ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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よく衆を惑わす(2012/5/6)

 5日の昼間に開催された特捜会議に、りせは出席しなかった。昨年に休業したアイドルに本格復帰する為の準備が進められており、それに向けての写真撮影や、今後の段取りの説明を社長からマネージャーの井上と共に聞く為だった。もちろん不本意だったが、プロとして仕事を投げ出すわけにいかなかったのだ。

 

 しかし帰りの車中で、6日は一日休暇を貰えることになったので、ならばと5日のその後の時間は沖奈のスタジオで新曲の練習をすることにした。それを終えて、実家のある八十稲羽へ向かう終電で異変に襲われた。

 

 夜空に浮かぶ巨大な月、町を覆う赤い霧、停止する機械、そして数は少ないが車内に突然現れた赤い棺桶を、りせは見た。何より驚かされたのは、外でありながらテレビの中と同じものを感じたことだ。情報系ペルソナの感覚に届けられてくるものがあった。大勢の仲間がいる故郷の町で、何かが起きていることは明らかだった。幸い電車の非常用レバーは動いたので、りせは線路に降りて徒歩で町へ向かった。

 

 

 止まった電車から出て八十稲羽の駅まで歩き、そのまま更に歩き続けて、やがて鮫川の河川敷に辿り着いた。そうしている間に、確信を得られたことがあった。

 

「やっぱりテレビの中と同じ……それなら、ヒミコ!」

 

 現実ではできないはずのペルソナ召喚に成功し、パラボラアンテナめいた仮面をかぶった女のペルソナを呼び出せた。なお、りせは自分のペルソナがカンゼオンから当初のヒミコに戻ってしまっていることに、3日の事件の時から気付いていた。しかしその理由までは分からないし、今はそれを気にしている場合ではない。まずは仲間たちと連絡を取るべく、居場所を探る。

 

 情報系ペルソナの感覚は空間を超え、町全体に広がる。遠くにあるものでも、手で触れているように感じる。しかし目で見るように捉えることはできない──

 

(うーん……この変な霧のせい?)

 

 仲間らしき反応もあるのだが微かにしか感じられず、詳しい様子は分からない。またこちらから声をかけることはできそうにない。

 

「やっぱり私、全然駄目だ……」

 

 りせはペルソナを消し、肩を落とした。P-1グランプリでは足手まといになったことを、ここ数日ずっと気にしていた。おかげで貰った新曲を練習した時も、ステップに気を取られて音程を外したり、逆に歌に集中しようとしてターンで失敗したりと、中途半端な自分を何度も情けなく思った。

 

 あの日はジュネスで夕飯の買い物をしていたはずが、気付いた時にはテレビの中の放送室にいて、クマ総統に見張られた状態だった。仲間たちが同士討ちを強いられていたのに何もできず、やっと連絡が取れた時には大会は佳境まで進んでいて、陽介以外の仲間は全滅していた。

 

 放送室に現れた『早紀』を偽物だと見抜くことはできたが、役に立ったのはそれくらいだ。テレビの外から中へ支援できる風花や、敵の策の要だった見えない壁を破壊できる尚紀とは違った。

 

(山岸さんや小西君なら……この霧の中でもみんなを支援できるんだろうな)

 

 人は他人がいて初めて自分を認識できる。ペルソナ使いの中でも同種の力を持つ者の存在は、りせの自分がいる意味を問う気持ちを刺激する。思えば昨年から、自分より能力的に幅の広い尚紀に対して思うところがあった。それに加えてシャドウワーカー本部の情報担当が現れて、より悩ましくなった。

 

 昨年は『本当の自分』に悩んで仕事を休んで、戻った生まれ故郷で色々あって復帰を決めたものの、再び悩んでしまいそうだった。好きだった人に語りかけることもできない、自分がいる意味とは何であろうか?

 

 そんな懊悩状態のところへ、強大な反応が降って湧いた。文字通り、上から降ってきた。

 

「呼ばれて飛び出てエリザベ~ス」

 

 上空から軽やかに、まるで体に重さがないように、即ち質量のない幻のような存在であるかのように、青い服を着た『女』が異界化した八十稲羽に音もなく降り立った。唐突に、脈絡なく。

 

「だ、誰!? 何で上から!?」

 

「これは素っ頓狂な登場、大変失礼いたしました」

 

 誰も呼んでいないはずであるのに、呼ばれたように推参してきた女、グランプリでは主催者にも迷惑がられたエレベーターガールが現れた。

 

「貴女は確かP-1グランプリ実況の……みんなのりせちー様でいらっしゃいましたか。鳴上様の恋愛の担い手でもあられましたね」

 

「え? あ、あれは私じゃないわよ! って言うか、先輩の恋愛……?」

 

 グランプリで出場者同士を煽っていた実況が、ここにいるりせと同一人物であるのかどうか、普通のペルソナ使いでは判別がつかないこともあるだろう。しかしこのエレベーターガールに分からないはずがない。それでいながら、とぼけたことを言う。

 

 しかしりせとしては、それより気になる言葉がある。『恋愛』とはアルカナの一つだが、それになぞらえられる魔術の絆の存在を知らなければ、誤解を招く言い方である。千枝も雪子も直斗もそうだが、りせは悠の恋人でいたことはない。報われない片思いだったのだ。それが『恋愛の担い手』とはどういう意味なのか、気になるを通り越して気に障る。

 

「ふふ……お気になさらずに。貴女と彼の絆は、既に壊れていらっしゃいます。ペルソナの退化が、それを裏付けておりますでしょう?」

 

 絆が壊れる──

 

 事実であるのだが、りせにはそうは受け取れない。気に障るを更に通り越して気が立つ。芸能人として、知り合いでもない相手から様々な感情を向けられてきたので、いわゆる煽り耐性、即ち自分の感情をコントロールする術も学んでいる。それでもなお、抑えがたいものをどうしても感じる。

 

「貴女……誰なの? そんなこと、どうして分かるの?」

 

「申し遅れました。私は力を管理する者……おっと失礼。私はもう、そう名乗る資格はございませんでした。私はエリザベス。名前以外に己を定める言葉を持たぬ、永劫のモラトリアムにある者でございます」

 

「い、意味分かんないけど……」

 

 りせは4月から二年生に進級して倫理の授業も受けているので、『モラトリアム』という言葉の意味くらい知っているが、それでもやはり意味が分からない自己紹介だった。だが当然だ。分かるのは有里くらいで、悠でも難しいだろう。

 

「ふふふ……それこそお気になさらずに。私のことは、契約した方以外は誰も覚えておれませんから。そんなことより、りせちー様はこんな所でごゆるりとされてよろしいのですか? 放っておけば、貴方がたにとって喜ばしくない事態になるかと存じますが」

 

 言いながらエリザベスは周囲に視線を巡らせる。ここはつい先ほど、『悠』と陽介が戦った場所と近い。景色は奇怪さを売りにする現代彫刻めいた有様である。これを放置しておけば、元に戻らないどころかより酷くなる。

 

「まあ絆が壊れるとは、愛が無関心に変わるようなもの……。あんなクソヤローなお方などどうでもいいと仰るなら、それも結構でございますが」

 

 エリザベスの話は常人には理解しがたい。その表向きの原因は表現が独特すぎるからで、根本的な原因は物事に対する視点が人間と違うことだ。だが今は誰のことを言ったのか、それはりせにも理解できた。

 

「それ……鳴上先輩のこと!?」

 

 好きな人を悪く言われるのは、同じことを自分が言われるよりも腹立たしく思うことがある。恋愛のコミュニティが失われているのは事実であるし、りせの心理にその影響は出ているはずだ。それでも怒りを覚えた。

 

 もしテレビの中のようなこの霧の中で、りせのシャドウが再び現れて今のようなことを言ったとしたら、りせはどういう反応を示しただろうか? やはり『貴女なんか私じゃない』と否定しただろう。ましてエリザベスはりせのシャドウではないので、なおさら認められない。

 

「ではどうなさいますか? 今のりせちー様では、シャドウに会っても力一杯ぶっ飛ばすことすら叶いません」

 

 エリザベスは更に煽る。グランプリの実況とは悪意がない点が違うが、やはり相手を挑発する。

 

(私……やっぱり!)

 

 りせにとって悠は優しい先輩だった。決して自分だけに優しいわけではなく、誰にでもそうだった。特別な関係にはなれず、他の仲間たちと比べて抜きんでたもののない、言わば『ありふれた関係』で昨年は終わった。しかし昨年はそうでも、今年もそうとは限らない。人間関係は年により日により変わり得る。そしてペルソナ能力も時により変わり得る。

 

 りせは今、『ぶっ飛ばす力』が欲しかった。チームにとって皆をサポートする情報系ペルソナ使いの力は絶対に必要なので、りせは直接戦う力がないことに悩んだことはなかった。しかし今はそれが欲しかった。陽介が悠にも足立にも勝る力を求めたように。すると──

 

「えっ……!」

 

 突然、りせの前に再びヒミコが現れた。呼んだつもりはなく、ペルソナの方から勝手に現れたのだ。そして音を立てて顔が変わった。いや、仮面の形が変わった。顔を覆うパラボラアンテナの反射鏡が分割され、奥にある顔の輪郭が露わになった。最後は今までなかった、または仮面に隠れていた長い髪が露わになった。

 

「嘘……これは!」

 

 再びカンゼオンに進化したわけではなく、陽介がテセウスを得たように別のペルソナに変容したわけでもない。悠から与えられたヒミコのままだ。しかし言わば『形態変化』により、できることは増えた。

 

「私だって、戦える!」

 

 今やヒミコはぶっ飛ばすだけではなく、ぶった切ることもぶっ刺すこともできる。かなり物騒な力を得た。自分のことなので、自分でそれを感じた。

 

「ふふっ……そうですか。サポート役という枠に自らを閉じ込めはしないと! 引いては数ある絆の担い手の一人に甘んじはしないと! それがりせちー様の答えなのですね」

 

 りせの新たな能力の獲得に、エリザベスは笑みを見せた。力が芽生えるのを見るのは、エリザベスにとって楽しみの一つである。都会のクラブや神社の祝祭に行くのも良いが、本来の仕事に関することにこそ興味を惹かれる。職務放棄中であっても仕事そのものが嫌いになったわけではないのだ。休業中のりせが、歌や踊りそのものを嫌いになったわけではなかったように。

 

「よろしいでしょう。愛しい方を侮辱したお詫びに、一つ手ほどきをして差し上げましょう」

 

 エリザベスは手に持ったペルソナ全書を開いた。そこには有里夫妻が使用できる全てのペルソナが網羅されているが、グランプリで悠と戦った時と同じものが召喚された。

 

「ドロー、ルシファー」

 

 六枚の翼を生やした、審判のアルカナに属するペルソナが異界の八十稲羽に顕現した。両手を広げ、遥かな高みから見下ろす。サイズも存在感も、そして実力も人間のペルソナ使いとはまるで違う。りせと比べたら豆鉄砲と戦略兵器だ。

 

「さあ、遠慮はいりません。存分に打ち込んでくださいませ! 魔王のように広い心で受け止めて差し上げます!」

 

「よ、よーし! やってやるんだから!」

 

 りせは腹を括った。正直に言えば、とんでもない女に捕まってしまったとの思いがある。情報系の能力を失ったわけではないので、自分とエリザベスの力の差も分かるのだ。しかし逃げ道はない。魔王の心が広いはずがないが、当たって砕けると覚悟を決めた。

 

 なお、当然ながら今のりせは丸腰だ。剣や銃は元から持っていないし、千枝のように武道や格闘技を習ってはいないので、自分の手足で戦うこともできない。もし身長と同じくらいの長さの棒があったら使えそうな気がしているが、都合よく河川敷に落ちてはいなかったので、武器なしで戦うしかない。

 

「えーい!」

 

 ペルソナが手をかざすと、薄い円盤状の物体、と言うかディスクが現れて回転しながら飛翔した。炎や氷の類ではない、物理的な攻撃だ。魔王のペルソナはエリザベスの前に立ちはだかり、翼と両手を広げた体勢のまま受け止める。

 

「ふむ。お次をどうぞ」

 

 円盤は鋼鉄の腹を引き裂くことなく霧消した。豆鉄砲はエリザベスに効いていない。

 

「ヒミコ、お願い!」

 

 今度は上空に向けてレーザーめいた光の矢をいくつも放った。どこを狙っているのか分からないような攻撃だが、数秒すると矢は戻ってきた。放物線を描いたわけではなく、フェイントを入れて不意を突く技だ。矢は魔王の顔に繰り返し命中した。

 

「はい次」

 

 矢は鉄仮面を貫くことはできなかった。水鉄砲も効かない。

 

「やっ!」

 

 りせ自身とヒミコがタイミングを合わせて足を踏み鳴らすと、大きな音がした。ただのこけおどしではなく、れっきとした攻撃である。堂島や千枝も使う不可視の衝撃波を放つ技だ。しかし本職の戦闘型ペルソナ使いであるあの二人が放つものよりも、ずっと控えめだ。

 

 尚紀のイナバノシロウサギが属性魔法を使うのとは対照的に、ヒミコの戦闘能力は物理的な技が中心だ。斬る技、突く技、殴る技のいずれもあり、バリエーションは豊かだ。しかし威力は低い。早紀のシャドウと融合していない状態の、尚紀の生来のペルソナと同レベルである。

 

「次の方どうぞー!」

 

 紙鉄砲は何の効果もなかった。エリザベスは余裕を通り越して、明後日の方向へ声をかけている。しかし異界の河川敷には、手ほどきをする二人以外に誰もいない。有象無象のシャドウさえいない。

 

「ちょっと、これオーディションじゃないんだから! 次の人なんていないから!」

 

 ここでりせ自身の平手が飛んだ。エリザベスが余裕をかましている間に、絶対の壁である魔王のペルソナの脇を通り抜け、本体に接近したのだ。パチンといい音がした。

 

「ほほう……これはこれは。鞭打(べんだ)でございますか。敢えて敵の急所ではなく皮膚を狙い、倒すのではなく苦痛を与えることを目的とした残虐な技。特にダメオと呼ばれる殿方を分からせるのに有効。筋肉を必要としない故に、婦人の使い手が多いと聞いておりますが、その通りでございますね。まさにりせちー様に相応しい……」

 

 ものは言いようである。

 

「一瞬の隙を突いた攻撃、お見事でございます。では次のレッスンに参りましょう」

 

 エリザベスは百科事典を振りかざした。右手で本を大きく掲げ、左手を前に突き出し、腰を捻って膝を折る。これから攻撃しますよと言わんばかりの、大きすぎてわざとらしい構えだ。ちなみに魔王のペルソナは姿を消している。

 

「てい」

 

 気の抜けた掛け声と共にエリザベスは全書を振り回して、表紙でりせを引っぱたこうとした。

 

「きゃっ!」

 

 アイドルはエレベーターガールの打撃をかわした。その実は、エリザベスがわざと外した──

 

「まだまだですわよ!」

 

 エリザベスは止まらない。振り下ろした百科事典めいた本を、今度は振り上げて背表紙で叩こうとした。ただし予備動作が非常に大きく、動きそのものも遅い。グランプリに乱入して悠と戦った時とは比べるべくもない。直接戦うのはこれが初めてのりせでも、何とかかわせるくらいに。

 

「隙ありと見れば、畳みかけるのみ! 慈悲なく、容赦なく、躊躇なく!」

 

 クラブでステップを踏むように、ライブステージ上でターンを決めるように、エリザベスは華麗に踊る。爪先立ちになって一回転し、流し目と共に薙ぎ払う。屈んだと思ったら一瞬の間を置き、優雅に両手を広げながら、本も広げて中のページで引っぱたく。格闘技としてはまるで駄目だが、ダンスとしては一流の技だ。

 

「戦いは綺麗事ではありません。恋も同じではありませんか?」

 

 エリザベスは百科事典を大上段に振りかざし、本の角で打ってきた。当たれば結構痛そうだが、りせはそれもかわした。

 

「欲しいものがあったら、ネコミミを襲ってでも奪い取るのです!」

 

「ね、猫耳?」

 

「はて? 猫草? 猫じゃらし? 猫可愛がり? まあ、そういうものでございます」

 

 ベルベットルームの住人は多くがそうだが、人と話をするようでいて、実のところは話をしない。自分の目的や価値観が全てで、まるで自分自身に言い聞かせるように言いたいことだけを一方的に言う。だから誤認や言い間違いがあっても、自分だけで完結する。

 

「えっと……寝込みを襲ってでもってこと?」

 

 そんな一人で演じる種類の芸人に、珍しいツッコミが入った。

 

「はい、ルシファー!」

 

 その返礼は怒りの鉄槌である。百科事典の舞は唐突に終わり、魔王のペルソナが再度召喚されて電撃を放った。静から動へ、遊びから本気へ、突然の変貌だ。

 

「わっ! ヒミコ!」

 

 りせもペルソナを召喚した。よく衆を惑わすと史書に書かれた古代の神権政治の女王は、襲い来る電撃に向けて両手をかざした。するとハニカム構造の障壁が手の前に現れた。それは一見すると普通の民家や車の窓ガラスよりも薄いもので、殴られたらあっという間に壊れそうだった。まして悠を叩きのめしたエリザベスの魔法を、受けられるはずがないと思えたが──

 

「人の可能性、確かに見させていただきました」

 

 力を管理していた者の恐るべき一撃は途切れた。エリザベスが止めたのか、りせが防ぎきったのか。それは判然としないが、とにかくエリザベスはペルソナ全書を小脇に挟み、構えを解いた。勝負の決着はついていないが、手ほどきはひと段落したようだった。

 

「さて、今日はこれまでに致しましょうか。あの方のお仲間が近づいてきたご様子ですし」

 

 エリザベスは首を巡らせ、遠くを見る目をした。

 

「え?」

 

 りせもエリザベスの視線を追ってその方角を見てみたが、赤い霧の向こうにはまだ何も見えない。

 

「因果なものですね。ペルソナ使いの女性たちは、誰もがクソヤローを愛してしまう……」

 

「まだ言うの」

 

 再び悠を悪く言われたと思ったりせは、眉根を寄せた。命拾いした手ほどきを終えたばかりだが、何ならもう一度勝負してやろうかと、かなりの割合で本気で覚悟する。

 

 しかしエリザベスは視線をりせに戻すと、柔らかく微笑んだ。それは芸能人のりせから見ても、驚かざるを得ない領域のものだった。美の概念がそのまま形になったような非現実さを持ちながら、俗人を近寄らせない傲慢さがない、親しみさえ感じさせる微笑だった。

 

「いえいえ、つい昔を思い出してしまいまして、少々自分を省みただけです。実は私も人のことは言えませんで、とあるブラックなお方に関して、すっかりこじらせてしまっているのです」

 

「ブ、ブラック?」

 

 エリザベスが誰のことを言っているのか、りせにはまだ分からない。悠と違って、ワイルドの先輩とはあまり縁がないから。

 

「今お越しになられた方も、きっとそうなのです」

 

「あ……誰か来る! この音……ヘリ?」

 

 ここまで来て、りせの情報系ペルソナ使いとしての感覚が仕事をし始めた。赤い霧の奥の上空を飛行しているものがいる。空飛ぶシャドウの類ではなく、人間の文明の力である。

 

「では、これにて失礼させていただきます。これから始まる絆と孤独……或いは種類の異なる孤独同士の戦い、私も興味がございます」

 

「孤独……? もしかして、事件の犯人のこと?」

 

「ふふ……すぐにお分かりになるでしょう。りせちー様もご参加されるなら、興味深く見守らせていただきますわ」

 

 エリザベスは笑みを深めた。部活の後輩が必死で努力する様を微笑ましく思って、試合は必ず見に行くと約束するような笑顔である。しかしそんな笑顔に、一抹の寂しさがふと混じった。

 

「ただ、りせちー様は私のことは覚えておれませんでしょうから、あの方によろしく……とも頼めないのが残念ですわ」

 

 職務放棄中のエレベーターガールは手袋をはめた手を中空に巡らせた。青い指先は光の軌跡を残し、円形の複雑な模様が描き出された。エリザベスが手を戻すや円は鮮やかな光を放ち、謎の美女はそこへ向けて歩みを進める。そして消えた。

 

「行っちゃった……」

 

 魔法陣があった空間をしばらくの間見つめていると、やがてペルソナでない身体的な耳にもバリバリと鳴るローター音が聞こえ始めた。十人以上は乗れそうな大型のヘリコプターだ。上空からサーチライトで照らしてくるそれのドアが開いて、黒い服を着た一人の女が身を乗り出してきた。

 

「ねえ貴女! この町のペルソナ使いでしょ!? 状況聞かせてもらえる!?」

 

 

 

 

 時は少し遡り、赤い霧を薙ぎ払うヘリが港区を飛び立った直後のこと──

 

「ヘリなんて初めて乗ったぜ……」

 

 キャップ帽をかぶった青年が、小さくなる地元の夜景を窓から見下ろした。服装は青のジーンズに黒のタンクトップとカジュアルシャツという軽装だが、袋に入れた幅広の物体を持っている。これは実は両手持ちの大剣である。バットではない。

 

「幾月が関係してるかもって話だったけど、私たちまで呼ばれるなんて、よっぽどのことよね」

 

 青年に応じるのは女子大生だ。今日は学業ではない仕事が入っていたのだが、緊急の招集がかかった為、早めに切り上げてここにいる。ちなみに服装はピンクのシャツにブルーグレーの七分袖を合わせている。

 

 シャドウワーカー本部に所属する非常任のペルソナ使い、伊織順平と岳羽ゆかりだ。繰り返すが、服装は普通である。野球のユニフォームや特撮ヒーローのコスチュームを着てはいない。

 

「いつ来てもいいよう準備はしていたつもりですが、とうとう来たかって感じですね」

 

 少しばかり普通ではない服装をしているのは、ヘリに同乗する二人と一匹である。ただし普通ではないと言っても、非常識と言うほどではない。

 

「あの……ところでその、皆さんのお召し物は……」

 

「シャドウワーカーの制服だそうですよ。似合います?」

 

 同じく非常任のペルソナ使いの少年、天田乾は黒いサングラスをずらして目を見せた。服装は黒いスーツだ。サイズはもちろん小柄な体格に合ったものだ。

 

「有里様のご発案により、任務中はスーツをお召しになるようにとのことです」

 

 操縦室から説明があった。このヘリの操縦士は斉川菊乃と言い、ペルソナ能力は持たないがシャドウワーカーの一員である。対シャドウ戦で直接的な貢献はできないが、一応警察に属する組織である以上、前線要員以外の人員も必要になる。ちなみに美鶴や有里は本業は大学生であるように、菊乃の本業は桐条家のメイドである。

 

「岳羽様と伊織様の分も用意してございますので、お着替えなさってください」

 

 大型ヘリの居住空間は、少しくらいなら中で歩き回れるくらいには広い。着替えるための仕切りのあるスペースも用意されていた。

 

 

 ジャケット、スラックス、ネクタイ、靴と靴下が全て黒で、ワイシャツだけが白い、いわゆる黒服スタイルの男女が現れた。なお、順平は黒の山高帽もセットでついていた。フォーマルなシーンにも合う、なかなかセンスのある帽子だったが──

 

「似合わないわね」

 

「あっさり言うな!」

 

 普段からラフな服装をすることの多い順平は、どうも服に着られているという印象があった。三年前の高校の文化祭でもこれと少し似た服を着たが、あの時も当時の担任にお笑い芸人のコスプレと評されていた。

 

「ま、似合わねえのはお前だけじゃねえが」

 

 既に着替えていたもう一人、本業は料理人の荒垣真次郎が口を開いた。荒垣も他の皆と同じく黒服を着ており、帽子をかぶっている。順平のそれとはデザインが異なり、カジュアルな中折れ帽だった。

 

「いや、荒垣さんは似合ってますよ。つーか、似合いすぎて怖え……」

 

「ワン!」

 

 有里家の飼い犬である白い柴犬、コロマルが吠えた。ゴールデンウィークの間は天田が預かる約束だったのだが、他の非常任の隊員と同様に招集されている。そしてこれまた同じデザインの服を着ている。ジャケットにネクタイも締めた、完璧な犬用スーツである。唯一の違いは、靴は履かずに柔らかい肉球を表に出していることか。

 

 四人と一匹のペルソナ使いを乗せて片田舎へと向けて飛ぶこと数時間で、ヘリが現地に到着した頃、ちょうど赤い霧が町を覆った。

 

 

 

 

「それじゃ皆さんもペルソナ使いなんですね」

 

 特別捜査隊の情報担当であるりせは、特殊部隊のヘリに乗せられた。稲羽市の上空を飛んでいたら、河川敷で霧越しにも見える稲妻が走ったのを発見したので行ってみたら、りせがいたというわけだ。

 

「そういうこと。何か去年の事件以上に大変なことになってるみたいだから、普段は呼ばれない私たちも、ね……」

 

 シャドウワーカーの側の説明はゆかりがした。操縦席の菊乃以外で唯一の女性メンバーなので、相手の緊張を解こうというつもりもあった。

 

「そうだったんですね。ところで岳羽さんって……もしかしてフェザーピンクの岳羽ゆかりさんですか?」

 

「あ、知ってるんだ」

 

 ゆかりは少しばかり頬を染めた。実は本業の大学生の傍ら、モデルと特撮系のアクション俳優として活動しており、ゆかりが高校生の頃から人気のあった戦隊物の最新作に出演している。今はその仕事着を着ていないが、分かる人には分かる。

 

「それを言うなら、貴女はあの久慈川りせさんですよね?」

 

 その意味では、もちろんりせも同様である。むしろゆかりより広く知られているだろう。サングラスを外した天田は、やはり少し顔を赤くしている。

 

「あ、やっぱり分かっちゃうんだ」

 

 りせは笑顔を見せた。生まれ持ったものを更に努力して磨いた、見る者を惹きつけてやまない華やかな笑顔である。世の中全体を見渡せばアイドルは大勢いるが、マネージャーの井上が評するように、この領域まで来ている者は多くない。

 

「おお! マジの芸能人! こりゃテンション上がるな」

 

「ふふ、ありがとうございます!」

 

 復帰に向けて邁進中のアイドルは笑みを深めた。実はりせは、シャドウワーカーは固い人ばかりだという印象を持っていたのだ。稲羽支部の高校生組は別として、堂島や有里のように昨年から知っている大人の特殊部隊員はいかにも実直な仕事人という風情で、芸能人と会って喜ぶような人はいなかった。しかし中には順平のように素直なタイプもいることが分かって、特捜隊とは別のチームに混ざりながら、ある種の安心感を得られた。

 

 しかし中には固い人も、やはりいる。

 

「その辺にしとけ。遊びに行くんじゃねえんだぞ」

 

 荒垣だ。内心はともかく、少なくとも外向きにはテンションを上げない。自制心は非常に強いのだ。

 

「はい、済みません」

 

 かくして自己紹介が済んだ頃、コロマルが床から伸び上がって窓の縁に前足をかけ、外に向かって吠え出した。

 

「ワンワン!」

 

「どうした、コロマル……あ、あれは!?」

 

「おいおい、マジかよ!」

 

 天田と順平も気付いた。町を覆う赤い霧が風に吹かれて、普段の数倍も巨大な月に向けて手を伸ばすような、天から垂らされた糸のような塔が聳えているのが見えた。特捜隊にとっては正体不明の不気味な建物であるだけだが、シャドウワーカーにとっては因縁の、そして忌まわしい存在を連想させた。

 

「影時間みたいになってるだけじゃなくて、タルタロスまで! マジで幾月絡みなの!?」

 

 かくして緩い雰囲気は一気に吹き飛んだ。目に見えるほどの緊張感がヘリを包む。シャドウワーカーは意識に個人差はあるものの、やはりプロ集団である。遊びで戦いはしない。

 

「おい、お前はサポート役だったな? 迎えに行ってやるから、お前の仲間を探してやりな」

 

 荒垣に言われて、りせは驚いた。今の話の流れだと、このヘリは『タルタロス』なる塔に直行することになると思ったのだ。しかし先に特捜隊の仲間を迎えに行くと言う。

 

「え……いいんですか?」

 

「ああ」

 

 この場で最も固そうな男は言葉が少ない。しかし向けてくる視線は雄弁だった。

 

「分かりました。ヒミコ、サーチモード!」

 

『サーチモード』とは今思いついた呼び名であるが、鬼道に(つか)える巫女のペルソナは空気を読んだように、パラボラアンテナで顔を完全に隠した元のスタイルで姿を現した。そして情報系ペルソナ使いとしての感覚を、赤い霧に覆われた町に広げる。河川敷では失敗したが、今は違う。

 

「……見つけました! コンビニの近くに千枝先輩! それと……あと二人。あ、シャドウも近くに一人います!」

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