「足立……!?」
拘留されているはずの、昨年の事件の犯人の登場。それは全く脈絡が見えないわけではない。ラビリスの強奪に始まったゴールデンウィークの事件の犯人が、昨年のそれと同じである可能性は特別捜査隊とシャドウワーカーのいずれも考えた。しかしどちらにおいても否定された。
だから堂島はかつての相棒の姿に、心底から驚いた。自失しかけていると言ってもいい。口を半開きにして、体は硬直してしまった。こんな姿を見せるのは、昨年のちょうど今頃に現実の霧の中で初めてシャドウを見た時以来だ。
「てめえ、やっぱり……!」
堂島とは対照的に、陽介はやはりそうだったのかと戦意を漲らせる。事件への足立の関与は、特捜隊と稲羽支部高校生組の合同特捜会議でも否定されたが、主にそれを言っていたのは直斗だ。その見解は客観的に言って納得できるものだったので特に反論は出なかったが、陽介の心の中ではずっと引っ掛かりがあった。
正確に言えば、それは疑惑ではなく期待だった。昨年は尚紀に持っていかれた事件の犯人を、今度こそ自分が捕まえたかった。永久に失ったと思っていたチャンスが、再び訪れることを期待していた。実力で相棒に追い付き、足立にも追い付いたと思っている今はなおさらだ。敵の姿を見つけた陽介の心に浮かぶのは、怒りよりも喜びの方がむしろ大きいくらいだ。
そんな叔父と相棒と違って、悠はまだ冷静だった。直前にクマが言っていたことを、念の為にもう一度確認する。
「クマ! 偽物じゃないのか!?」
「このアダッチーは本物クマ! 間違いない!」
「へ? 偽物? あー、そうか。何かそんな話になってたね。ははは」
足立はへらりと笑った。偽物とまだ遭遇してはいないが、ミナヅキに聞いたのでこの大会の基本的な方針は分かっている。もしかすると自分の偽物もいるかもしれない、と足立は事件に対する警戒度を一段階上げた。もし本当に出てきたら、対抗できる者は多くないはずだ。例えば堂島では無理だ。以前に考えたように、足立の偽物に勝てるのは足立自身か有里のみ──
(ん? 偽物と言えば、霧の日に一度出たよな? もしかしてあれも皆月たちの差し金? だとすると……)
自分の偽物が出たらまずいとの危惧を、以前も抱いていたことを思い出した。昨年10月の霧の日に、一条と長瀬の偽物が現れた件だ。あれも皆月たちの仕業だとすると、その頃から自分たちを監視していたことになる。
「お前……なぜここにいる」
足立が考察するのを遮るように、驚きから立ち直った堂島が問いかけた。武器の警棒はまだ手にしていないが、声色と表情はかなり厳しい。仕事の相棒だった頃によく叱った時よりも、ずっと。
「ええ、まあ……僕としてはもう大人しくしてるつもりだったんですけど。どうしてもって頼まれちゃいましてね? 仕事押し付けられたら断れないって、損な性分ですよね」
「頼まれた? 皆月にか?」
「ああ、もう知ってるんですね。さっすが堂島さん!」
話が早くて助かる。軽い口調で追従してやると、四人の中で最も敵意を剝き出しにした少年が噛みついてきた。
「てめえ、犯人と手え組んでやがんのか!」
陽介は既に短剣を手に持っていた。今にも飛び掛からんばかりである。足立から見るといかにもキレる少年という風情だが、陽介の相手をするつもりはない。それこそ皆月たちの思う壺だ。
「そんなことより、今ヤバいんでしょ? もうすぐ世界が滅びるらしいじゃないっすか。さっさと逃げた方がいいっすよ。怖ーいお兄さんもいるし」
足立はいきり立つ陽介を無視して、堂島に向けて言う。逃げた方がいいとは本音である。足立の見る限り、堂島は皆月たちには敵わない。有里が来ているのなら有里に任せればいい。皆月にどんな策があるのか知らないが、あの最強にして腹黒い男なら心配はない。そう思っていた。
「足立さん、貴方の目的は何ですか」
今度は悠だ。その表情や口調に堂島のような訝しさはなく、陽介のような怒りもない。
「ん?」
悠からすれば足立は自分を撃って入院させた相手だが、恐れや憎しみを感じてはいないのだ。一時期はともかく、今はない。
「貴方は世界を滅ぼすことになんか、興味があるとは思えません」
悠が感じているのは、ある種の信頼である。皆月に頼まれたと言うのは本当かもしれない。関係ない人を操ってハイジャックまで起こさせたという犯人なら、足立を脱獄させることも可能だろう。しかし世界を滅ぼすなどと言う皆月やクマ総統に、足立が協力するとは思えなかった。昨年の事件の原因も黒幕も、どうでもいいと手紙で言っていた足立が──
「……」
足立は黙った。そして思わず表情が消えてしまった。悠の指摘は正解である。世界が滅んでも構わないが、滅ぼすことに興味はない。だがそんな自分の本心を、他でもない悠に言い当てられることは愉快ではなかった。堂島ならまだ許せるし、尚紀なら仕方がないと思えただろうが、悠では気に入らなかった。道化師だか欲望だか知らないが、自分と悠の間にある絆とやらのせいで気付かれたのだとしたら、本当に不愉快だ。
(いや……そういう問題じゃない。今だって皆月たちが僕を監視している可能性もあるんだ。ここで『そうだよ』とか言うわけにいかないんだ)
子供のように真っ直ぐ突撃するだけでは、世の中は上手くいかない。大人には大人のやり方がある。不意に湧いた天邪鬼にそう言い訳して、悠の問いに答えることをやめた。
──
「ほえ!? 地震クマ!?」
数秒間の沈黙を破るように、足元が急に揺れた。地震のようだが、現実だかテレビの中だかはっきりしない今の状態で、果たして自然の地震など起こるだろうか。これはきっと、何かの合図か前触れ。何の前触れかと言えば、ろくでもないものに決まっている。誰もがそう感じるはずだ。
「うう……何かスッゴク、イヤな感じクマ。この塔の上の方……だと思うけど、何かヤバいことが起きてるクマ。メイビー……じゃなくて、もうほとんどアブソリュートクマ」
クマもそれを感じている。人を見て本物か偽物か分かるように、何か途轍もなく危険な事態が進行していることが分かる。鼻で感じるよりも、肌で感じる。
「あー……こりゃもう始まっちゃったかな? 予想より早いなあ……」
そして足立はもう少し具体的な見当をつけられる。ミナヅキから聞いた、超常の存在を降臨させる為の器が集まりつつあるのだと察した。何気なく視線を泳がせる振りをして廊下の窓へと送れば、紙屑のように空を舞っているシャドウが見えた。案の定である。
「忠告はしましたよ? そんじゃ」
足立は踵を返した。できれば堂島たちを追い払おうと思ったが、無理だった。だが当然と言えば当然の結果である。昨年の今頃に堂島がシャドウワーカーに参加したのは堂島の意志だった。足立がそれを覆すのは無理だったように、今日も事件から手を引かせることは無理だ。諦めを抱いて元相棒に背を向けた。
「おい、待て!」
しかし堂島は足立を放っておかない。捕まえる為、本当の話を聞く為、そして可能なら協力を得る為に追いかけようとしたが、それもやはり無理だった。
「あ、パパさん! 危ないクマ!」
「くっ……壁か!」
見えない壁に堂島は止められた。足立は振り返らず、そのまま元来た道を歩き去った。来た時と違って、手を振ることもしない。
かつて存在したオリジナルの影時間に現れたタルタロスは、入るたびに構造が変わるという特性があった。同じフロアでも日によって、それどころか同じ日でも二度入れば迷宮の形が変わった。そして今夜の八十稲羽に現れた塔、もしかすると『皆月の世界』そのものも、それと似たところがある。そして構造の変わり幅はオリジナルより大きい。
同じ入り口から入っても、人によって出る場所に違いが出る。同じ通路を歩いても、歩く距離に違いが出る。具体的に言うと、足立は塔の頂上に出たはずなのに少し歩いただけで、下層の学校を模した空間にいる悠たちに遭遇した。そして引き返すと、また違う場所に出てしまった。それは偶然か、足立の願望が反映しているのか、それとも裏で仕組まれているものがあるのか──
風に吹かれたゴミのように集まっていく無数のシャドウと、時々現れる光る金色の粒、即ちペルソナの欠片が廊下の窓の向こうを飛翔する。それを横目に見ながら、足立は無心に歩く。因縁深い少年を探しているのだが、場所に心当たりはない。マヨナカテレビではバルコニーらしき場所にいたはずだが、それがどこなのかは分からない。開けられる扉を片っ端から開けているが、どこにも誰もいなかった。
(僕も情報系の力があれば良かったなあ)
ないものねだりをしながら、また次の教室の扉に手をかけた。すると当たりを引いた。ある力が欲しいと思ったら、それを持つ者を見つけた。幸運と言うか、求めれば与えられると言うか。
(いた! ……けど、これはちょっとまずいな)
扉を開けた先の空間はマヨナカテレビに映っていたバルコニーではなかったが、とにかく足立は尚紀を見つけた。映像のそれと同じような十字架に尚紀はかけられていた。怪我をしている様子はないが、気を失っているようだった。だが喜びの声を上げるわけにいかなかった。何がまずいかと言うと、部屋にミリタリーシャツを着て腰に刀を差した人物がいるのだ。
部屋そのものも、また何とも結構な趣味の部屋だった。ギリシャかどこかの神殿を思わせる太い円形の柱がいくつも立ち並び、奥の壁には巨大な時計が掲げられている。数字と針、フレームが金色に光っており、中の歯車の機構が一部透けて見える。その壁の時計に向けて、青いカーペットが敷かれた階段が備え付けられている。そしてなぜか棺桶が数個、床に転がっていた。しかも棺桶は鎖で縛られていた。何かの弾みで中身が出てこれないようにと、或いは何が何でも絶対に出さないという意志を感じさせる。
「あ? なーんだ、お前か」
その固定された棺桶の一つに腰かけていた人物が振り返ってきた。気だるげな喋り方から、今出ているのは皆月だと分かった。足立は軽い口調で喋りながら歩み寄る。
「やあ、順調そうじゃない。集まってるんでしょ、ペルソナの欠片」
「あ? てめえの目は節穴か? 全然集まってねえよ!」
「あれ、そうだったの?」
足立は廊下の窓越しに金色に光る粒が飛翔するのを見ている。しかしそれが多いのか少ないのかは、基準や数え方を聞いていない足立には分からない話だった。
(ひょっとして、向こうもこいつの狙いに気付いて何か対策打ったのか?)
高校生の集団である特捜隊はともかく、大人のシャドウワーカーは無策な子供の群れではない。足立はそう評価している。ならば対抗策を編み出したとしても不思議はない。
「こうなったらもう、僕が出向いて何人か解体してやろっかな……」
「うんうん、その方がいいかもね。人質なら僕が見張ってるから、行ってきたら?」
「あん……?」
言った瞬間、皆月は視線を鋭くしてきた。その鋭さの名は怒りではなく、疑念だ。足立は表に出ない内心でしまったと思った。皆月を体よく追い払おうとしたら、かえって疑いを持たれたようである。
(ありゃ、安易すぎたか)
迂闊だった。皆月はミナヅキと違って、所詮は子供だと思って油断していたことは否めない。
(僕と人質の関係くらい、当然知ってるか……)
残念さを飲み込んで、足立は皆月を改めて観察した。ここで戦いになったら勝てるかどうか、彼我の戦力を比較する。今の足立の力は最後に戦った12月8日と比べて、五ヶ月ほどのブランクがあるので少しは落ちているかもしれない。もっともペルソナは心の力であり、気持ちが充実していれば使える。今の足立は12月と違って一種のモチベーションがあるので、少々のなまりはそれで補えるかもしれない。それらを総合すると──
(ギリギリ何とかなるかな……やるなら不意打ちでさっさと終わらせたいけど)
言うまでもないが、足立にスポーツマンシップの類はない。やるなら背中から撃って、一発で仕留めるのが最善である。隙を見出せれば、容赦なくやる。もう殺しをするつもりはないが、やっても後悔してはならない。足立はそこまで気持ちを進めた。
「てめえこそ、何サボってやがんだ? てめえが行ってこいよ。誰でもいいから、二、三人首取ってこいよ、なあ?」
瞬間的に皆月の手に刀が現れた。二人の距離は五歩くらいあるが、やろうと思えばあっという間に足立の喉を貫けるのだと、皆月はニヤニヤとした笑いでもって主張している。命令する立場にあるのは自分であると、抜き身の刀に言わせている。
「あれれ? 僕、好きにしろって聞いてるけど?」
しかし足立も黙って貫かれるつもりはない。心と体は戦う準備をしつつ、創面の少年を煽る。少しくらい怒らせた方が、やる時には優位になるから。子供じみた感情は勝負の足枷にしかならないのだ。挑発は上手くやれば、不意打ちと同じくらい効果がある。
「そんなもの突き付けて、どうしようっての? ミナヅキ君が僕を呼んだのは、僕が必要だからでしょ? 君の気分だけで僕を殺しちゃっていいわけ?」
ミナヅキは足立に『協力しろ』と言っただけで必要だとは言っていないが、それはそれである。事実に基づかない出任せなど、足立の口からはいくらでも出てくる。
「……勘違いすんな。あいつが何を言おうと関係ねえ。僕は僕の意思がありゃ、それだけで殺せんだ」
皆月の口調は少し緩やかになった。ただしそれはより大きな怒りの表れである。ここは更に攻めるところだ。
「そう……じゃ、やってみなよ。君、人を殺したことあるわけ?」
足立は唇の片方の端だけを持ち上げ、口調に嘲りを込めた。自分の表情や言動を操ることが得意な、道化師の仮面の一つである。塔の頂上でミナヅキと相対した時は失敗したが、今は上手くいった。殺しの先輩として若い後輩を見下ろす。
シャドウではなく人を殺した経験のあるペルソナ使いは、皆無ではないが多くはいない。その珍しい一人である足立は、皆月は珍しくない方の側であると判断した。根拠は『自分の意思だけ』などと、意思を抑え込まれ続けてきた過去を伺わせる発言だ。その手の人間は、本当は殺しなどできない。
「……チッ」
一つ舌打ちして、皆月は右の刀を下げた。足立にすれば、案の定の反応である。ミナヅキはいくらでも人を殺せるが、皆月は違う。過去に殺したことはなく、これから殺すこともできない。口では偉そうなことを言うが、口だけだ。何かの弾みで本当に殺してしまったら、その事実に潰される。足立はそう判断した。元刑事の勘という奴である。
(こいつ、久保美津雄と一緒か)
昨年の事件の犯人の一人である稚拙な模倣犯を連想して、足立は内心で嘲笑を深くした。他人に優位を取られるのが嫌いで、感情の起伏が異様に激しいところなど、まさにそっくりだ。
「あーっ! 面倒すぎんぜ! 剣道部かよ! メーン、ドウってな! ははは!」
皆月は自分のダジャレに笑いながら、目は笑っていない。そして左手を背中に回し、どこからかサバイバルナイフを取り出して投げつけた。狙いは足立ではなく、時計の神殿とでも言うべきこの部屋の入口だ。扉だけは学校の教室の引き戸と同じ形をしている。
「くっ!」
ナイフが突き刺さった引き戸の陰から、悠が顔を出した。もちろん陽介とクマ、そして堂島もいる。
(ありゃ……何やってんのさ、堂島さんまで)
足立は自分が皆月と戦うつもりで、不意打ちができない代わりに挑発していたつもりだったが、不意打ちを狙っていた人がいた。或いは『犯人同士』の会話の成り行きを見守っていただけか。とにかく扉の陰に隠れていた四人組は、存在を皆月に気付かれていた。子供っぽい少年は怒りながらも、周囲が見えていないわけではなかった。
「ったく、ムカつくなあ! 目障りなんだよてめえらは! ニセモンと遊んでりゃいいのによお!」
気付かれた四人は隠れるのをやめ、かつて『エントランス』と呼ばれていた場所を模した空間に足を踏み入れた。先頭にいるのは堂島だ。
「皆月翔! お前を逮捕する!」
特殊部隊員にして現役の刑事は警棒を手に、三人の若者たちを後ろに置いて犯人の少年に一人で近づく。悠たちを庇うように、或いは若者の手を汚させまいとするように、率先して最も危険な位置に身を置く。
「うっせーっつってんだろうが!」
対する皆月はもう完全に怒り心頭である。実のところ、足立の指摘は当たっているのだ。ミナヅキは足立が必要だから呼んだのであり、殺してしまっては計画に深刻な支障が出てしまう。皆月もそれは頭では理解しているから、足立を殺すわけにはいかない。それが面倒で、苛立つ原因だ。
「足立! こいつはてめえにくれてやるつもりだったが、気が変わったぜ!」
ただでさえ沸点の低い性格をしているのに、足立に煽られて余計に溜まった鬱憤を晴らすべく、皆月は立ち上がって手を頭上にかざした。同時にその目が赤く光る。
「ぐっ! まずい……!」
声を上げたのは悠だ。赤い視線で床に縫い付けられたように、体は動かなくなった。校門前でも仕掛けられた金縛りの術である。陽介とクマもかけられたようで、歩みが急に止まった。止まらないのは堂島だけだ。そして赤いコーナーポストがどこからともなく降ってきて、互いを一瞬だけ赤い電光が繋いだ。
「何だこれ?」
P-1のルールを聞いてはいるが現物をまだ見たことのない足立は、皆月が何をしようとしているのか一瞬分からなかった。対戦者を逃がさず、邪魔を入れさせないいつものリングである。それが完成すると、皆月の目の色は元に戻った。
「叔父さん!」
「パパさん、逃げてクマ! そいつヤバいクマ!」
「堂島さん! クソッ……!」
金縛りから解放された悠は見えない壁を手で叩くが、リングの中には入れない。もちろん陽介とクマも入れない。P-1クライマックスは誰が戦うか選択権が与えられる時もあるが、与えられない時もある。本戦一回戦第二試合は後者だ。事態が微妙に思い通りに進まず気が立っている少年と、年長者として体を張る大人の男でマッチメイクされた。
「……」
そして足立は鎖で縛られた棺桶の一つに、黙って腰を下ろした。決着がつくまで手出しはできないことを察して、元相棒の戦いを見届ける気になった。今のうちに尚紀を救出して逃げることも考えたが、リングの外にいる悠たちに邪魔される可能性が高いのでやめておいた。
「つーわけでよお、オッサン。やっぱつまみ食いするぜ。ペルソナの欠片も足りてねえからよ、ここらで補充させてくれよ」
「ペルソナの欠片?」
「そうそう! 必要なモノガタリないから、集めるモノガタリってな! ははは!」
怒りを笑いで吹き飛ばし、皆月は創面に酷薄な笑みを浮かべた。雪の上を滑るように無駄のない動きで、腰に差した刀を二本とも抜いた。そして右足を後ろに引いて半身に構える。右の刀を上にして切先を前に向け、左の刀を下に置いて柄を前に向ける。反った二本の刀で円を形作るという独特なフォームだ。
「……」
対戦相手として指名された堂島はダジャレには反応せず、左足を一歩引いて右手に持った警棒を前に突き出す構えを取った。慣れた得物の先にある創面を鋭く見据える。そうしながら、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
(こいつ……相当やるな)
堂島は人間相手の格闘は警察学校にいた頃から習っているし、長い仕事人生の中では町の不良や窃盗犯を相手に実地でやったこともある。だがそうした訓練や普通の捕り物と、この猛獣を閉じ込める檻のように逃げられないリングでやる勝負は違う。種類も質も全く違う。
グランプリ一回戦では堂島は悠と戦った。不覚を取ったあの時以上のプレッシャーを、眼前の年若い少年から感じていた。命を懸けるつもりは元からあったが、本当に今夜が死に時かもしれないと、堂島は肌で感じた。死を覚悟することと実際に死の危険に陥ることは違うのだと、冷や汗が告げている。最後に家を出た時、菜々子の顔をしっかり見て『行ってくるぞ』と言ったかどうか、今になって気になってしまった。
「おいおい、ビビってんじゃねえぞオッサン!」
刑事は一見すると厳しく睨みつけているのだが、その実は気圧されていることを少年は読み取った。世界も人も嫌いだと言いながら、意外と人の気持ちを察することのできる少年は、唇の端を吊り上げて間合いを詰めてきた。袖をまくった腕の筋肉が熱を持ち、力感溢れる斬撃が振るわれた。まずは左手からだ。下から襲い来る斬撃を、堂島は警棒で防いだ。
「よっ!」
次の瞬間、右手の刀が上から襲ってきた。警棒は左手の刀にまだ触れており、これを離すわけにはいかない。堂島は首をひねってよけようとしたが、切先が額を掠めた。そして血が出る前に、金色の光の粒が額から飛び出てきた。ペルソナの欠片である。もう間もなく、左目の上の辺りから血も流れてくるはずだ。深くはないが、勝負を始めて早々に負傷してしまった。
「ぬう! コンゴウリキシ!」
皆月は達人だ。悠と同じか少し年下に見えるこの年齢で、どこでどれだけ鍛錬を積んだのか堂島には想像もつかないが、とにかく皆月の剣術は並ではない。左右の刀を別の生き物のように、しかも巧みに連携させて、思うがままに操ることができる。対人戦の素人ではない堂島は、最初の一手でそれが分かった。二刀流相手にはただでさえ手数で不利になることが目に見えている以上、ペルソナを中心に戦うべきと判断した。
忿怒尊のペルソナは三鈷杵を掲げ、絨毯爆撃を放った。広範囲に打撃の波動を放つ、多数の敵を相手にする際には特に効果的な大技だ。堂島を中心に床を揺らすように広がり、リングの見えない壁まで届く。しかし──
「おっと」
皆月は右の刀を上に、左の刀を下に向け、自分は半身に構えた。ただそれだけの動作で、打撃の波動を受け流した。服の袖が少しばかり揺れたくらいで、ダメージをまるで受けていない。
「!?」
必殺技を思いもよらない形で防がれ、堂島は目を剥いた。どうしてあれで凌げるのか、理屈が分からない。
(ペルソナの耐性か? だがそれなら防御の振りさえいらないはず……)
分からないが、戦いながら考えてばかりはいられない。再びペルソナを召喚し、今度は拳を腰に溜めさせた。そして堂島自身は皆月に駆け寄る。刃物を持った相手に勇気をもって踏み込み、警棒を突き出す。体が前に進む勢いと腰の回転を乗せた、お手本のような突きだ。皆月は半歩下がって突きをかわした。距離にしてほんの一、二センチだけ警棒の先端から離れた位置に、皆月の顔はあった。堂島の踏み込みと腕の伸びを見切っているのだ。
(無駄がなさすぎるのは、かえって隙だぞ!)
堂島は自分の右腕が伸びきった状態のまま、ペルソナを動かした。コンゴウリキシが正拳突きを放つと、赤い霧を弾き飛ばす衝撃波が発生した。グランプリでは悠の腹をしたたかに打った、父親の折檻もとい仏の鉄槌である。目には見えないので、そうそうかわせるものではないが──
「遅えな。つか、見え見えだぜ?」
皆月はかわした。右に半歩動いてギリギリの距離でかわす。衝撃波の煽りで豊かな前髪が揺れたが、それだけだ。目に見えない技の威力が及ぶ範囲を、どういうわけか完全に見切っている。
「……!」
対する堂島は無言のまま続けて攻める。疑問はあるが、それを考えている暇はない。警棒で突き、ペルソナに拳を振るわせる。しかし当たらない。ならばと空いている左手を伸ばして掴みに行くが、それもかわされる。袖を掴もうとすれば寸前で腕を引かれてかわされ、襟を掴もうとすれば正中線を軸に回転されて狙いを外される。足を払いに行けば軽いステップでかわされる。
曲芸か約束組手のような勝負をやっているうちに、ギャラリーの方が騒がしくなってきた。
「どうなっている!? どうして一発も当たらない!?」
悠は堂島と戦ったことがあるから、叔父の実力の程度は分かる。もしまた戦うことになっても勝てるだろうと思うが、あんな一方的に翻弄するような戦い方はできない。勝つまでの間に打撃を何発かは食らうはずだった。
「俺が雷を見切れるみたいなもんか!?」
陽介から見ると、動き自体は皆月よりも自分の方が速い。しかしあの回避能力は尋常ではない。思い当たるのは、今夜の河川敷での戦いで新たなペルソナに目覚めると同時に得た、見切りの技だ。あれと同じ能力を、皆月は物理的な攻撃に対して持っているとすれば理屈は通る。しかし──
「ううん……違うクマ! ヅッキー、ペルソナ持ってないクマ!」
「はあ!?」
そう、皆月はペルソナ使いではない。だからテレビに入れない。昨年にマヨナカテレビを初めて見た時などは、買ったばかりのテレビに飛び込むつもりで頭突きを食らわせて壊してしまったくらいだ。ただし象徴化はしない。その意味で、皆月は昨日までの生田目に近い。ただし生田目と違って、ペルソナを持たないにも関わらず体はペルソナの恩恵を受けているかのように、異様な身体能力を誇っている。
「あー、よけてるばっかじゃ飽きてきたな」
戦闘センスを自慢するように攻撃を回避するのに食傷してきたか、久しぶりに皆月から動いた。右の斬撃が振るわれ、堂島は警棒を横に構えて左肩の前で受け止めた。斬撃に込められた力は強く、堂島は体全体が一瞬止められた。ここですかさず、皆月の左が飛んできたら防げない──
「くくく……」
と思いきや、皆月は左手をだらりと下げたままでいる。右手の刀一本で堂島の警棒を押し込む。
「ぐっ……」
堂島は警棒の持ち手に左手を添えた。更に腰を落とし、床を踏みしめる足からも力を絞り出す。そんな必死な刑事を、少年は余裕をもって嘲笑する。
「両手だったら僕に勝てると思ってんのか?」
「ぬぬ……!」
堂島は両手どころか下半身も含めた全身の力を警棒に集中させている。ペルソナの恩恵ももちろん受けている。コンゴウリキシは膂力に限れば港区と稲羽市の全てのペルソナ使いの中でも指折りで、足立のマガツイザナギにも勝るほどだ。今は召喚していないが、人によっては法衣を着た護法善神のビジョンが堂島の背後に見えるかもしれない。一抱えの岩でもひっくり返せるだけの力が警棒に込められているのだが、片手の皆月に押されている。
皆月はペルソナを持たないが故に、陽介や真田が持つ見切りの技もない。それでいながら不可視の打撃さえ回避する異様なセンスがある。ペルソナを持たないが故に、身体能力の恩恵も受けていない。それでいながら堂島にも勝る異常な怪力がある。様々な意味において、皆月はペルソナ使いの常識が通用しないイレギュラーである。
「くっ!」
堂島は腰を落としたことで、かえって上から押し潰される形になった。床に膝をつくと同時に、遂に皆月の刀が堂島の左肩に触れた。上着とシャツが切れ、皮膚も切れる。金色に光るペルソナの欠片が先に噴き出し、次いで服に赤色が滲んだ。もう少し押せば、肉が切れて血が噴き出す。
「コンゴウリキシ!」
堂島は自分の背後にペルソナを呼び出した。仏像めいた長身のビジョンは堂島の頭越しに、固く握った拳を振るおうとするが──
「ふん」
皆月はここでようやく左の刀を動かした。目にも止まらぬ速さで刃が振るわれ、ペルソナの打撃を弾くのと堂島自身に突き立てるのを連続して行おうとする。そこで──
「跳ね返せ!」
コンゴウリキシは拳を開き、掌を前に向けた。すると光る壁が堂島自身の前に張られた。これは物理的な攻撃を反射する壁を作る、言わば鏡の魔法である。昨年12月にアメノサギリに大打撃を与えた、堂島の切り札だ。効果は一瞬しか続かず、しかも炎や雷などの攻撃には効かないので使いどころが難しいが、ここではタイミングが綺麗に合った。そして物理的な攻撃しかできない皆月には特に有効なはずである。実力で勝る相手に対して大逆転を狙える、絶妙な一手だ。しかし──
「ん? オッサン、何かしたか?」
「なっ……!」
皆月の左の刀が堂島の右の胸に突き刺さった。刀は鏡をすり抜けた。切先が三センチほど人間の肉体に滑り込んだ。その瞬間に音はせず、抵抗もほとんど感じなかった。刺された堂島さえ、まだ痛みは感じていない。自分の体に突き立てられた刃物を、信じられない面持ちで見る。そうしながら、ペルソナの欠片が噴き出して天井へ向かった。その量はかなり多い。
堂島の魔法はペルソナ使いやシャドウの攻撃には有効である。12月8日に戦った神の眷属の秘技さえ跳ね返した。しかし皆月には効果がない。ペルソナ使いとシャドウを縛る耐性の不思議が、ペルソナを持たない皆月には適用されない。
このまま刀が進めば堂島は死ぬ。勝負あった──
「うーん、この感触! いいねえ!」
と思いきや、皆月は左の刀を抜いた。右の刀も相手の肩から離し、数歩下がって間合いを外した。
堂島の傷は浅くはない。しかし皆月はもっと深く刺すこともできたはずであるのに、すぐ抜いた。しかも急所は外している。やろうと思えば致命傷を与えられたはずなのに、そうしなかった。それはなぜか──
「ぐぬう……!」
死ぬような傷ではないとは言え、やはりダメージは大きい。堂島は警棒を持つ手に力が入らなくなった。左手で傷を押さえるものの、手が汚れるばかりで血は止まらない。刑事にして特殊部隊の支部長は歯を食いしばって痛みに耐え、敵の少年を睨みつける。対する少年は何とも楽しそうに、傷のある顔に満面の笑みを浮かべる。
「やめろ皆月! お前の狙いは俺だろう!」
悠は見えない壁を手で叩いて、全力で腹から叫ぶ。皆月が自分を憎む理由は分からないが、自分を標的にしていることは確かだと思っていた。余計なことをせず、本命の敵である自分を狙え。自分を殺せ。創面で言外に主張するが、もちろん見えない壁はなくならない。グランプリのエキシビションマッチで殺されかけた陽介を助けに行けなかったように、今も堂島を助けられない。『父』はすぐそこにいるのに、どうしても手が届かない。
「くくく……それだ! そのツラが見たかったんだ! こいつを選んで正解だったぜ!」
皆月はますます楽しそうに、笑顔の種類を変えてきた。自分の力を誇示して敵を思いのままにあしらうのも楽しいが、大嫌いで憎くて八つ裂きにしてやりたい相手が苦しみ、悔しがる顔を見るのはもっと楽しい。堂島を相手に選んだのは足立への当てつけのつもりだったが、悠のこの顔を見れたのだから、マッチメイクは本当に正しかったと自分自身に感心する。
「く……悠! 逃げるんだ!」
そして堂島はと言えば、死の覚悟を一歩進めた。命を懸けるのではなく、捨てるつもりになった。
「叔父さん!」
切り札が通じない以上、もはや堂島に勝ち目はない。できることはたった一つ、悠たちが逃げる時間を稼ぐことだ。リングがある限り堂島は逃げられないが、その代わり堂島が生きている限り、皆月は悠たちを追うことはできないはずである。一秒でも長く粘る。そう決心した。
「俺が死んでも、仇を取ろうなんて思うな! 有里さんを呼びに行け!」
堂島の見る限り、悠でも皆月を倒すことはできない。たとえその見立てが誤っていて実力では悠が勝るとしても、『息子』をこの狂犬と殺し合わせることはできない。掛け値なしの真剣勝負は命の危険のない試合とは違うのだ。いざとなったら一人で何とかしろと言ったばかりだが、それはそれである。
「そんな……!」
「菜々子を頼むぞ!」