ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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因縁の男(2012/5/6)

「あれって八十稲羽の町? ここはテレビの中……なのか?」

 

 二年前の1月31日を最後に失われたはずなのに、復活した影時間とタルタロス、またはそれを模したもの。オリジナルのそれを経験していない者たちが今夜は大勢参加している中で、また一人『新入り』が来た。

 

 巨大な月が見下ろす異形の塔の頂上で、一人の男が眼下を見ながら困惑していた。赤い霧で霞んでいるものの、昨年に生活した片田舎の町がある。テレビに入った途端、どういうわけかここに来てしまったのである。

 

 テレビに入るとそこは霧が満ちた世界で、入った人間に合わせて奇怪な、時に戯画的なダンジョンが生成される。その法則を男は知っているものの、奇妙な違和感を覚えていた。迷宮が生み出されるのは常人が入った場合であり、ペルソナ使いが入ってもできないはずだ。

 

 いや、絶対できないとは言いきれない。当の男自身も、自分が生み出したかどうか今一つ覚えていないが、少なくとも自分の心境に合った光景の中に身を置いたことがある。しかし今いるこの場所と、ここから見える景色を自分が生み出したとは思えなかった。馬鹿と煙は高いところが好きと言うが、男は別に好きではないのだ。

 

「いや、ここはテレビの中ではない。現実の八十稲羽だ」

 

 声をかけられて振り返ると、一人の『少年』がいた。ミリタリーシャツを着て上着を腰に巻いた、青い目をした若者だ。顔の中央に十字の傷がある。そして二本の刀を腰に差していた。ペルソナ使いは大体何かの武器を持っているが、この時ばかりはどういうわけか、武器を持っていることが奇妙なほどに気になった。

 

 それは『少年』が発する異様な威圧感のなせる業だろうか。人間でも威圧的な者は特に珍しくないが、眼前の人物は違う。男は二人殺しただけで後悔を禁じ得なかったが、この『少年』は何人殺しても何とも思わない──

 

「待っていたよ、足立透。この町では随一の力を持つペルソナ使い」

 

「君が僕を呼んでくれちゃった人?」

 

「そうだ。ようこそ、彼の世界へ。俺はミナヅキだ」

 

『少年』は下の名前までは名乗らず、どういう字を書くのかも言わなかった。昨年8月に悠と初めて会った時と同じである。

 

「……」

 

 呼ばれた男、昨年の連続殺人事件の犯人でシャドウワーカー稲羽支部で最強を誇ったペルソナ使い、足立透はミナヅキを注意深く観察した。そのうちに腰に巻いた上着が八十神高校の制服であることに気付いた。しかしミナヅキは高校生にはなかなか見えなかった。

 

 昨年に肩を並べて戦った稲羽支部の仲間たちと、自分を追っていた特別捜査隊の面々は多くが高校生だったが、彼らは年相応に幼かった。しかしミナヅキはそれとは雰囲気がまるで違う。下手をすると足立自身より年上に見えてしまいそうだった。子供の一人くらいいたとしても驚かない。

 

「で、何なの? 特に用がなきゃ、帰りたいんだけどなあ」

 

 これは本音である。足立がここに来たのは自分の意志ではない。面倒事に巻き込まれたとの思いがある。

 

「こういう用だ」

 

 ミナヅキが体を横にずらすと、一台のテレビが床に置いてあった。当然ながらここにコンセントがあるはずがないので、電源は入っていない。人が通り抜けるのは難しそうなサイズの、黒い液晶画面が沈黙しながらそこにあった。テレビと言えば特捜隊にはお馴染みの、足立にとっては彼らよりもよく知る例の番組である。しかし今は電気と電波の代わりになる雨は降っていない。

 

 足立の頬と同様に、機械は濡れていない。それでいながら、映るものは映った。

 

『強い者が勝ち、負けた者が去る……今宵我々は、史上最も熱いドラマの目撃者になる!』

 

 視聴者が来たことを機械が自動的に認識したように、いやに渋い声のナレーションと共にマヨナカテレビが映し出された。足立は昨年から予告、ライブ、録画の三種類を全て見ていたが、そのどれとも異なるものだった。

 

『諸行無常のP-1クライマックス、まもなく……カイマクマー!』

 

「……何これ」

 

 プロモーションビデオを見た足立は開いた口が塞がらなかった。どこから突っ込めばいいのか分からない。雨が降っていないのに映ったことか、今までとの演出の違いか、大勢いた番組出演者はかつての相棒を始めほとんどが足立も知った顔だったが、二人ほどいた見覚えのない女について聞くべきか。

 

「これは再放送だからな。いつものとは映る時間が違う」

 

 ミナヅキの解説は、最もどうでもいい点についてだった。

 

「あ、あっそ……」

 

「それよりまだ終わっていないぞ」

 

 そう言うミナヅキは十字の傷から覗く目を細めて、にやりと笑った。姿を現して以来、初めて表情を動かした。

 

『そんでは特別に、特設ステージの状況をお見せしまショー!』

 

 大会の開幕宣言の直後にテレビは消えたはずだが、ミナヅキが足立にもう一度見るよう促した途端に、先ほどとは毛色の違う映像が映し出された。どこかのバルコニー風の場所で、泣いている二人の赤子が檻に入れられ、気を失った三人の少年が十字架にかけられている。

 

「!……」

 

 赤子はともかく、磔にされた三人はいずれも足立の知り合いだった。特にそのうちの一人は、自分の罪が暴かれ、捕まる最大の原因になった少年である。柄にもなく親身になり、戦う心構えを教え、シャドウから守った相手でもある。足立は思わず自分の顔が険しくなるのを感じた。内心を隠すことが得意で、道化を演じることもできる仮面使いの名人にしては珍しい失態である。ミナヅキが見ているのに、表情を操ることができなかった。

 

「状況は分かったか? あいつらを助けに、君もよく知るペルソナ使いたちがここに来る」

 

「僕にどうしろってのさ」

 

「これを使え」

 

 ミナヅキは片手で持てるサイズのものを、足立に向けて放った。野球のボールでも渡すような、無造作な下手投げである。

 

「これはまた……懐かしいものを」

 

 日本の警察が使う五連発式のリボルバー拳銃だ。足立は刑事として使う機会は訓練以外では一度もなかったが、ペルソナ使いとしてシャドウを狩るのには何度も使った。人間相手にも二度ほど使った。二度とも相手は死ななかったが。

 

「射撃は得意なんだろう。好きに使って、奴らに復讐するといい」

 

「復讐ねえ……僕、もう人を殺すつもりはないんだけど?」

 

 磔にされた尚紀の姿を見て思わず内心を顔に出してしまったことに続く、今夜二度目の失態だ。こういう時は『面白そうだね』とか言って、相手に同調する振りをして情報を引き出すべきである。足立自身、頭ではそう思っているのだが、口では本音を言ってしまった。しかも言い終えてからも、後悔が湧いてこない。

 

 下手をすれば早速交渉決裂だ。しかしミナヅキは不思議なことを言い出した。

 

「構わん。この霧の中では、そう容易く人は死なないからな」

 

「は? 何で?」

 

 人は死ぬものだ。銃で撃たれても、剣で斬られても死ぬ。武器の種類も殺意の有無も関係ない。ペルソナ使いは傷を癒やす術を持っていることもあるので、普通の人間よりは死ににくいが、それでも死ぬ時は死ぬ。足立自身を含めて、ペルソナ使いは不死身でも超人でもないのだ。

 

「試してみれば分かる」

 

「……そう」

 

 足立は拳銃をベルトに差した。ホルスターはないので腰のやや左側、上着で隠れる位置に差した。そうしながらも視線はミナヅキから外さない。油断はしない。最初に意図して作った軽い雰囲気は消えたままだ。こうなってはもう、今から道化を演じても無意味である。本音を中心にして真面目に話す。

 

「んで? 君は人質まで取って連中を呼び寄せて、何するつもりなの。こんな派手なことしたら、田舎のガキどもだけじゃなくて都会の怖いお兄さんも来るよ」

 

「当然、有里が来ることは織り込み済みだ」

 

 足立はまだ口にしていない具体的な名前が挙がった。引き合いに出されたその男こそが最大の障害になるであろうことは、目に見えている。

 

「僕、彼には勝てる気しないよ?」

 

「心配はいらん。奴を倒す策はある」

 

 足立は知らないことだが、有里はグランプリでは一回戦負けした。実力だけ見れば間違いなく最強の男だが、決して不敗ではない。策が上手くはまりさえすれば倒せることは、既に実証されている。

 

「ふーん……で、そもそも君は何するつもりなの」

 

 足立はミナヅキがまだ答えていない問いを繰り返した。警察官として、聴取されている容疑者が話を逸らして聞かれたことに答えずにいようとするのは、何度も見ている。そういう場合の職業的な対応のように、敢えて空気を読まずに話を元に戻す。

 

「俺は世界を滅ぼす。それがあの子の意志だからだ」

 

 あの子──

 

「君も去年の暮れにあの世界で見ただろう? ああいうものを呼び出すのだ」

 

 ミナヅキの言葉は抽象的だが、『ああいうもの』が何なのか足立には分かった気がした。

 

「ああ……あのボコボコにされてた目ん玉のこと? あんなのいくらいたって無駄じゃない?」

 

 二人が言っているのは、昨年の12月にテレビの中に現れたある超常の存在だ。かの目玉の怪物、実は神の一柱は、近いうちに世界が滅ぶと言っていた。足立はその話に興味がなくもなかったが、信じてはいなかった。そしてかの目玉は世界を滅ぼすどころか、不甲斐ないことに堂島たちに叩きのめされて消滅した。そんな口だけの存在だった為、以降はほとんど忘れていたくらいだった。

 

「アメノサギリが容易く倒されたのは、適切な依り代を持たなかったからだ。俺はあの失敗は繰り返さない」

 

「どうするの?」

 

「器を用意する。そして連中からペルソナの欠片を削り取る」

 

 ミナヅキはまず核心を述べた後に、詳しい計画を説明しだした。まずは有象無象で構わないのでシャドウを寄せ集めて、一つの大きな塊を作る。それを器にして、超常の存在を降臨させる。そしてそれを飼いならす為に、ペルソナの衝突によって生み出される『ペルソナの欠片』を使う。

 

 先ほどのマヨナカテレビの再放送で宣伝されていた『P-1クライマックス』と題した戦いは、既に始まっている。そこでペルソナ使いたちと、シャドウを集めて作った偽物たちを一対一で戦わせる。傷つくだけでペルソナの欠片は削られ、しかも偽物からも出るので、勝敗に関わらず戦いさえすれば集まる。そうして十分な欠片を集めたところで、シャドウの塊を依り代として世界を滅ぼす存在を降臨させ、それに欠片を注入する。そうすればペルソナ使いなど何人いてもどうしようもない絶対的な存在として顕現し、かつ自分たちが操ることができる──

 

 創面の『少年』はそう語った。初対面の足立に話すにしては、非常にあっさりと自分の策を明らかにした。饒舌なほどにと言ってよいくらいだ。綿密で完璧な犯行計画を一人で考え出したものの、それを聞かせてやる相手がいなくて退屈を覚えていたのだが、やっと相手が見つかって喜ぶように。

 

「へえ……そりゃ凄いね」

 

「君もこの下らない世界を気に入ってはいないのだろう? 協力しろ」

 

「断る選択肢なんか用意してなさそうね」

 

「聞いているのは俺だ」

 

 足立が話を逸らして聞かれたことに答えずにいようとするのを、ミナヅキは矯正してきた。

 

「この世界か……ま、確かに下らないし、好きじゃあないね」

 

 これは本音である。

 

「交渉成立だな。では彼にも会わせておこう」

 

 ミナヅキは笑った。はにかむような、憐れむような薄い笑みである。しかしミリタリーシャツの下の胸から、小型のライトでも仕込んでいるような赤く淡い光が発せられたと思ったら、笑顔の種類が変わった。

 

「くくく……はっはっは!」

 

 唇が大きく吊り上がり、心底おかしくてならないと大笑いする。退屈な日々にうんざりしていた時に面白いゲームを見つけてはしゃぐような、分解も破壊も好きなようにしていい玩具を与えられたような、そんな笑い方をした。

 

「そうともよ! この世界は下らねえ! 良かったなあ、もうすぐぜ~んぶぶっ壊れるぜ?」

 

 ついでに言うことも大変わりした。高校の制服を着ているものの年を取った大人のような雰囲気を醸し出していた『少年』は、突然そこらの高校生よりも幼い印象を与えてきた。

 

「え? え? ちょっと君、キャラ変わっていない?」

 

「そりゃそうさ! 僕はあいつとは違うからなあ……改めまして、こんばんは。僕は皆月翔。ようこそ、僕の世界へってな」

 

 足立は開いた口が塞がらなかった。相手の豹変ぶりに頭が追い付かない。

 

「えっと……こんばんは。君はさっきのミナヅキ君と違うの?」

 

「ったく、メンドクセえな。ミナヅキはあいつで、僕は皆月だっつー話だよ」

 

 文字に起こさず口頭だけだと、訳の分からない自己紹介である。ただこのように言動が急変する人間というものは、世の中を見渡せばいないこともない。決して多数派ではないが、警察官であれば精神鑑定にかけられた犯人などで目にすることはある。

 

「説明すんのメンドーだから、もうヤメンドー、ってな! ははは!」

 

(多重人格……? いや、違う気がするな)

 

 足立はそう呼ばれる人間を現に見たことはない。本庁にいた頃に同僚から話に聞いたり、警察の資料で見たりしたことがあるくらいだ。しかし眼前のミナヅキと皆月からは、いわゆる多重人格ではないような気がした。ただの勘に近いものだが、皆月の狂的な気配がそう感じさせた。

 

「じゃあな! お前の為に獲物を残しといてやったんだ。せいぜい楽しんでけよ!」

 

 そして踵を返し、片手を上げてさっさと屋上から立ち去った。忙しいのか、一つの場所にじっとしていられない性格なのか、その足は速かった。背中から撃ってやろうかと足立が考えた次の瞬間には、もうその姿は見えなくなった。

 

「……」

 

 一人になった足立は考える。何気なく視線を上に持っていくと、インクを零したように赤い空が視界に入る。特殊部隊に在籍していた時に支給された眼鏡は、もう手元にない。目を晦ます赤色そのものを見つめているうちに、昨年の暮れにしばらく身を置いた空間を思い出した。皆月が『僕の世界』と呼んだこの光景と、色だけは通じるものがある。しかし色以外はまるで異なる。

 

 あれは虚無で、これは混沌だ。

 

(つーか……この場所は一体何だ? 皆月の世界?)

 

 足立は昨年12月に確保された後、シャドウワーカーのお膝元である港区に送られ、そのままずっとそこに拘留されていた。起訴はまだされていない。それどころか、連続殺人事件の犯人として発表もされていない。おかげであの事件は、世間では今も未解決のままにされている。勤めていた警察は依願退職扱いになっているが、それだけだ。その理由は手口と背後関係の異常さである。ペルソナ使いにして特殊部隊員の犯罪者をどう扱うか、まだ決まっていないのである。

 

 そんな時、拘留先の食事(固い煮物だった)を終えた後、取り調べを受けたのだ。相手はもちろん普通の刑事ではなく、世界の裏側の事情を知っている公安警察だった。

 

 足立はもう事件について一通りを正直に話している。殺しをやった場所や日時、方法などだ。しかし実は動機に関してだけは、適当にごまかしている。それを相手も察しているのか、この時期になっても取り調べされることは時々あった。その日もまた同じことの繰り返しかとうんざりしていたら、聴取中に相手は突然別人に『成り代わった』。

 

 目が赤く光り、言動が全く変わったのだ。昨年の間に怪力乱神を色々と見た足立にとっても、初めて見る類の変貌だった。そして外に連れ出された。拳銃まで出して脅してくるものだから、逆らうことは難しかった。足立は知らないが、1日に起きたハイジャック事件と同じである。

 

 面倒だと思いながらも、車に乗せられ遠くに連れてこられた。移動中は目隠しをされていたので場所は分からなかったが、今にして思うと稲羽市周辺に連れてこられたのだろう。そして車から出されたと思ったら、突然背中を押され、次の瞬間に落下する感覚に襲われた。崖から突き落とされでもしたのかと一瞬思ったが、ある意味で正解だった。テレビに入れられたのだ。正確に言うと、自分の能力でテレビに入らされた。

 

 そして出てきたのがこの場所だったのだ。

 

(ここが現実だって? 見た目も肌感覚的にも、完全にテレビの中じゃないの。それにテレビに入って、どうして現実の別の場所に出るのさ……って、まあどうでもいいか)

 

 疑問は尽きないが、一旦思考を止めた。テレビの世界が何で、現実の世界との真の関係は何であるのか。そうした観念的な問題に足立はさほど興味を持っていないし、クマと違って自分の存在意義に関わる問題とも思っていない。足立はリアリストである。

 

 ため息を一つ吐く。赤い霧を深呼吸しても体に害はない。煙草を吸いたい気分になったが、もちろん手元にはない。もっともあったところで拘留後は一本も吸っていないから、禁煙に慣れてしまった体が有害物質を拒絶して咳き込んでしまうかもしれない。

 

(やれやれだ……世界を滅ぼしたいなら好きにすればいいけど? 僕を巻き込まなくたっていいじゃない……)

 

 現実の世界が好きでないのは本音である。しかし面倒事はご免被りたいというのは、もっと本音である。一言で言えば、『どうでもいい』のだ。世界が滅ぶことも自分が死ぬことも別に構わない。しかしながら、いや、それ故にこそ、世界を滅ぼす為に何か行動する気にはなれない。もちろん守る為の行動もしたくない。

 

(だけど……)

 

 マヨナカテレビの最後の映像を思い出す。人質の一人は尚紀だ。かの少年もどうでもいいと言っては嘘になる。別に自他のどちらにも嘘を吐くことに躊躇いはないが、尚紀に関してだけは、自分自身に嘘を吐くことに抵抗を感じた。虚無に沈む道化師の心に打ちこまれた刑死の楔は、まだ抜かれていなかった。

 

(しょうがない。助けてやるか)

 

 あの少年だけは助けなければならない。足立は歩き出した。

 

 

 

 

「あいつと二度目に会ったのは……文化祭の時だ。叔父さんも会ってるはずだよ」

 

 特捜隊の初期メンバーである悠と陽介とクマ、それに加えて堂島。男ばかりの四人組は、八十神高校の教室棟らしき赤い空間を歩いていた。話題は校門前に現れた少年、皆月についてである。悠はどういう知り合いなのか堂島に聞かれて、馴れ初めから順に、歩きながら話しているのだ。

 

「……ああ、そう言えばいたな」

 

 言われて堂島も思い出した。昨年の10月30日、菜々子を連れて八十神高校の文化祭を見に行った時だ。あの日の出来事と言えば、菜々子が飛び入り参加したミスコンが強い印象を残していた。可愛い娘の将来に不安を覚えたくらいだった。だからそれ以外のことはほとんど忘れていたが、確かに悠と合流した時、堂島たちと入れ違いに去っていった誰かがいた。更に思い出せば、あの時の菜々子は怖がっていたような気もする。

 

「でもあんな奴じゃなかった。もっと落ち着いていて、理知的な感じだったんだけど」

 

「別人ってことか? 双子の兄弟とか?」

 

 陽介が口を挟むと、堂島が窘めた。

 

「勝手に犯人の家族構成を作るな。ただ兄弟かどうかはともかく……この事件、複数犯の可能性が高い」

 

 陽介の発言は思いつきだが、堂島のそれは多少だが根拠がある。それは何かと言うと──

 

「さっき突然一人で喋り出したこと?」

 

「そうだ。あれが情報系ペルソナの通信だとすれば、共犯者が最低一人はいることになる」

 

 校門前で金縛りにあった堂島を刺し殺そうとしたまさにその時、皆月は電話を受けたように一人で喋りだした。そしてまるでその『電話』の相手が止めたかのように、堂島は命拾いした。しかし──

 

「うーん……でもでも、そういうのクマは感じなかったクマよ?」

 

「じゃあただの危ねえ奴か?」

 

「それくらいにしておけ。真相は奴を捕まえて聞き出すしかないんだ」

 

 堂島は再び若者を窘めた。事件解決の為には推理もある程度は必要だが、事実が分からない中で適当に推理を重ねるのは無駄であるばかりか、かえって有害だ。人間の認知資源には限りがある。根拠のない思いつきに意識を割いていると、肝心なところで事実を見落としかねない。そして今の時点で分かっている事実は──

 

「ところで、幾月修司って月光館学園の理事長だった人?」

 

 悠の質問に堂島は視線を鋭くした。前を向いて歩いていた足を止め、隣に立つ甥を睨むようにして見る。

 

「そんな話、どこで聞いた」

 

「クマたちの仲間には、ナオチャンという賢い子がいるクマ!」

 

「白鐘か……侮れんな」

 

 クマは胸を張って自慢げに言い、対する堂島は顔を苦くした。若者たちが戦いに参加するのは認めたが、こういう方面でも仕事をするとは思わなかった。だがもう状況が状況であるので、堂島は特殊部隊の情報を一部開示した。

 

「シャドウワーカー本部のペルソナ使いはほとんどが月光館学園の出身だ。世間で無気力症が多発した2009年頃、彼らは表向き部活動の形でシャドウ対策に臨んでいたらしい。幾月は元締めの立場にいたんだが……裏切者だったそうだ」

 

「自殺したって聞いてるけど、実は違うの?」

 

「詳しいことは俺も知らん」

 

 悠が更に一歩踏み込んできたが、堂島は遮った。これは極めて高度な『大人の事情』である。シャドウワーカーと公安警察の間で、政治的な駆け引きに発展しかねないデリケートな情報だ。堂島自身、幾月の死にまつわる事実をどう取り扱うかは決めかねている。そこに息子のような甥を関わらせることは、さすがにしたくなかった。

 

「皆月は幾月を父と呼んでいた。事件の動機に、幾月の死が関係している可能性はある。もっとも幾月に家族はいないと聞いているが……」

 

「なんか……穏やかじゃねえ気配バリバリっすね」

 

 陽介が呟くと、堂島は歩みを再開した。この話はもう終わりだと、足で語る。

 

「先を急ぐぞ」

 

「……」

 

 悠は真相を聞きたかったが、父のような叔父はこれ以上話すつもりがないことを感じて、一旦引き下がった。かくして皆月について、また幾月についての話は宙に浮いてしまった。今夜の事件の真相にはまだ届かない。かの死神のコミュニティの担い手、またはその兄弟か何かにもう一度会い、話を聞くまでは──

 

 と思った瞬間、悠は卒然とあることに気付いた。

 

(あ、そうか。エリザベスさんは今ある絆は四つだって言ってたが……もう一つは死神か)

 

 グランプリの乱入戦で聞いた、意味がよく分からなかったセリフだ。ほとんどのコミュニティを壊した中で、無事なのはペルソナを使える道化師、審判、永劫の三つ。それに死神を加えて四つだったわけだ。

 

 複数のペルソナを操るワイルドでも、一度に保持できる数は有限である。今の悠の心に住まうペルソナに、死神のアルカナに属するものはない。絆を証明するものを貰ってもいないので、これと言って強力な死神のペルソナはマーガレットのペルソナ全書にもない。だから今まで確かめられなかったのだが、これで腑に落ちた。

 

 そうして廊下を歩いていると、前方から人の気配がした。

 

「誰か来るクマ! これは……シャドウじゃないクマ」

 

 クマの鼻は常に正確というわけではないが、これくらいは間違えない。シャドウでないなら仲間か、もしくは皆月か。室内まで漂って視界を悪くする赤い霧の向こうからやって来る何者かを待って、四人は足を止めた。

 

 悠も有里も荒垣も、皆が山の麓から頂上を目指して登る中、一人だけ頂上から降りてきた男だった。堂島の相棒で、悠の絆の担い手の一人で、陽介の筋違いな仇。飄然とした顔で、人差し指と中指を揃えた右手を振っている。よれたスーツを着てネクタイは締めていない。もちろん足立である。

 

「やあ、お久しぶりっす」

 

 因縁の男との再会は、何とも軽い調子の挨拶で始まった。

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