ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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暴露(2012/5/6)

 赤く光る目の力によって悠と陽介が動けず、それ以外の面々が取り囲む中、包囲網の中心にいるミナヅキは完全な平静を保っていた。敵意を向ける者などいないかのように、或いはいることはもちろん認識しているものの眼中にないかのように、四肢をすっかり脱力させている。ちなみに目の色はもう元に戻っているが、悠と陽介は封じられたままだ。

 

 刀を持った左右の手はどちらもだらりと下げられており、肘と膝は少しだけ曲げられている。重心はやや爪先側にかけられている。胸は緩められ、背中は中心にだけ芯が通っている。全身のどこにも無駄な力が入っていない。皆月が二刀で円を形作る天地陰陽活殺の構えを取っていたのに対して、ミナヅキは構えを取らない。完全な自然体、剣術の用語で言えば無形の位だ。

 

「当たれ!」

 

 まずは包囲する側から動いた。後方から包囲網の隙間を縫うように、ゆかりが矢を放った。多くのシャドウを葬ってきた得意の攻撃である。実戦で使うのは二年前の1月以来だからかなり久しぶりだが、狙いは外さなかった。ミナヅキの右の肩に向けて真っ直ぐ飛んでいく。

 

 ──

 

 ミナヅキの右の刀が跳ね上がった。体幹は自然体のまま動かず、右腕だけが電光のように動いて矢を弾き飛ばした。そうなることは織り込み済みであるように、今度はミナヅキの背後から槍が突き出されてきた。天田である。無言のまま敵の背中の中央を狙う。しかしミナヅキは右半身を捻ってかわす。後ろにも目がついているかのような、見事な反応だ。

 

「ワン!」

 

 白い影が駆けた。口に短剣を咥えたコロマルがミナヅキの足元を襲う。ミナヅキは槍をよけた動作によって左足に体重が乗っている。賢い犬が狙っているのはそちらだ。

 

「ふん」

 

 ミナヅキは片足で跳躍し、下段の攻撃をかわした。空中で動きが取りづらくなった状態のところへ、炎の弾丸が飛んできた。順平である。順平のペルソナは物理的な攻撃を最も得意としているが、火炎の魔法も使える。

 

 自分の顔に向けて飛んできた火炎に、ミナヅキは左の刀を振り下ろした。刀の腹で風を起こして吹き散らすのではなく、刃を立てて空を斬った。物体ではない火の塊を、ほおずきでも斬るように刀で二つに斬って見せた。分断された炎はまるでミナヅキをよけるように、左右を通り過ぎて行った。

 

 鋭いミナヅキの斬撃とは対照的な、面で攻撃するような重量感溢れる打撃が飛んできた。荒垣の鈍器である。当たれば人間の体など、正視に堪えない状態になってしまうだろう。胸や背中を刺し貫いたり首を斬り飛ばしたりするのとは違う意味の、恐ろしい攻撃である。ミナヅキはそれに対して右手を持ち上げた。しかし刀で防ぐにしては、手の位置が高い──

 

 ──

 

 金属が衝突する音がエントランスに響いた。ミナヅキは左足で床を踏みしめ、衝撃を受け止めるような姿勢でいる。横薙ぎに飛んできた荒垣の鈍器を、刀ではなく右手首で受け止めている。一見すると刀で受けるつもりだったのが、ガードの位置がずれてしまったような格好である。しかし──

 

「てめえ……」

 

「ふふっ……」

 

 荒垣の声には怒気が込められており、対するミナヅキは薄く笑った。次の瞬間、ミナヅキの右手首から金属の破片が落ちた。

 

「手錠で……!」

 

 驚いた声を上げたのは堂島だ。ミナヅキは皆月と交代した時に手錠の鎖を引きちぎったが、輪は手首にかけられたままだった。荒垣の鈍器をそれで受けて、壊させたのだ。敵の動きを完全に見切っていなければできない芸当だ。普通に刀で受けることもよけることも当然できたはずなのに、こんなやり方をした。荒垣にすれば、舐められていると感じるだろう。

 

「これは邪魔だな」

 

 ミナヅキは右手を引き、刀を持ったまま人差し指と親指で左手首の手錠を摘まんだ。そして引っ張ると、左の手錠が外れた。と言うより、金属の輪を引きちぎってみせた。敵の打撃を利用するのではなく、自分の指の力だけで。警察の仕事道具をミサンガでも切るように無造作に、何気なく破壊した。放り捨てられた金属片が床に落ちる音が、俄かに静寂が落ちたエントランスに鮮やかに響く。

 

 ブランクがあるとはいえ歴戦の戦士であるシャドウワーカーの五人による連続攻撃を、ミナヅキは凌ぎきった。そればかりか余裕さえ見せている。人数差による不利など何も感じておらず、そして実際に不利ではないのだ。四方を包囲されていてさえ、一発も当てさせないだけの技と力がある。

 

「さて、特捜隊の諸君は暇そうだな」

 

 無形の位は受けにおいて特に効果を発揮する構えだ。脱力して攻撃を待ち構えているからこそ、相手がどう攻めてきても対応できる。敵を動かして、自分は居ながらにして勝つのが極意だ。しかし自分から攻めることができないわけでは、当然ない。シャドウワーカーの非常任組が作る包囲の輪から、ミナヅキは消えた。文字通りの意味で、唐突に消えた。

 

「!?」

 

 一瞬の間、ミナヅキの姿は部屋のどこにもなくなった。影時間には記憶補正という作用があり、常人はその時間の間に何が起きているのか認識できない為、終わった後の状況を事実と異なって解釈するようになる。例えば適性のある者が影時間中に場所を移動すると、適性のない者は、相手は初めからそこにいたように認識するのだ。

 

 そしてペルソナ使いは影時間を体験できるが、その認識は完全に正しいとは限らない。ペルソナ使いやシャドウにもいわば『段階』の差があり、ある者は認識できるが別のある者は認識できない領域もある。ミナヅキが行った、他人には見えない影から影へと移動する技は、それに近いものかもしれない。

 

 月のアルカナを持つ酷薄な剣士が姿を現したのは、千枝の目の前だった。瞬間移動するように包囲を抜けて、外側にいた特別捜査隊へと標的を変えた。

 

「うわっ!」

 

 左の刀が千枝を襲った。振るわれた一撃を、千枝は奇跡的な反射で後ずさってかわした。しかし完全にはかわしきれず、切先が頬に触れた。学校では意外と人気のある顔が驚愕に染まり、そして傷がついた。女を捨てていない千枝は顔を押さえながら、蹴り飛ばされたように後ろへ転がっていった。

 

「千枝! このっ!」

 

 隣にいた雪子がすかさずペルソナを召喚し、炎を放った。アマテラスから退化したとはいえ魔法が得意なコノハナサクヤなので、順平が放ったものよりも大きい。爆炎がミナヅキの体全体を包む。しかし決まったかと思った瞬間、炎の中で右の刀が掲げられた。滝の水でも切り裂くような振り下ろしで、炎は吹き払われた。ミナヅキの刀で斬られると、どういうわけか火は霧消する。これでは氷も風も雷さえも斬られるかもしれない。まして人間など──

 

 炎の中から無傷で姿を現したミナヅキに見下ろされ、雪子は思わず硬直した。一人では絶対に勝てない相手だと、一手で悟った。

 

「長瀬、やるぞ!」

 

「おうよ!」

 

 一条が動いた。召喚器を抜いて相方を呼ぶ。グランプリでラビリスを驚愕させた秘技を、一枚だけの切り札をここで切る。ミナヅキがいくら強くても、決まりさえすれば何とかなる。そう信じて、駆け寄ってきた親友に銃口を向けた。

 

「また消えやがった!?」

 

 しかし長瀬も召喚器を抜いた時、ミナヅキの姿が再び掻き消えた。シャドウが煙になって消えるよりも唐突に、あたかも動画をスキップしたように、何の予備動作もなくいきなり消える。月光が落とす微かな影から影へと移動するような、月読の術。消える時と同様に、現れるのも突然だ。

 

「完二! 後ろ!」

 

 叫んだのは尚紀だ。十字架から降ろしてくれた幼馴染は、そのまま尚紀の近くにいる。不良然とした大柄な少年の真後ろに、ミナヅキは急に姿を現した。

 

「この野郎!」

 

 得物にしていたパイプ椅子は偽物との戦いで壊れ、代わりになりそうなものはシャドウワーカーのヘリにもなかったので、完二は素手のままだ。振り向いた先にいた敵に向けて深く踏み込み、右の拳を思い切り突き出した。狙いは顔の中心、十字の傷だ。

 

「ほう」

 

 ミナヅキは感心したような声を出した。それは自分が出てくることを察知した尚紀にか、それとも刃物を持った相手に果敢にも素手で立ち向かう完二にか。どちらなのかは言わず、ただ首を傾けて完二の拳をかわした。

 

「おらあ!」

 

 完二は止まらない。至近距離にいる敵の顔や腹に向けて拳を連続して打ち込む。対するミナヅキは刀では反撃しない。完二に踏み込まれたせいで距離が近すぎて、このまま刀を振っても鍔元で少々斬るのが関の山だからだ。完二は武器を失ったことが、かえって幸いした。

 

 完二の右の肘がミナヅキの頬を狙い、ミナヅキは寸前でかわす。反撃として右の刀の柄で打とうとし、完二は左腕をミナヅキの手首の内側に差し込んで防ぐ。互いに間合いを外さず、クロスレンジの打ち合いを続ける。

 

「完二君!」

 

 直斗が援護に入った。スクナヒコナが召喚され、剣をタクトのように振って雷をミナヅキの頭上に落とす。今の完二は雷を無効化はできないものの強くはあるので、直斗はある程度巻き込むことは覚悟で魔法を放った。

 

「ふん」

 

 ミナヅキは左の刀を頭上に向け、電撃を受けた。どういう理屈なのか、金属の塊である刀で雷を防いで平然としている。そこへ完二が右手を伸ばし、ミナヅキの奥襟を掴んだ。引き寄せて首投げを打とうとする。寝技に持ち込めば、恐るべき剣術も役に立たなくなる。

 

「ぐっ……!?」

 

 しかし完二の右手は動かなかった。引き寄せようとしているのだが、まるでミナヅキの体に鉄柱でも通っているかのようにびくともしない。体重は完二の方があるはずなのに。

 

「もういいだろう」

 

 ミナヅキは完二の腹に向けて膝蹴りを放った。刀を振りにくいこの間合いでも有効な技だ。予選で自分の偽物に食らった膝蹴り以上の威力に、大柄な完二の体が浮いた。そして次の瞬間、ミナヅキは腰を捻りつつ折り曲げた膝を伸ばした。

 

「ぐふっ……!」

 

 膝蹴りから足を上げたまま横蹴りに繋げる、一種の二段蹴りだ。完二はミナヅキの襟から手を離してしまい、ペルソナの欠片を吐き出しつつ後ろへ蹴り飛ばされた。ミナヅキは剣術だけではない。皆月は昨年9月に路上のケンカで荒垣を追い詰めたが、ミナヅキもこれくらいはできる。素手でも相当に強い。

 

「カンジ! だいじょぶ!?」

 

 完二が飛ばされた先にはクマがいた。

 

「た、大したこたあねえよ……」

 

 完二は膝をつきながら腹を押さえ、痛みに顔を歪めた。蹴られた瞬間は、腹の肉を抉り取られたかと錯覚するほどだった。もちろん斬られたわけではないので、幸い腹は今もそこにあった。だが凄まじい衝撃だったことには違いないので、回復魔法が欲しいところである。その点、クマの傍に飛ばされたのは幸運だったが──

 

「キントキドウジ! ……ゲゲ!?」

 

 クマがペルソナを召喚して完二を癒そうとしたところで、ミナヅキが接近してきた。

 

「……」

 

 ミナヅキに表情はない。大勢を相手に激しく立ち回りながら息一つ切らさず、戦意を顔に出すことさえしない。簡単すぎる仕事を何の感慨も抱かず機械的にこなすように、三昧の境地に達するまで体に馴染んだ動作を無心に行うように、無言で構えた。左の刀は下げたままで、右の刀と右足を後ろに引く。狙いは中段のやや下方、自分より身長の低い着ぐるみの体の中央。その中にいるはずの少年の姿の存在の、人間ならば心臓があるはずの位置だ。片手突きが放たれた。

 

 しかし突き出された刀の前に割って入る体があった。両手を広げて、少年を庇う。

 

「ぐっ……」

 

「パパさん!」

 

 堂島である。クマを庇って代わりに刺された。刀が突き立っている位置は腹だ。心臓ではないが、それでも危ない場所である。金色の光の粒が溢れんばかりに噴き出してきた。

 

「叔父さん! くっ……動け! 動いてくれ!」

 

 動けない悠が叫んだ。怒りと焦りで声が悲鳴になる。前に出て堂島を助けようと足掻くが、できない。足を動かそうとしても床に縫い付けられているようで、腕を動かそうとしても鉄の枷でもはめられているようで、どうしようもない。ペルソナさえ呼び出せない。

 

「この野郎!」

 

 悠に代わって順平が動いた。大剣を手に駆け寄り、後ろからミナヅキに斬りつける。卑怯なようだが、そんなことを言っている場合ではない。しかし通じない。

 

「無駄だ。俺に死角はない」

 

 ミナヅキは左の刀を背に回し、野球のバッティングのように振り回された順平の斬撃を防いだ。目で見ないまま防御するセンスもさることながら、全力を込めた順平の両手の一撃を、不自然な体勢でしかも片手で受け止める辺りも尋常ではない。シャドウワーカーの本部隊員と比べてさえ、ミナヅキの実力は際立っている。

 

「クソッタレが! 何て奴だ!」

 

「このっ! イシス!」

 

 ゆかりがペルソナを召喚して突風を放つが、ミナヅキは背中に飛んできたそれをやはり見ないまま弾いた。空気の暴力は刀で斬られて霧消する。右の刀は依然として堂島を刺したままである。ペルソナの欠片だけでなく、血も既に大量に出ている。

 

「いざとなったら一人で切り抜けろ。犠牲が出ることも覚悟しろ。そう言ったのは貴方だったな」

 

「く……」

 

「言った本人が守れんようでは駄目だな。覚悟の程が知れるというもの……」

 

「やめろ! クソッ……クマ、逃げるんだ!」

 

 悠が動けないように、陽介も動けない。喋るのが精一杯だ。動ければミナヅキにも負けないつもりでいるのに、それだけの力を得たのに、見えない糸に雁字搦めにされているように実力を発揮できない。こうなると、ミナヅキに対抗し得るのは一人だけだ。

 

「ミナヅキ君」

 

 ここで足立は組んだ足を解き、棺桶から立ち上がった。両手はポケットに入れているが、腰に差した銃を抜こうと思えば一瞬で抜ける体勢でいる。皆月が戦っている間はずっと腰を上げず、選手交代後もそのままだった面倒くさがりが、元相棒が刺されてようやく動き出した。

 

 悠と陽介が赤目で封じられ、それより一段も二段も劣るレベルの者たちしかいないこの状況は、何とも良くない。数の力で何とかなるかもしれないとも思ったが、どうにもならなかった。人数が足し算にならないのでは、大勢で戦うのは余計な犠牲を増やすだけだ。

 

(だから有里君に任せとけっつったのに……ホントしょうがないな)

 

 足立の見る限り、口だけの皆月と違ってミナヅキは人殺しができる。別に馬鹿なガキや見ず知らずの他人が死んでも足立は何とも思わないが、堂島が殺されては少しばかり嫌な気分になるだろうと、自分自身を予想した。昨年4月に初めてペルソナを召喚した時のように、助けてやる気になった。我ながら甘いが仕方がない。しかし──

 

「最初に言っただろう。心配はいらん」

 

 ミナヅキのこのセリフは、足立に向けられたものだ。言いながら右手を捻り、堂島の腹にできた傷を広げる。これまで以上の痛みが堂島を襲い、本当に死ぬまであと少しというところで、足立の元相棒の体に異変が起きた。

 

 堂島は赤と黒の金属質の板に突然覆われた。突然としか言いようがない。板は床から湧いて出てきたのでも、天井から降って来たのでもない。まるで堂島の内部から生じて、めくれて全身を覆い隠すようだった。ただしその過程は全く見えなかった。蓋が閉じようとする動きは見えないどころか『存在しない』ように、結果だけがそこに出現した。結果の形は棺桶である。

 

「え……象徴化!?」

 

 声を上げたのは天田だ。これはシャドウワーカー本部のペルソナ使いにとってはお馴染みのもので、足立も昨年5月にポートアイランドで、刑事にしてシャドウワーカーの協力者である黒沢が棺桶に入ったのを見ている。そして悠たち特捜隊も、今夜自分の家族や知り合いがこうなるのを見ている。ただしそれは影時間の適性がない者がなるもので、ペルソナ使いが象徴化することなどないはずだった。

 

「ふむ。こんなものか」

 

 ミナヅキは右の刀を抜いた。棺桶に穴は空いていない。幻覚ではないはずだが実体でもないような『死の形』は、水面に映った月を剣で斬ってもすぐに元の円に戻るように、刀が抜かれた瞬間、初めから何も刺さってなどいなかったように穴はなくなった。傷一つない、どこから見ても完全な形である。

 

『ふー、よーやっと棺桶が一つクマか! 待ちくたびれたクマよ! せっかくこのクマ総統がゴージャスな仕掛けを用意したっつーのに!』

 

 ここで大会主催者のアナウンスがエントランスに響き渡った。見てみれば、奥の壁の巨大な時計にテレビが現れていた。鳩時計の鳩のように、文字盤の上部が割れて画面が飛び出している。映っているのはもちろん葉巻を咥えた着ぐるみ、クマ総統だ。P-1クライマックスはグランプリと違って実況が仕事をしない。

 

「あ、ニセクマ! パパさんに何したクマ!」

 

『ぬっふっふー! ムチモーマイな哀れっちい子羊どもに、クマ総統が特別レクチャーをしてあげるクマ!』

 

 クマ総統は得意満面だ。人間には真似できない『ゴージャスな仕掛け』を作った張本人は、無知な者たちに慈悲を垂れてやるのが何とも楽しげだ。傍からはそう見える。と言うより、そう演じている──

 

『ペルソナの欠片をある程度削り取ると、棺桶になっちゃうクマよー!』

 

 足立が塔の屋上に招待された時、ミナヅキは『この霧の中では、そう容易く人は死なない』と言った。それはどういう意味かミナヅキは説明しなかったが、こういう意味だったわけである。ただし注意事項があった。

 

『あー、でもね、でもね! 死にたくなかったら全力で抵抗するクマ! ボンヤリしてえ、棺桶に入る前に首がぶっ飛んだりしたら、やっぱり死んじゃうクマね!』

 

 今夜の象徴化は死ではなく担架に乗せられるようなもので、言わばリタイアの証だ。しかし戦場から脱落する前に死んでしまったら、そのまま死ぬ。ある意味で当たり前の話だ。

 

『んーでもってえ! 棺桶っちゅーたら墓場にマイソーせんとねえ!』

 

「ほわ!?」

 

 クマの目の前で、堂島を納棺したオブジェは沈み込んだ。床がそこだけ底なし沼に変わったように、音もなく棺桶は下から順に見えなくなっていく。現場を見た者はいないが、山野や早紀がテレビの中で死んだ時も、死体はテレビの世界の床にこのように沈み込んでいったのかもしれない。

 

「パパさーん!」

 

 クマは『義父』の棺桶に取りすがり、両手で掴んで引き出そうとするが止まらない。底に穴の開いた船が沈むのを人が止めることはできないように、『埋葬』されようとする棺桶を引き止めることはできない。悠が菜々子の棺桶を力尽くで開けることができなかったように、クマもできない。それは実はこの棺桶は、その呼び名が示す通り飽くまで象徴であって、実体ではない為であるかのように。

 

 やがて棺桶は完全に姿を消した。飲み込んだ床には波紋も浮かんでいない。クマの手は虚しく床に触れられているだけだ。ミナヅキはそんなクマを斬り捨てるでもなく、黙って眺めている。

 

「そういうこと……」

 

 足立は床に転がっている棺桶に再び腰を下ろした。ちなみに鎖で封がされたこれは、死体や怪我人が入っているのではない。ただのオブジェである。足立はついさっきまで自分がミナヅキを倒すつもりでいたのだが、そんな気は失せてしまった。

 

「お前……どうしてこんなやり方をする?」

 

 再びやる気をなくした気紛れな足立に代わって、悠が尋ねた。ついさっきまで堂島が殺されると思って大いに昂ったが、それは落ち着いたので冷静になれた。死ににくいのは良いが、ミナヅキたちには相応しくないやり方に感じた。

 

「あの子が望んだことだ。世界の終わりを君たちに見せてやりたいのさ」

 

『あの子』とは大人が子供を指すような言葉だが、皆月のことであろうとは察せられた。

 

「世界の終わり?」

 

 皆月も校門前でそんなことを言っていた。『世界の終わり』とは思想として大昔からあり、創作では古典から現代の小説や映画などに至るまで、頻繁に登場する言葉である。そして現実にそれを聞くのは、昨日以前では二度あった。最初は足立からで、二度目はマリーから聞いた。ただし悠は二度とも実感を持てなかった。

 

「そうだ。君たちが暮らしていた現実は間もなく消える。代わって新しい現実が立ち現れる」

 

「ムムム……ヅッキーたち、やっぱり神様になるつもりクマね! テレビの中と外を一緒にして、ヅッキーの現実を外の現実にする気なんだクマ!」

 

 テレビの中に入った人の心を反映したダンジョンを生み出すように、たった一人の思想でもって現実を作り変えること。それは人間の所業ではなく、神の御業である。スケールが大きすぎてリアリストの堂島や陽介には理解できなかった話だが、クマには理解できる。

 

「ほう……さすがだね、クマ君」

 

 蒙昧な集団に知恵ある者を見つけて感心するように、ミナヅキは笑みを見せた。

 

「その通りだ。あの子は『創世』をする」

 

「どんな世界を創るクマ! プリチーな女の子いっぱいの、モテモテハーレムな世界クマか!?」

 

「……」

 

 エントランスに突然の沈黙が下りた。剣が振るわれ魔法が飛び交った戦場の空気に、不意に虚しい風が吹き流れたような気がした。クマ以外の全員の頭に、それはそれは大きな水滴が浮かんでいる。陽介はもし金縛りになっていなかったら、きっと転んでいる。ミナヅキさえ目を閉じて、傷が交差する眉間に指を当てた。クマを称賛したばかりなのだが、撤回したくなってきた。

 

 とある高校に通う皆月が、大勢の美少女と美女に取り囲まれている。それはファッション雑誌で読者モデルをしているクラスメイトとか、生徒会長を務める上級生とか、下宿先の引きこもりの娘とか、有名会社の社長令嬢とか。更には高校スポーツの有名選手とか、特捜部の検事とか。他にも大勢、十人くらいの『特別な関係』の女がいる。もし皆月がそんな世界を望んでいるなら、平和なものだが──

 

「他人の存在しない世界だ」

 

 しばしの時間を置いてから、ミナヅキはクマの質問に答えた。答える義理は本当はないが、かつての有里や悠が叶えることもできた男の夢を皆月も望んでいるなどと思われては、心外ここに極まれりである。それはさすがにそっとしておけない。

 

「あの子の心は人によって歪み、大きな苦しみを背負った。ならば生きとし生ける者全てを消し去り、彼に静けさを取り戻してやればいい」

 

 静かな世界。それは二年前、タルタロスに降臨した夜の女神が生み出すはずだった世界と同じものだろうか。全ての生き物が生きることをやめた、滅んだ世界。常人はおろかペルソナ使いさえいない、影時間が永遠に続くような闇と沈黙の世界。予言書に語られた『皇子』が全ての存在に救いを与えた後に『皇』として君臨するという、皆月の『父』が望んだ世界もまたそれなのだろうか。もしそうだとしたら、『皇子』が得られるものはただ一つ。絶対の孤独だ。タロットにおける宇宙のカードが象徴するものだ。

 

「な、何言ってんのよ! そんなのあんたたちだけの都合じゃん!」

 

 反論したのは千枝だ。雪子に支えられている。顔に負った傷は治療されたようで、幸いなことに跡も残さず消えている。

 

「そうよ……何があったか知らないけど、何で世界なんて巻き込むの!」

 

「君たちの意見は聞いていない。だが……」

 

 ミナヅキは反対を歯牙にもかけない。元より仲間を募ってもいないのだから、自分たちの目的に対する賛意を求めてはいない。求めるとすれば、たった一人だけだ。その一人にミナヅキは視線を合わせた。

 

「君の意見は聞きたいものだね、鳴上君。君なら分かってくれると思うのだが」

 

 死の絆の担い手は主を見た。その視線に含まれる色の名は、憐憫──

 

「何だと?」

 

 悠は自分が指名されたことを意外に感じた。世界の終わりを希求することに理解を、或いは更に進んで同意を求められるとは思わなかった。求める相手として相応しいのは足立だろう。もっとも悠の予測では、足立の答えは『どうでもいい』だが。

 

(まさか……コミュのせいか?)

 

 死神のコミュニティはまだ生きている。極まってはいないが、その為に壊れてもいないのだ。コミュニティが失われていないせいで、ミナヅキは自分にある種の親近感を抱いているのか。悠はそう直感した。だとしたら不本意である。

 

 しかしそれは少し違っていた。

 

「君たちが絆と呼ぶもの……それがいかに理不尽で、不条理で、耐え難いものか。他でもない君こそが、一番知っているはずじゃないのか?」

 

「!……」

 

 悠は顔色をなくした。金縛りの術で体は動かないが喋ることはできるし、表情もそれに合わせて動かせる。だから思わず顔が青ざめることもある。この顔は『そうだ』と言っているのに等しかった。

 

「絆創膏を握り潰したのは君だろう? 他にもコーヒーカップとか、色々ね」

 

「絆創膏……?」

 

 思い当たる節のあるキーワードに、陽介が反応した。昨年の11月に悠に渡した絆創膏は、どこの薬局やコンビニでも買える普通のものだ。しかし単に手当しろと渡したのではなく、ある想いを込めたものだった。どこかで使ったのならもちろん捨てて構わないが、使われないまま捨てられでもしたら、さすがに怒るだろう。陽介にとって、あれはそういうものだった。

 

「そうさ、花村君。彼は君たちの信心を踏みにじったのさ。霧に紛れて見えなかったのか?」

 

「うわあ……バラしちゃったよ。せっかく僕が黙っててあげたのに……」

 

 声を漏らしたのは足立だ。見ていられないとばかりに顔を手で覆い、首を横に振る。ミナヅキの暴露話は、足立は既に知っている話だ。足立の他には有里も知っている。絆の主たる『愚者』と同格の二人は優しくも、3月20日の悠の暴挙をこれまで誰にも言わずに黙っていた。しかしミナヅキにそんな優しさはない。真実は月光の下にさらされる。

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