ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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身内として(2012/5/6)

 体感的にはとても長い時間の後、傍から見ていれば数十秒程度の後、陽介とラビリスは体を離した。

 

「……」

 

「……」

 

 ラビリスの装甲が落ちて人間の手が現れてから、二人はずっと言葉を交わしていない。ただ互いの体温を感じ、視線を合わせる。それはもちろんサーモスタット装置の反応を観測することではなく、虹彩から人物認識をすることでもない。人間として、人間の異性がそこにいることを感じる。

 

 二人とも地面に足をつけているはずなのに、奇妙に頼りない浮遊感がある。互いに相手を見ると頬が上気して、その熱に乗って体全体がふわふわと浮き上がりそうになり、特に膝の辺りが落ち着かない。しかしどちらも相手から目を離すことはできない。何か言いたいのだが、言葉が出てこない。もう一度体を寄せ合って、背中に手を回したい衝動が止まらない。これは陽介にとっては久しぶりに感じるもので、ラビリスにとっては生まれて初めて感じるものだ。即ち、恋の予感──

 

 しかし残念ながら、甘い言葉を囁いたり指を絡めて手を繋ぐような暇はない。ここは戦場であり、しかも自由自在に罠を仕掛けられる敵の巣である。

 

「あっ……!」

 

 重たいものが突然背中にぶつかったように、ラビリスの体が揺れた。驚いた陽介が視線を下に持っていくと、制服の胸の部分が破けて内側から金属片が飛び出していた。これはラビリスが肩が締め付けられるような痛みを感じた時のように、人間の体の圧力で装甲が押し出されたのではない。飛び出ているのは装甲の破片の他に、刃もあった。

 

 ラビリスは剣で背中から刺された。もし抱き締め合っていたら、陽介も縫い付けられるようにして一緒に貫かれただろう。

 

「花村……君」

 

「ラビリス!」

 

 ラビリスは膝から力を失い、男の腕の中に倒れ込む。しかし血の気が急激に引いていく頬が陽介の胸に当たる直前、棺桶が二人を別った。自分は人間だと主張するクマは、その証明のように象徴化した。それに倣うように、ラビリスも象徴化した。ただのシャドウには不可能な方法で、死ぬ前に戦場から離脱した。

 

 そして兵器を収納したコンテナ、もとい怪我人を乗せた担架が霊園の地面に沈み始めると、陽介は背後から不意打ちした敵の姿をようやく見た。八十神高校の制服を着ていて、上着のボタンを全て開ける見慣れたスタイルの男だった。陽介の相棒である。もちろん本物ではなく、瞳が金色に光る双子だ。

 

「驚いたな。血まで出るとは」

 

 本物の悠も持つ長剣を、『悠』はあまり驚いているような顔はせずに眺めていた。その先端には赤い液体が付着している。機械の潤滑油ではなく、生き物のそれだ。昔のアイギスにはなく今のアイギスは持つもので、そして今のラビリスも持つようになったもの。つまり血だ。

 

「てめえ……! 何でいやがる!? 倒したはずだ!」

 

 陽介が驚くのも当然だ。『悠』は今夜最初の戦いで倒している。テセウスの剣で八つ裂きにして、泥の塊とペルソナの欠片に変えてやったはずである。それなのに、本物も偽物も大半が脱落してP-1クライマックスも佳境に入ってきたこの時期に、再び現れた。

 

「シャドウは一度倒したら二度と現れないと思ったか? 残念だったな。俺は何度でも出てくるぞ」

 

「どっかで聞いたようなセリフ、ぬかしてんじゃねえ!」

 

 陽介は懐から短剣を取り出し、疾風と化して飛び掛かった。『悠』はそれを長剣で受け止める。河川敷の時と違って、今度は陽介の力と速さにも驚かない。

 

 

 ラブシーンに突然の野暮天が乱入してきた様は、寮のラウンジのテレビにも映し出されている。何が起きたと騒然とする中で、更なる想定外が画面上に生じた。

 

『はっはっはー! また会ったな相棒!』

 

『お前……!? なぜ!?』

 

 業務用のような超大型テレビの画面が、左右で二つに分割された。左側には怒り心頭の陽介が金の瞳の『悠』と戦う姿が、右側には困惑顔の悠がやたらと楽しそうな金の瞳の『陽介』と戦う姿が映し出された。ちなみに右側の映像の背景は、車がいくつか置かれた夜の駐車場のような場所だった。P-1クライマックス三回戦第二試合は『悠』の乱入で延長戦が始まり、それと同時並行で第三試合が始まった。

 

 立て続けの局面の変化によって、テレビで見ているだけの視聴者も混乱する中で、風花が最初に異常を感知した。

 

「塔の各所で新たな反応が! 数は約二十!」

 

「何だと!?」

 

「これは……偽物たちが復活しました! ペルソナの欠片を偽物の再生に使われたようです!」

 

 塔の頂上で足立が見た、『結実』が行使した蘇生の術の結果である。ペルソナの欠片をシャドウの壁に差し込むことで、偽物たちが復活した。その人数を正確に言えば、特別捜査隊がクマを除く七人、シャドウワーカー稲羽支部が足立を除く五人、本部が有里を除く九人で総勢二十一人だ。

 

「くっ……最悪だ!」

 

 最悪の状況だ。味方は既に大半がやられ、残っているのは悠と陽介だけ。二人とも並のペルソナ使いではないが、いくらなんでも敵の数が多すぎる。向背が定かでない足立は別としても、敵は皆月とミナヅキ、そして最強の偽物である『有里』がまだ残っている。そこへ偽物の大量追加である。たった二人でその全てを倒すのは不可能だ。どう計算しても勝ち目はない。

 

「あっ、また棺桶!」

 

 そうこうしているうちに、ラウンジの野戦病院に担架が運ばれてきた。いつものように天井に波紋が浮かび、赤と黒の物体がゆっくりと下りてくる。棺桶の全体が天井から離れると、普通に落下して床に当たって音を立てる。

 

 戦いに敗れて象徴化した人が入っているそれに、『衛生班長』である生田目が歩み寄って膝をつく。

 

「開けていいですね?」

 

 これまでは誰に断ることもなく、生田目はすぐに棺桶を開けていた。しかし今回ばかりは入っている人が人なので、念の為に確認してみた。

 

「……お願いします」

 

 答えたのは美鶴だ。悠と陽介の戦いは気がかりだが、ラビリスをこのままにしておくわけにはいかない。

 

「……真由美」

 

 生田目は目を閉じて集中力を高め、ガラスを割る。黒いローブを着た女のビジョンは棺桶の蓋に触れる生田目の手に自分の手を重ね、使用者の手を棺桶の中に沈み込ませる。悪と不幸の蔓延る赤い霧から身を隠す為の、安息の箱から人を引きずり出す。

 

「ぐっ……」

 

 棺桶の蓋が開くと生田目はよろけた。膝をついた姿勢からバランスを崩し、倒れそうになる。愛する人の名前で呼ぶペルソナは仕事を終えると姿を消してしまうので、使用者を支えてはくれなかった。

 

「生田目さん!」

 

 ペルソナの代わりに生田目を支えたのは、この野戦病院で助手として働く結実だった。

 

「だ、大丈夫だ。それより彼女を……」

 

 生田目はそう言うものの顔に大汗を浮かべており、立ち上がるのも辛そうな状態だった。棺桶を開くこの術も、一種の蘇生である。かなりの負担がかかる。しかも生田目にとって山野は縁が非常に深いとはいえ、自分自身のペルソナではないのだ。借り物の力を二十人分も行使したことで、悠や足立と同等の素養を持ち最強のペルソナ使いにさえなり得る生田目も、とうとう限界が来た。次の棺桶が落ちてきても、もう開けられそうにない。

 

「クマも手伝う!」

 

 手が塞がってしまった結実に代わって、クマが棺桶の前まで来た。中にいるのは、もちろんラビリスである。血に染まっていた。『悠』の長剣の一撃が、背中と胸のほぼ中央を装甲ごと貫いたのだ。人間ならば即死だが、ラビリスはまだ生きている。

 

「キントキドウジ!」

 

 クマのペルソナがミサイルから治癒の光を零す中、りせが近付いてきて覗き込んだ。

 

「凄い……装甲で隠れてるところまで、全部人間の体になってる」

 

 光が体に沁み込むと共に、ラビリスの胸に空いた穴は塞がった。ついでに服も元通りになった。回復魔法は死人には効かないし死にかけている人にも効果が薄いが、クマ並の生命力を持つラビリスには完全に効いた。

 

「う……ここ、どこや?」

 

 目を覚ましたラビリスが体を起こして立ち上がると、象徴である棺桶は消えた。ちなみに斧はない。異様な霊園に置いてきてしまった。

 

「……あんたらか」

 

 見回してみれば、特捜隊とシャドウワーカー、ラビリスから見るとグランプリに巻き込んだ者たちがそこにいた。陽介はいない。丸腰の状態で因縁のある者たちに囲まれているのは、いささか落ち着かなかった。

 

「……ふん」

 

 ラビリスは制服のトップスに下から手を差し込み、引っ張った。すると服の下で胸部を覆っていた白い装甲が、音もなく外れた。よく見れば、中央に穴が空いている。クマの回復魔法で人間の体の傷は癒えて夏物のセーラー服も元通りになったが、装甲はクマの認識ではラビリスに属するものではないとされたか、破壊されたままだったのだ。ラビリス自身もしっくりこないそれを、外して放り捨てた。

 

「ラビリス」

 

 包囲してくる者たちを代表して、美鶴が近づいてきた。ラビリスにとっては極めて因縁深い相手である。何しろ自分を作った、正しくは前の自分を作った者の、その元締めに等しいのだ。

 

 ゴールデンウィークの一連の事件でシャドウワーカーが動いたのは、その当初の目的は皆月に強奪されたラビリスの確保だった。それはまだ取り止めになってはいないはずである。そしてラビリスは彼らに同士討ちをさせた。その責任をグランプリの主催者に取らせようとしても、おかしくはない。

 

「許してくれなんて、言わへんよ」

 

 しかしラビリスは大人しくするつもりはない。シャドウが土台の反逆児は、自分を捕まえようとする大人に従うことはない。飽くまでも突っ張る。

 

「ミッチャン、ダメクマよ!」

 

 不穏な気配を察して、クマが美鶴とラビリスの間に立った。大怪我と言うのも生易しい傷を負わされた相手を庇う。それはクマにとっては何の葛藤も必要ない、極めて自然な行動だった。

 

「許しを請うのは我々の方だ」

 

 そして美鶴にとっても、こう言うことに葛藤はなかった。

 

「それと……クマ君、君は自分を人間だと言っていたな」

 

「そ、そークマ! もうレントゲンにだって映るし、年だって取れるクマ!」

 

 人間の定義は人により場合により変わり得る。たとえ人の親から産まれたのでなくても、心臓を剣で刺されても死なない体であろうとも、人間であると主張することはできる。

 

「それを否定する者は、ここにはいない……。ならばラビリス、君も人間だ」

 

 作られた心と鉄から肉に変容した体を持つラビリスを、人間であると認めること。それは一種の欺瞞かもしれない。しかし美鶴はこの承認に責任を取るつもりでいた。真理の追求よりも価値のあることは存在しうる。

 

「……」

 

「うん! さすがミッチャン、話が分かるクマ!」

 

 そこでテレビから流れてくる音声が大きくなった。ラウンジの超大型テレビは音量も大きく、しかも立体的に聞こえる。緊迫感がリアルに伝わってくる。

 

『メサイア、氷を』

 

『ぐう……!』

 

 皆の注目がラビリスからテレビに移ると、画面の左側の戦いの均衡が崩れようとしているところだった。『悠』が召喚したメサイアが氷の秘術を放ち、陽介はかわしきれずに一部を受けてしまった。そこへ追撃の長剣の突きが飛んでくる。

 

 陽介が河川敷で戦った最初の『悠』は、グランプリ時点の悠を元にしていた。だがこの二人目の『悠』は今夜時点が元だ。審判のアルカナの最奥に位置する救世主のペルソナも、自在に操ることができる。使えるペルソナの数こそ少ないものの、ワイルドの名に恥じない強さだ。全てのペルソナ使いの中で最強の一角を占める実力者である。

 

 しかも河川敷での失敗を学んでいる。電撃はいくら撃っても今の陽介には見切られることを理解しており、ならばと攻撃手段を変えてきている。テセウスは火炎を無効化できることも知っているようで、氷結の魔法を中心に攻めてくる。

 

『どうした、もう足に来たか』

 

『クソッタレが!』

 

 その上、偽物は本物と違って連戦の疲労がない。万全の状態でやっと互角の相手に、今夜既に五戦目の陽介は分が悪い。このままでは負ける。

 

「花村君!」

 

 ラビリスは美鶴の承認に何か答える前に、テレビの前まで飛んで行った。そして走る勢いのまま画面の左側に手を当てた。しかし何も起こらない。

 

「ああ……入らへん!」

 

 ペルソナ使いはテレビの中に入れる。しかしこのラウンジのテレビはただ戦いの模様を映すだけで、異界への出入口としては使えない。『悠』にやられて戦線から脱落したラビリスは、陽介を助けに行くことはできないのだ。テレビ会議の機能もないので、声を届けることもできない。しかし──

 

「俺の手を取ってくれ! 花村さんに繋ぐ!」

 

 尚紀が傍に来た。右手をラビリスに向けて差し出す。

 

「山岸さん、協力してください」

 

「う、うん!」

 

 風花も来て、ラビリスの手を取った。本職の情報系ペルソナ使いなら、塔の地下であるここから上の階で戦っている仲間に自分の声を届けることはできる。りせはこれまで何度かやっている。他人の声を届けることは難しいが、二人以上が協力すればできるはず。尚紀はそう直感した。

 

「花村君!」

 

『ラビリス! 無事なのか!?』

 

 そして思った通りの結果が出た。ラウンジで発せられたラビリスの声に、画面の中の陽介が反応した。

 

「うん、無事よ……。ウチは大丈夫やから! お願い、勝って!」

 

『へへ……そう言われちゃ、負けるわけにはいかねえな!』

 

 陽介は体勢を立て直した。声援一つで取り戻せる力などたかが知れているが、元より『悠』との実力差はほとんどない。新しい恋は疲れで生じた差を埋めるくらいにはなる。ラビリスの希望を叶えるべく、陽介は敵に立ち向かう。

 

 しかしこれは所詮、対症療法に過ぎない。

 

「何とか持ち直したか……。だが戦況は圧倒的に不利だ。他の偽物たちがまた二人を襲うだろう」

 

 真田が言う通りで、絶望的な状況であることに変わりはない。特捜隊のリーダーとサブリーダーがどれだけ強くても、どれだけ言葉で応援しても、このままでは数の力で押し潰される。スポーツの試合に例えれば残り時間僅かの段階で大量の点差をつけられ、戦争に例えれば兵力差が歴然で戦線は崩壊寸前だ。もはや敗北は見えている。

 

「あいつらの盾にもなってやれんのか……」

 

 堂島は歯噛みした。いざとなったら一人で何とかしろと悠にも陽介にも言ったが、実際にこうなると、やはり突き放すことはできない。『息子』の為なら自分の命を捨てることも構わないが、弾除けにさえなってやれない自分の無力さがどうしようもなく腹立たしい。

 

 ここから逆転するには精神論ではどうしようもない。土俵際まで追い込まれた戦況をひっくり返すには、相応の力がいる。もちろんそんな都合のいいことは普通はないが──

 

「いや、手はあります」

 

 有里だ。皆月に力を奪われ、何もできなくなった特殊部隊の副隊長が声を上げた。

 

「山岸、綾時と隆也に通信はできるな?」

 

「は、はい……」

 

 大画面テレビの前にいる情報担当に歩み寄った。その隣にいるラビリスには声をかけなかった。

 

「僕を繋いでくれ。久慈川さんも手伝ってくれ」

 

 失われた過去では恋人関係だった女の手を、何年ぶりと言うべきか分からない期間に渡って触れなかったその手を有里は取った。ついでにりせの手も取る。二人分の情報系ペルソナの力の流れに乗った有里の意識は、赤い霧のノイズを越えて塔の上層まで届く。そして目的の人をすぐに見つけることができた。

 

「綾時、隆也」

 

『やあ、お父さん。二年ぶりかな?』

 

 息子たちに声をかけると、すぐに返事が来た。生後半年の赤子ではあり得ない、はっきりした言葉で。そしてテレビの大画面は三つに分割された。左の陽介、右の悠の戦いの間に二人の少年の姿が映し出された。

 

『ご無沙汰ですね』

 

「馬鹿なことを言うな。ほんの数日ぶりだ」

 

 なるほどこの二人にとっては、有里と会うのは自分が生まれる前、二年前の1月末以来と言ってもあながち間違ってはいない。しかし有里にとっては、仕事で八十稲羽を訪れた今月3日以来であるという意識の方がずっと強い。たとえ画面越しに聞こえてくる声が、二年前に聞いたそれと全く同じであろうとも。

 

「こっちに来てくれ。方法は問わない」

 

 それで一旦息子たちとの通信を終えた。風花とりせから手を離し、分割されたテレビ画面を見る。悠と陽介が各々相棒の偽物と戦う様を見ながら、自分が再起するまで何とか持ちこたえてくれと心の中で応援する。

 

「なあ、俺らもいまいち状況が分かってねえけどよ……。稲羽っ子たち、完全に置いてけぼりだぜ? 説明してくれよ」

 

 そこへ順平が尋ねてきた。言われてラウンジを見回してみれば、確かに皆が困惑顔でいる。二年前の戦いを共に乗り越えたシャドウワーカー本部さえ理解が及んでおらず、綾時と隆也を知らない特捜隊と稲羽支部にとっては全く訳が分からない話だろう。

 

 しかし実のところ、有里にとっても子供が大人の姿になるなど予想外なのだ。説明しようと思っても、有里にも分からないこともある。だから確かな事実だけを語ることにした。それは──

 

「あの二人は……僕とアイギスの子供さ。ただ前世の記憶があるだけだ」

 

 確かなことはこれだけだ。そして父親としては、これだけで十分である。

 

「アイギスには子供がおるんやね?」

 

 今度はラビリスが尋ねてきた。ラビリスはグランプリの開催に際して特捜隊とシャドウワーカーの情報を与えられていたが、アイギスについては意図的に伏せられていた。だから自分に妹がいることも、昔は機械で今は人間になったことも知らされておらず、初めて会った時は何を馬鹿なと反発した。だが自分も人間になった今となっては認められる。そして妹の子供とは──

 

「ああ、君にとっては甥だ」

 

 美鶴がラビリスを人間であると認めたように、有里も認めた。グランプリでは身内ではないと突き放し、密かに破壊も視野に入れていたシャドウを、自分の子供の伯母であると認めた。

 

 

 父親に呼ばれた有里家の二人の息子たちは、塔の上層にあるムーンライトブリッジを模した空間にまだいた。聖杯を満たした黒い霊、もといシャドウたちは一匹残らず消え去っており、両親の馴れ初めの地で二人して佇んでいた。

 

「来いって言ってもねえ、どうすればいいんだろ?」

 

 兄の綾時は腕を組んで首を傾げた。お馴染みの黄色いマフラーに顔を埋めるようにする。見る限り、この空間に出入口はありそうだった。現実の橋なら管理や工事の業者が出入りする為の扉が、吊り橋の柱の根元にあるのだ。そこから塔の更に上に行くことや、下の層へ行くことは可能だろう。しかし地下の墓場、またの名を寮のラウンジまで通じているかどうかは分からない。

 

「私たちが刺し違えればいいのでは?」

 

 弟の隆也が解決策を提案した。恐らく最も簡単かつ確実で、しかし嫌な方法だ。

 

「えー? やだよ。死なない程度にってことでしょ? 痛そうじゃん」

 

「そうですねえ。では取り敢えず歩いてみますか」

 

 暢気な二人である。世界が滅びるのも作り変えられるのも、どこ吹く風。自宅からは近場だが観光地でもある吊り橋の景色を楽しむように、兄弟はゆっくりと見回しながら歩む。

 

「待て」

 

 そこへ突然『父親』がやって来た。もちろん地下から呼びかけてきた本物ではなく、高校の制服を着た金色の方だ。偽物たちがどこに現れて誰と戦うかは主催者が恣意的に決めている節があったが、本物を倒した偽物が次に戦う相手が誰になるかも、トーナメント表に従って決めるような形にはなっていないようだった。

 

「おお、若い!」

 

 綾時は親の若い頃の写真を見たような反応を示した。実際、この『有里』と本物の有里は二歳しか違わないはずだが、それ以上に差があるように見える。今のアイギスは姉より年上に見えるようになってしまったように、夫として父親として、そして働く大人としての生活は、有里の顔から子供らしさを奪っていた。比べてみるとよく分かる。

 

「お前たちは用済みだ。ここで死んでもらう」

 

『有里』は右手に持った片手剣を『子供』たちに向けた。本物と偽物は同一人物ではないので、本物の子供は偽物の子供ではない。よって容赦することは当然ながらない。それどころか、相手を象徴化するだけに留めるつもりはないようだった。金色の光を露わにした左目と、前髪越しに金色を覗かせる右目に漲る殺気は本気のものだ。

 

 しかしそんな『父親』の児童虐待を通り越した殺害宣言に対して、弟は呆れたように肩をすくめた。

 

「やれやれ……本物も意外と抜けている方ですが、偽物も同じのようですね。貴方ごときが私たちに勝てると思っているのですか? 家族の中で一番弱い貴方が」

 

「それって世間の父親像みたいだね」

 

 皮肉屋な弟に兄も便乗する。双子ながら顔も性格も違うが、気は合うのだ。

 

「事実ですから、仕方ありませんよ」

 

「はは、そうだよね。タナトス!」

 

 今世の実年齢は0歳の赤子がペルソナ呼称を口にすると、黒い神のビジョンが頭上に顕現した。獣の頭蓋骨に似た仮面をかぶり、八つの棺桶を蓋を首の回りにぶら下げている。そして生者を穀物のように刈り取る剣を持っている。ギリシャ神話の死の神だ。綾時のペルソナである。

 

「おや、ニュクス・アバターではないのですか」

 

「だって今の僕は宣告者じゃないんだから。君の兄でしかないよ」

 

「そうでしたね。ではお兄ちゃんとお呼びしましょうか?」

 

 隆也が綾時をそう呼んでも、何もおかしくはない。むしろ普通である。しかし何となく落ち着かない、名状しがたい奇妙な違和感がある。背中に走るものがあると言うか、二の腕の辺りがぞわぞわすると言うか。可愛げというものがまるでない弟の物言いにそういう感覚を覚えた兄は、片目を閉じた嫌そうな顔をした。

 

「……やめて。僕をそう呼んでいいのは、妹だけ」

 

 有里家の子供は息子が二人いるだけである。娘はまだいない。

 

「妹ですか。まあ生き延びれば、そのうちできるのでしょうね。私たちの父は俗物ですから」

 

「うん、あの人って欲望の塊だもんね。毎晩毎晩、飽きもせず……。お母さんはよく応えていられるよね」

 

 親は子供をいつまでも子供だと思いがちで、聞かせるべきでない話を子供の前でしたり、見せるべきでない姿を不用意に見せてしまったりすることはままある。しかしこれはさすがに親のせいとは言えない。生後半年の赤子が夫婦の営みを理解しているなどとは、普通はあり得ないから。

 

「……もういいか?」

 

 綾時がペルソナを召喚してから、話がずれてしまった。放置されていた『有里』は焦れてきた。

 

「あ、いたんだっけ」

 

「お待たせして申し訳ありません。ヒュプノス」

 

 隆也が一声呼ぶと、兄のそれとは対照的な白い神のビジョンが顕現した。翼の生えた男で、体に毛髪が一筋もなく、全身の血管が透けて見える不気味な姿をしている。ギリシャ神話の眠りの神だ。隆也のペルソナである。

 

「では前世のリターンマッチと行きましょうか」

 

 弟が兄より前に出た。前世で死闘を演じた男と再戦すべく、細い体に戦意を漲らせる。表情は皮肉なままだが。

 

「行くぞ!」

 

 父親の偽物が左手を上にかざすと赤いコーナーポストが降ってきて、吊り橋にリングが作られた。これよりP-1クライマックス三回戦第四試合の開始である。最強の偽物と主催者推薦による特別参加の兄弟の戦いだ。まずは弟からである。

 

 と思いきや──

 

「そうはさせるか!」

 

 綾時の頭上で顕現したままのタナトスが動いた。四つのコーナーポストを結ぶ面にあるはずの、見えない壁に向けて剣を振るう。これは並のペルソナ使いはもちろん、他と一線を画すワイルドでも壊すことはできない。本物の有里や悠でも無理だ。しかし綾時は違う。

 

 ──

 

 一見すると何もない中空で、ガラスが割れる音が響いた。同時に赤いコーナーポストが割れて消えた。尚紀やりせが情報系の能力を使って、壁の急所を探って攻撃したのとは違う。ゴルディアスの故事で言うなら、紐の結び目を切るのではなく、紐が結ばれた車ごと切ってしまったようなものだ。理不尽の権化たるベルベットルームの住人のような所業である。

 

「何!?」

 

「こんな小細工、おととい来やがれってものさ!」

 

 そして隆也と並んで綾時も『有里』と対峙する。しかし加勢された隆也は迷惑そうな顔をした。

 

「酷いですねえ。弟の獲物を横取りですか?」

 

「じゃあさ、こうしようよ。どっちがとどめを刺すか、競争!」

 

 まるで菓子か玩具を取り合うような二人である。取り合う方は遊びだが、取り合われる方は堪らない。菓子なら二つに割られ、玩具なら二人の間で引き裂かれる。

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