ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

148 / 180
息子たち(2012/5/6)

 ジュネスのフードコートを出た特別捜査隊の初期組三人は、八十神高校のある高台へと続く坂道まで辿り着いた。そこまで来ると、赤い霧越しでも学校の状態がかなりはっきり見えた。『土台』の校舎は形が残っているが、その上に巨大な構造物がいくつも積み重なっている。見た目もサイズもバラバラで、ところどころが軸からはみ出しており、よく倒れないものだと感心してしまう。積み木細工を適当に、または芸術的なセンスで積み重ねて作ったような塔である。ちなみに芸術だとしても、前衛的すぎて理解できる人間は多くないだろう。

 

 高さはこの距離から見上げると首が痛くなるほどだ。エレベーターがあるとも思えないので、もし頂上まで歩いて登らなければならないとしたら、それはもう大変そうだ。階数は百できくかどうか。

 

「ううむ……何というセンシチブなタワー! クマのハートにビンビンくるクマ!」

 

「何つーか、まあ……一度見たら忘れられねえ感じだな、これ」

 

「ああ……」

 

 クマ総統の言う『タルタロスライク』な塔を前にして、三人の男は各々感慨を抱く。クマは造形に感じ入るものがあるようで、陽介はそういうものはないが強い印象を得た。そして悠は口にはしないものの、ある思いを抱いた。

 

(陽介は俺をずっと忘れずにいてくれるかな?)

 

 坂道を上ってゆくと、グランプリの時にもあった『P-1』と書かれたポスターが目につくようになった。描かれているのはクマ総統の他、悠や陽介たち出場者もいる。いずれも見ていて気分の良くなるものではない。

 

 眉をひそめながら三人が坂道を上りきると、校門前に『門番』がいた。

 

「悠」

 

 シャドウワーカー稲羽支部の支部長である堂島だ。その目の色は金色ではない。

 

「叔父さん……なの?」

 

 悠の返事が疑問形なのは、この叔父は本物と顔が同じなだけの偽物かもしれない可能性を捨てていないからだ。今夜の偽物たちは偽物であることを隠さない傾向があるが、それでも油断はできない。普段は隠さずにいておきながら、ここぞと言う時に隠して騙し討ちを仕掛ける可能性はないとは言えないのだ。

 

「センセイ、このパパさんは本物クマ!」

 

 しかし警戒する必要はないと、クマが保証した。目の前にいれば本物か偽物かどうかくらいは、クマには分かる。自己申告してもらうまでもない。

 

「話が早くて助かる。この事件はシャドウワーカーが対処する。お前たちは帰れ」

 

 堂島はまず自分の要求だけ端的に言う。実はかなりの割合で迷っているのだが、それを表には出さずに否定から入る。

 

「それはできない。俺たちも戦わせてくれ」

 

 対する悠も、まず自分の要求から言う。理由を述べたり反論を受けたりの議論は、その次だ。

 

「悠、時間が惜しいんだ。皆まで言わせるな!」

 

「俺だって!」

 

 叔父が鬼刑事の仮面をかぶっても、甥は後に引かない。その辺のシャドウよりずっと恐ろしい堂島が怒鳴っても、怯えたり震えたりすることはない。むしろ怒鳴り返す。

 

「俺だって稲羽の人間だ」

 

「俺もです。俺たちには、この町を守る権利があるはずです!」

 

「そークマ! クマもここの人間クマ! ナナチャンたちが住んでるこの町を、クマは守る権利があるクマ!」

 

 悠は八十稲羽に住んだのは一年だけで、しかも今はもう都会に帰っている。悠は昨年もそうだったように、外から来た人間、つまりは『異邦人』なのである。陽介は悠よりは長く八十稲羽に住んでいて、転居の予定も今のところないが、それでもここの産まれではない。クマに至っては言うまでもない。

 

 しかしこの三人が言いたいのは、現実の出身地の話ではない。自分たちはこの土地の危機に立ち向かう『権利』があると主張する。少なくとも陽介とクマはそうだ。

 

「権利ね……流行語か何かか?」

 

 同じことを有里も言っていた。特殊部隊の上司と奇しくも同じ言葉を使われて、堂島はつい冗談のような、または愚痴のような言い方をしてしまった。本気で拒絶するつもりでいるならば、この言い方はよろしくない。迷っている証拠である。

 

「俺は本気だ!」

 

 一方で悠に迷いはない。大人と若者の議論は論理や正当性以前に、気持ちの段階で大人の方が押されている。

 

「困った甥を持ったもんだ。姉貴と義兄さんを恨むぜ……」

 

 堂島は白いものの混じった髪に手を差し込んで、また愚痴を言う。正直なところ、堂島はもう悠たちを説得するのはほとんど諦めている。そうかと言って、力尽くで家に帰す気もない。もう間もなく自分は若者たちの志願を受け入れるだろうことを、自分で分かっているのだ。

 

 ただし無条件に受け入れるわけにはいかない。言わねばならないことは、やはり言わねばならない。それをどうやって伝えるか、遊びでないことをどうやって理解させるか、そういう段階に来ている。警察で言えば、自分の下につくことが決まった問題行動の多い若い部下に関して、配属について人事に文句を言う時期は既に過ぎているようなものだ。扱いの難しい部下を受け入れた上で、どういう訓示を与えるか考えるべきところだ。

 

「俺を育てたのは叔父さんだよ」

 

「そうか。俺のせいか」

 

 堂島は手を頭から離した。悠と一緒に生活したのは一年だけだが、もはや堂島は父親も同然であると甥は言う。そして甥にすれば、これは言いがかりではなく本気だ。『息子』にこう言われると、『父』は適当にいなすことはできない。親として責任を取らねばならない。ではどのような責任の取り方が相応しいか。

 

「こいつは遊びじゃない。命懸けの仕事だ」

 

「分かってます。俺はいつも命懸けです」

 

 答えたのは陽介だ。

 

「本当に分かってるのか?」

 

「この目を見て判断するクマ!」

 

 クマは着ぐるみをかぶっているままだ。だがどういう仕組みなのか、表情は豊かだ。感情に合わせて目の形は器用に変わる。そして今は気迫が漲っている。着ぐるみ自体のコミカルさは否定しがたいが、本気でいることくらいは伝わってくる。

 

 最後に堂島は悠を見た。前髪で隠れた額から鼻梁を通り、目の下まで達する一本の傷がある。普段はあまり目立たないが、戦意で興奮しているのか傷は赤く滲んでいる。

 

「ふん……少しはマシな面構えになったか」

 

 男の顔は痣でも傷でもあった方が、ぐっと良くなる。昨年の11月、堂島はそんなことを悠に言った。言ったその時は冗談のつもりだったが、今になってその正しさが証明された。自分の言葉に後押しされた、甥の視線が突き刺さってくる。家業を息子に継がせる為に仕事を教える父親は、こういう気持ちになるのだろうかと思った。

 

「ここから先は何が起こるか分からん。俺の手がいつも届くとは限らないんだ。いざとなったら、一人で切り抜けてもらわなきゃならん。できるか?」

 

「もちろんだ」

 

 悠は即座に答えた。これまでの傾向から考えると、むしろ一人で切り抜けなければならない局面ばかりが待っていることが予想できた。仲間がいる意味は事後の手当てと、壁越しに声援をもらうなどの精神的な支えがせいぜいだ。集団よりも個としての力が試される。悠はもう、その覚悟はできている。

 

「まだある。お前らの手が俺に届かん時もあるだろう。そういう事態も覚悟してもらう」

 

 人数が多くなればなるほど、戦力は増す。しかし現実はそんなに単純ではない。関わる人数が多くなれば、犠牲が出る可能性も増す。

 

「もう大人だろう。俺の言いたいこと、分かるな?」

 

 もちろん犠牲は出したくない。その思いは誰もが同じだ。しかし『出したくない』だけでは現実は変えられない。実際に犠牲が出た時、どうするのか。後悔に足を取られずに前に進めるか。堂島が聞いているのは、その覚悟はあるのかとの意味だ。

 

「はい」

 

 悠は迷いなく答えた。口から出任せではない。これまで仲間内から犠牲が出たことはないが、人の死を目の当たりにした経験ならある。その無念を既に知り、知った上で戦うことを選んでいるからこそ、迷いがない。悠の短い返事の中に、相応の覚悟があることを堂島は認めた。

 

「よし……いいだろう。行くぞ!」

 

 ペルソナ使いの叔父と甥の、心の中では互いに父親と息子のように思っている二人の、すれ違いがようやく終わった。同じ方向を向いて、肩を並べて戦う時が遂に来た。保護者と子供ではなく、同じ目的を持つ大人同士として。

 

「はい!」

 

「よーし、やっちゃるクマよー!」

 

 もちろん陽介とクマも戦う。広く考えれば、特捜隊の八人はP-1クライマックスに参加することがこの時認められたと言えよう。無論、認められなくても勝手に参加する気でいたが、これで特捜隊は堂々とシャドウワーカーと協力できることになった。もっともこの大会のルール内で、『協力』にどれだけ意味があるかは微妙だが。

 

 そこへ拍手が上から降ってきた。パチパチと、何とも軽い音がした。

 

「へえ、いざとなったら一人で何とかするんだ。いい年して、カッコつけやがってさ!」

 

 いつからそこにいたのか、校門の門柱に一人の少年が座っていた。悠と同じくらい豊かな前髪で額をほぼ全て隠しており、隠れていない顔の下半分は、悠よりもやや年下に見えた。全体として幼く見えるその顔には、痛々しい傷があった。隠れた額から鼻梁を通って目の下に達するという、悠と同じ位置にある傷だ。ただし悠と違って傷が二つあり、眉間の位置で十字に交差している。その隙間にある目は青かった。

 

「ま、下らない友情ゴッコよりかはマシだけど?」

 

 少年は門柱から地面に降りた。ミリタリー風の緑のシャツを着ているが、下は八十神高校の制服である。やはり制服の上着らしきものを腰に巻いている。そして驚くべきと言うか当然と言うか、武器を持っていた。腰に巻いた上着に挟む形で、二本の刀を差している。

 

「何者だ! この時間に動けるとは……」

 

 少年を知らない堂島は警戒する。実は昨年に一度だけこの少年の顔を見ているのだが、特に話はしなかったので、堂島は覚えていない。

 

「お前は……ミナヅキ! なぜここに!?」

 

 そして悠は堂島より多くの回数、この少年と会っている。会っているつもりでいる。

 

「センセイ、お知り合いクマ?」

 

「ああ……去年、何度か会った」

 

 顔に傷のあるこの少年と、悠は昨年に二度、そして今年の3月に一度会っている。初めて会ったのは8月で、場所は稲羽市立病院だった。何とも言えない不思議な雰囲気の少年だった。名前はミナヅキ。どういう字を書くのか知らないし下の名前も聞いていないが、とにかくそういう名前の、死神のコミュニティの担い手だ。

 

「あれえ? どこかで会ったっけなあ……鳴上!」

 

 悠の名を呼んだ瞬間、少年の目が赤く光った。赤と言えばラビリスが失った色だが、これはそれとは違う。町を覆う赤い霧を集めて密度を上げ、更に熱を加えて蒸留したような、純粋で鮮やかな赤だ。見る者を惹きつけて、視線を縛り付けて離れられなくする。

 

「ぐっ……!?」

 

「な、何だこれ……!?」

 

「ほ、ほえー!? か、固まっちゃったクマー!」

 

 悠たち四人は動けなくなった。突然海の底に放り込まれたような、四方八方から襲い来る猛烈な圧力を全身に感じたのだ。もしシャドウワーカー本部の人間がいれば、二年前の1月に経験したある異常な出来事を思い出しただろう。巨大な質量を持つ天体が発する力、即ち重力を、有里たちは感じたことがある。これはそれと似た力である。月と星の違いはあるが。

 

「おっかしいなあ……僕、お前に会ったことあったっけなあ?」

 

 少年は悠に近づき、その顔をしげしげと見る。首を傾げながら悠の周囲を歩き回り、右から左から覗き込む。一周して正面に戻ると、額が触れ合わんばかりに寄せる。至近距離にある光る目が、悠には眩しく見えるほどだ。

 

「なあシスコン番長さんよ、僕らはいつ知り合ったよ? 何月何日? 何時何分?」

 

「な、何だと……?」

 

 少年が何を言っているのか、悠には分からない。コミュニティを築いた病院の後には、文化祭でも会っているはずである。展示を一緒に見て回り、それについて少しだけだが話もした。それなのに初対面であるかのように言われている。訳が分からない。

 

「お前みてえなクソ野郎は、知り合いじゃねえよ!」

 

 光を放つ赤い瞳に、憎悪の炎が滾り立った。知り合いではないと言いながら、少年は悠を憎んでいる。世の中には会ったこともない相手を憎む者もいる。例えばアイドルなどテレビで見ただけの有名人を、他人にはよく分からない理由で憎悪する人間もいる。りせなどは、実際に経験がある。この少年はそういう理不尽なタイプなのか、それとも相応の理由があるのか──

 

 ガン、と大きな音がした。少年が悠の顔に頭突きを叩き込んだのだ。頭蓋骨は人体の中で最も硬い部位の一つであり、体質によっては文字通り石のように硬い人間もいる。だから頭突きは、実は拳や蹴りよりも強力な技になり得る。そしてこの少年の頭は鉄のように硬かった。

 

「がっ……」

 

 いきなりの鉄の一撃に、悠は一瞬意識が飛んだ。気付いた時には地面に倒れており、異形の塔と真円の月を見上げる形になった。そして見上げたまま動くことができない。重力のような圧力は継続して体を襲っており、立ち上がるどころか身じろぎもできずにいる。もしここで少年が刀を抜いて突き刺してきたら、そのまま死ぬしかない。

 

「悠! 何しやがる! 何なんだ、てめえは!」

 

 陽介がいきり立つと、少年は憎悪の炎を目の奥に引っ込めた。ただの理不尽なのか道理があるのか他人には分からない、何の説明もしない憎しみは一旦創面の裏に隠れた。代わって楽し気な笑みが浮かぶ。

 

「僕は皆月翔。お前たちの言う犯人って奴さ! ようこそ、僕の世界へ!」

 

 顔に十字架が刻まれた少年は犯人と名乗った。かつて足立は早紀に証言されるまで自白しなかったが、少年は悠たちの前に姿を見せるやいなや、すぐに明かした。ミステリーを演出するつもりはないのだ。

 

「ああ、みんなの月って書いて皆月ね。6月の水無月じゃねえから間違えんなよ。それから翔は羊編に羽ね」

 

 そしてご丁寧なことに、字も教えた。

 

「なあ、知ってるか? 月ってなあ、実は神様なんだよ! 死神様! だから僕はみんなの死神様なわけ! いい名前だろう? 言いやすいしさ、油断したって噛む奴とかいねえよなあ!」

 

「ほ、ほえ? 神様?」

 

 皆月のテンションは高い。ただし大会主催者や実況とは種類の異なる興奮具合である。あの悪態や憎まれ口は、聞く者がどういう反応を示すか考えた上でのものだった。つまり相手を怒らせ、苛立たせることを目的としたものだったが、皆月は違う。自分が言いたいことだけを言う。その意味で、太陽の少年はベルベットルームの住人に近い。

 

「今日で世界は終わるんだ……炎に焼かれて、みんな死んじまうんだ! ツキヨの下で、モエツキヨ! なんつって、ははは!」

 

 エリザベスやマーガレットが時にナンセンスな歌を歌うように、皆月はダジャレを言う。

 

「ヨースケ……クマ、サムい……凍えそう……」

 

 腰に差してあったはずの刀が、皆月の手の中に瞬間移動した。一切の無駄がない、降り続いた雨が岩山の斜面を滑り落ちるような自然さでもって、抜いたこと自体を悟られないうちに殺せる体勢に入った。気付いた時にはもう、クマのあってなきがごとしの首に、冷たい白刃が当てられていた。

 

「どうした? 笑えよ。おかしいだろ? ほら、笑え」

 

 声色も刃に負けず劣らず冷たい。冗談好きの道化の仮面を、一瞬にして冷酷な戦士のそれに付け替えたように。ワイルドの力を持つ者が瞬き一つでペルソナを付け替えるように、クマ総統が瞳の色を自在に変えるように、何かの病気のように変わり身が速い。絆をもぎ取る『愚者』もかくやである。

 

「あ、あはははー! ズッキーってばおもしろーい!」

 

 着ぐるみの顔には冷や汗が浮かんでいるが、そこは皆月は気にしない。刀をクマから外して肩に担ぎ、口の端を持ち上げて笑う。

 

「よしよし、分かってんじゃねえか。クマ吉のくせによお!」

 

「皆月翔……幾月修司の関係者か?」

 

 ここで堂島が声を上げた。謎の重力に抵抗しようと、冷や汗ではない汗を浮かべている。しかし体は微動もしない。喋るのが精一杯である。

 

「あー、そっか。オッサン、ポートっ子じゃねえけどシャドウワーカーなんだっけ。うっわ、メンドクセ! メインゲストに入るんだか入んねえんだか、悩んじまうなあ!」

 

「目的は何だ。幾月の復讐か? だったら……」

 

 体が動かないなら言葉でどうにかするべく、堂島は質問を重ねる。犯人の話を聞いて、動機を明らかにするのも刑事の仕事である。しかしここは警察署の取調室ではない。容疑者は武器を持っているのだから、普通の聴取のようにしてはいけない。しかも相手は相当な達人だ。再び刀がいつの間にか動いた。

 

「やめろ! 何も知らねえてめえが、父さんを語るんじゃねえ!」

 

 父さん──

 

 赤い瞳に再び憎悪が燃え滾る。悠に打撃を食らわせた時と同じくらい熱い感情が、目からも声からも迸る。父の仇も母の仇も、子供にとっては同じくらい憎いのだ。

 

 鍛え抜かれた肉体と洗練され尽くした技は刀を完璧に制御しており、一切の揺らぎがない。皆月は飛んでいるハエでも、風に揺れる羽毛でも自在に斬れる。しかし心が余りに激しすぎるので、そこから乱れることがある。堂島の喉元に突き付けた右手の刀を、思わず滑り込ませてしまいそうになる。

 

「決定な。てめえはメインじゃねえ。刺身のツマだ。ツマならツマミ食いしたって、問題ねえよなあ!」

 

 悠たちは誰も知らないが、皆月はこの刀で『刈り取る者』と呼ばれる強大なシャドウを葬ったこともあるのだ。テレビの中でも現実の霧の中でも、あらゆる種類のシャドウを無数に切り裂いてきた恐るべき武器である。動けない堂島を解体するくらい、ものの数秒で可能だ。追加で数秒をかけていいなら、悠と陽介とクマもまとめて八つ裂きにできる。

 

「叔父さん!」

 

 倒れたままの悠が声を上げるが、もちろんどうしようもない。本番の舞台に上がる前から、最初の犠牲が出る。と思いきや──

 

「ん? 何だよ、こんな時に……おお、そうか!」

 

 皆月は突然刀を引き、一人で喋りだした。眼前にいる堂島を見てはいない。言葉の内容は誰かと会話するものだ。まるで電話をしているかのようだが、手に端末を持ってはいない。手を使わずに操作できる無線機の類を持っているようにも見えない。一見すると危ない所業のようだが、チームに属するペルソナ使いは時々こういうことをする。

 

 やがて皆月は『通話』を終えたように、視線を堂島に戻した。

 

「スペシャルゲストのご到着だ。てめえをつまみ食いすんのは、やめといてやるさ。せっかく来てくれたんだ。あの野郎も、ちょっとは気持ちよくしてやんねえとな……」

 

 刀を手の中で一回しして、鞘に納めた。そして悠たちを流し見る。

 

「じゃあな、ゆっくり遊んでけよ! てめえらトクソータイのゴミ虫どもにも、お楽しみを用意しトクソ~ってな! ははは!」

 

 そう言って皆月は踵を返し、異界化した八十神高校とその上に重なる怪異な塔へ向かっていった。未知の領域へ挑む緊張や不安はまるでない。遊園地に行く子供か、大好きなゲームが待っている家に帰る子供を連想させる、軽やかな足取りだ。正面玄関から堂々と校舎に入り、姿が見えなくなってしばらくしてから、ようやく四人は解放された。

 

「くっ……ぶはっ! 何なんだ、あいつ……」

 

「ふ、ふひー! 首チョンパされるかと思ったクマ! ブルブルブル……」

 

 陽介とクマは大きく息をついた。重力は体の中にまで作用するようで、かけられている間は呼吸も自由にできなかった。恐るべき術と言わざるを得ない。悠や陽介がいくら強くなっても、何の意味もなくしてしまう。皆月にその気があれば、四人とも殺されていたはずだ。

 

「大丈夫か、悠」

 

「ああ……大丈夫」

 

 堂島は倒れた甥に手を差し出し、立たせた。いざとなったら一人で何とかしろと言ったばかりだが、手を貸した。

 

「あいつは何者だ? どういう知り合いなんだ」

 

 そして事情を聞く。皆月が例のマヨナカテレビが流れたことに関わっているなら、P-1クライマックス出場者のプロフィールをある程度以上調べてあるのは当然だ。現に皆月は悠だけでなくクマの名前も口にしていたし、堂島の所属も知っていた。だが悠の方も皆月を知っていて、しかも皆月は強い悪感情を抱いているとなると、これは適当に流すことはできない。そもそも事件の発生が悠の『帰郷』に合わせたものとの見解はシャドウワーカーにもあったが、本格的にその可能性を疑わねばならない。

 

 しかし悠の方こそ訳が分からなかった。

 

「俺が聞きたいくらいだよ……」

 

 あの『ダジャレマシーン』は、悠の知るコミュニティの担い手とはまるで別人のように見えた。言動があまりにも違いすぎる。

 

「あいつ、お前なんか知らねえみたいなこと言ってやがったけどよ。んな訳ねえんだろ?」

 

「そうなんだが……」

 

 堂島に続いて陽介も聞いてきた。陽介は特捜会議の時から、犯人に心当たりはないかと聞いていた。その疑念は正しかったわけだが、悠にしてみれば正しいことの意味が分からなかった。

 

 そんな中、一人だけ全く別の観点で考える者がいる。

 

「うーん……月はカミサマ、ヅッキーはみんなのシニガミサマ……?」

 

 クマだ。着ぐるみの腕を組み、首を傾げて考え込む。皆月の自己紹介を繰り返して、ぴょこぴょこと音を立てて校門前を歩き回る。動物の熊が同じ場所をぐるぐる回り続けるように。そして何気なく視線を上に持っていくと、空に浮かぶ月が目に入った。瞬間、頭の中で何かが繋がった。

 

「あ! クマ、分かっちゃったクマ!」

 

 着ぐるみの手を打ち合わせると、ポスっと可愛げのある音がした。今夜が始まってからずっと考えていた疑問に、突然答えが見つかった。血の通った人間であるアイギスと同様に、中身のあるクマには閃きもあるのだ。

 

「まず神の国と神の義とを求めよ、されば(すべ)てこれらのものは汝らに加えらるべし。この故に明日のことを思い煩うな」

 

「は?」

 

 疑問符が三つ重なった。クマが何を言っているのか、三人とも分からなかった。悠と陽介もそうだが、堂島も聖書を読んだことはないので、マタイによる福音書を引用されても典拠はもちろん意味も分からない。しかしクマはそれに構わず、事の本質を口にする。

 

「この世界では、みんなの望みが現実になるんだクマ!」

 

「みんなの望み……?」

 

 テレビの中は心の世界であり、そこに入った者の『現実』が実体化する。ここで言う『現実』とは生の現実(そんなものが実在するかどうかも議論の余地があるが)ではなく、その人の現実に対する認知を反映したものだ。テレビの中の山野のマンションには、天井からロープが吊り下げられていたように。よって『現実』とは言いつつも、時にトラウマや願望がより強く反映される。

 

 そしてテレビの中が外を侵食しているかのような、この状況。霧が出て常人が象徴化して、シャドウが出てペルソナを出せてしかも召喚器も必要なくなること。実はそれらは、この事態の本質が現象として目に見える形で現れたに過ぎない。本質はテレビの中と外が一体化している、もしくはしつつあるということだ。テレビに入れられたはずの有里とアイギスの子供たちが、現実に聳え立つこの塔にいることが一つの証明である。

 

 そして人の願望を反映したダンジョンがテレビの中に立ち現れるように、例えばラビリスの願望が学校の形を取ったように、この世界では人の望みが現実になる。幻想でも認知でもない、正真正銘の現実になるのだ。クマが言っているのはそういうことだ。

 

「これはスゴイことクマよ……この大会を勝ち抜いた人は、きっと神様にだってなれちゃうクマ」

 

 まさに聖句にあるように、求めるものが与えられる。明日を心配する必要もなくなる。

 

「いや、全然分からんが……」

 

「スケールの大きな話だな……」

 

 しかし陽介には分からないし、堂島にも分からない。怪力乱神にも程度というものがある。クマの話は特捜隊のサブリーダーと稲羽支部の支部長の理解できる範囲を超えている。

 

「神……」

 

 しかし悠には分かる。完全に理解できるわけではないが、ごく最近似た話を聞いているので、それのことかと結び付けて考えることができる。

 

『それはどんな奇跡も奇跡でなくす、夢の力よ。貴方は神になる資格を得たの』

 

(宇宙と等価の存在……だったか?)

 

 電車の中の夢でベルベットルームに招かれた際、マーガレットに言われた言葉だ。その時は大仰すぎると思ったものだが、自分の体がどうなっているか分かった今になって考え直してみると、当時とは違う感慨が湧いてくる。

 

(神と言えば……)

 

 悠にとって神と言えばイザナミだ。7月に生田目にテレビに落とされた時から数えて、月は十度巡った。かの白い女神が恐れていた、世界を焼き殺す炎が激しく盛るその時が来た。それは天変地異、または神々の政変──

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。