見下す。
『はっはっはー! せっかく褒めてあげたのに、なんちゅー節穴クマ! センセイでさえドサ回りとスーパースターの見分けついてたのに、ヨースケはほ~んとヘタレンジャーねー! それともあれ? オメメがハートでまともに見えないクマ?』
「くっ……」
陽介は歯噛みした。ただし馬鹿にされたことを悔しがっているのではない。
『さあ、P-1クライマックス予選第一試合はシスコン番長対キャプテン・ルサンチマンクマ! みんな大好きテッパン中のテッパンマッチ! 前もやったとかもう飽きたとか、クレームは受け付けんクマよ! 人気カードは連チャンもいいんだクマ! 予選でいきなり当てるなとか、そういうのもナシね!』
大会に巻き込まれた側にすれば文句の一つくらい出るところだが、もはや言っても仕方がない状況である。既にリングに閉じ込められている以上、主催者がやると言ったらやらざるを得ない。ただしやる前に注意点の説明があった。
『あー、節穴ヨースケの為に特別に教えてあげるけど、そこにいるのはセンセイのガチシャドウじゃないクマよ? クマ総統様がその辺のシャドウをコネコネして作った真~っ赤な偽物ね。だから遠慮なく戦いんしゃい!』
つまりこの『悠』は悠と顔こそ同じだが、実は全くの別人だ。言わば双子である。他人の空似とさえ言ってよい。霧の鏡に映った像、つまり左右は反転しているものの同一人物である本物のシャドウとは違う。殺したところで本体には何の影響もない。『殺す』という生き物に対して使うべき言葉が適用できるかどうかさえ、議論の余地がある存在だ。
「こないだ放送室に出てきた、俺の顔した奴と同じってことか」
あの時の金の瞳の『陽介』は陽介のシャドウではなく、ラビリスのシャドウが化けていたのでもない、何だかよく分からない存在だった。しかしこれではっきりした。テレビの中のダンジョンで無数に蠢いていた名もなきシャドウと、本質的には同じものだ。
「そういうことだ。情報系ペルソナを通じて話し合いで戦いを回避だとか、そんな逃げは通用しない」
そう言って『悠』は長剣を正眼に構えた。その様は本物と瓜二つだ。最もスタンダードなこの構え以外の、例えば脇構えをやらせてもきっと同じだろう。
「お前……マジで偽物か? その割にはよくできてるな」
「当たり前だ。俺はお前たちのデータから生まれた。実力はお前たちと同等……いや、それ以上だ」
「偽物のくせに、大きく出やがったな」
「舐めているとすぐ死ぬぞ。ペルソナ」
一声呼ぶと、『悠』の頭上に力あるビジョンが顕現した。顔は赤黒い鋼鉄の仮面で覆われ、額に鉢巻きを巻いている。一昔前の応援団長を連想させる裾の長い学生服らしきものを着ており、その裾や背中には血に塗れたように赤い蜘蛛の巣めいた線が、一面に広がっている。手には長柄を持っており、それも数多の血を吸ったように赤く染まっている。
「何ですとー! ニセセンセイなのにペルソナ出しとるクマー!」
しかも並のペルソナではない。本物の悠が足立との絆で手に入れた、道化師のアルカナの最奥に位置するマガツイザナギである。港区と稲羽市に住む全てのペルソナ使いの中でも、最強の一角を占める強大なペルソナだ。
「ヤヤヤバいクマ! このニセセンセイ、ホンモノのセンセイとホントに同じくらい強いクマ! ヨースケ、早くこっち来て逃げるクマー!」
「いや……これがマジでP-1なら逃げらんねえし、こいつに勝たなきゃ俺たちは前に進めねえはずだ」
陽介は短剣を両手に持った。対戦相手を見据えつつ自分の心の中にも意識を向ければ、そこに力の実感があった。元より現実でも召喚可能な陽介なので、異界が侵食してきたような今夜の『現実』でももちろん可能だ。
「ジライヤ!」
グランプリを制した陽介のペルソナが顕現した。ただし絆創膏と引き換えに得たスサノオはやはり失われたままで、ガマを呼ぶ忍者のペルソナである。本物の悠が陽介に改めて友情を感じても変わらない。覆水は盆に返らない。
「大丈夫だ。こないだは俺が勝ったんだからな!」
「ふふ……分かっていないようだな。今夜はハンデなしだということを!」
『悠』は悪意を湛えてにやりと笑い、剣を振りかざして間合いに入った。その動きは陽介の目から見ても、かなり速かった。
「うおっ!」
後ろに下がって初撃をかわすと、『悠』の剣は地面を勢いよく切り裂いたのが見えた。『悠』の、つまりマガツイザナギの膂力は、陽介の、つまりジライヤのそれを大きく上回っていることが、それだけで分かった。一発でもまともに受ければただでは済まない。陽介は背中に冷や汗が伝うのを感じた。
強い者が常に勝つとは限らず、そして勝負は結果である。よってグランプリで陽介が優勝したことそれ自体は、誰に文句をつけられるような話ではないし、陽介は自信を持ってもいい。しかし優勝という結果は、陽介が最強であることを証明しない。一度勝負して勝った相手ともう一度戦った場合、同じように勝てるとは限らないのだ。
『悠』は右手一本で長剣を薙ぎ払った。一見すると大振りだが意外に隙が少なく、陽介に反撃の機会を与えない。続けてマガツイザナギを召喚して突撃させ、下段を長柄で払う。陽介は跳躍して回避するが、すかさず『悠』自身が斬り上げつつ跳躍して追ってくる。空中戦は陽介の領分のはずだが、『悠』が来るタイミングが速すぎて剣を防御するのが精一杯だ。
「くっ……」
防御した腕が痺れ、陽介は着地しつつ顔を顰めた。今の攻撃は何とか防いだものの、既に陽介は傷をいくつか負っている。『悠』も無傷ではないが、陽介の方が押されている。ちなみに二人とも傷から何か光るものが薄く噴き出しているのだが、陽介にそれを気にする余裕はない。『悠』は気にしていない。もちろん血ではない。
二人の能力を比較すると、速さは陽介が勝るものの、それ以外の全てにおいて『悠』が勝る。実力は『悠』が陽介の数段上と言わざるを得ない。本物の悠と比べた場合と同様である。
戦前の『悠』が自信満々に語った、偽物が実力において本物以上であるとは言いすぎで、やはり同等である。この『悠』の実力はデータが取られたグランプリ時点の悠と全く同じだ。本物よりも勝っているのは、それ以外の部分である。例えばコンディションや非情さだ。
グランプリでの陽介の最大の勝因は悠の疲労と体調不良だったが、この『悠』にはそれがない。初戦だから疲労がないのは言うまでもないが、咳をすることもない。悠の体内にいる存在までは再現していないのだ。
メサイアを使えば酷い頭痛に襲われるだろうが、それが分かっている『悠』はマガツイザナギで戦う。かなり素早く動ける上に隙がない為、ジライヤは相性が悪い。ここから陽介が逆転するには──
(補助を使う隙が欲しいぜ……)
唯一勝る点である速度を、補助魔法で更に強化することだ。それができれば勝機を見出せるかもしれない。昨年のシャドウ相手の戦いではよく使っていたが、一対一のこの状況でやっては隙になるだけだ。効果が出る前に急襲されて終わりだろう。グランプリのクマとの勝負では使えたが、あれはクマに油断があったからだ。
ここは敢えてもっと押されて、苦しそうな顔も見せて油断を誘うかと考え始めた時──
「陽介、何を考えている? 俺の隙を伺っているのか?」
「てめえ……」
「ふっ……実は今までがずっと隙だったんだぞ? だがもう、ボーナスタイムは終わりにしようか」
そうなのである。悠も足立もそうだが、『悠』が陽介を本気で倒そうと思ったら、あっという間にできるのだ。対シャドウ戦の基本に則れば、それで良いのだから。
「マガツ!」
召喚された禍津神は長柄を掲げるや、天から赤い電撃が雨のように降り注いできた。対戦者を逃がさない見えない壁は頭上にもあるはずだが、これはそれをすり抜けてくる。一度に雷をいくつも落とす広範囲攻撃である。こう来られると、陽介は非常に苦しくなる。
「うあっ……!」
陽介は膝をついた。シャドウもペルソナ使いも弱点を突かれると転ぶ。だから複数のペルソナを持つ為に攻撃手段が多彩で、耐性も相手に応じて変化させられるワイルドは、それができない並のペルソナ使いよりも大きな活躍ができるのだ。今の悠とこの『悠』は使えるペルソナの数が少ないが、非常に強力なマガツイザナギを使える以上、陽介を倒すのに苦労はしない。今やったように、弱点の電撃を一発食らわせてやればいい。
「ヨースケー!」
リングの壁の向こうでクマが悲鳴を上げている。同居人を助けに行こうと何度も壁を叩き、魔法をぶつけ、体当たりもするが破れない。壁に顔を押し付けて『ニオイ』を嗅いでも、情報系ペルソナ使いとしては本職に及ばないクマは、破る為の急所を見出せない。尚紀と違って、声を上げることしかできないのだ。
「脆いな、陽介。まあジライヤではそんなものだろう。俺の力を借りなければ、お前は何もできないんだ」
『悠』は剣を構えもせずに、余裕ぶってゆっくりと陽介に歩み寄る。これは隙だが突くことはできない。陽介は手足が痺れてまともに動かず、まだ立ち上がれないでいる。シャドウもペルソナ使いも、電撃を受けると時々こういう状態になってしまうことがある。電撃に弱い陽介でも毎回こうなりはしないが、この勝負時に運悪く感電してしまった。全般的に陽介はついてない。
「うっせ……てめえじゃねえだろ!」
「ふん、同じことだろう」
昨年のテレビの中の戦いで特捜隊全体を指揮し、実力においても一番で皆を引っ張ったのは悠である。陽介は特捜隊の中ではサブリーダーという言わば『役付』だが、リーダーである悠とはやはり差があるのだ。この『悠』は悠ではないが、実力が同じである以上、まともにやっては陽介に勝ち目はない。
「いい勝負をしろと言われているが……もういいだろう。お前がいると、あの人形が何をしでかすか分からんからな。お前は早いうちに始末しておかないといかん」
この時、『悠』は失言をした。聞き逃さなかった陽介は目を剥いた。
「ラ、ラビリスのことか!? あの子も来てんのか!?」
ラビリスはグランプリの場外戦で陽介を打ちのめした後、一条と長瀬に手痛い一撃を食らい、そしてスタジオに有里が現れた為に逃走した。気を失っていた陽介は、後からそれを聞いた。逃げる前の捨て台詞は『自分は自由だ』であったことも聞いた。ならばラビリスは本当にどこか遠くへ行ってしまい、二度と会うことはできないかもしれないという危惧を拭えなかった。
プロモーションビデオでグランプリ最終章と銘打たれた今夜の戦いにも、出てこないかもしれない。そういう不安があった。当のビデオの出場者紹介シーンの最後から二番目で、自分とラビリスが対峙する映像は見たものの、あれは所詮は演出だから今夜出てくる根拠にするのは弱いと感じていた。だが期せずして、ラビリスはP-1クライマックスに参加しているという証言を得られた。
「ふ……喋り過ぎたか。そろそろ死ね!」
喋り過ぎたというその言葉自体が、失言が事実であることの裏付けになる。それをごまかすように、『悠』は剣を脇に構えた。そして足を前方へ滑らせて間合いに入りながら、剣を大きく振り上げた。岩でも叩き割れそうな力が込められている。
(ラビリス……!)
陽介は歯を食いしばった。『悠』が剣を振り下ろしてくるのをその目で見ながら、時間が酷くゆっくりと流れているように感じた。手足から痺れが抜けて血が再び通い始めたのを、剣先が弧を描いて襲い来るのを見ながら感じた。あれが当たれば命はない。頭を真っ二つに叩き割られて即死だ。
(俺は……まだ死ねない!)
ここで死ぬわけにはいかない。死にたいなどと思ったことは、元よりない。だが今は取り分け死ねない。自分にはまだやり残したことがある。
昨年の4月15日、早紀が死んだ真相を求めて危険と知りつつテレビの世界に飛び込んだ。ただし退屈な田舎暮らしに突如現れた非日常に興奮して、遊び半分な気持ちも少しはあったことは否定しない。結果的にその『遊び』が自分のシャドウとして立ち現れたわけだが、その時は悠が助けてくれた。
以降は犯人を自分の手で捕まえることを目指して戦った。しかし12月に足立に敗れたことで、復讐は終わった。グランプリでは勝ち抜いたが、それは自分の実力ではない。運が良かっただけだ。そのくせラビリスを救済することで悠のような実績を得ることを望んで、失敗した。その結果が今の有様だ。
力がなければ何もできない。誰も救えない。だから早紀の仇は尚紀に持っていかれた。ラビリスは救えず逃げられた。しかし早紀と違って、ラビリスはまだ望みはある。自分に力さえあれば──
(力が……悠にも、足立にも勝てるくらいの力が欲しい!)
力が欲しかった 。遊びの為ではない。今までにないほど心の底から願った時、時間が止まった。
(えっ……?)
陽介の視界では、『悠』は剣を振り下ろす体勢のまま停止していた。この状態は、生死の境に立たされた極限の集中力によって相手の動きがスローモーションに見えるものの、自分の体はそれ以上に遅い為に結局対処できないような、命の危険を感じていた先ほどとは違っている。自分の心を除いて、世界の一切が動きを止めている。
『我は汝、汝は我……』
停止した時間の中で、陽介の脳裏に卒然と告げられた名前があった。それは歌舞伎に登場する、ガマを呼ぶ忍者の名前ではなかった。そして日本の創造神の息子でもなく、それと習合した中国やインドの神々でもなかった。一年前から陽介が信じ、頼り、愛した男が象徴する存在の子供ではなく、全くの他人の名前だ。
「テセウス!」
それは日本から遠く離れた西方、ギリシャで生まれた男。アテナイの王子。生贄を要求するミノス王に憤りを感じてクレタ島の