特別捜査隊の絆は既に失われている──
ミナヅキが言っているのはそういうことだ。それとは対照的にミナヅキと悠の間にある絆は失われていないのだが、それはミナヅキの言動を制限しない。絆の主にとって都合の悪いことでも何でも、死の絆の担い手は平気で口にすることができる。しかも出任せや言いがかりではなく、証拠まである。
「どうして君たちのペルソナが元に戻っているのか、理由が分かったか? そして彼のペルソナも一部を除いて使えなくなっている、その理由も……」
「てめえ……」
事件の犯人は陽介に向けて言っている。リーダーの相棒は分かるとも分からないとも言わず、ただ怒りの滲んだ目でミナヅキを睨みつける。
そして悠は驚いていた。陽介と違って怒りはなく、ただ疑問がある。
「なぜ……」
一部を除いてペルソナを使えなくなっている理由を、悠自身は既に分かっている。グランプリの一回戦で堂島と戦った時にペルソナの付け替えに失敗し、そして戦後に召喚を試した時に大体のことは理解した。ミナヅキの言う通り、3月20日に霧が満ちた世界で絆を証明するものを破壊したことが原因だ。つまりはコミュニティを捨てたから、それに応じたアルカナのペルソナを使えなくなったのだ。
分からないのは、なぜミナヅキが真実を知っているかだ。あの場にいた足立と有里が知っているのは分かるが、どうして──
「なぜ俺が知っているのか、か? 俺もあの日、あの白い世界にいたからさ。君に声はかけなかったが、見てはいた」
さすがは魔術の絆で、しかも愚者と同一人物とされる死神の絆で結ばれた相手である。悠の短すぎる言葉に対しても意図を正確に読み取り、答えを返してくる。ただし悠以外の相手にも理解できるわけではない。
「な、何なのよ! 貴方さっきから、何言ってんのよ! 全然分かんないわよ!」
りせだ。事件の犯人がリーダーと何の話をしているのか理解できない。いや、実は全く見当もつかないわけではないのだが──
「分からないのは、君たちは見たいように見て、聞きたいように聞いているからだ。彼は本当は絆なんて信じていない……あの子と同類だよ」
「……!」
りせは卒然と閃いた。河川敷でエリザベスは今夜の戦いを『絆と孤独、または種類の異なる孤独同士の戦い』と呼んだ。それはこういう意味か。あったものを失った孤独と、初めから持たない孤独──
「滑稽なものだ。人がどれだけ神を信じ、愛し、祈りを捧げても、神は応えてくれない。太古の昔からずっとそうだったように、彼も君たちに何もしてはくれない。それにも関わらず、未だに彼を信じている……。まさに神と信者そのものだ」
神──
「鳴上君、もう一度聞こう。君はあの子の望みを理解できないかい?」
「……」
悠はすぐには答えず、一度目を閉じた。驚きはもうない。昨年築いた数々の絆の担い手たちの中で、足立と有里は他と違って主と同格だった。そしてミナヅキは『別格』だった。コミュニティの不条理に惑わされない担い手は、もう一人いたわけだ。それは悠にとって決して不快な事実ではない。死神のコミュニティのせいで道理に合わない親近感を持たれているのかと思ったが、そうではなかった。むしろコミュニティがある為に、ミナヅキは悠を正しく理解している。その事実を瞑目しながら噛み締めた。
その上で、悠は皆月の望みを理解できるかと言うと──
「理解はできる」
答えた途端、エントランスに緊張が走った。これは裏切りの予感だ。皆月以外に誰も存在しない、ただ一人だけの世界とは滅んだ世界と同じだ。それを認めるのかと、大勢の視線が動けないままの悠に集中する。しかし悠は知り合いとそうでない者たちからの、疑惑と訝しさが多量に含まれた視線を無視した。閉じた目を開いてミナヅキとだけ視線を真っ直ぐ合わせ、二言目の回答を返す。
「だが……同意はしない」
世界の終わりを希求する人間がこの世にいること自体は、理解できる話だ。終末思想と呼ばれるものは、大昔から存在する普遍的なものだ。古代から現代に至るまで、ずっとこの世は楽園ではなかったのだから、むしろ存在して当然と言える。そして悠自身、この世が終わらないことを残念に思ったことはある。しかし積極的に滅ぼそうと思ったことはないし、滅ぼす為に何かをしたこともない。コミュニティの担い手を疎ましく思ったこともあるが、消し去る為に何かをしたことも、もちろんない。絆そのものは斬ったが、担い手は斬っていない。
理解と同意は同じではない。そして行動が伴わない同意は同意とは言えない。人は行動によってしか己を表せないとの諸岡の教えのように。悠の答えはそういう意味だ。
「そうか」
今度はミナヅキが目を閉じた。同意を得られず残念だとも、同意など不要とも言わない。ただあるがままに、悠と皆月の同じところと違うところを受け入れた。裏切られたと思うこともない。
「さて、ペルソナの欠片はまだ足りていない。もう少し集めようか」
ミナヅキは目を開き、それと同時に構えを取った。両手を下げた無形の位から変化して、右の刀を上、左の刀を下に置き、二本の刀で円を形作る。皆月が堂島と戦った時に取った構えと同じである。直後、床を蹴って動いた。動けない悠と陽介はそのままに、動ける者たちを狙う。
最初の標的は荒垣だ。左の刀が下から伸びて、荒垣の鈍器と衝突した。膂力が自慢の荒垣が押せば、それ以上の力でミナヅキも押す。それとほぼ同時に右の刀が電光の速度で動く。
「ぐっ……!」
ミナヅキの右の刀が荒垣の腹に突き刺さった。初めに刀を交えた時に攻撃を手錠で受け止めたような遊びはせず、すぐさま刺した。躊躇はもちろんない。
「カーラ・ネミ!」
直後、ミナヅキの背後でペルソナの名が呼ばれた。天田である。ロボットのような姿のペルソナが顕現し、角のある動きで上体を回転させた。攻撃ではなく回復魔法を行使しようとしている。もちろん荒垣の傷を癒そうとしているのだが──
「ツキヨミ」
日本神話で語られる最も貴い三柱の神の、その一柱が召喚された。神話において司るものの通りに月のアルカナに属する、ミナヅキのペルソナである。皆月から入れ替わった時に自分の傷を癒して以降は、ミナヅキは刀でばかり戦ってきた。しかしツキヨミは決して治癒に特化したタイプのペルソナではない。むしろそれは死神のコミュニティによって得た、付録のような力である。本来は物理攻撃と闇の力が得意な戦闘型だ。
召喚された怪人は使用者の後ろへ飛翔した。ミナヅキは背中に目がついているように背後からの攻撃も容易く防いできたが、攻撃でも同じことができる。天田を見ないまま、正確にペルソナを突撃させた。
「くっ、邪魔するな!」
ツキヨミは長柄を振るい、カーラ・ネミは機械らしき腕で防ぐ。しかし怪人の斬撃は一度では終わらず、連続して瞬時に二度三度と斬りつける。そのうちに天田のペルソナは霧消した。魔法の行使に失敗してしまった。
「カストール!」
一本足の騎兵のペルソナが召喚された。荒垣は自分の体から血とペルソナの欠片が溢れ出す中、力を振り絞った。腹の傷は浅くない。このままでは戦線からの脱落はもちろん、死もあり得る。ならばもうどちらも覚悟して、ミナヅキを道連れにしようと渾身の技を放った。打撃の波動が荒垣を中心に広がり、ミナヅキを粉砕すべく空間が波打つ。
荒垣は過去に人を二人殺しているが、たとえミナヅキが三人目になっても後悔しないつもりで放った。いや、むしろ三人目にしなければならない。できなければ全員やられる──
「遅い」
ミナヅキは右の刀から手を離し、跳躍して波動をかわした。荒垣の頭を飛び越えつつ、左の刀が弧を描いて肩を襲った。頭ではない。どこまでやれば象徴化し、どこまで以上をやれば死ぬか。その境界線をミナヅキはもう分かっている。達人は素人と違って手加減も上手い。
「クソッ……!」
上からの斬撃を受けた肩から血と金色の粒が噴き出した。床に倒れ込む寸前で、荒垣の体は棺桶に覆われた。シャドウワーカーの中でも皆に一目置かれる強者は、ミナヅキに敗れた。人殺しの実績を増やさずに済んだわけだが、増やすつもりだった荒垣にすれば、完敗と言う外ない。
「ふん」
二つ目の棺桶を墓場に送ったところで、ミナヅキは右手を腰に回し、そこから抜き取ったものを横に投げた。サバイバルナイフだ。向かう先には直斗がいる。密かに銃を構えて狙っていたのである。ミナヅキはそれを見ないまま察知していた。
「!」
直斗は目を見張った。黒い刃物が自分の胸を狙って、霧を引き裂きながら飛来してくるのが見える。見えるのだが、かわしたり防いだりする為に動くことができない。まるで自分も赤目の金縛りにあっているように。実はそうではなく、命の危険にある為に認識が引き延ばされているのだと気付くのにしばらくかかった。
ナイフが刺さればどうなるか。ここから脱落してしまうことは間違いない。ではそれは象徴化か死か。果たしてどちらか──
「危ねえ!」
ナイフは完二の腕に刺さった。膂力に優れるものの敏捷性に劣る完二であるが、この時に限っては機敏に動けた。自分の右腕を直斗の胸の前に伸ばし、飛来する凶器から庇って盾にした。武器を失って弾くことができない以上、こうするしかなかった。
「か……」
直斗の声は声にならなかった。本戦の舞台である塔に突入する前の予選でも、直斗は完二に庇われた。そして今またこれだ。ナイフは直斗を傷つけなかったが、その代わり完二の右前腕を貫いた。先端が腕の内側から飛び出ている。一生物の大怪我だ。下手をすれば腕に障害が残り、得意の手芸は二度とできなくなるかもしれない。実は可愛いものが好きな少女探偵の為に、小物の一つもまだ作ってやっていないのに。
「へっ……」
しかし完二は笑った。その意味は『気にするな』か『これでいいんだ』か。それとももっと単純に、『怪我はないか』か。言葉を交わす時間のない一瞬の視線の交換は、様々な意味と極めて強い印象を互いに与えた。
「ぐっ!」
そして次の瞬間、完二は顔を歪ませた。ツキヨミが風のように駆け抜け、完二の背中を長柄で斬りつけたのだ。肩に羽織った八十神高校の制服とその下の黒シャツ、そして暴走族を易々と叩きのめす力を拳に与える背中の筋肉が切り裂かれた。
腕自慢の完二はケンカの場数が豊富だ。大抵の場合、完二はもちろん相手も素手だったが、中にはナイフを出す不良もいた。経験があるので完二はやみくもに刃物を恐れはしないが、斬られた経験はさすがになかった。まだ知らない痛みに意識が遠のき、床に倒れ込む。そして金色の光の粒が背中から溢れ出す。
「完二君!」
倒れる完二を支えようと、直斗が手を伸ばした。しかしアマチュアながら優れた手芸家の体に初めて少女探偵の手が触れる寸前で、棺桶が二人を別離させた。赤い霧が覆う世界では、伸ばす手を阻んで人を孤独に落とすものは見えない壁のリングだけではない。そして棺桶は床に沈む。
ミナヅキは自失する直斗をそのまま放置して、次の獲物に走って向かう。千枝だ。荒垣を刺した右の刀はもう拾っている。
「こんのおお!」
つい先ほど自分の顔に傷をつけた相手に向けて、千枝は逃げずに踏みとどまった。刃物の恐ろしさも相手の格の違いももう分かっているが、それでも逃げない。師と仰ぐ真田が見たらいい顔はしないだろうが、仕方がなかった。自分の後ろには雪子がいるのだ。接近戦が不得意な親友を置いて逃げるわけにはいかない。勝てないと分かっていてもやらないといけない、『一生に一度』の機会は今だと覚悟を決めた。
「トモエ!」
ペルソナを召喚し、渾身の力を込めて長柄を振らせた。すると刃の周囲に火球がいくつも発生し、斬撃に合わせて頭上から斜め下に向けて飛翔した。炎をまとった流星さながらの打撃がミナヅキを襲う。全て当たれば有効打になり得るだろうが──
ミナヅキは頭と両手を下げて走っていたのを急停止し、左右の刀を上下に配置して円を作る構えを再び取った。女武者のペルソナが放った流星群が間合いに入った瞬間、刀の円を時計回りに回転させた。右手は下へ、左手は上へ移動する。二刀流の回し受けの軌道上にあるものは、物質もそうでないものも全て斬られた。
円が回り切った瞬間、千枝自身がミナヅキに接近した。左足を大きく踏み込んで床を揺らし、次の瞬間に指の付け根を中心に回転させる。後ろに置いていた右足を畳んで持ち上げ、そして開く。腰と膝のひねりを蹴り足に伝える。ただの前蹴りではなく、中国拳法で言う纏糸勁の動きを取り入れた見事な蹴りだ。しかし──
「千枝、駄目!」
モーションの大きい蹴りが最後まで展開する前に、雪子が親友に後ろからすがりつき、頭を上から押して下げさせた。遠距離攻撃が得意な雪子には珍しい、力尽くの制止だった。それとほぼ同時に、ミナヅキの右の刀が下から斜め上に切り上げられた。しかしそれは親友同士の二人の少女のいずれも斬らなかった。珍しいミナヅキの空振りである。
「ほう」
ミナヅキは雪子の咄嗟の判断に感心した。千枝の踏み込みは悪くなかったが、腰を入れた大振りの蹴りは、ミナヅキが流星を防いだ体勢から攻撃に移るだけの猶予を与えてしまった。迎撃の刀はタイミングが正確に合っていた。もし千枝がそのまま蹴りを放っていたら、その足を下から斬られていただろう。
「ふっ……」
しかし雪子の好判断はここまでだ。二人が重なって床にしゃがみ込んだ体勢では、ミナヅキの次の攻撃を防ぐことはできない。達人の剣士は振り切った右の刀をすぐさま手の中で回転させ、逆手に持ち替えて突き下ろした。それは電光の速さというほどではなく、石を割るような力も込められてはいなかった。
「ああっ……!」
悲鳴は雪子のものだ。ミナヅキの右の刀が背中に突き刺さり、ペルソナの欠片が噴水のように噴き出す。ただし堂島や荒垣を刺した時ほどの勢いはなく、刀は雪子の体の下にいる千枝にまでは届かなかった。先にやられた男たちより体力的に劣る雪子を殺さず、象徴化するだけに留めるように加減したのだ。本気でやっていたら二人まとめて串刺しだった。
「雪子! そんな……!」
とはいえ、千枝にとっては雪子が刺されたことには違いがない。瞬間的に後悔で頭が埋め尽くされ、苦しむ親友を抱き締めようと、その腕の中で振り向いて両手を広げる。しかしその手が触れたものは、赤と黒の棺桶だった。それは硬く冷たく、見えない壁のようにどうしようもない質感だった。
「ああ! 待って!」
そして雪子の棺桶は床に沈み込んでいく。千枝が手で押さえても止まらない。敵はまだそこにいるのに、それを忘れてしまう絶望感だ。
「ダイコクテン!」
二人の少年の声が完全に重なった形で、剛毅のペルソナの名が叫ばれた。瞬間、ミナヅキは千枝から視線を外してそちらを見る。すると並んで立つ少年たちの間に、破壊神を起源とする福の神がいた。小さな木槌を振りかざしている。
「ほほう」
短い間にミナヅキは再び感心した。一条と長瀬の言わば合体召喚によって顕現したペルソナは、ミナヅキの目から見てもなかなかの脅威である。一発でやられることはさすがにないが、そこらのペルソナやシャドウが放つ小技や小粒な魔法と違って、刀の一振りで霧消させることはできそうにない。こういう場合は──
──
合体攻撃の光の渦が足元に浮かび上がった瞬間、ミナヅキの姿はそこから搔き消えた。走ったり跳んだりしてかわしたのではなく、唐突に消えた。月が雲に隠れて影が消えるように、雲が切れて再び影が現れるように、移動する姿を見せない月読の術だ。剛毅のペルソナの乾坤一擲の秘技は狙いを外された。
「惜しかったな」
「くっ……」
そして消えたミナヅキが再び姿を現したのは、顔を蒼白にし、床に膝をついた一条の前だ。一条も長瀬も、切り札を放った反動で立っていられなくなっている。グランプリの場外戦でやった時と同じで、もう逃げることもできない。二人まとめて斬られて終わりだ。しかし──
「トモエ!」
ミナヅキの背後から不可視の衝撃波が襲ってきた。千枝が真田と戦った時にも最後に放った切り札で、ミナヅキの背中を狙った。しかし死角のないミナヅキには通用しない。左の刀を背に回して払い、遠当ての術を見ないまま弾いた。それと同時に──
「でりゃあ!」
千枝自身が飛び込んだ。トモエに渾身の一撃を打たせながら、千枝は体を屈めて力を溜め、斜め上に向かって飛び蹴りを放った。跳躍の高さといい角度といい、プロレスのドロップキックや中国拳法の旋風脚などとは違って、普通の人間ができる蹴りではなかった。特撮ヒーローがアクションシーンの締めに放つ決め技のようなものだ。ミナヅキの刀が背面に回されている状態で、千枝は刃物を恐れず突撃した。そしてミナヅキの後頭部に蹴りが当たった。
千枝の心中にあるのは、雪子を刺された怒りか。それとも一条を守ろうとしたのか──
とにかく特捜隊とシャドウワーカーの攻撃が初めてミナヅキに当たった。殊勲と言ってよいが、地力が違うので有効打には至っていない。すぐに反撃が来る。
「ふっ!」
ミナヅキは素早く振り返り、まだ空中にいる千枝に向けて右の刀を振った。体幹の回転に合わせて、左下から右上へ向けて逆袈裟に払う。陽介のような空中機動はできない千枝は回避できず、脇腹から肩にかけて斬られた。
「ああっ……!」
刀が通った軌跡に沿ってペルソナの欠片を散らしながら、千枝も棺桶に入った。もしミナヅキが本気で斬っていたら体を二つにされていただろうが、そこまでは行かない。熱い皆月と違って常に冷静な凍れるミナヅキは、未熟な相手から打撃を食らうという不覚を取っても、激昂して殺してしまうようなことはしなかった。
堂島から始まって、これで五人目だ。当初は不足していたペルソナの欠片は、ひっきりなしにエントランスの空間を舞い踊り、塔の上へと向かって消えていった。棺桶はすぐさま『埋葬』されてしまうので、人の姿はただ少なくなっていく。
「里中さん……! てめえ、許さねえぞ!」
一条は膝を押さえて立ち上がった。千枝は悠を好きであることに、一条は昨年から気付いていた。しかし足立やミナヅキと違って並の絆の担い手である一条には、どうしようもなかった。だが剛毅のコミュニティが破壊されたことで、悠の為に千枝を諦める気持ちはなくなっている。つまり一条は未練があると言うより、未練が蘇った状態だ。そこへ千枝が『自分の為に』斬られたとあっては、普段は穏やかな一条でも怒りが収まらなくなる。
「くっ……こっからが勝負だぜ!」
長瀬も歯を食いしばって立ち上がった。一条と違って長瀬の好きな人は幸いここにいないが、それでも赤い霧に襲われた町にはいる。今頃は自宅で棺桶になって眠っているはずだが、もし自分たちが負ければ、きっとあいも酷い事態に陥る。自分の後ろには守らねばならない者がいるのだからと、力を振り絞った。無理と思ってからが勝負なのが長瀬の部活における信条だが、初めて実戦においても心底思った。
──
すると炎と氷を操る剛毅のペルソナが揺らめくビジョンとなって、二人の少年の背後に現れた。絶対に負けられない思いは、二人で分け合うことで弱体化したペルソナに、再び元の力を取り戻させた。
「ふん……」
千枝を一刀で斬り捨てたミナヅキは振り返り、一条と長瀬を眺めやる。ペルソナは心の力であり、気持ちが充実していれば使える。もちろん限度はあるが、この二人は切り札をもう一発か二発くらいは撃てるようになっている。
だがそれでもミナヅキには遠く及ばない。怒りや決意は実力を少々底上げはしても、大人と子供ほどもある差を埋めるには足りないのだ。例の合体技を食らえば危ないが、召喚器で互いを同時に撃つという大仰な儀式が必要な以上、ミナヅキにはまず当たらない。
そんな圧倒的な強者に挑もうとする少年たちの襟首が、後ろから引っ張られた。
「お前ら無茶すんな!」
「い、伊織さん!?」
順平だった。膂力のかなりあるペルソナを持つだけあって、二人の少年を敵の間合いから引きずり出した。そして自分が前に出る。
「トリスメギストス!」
魔術師のペルソナを召喚し、空間に斬撃の網を張る。剛毅の二人の切り札には及ばないが、かなりの威力のある大技だ。対するミナヅキは半身に構え、右の刀を上に、左の刀を下に向けた。順平の渾身の技をそれで防いだ。髪の毛がいくつか切れて床に落ちたくらいで、ダメージは負っていない。
「ったく、荒垣さんに勝つくらいだからな。ストレガ級かよ、てめえ……」
順平は自分ではミナヅキに敵わないことは理解している。かつての戦いでも親友に実力で引き離され、妬んだこともある。だがそんな順平だけに、彼我の実力差を測ることはできる。そして差があることを認めた上でどうすれば良いか、それも分かっている。勝てる者が来るまで粘ることだ。
「ゆかりッチ、天田、コロマル、手伝え! りせちーは湊を呼んでくれ!」
「はい! コロマル、前に出て! ゆかりさん、行きましょう! 一条さんと長瀬さんは、僕らの後ろにいてください!」
そんな順平の意を汲んで、天田が動いた。
「ワン!」
「よーし!」
天田の指示で即席ながら陣形を組んだ。順平とコロマルが前に出て、天田とゆかりが中、一条と長瀬は後ろ。そしてその更に後ろにりせがいる。一対一でミナヅキに対抗できる者はエントランスにいないか、いても金縛りになっている。ならば複数人で連携して戦うしかない。ただしそれでも既に数人がやられている。ならばどうするか?
「順平さん、悔しいですけどまともに戦ったら一人ずつやられるだけです。僕とゆかりさんは回復に専念します」
「ああ、それしかねえな」
天田の提案に順平は頷いた。回復が得意な二人を中心にして防御重視で戦い、時間を稼ぐ。運が良ければ一条と長瀬の合体技が決まるかもしれないが、それを当てにはできない。塔にはとっくに突入しているはずの副隊長が来るまで粘る。りせは塔の中だと通信はできそうもないとのことだったが、何とかしてもらう。それが作戦だ。しかし──
「ふっ……無駄だぞ」
この作戦はミナヅキを相手取るには重大な問題があった。影から影へと瞬間移動する術がある限り、陣形に意味はないのだ。創面に笑みが浮かぶや、姿がまたも消えた。
「やべっ!」
順平が慌てるのを余所に、りせの目の前にミナヅキが現れた。前にいる敵から倒さねばならない理由はない。戦列を無視して敵の最後尾を急襲することもできる。
「君は計算外だったよ、久慈川君。どうもペルソナの欠片の集まりが悪いと思ったら、君のせいだったわけか」
りせが戦う力を得たのは、エリザベスと遭遇したことがきっかけだった。かのエレベーターガールの行動はグランプリでも主催者の計画を完全に逸脱していたが、今夜も同じだった。そこから派生したイレギュラーにして、ペルソナの欠片を集める計画に支障をもたらす者に向けて、ミナヅキは右の刀を振り上げた。
「……!」
初めて感じた剥き出しの危険に、りせは動けなかった。ミナヅキの目には感情がない。あの刀はただの作業として振り下ろされ、草を刈るように斬られる。斬られた後はクマ総統の言う『墓場』に送られるのか、それとも本当の死の国に送られるか。いや、果たして両者に違いがあるのか──
死の直前の走馬灯を感じながら、りせは固く目を閉じた。
──
しかし銃声とそれに続く金属音が、死の覚悟を吹き飛ばした。りせを切り裂こうとした刀は振り下ろされず、ミナヅキの顔の側面に立てられていた。
「あ、やっと来たね。どこほっつき歩いてたの」
声を上げたのは足立だ。依然として人の入っていないオブジェの棺桶に腰を下ろしており、呆れた視線を意図的に作ってエントランスの入口へと送る。
「来たか。最強のペルソナ使い」
ミナヅキは刀を下ろし、ようやくやって来た本命の敵の『一人』を見る。ついでにそれに従って来た、他の数名の姿も確認する。美鶴、真田、風花、そしてアイギスがいる。シャドウワーカー本部の常任組だ。
「そうだ。そして幾月の仇だ」
先頭にいるのはミナヅキさえ最強と認めるペルソナ使い、もちろん有里である。手にした大型拳銃の銃口からは煙が出ている。有里はミナヅキの側頭部を狙って撃ち、ミナヅキはりせを斬るのを中断して刀で銃弾を防いだのだ。
「全ての責任は僕にある」
過去に足立は二人、荒垣も二人の人間を殺しており、有里も一人殺している。殺人教唆も含めれば二人だ。そして今、三人目を殺すつもりでヘッドショットを放ったが防がれた。殺しの責任を新たに負うつもりでいたのだが、それは生じなかった。
「それは挑発にならない。俺にとって幾月はただの害悪だ」
答えた途端、まるでそれを合図とするように足元が揺れた。今夜足立と悠たちが初めて対峙した時にも起きた、自然の地震とは思えない激しい異界の震動である。この場にいるほぼ全員が、一瞬だが立っていることさえ難しいほどの揺れが襲う。エントランスに窓はないが、もしあったら塔の頂上へ向かう光と影の群れが見えたことだろう。
「ふむ……ようやく半分くらいか」
揺れが収まると同時に、ミナヅキはまたも姿を一瞬消した。初めて見る有里たちが驚いた直後、奥の階段の先にある巨大な時計の前に出現した。ちなみに文字盤の上に鳩時計の鳩のように現れたテレビは既に引っ込んでおり、かつて存在した本物のタルタロスの入口、即ち崖へと続く門と全く同じ様を見せている。
「この際だ、一対一のルールは破棄しよう。壊れた絆にしがみ付いて、せいぜい足を引っ張り合うといい」
そう言ってミナヅキは背を向けて、時計に手をかけた。それはかつての地獄の門とまさに同じで、手を触れた者を内に飲み込む。ギリシャ神話で言う奈落そのものであり、罪人を閉じ込める牢獄であり、人々の希望が集う目印でもあった塔の奥へとミナヅキは消えた。
「じゃ、僕も行こうかな」
足立はようやく重い腰を上げた。皆月とミナヅキが戦っている間ほとんどずっと座っていたので、関節が強張ってしまったような気がしていた。腰の後ろに手を当てて、反り返って伸びをする。それを終えると、ミナヅキが去っていった時計扉へ歩いて向かう。元より足立はエントランスの奥の方にいたので、扉へ続く階段との間に特捜隊やシャドウワーカーはいなかった。足立は妨害を受けないまま、階段に足をかけた。
「おい、待てよ!」
妨害はされないが、声はかけられた。陽介だ。しかし足立は振り返りもしない。
「足立さん」
もう一人に声をかけられると振り返った。有里だ。
「そう怖い顔しないでよ。僕は君とやり合う気はないよ」
有里に限らず、足立は誰とも戦う気はない。特捜隊とシャドウワーカーのいずれとも敵対しているつもりはないし、別に恨みも感じていないから。しかしだからと言って有里たちが足立を放置してくれるとは思えない。何しろ殺人犯であるから、きっと拘束される。だから立ち去ろうとしている。
「それよりやるなら急いだ方がいいよ。もうすぐ塔の頂上にアレが来て、集めた欠片をブスーっとやっちゃうから」
ただし忠告はした。
「アレ?」
「そう、アレ。あの目ん玉みたいなの」
しかし詳しい説明はせず、抽象的な言い方に留めた。訝し気な有里と視線を一度合わせて、そして振り切るように前を向いた。時計扉に手をかけ、その中に消えた。ペルソナ使いがテレビに触れて中に入るように、奈落の奥へと向かって消えた。誰も引き止めはしなかった。
「く……ぶはっ! クソッ……!」
ただ一人足立を追いかけたかった陽介は、その場でたたらを踏んだ。ミナヅキと足立が二人とも姿を消して、ようやく赤い目の金縛りが解けたのだ。仲間たちがやられるのも、足立が立ち去るのも黙って見ていることしかできなかった無念を抱えて、時計扉を睨む。
「ぐ……やっとか」
そして悠も解放された。死の絆の担い手に好き勝手に言われて、やりたい放題にやられてしまった。エントランスの戦いは悠たちの敗北と言わざるを得ない。