真田はボクシングにこだわりがない。幼い頃の経験によって力への意志が生まれ、強くなる為に格闘技を習いたいと思い、たまたま選んだのがボクシングだっただけだ。そして本人もそれを自覚していた。中学生の頃からメディアにも注目されていた有名選手ではあったが、競技そのものへの思い入れはない為、高校卒業後はプロのボクサーになる道を選ぶことはなかった。
そして力への意志とは克己心に繋がる。真田は常に自分自身と戦ってきた。ちょうど今やっているように──
(自分に勝つとは、こういう意味ではないが!)
真田は『真田』と殴り合いながら、自分で自分にツッコミを入れた。克己とは弱気や安易な方向に流れる気持ちに克つことであり、決して自分と同じ顔と同じ力を持つ相手と戦って勝つことではない。よってこれは自分自身との戦いではなく、ただ実力が近い敵との戦いと言った方が正しい。
黒服の上着を捨てたワイシャツ姿の真田はジャブを二発打つ。赤いマントを羽織った『真田』はガードする。真田は半歩踏み込んで左ストレート。『真田』は瞳が金色に光っているその顔をスリップさせ、踏み込んでくる。
(そうだ……落ち着け俺。こいつは俺と同じ顔をしていても、俺じゃないんだ)
『真田』のボディーアッパー、肘を下げてガード。真田の反撃のショートフック。一歩下がってかわす。再反撃のワンツー。ウィービングからボディー。
戦いにはリズムがある。手数を駆使するボクシングでは特にそれが顕著だ。自分が攻撃しやすいリズムがあり、敵にもリズムがある。戦いの本質そのもののように、ボクサーは自分のリズムを相手に押し付け合う。敵のペースに乗らず、自分のペースで戦うのが基本である。長所で攻め、短所を補う。
(象徴化しない分、粘りはこいつの方がきく)
ジャブなしで、ロングフックをいきなり放つ。ダッキングしてかわす。起き上がりざまにアッパーで顎を狙う。スウェーバックでかわす。上体を戻す動きがそのまま左ストレート。続けて右ストレートで逆ワンツー。
(俺がこいつより優位にあるのは……)
仲間の存在? 自分の後ろにある、守らなければならないもの? どちらも今はあまり関係がない。
(そうじゃない。優位かどうか以前に、こいつが俺と違うところを見つけるんだ!)
通常は戦いながら余計なことを考えている暇はない。しかし『自分自身』との戦いとは、ある意味で最も慣れた相手との戦いと言える。考えなくても体が動く。音楽家が楽譜を指で覚えるように、格闘家は技を体で覚える。『自分』の動きは自分の拳が、足が、腹が、背中が覚えている。戦いながら頭は別のこともしていられる。
(こいつは俺の偽物……だが性格は本物のシャドウと同じだとすれば?)
戦いとは剥き出しの暴力のぶつけ合いだけではない。もちろんそれが最も重要な要素だが、頭も見逃せない。真田は戦いながら考える。そして自分を省みる。
真田がペルソナ使いになって短くない時間が過ぎた。テレビに入っても真田のシャドウは出ない。だが何かの弾みで出てしまったら、それはどんな性格になるか。
(本当の俺は臆病な男だ。ならこいつは……)
昨年テレビの中に現れた、事件の被害者から生まれたシャドウの特徴については、堂島経由でシャドウワーカー本部にも伝えられている。それを分析すると、まさに心理学的な意味でのシャドウを悪い方向にデフォルメしたものとのことだった。真田の本性はグランプリで千枝に語った通りである。では真田のシャドウはどのようなタイプか? 臆病で繊細で、ストイックな努力家である真田とは反対の性格。つまり──
(ならば!)
真田は右のジャブを三発連続で放った。狙いは敢えて散らさずに同じ場所、具体的には『真田』の右のガードを叩く。そして足を使いだした。
「貴様……?」
『真田』は金色に光る目を細めた。真田は軽快なフットワークを披露し、『真田』から見て右回りに周囲を回る。一定の間合いを保つ、いわゆるアウトボクシングだ。こうすると相手は利き手の左が使いづらくなり、ジャブの差し合いが主になる。
「ふん、似合わぬことを」
真田はボクシングはインとアウトのどちらの距離でもできるが、どちらかと言えばインファイトが得意だ。それは対シャドウ戦、またはペルソナ使いとの戦いにおいては、拳よりもずっと遠い間合いから始まるのが普通だったからだ。剣や槍を持てば人間の腕の長さの差など容易く埋められるし、銃や魔法ならなおさらだ。だから真田はペルソナ使いとしては、ほとんど常に敵との間合いを詰めることを要求されてきた。だから自然とボクシングも近距離の戦いが多くなった。
右、右、右。狙いは『真田』の顔面、腕、肩に偏りなく散らす。拳は横、縦、斜めと場合により色々。込める力も強弱様々だ。ただし体重を乗せた全力のパンチは打たない。それ以外で、バリエーション豊かに攻める。対する『真田』もジャブで応じる。その数は互いに数十発。傍から見ていれば飽きもせずよくやると、ボクシングの素人目には面白くない、玄人好みの判定勝負の様相を呈してきた。
「ふっ!」
しかしP-1クライマックスに判定などない。『真田』は顔面に向けて飛んできた真田のジャブを左手の甲で外に弾き、自分もジャブを打つ。そして踏み込んだ。得意とする近い間合いに入り、左で真田の脇腹を狙う──
「隙があるぞ!」
『真田』のリバーブローとほぼ同時に、弾かれた真田の右手が戻ってきた。と言うより、戻す動作をそのまま攻撃にした。つまり敵の背面を狙った。
「がっ……! き、貴様!」
後頭部を打ついわゆるラビットパンチは、ほとんどの格闘技で反則とされている。ここへの攻撃は概して非常に危険で、特に延髄に強い衝撃を与えると即死もあり得る。そんな危険で卑怯な技を、真田は故意に放った。
繰り返すが、真田はボクシングにこだわりがない。だから競技では反則になる技でもできる。もちろん試合ではやらないが、実戦ならやる。グランプリでは水面蹴りを防がれて体勢の崩れた千枝に、下段突きを躊躇なく放ったように。そしてそんな真田と反対の性格である『真田』は反則ができない。思いもしない。だから相手がそれをしてくる発想もない。完全に意識していなかった方面からの不意打ちにより、足がふらついて真田の側へとバランスを崩す。
『真田』は真田に抱き着くクリンチの体勢になった。ボクシングではこの状態で相手にパンチを当てても反則にはならない。ただし顔面や腹など、打っていい場所に限られることは言うまでもない。
「あぐっ……!」
『真田』は再び呻いた。真田の左が『真田』の背中、正確には腰のやや上を打っていた。
反則が反則であるのは、それが危険だからだ。そして危険とは裏を返すと、実戦では効果的ということになる。急所への打撃を二発も食らってしまった『真田』は、もう足が完全に揺らいでいる。回復魔法を使えば立て直せるが、真田は当然それを許さない。偽物を手で押してクリンチを外させ、ラッシュを開始する。
ワンツーから始まり、リバーブロー、ショートアッパーへと繋げる。そして右のオーバーハンドパンチがクリーンヒットした。『真田』はまだ立っているが、膝が曲がって腰が落ちている。もうKO寸前だ。真田の打ち下ろした右手を引く動作が、そのまま左の大きなフックになる。とどめのパンチが襲うというその時──
「ぬおお!」
筋肉が渦を巻いて颶風と化した。正々堂々戦う偽物は、落ちた膝を意地で持ち上げ、その力を腰、背骨、肩へと順に繋げる。全身の力を余さず使い、遠心力までも拳に乗せた。偽物のアッパーカットと本物のロングフック、どちらも利き手による渾身の一撃は互いに同時に当たった。
一方、順平と『荒垣』は激しい打ち合いを演じていた。高校の先輩後輩の二人は、どちらも物理攻撃を主体とするタイプだ。ただし順平はそこまで得意ではないものの火炎の魔法も使えるが、『荒垣』は完全に物理に特化している。だから一対一で正面切ってやり合えば、『荒垣』の方が押し気味になる。
順平が一つ優位になり得る点として、防御力を強化する補助魔法を使えることがある。しかし一対一の勝負では往々にしてそうであるように、使う隙をなかなか見出せない。
順平は大剣を薙ぎ払う。ただし全力ではなく少し余裕を持たせている。それを『荒垣』はフライパンの底で受ける。『荒垣』が反撃で引っぱたくと、順平は大剣を縦に構えて防ぐ。フライパンは突き刺すことができない為、攻撃は振り下ろすか払うかになり、大剣で防ぐのにそれほど苦労はしない。結果的に小競り合いが続いていると──
「がっ……! き、貴様!」
家電売り場の少し離れた区画で、『真田』の苦悶の声が上がった。勝負が動いたのかと二人揃ってそちらに目の端を向けると、真田が反則技を仕掛けて均衡を崩し、とどめのコンビネーションを放ったところだった。だがその締めは相打ちになった。追い詰められた偽物が一発逆転を狙ったアッパーと本物のフックが交錯し、重い打撃音が二重に響いた。
偽物は床にうつ伏せに倒れ、本物は膝をついた。ダブルノックダウンである。先に立った方が勝ちとよく言われるシチュエーションだが、偽物の方はもう立てない。これまでに滅んだ『双子』たちと同様に、形が崩れて黒い泥へと変わり始めた。もう間もなく大量のペルソナの欠片を発して消えるだろう。本物の方も金色の光の粒を零しているものの、象徴化はしない。真田の勝利が確定した。しかし──
「アキ、てめえ! きったねえぞ!」
カストールが召喚されて伸び上がり、怒りの鉄槌を勝者に向けて放った。レフェリーがいないのをいいことにズルをした『卑怯者』に、外野が制裁をくれてやった。真田にすれば『これはボクシングじゃないんだから汚くないぞ』と文句を言ってもいいところだが、言っても仕方がないのが実戦だ。
遠当てが真田の頬を打ち抜いた。高校生の頃には真田が荒垣を殴ってやったこともあったが、その仕返しとしては過剰すぎるペルソナ使いとしての本気の一撃により、真田は吹き飛んだ。
「く……ここまでか!」
自分の血とペルソナの欠片が噴き出す様が、意識を失う前の真田が最後に見たものになった。自分の偽物に勝利した直後の乱入により、シャドウワーカー本部で二位の実力者はここで脱落である。敗者を運ぶ担架もとい象徴化の棺桶に入れられ、『地下』にある墓場送りになった。
「トリスメギストス!」
『荒垣』は真田を倒したものの、大きな隙を晒している。それを見逃す順平ではない。しかし──
「ふん」
金の瞳の板前はすぐさま振り返って、フライパンの底を順平の側に向けて防御の構えを取る。順平の攻撃を『荒垣』は読んでいる。反則技を駆使する真田に憤ってみせたのは実は振りで、本当は冷静そのものである。本物の荒垣が今夜は情を封じて合理性に徹していたのとは逆に、『荒垣』は情があるように見せて実は合理的だ。順平が見出したチャンスを潰してやる。と思いきや──
「火!?」
本物が本業である料理で使うような、実戦で使うにしては小さな火が調理器具に当たった。順平は魔力が低いので、雪子やコロマルほど大きな火炎は撃てない。それにも関わらず好機に不得意な術を使ってきた。しかも不得意である中でも、あまりに小さな火だ。つまりこれはフェイント──
気付いた直後、翼を生やしたペルソナが背後から襲ってきた。猛禽類が獲物を捕まえて巣に連れ帰るように、ギリシャとエジプトに起源を持つ魔術師は猛スピードで飛翔しつつ『荒垣』を捕まえた。そしてそのまま順平の方へと運んでいく。
順平が最初に放った火炎の魔法は、『荒垣』が直感した通りフェイントである。ただし次に仕掛けたペルソナの突撃も本命ではない。一旦『荒垣』を飛び越えるように遠くへ飛ばして、戻り際に捕まえて、大剣の間合いにまで持ってくる。本命はこれからだ。
「バッターボックスには順平! ピッチャー投げた!」
順平の子供の頃の夢は野球選手だった。家庭の事情もあって高校生の時には夢を諦めたが、特別課外活動部の時代からバッティングのように大剣を振り回す技として、野球は順平の戦闘スタイルに残った。そして今は少年野球のコーチをしており、子供たちを指導する傍ら自分の練習も欠かしていない。
大剣を両手で持って顔の後ろで構える。左足を持ち上げ、飛んでくるボールならぬ『荒垣』に向けて振る。容赦はもちろんない。インパクトの瞬間、左足が着地して腰が回転する。
「ホームラン!」
昔よりも鋭いくらいの会心の当たりにより、『荒垣』は吹き飛んだ。積み上げられたテレビの塔に頭から突っ込み、崩れ落ちてくる新旧様々な家電製品の下敷きになる。
するとまたも外野が飛んできた。
「むっほ! ジュンペーってば実はベースボーラー!? イエーイ! スリーアウトチェーンジ!」
野球のような攻撃ならクマもする。グランプリで陽介と戦った時はよけられてしまったが、トスバッティングさながらの攻撃を爪でやった。所属チームは別だが親近感のあるスタイルを見て、陽介をそっちのけにして順平の応援に向かってしまった。
「おいクマ!」
陽介と『アイギス』の勝負はまだ続いている。陽介はクマに補助と回復で支援してもらって、最強のペルソナ使いを相手に互角に立ち回れていた。しかしこうなると──
──
大量の銃弾が陽介の足元で弾けた。牽制の射撃により、クマを追おうとした陽介の足は止められた。『アイギス』の金の瞳は輝きが強い。オルギアモードはまだ継続している。ここで隙を見せては、一気に追い込まれる。陽介は気持ちを切り替え、床を蹴って跳躍した。『アイギス』が指先の銃口を向けてくると、テレビの柱を蹴って方向転換して突撃する。短剣と鉄腕が交錯し、火花が散る。
吟遊詩人は竪琴を振り回し、王子は双剣で対抗する。剣は風を呼び、戦場の音楽は繰り返し鳴り響く。短剣が敵の喉を切り裂こうと走り、鉄拳が敵を圧殺せんと唸る。陽介が跳躍して三次元の機動を見せると、『アイギス』はそれにもついてくる。補助魔法で基礎能力を底上げされた陽介は、ワイルドの力を持つ対シャドウ兵器のラストナンバーにも対抗できる。そしてオルギアモードのパワーは、一夜にして最強の一角に躍り出た特別捜査隊サブリーダーの勢いにも負けない。
一方で同居人をほったらかしにして、野球選手に浮気するクマは──
「キントキドウジ! ジュンペーにパワー注入クマ!」
「お、いいね!」
順平の攻撃力が強化された。こうなると『アイギス』が乱入でもしてこない限り、順平が俄然有利である。
「ちっ、ヒゲ男君の分際で!」
『荒垣』は本物なら決して言わないセリフを吐きながら、テレビの山を蹴り飛ばして姿を現した。順平の斬撃打法は相当に効いているが、まだ余力はある。不利を覆す為、ここは無理をしてくる場面だ。
「一気に行っちゃるぜえ!」
そして順平は畳みかける場面だ。陽介もそうだが、順平は物事が上手くいくと調子に乗る悪癖がある。クマの助けを受けつつ腰を据えて戦う選択肢もあるはずだが、満面の笑みを浮かべながら、会心の一撃を決めた勢いに任せて突撃した。これは俗にフラグと呼ばれる行為だが、現実は物語と違って、調子に乗った者が常に足をすくわれるとは限らない。
「カストール!」
(ん?)
駆け出す途中で、順平は内心で訝しんだ。カストールは膂力に頼るペルソナだが、決して鈍重ではなく速さもかなりある。しかし今の突撃は奇妙にゆっくりとしていた。『荒垣』はペルソナ呼称を叫んだままの姿勢で硬直しており、騎兵のペルソナは自慢の瞬発力を忘れたかのようにスローモーションで動いている。正しくは、順平にはそのように見えていた。
(お、アレが来ちったか!)
順平は真田と陽介のような、特定の属性の攻撃を回避する見切りの技は持っていない。しかしそれと似た系統の技を使える。緩やかに突撃してくるカストールに対して、大剣の腹を相手に向ける形で横に構えた。これは防御の型である。集中力が研ぎ澄まされて相手の動きが完全に見えている今、よけることは容易いのだが──
「よっと」
騎兵の突撃におけるあるタイミングで、順平は大剣を少しだけ押した。あたかも野球のバントのように。ただし球の勢いを腕で吸収して殺すのではなく、相手へそのまま返してやる。反射の衝撃はペルソナそのものばかりか、使用者にまで届く。
「ぐはっ!」
物理攻撃を跳ね返す技だ。いつでも自由に使えるようなものではないが、決まれば『荒垣』のように力技で押してくるタイプには特に効果的である。ピッチャー返しを顔面に受けた『荒垣』は仰向けに倒れた。そして形が崩れ、大量のペルソナの欠片を発した。実力で勝る敵を相手に、隙を突いて運も味方して、順平は勝利をもぎ取った。
「おおお! スリーバントスクイズ成功! 逆転サヨナラクマー!」
「へっへっへ! いや、別にスリーバントじゃねえけど。お前って実は野球のルールあんま知らねえだ……ろ!?」
クマは跳びはねながら近づいてきたが、順平は大急ぎで駆け寄った。着ぐるみを両手で掴んで、体ごと回転させてクマを自分の後ろにやる。次の瞬間、電撃が襲ってきた。
「うあっ!」
眼前の敵を倒した直後は危険である。安心して気を抜いた時こそ奇襲を受けやすい。真田はまさにそれでやられたが、順平もやられてしまった。正しく言えば狙われたのはクマで、順平はそれを庇ってやられた。
「くっ……そ!」
順平は膝から力が抜けて、仰向けに倒れ込んだ。背中が床につく寸前に、赤と黒の棺桶に覆われた。強敵を相手に健闘はしたものの、二回戦を最後まで勝ち抜くことはできなかった。
「ジュンペー! この攻撃、アイチャンクマか!?」
『アイギス』の乱入である。クマの弱点である雷を放ってきた。順平は雷に弱くはないが強くもなく、『荒垣』と打ち合ってダメージがある程度蓄積していたところで秘術を受けては、死にはしなかったが象徴化してしまった。クマが順平を援護しに来た時、攻撃力の強化ではなく回復をしてやれば、こうはならなかっただろう。結果論ではあるが、クマの失態である。
かくして本物と偽物は二人ずつ脱落した。残るは三人だ。
「くっ! 風よ来い!」
『アイギス』は陽介を眼前に置いた状態で、よそ見をしてまでクマを狙った。陽介から見ると大きな隙だが、敢えてここで攻撃はせず、自分に速度強化の補助魔法を使った。ついでに傷も癒す。解析の能力を持たない陽介にも、『アイギス』の余力はまだあることは分かる。陽介は今の隙を突いても一気に倒すのは難しいと踏んで、腰を据えるつもりになった。
「荒垣さん、でしたっけ? あの人が倒されるのを、実は待ってました?」
そしてやる前に話しかけた。
「私たちは主である皆月翔の意志に従う者。ペルソナの欠片さえ集められれば、それでいいのです。必ずしも勝つことを求められてはいません」
今夜の戦いが始まってからずっとそうだったが、ペルソナの欠片は偽物からも出る。よって偽物が一方的に勝つのも皆月にとっては望ましくない。相討ちが理想だ。だから『アイギス』は乱入のタイミングを、『荒垣』が倒された直後にしたわけだ。
そう語る『アイギス』の瞳の輝きは元に戻っていた。体からオーラか煙の類も発していない。オルギアモードから通常モードに切り替わったのだ。
「飽くまでも、あいつの駒ってことすか」
「そのように定められていますから」
「……」
『アイギス』は何もおかしなことは言っていない。偽物は本物とは別人であるばかりか、人間ですらない。特定の目的をもって作り出された道具に過ぎない。だから本物たちが彼らを『殺し』ても罪悪感を抱く必要はないし、現に河川敷で『悠』を八つ裂きにした陽介も、それに負い目を感じてはいない。
しかし偽物といえども喋るし動く。だからシャドウでできた偽物は実は道具以上の何かであると、そう主張することは可能だ。ただ今夜は当の偽物たち自身が、そのような主張をしない。ラビリスとは違うのだ。陽介も『アイギス』の言動に何も感じないわけではないが、『貴女はそれでいいのか』と少年らしく叫んだりはしない。だが──
「でも……不思議ですね。貴方にはどうしても勝ちたくなってきました」
『アイギス』は定めを一歩逸脱してきた。金の瞳は光量が再び増し、機械の駆動音は宿敵を前にして心臓が高鳴るように、うるさいほどの唸り声を上げ始めた。超常的な闘気が漲り、肩や膝の機構から煙かオーラが立ち上り始めた。その色は瞳と同じ金色だ。
ワイルドを得る前のアイギスのオルギアモードには、終了するとオーバーヒートしてしばらく動けなくなる欠点があった。しかし『アイギス』にはそれがない。まして一度の戦いで二度『乱痴気騒ぎ』をするなど、開発した桐条グループの研究者が聞いたら顔色をなくすだろう。理不尽が現実に転化したP-1クライマックスでは、理不尽はいくらでも起きる。
「奇遇っすね。俺もどうしても貴女を倒したくなりましたよ!」
改めての宣戦布告と共に、陽介も自分の理不尽を押し付けにかかった。青春の風は緑色に光り、陽介の体の周囲で渦を巻いている。
陽介そのものが風と化して、いや爆発的な暴風と化して、最強のペルソナ使いに挑戦する。駆けながら姿勢を低くして足を払いに行けば、『アイギス』は跳躍してかわし、上から機関銃を撃つ。陽介も即座に飛び上がって襲い来る弾丸を短剣で弾き飛ばす。二人とも最高点は三メートル以上の高さで、陽介は二段跳躍で更に上を取って飛び苦無を投げつける。『アイギス』は背中のブースターか何かを起動して苦無をかわし、陽介に高さで追いつく。
「オルフェウス! 無を!」
「テセウス!」
オルフェウスの万能魔法にテセウスも同じ魔法で対抗する。あらゆる敵を薙ぎ払う力は、それと同質の力によってほとんど相殺される。しかし魔力では『アイギス』がやや有利だ。押されて魔法の余波を食らいそうになるや、陽介はすかさず床に向けて跳ぶ。着地から間を置かずに、上から鋭角に飛んできた『アイギス』を短剣で迎え撃つ。
左の短剣を突き、右の鉄腕で受ける。鉄の反撃が来る前に、風を超える速さで陽介は横に回って再び突く。補助魔法で限界まで上げ切った陽介の速度はオルギアモードにも勝る。陽介は翻弄しつつ手数で攻め、『アイギス』は膂力とペルソナの堅牢な耐性で対抗する。
金属が衝突する音は二重三重、いやもっと多くの激突によって、残響が消える前に次々と上乗せされていく。ジュネスの家電売り場を模した空間は、昨年10月に屋上に作られたライブ会場さながらに、爆音の域に達した騒擾で満たされてきた。
「うーむ、何ちゅーシップージンライなガンガンバトル……クマが割り込んだら瞬殺されちゃうクマ」
加勢するタイミングを見出せずにいるクマの独り言が、自分でも聞こえないくらいの騒々しさだ。積み上げられたテレビは一つも電源が入っていないのに、ロックコンサートの映像でも一斉に流れ始めたかのようである。
「ん? テレビ……ひょっほー! イイコト閃いちゃったー! 今日のクマってば、冴えてるう!」
クマは着ぐるみの両手をポンと打ち合わせた。中身があるクマには閃きもある。そして数秒の間を置いてから、作戦を実行に移す。
「アイチャーン! ヨースケなんかにかまけてないで、クマと遊ぼうクマー!」
作戦はナンパから始まった。相手が偽物であることも機械であることも、クマは気にしない。まして本物は人妻であることなど、頭の片隅にもない。だから口振りにわざとらしさがない。完全に自然なナンパである。もしこれが演技だったら、クマは一流の役者だ。
しかし『アイギス』は陽介の相手をやめない。オルフェウスの竪琴を叩きつけ、鉄の足で回し蹴りを放つ。陽介はそれを屈んでかわし、起き上がると同時に跳躍して飛び膝蹴りを放つ。それをかわされて通り過ぎると、瞬時に体勢を立て直してテセウスを突撃させる。二人ともクマを見ない。
「ムー! クマをシカトするとはけしからんぬ! えいっ!」
クマは氷の魔法を放った。味方が乱戦しているところに遠距離攻撃を放り込むのは、同士討ちの危険が大きい。しかもテセウスは氷結属性に対する耐性はない。場合によっては致命的な隙になり得る──
「おわっ! こらクマ! 何しやがる!」
陽介はクマの氷と、あり得る『アイギス』の追撃から逃れる為、後方へ大きく跳んだ。速度強化の補助魔法はまだ効いているので、一瞬で大きく間合いを外す。クマに文句を言うくらいは余裕がある。
「はっ!」
『アイギス』はその場から動かず、飛んできた氷を手で叩き落とした。オルフェウスの耐性により当たっても大したことはないが、当たってやる義理もないし、主敵である陽介は距離を置いたので防御に手数を割いた。そして目もクマに向ける。
「むっ!?」
しかしクマはそこにいなかった。陽介と違ってクマは目にも止まらぬ速さで走るような芸当はできない。それなのに機械の視界からいなくなった。上か下か、次はどこから攻撃してくるか──
「ハロー、アイチャン! ナイストゥーミーチュー!」
クマは『アイギス』の至近、顔の右隣にいきなり現れた。着ぐるみの大きな顔がすぐそこに、息が届くような位置にある。もちろん機械は呼吸をしないが。
「な、何を!?」
『アイギス』は驚いた。林立するテレビの柱のうち、『アイギス』の背中側にあった画面からクマが顔だけを横向きに出してきたのだ。窓から顔を出して覗き見するような仕草である。
「へっへーん! クマのテレビマジック、気に入ってくれたクマか~?」
「はっ!」
ここでようやく『アイギス』はクマの相手をしだした。鉄の右腕を振り回してクマの頭に叩きつけようとする。しかし寸前でクマの頭はテレビに引っ込み、画面を割っただけだった。
「クマのモグラ叩き! アイチャンやってみる~?」
今度は左側のテレビから現れた。顔だけでなく両手も出して、煽るように顔の横で振っている。
「このっ!」
『アイギス』は指に仕込んだ銃を撃ち放ったが、クマはそれもかわした。クマは本来そこまで機敏な方ではないが、半分しか出していない体を引っ込めるくらいなら、攻撃されるより早くできる。
「ざーんねん! クマはクマでモグラじゃないから、叩けませーん!」
クマはどんどん大胆になり、とうとう『アイギス』の正面に現れた。着ぐるみの卵型の胴体をほどんど外に出して、足だけを画面に突っ込んでいる体勢だ。よく落ちないものだと感心してもいいところだが、『アイギス』はそうしない。
「貴方という方は……! 邪魔しないでください!」
あまりにふざけたクマの調子に、『アイギス』の頭に血が上った。もちろん機械に血はないが、とにかく怒りを覚えた。と言うより、覚えさせられた。
誘導された怒りのままに、『アイギス』はオルフェウスを召喚して業火を放った。火炎はクマの弱点ではないが耐性もないので、当たれば一発で火葬できる。かつて有里が原初の神を相手に掲げた火が、はみ出た着ぐるみをテレビごと焼き尽くさんと襲いかかる。
「のわー!」
そしてクマは焼却された。ラビリスのシャドウが暴走した時の舞台が再現されたように、テレビは失敗作や廃棄物を燃やす焼却炉と化した。傲慢の罪を火で滅ぼすように、調子に乗ったクマはその報いを受けた。『アイギス』は留飲を下げ、思わず金の瞳が笑みの形に歪む。しかし──
「イッツ、ミラクルクマー!」
怒りの元凶は燃えていなかった。大会主催者さながらに憎たらしい着ぐるみは、ソロモンの装いを捨て去って登場した。黒のスラックスに白のドレスシャツを着て、バラの造花を胸に挿した金髪碧眼の美少年が、『アイギス』の背後のテレビから音もなく抜け出て、体操競技で最後の着地を決めるように両手を上げるポーズをしていた。
魔術ではない興行として行われる奇術の中には、脱出術というものがある。トリッキーな技を多用するクマは、檻に入れられた人間が脱出する演目のような技を披露した。
「く、小賢しい!」
「テセウス」
怒り心頭に『させられた』対シャドウ兵器の憎々し気な声に、小声で唱えられたペルソナ呼称がかぶさってきた。『アイギス』ははたと声のする方向に目を向けた。頭上だ。クマの相手をさせられている間に、陽介の接近を許していた。不覚──
「
この世の万物は流転するという真理の名を冠した風の秘術を、陽介は放った。これはジライヤはもちろんスサノオも使えなかったが、テセウスは使える。そして怒り、と言うより『激昂』という異常を付加された『アイギス』には、最強のペルソナであるオルフェウスに備わった耐性を超えて効いた。本来なら腰を落として両足を強く踏ん張れば耐えられるはずなのだが、それができなかった。
「あああ!」
シャドウで作られた機械の体は空中に巻き上げられ、猛烈に回転させられた。人間なら五臓六腑が体中で玉突き事故を起こして破裂する。機械でも部品が歪み、ネジは飛び、回路はねじ切られる。
勝負あった。P-1クライマックス二回戦第二試合は激戦の末、三対二で本物たちが勝利した。