新たな名前で呼ばれた魔術師のペルソナは、体格はジライヤと同じくらいの細身の青年の姿をしていた。服装は白いツナギから緑色を基調としたロングコートに変わり、武器は十字手裏剣から剣の二刀流に変わった。
仮面はジライヤが頭全体を覆うタイプであったのから、顔の前面だけを隠すタイプに変わった。色は金色で額から三本の角を生やし、口には鋭い牙がある鬼めいた仮面である。仮面に隠されていない髪は、仮面より鮮やかな光を放つ豊かな金髪で、背中まで届く長さだ。恐ろし気な仮面を外せばどれほど美しい素顔が現れるのかと、見る者の想像を膨らませる、そんな美麗でつややかな髪だった。
美青年のペルソナは手に持った二本の剣を十字に構え、頭上から襲い来る斬撃を受けた。テセウスの剣は反りがなく、陽介が自分の手で持つ短剣よりは長く、悠が使う長剣よりは短い。中国武術で使われる双剣が最も近いか。ただし柄や鍔の作りは西洋風である。ジライヤの手裏剣は青い瞳のラビリスの渾身の一撃を防ぐことはできなかったが、テセウスの剣は『悠』の石割の太刀を防ぎきった。
「ぬっ!? 何だそれは……」
金の瞳の『悠』は突然現れた新たなペルソナに驚き、一旦下がって間合いを外した。『悠』は情報系の能力を持たない為、テセウスが何であるのかは分からない。『自分』と同じように陽介も複数のペルソナを操る能力に目覚めたか、そうではなくてジライヤが進化または変容したか、判別がつかない。
「ふん……遊びは終わりだと言ったはずだ!」
『悠』は気を取り直して再びマガツイザナギを召喚し、赤い電撃を今度は水平に放った。一筋だけだが太く、人の胴体と同じくらいの幅がある。電撃に弱い陽介は当たれば確実に死ぬ。たとえペルソナが変わって電撃に弱くなくなったとしても、既にダメージを受けている陽介は多分死ぬ。それくらいの力が込められた、必殺の一撃だ。しかし──
(見える……?)
陽介は体を右手側に一歩ずらした。たったそれだけの動きで、致死の一撃をかわした。
「む……マガツ!」
『悠』はすかさずペルソナを再度召喚し、また頭上から多数の雷を降らせた。これは術者の視線やペルソナの手の向きから、射線を見切ってかわすような芸当はできない。本来は多数の敵を相手にする場合に使うもので、敵が一人の場合は燃費が悪いやり方だが、素早い相手に回避させないという点では有効である。
しかし陽介はそれもかわした。今度は体を左手側に半歩ずらすと、元より無駄撃ち覚悟で放たれた雷雨の全てを無駄にしてやった。異界の河川敷の地面に、雷は虚しく落ちてすぐ消えた。
テセウスは電撃に弱い。そこはジライヤやスサノオと変わらない。しかし陽介には雷が『見えて』いる。『悠』が魔法を放つ直前に、稲妻が走る軌跡があらかじめ見えるのだ。空間に引かれた光の線を目で捉えられる。これは予知の力か、それとも敵が放つ殺気を感知しているのか。原理が何であるのかは分からないが、とにかく電撃はほぼ完全に見切れる。
「ぬう!」
『悠』は再度雷雨を放つ。対する陽介は余裕を見せた。
「へっ! 遅えんだよ!」
見えている軌跡から身をかわすのは、元より速度と反射神経に優れた陽介にとっては難しくない。一筋だけの落雷は言うまでもなく、広範囲に展開されても体を滑り込ませる隙間を簡単に見つけられる。グランプリの準決勝でも有里の指示によってアイギスの放つ電撃を全て回避したが、あの時と違って自分の目で見えている分、より容易だ。百発撃たれても当たる気がしない。
「風よ、来い!」
偽物が繰り返す無駄な攻撃を隙ととらえ、陽介は補助魔法を使った。力感に溢れ、しかも優雅な美青年のペルソナは顕現するや両腕を広げ、風を起こして背中で受ける。コートの裾が広がり、使用者である陽介に風と共に光を零す。
(え……?)
自分でやったことでありながら、陽介は驚いた。テセウスが起こす追い風は、昨年から何度も使っていた速度を強化するだけの補助魔法とは違った。光が体に触れるや、『悠』にやられた傷が癒えていく。今まで持たなかった自前の回復手段を、陽介は手に入れたのだ。しかも本来の目的である速度の向上する幅は、以前より大きい。
「行くぜ!」
青春の風に乗って陽介は駆けた。まさに文字通りの一瞬で間合いを潰し、右の短剣を相棒の偽物に向けて振るう。狙いは首だ。
「うおっ!?」
驚愕の声を上げたのは『悠』だ。想定を大きく超える速度で襲ってきた刃物の一撃に対して、反射的に首を傾けた。しかし回避しきれず首に傷を負った。一発でやられるほど深くはないが、警戒度を一気に上げるのに十分だった。
「お前、その力は何だ!」
「無駄口叩いている場合かよ!」
勢い余って『悠』を通り過ぎた陽介は、すかさず振り返って左の短剣を叩きこむ。『悠』は長剣で受けるが、押し込まれて後ずさる。速度だけでなく、膂力も以前とは違っている。
見切りの技を身に付けた為に弱点が事実上なくなり、基礎能力も上がり、回復までできるようになった陽介は、マガツイザナギを操る『悠』から見ても軽く捻ってやれるような相手では断じてない。最強の一角を占める、非常に強力なペルソナ使いだ。たとえシャドウワーカー本部に移籍したとしても、実力は本部隊員と見劣りしないどころか、有里に次ぐくらいの位置に来るだろう。
上空から空中機動で後ろに回り、『悠』が振り返る前に着地を待たずに斬撃。着地から間を置かずに鋭角に飛び上がっての切り上げを食らわせ、『悠』の視線が上を向いた時には、空中機動の応用で瞬時に地上に戻り、足を払う。息もつかせぬ連続攻撃で偽物を翻弄する。『悠』は見る間に傷が増えていく。
速さが違いすぎると、たとえ他の要素で互角の力があってもラッシュについていけなくなる。形勢は完全に逆転した。あと一押しだ。
「な、なんちゅースーパーパワーアップ! ヨースケ、スゴイクマ!」
クマも元気を取り戻し、泣きながら諸手を上げて応援する。
(す、凄えんじゃね、俺? マジで悠を超えたんじゃね?)
陽介はもう笑いを嚙み殺すことができなくなっていた。生死の境で力を望んで、ペルソナが応えてくれたのだ。ずっと仰ぎ見ていたリーダーに、運や卑怯技ではなく実力で勝てるだけの力を得た。それも満身創痍になっての辛勝ではなく、一方的に押し切って圧勝できる勢いだ。これでどうして笑わずにいられようか。枯れた老人ではなく、不感無覚の高踏派を気取ってもいない陽介が、気分が良くなることを抑えられようか。
物事が上手くいくと、つい調子に乗って軽挙をするのが陽介が『ガッカリ』と呼ばれる理由の一つなのだが、それは常に将来の失敗を約束しているわけではない。調子に乗ろうが顰め面をしていようが、勝つ時は勝つ。悠を超えようとした密やかな思いは、もはやシャドウの妄念ではない。引き立て役に甘んじる時は過ぎた。
「もうお前にも、足立にだって負けやしねえぜ!」
陽介は仕上げに入った。傍らに立つテセウスは竜巻を起こし、既に疲労困憊状態の『悠』を空中に巻き上げた。それを追って陽介は跳躍する。
「食らいやがれ!」
身動きの取れない敵に向けて、空中機動で加速した陽介は短剣で斬りつける。またも勢い余って通り過ぎるが、すかさず反転して再び斬る。空中で前後左右に飛び回り、『悠』に落下を許さず連続して斬る。相手からは今の陽介は三人か四人くらいに分身しているように見えただろう。もちろん幻ではなく、いずれも実体がある。だから本当に斬られる。
「これで終わりだあ!」
「がはっ……」
最後はテセウスが双剣を交差した構えから、十文字に斬った。剣の速さといいそこに込められた力といい、一切の容赦がない。物語の勇者が悪辣なる魔王に断罪の剣を浴びせるような、完全な殺し技だ。相手が人間であれば確実に死に、シャドウは滅ぶ。『悠』は八つ裂きにされた。
陽介が着地すると同時に、『悠』だったものも落ちてきた。それは水風船が床に落ちて割れるように、河川敷の地面で落ちると同時に弾けた。いや、熱せられたバターのように溶けたと言うべきか。
「のわー! スプラッター!」
形のあるものがないものに変わった。昨年11月5日にあいのシャドウが堂島たちに敗れ、更に本体から再度否定されたことで人の姿を失い、よくいる泥の塊のようなシャドウになったように、形が崩れた。今の『悠』だったものはそれに留まらず、赤黒い煙を発しながらグズグズと泡を噴いて、泥から完全な液体へと変わる。そんな気味の悪い状態から、急に綺麗なものが飛び出してきた。
「ん?」
金色に光る粒のようなものがシュッと高い音を発して宙に舞い、そしてすぐに見えなくなった。それと同時にシャドウの水たまりは赤黒い煙を発し、完全に蒸発して地面から消えた。
「何だ、今の……」
直後、リングのコーナーポストの役割がある赤い柱が、ガラスが割れるような音を立てて壊れた。同時に見えない壁も消えた。P-1クライマックスのルールはグランプリと同じで、勝った方が先に進める。違いと言えば、死ぬまで戦うことか。
「ヨースケ! クマは信じてたクマ!」
ともあれ、勝負は陽介の勝ちだ。勝者には祝福がある。クマは着ぐるみの顔に涙と鼻水を大量に浮かべて、それが霧と混ざってぐちゃぐちゃになったものを押し付けようと駆け寄ってきた。陽介は両手を広げて受け入れようとしたが、寸前でやっぱりよけた。突撃をかわされたクマは、顔から地面に突っ込んだ。
「ぶべっ! ヨースケェ……?」
「いや、それよりも……本物の悠はどこだ? あいつも今頃、俺らの偽物に襲われてるかもしんねえぞ」
恨めしそうなクマをいなして、陽介は話を逸らしにかかった。だが逸らした先の話も重要だ。陽介は奇跡的にもペルソナが大幅に強化されて勝てたが、今日の戦いはこれで終わりではない。むしろ戦前にクマ総統は『予選』と言った以上、本番はこれからのはずだ。
本物の悠がそうそう偽物に負けるとは思わないが、グランプリでは強化前の陽介に負けたのだ。あの時のように勝負の最中に咳でもすれば、誰が相手でも負けかねない。しかもP-1クライマックスはグランプリと違って相手を殺すことが勝利条件の、現実の格闘技の試合ではあり得ない正真正銘のデスマッチであるかもしれないと、陽介は危惧していた。陽介の頭を叩き割ろうとした『悠』の殺気は、それくらい本気のものだった。
「ぬーん! それは大変クマ! センセイを助けてあげないと!」
クマは着ぐるみの鼻を腕で拭い、先ほどは失敗した探査を改めて開始する。鼻をひくつかせながらあちらこちらに顔を巡らせ、『ニオイ』を探る。そもそもの話、クマが言うところの『ニオイ』とは体臭のことではなく、その人が発する存在の気配だ。だから人柄などを知ることで探し出せるのであり、身体的な意味で鼻が塞がっていても本来影響はないのである。ただ気分の問題であるだけで。悠が危機にあるかもしれないならばと、より気合を入れて気配を探る。
(センセイは……とってもいい人クマ!)
まだ生徒会長と名乗っていた時のラビリスに語った、悠についての人物評を心の中で繰り返す。本人がそれを聞けば認めないかもしれないが、その人の本質は自己評価と一致しているとは限らない。だからであろうか、クマは感知に成功した。
「およよ! こりゃホンモノのセンセイのニオイですたい! 場所は……やっぱりジュネスに向かってるクマ!」
「よっしゃ、やっぱ考えることは一緒か!」
クマが感知した通り、本物の悠はジュネスのフードコートを目指していた。異界化した町は地面に血溜まりめいた赤いものが浮かんだり、遠くの景色が歪んで見えたりと、空気の色以外にも不気味な要素がいくつもあった。走っているだけで気分が悪くなりそうな町をやっと通り抜け、ジュネスの駐車場まで辿り着いた。その間、小粒なシャドウの襲撃はなかった。
シャドウワーカー稲羽支部が霧の日の作戦でよく集合場所として使っていたそこで、悠は地域随一の商業施設の様子を伺った。外壁には緑色のペンキのような見た目の汚れがいくつかできているが、テレビの中のダンジョンのようにシャドウがいる気配はなかった。ここに来るまでの道路と同様に、見た目こそ不吉だが実際の危険はあまり感じられなかった。
(ここで待っていればいいか?)
ジュネスまで来たのはいいが、店は当然閉まっているので屋上のフードコートには行けない。しかし他の皆も建物に入れないはずだから、このまま駐車場でしばらく待つべきだと考えた。しかしエントランスの前に一人の人影がいるのに気付いた。
「陽介!」
声をかけたが、人影は正面の扉を手で開けて建物の中に入っていった。呼びかけは聞こえなかったのかと思った。また陽介は店長の息子であるので、たとえ停電していても扉を開けられるよう鍵を持っているのかとも思った。ともあれ、悠は先客を追ってジュネスに入った。昨年は一度もなかった時間帯の訪問だ。
エレベーターはさすがに動いていなかったので、悠は階段を上って屋上に来た。見慣れたフードコートのはずだが、装いは普段と大分違っていた。例えばマヨナカテレビにも出ていた『P-1』のロゴが書かれた看板が、さりげなく掲げられていたり。他にも屋根付きのガーデンテーブルがネットで覆われ、子供が遊ぶ為のパンダの乗り物が中に大量に押し込まれていたりした。
人は夢の中で、よく見知った場所が変にデフォルメされた光景を見てしまうことは往々にしてある。悠は知らないが、二年前まであった影時間では道路に血だまりらしきものが浮かぶことはあっても、物の配置が変わったり、ないはずのものが現れたりすることはなかった。つまり今夜のこの状況は、影時間と似てはいるものの細部は違っている。
悠は嫌な気分を感じつつもそれを抑え、フードコートを見回した。すると目的の人物をフェンス際で発見した。
「陽介」
「おう相棒、待ってたぜ」
「お前一人か? クマはどうした」
「んなモンどうでもいいだろ。それより見ろよ」
悠は相手のセリフに違和感を覚えた。陽介とクマはよく言い合いをするが、この言い方はない。これはグランプリでやられた会話の上書きを再びされているのかと、心の中で警戒度を上げる。今夜のクマ総統はラビリスではないはずだが、あの『機械の乙女』もP-1クライマックスに出場しているならできるはずだ。
不審な『相棒』は悠と視線を合わせながら、親指で後ろを指し示している。悠は目を離した途端に襲われる可能性も考慮し、視界の端から相手の姿を外さないよう、示された先に視線をゆっくりと送る。すると赤く霞んだ空の向こうに、巨大な月とそれにかかる細長い影があった。非常に背の高い建造物のようだが、もちろん本来の八十稲羽にそんなものはない。
「何だあれは……」
その時、風が吹いて細長い影がよりはっきり見えるようになった。全体としては塔のような建物だが、大都市にある電波塔のように真っ直ぐで無駄のないデザインはしていない。あちこちが節くれ立っていると言うか、異なる様式の建物を無理やり積み重ねたような、極めて歪な形をしているのが遠目にも分かった。現実にはとてもありそうになく、異世界ファンタジーのゲームや映画に登場しそうな代物だった。
「まさか小西たちは……」
悠は閃いた。クマ総統が言う特設ステージの映像は、バルコニーらしき場所で撮影されたもののようだった。
「ルールは理解したか? お前らの目的地はあそこってわけだ」
ここで悠は視線を相手に戻した。『お前らの』目的であって自分は違うかのような物言いから、今の陽介の言葉は上書きされているにせよ正気でないにせよ、本来のものではないと確信した。ならば戦わねばならない。鋭く見据えてやると、『陽介』はにやりと笑った。悪意に満ちた笑みである。
「メサイア」
一声呼んで、救世主のペルソナを召喚した。刃を両手で握る形で十握剣を持っている。人間がやったら危険な持ち方だが、ペルソナの手は切れていない。なぜなら創造神の佩剣の名で呼ぶこの剣は、このペルソナが『生み出した』ものである。剣自体がメサイアの一部と言っても過言ではない。創造神かつ救世主の武器を悠は自分の手で取った。
「ジライヤ」
対する『陽介』も忍者のペルソナを召喚した。グランプリ二回戦で敗れた相手である。油断してはならないと思ったところで──
「テセウス!」
正面で対峙している相手と同じ声が、後ろからやってきた。
「!?」
そして長い金髪をたなびかせたペルソナが猛烈なスピードで飛翔し、両手に一本ずつ持った剣を鋭く振るう。ジライヤは手の甲に装着した手裏剣で受け、剣戟の火花が薄暗いフードコートに飛び散った。しかし拮抗は一瞬で終わり、忍者は二刀流の剣士に押されて吹き飛んだ。そしてもう一人の陽介がフードコートにやって来た。
「陽介……なのか?」
悠は戸惑った。自分に加勢したくらいだから後から来た方が本物の陽介で、先にいたのは陽介のシャドウなのか。しかしそうだとしたら後の方がペルソナを使えて、しかも以前と違う理由が分からなかった。グランプリで竜巻を食らわされたジライヤではないし、昨年11月に絆創膏と引き換えに得たというスサノオでもない、悠が知らないペルソナだ。そして強い。
「ああ、俺が本物だ! こいつは俺のシャドウでもねえ、ただの偽物だ!」
後から来た陽介は短剣を構え、悠を庇うように前に出た。未知のペルソナは依然として顕現しており、先にいた方を上から見下ろして威圧する。情報系の力を持たない悠でも、背中に寒気を感じるほどだ。
(これ、足立さん並じゃないのか?)
「センセーイ! 助けに来たクマよー!」
「クマ!」
陽介の同居人も異界のフードコートにやって来た。まだ分からないことはあるが、状況がここまで来た以上は後から来た方が本物の陽介なのだと、悠は自分を納得させることにした。改めて先にいた方を見てみれば、その目は金色に光っていた。
「ちい……一人に大勢でよってたかって、てめえら卑怯だぞ!」
金の『陽介』一人に対して、悠たちは三人である。同時にかかれば、あっという間に袋叩きにできるだろう。数の力は絶大だ。
「偽物がスポーツマンシップとかぬかしてんじゃねえよ!」
「けっ! だが忘れてねえか? P-1にはルールがあるってことをよ!」
『陽介』が手を上へ掲げるや、空から赤い柱が降ってきた。鮫川の河原と同じリングのコーナーポストである。悠が見るのは初めてのそれは、『陽介』を中心とした四人の周囲の床に突き刺さった。そして帯電したロープのような光を一瞬放って互いを繋ぎ、見えない壁を展開させた。
「何だ……リング?」
「そう、P-1は基本、全部タイマン勝負だ。二人以上で来たらルール違反だから、勝っても壁は消えねえぜ!」
『陽介』は顎を持ち上げ、勝ち誇ったように言う。グランプリ一回戦で完二と直斗は両者失格扱いになり、二人とも見えない壁から出られなくなった。ルール違反をすれば、それと同じ状態になる。
『そういうことクマー! クマは熱いファイトを見たいんだクマ! 卑怯なことしとらんと、男らしく正々堂々戦いんしゃい!』
コーナーポストに備え付けのテレビからクマ総統の煽りが飛んできた。それに陽介が噛みつく。
「何が正々堂々だ! てめえ、絶対何か企んでやがんだろ!」
『ごちゃごちゃ言ってんじゃないクマ! 悠長にしとると、時間切れで世界滅亡クマよ!』
「世界……?」
クマ総統の言葉に反応したのはクマだ。着ぐるみの目を大きく広げ、意味を頭の中で咀嚼する。それは土手で考えたことの答えになる気がした。正確に言うと、答えを導く鍵になる気がした。
「クソッ……悠、こいつらの言うことなんざ信用できるわけねえが、二人以上でやって本当に壁が消えなかったら意味がねえ。俺がやるから、クマと一緒に下がっててくれ」
一方で陽介はクマ総統のさりげない言葉には反応せず、より現実的な問題である『陽介』と壁への対処に名乗り出た。この『陽介』は今の自分と違ってペルソナがジライヤのままなので、普通に戦えば確実に勝てる自信があった。出会い頭にペルソナを衝突させた結果からも、それは明らかだった。
しかし陽介が分かっていることは、『陽介』にも分かっている。
「いいや、お前は駄目だ。悠! てめえが来な!」
「ああ!? 何言ってやがる! ルールはタイマンってだけだろうが!」
『オッケー! そんじゃあセンセイ、出番クマー! せっかくのご指名なんだから、感謝して受けるクマよ!』
所詮は敵の作ったルールなのだから、恣意的な運用はむしろあって当然だ。本物たちと偽物たちの二つの陣営のうち、主催者は偽物の肩を持つ。出場者のルール違反と違って、主催者の贔屓に対するペナルティはない。
「てめえら、ふざけんな!」
「いや、いいんだ陽介。俺が出る」
悠が前に出て、陽介の肩に手を置いた。
「お前、体は……」
悠は風邪を引いたように体調がずっと良くないことは、堂島を始め、千枝も雪子も結実も気付いていた。もちろん陽介も気付いている。また戦いながら咳でもしたら負けることもあり得ると、心配しているのだが──
「大丈夫だ」
陽介の気遣いに対して、悠は目を合わせて頷いた。グランプリで陽介と戦った時は万全ではなかった。今は当時と比べて体調面が良くなったわけではなく、むしろ悪化しているような気さえする。しかし良くなった点も二つほどある。一つは今夜はこれが初戦で、エリザベスに遭遇もしていないので疲労がないことだ。
「……分かったぜ」
「むうう! センセイ、ガンバ!」
陽介は短剣を懐に戻して身を引き、クマと共に後方に下がった。ガラス窓のようなリングの壁があるはずのところまで来たが、二人の体はそのまま壁をすり抜けた。戦う二人以外は出る時に干渉を受けない。
「んじゃ始めっか、相棒! じっくり時間かけてよ!」
「いいや、すぐに終わらせる」
かくしてP-1クライマックス予選第二試合の開始である。組み合わせは本物か偽物かが逆転しただけで、第一試合と同じである。しかし──
「行くぜ!」
第一試合と比べて、両者が使うペルソナに違いがある。この『陽介』はグランプリ時点の陽介が元なので、ジライヤを使う。そして今夜の悠はグランプリの時とは違って、救世主のペルソナを主力として使うことができる。
素早く間合いを詰めてきた『陽介』の先制の短剣を、悠は長剣で受けた。それと同時に召喚する。
「メサイア」
巨大な雷が至近距離で迸った。実力で勝る側が確実に勝つには、出し惜しみせず、最も有効な攻撃を最初の一手で食らわせるのが最善である。見切りの技を持たない『陽介』は、秘術で弱点をいきなり突かれてしまった。
「あぎゃっ!」
距離が近すぎたので雷を使った側も多少は余波を受けたが、魔法全般に強いメサイアには大して効いていない。そして悠自身は最強の一角を占めるペルソナに魔法を撃たせて平然としている。これがグランプリの時と比べて改善した点の二つ目、メサイアが頭痛の種にならなくなったことだ。
「これで終わりだ」
悠は長剣を右手一本で持って後ろに引き、左手を前に伸ばして掌を刀身に沿えた。そして腰を落として右足に力を溜める。片手突きの構えだ。弱点を突かれて動きの止まった『陽介』に向けて、体ごと突進しながら剣を突き出した。
「ぐへっ……」
紫電を帯びた剣の一閃で、偽物の相棒はとどめを刺された。かくして勝負はあっけなく終わった。崩れ行く『陽介』から金色の光の粒が多数こぼれて、またも異界の空へと舞い上がっていった。
(有里さん……俺は貴方に少しは近づけたでしょうか)
悠は剣を脇に下げ、左手を眉間に当てた。グランプリのリターンマッチである二戦目で、素手のケンカも含めれば四戦目で悠はようやく陽介に勝てた。しかし当然ながら、それで満足してはいけない。今夜は行き着く果てまで行かねばならないのだ。最強のペルソナ使いであるワイルドの先輩を思いながら、自分の顔にある傷に触れた。
そうしているうちに、四本の赤い柱が割れて壁が消えた。
「瞬殺かよ……」
陽介は腕を組んで複雑そうな顔を見せた。勝ってくれると信じてはいたが、一ラウンドもかけずにひと捻りとは、さすがに予想外だった。
「お前が見ているのに、カッコ悪くやられるわけにはいかないさ」
「お前、そういうのは女の子に言えって……」
「センセイ! センセイはやっぱりスゴイクマ! もうクマ、痺れちゃう!」
「お、おう……」
複雑な陽介と違って、クマは単純明快である。着ぐるみの顔に満面の笑みを浮かべて、飛び跳ねながら悠に抱き着いてきた。涙や鼻水は垂らしていなかったので、悠は『弟子』のハグをかわさずに受け入れた。
(俺、悠を超えたっつーか……まあ、やっと追いついたってトコか)
陽介はつい先ほど『悠』を倒し、本物の悠も超えたと思ったものだが、今になって自信がなくなってきた。しかし別に悠に弱くなってほしいわけではないので、陽介は評価のスピード更改を受け入れた。昨年の間は水をあけられてばかりだった相棒とようやく対等になれたと思えば、それはそれで悪くない。
「しかしこいつ、何だったんだ? 溶けてしまったが……」
「ああ、クマ総統の差し金さ。シャドウをこねて作ったんだとよ」
陽介は鮫川の河川敷でクマ総統から聞いた話を説明した。悠の双子のように瓜二つな偽物と戦い、倒したことも。
「わざわざ同じ顔に作っておいて、こないだみたいに嫌味を言うでもなく、自分から偽物だと明かすのか……」
「何企んでやがんだかな……」
敵が本気で正々堂々戦うつもりでいるなどとは、悠も陽介も思わない。何か裏があり、一対一で戦うことで向こうに何かメリットがあるのだと推測する。しかし具体的にそれが何なのかは分からない。今の時点では情報が少なすぎる。
「うーん……お、おい! あれ何だ!」
考えながらふと視線を遠くに向けた陽介は、驚きの声を上げた。悠が振り返ると、戦前に『陽介』が示した奇怪な塔が、再び霧の切れ目から姿を現したところだった。
「な、何ぞね? おっきな積み木細工クマ?」
「タルタロス……だと思う」
「何だそれ?」
「ヨースケ、タルタル知らないクマ? エビフライにかけると美味しいクマよ!」
「そりゃタルタルソースだろうが!」
本物のクマは奇しくもクマ総統と同じシャレを言った。発想が同レベルと言うべきか、クマ総統の言動トレースが正確と言うべきか。総統が聞いたら大笑いするか、それとも真似するなと怒るか。予測が難しいところだ。
「そうじゃなくて……」
ふざけるクマとツッコむ陽介に、悠が説明した。と言っても、大したことは悠も知らない。今夜のマヨナカテレビのテレビ会議で、クマ総統が自分はそこにいると言っていた場所であるというだけだ。なお、正確にはクマ総統はタルタロスではなく『
「あんな不気味な塔だと言ってたわけじゃないが……あれのような気がするな」
「ま、あんなあからさまに怪しい代物だもんな。何かあって当然か。ってことは、尚紀たちもあそこにいんのか?」
「多分な。それと今のこの町の状況だが……有里さんたちが昔戦っていた、影時間っていうのになっているんじゃないかと思う」
続けて悠は、自宅で菜々子が棺桶の姿になっていたことと、それを象徴化と呼ぶのだと有里から聞いたことも説明した。
「何と! ヨースケのパパさんママさんだけじゃなくて、ナナチャンまで棺桶に! 何てカワイソーな……ニセクマめ、許せんぬ!」
「つまり、シャドウワーカー絡みか……。直斗も言ってたし、やっぱ犯人はあの人らに関係してるのかな」
「そうなんだろうな」
そもそもこのゴールデンウィークの一連の事件の発端であるラビリスにしてからが、シャドウワーカーと桐条グループの関係者なのだ。この事件の背景は彼らに関係していることは、まず間違いないだろう。つまり事の原因は有里たちの側にあり、悠や陽介は巻き込まれた側だ。よって責任を取るべきなのは有里たちで、解決の為に動くべきなのも彼らである。それが道理だが──
「なあ……あの場所ってよ、八高のある辺りだよな」
「そうみたいだな」
人はものの道理だけを基準に行動するわけではない。自分に責任のないことでも、責任のある者から止められても、首を突っ込むことはある。特に若者はそうだ。損得勘定や合理性などまるで考えもせず、考えたとしても敢えてそこから離れ、大人を悩ませるのは若者の権利とさえ言える。
「行くか?」
「当ったり前だろ!」
だから陽介がこう言うのは当然だ。悠も頷く。
「よし……行こうか相棒」
通学路でポリバケツをかぶってしまった陽介を救出してから、一年と一ヶ月ほどが過ぎた。その間にコミュニティを築いて、極めて、壊して、そしてまた改めて友情を感じた今になって、初めて悠の側から陽介を相棒と呼んだ。
「おう! 頼むぜ相棒!」
「センセイ、ヨースケ! クマを忘れんよーに!」
「忘れるわけねえだろ! へへ、特捜隊結成メンバーだな!」
かくして三人で『タルタロス』に向かうことになった。他の仲間たちについては、あんな目立つものがある以上、皆もあれを目指すことが予想できた。クマの鼻が多少なりとも効くなら、りせなら通信できるはずである。もっともりせは仕事で稲羽を離れているので、この異変に気付かず来ない可能性もあるが、それでもシャドウワーカー本部の情報担当は来ているはずだから、そのうち連絡は取り合えるはずだった。
「そう言えば陽介。ペルソナが変わっていたが、あれは何だ?」
「ああ、何かカッコ良くなっちまってさ!」
ジュネスを出ながら、陽介は新しくなった自分のペルソナについて説明した。もっともギリシャ神話には詳しくないので、テセウスという名前にどういう由来があるのかは伝えることができなかった。
オリジナル技を出しました。
極・電撃見切り:電撃属性の攻撃を99%回避
超・青春の風:(Uの強力過ぎる)マハスクカジャ+メディアラハン