結実は一人で影時間めいた赤い闇の中を走っていた。目指すのは学校だ。特殊部隊に加入した際に話にだけ聞いた、かつて存在したタルタロスと呼ばれる塔、或いはそれらしきものを目指している。
0時前に始まったマヨナカテレビを見て、仲間たちが磔にされている映像も見た。見た直後はシャドウワーカー稲羽支部高校生組の中で、自分だけが捕まっていないことを一瞬不思議に思ったが、すぐに当然かもしれないと思い直した。
仲間たちのうち一条と長瀬はペルソナが弱体化したものの、二人が協力すれば大きな戦力になり得ることが明らかになった。尚紀に至っては、敵の策の要である見えない壁を無効化することができる。だから敵は彼らを捕えた。しかし結実は力を失っているので、捕まえる必要などない。人質として価値があるかも微妙なところだ。
(今の私は……影時間の適性だけある状態なのかしら?)
自宅で母親が象徴化しているのを見て、今の町は影時間と同じ、少なくともそれに近い状態になっているのだとすぐに分かった。昨年の8月にポートアイランドに初めて行った時、ペルソナ召喚の訓練の為に影時間の再現装置を使った。その時と同様に、結実は棺桶に入らずにいられる。しかし力はないままだ。
電気の光が消えて暗い赤色に染まるコンビニの前で、結実は立ち止まった。そしてウエストポーチから召喚器を取り出した。
「……キサガイヒメ」
超常の兵器を両手で持って銃口を顎に当て、引き金を引いた。しかし何も出てこない。回復と補助に特化した隠者のペルソナは昨年11月に失っている。
(私……何をしようとしているんだろ)
思わず家を飛び出してしまったものの、自分が行ってどうするのだろうと、今になって疑問に思った。行ったところで足手まといになるだけである。それくらい初めから分かっているはずなのに。改めて考えてみると不思議だった。
(鳴上君……)
思うのは昨年付き合った元彼だ。P-1クライマックスの出場者紹介のラストで、悠は特殊部隊の副隊長で最強のペルソナ使いであるという有里と対峙するシーンが映し出された。まともな番組であればメインイベントの扱いだ。自分は悠に会いたくて、今夜の舞台らしき場所に向かっているのだろうかと、結実は思った。
悠が心配だから? 或いは『タイトルマッチ』で戦う勇姿を見たいから? しかし悠とは1月に別れている。まだ未練があるのだろうか──
(……違うと思う)
太陽のコミュニティの破壊はもちろん結実の心理に影響を与えている。昨年の結実は特別捜査隊の女性陣と比べても、悠との関係はより深かった。しかしだからと言って、未練が残るとは限らない。結実はもう悠に恋してはいない。悠が都会に帰った3月21日に駅まで見送りに行った時、頬を叩く気にもならなかったことで自覚した。
だったらなぜ──
疑問が少女の足を止めている間、『答え』が向こうからやって来た。
「君は……」
「え?」
声をかけられて、結実は振り返った。常人は棺桶で眠っているこの時間に動けると言うことは、ペルソナ使いなのか。仲間か、敵か──
「去年僕を助けてくれた人だね?」
そこにいたのは、どちらでもない男だった。三十代後半くらいの線の細い男だ。昨年の事件における犯人の一人だが、逮捕された足立と違って執行猶予のような扱いになって釈放された男、生田目太郎だ。
「生田目さん!」
「やっぱりそうか……」
この二人は事件以前からの知り合いではないし、事件が起きていた間も一度しか会ったことはない。そして事件後に会うのはこれが初めてだ。しかしだからと言って、縁が薄いわけではない。悠と生田目、足立と生田目が深い因縁の関係にあるように、結実と生田目の間にも極めて強い繋がりがある。
「君にはお礼も言っていなかったね。ありがとう」
「いえ……」
結実は礼の言葉が奇妙にしっくり来なかった。上辺だけで不誠実に感じたとかそういうことではなく、礼を言われる筋合いがあると思えなかったのだ。だがそんなことより──
「あの、生田目さんもさっきのマヨナカテレビを見たんですか?」
「ああ、2日の夜に映ったのも見たよ。僕はテレビに入れなくなったから、こないだは関われなかったが……」
3月20日に河川敷で悠に語った通り、一度逮捕されてからの生田目はテレビに入ることができなくなった。それが複数の誘拐事件を起こしながら執行猶予状態になった大きな理由だが、それはつまり、生田目は無力であるということだ。結実と同様に。赤い霧の中でも棺桶の姿にはならないが、ならないだけである。
「だがテレビの中じゃあるまいし、現実の町がまさかこんな有様になるとは……。何が起きているのか、君は知っているのかい?」
「いえ、まだ何も。それより……」
「何だい?」
「……」
結実はすぐには言い出さなかった。言うべきか迷うように。問いを発して答えを得ることを躊躇うように。こういう逡巡は結実には珍しいことだった。
「外に出て、どうする気なんですか? 生田目さんはペルソナ使えないんでしょ?」
迷いながらも、結局は聞いた。自分自身にも立てた問いからは逃げられない。
「……」
今度は生田目が黙った。力のない自分が異界と化した町に出て、一体何をしようと言うのか。もしシャドウが現れたら、何の抵抗もできずに縊り殺されるだけだ。悪ければ足手まといになる。結実は自分自身の行動に対して抱いた疑問を、生田目に聞いた。その答えは、未だ得ていない自分の答えと同じかもしれない。いや、違うかもしれないが、全く無関係ではない。根拠はないが、なぜかそんな気がした。
「それは……」
生田目は結実から目を逸らし、赤い幾何学模様が浮かんだ地面を見た。地面の模様と言えば、一度死んだテレビの中の撮影スタジオにも白線が引かれていた。生田目は昨年に、その白線そのものになったのだ。死の断崖へと落ちた当時を思い出しながら、男は少女の問いに答えようとした。しかし──
「こりゃー! こんな夜中に枯れたオッサンと花のジョシコーセーが何してるクマ! オッサン、また逮捕されたいクマかー!?」
答える前に遮られてしまった。闖入者の喋り方は特徴があり過ぎるが、本物と違って強い悪意が感じられるので、本物でないことはすぐに分かる物言いである。結実の後ろに葉巻を咥えた着ぐるみが現れた。金の髑髏の意匠を施した杖を向けてくる。
「あんた! クマ総統!」
大会参加者たちが目指す異界の塔にいるはずの大会主催者が、どういうわけかまだ『予選』が行われている地上に現れた。しかも大会の参加枠に入れられていない、無力な二人の前に突然やって来た。
「お前は……まさか、テレビの中で僕に取りついたあれと同じ……?」
あれ──
聞かれた途端、着ぐるみは目の色を変えた。悪意があることに変わりはないが、ふざけた雰囲気が抜けた。空気を読むのが得意で変わり身が速いのは『愚者』の特徴だが、クマ総統も同じくらい速い。かつてストリップ劇場に現れたクマのシャドウのように、コミカルな姿でありながら不気味に笑う。ホラー映画の題材に時々なる、人を襲うぬいぐるみのように。
「ほう……分かるのか。ただの愚か者ではないようだな。もっとも、我をサギリのような使い魔と同じにされては困るが」
真夜中のテレビ会議で悠に見せたように、総統は瞳を金色に光らせた。普段は隠している本性を、一端とはいえ生田目に見せた。そればかりか聞かれたことに答えている。かつて神の眷属に依り代にされた男の問いに対して、肯定の意味をもって応じている。悠が発した何者だとの問いには答えなかったのに。
「役割を与えられた三人のうちの一人か。我が脅威にもなり得るが、上手く使えば……」
クマ総統と生田目の間には結実がいる。だが総統は悠の元彼女は眼中にないようで、事の始まりである女神に力を与えられた一人にだけ、その金の瞳を向けている。そして足を進めてきた。
「生田目さん、逃げ……」
結実が言い終えるより先に、生田目が動いた。何とも恐ろし気な『あれ』から逃げるのではなく、逆に近づいた。正体不明の着ぐるみと、無力な少女の間に割って入る。
その瞬間、二人の手が触れあった。意図してのことではもちろんないが、元議員秘書で誘拐犯の手が、特殊部隊で衛生兵のような役割を担っていた少女の手に触れた。その瞬間、あるべきものがあるべき場所に戻ろうと動き出した。
──
「え……生田目さんのペルソナ!?」
「これは……!?」
生田目の頭上に、黒い留袖を着た女のビジョンが立ち現れた。ペルソナである。ただしクマ総統が、己の脅威にもなり得ると評価したものではない。訳あって生田目の体を言わば『間借り』していた存在だ。
「サシクニワカヒメ……」
隠者のアルカナに属するそのペルソナの名前は、クマ総統が口にした。だが日本神話で語られる、八十神と呼ばれる兄弟神に殺された創造神を蘇生させた女神の名を持つ存在は、すぐにいなくなった。元々二つだったものが融合して生まれた一つのペルソナは、再び二つに別れた。そのうち一つは結実に、もう一つは生田目に。各々があるべきところに戻った。
「キサガイヒメ! 戻って来たの!?」
生田目が足立に撃たれた11月5日、結実はペルソナを失った。生田目を助ける為に、血を失って死にゆく体に注がれたのだ。ただし結実はそうしようと思ってやったのではない。その場に突如として現れたシャドウに、自分のペルソナを持っていかれたのである。しかし誘拐犯と衛生兵が再び出会った今、回復と補助が得意な隠者のペルソナは結実に戻った。
「真由美! そうか、君はここに……!」
そして元議員秘書は、一年以上前に死んだ人の名を呼んだ。そう呼ばれるべき存在が、自分の中にずっといたことに初めて気付いた。一度死んで生き返った後に、愛する人は何度も夢に出てきた。自殺を図ったこともあったが死ねなかった。その理由を、生田目は初めて悟った。
サシクニワカヒメはキサガイヒメとウムギヒメに分離した。その様を見たクマ総統は、目の色を金から黒に戻した。全くもって変わり身が速い。
「ひょっほー! イイコト閃いちゃったー! 今日のクマってば、冴えてるう!」
ペルソナの分離に驚いたように歩みを止めていたが、今度こそ近づいた。普段は短い着ぐるみの腕を伸ばして、文字通り何倍もの長さにゴムのように伸ばして、右腕で生田目を、左腕で結実を抱えた。
「な、何をする!」
「きゃっ!」
「むっふっふー! ユミチャン、ついでにナマッチも! ここで会ったのも何かの縁! スペシャル観戦シートに案内してあげるから、泣いて感謝するクマー!」
二人の人間が着ぐるみの小脇に抱えられているというのは、なかなか奇妙な光景である。ジュネスでマスコットとして働いている時のクマは、小さな子供を腕に抱えてやるくらいのことはする。しかし大人を、しかも二人同時に持ち上げることなどない。だがクマ総統は荷物の重さなどまるで気にしていない。やろうと思えば、人間などいくらでも抱えられる力があるのだから。
「ちょっとクマ吉! つかニセクマ! 何してんの!」
そんな着ぐるみによる誘拐事件の現場に助けがやって来た。千枝である。
「おんやあ? なになに、チエチャンも特等席をご希望クマ? でも残念! P-1クライマックスはまだ予選だから! もうちょっと待ってチョーダイ!」
「ざっけんな、こら!」
先制の挨拶代わりとばかりに、千枝は前蹴りを放った。しかしそれはクマ総統に届かず、寸前で止められた。ただし両手が塞がっているクマ総統がガードしたのではない。
「くっ……またこれ!?」
得意の蹴りは足が伸び切るより前の位置で、壁に当たったように強引に止められている。例の見えない壁だ。クマ総統と千枝の周囲に例の赤いコーナーポストはないが、それでも壁が二人を分断する形で展開された。この辺り、さすがは主催者であるだけあって、出場者よりも自由自在である。
「ぬっふっふ! ま、チエチャンはバトル頑張るクマ! 余計なことしとらんと、とっととマイタワーまでいらっしゃーい!」
言うが早いか、クマ総統は消えてしまった。テレビの中で、シャドウが滅んで消える時のような煙さえ出さずに、唐突にその場から消えた。エリザベスのように転移の為の魔法陣さえ描いていない。P-1クライマックスの主催者は、霧の中を神出鬼没だ。もちろん結実と生田目もいなくなった。かくしてペルソナの導きで出会った二人は拉致されてしまった。
「くう……誰かと思ったら、小沢さんと生田目さんだったのか。ニセクマの奴、小西君や一条君たち以外にもまだ人質増やす気なの……?」
その時、コンビニの前にローター音が響き渡った。それ以外のあらゆる音をかき消してしまうような爆音の中で、音としては伝わらない声が千枝に呼びかけてきた。
『千枝先輩! 乗って!』
りせの通信である。荒垣に言われてヘリコプターから仲間を探していたりせは、まず千枝を見つけ、次いで千枝の近くに誰かはよく分からないが二人の人間を発見したので、千枝に保護を頼んだのだ。そして今になって、ヘリが追いついてきたというわけだ。
シャドウワーカーの非常任組が特捜隊の一部を拾いながら因縁の塔らしきものへ向かう中、常任組も同じ場所へ向かっていた。移動手段は車で、町の外からだ。昨年の獣害事件でも使用した八人乗りのバンを運転しているのは有里で、助手席に座っているのは堂島である。二列ある後部座席の前列に美鶴と真田、後列にアイギスと風花が乗っている。
「今のこの町の状態は……影時間に似ていますが、微妙に違います。どちらかと言えば、テレビの中に近いです。ペルソナと使用者の親和性からして、私たちも召喚器なしで召喚可能でしょう」
異界化した町を走る車内で、風花が現状を分析した結果を報告する。
「昨年テレビの中にあった霧とは色が違うし、眼鏡で見通すこともできないが、本質的には同じということか?」
「いえ、霧がどうという問題ではなくて、現実がテレビの中と一体化している……と言った方が正しいかもしれません」
隊長の確認に対して、情報担当は説明を追加する。すると次は運転席の副隊長が確認した。
「それはつまり……あの子たちはテレビの中じゃなくて、こちら側にいるということか?」
有里が言うあの子たちとは、アイギスが産んだ二人の息子のことである。5日の午後の時間、宿泊していた天城屋旅館での捜査会議中に、桐条グループの託児所から有里に電話連絡が入ったのだ。ゴールデンウィークの間までの予定で預けていた子供たちが失踪したと。
タイミングからして今の事件と関係している可能性が高い。大急ぎで情報を集めたら不審な車の記録が監視カメラに残っていたので、追跡したところ稲羽峠で乗り捨てられているのを発見したのが、5日の夜遅い時間だった。車には託児所の職員が一人だけ乗っていて、大きなテレビが一台積んであった。そしてその職員は記憶がなかった。1日に発生したハイジャック事件の犯人と同じ状態だったのだ。よって尋問しても無駄だった。
取り敢えずそのテレビを通じて風花に探査してもらったが、子供たちの反応は見つからなかった。そうこうしているうちに、プロモーションビデオ風のマヨナカテレビが映った。そして稲羽支部の高校生組三人が磔にされて、二人の赤子が檻に入れられた映像も映った。
「はい、先ほどのマヨナカテレビからしても、その可能性が高いです」
「……湊さん」
3日のグランプリの準決勝で有里はアイギスと敢えて通信を切り、対戦者の陽介を支援した。それ以来、妻は夫に口をきかなくなってしまった。要は夫婦関係に亀裂が入ったわけだが、子供が誘拐されたとあってはそうも言っていられない。妻の姉を契機として起きた危機は、取り敢えず棚上げにされた格好だ。
「ああ、必ず取り戻す」
黄昏の羽根を仕込んだ特別車両は異界の田舎道を疾走する。赤い霧は眼鏡で見通せないので、気持ちは焦りながらもスピードはやや抑え気味だ。ただし常人は棺桶に入っている為、異界の田舎道に歩行者はいないし他の車も止まっている。だから信号は全て無視できる。その分、普通の夜道よりは速く進めるのだが──
「あれ……道路に誰かいます!」
突然風花が声を上げた。直後、霧に滲むヘッドライトが朧な人影を映し出した。有里は驚いて急ブレーキを踏む。タイヤは砂埃を巻き上げて、アスファルトを抉って急停止した。
「危ねえな湊! 殺す気かよ!」
「順平?」
車を遮るようにして道路の真ん中に立っていたのは、高校時代からの有里の親友だった。野球のユニフォームを着ていて、キャップ帽を前後を逆にしてかぶっている。手に持っているのは、影時間で戦っていた頃から得物にしていた両手持ちの大剣、ではなくて金属バットである。服装と相まって、野球の試合をしてきた帰りという風情である。
「どうしたんだ。他の皆とはぐれたのか?」
有里は車の窓を開けて親友に話しかけた。順平はシャドウワーカーでは非常任の身分だが、事件が過去からの因縁を帯びてきたので招集したのだ。他の非常任の面々と一緒に稲羽に来る予定だったはずだが、何か不測の事態でもあったのか。そう思ったが──
「有里君、いけません! それは順平君じゃありません!」
「はっはっは! 風花がいると話が早えな! つーわけでリング・インだぜ!」
『順平』が手をかざすと、赤いコーナーポストが降ってきた。P-1クライマックスの予選はもう四戦目だが、シャドウワーカーが見るのはこれが初めてだ。
「順平のシャドウ……ってわけでもないな」
「そういうこった! 俺はシャドウワーカーのリーサルウェポン、伊織順平の偽物な!」
『順平』は例によってすぐに偽物であると明かし、金色に光る瞳を堂々と見せてくる。隠す意図はまるでない。
「それで、また壁か」
コーナーポストは車ごと有里たちを囲むように展開されており、それを繋ぐ形で例の壁が既にできていることを、有里はオルフェウスの目ですぐに感じ取った。情報系能力があると、全般的に話が早くなる。
「その通り! 懐かしのタルタルもどきに行きたきゃ、タイマンで俺を倒してからにするんだな!」
見えない壁は道路を完全に塞ぐ形で展開されている。この状況では戦わざるを得ない。もちろん車で轢くのも駄目だろう。
「分かった。僕がやろう」
有里は車をバックさせ、一旦リングの外に出した。そして自分だけ降りて再びリングに足を踏み入れる。壁がある限り複数人で戦うことはできないのだと、この大会のルールはすぐに察せられた。文句を言うこともない。余計なことを言う時間が惜しい。
「そんじゃ、プレイボールだぜ! トリスメギストス!」
先手必勝とばかりに『順平』はペルソナを召喚した。魔術師のアルカナに属する、かなり強力なペルソナである。翼を生やしたそれはジグザグに飛行し、空間に光の線をいくつも引く。マガツイザナギやオルフェウスも使える、中空に斬撃の網を張る大技だ。『順平』にとって、これは最大の攻撃だ。それを最初の一手に持ってきた。
順平の戦力はシャドウワーカー本部の中では平均的なものだ。真田のように武者修行を重ねて往時より実力を上げているということはなく、むしろ二年以上実戦から遠ざかった分、多少は落ちている。しかしそれはほどんとの本部隊員に言えることである。そして落ちたと言っても、コミュニティの破壊によりペルソナが退化した特捜隊ほどではない。戦い方次第では、順平は有里でも手こずる相手だ。
そして初手から切り札を切ってきた『順平』の戦術は一理ある。もし有里が様子見のつもりでいたならば、先手を取られてかなりの傷を負っただろう。しかし──
よける隙間のない密度で張られた光の網を、有里は正面から突っ切るように駆けた。両腕を持ち上げて顔の前で防御の構えを取るが、普通の格闘技ならまだしも、『順平』のこの攻撃はそんなものでは防げない。ガードする腕にも走る足にも光の線が走り、傷つけていく。しかし傷は浅い──
「ありゃ?」
やがて有里は網を正面突破してきた。手を伸ばせば届く距離まで接近された『順平』は驚いた。有里は事もなげと言えるほど無傷でないが、余力十分な状態で間合いに入った。そんなことができるのは、足立にさえ卑怯と呼ばれたオルフェウスを装着しているからだ。万能属性を除くあらゆる攻撃に強いペルソナは、『順平』の必殺技である斬撃にも強い。本来は人を容易く斬れる鋭い剣を、刃こぼれしたなまくらにしてしまうくらいに。
「メサイア、風を」
指呼の距離で有里はペルソナを召喚した。吟遊詩人から素早く変更し、今日も出番が多くなりそうな予感を感じながら、魔力溢れる救世主を召喚した。自然界の真理を語った古代ギリシャの哲学者の言葉を冠した、風の秘術を放った。順平は疾風属性の攻撃に弱い。それは本物も偽物も同じだ。
「のわー!」
巻き上げられたスラッガーに向けて、有里は拳銃を両手で構えた。狙いは体の中央だ。敵の体の中で最も大きな的に向けて撃つ。対戦相手を殺すことが勝利条件の戦いにおいて、射撃の基本に則った。昨年に足立が生田目を射殺した時のように。或いは当時よりも殺意を強く持って撃った。
──
有里は銃を二発撃って、二発とも命中した。そのうち一発は急所を貫いたようで、落下してきた『順平』は高いところから落とされた水袋のように破裂し、溶けた。そして瞳の色と同じ、金色の光の粒を発して消えた。
「さすがだな。いずれお前とも勝負してみたいものだ」
車に戻った有里を、感心した真田が迎えた。真田は自分が順平の偽物と戦っても勝てたと思っているが、有里ほど素早く決めることはできなかっただろう。やはり特殊部隊で最強の座にあるのは副隊長であると、改めて納得した。
「機会があれば」
「それより有里。君と伊織の偽物のどちらからも、光の粒が飛び出してあの塔に向かっていったぞ」
隊長の美鶴が今の戦いを見て気付いたことを口にした。対戦した二人が傷つく度に光の粒が体から零れていた。しかし血のように服や地面を汚すことはなく、どれも宙に舞い、そして同じ方向へと向かっていった。完二の戦いを見て直斗が気付いたことに、美鶴も気付いた。
「あの光……もしかして……」
もちろん風花も気付いている。そして考え込む。光の正体と、敵の目的について。
特殊部隊の車は赤い霧の中を進む。その後は偽物の妨害を受けることはなく、現実にもある高台になっている場所へ向かった。その途中で、後部座席から突然声が上がった。
「貴女は……? はい、山岸です。え? そうなんですか……」
風花だ。一見すると電話の受け答えをしているようだが、そうではない。情報系ペルソナの通信である。
「荒垣さんたちと連絡が取れました。ヘリであの塔に向かっている途中ですが、稲羽市のペルソナ使いの方々を収容したそうです」
「何ですと?」
反応したのは助手席の堂島だ。風花の説明によると、今通信してきたのは特捜隊(風花にそう名乗ったわけではないが)の情報担当で、本人を含めて五人が既にヘリに乗っているとのことだった。具体的に言うと、りせと千枝の他、雪子、完二、直斗だ。特捜隊の後期メンバーである。
「家に帰すよう言ってくれませんか」
堂島は顔を苦くした。大体においてそうだが、堂島は高校生を事件に巻き込むことに反対である。今の話だとヘリに甥は乗っていないとのことだったが、甥の仲間たちに対しても同様だ。それは堂島の個人的な思いではなく、特殊部隊の総意であるはずだ。だから3日のグランプリを終えた後の病院で、特捜隊にこれ以上事件に関わらないことを求めた。しかし──
「いえ、待ってください。話によると、久慈川さんは戦う力を得たそうです」
決定事項を覆しかねない重大な新情報が出てきた。
「それはつまり……久慈川君は小西君と同じことができるようになったと?」
美鶴が確認すると、風花は頷いた。
「申し訳ありませんが、私では例の見えない壁を破ることはできません。敵がまた壁を利用した策を仕掛けてくるのなら……久慈川さんの力は対抗策として有効だと思います」
「……」
車内に沈黙が下りた。そしてもう一つの情報が共有された。
「それと……稲羽支部の小沢さんと、元議員秘書の生田目さんがクマ総統に拉致されたそうです」
「マジですか……」
堂島は頭を抱えた。高校生の部下たちを巻き込みたくなくて、事件の捜査には尚紀たちも参加させなかった。しかしそうして自分たちから遠ざけたことが、かえって彼らが捕まった原因の一つとも言えるのだ。まして影時間が復活したような今の状況では、ペルソナ使いでない常人は何もできず、ペルソナ使いであっても一人でいては危険だ。敵はどこから襲ってくるか分からない。子供は家に帰せと言ったばかりだが、いっそ帰さない方がむしろ安全なのではと、昔気質の刑事にも思えてきた。少なくとも、人質にされるよりはいい──
そうこうしているうちに、車は目的地に到着した。赤い静寂の町を通り抜け、八十神高校に辿り着いたのだ。もちろん普段からは様変わりしている。そこへまた新手がやって来た。
「あ……残りのお三方も来ました。走ってこちらに向かってきています」
目で見える範囲を遥かに超えて事実を認識できる情報使いがいると、とにかく話が早くなる。特捜隊八人のうち、ヘリに乗っていなかった残りの三人が発見された。距離はここからほど近い。
「有里さん、先に行っていてください。私はここで悠たちを待ちます」
「鳴上君たちを帰すつもりですか?」
「……ええ」
有里の質問に、堂島はかなりの間を置いて答えた。迷っていることが明らかな長い間だった。そこへ真田が声を上げた。
「堂島さん、あいつらと協力するのも手だと思います」
「……しかし、あれはまだ子供です」
堂島の返答には、やはり長い間が空けられていた。言いながら、自分でも説得力を感じられないと思うほどだ。言葉に勢いがない。ペルソナに目覚める前であれば、考えられない反応である。
「俺たちもあいつらくらいの年の頃から戦っていました」
対する真田は言葉に迷いがない。実際に子供だった頃から戦ってきた身なので、年齢を理由に特捜隊を拒絶はしない。未熟な連中だとは思うものの、戦場に出ることを許さないとまでは言わない。少なくとも本人が望む限りは。
「僕も真田さんと同意見です。彼らは彼らなりに、この町を守る権利があるでしょう」
有里も同調してきた。最後は美鶴だ。
「堂島刑事、最終的な判断は貴方にお任せします。頭から否定はせず……彼ら自身を見て決めてください」
「……分かりました」
そして全員が車を降りた。
有里たち五人は異形の塔へ先行して突入した。堂島一人が校門前に残り、下りの坂道を見下ろす。戦場とそれ以外を分離する門の前に立ち、間もなく来るであろう甥とその仲間を待ち構えた。言うなれば、堂島自身が門である。赤い闇の中で戦う為に、悠が乗り越えなければならない壁としてそこにいた。
誰も楽には死なせてあげない! ドクター・ネクロマンサー! 小沢結実!
異世界までお届けします! 絶望のTVエクスプレス! 生田目太郎!