影時間が常態化していた頃、適性のない常人は象徴化するのが普通だったが、稀にそれが解けて影時間に『落ちる』ことがあった。そうした人がシャドウに襲われると影人間になるのだが、シャドウが被害者に『声』をかけ、強制的に象徴化を解除して影時間に『落とす』ケースもあった。昨年の霧の日の獣害事件において、堂島や尚紀たち被害者が聞いた『声』がそれである。
そしてそれとは別に、象徴化を解除する力を持つ人間もいた。今は力と記憶を失ってしまった刑死者のペルソナ使いが、象徴化した人間を安息の場所から押し出すように棺桶から出すことができた。彼女らはそれを利用して、依頼された殺しや暴行を影時間に行っていたのだ。山野のシャドウを自分のペルソナにした生田目ができるのは、それと同じことである。
堂島の棺桶が落ちてきた後、更に四つの棺桶が立て続けに落ちてきた。生田目が開けてやると、いずれも中から怪我人が出てきた。死んではいないが傷は深く、通常の医療手段を超える効果のある回復魔法が得意なペルソナ使いがいなければ、数分もすれば死んでしまうような状態だった。その為、結実は大わらわだった。
「ここは……俺らの寮じゃねえか」
棺桶から出てきた一人、荒垣は自分たちがいる場所を見て驚いた。ここはかつての特別課外活動部の拠点、巌戸台分寮のラウンジだ。もちろん本物ではなくそれを模したものに過ぎないはずだが、一時期生活していた荒垣から見ても非常によくできていた。広さといい高級感といい、再現度はそっくり同じと言っていい。あとは真田がよく食べていた牛丼のテイクアウトや、順平が食べていたカップラーメンの容器が置いてあれば完璧だ。
「寮? それにしちゃあ立派すぎねえっすか?」
完二が言う通り、高校生が住む寮にしては設備が過剰である。審美眼のある完二は内装や調度品のレベルも分かる。
「元はホテルだったらしい」
デフォルメされているのではなく、本当にこんな寮だったのだ。しかしただ一点、置かれたテレビだけが実際と違っていた。ここにあるものは百インチを軽く超える大きさだ。本物の寮のラウンジにもテレビはあったが、さすがにここまで大きくはなかった。映画でも映したらさぞや大迫力であろうと思われる超大型テレビに、突然映像が流れ始めた。
『ヤッホー! 負け犬諸君、スペシャル観戦シートにヨーコソ! シャドウもおらん、偽物もおらん! 昔のシャドウタイムじゃあり得なかったセーフルームクマ!』
生田目が勘付いたところによれば、11月に自分に取りついた超常の存在の同類。本人によれば、そんな使い魔とは一線を画す存在。もはやお馴染みの軍帽をかぶった着ぐるみである。顔のアップは巨大な画面から飛び出さんばかりだ。
『これからP-1クライマックス二回戦が始まるクマ! 無念にも一回戦負けした弱っちい敗北者ども、このクマ総統様の海よりフカーイお慈悲により、特別にこのテレビでスーパーファイトを見せちゃるけん! 泣いて感謝するよーに!』
クマ総統が言うところの墓場、即ち寮のラウンジは安全ではある。しかし残った仲間たちを助けることはできない。テレビで見るだけである。
「馬鹿にしてんじゃないわよ!」
相変わらずありとあらゆる者を煽る総統のスタイルに、千枝が噛みついた。すると着ぐるみは煽りの方向性を変えてきた。葉巻を咥えた口をにやりと笑う形に歪める。
『肉食チエチャンは暴れ足りんクマ? いークマよ! にっくき恋敵と場外キャットファイトしたって!』
「は……?」
恋敵──
千枝は思わず振り向いた。ここには雪子がいるが、ミナヅキの凶刃から庇ってくれた親友は恋敵とは言えない。雪子は千枝が好きだった人と恋仲だったことはないのだ。そして千枝も雪子が好きだった人と恋仲ではなかった。そうだったのは、ここには一人しかいない。
「わ、私……?」
結実である。
「……」
「……」
三人の少女を結ぶ三角形の空間に電光が走った。どこからか降って来る赤いコーナーポストが、見えない壁で二人の野獣を閉じ込めて戦わせるように、少女たちの間に緊張が走った。このラウンジは『上』の塔と違って霧はないが、ペルソナは使える。場外戦を本当にやるとなったらできる。
「君たち、そんなことしている場合じゃありませんよ」
クマ総統の煽りに乗せられそうな少女たちを、大人の男が窘めた。
「特に小沢さん。きっと怪我人がまた大勢やってくるでしょうから、力を無駄にしないでください」
生田目である。言葉遣いは丁寧だが、若者に有無を言わせない感じがある。
「あ、はい……」
今夜の象徴化が死体を収める棺桶ではなく、怪我人を運ぶ担架であるとするならば、このラウンジは墓場と言うより野戦病院である。元々特殊部隊で衛生兵の役割だった結実は、衛生班の班長(たった今そうなった)に従うように、千枝と雪子から一歩身を引いた。
──
そうしているうちに、ラウンジの超大型テレビに砂嵐が一瞬だけ走り、そして次の瞬間に映像が鮮明になった。二回戦の中継が始まったのだ。映っているのは『恋敵』たちの中心にいる男だ。そしてその傍に、片思いのネットワークに囚われた人が映った。
「あ……そうだった。まだいたんだ」
雪子が思わずと言った態で声を上げた。悠と一緒に映っているのは、りせと直斗だ。
P-1クライマックスのうち、タルタロス『らしき』この塔の外で行われた四試合は予選という扱いだった。そして塔に突入してからが本戦だ。本戦一回戦の第一試合は体育館で行われた。その時は荒垣の指示のもと、見えない壁をりせが破壊し、十人の本物が二人の偽物を叩きのめすという卑怯な戦いになった。主催者はそれに或いは懲りたか、以降は荒垣たちの前に偽物は現れなかった。
第二試合は皆月と堂島の戦いで、皆月がいよいよ勝つかという時、乱入してきたりせによって見えない壁が破壊され、またも袋叩きで終わった。そして第三試合はみたび袋叩きになるかと思いきや、少数の側が多数を圧倒する展開だった。
一対一が原則の格闘大会であるはずが、本戦が始まった途端にメチャクチャになってしまったわけだ。だからか、ミナヅキはもう一対一は破棄すると言い出した。つまりこれから始まる二回戦は『タッグマッチ』になる。ただし誰が誰と組むかは、本人に決める権利はなかった。
エントランスの時計扉を通り抜けると、悠は周囲の人が急に減ったことに気付いた。十七人もいたはずが、自分を含めて三人しかいない。
「これは……? 久慈川さん、他の人たちはどこに行ったか分かりますか?」
「ちょっと待って。調べてみるね」
直斗に頼まれたりせはヒミコをサーチモードで召喚し、ヘッドマウントディスプレイを自分の頭にかけさせる。塔の中では霧が邪魔して会話は難しいが、仲間の居場所やそこにいる人数くらいは分かる。
「えーと……これはクマね。それでこっちは……」
そして程なくして、P-1クライマックス二回戦に挑むペルソナ使いたちは四つの組に分けられていることが分かった。もちろん自分たちの意志で別行動を取ったわけではない。気付いたらこうなっていたのだ。
「一対一は破棄すると言ってましたが、敵はこちらを分断する作戦で来たようですね」
美鶴は今夜の塔は往時のタルタロスと違って、敵が狙って構造を変えるなどの罠を仕掛けてくる可能性について言及していた。そしてやはりと言うか、早速仕掛けてきたわけだ。全員一緒に時計扉を通ったはずが、数人ずつで小分けにされたグループごとにバラバラの場所に出てきてしまった。どこまで行けば合流できるか、想像もつかない。
(厳しいな……)
りせから聞いたチーム分けを鑑みると、自分たちの組が一番危ないと悠は感じた。悠自身は全てのペルソナ使いの中でも屈指の実力者だが、他の二人はそうではない。直斗は特捜隊の中でも実戦経験が少なく、りせに至っては直接戦う力は今夜目覚めたばかりだ。出てくる相手にもよるが、基本的には悠が敵を引き受けなければならないだろう。
「大丈夫ですよ」
先行きの厳しさを考えていた悠の心理を察したように、直斗が声をかけた。既に拳銃を取り出している。
「誰も自分を非戦闘員だなんて思っていません。久慈川さんだってそうでしょう?」
「もっちろん!」
りせのペルソナ使いとしての本業は情報担当だ。尚紀と同じで、戦う力を得てもそこは変わらない。しかし後ろに隠れているつもりはないようである。
「戦って、生き残りましょう。僕たちは死ぬ為にここに来たんじゃないんですから」
「……ああ、行こうか」
直斗は完二がミナヅキにやられて象徴化し、墓場送りにされた時は一瞬自失した。しかし今は立ち直っている。悠はその姿に安心するようなそうでないような、何とも言葉にしづらい感情を覚えた。もちろんそれを口には出さず、前へ向けて歩き出した。
悠たち三人のいる空間は階段の形をしており、曲がりくねったり螺旋状になったりと普通の階段とは違うものの、ひたすら上へと続くだけだった。また迷路のような構造の学校の廊下に出るかと思いきや、意外にも一本道だった。そうして上っているうちに、扉が目の前に現れた。形は学校の教室の扉のようだった。
「開けるぞ」
悠は二人が頷くのを確認してから扉を開けた。
(パッヘルベル?)
開けた途端、ピアノの旋律が聞こえてきた。子供の演奏会でもよく弾かれる有名なピアノ曲で、悠が正月から菜々子に何度か教えてやった曲である。扉の先の空間は堂島宅の奥の区画、ピアノが置かれた仏間だった。ただし悠が一年間生活した本物の家ではなく、異界の領域だ。
本当はアップライトピアノが置かれている場所には立派なグランドピアノが鎮座しており、部屋そのものも本物の何倍も広い。本当は小さな戸棚は壁一面を覆う巨大な本棚になっており、楽譜がぎっしりと詰め込まれている。レパートリーはクラシック音楽だけでなく、ロックやポップス、民謡まで何でも取り揃えている。店を開けそうなくらいのラインナップである。
「菜々子ちゃん!?」
直斗が驚いた声を上げた。椅子に座ってピアノを弾いているのは菜々子だ。ただし──
「ううん! 本物じゃないし、菜々子ちゃんから出たシャドウでもないよ!」
今夜の定番である偽物だ。そして偽物は他にもいた。
「ふん、やっと来たか……」
ピアノの傍には三人いる。その一人は『堂島』である。グランドピアノの脇に立って譜面を覗くようにしていたが、振り返って悠を見た。もちろん墓場送りにされた本物ではない。憎々し気なその瞳は金色に光っており、それを隠そうとしていない。
「あ、お兄ちゃん!」
振り返った『菜々子』の瞳もやはり金色だ。色そのものはテレビの中の天上楽土に現れ、クマに『食べられて』しまった菜々子のシャドウと同じだが、これはそれではない。カノンを見事に弾きこなしたこの女児は、りせが一目で見抜いた通りただの偽物である。本物は自宅で象徴化している。
「菜々子、お父さんはこれからお仕事だ。もう寝なさい」
「はーい! 菜々子を忘れてたお兄ちゃんなんか、嫌いだもん!」
今晩の偽物たちは全般的に話が早いが、『菜々子』は嫌味を一つ寄越してきた。小さなナイフで『兄』を刺す。その深さは決して浅くはない。なぜなら、どこで知ったか分からないが言いがかりではないから。
「お前が来たんじゃ、おちおち菜々子を置いておけんな」
シャドウが消える時に発するのと同じ黒い煙に包まれて、『菜々子』は消えた。
「ホント、酷いお兄ちゃんよね」
「シスコン番長だなんて嘘ばっかり。それとも飽きちゃったのかしら?」
ピアノの椅子の後ろにいて『菜々子』の演奏を聞いていたのは、金の瞳の『千枝』と『雪子』だ。そして堂島宅を模したこの空間には、もう一人いた。
「なんや、あんたかいな……」
やる気のなさそうな関西弁が、ピアノの反対側、仏壇の方から聞こえてきた。仏壇は本棚と同様に本物の何倍も巨大化している。見上げるような高さと何メートルもの幅があり、大寺院の本殿さながらだ。その奥の方、本尊が置かれた須弥壇に、罰当たりにも腰を下ろしている『人』がいた。
八十神高校の夏物の制服を着た銀髪碧眼の美少女だ。『堂島』たちが偽物の証明である金の瞳を隠さないように、今夜の『機械の乙女』は鉄でできた手足を隠していない。人間ではとても扱えない巨大な斧を刃を下にして床に置き、杖代わりにするように石突に手を乗せている。ラビリスだ。
(いたか!)
悠は内心で幸運を喜んだ。悠はグランプリでラビリスと接触していない。陽介から話に聞いたのと、りせが中継した放送室と屋上のスタジオでの様子をテレビで見ただけだ。悠にとってラビリスは顔を直接見るのもこれが初めてという縁の薄い相手だが、自分が倒すつもりでいた。
ラビリスと縁が深いのは陽介だ。元のラビリスを救おうとしたのだが、それはラビリスのシャドウに『食べられて』しまった。陽介はその復讐の為、今夜の戦いに挑んでいる。昨年は早紀の復讐の為にテレビの世界に挑んだように。それについて悠は陽介と話し合ったわけではないのだが、そう直感していた。
相棒に殺しの業を背負わせてはならない。それが今夜の悠が戦う動機の一つだ。その意味でこの二回戦第一試合の対戦相手は悠にとって幸運なのだが、問題はある。
(四人か……)
人数的な不利だ。三対四だが、実質的にはそれ以上に差があると言っていい。悠は一対一なら、この四人の誰にも負ける気はしない。しかし全員同時に相手をするのは難しい。まして二人を守りながらでは、より難しい。
(いや、迷うな悠)
エントランスでのミナヅキの凄まじさを思い出した。十人以上の敵を一人で圧倒した、かの死の絆の担い手を倒すつもりならば、自分もこれくらいはできなければいけない。そしてそれ以上に──
(俺は死ぬ為にここに来たんだ)
人間、死ぬ気になれば何でもできる。よく言われる言葉だ。もちろん現実はそんなに甘くない。『たかが』死ぬ気になったくらいで、不可能がなくなるなら苦労はしない。覚悟の効果など、実力をほんの少し底上げするのが関の山だ。だがこうしたギリギリの局面では、その少しが勝敗を左右することもある。もっとも象徴化と墓場送りのルールがある以上、死ぬことはかえって難しそうだが。
悠が精神論を考えている間、偽物たちの口上は続いていた。
「直斗君もりせちゃんも、そんな人はやめた方がいいよ」
「うんうん、そいつはあたしたちの大切なものを捨てたんだもん。探偵バッジとか、サイン入りの写真とかさ」
「バッジ……? 先ほど花村先輩が言っていた絆創膏と同じ話ですか?」
具体的な物について『千枝』が言及すると、直斗が反応した。偽物の言動を真に受けるべきでないとは思っているが、こう来られるとさすがに引っ掛かりを覚えた。そして悠は内心でため息を吐く。
(やっぱりこうなったか……)
絆が失われていることについてエントランスで悠が皆に話そうとしたのは、偽物たちがこう言ってくるかもしれないと思ったからだ。コミュニティの破壊をミナヅキは知っている以上、偽物たちもきっと知っている。仲間たちの動揺を誘う為に、真実を再び暴露してくるかもしれない。ならばせめて事前に言っておくべきだと考えたのだ。しかしエントランスでは陽介に遮られた為に言えなかった。
ともあれ、真実はやはり明らかにせねばならない。
「お前たちが好きだった男は、3月に死んだんだ」
仲間たちに告白するつもりだったことを、ここで言った。前に歩み出て、本物の少女たちと偽物の少女たちの間に立つ。
「ん?」
「お前たち、去年は俺と接する度にペルソナが強化されていただろう。それが絆の効果だ」
仲間がいるから頑張れる。仲間がいるから困難に立ち向かえる──
問題の解決に力を貸してもらうなど、直接的な協力はもちろんある。声援を貰ったり、悩みを聞いたりするだけの間接的な協力もある。何もせず、ただ寄り添うだけしかできないこともあるが、何もないよりはいい。それが絆というものだ。更には一人だけでいると楽で安易な方向に流れてしまうのを戒める、他者の目としての効果もある。それが世間にもある普通の、即ち真の絆である。
しかし悠が仲間たちと結んできたコミュニティは違う。もっと強力で魔術的で、人を惑わせるものだった。まさにテレビの中で満ちる霧のように、真実を覆い隠す。信仰は人を強くするが、同時に目を眩ませる。
信仰する側は信仰それ自体から幸せを得られるからまだいいが、信仰される側はそうはいかない。もっとも自分を全能にして無謬なる超越者か何かだと、控え目に言っても常人と違う特別な人間だと思っているならまた別だが、悠はそういう柄ではない。この世に超人などいないと諸岡に教わっており、その通りだと思っている。悠は元々自分を高く見積もってはいない。だから仲間たちが捧げてくる信仰が辛い。彼らが見ていたのは偶像であり、悠自身ではなかった。
「イザナミと対峙した3月のあの日、俺はお前たちとの絆……
「先輩……」
コミュニティを破壊して偶像は死んだ。悠は『落ちた神』なのである。
(偶像だけじゃない。実体ももうすぐ死ぬ……)
「なーに自惚れてんのよ! あたし、あんたを好きだなんて言った覚えないわよ!」
「そうよ! 私を好きだって素直に言えば付き合ってあげたのに、言えなかった意気地なしじゃない!」
水に落ちた犬は叩かれるように、落ちた神は信者から非難されるのが常だ。世の中には中傷や難癖をつけずにはいられない人間もいるが、趣味やコンプレックスでそれをする者よりも、裏切られた信者の方がより強烈な憎悪を抱く。しかし──
「あっそ! じゃあ鳴上先輩は私がいただくわね!」
高い所から落ちても仮面が剝がれても、それも新たな一面として受け入れる者も中にはいる。りせは悠の隣に立ち、腰に手を当てて胸を反らす。
なお、偽物は本物から生まれたシャドウと違って所詮は偽物であり、その言動は本物の責任ではない。しかし全く的外れかと言うと、意外とそうでもない。りせは偽物の言葉を本物のそれであるように意図的に読み替えて、ライバルから撤退の言質を取った満足気な笑みを浮かべる。
まさにエリザベスが言う通り、戦いは綺麗事ではない。恋も同じである。隙ありと見れば畳みかけるのみだ。
「直斗君は完二に乗り換えるみたいだし、文句ないわね!」
「あの、乗り換えるとかそういうのじゃなくて……」
そこにいる直斗からツッコミが、塔の遥か下の方から断末魔が聞こえたような気がしたが、りせは気にしない。ここはノリで押し切るところだ。
「いーのよ! さあ先輩たち! つまんないこと言って女を下げてないで、決着つけようじゃないの!」
「この……上等じゃないの!」
「燃やしちゃうから」
りせが試合開始を宣言すると、『千枝』と『雪子』は金の瞳をより鮮やかに輝かせた。昨年のシャドウは言葉で責めてくることが多かったが、そこいらのシャドウよりも口が達者な人間も当然いる。りせは偽物たちより役者が上だった。
「ったく、近頃の若いもんは……」
「はあ、アホくさ……」
『堂島』は年寄りくさいことを言いつつ、警棒を構えて戦闘態勢に入る。しかしラビリスは仏壇から腰を上げなかった。装甲に覆われた足を上げて片膝をつき、悠たちの勝負を興味なさげに眺めやる。
(さて、どうするか……)
悠はりせと直斗の前に出ながら、どう戦うか考えた。ペルソナ使いの戦いは相手の弱点を突くのが基本戦術だ。今夜のフードコートでは即座に『陽介』の弱点を突いて、速攻で勝負を決めた。『千枝』と『雪子』をあの時のようにできれば、この堂島宅での戦いもすぐに終わらせられるはずだ。しかし相手も無策ではないので、そう簡単にはいかない。
「行くぞクソガキ!」
金の瞳の刑事が前に出てきた。本物の堂島もそうだが、『堂島』は弱点がない。だから怯ませたり転ばせたりするのは難しい。悠は一対一なら正攻法でも勝つ自信はあるが、その間に『千枝』と『雪子』が黙っているはずがない。もちろんラビリスも。
「先輩、ラビリスは雷が弱点よ!」
りせから有益な情報を貰えたが、目の前の『堂島』を無視してラビリスを攻撃するのは危ない。技術的には皆月たちほどの達人ではない悠は、一人で三人や四人を相手取るには大技を駆使しなければならない。ではそれをいつどうやって仕掛けるか。いきなりやれば隙になりかねない。
「ぬん!」
悠が良策を思いつく前に、『堂島』は警棒を振りかぶって叩きつけてきた。悠はそれを長剣で受ける。
「ふん!」
悠が反撃の突きを放ち、今度は『堂島』が受ける。再反撃が来る前に悠は剣を素早く引き、小さく払って叔父の偽物を牽制する。大振りはしない。
「小賢しい奴め!」
長剣は警棒よりも間合いが遠い。二人の得物の長さの差は数十センチ程度だが、格闘戦においては無意味な距離ではない。これがもし一対一なら、この距離を保つだけで悠が有利になるが──
「この変態野郎!」
そこへ『千枝』が割り込んできた。『堂島』の左手側から回り込んで、悠の足を狙って左のローキックを放ってきた。悠は受けるのもよけるのもできるが、それをした時、眼前の『堂島』はどう動くか。『雪子』は何を仕掛けてくるか。ラビリスは? 一対多の戦いはこれが難しい。しかし──
「スクナヒコナ!」
悠の右後ろで、小さな体のペルソナが召喚された。昨年の10月に出現した直斗のシャドウもそうだったが、直斗のペルソナはできることが多い器用なタイプだ。千枝と雪子が各々弱点とする火炎と氷結を両方使える。悠が『千枝』の蹴りに対処する前に、スクナヒコナが放った炎の弾丸で『千枝』は転んだ。
直斗は幅が広い代わりに、魔法の威力が低いので一発で『千枝』を倒すことはできない。しかし大きな隙を見せている。ここで悠がメサイアで追撃すれば、まず一人倒せる。しかし次の妨害が来た。
「コノハナサクヤ! 燃やしちゃって!」
すかさず『堂島』の右手側から『雪子』がペルソナを召喚し、猛火を放とうとする。遠距離攻撃が本領でしかも一つの属性に特化した『雪子』の本気の火炎は、直斗が氷結の魔法を撃っても対抗できない。氷は飲み込まれて直斗だけがやられる。ここは悠が何とかせねばならない。と思いきや──
「ヒミコ!」
悠の左後ろから、りせが円盤を飛ばした。豆鉄砲と言うか、カッターナイフを投げつけたと言うか。狙いは『雪子』の顔面だ。
「邪魔しないで!」
『雪子』は火炎魔法を中断し、扇子で円盤を叩き落とした。人はカッターではそうそう死なないが、気にはなる。金色に光る偽物といえども乙女である。顔に傷は負いたくないのだ。
遠距離から飛んでくるりせの物理攻撃は、意外と馬鹿にできない。威力は大したことはないが、仕掛けるタイミングが良い。りせは実は戦いのセンスがあると言うべきか、それとも本業の情報系の能力の賜物で、いつやるのが良いのか勘ではなく見て分かるのか。
かくして悠は動かないまま、敵の攻撃を二つ凌いだ。
(忘れてたな……こういうの)
グランプリから一対一の戦いが続き、その前の黄泉比良坂も悠は一人で戦った。コミュニティを破壊したこともあって忘れていたが、仲間がいるというのは力である。もちろん足手まといになることもあるが、直斗とりせはそこまで弱くない。自分一人で、そして死ぬ気で戦わねばならない気負いが、張り詰めた悠の心から少しだけ抜けた。
悠チームと『堂島』チームはどちらも魚鱗の形を取る。突出した位置にいるリーダー同士が長剣と警棒で打ち合い、禍津神と護法善神が切り結ぶ。悠は間合いを保とうと突きを放ち、『堂島』は受けるか、時にはかわして踏み込む。逮捕術で犯人を取り押さえるように袖を掴もうとすると、悠はマガツイザナギの矛を振り回して押しのけようとする。対する『堂島』はコンゴウリキシの三鈷杵で防ぐ。
(直斗君! 雪子先輩を押さえて!)
「こっちを見なさい! 意気地なし!」
そんな本物の甥と偽物の叔父の勝負に、甥を好きだった少女の偽物たちは恨みをぶつけようと割り込んでくる。『雪子』が扇子を振り回してペルソナを躍らせ、大きな炎を生み出そうとする。
「そうはさせません!」
対する甥を今でも好きな少女と、気持ちが分かりにくい少女が妨害しかえす。『雪子』が悠に向けて猛火を放とうとする直前に、直斗が素早く氷の弾丸を放った。当たれば『雪子』は転び、大きな隙をさらすだろう。
「分かってんのよ!」
偽物とはいえ仲間同士であるから、互いに何ができるかは分かっている。『雪子』の前に『千枝』が立ちはだかる。本物と同様にペルソナが退化した『千枝』は氷結を無効化はできないものの、強くはあるので直斗の氷くらいなら大して効かない。こうなるとかえって直斗に隙が生まれる。
(鳴上先輩! ぶっ飛ばす系で!)
「マガツ、風を!」
その隙を悠が補った。空気の暴力を一度に複数巻き起こし、力を広範囲に展開する。疾風属性に強い敵は今は誰もいないので、耐性で防がれることはない。風に弱い敵もいないが、今の『千枝』と『雪子』は悠と比べればかなりの実力差があり、『堂島』はお供の二人より実力で勝るが魔力が低いので、どんな魔法でもそれなりに効く。三人の偽物は吹き飛ばされ、距離を置かされた。
(先輩、直斗君、いい感じよ!)
勝負の最中にりせから声援を貰う。本業である情報系の力で攻撃のタイミングを計り、指示を出して先手か後の先を取る。戦いのセンスが開花したりせは、こういうところでも仕事をする。
「このクソガキめ……!」
偽物たちの中で最初に立ち直った『堂島』が突撃してきた。応じるのはもちろん悠だ。長剣と警棒で再び打ち合う。やりながら、悠は三人揃って勝てそうな気がしてきた。もちろん油断はできないが。金色に光る叔父を視界の中心に置きつつ、目の端で『千枝』が自分に向かってくるのを捉える。次の瞬間に飛んできた回し蹴りを右腕で防ぐ。
(直斗君、わざと私と距離取って!)
(分かりました)
直斗は二対一の状態になった悠を援護しようと駆け出した。その瞬間、『雪子』の元から金色の目が更に鮮やかに光った。
「火葬してあげるわ!」
好機を見出した『雪子』は扇子を開き、先ほどは妨害された本気の魔法を再び行使した。桜色のペルソナの踊りに合わせて火柱がいくつも立ち上がり、列をなしてりせを目指して進んでいく。悠に絡んで挑発してくれた生意気な後輩に、まともに当たれば象徴化して埋葬されるくらいでは済まないほどの、莫大な熱が吶喊していった。
しかし自分を殺せるだけの威力を持つ攻撃に対して、りせは慌てなかった。読み通りの展開である。
「ヒミコ! 跳ね返して!」
巫女のペルソナの手に、ハニカム構造の障壁が現れた。堂島の切り札である物理的な攻撃を跳ね返す鏡と対をなす、属性魔法を跳ね返す鏡である。河川敷でエリザベスが召喚した魔王の電撃にも有効だった、りせの切り札だ。鏡は炎を吸い込み、一瞬の後に向きを反転させた。
「あっ!」
コノハナサクヤは火炎に強いものの、アマテラスと違って無効化はできない。りせを火葬するつもりで放った渾身の炎は、『雪子』自身にも結構効いた。滅びはしないが、ペルソナの欠片をかなり零してしまうくらいには効く。
偽物とはいえ仲間同士であるから、『雪子』に何ができるかはりせは分かっている。しかし今日目覚めた戦闘モードのヒミコに何ができるか、『雪子』は知らなかった。情報の格差を利用した、りせの作戦は綺麗に決まった。