有里が剣を振るい、銃を撃てば大抵のシャドウは滅び、並のペルソナ使いは象徴化する。当代最強のペルソナ使いは誰かと問えば、やはりかつて特別課外活動部を率い、現在はシャドウワーカーの実質的なリーダーを務める有里湊の名が真っ先に上がる。足立や悠、そして陽介もそれに迫る実力者だが、あと一歩及ばない。
しかし有里は真の意味で最強かと言うと、実は違う。実力で勝る人間は二人いる。その二人を同時に敵に回すなどという、呆れかえるほどの愚行をすればどうなるか。それは言うまでもない。本物でも偽物でも結果は同じだ。
「オルフェウス、切り刻め!」
「やっちゃえ、タナトス!」
吟遊詩人が竪琴を奏でると、無数の光の線が中空に引かれ、視界を覆うように一面に広がった。触れた者を切り刻む斬撃の網だ。対する死神は剣を大上段に構え、勢いよく振り下ろした。すると網は何の抵抗も感じさせず、あっさりと断ち切られて霧消した。
どれだけ強大な力も、より強大な力と比べれば弱いとしか言えない。ただの最強と真の最強の間には、懸絶の差がある。
「ヒュプノス、
眠りの神が手を合わせると、目が覚めるような鮮やかな黄金の光が迸った。これは万能魔法の一種だが、悠や陽介も使う紫色のそれとは色が違った。そして威力も違った。光を浴びた『有里』は吹き飛ばされ、吊り橋の柱に背中をぶつけた。
「こ、このガキども……!」
三回戦第四試合が始まってから時間はいくらも経っていないが、『有里』は既にボロボロになっている。服は汚れてあちこちが裂け、顔や手に傷がいくつもついている。上には上がいるとは、まさにこのことである。
「酷いなあ、自分の子供に」
「ふっ……よく言うでしょう? 撒いた種は刈り取らねばならぬと。つまり貴方の責任ですよ」
「種? ぷぷぷ……面白いね。君ってそんな冗談言えたんだ。露骨すぎるよ!」
有里は3月にマーガレットと試合をする前に、『自分は家族の中で一番弱い』と言った。それは謙遜や脅しではなく、紛れもない事実なのだ。妻の尻に敷かれているという意味だけでない。ペルソナ使いとしての実力は、親より子供たちの方が上だ。それも圧倒的に。親子が戦えば、まさに赤子の手をひねるように一方的になる。まして二人がかりでは言わずもがなだ。
「ならば……!」
追い詰められた『有里』は賭けに出た。片手剣を捨て、懐からリボルバー拳銃を取り出す。二回戦で一発だけ撃った銃からシリンダーを振り出し、指を当てて回転させた。これを戻して自分を撃てば──
「隙だらけだよ!」
そうは問屋が卸さなかった。綾時が指差すと、死神が風よりも音よりも速く飛翔した。一瞬で間合いを詰め、剣の一閃で『有里』の手から拳銃を弾き飛ばした。『有里』はロシアンルーレットの体勢に入ることさえできなかった。正面から対峙した状態であんな悠長なことをしていては、当然の結果である。
「ははは……本当に抜けた方ですね。
隆也が指差すと、とぐろを巻いた黒い蛇のようなビジョンが『有里』の足元に出現した。これも万能魔法の一種で、前世で本物の有里に放ったこともある秘術中の秘術である。それが体に巻き付くように、下から上へと昇った。
「ぐはあっ……!」
勝負あった。『有里』は人類の不幸の大本の名を冠する黒い爆風に吹き飛ばされ、空中を舞い上がった。そして落ちる前に形が崩れ、泥の塊になり、橋の汚れに過ぎないものになった。そしてすぐに消えた。これまでの偽物と違ってペルソナの欠片は出なかった。
「私の勝ちですね」
隆也が言っているのは、もちろん前世の自分を倒した男に復讐を果たしたという意味ではない。そんなものは勝って当然であるから、わざわざ宣言するまでもない。どちらが『父』にとどめを刺すか、兄との競争に勝ったということだ。
「うーん……悔しいなあ。じゃあ次は本物でやろっか?」
「私は構いませんよ」
本物が聞いたらやめてくれと半泣きで懇願しそうな物騒なセリフを、二人揃って平然と言う。その本物に来いと言われていることなど、完全に忘れているような風情である。そこへパチパチと手を叩く音がした。
「お見事。さすがは世界を滅ぼす神の兄弟。ワイルドさえ赤子同然……」
夜の吊り橋という現実だったらロマンティックな場所に、青い服を着た美女が現れた。褒められた兄弟が振り返ると、拍手をする為に外した青い手袋をはめ直しているところだった。
「おお! 素敵なお姉さんのご登場! 夜景が綺麗なレストランがあるんですけど、ご一緒にどうですか?」
綾時は目を輝かせ、どこかの着ぐるみのようなセリフを口から滑り出させた。ただし着ぐるみより洗練されている。極めて自然に、気負いなく、当たり前のように女を誘う。クマは何も知らない子供から始まって、経験を積むことによって少しずつ手練手管を覚えていくが、綾時は生まれながらの達人である。子孫を繁栄させることが己の義務であるように、それこそが死神のアルカナの真の意味であるように。コミュニティの神髄を本能的に知っているように、綾時は女を誘う。だから前世では有里以上の人気者だった。
「まあ、これがナンパというものでしょうか」
百科事典を小脇に抱えた美女ことエリザベスは、魅力溢れる華やかな笑みを浮かべた。まるで大人の女がませた子供を見るように、誘われるのに慣れた恋多き女のように笑顔を見せる。もちろんそんなはずはないが。
「済みませんね、こんな兄で」
一方の隆也は色事に興味がない。前向きさを嫌うとあるカルトの教義のように、女を捕まえる為のまめまめしい努力から距離を置く。
『神の兄弟』は自由だ。どこまでも今夜の主旨から外れようとする。P-1クライマックスが超常の中でも超常の存在が仕組んだ舞台であるとするならば、主催者と『同格』である自分たちは格闘大会など知ったことではないので、好きにさせてもらうと言うように。そんな空気を読まない二人の頭ごなしに、更に空気を読まない通信が入った。
『エリザベス』
兄弟の父親の、その本物である。父親の昔の女を息子がナンパするのを止めるように、水に浮きそうな軽い会話に硬い声で重石を投げ込んできた。
「あら、これはこれは……貴方からお声がけいただけるとは、犬の毛ほども思っておりませんでした」
「あ、お父さん酷い! 僕が先に声かけたのに!」
『頼みがある。その子たちをここまで送ってくれ。その後で、僕をここから出してくれ』
「まあ……代償に何を請求いたしましょうか」
エリザベスは表情を変えた。若い燕に言い寄られた余裕の笑みから、昔の情人への熱い想いが滾るそれへと変えた。もしくはカモを見つけた高利貸しが舌なめずりするような、借金取りが哀れな債務者に追い込みをかけることそれ自体を楽しむような。黙っていれば美のイデアかアニマの化身かというその顔に、人間のような、それも生臭いという意味で人間らしい笑みが浮かんだ。
「お金取るんだ……」
「金では済まないでしょう」
若い頃の有里はエリザベスに依頼されて何かをすることは何度かあったが、それには常に代償というか報酬があった。それと同じで有里からものを頼む場合も、ただでしてもらうことはできない。
『君が何者なのか、教えよう』
「おや……よろしいので? やっぱりやめたは許しませんことよ?」
『構わない』
「……承りました」
通信越しの有里の声には一片の迷いも伺えなかった。しかし揺らぎのない男と違って、女の返答には短くない間が置かれた。初めての男の方からの依頼と報酬の交渉は、ある種の緊迫感を孕んでいた。
「ねえ、これって公開不倫かな」
「後が恐ろしいですね」
「いやー、ホントそうだね」
隆也が肩をすくめると、綾時も一緒になって肩をすくめた。顔は似ていないが気の合う兄弟は、父親のアバンチュールを揃って心配する。もしくは心配する振りをする。
綾時と隆也がラウンジに現れると、敗れて脱落した者たちの間にざわめきが走った。シャドウワーカー本部は昔と全く同じその姿に改めて驚き、彼らを知らない者たちも各々感じるものがあるようだった。『有里』を苦もなくひねり倒した規格外の実力や、黙っていても発するカリスマ性に。
更に言うと、りせや尚紀にも脱出する方法を見出せない、他から隔絶されたこの空間に転移してきた青い服の美女にも驚きと訝しさを感じている。浮かんだ青い魔法陣は何なのかとか、有里とどういう関係なのかとか。そこかしこで噂話が始まりそうだ。
そんなラウンジの雰囲気を無視して、父親は息子たちに歩み寄った。
「綾時、隆也。お母さんを助ける。お前たちの力を貸してくれ」
親と子が一見すると大して変わらない年齢のように見えるというのは、奇妙なものである。しかしこれも真実だ。かつての戦いの頃は、有里は過去の因縁や神話の関係から二人を子供のように思うこともあった。だが今は気分の問題などではなく、血の繋がった正真正銘の子供である。有里綾時と有里隆也は、湊とアイギスの息子だ。たとえ前世の記憶があろうとも。
「死ぬおつもりですか?」
隆也は兄ほど表情は豊かでなく、たまに笑うと皮肉気だが、こう尋ねるその目に宿る色は真摯なものだった。『公開不倫』を心配していた時と違って、本気で父親を案じているのが分かる。
問われた父親は目を閉じた。息子にこう言われるのは辛い。普段得意な鉄面皮は通用しない。だが仕方がない。
「責任は取らないといけない」
「僕、妹が欲しいんだけどなあ……」
綾時は言葉はともかく、言わんとしていることは弟と同じだ。すると有里は目を開け、上の息子の肩に右手を置いた。
「伯母さんに頼め。可愛い従妹を産んでもらえ」
そして伯母の家に一年くらい世話になって、従妹にお兄ちゃんと呼んでもらえばいい。何か事件が起きたら、心配する伯母とその夫を振り切って事件に顔を突っ込んで、そして従妹を守ればいい。少年が男になるのに、父親の存在は必須ではない。
「伯母さんって子供産めるの?」
「もちろんさ」
有里は右手を長男の肩から離し、握手をする位置に下ろした。そして左手を次男へ向けた。やはり握手を求めるように。親が自分の指を赤子の小さな手で握らせるように。確かな親愛の情を、これ以上はない真実の気持ちを体を触れ合わせることで伝えるように。有里が他人に対する真実を持たない人でなしの『愚者』だったのは、昔の話だ。今はある。だから子供たちの母親を助ける為に、命を懸けることも捨てることもできる。
やがて息子たちは各々父親の手を取った。するとその体は光に包まれた。シャドウが滅びる時に発する赤黒い煙と違って、早紀が尚紀から離れて消えた時のように、白く美しい光を発した。
──
ガラスが割れる音が響くと同時に光が収まり、有里は両手を素早く息子たちの背中に回した。大人の手や指を赤子に握らせるなら、大人は屈んだり腹ばいになったりして、高さを赤子に合わせないといけない。大人が立った状態でやれば、赤子は床に落ちてしまう。こうなることを予期していた有里は、落下事故を防ぐことができた。
有里は姿が元に戻った息子たちを両手に抱いて、仕事上の上司に歩み寄った。
「美鶴さん、子供たちを頼みます」
そして二人を差し出した。美鶴はしばらく有里とその子供たちを交互に見比べていたが、やがて頷き、赤子を受け取った。
「……分かった。責任を持って預かろう」
0歳の綾時と隆也は聞き分けが良いと言うか人見知りをしないと言うか、美鶴に大人しく抱かれている。するとラビリスがやってきて、自分の類縁に当たる赤子を覗き込んだ。
「この子たち、ウチの甥っ子なんよねえ……」
「ああ、そうだ」
「湊さん、ウチが言うのも変やけど……子供には父親が必要なんとちゃう?」
有里は目に込めた力を緩め、ふっと微笑んだ。この義姉にこういう顔を見せたのは初めてだった。
「この子たちは強い。父親がいなくても……きっと生きていける」
ラビリスが人間の体を得た時、二度と起こり得ないと思っていた奇跡が再び起きた時、有里は自分を省みた。かつて奇跡を起こした時、自分はどういう気持ちだったか。何を思ってアイギスを人間にしたのか。あの時と今では、自分は肩書や髪型以外の何が変わってしまったか。大人になったことで、何を失ったか。
(僕がやらないといけない)
自分は命を懸けて、この事態を解決する責任がある。アイギスを傷つけてしまった、その償いの為に──
「有里君!」
そうして死を覚悟した有里に、声をかけてくる人がいた。
「……」
ゆかりである。
「またなの? またそうやって……一人で行くつもりなの?」
私を置いて行くのか、とはゆかりは言わない。たとえ心の中で思っていても、口に出して言うほどではない。有里が一度死んで、ゆかりが時の狭間に閉じ込められてから、体感時間でもう三年以上が過ぎているのだ。ゆかりの心にわだかまりは全くないと言っては言いすぎだが、『三年前』と同じではない。大人になって失ったものなら、ゆかりにもある。
「君には済まないことをしたと思っている」
有里は一度目を伏せた。悪いことをしたと思っているのは本当で、何の償いもしていないことを心苦しく思ってもいる。しかしそれでも、有里がゆかりにしてやれることはない。なぜなら──
「でも僕の一番の大切は、妻と子供たちなんだ」
顔を上げた有里と目が合うと、ゆかりは小さく頷いた。
「そっか……ごめん、引き留めて。行ってあげて」
生きて帰ってきてとも、アイギスを連れて帰ってきてとも、ゆかりは言わない。ただあるがままに受け入れた。言い方を変えると、過去を許す気になった。
そしてそんなゆかりの姿を見て、ラウンジの端にいるエリザベスは俯いた。
「そうですか。こじらせるのは、もう終わりにすると……。つまり、私一人になってしまったわけですね」
人間は時と共に誰もが変わってゆく。その中で、過去に囚われて昔から変わることのできていない、最後に残った『人』に向けて有里は歩み寄った。
「頼む」
有里は依頼の遂行を端的に要求する。するとエリザベスは表情を変えた。客人を困らせる素っ頓狂な変人の顔も、恋に恋する乙女の顔も浮かんでいない。内心の思いを『愚者』並の鉄面皮で覆い隠し、わざとらしいほど事務的な口調で応じる。
「承知しました。では貴方が元いた場所までお連れします」
しかしここで一つ予想外のことが起きた。一見すると些細だが、ある重要なことが起きた。
「あの、エリザベスさん!」
「おや、りせちー様?」
「さっきはちゃんとお礼言えなかったら……色々ありがとう」
無表情な仮面を作るエリザベスとは対照的に、りせは笑顔でいる。見る者を惹きつけてやまないそれに釣られたわけではないが、エリザベスは整いすぎた自分の顔に思わず表情を戻してしまった。
「驚きました。愚者の宿命を持たず、契約もしておられない貴女が私を覚えておられるとは……」
ベルベットルームの住人は契約者以外には記憶できないはずである。しかしりせはエリザベスを記憶できている。アルカナは恋愛で、青いエレベーターやリムジンに招かれる資格を持たないのに。それはりせが変わったのか、それともエリザベスがか──
エリザベスがラウンジの中空に描いた魔法陣を通って、有里は自分が一度脱落した元の場所まで戻ってきた。十字架が林立するバルコニー、月光館学園の月見の塔だ。
「さて……」
天文台に先に降り立ったエリザベスは振り返り、後から来た有里を見る。そしてシャドウのように金色に光る目を、すっと細めた。元とはいえ力を管理する者として、かつて世話をした男の今の状態を確認する。数秒ほどして、意外なものを見つけて驚いた顔を見せてきた。
「それは月神の突羽根……。もしや姉上と手合わせなされましたか?」
「ああ」
有里はマーガレットと3月に戦い、勝った。命を懸けた殺し合いではなく、技と力を比べ合う試合に過ぎないものだったが、とにかく軍配は有里に上がった。エリザベスはそこまで見て取った。
「なるほど、父は強しですか。姉上に勝つほど力を伸ばし、しかもご子息の力までも……。これはもう、私の命も今夜までかもしれませんわね」
「ならやめておくか?」
「……いいえ」
有里としては、エリザベスが『やっぱりやめます』と言うのなら、それで構わなかった。別にエリザベスと戦いたいわけではないから。しかし職務放棄中のエレベーターガールは命の危険を認識しても、生まれて初めての敗北の予感を感じても、逃げずに耐える。ありふれた勝利よりも希少な敗北こそが望みであると、自分自身に言い聞かせる。
「……」
二人の間に漂う赤い霧が少し薄くなった気がした。主催者の意図から完全に外れた、P-1クライマックスの場外戦が始まる。と思いきや──
「湊さん、何をしているのです?」
墓場に棺桶が落ちてこず、二回戦で敗れて以来行方不明の妻が現れた。普段は優しく夫への気遣いに溢れた妻は、浮気問題だけは許さない。二年前の3月に学校の屋上で締め上げてやった時のように、夫と過去のある女が対峙する現場に目敏く現れた。
と言っても、もちろん本物のアイギスではない。二年前に失った機械の体で、今よりやや若く見える顔の中心にある瞳は金色に光っている。陽介とクマが死闘の末に倒したはずの偽物だ。しかも一人ではなかった。
「ワンワン!」
「ほんっと、あんたってサイテーね」
自宅で飼っている犬と、過去のある女がいる。どちらも金色に光っていることは言うまでもない。他にも大勢、二十人近い偽物たちによって、いつの間にか有里とエリザベスは取り囲まれていた。復活した偽物たちの、そのほとんどが集まっている。ついでに当初はいなかった、りせと尚紀の偽物もいる。
「人気者はお辛いですわね」
「全くだな」
しかし有里は平静を崩さない。ここで敵の大半が自分に向かってくるのは、むしろ好都合なのである。
「私は上で待っております」
言うが早いか、エリザベスは手袋をした右手の人差し指と中指を揃え、格子状に虚空を切った。縦に四回、横に五回。呪文は唱えないが、九字護身法と呼ばれる所作だ。切った軌跡は青く光り、霧は消えて空間に穴が空く。エリザベスはその中に消えた。エレベーターガールは今も昔も、有里の仲間ではない。だから偽物の群れを片付けるのを手伝うことはしない。それは有里の仕事だ。
「皆月はいないか」
一人になった有里は改めて敵を見回してみたが、犯人の姿はなかった。いればここで倒せたのに、残念ながらいない。さすがにそこまで都合良くはいかない。付け加えると、有里と足立の偽物もいない。各々の相棒の本物と戦っているはずの、悠と陽介の偽物もいない。
「主はもう貴方に興味をなくしたようですから」
「ふ……そうか」
『アイギス』の端的な説明を聞くと、有里は次男がするように皮肉気に笑った。わざわざペルソナを奪って無力化しておきながら、殺してもいないうちから失望して姿を見せなくなるとは、気紛れなものだと笑う。皆月は『父の仇』などと言っているが、本当の本心は違う可能性がある。それを伺わせる犯人の不在だ。
だが皆月の心理を分析するのは、今すべきことではない。まずはこの戦いに勝たなければならない。P-1クライマックスはまだ三回戦の途中だが、四回戦第一試合が先に始まった。有里対偽物の軍団である。
「見事な策だった。僕もすっかり乗せられたよ」
有里は気持ちを切り替え、『アイギス』を中心とした敵の一団を見据える。エントランスでミナヅキが本物たちと戦った時以上の人数差である。これでは有里がオルフェウスやメサイアを駆使しても、相当な苦戦は免れない。と言うより、普通は負ける。しかし──
「だが大きなミスをしたな」
それはアイギスを追い詰める為に、綾時と隆也を利用したことだ。誘拐したところまでは良かったが、前世の姿に復活させたのはやりすぎだった。あの二人の力を皆月たちは見誤った。そして今また間違えた。
有里は一度両腕を広げ、腰を屈めながら交差させた。それを見た『アイギス』は目を大きく見開き、次の瞬間に瞬きを一つした。そして率いる者たちに命令した。
「皆さん、総攻撃です!」
リーダーの号令のもと、極めて多数の攻撃が一斉に飛んできた。もちろん『アイギス』自身もそれに加わる。しかし有里は意に介さない。今の有里が装着しているのは最強のペルソナであるオルフェウスではなく、それに次ぐ最強であるメサイアやメタトロンでもない。それら以上の、息子たちから借りた究極のペルソナである。灯火や静電気、豆鉄砲や小枝が飛んできてもどうということはない。
有里が上体を起こして両腕を広げると、各々の手に乗せられた二体のペルソナの力が解放された。ギリシャ神話の死の神と眠りの神、世界を滅ぼす神の兄弟が有里の頭上に同時に顕現した。
──
世界を覆って作り変えようとする赤い闇を飲み込まんばかりに、黒い闇と白い闇が偽物たちを襲った。森羅万象は二極一対、即ち万物は陰と陽のいずれかに属する。いずれかであるが故に、黒と白、死と眠りの両方を防ぐことのできる存在はこの世にいない。タナトスが与える死か、ヒュプノスが与える眠りか。どちらかに必ず侵される。これはそういう原理を押し付ける技だ。
月見の塔に阿鼻叫喚が響き渡った。下から這い上る死の波動に侵食され、ほとんどの偽物はあっという間に飲み込まれる。シャドウの海に落ちた人間が、体の至る所から食い荒らされるように形を失い、泥へと帰る。耐性のある者は、上から覆いかぶさる安息の波動に侵食される。体は力を失い、頭は動きを止める。記憶さえ溶けて消え去ってしまうようで、誰にも抵抗を許さない。全ては一瞬のことだ。
二重の恐るべき力を行使した有里は、こめかみの辺りに鈍い痛みを感じて少しよろけた。偽物の総攻撃が効いたのではない。大技の反動が来たのだ。
(親子とはいえ、やはり借り物の力だな。負担が大きい……)
有里は綾時と隆也からペルソナを借りた。だがそんなことをせずに、持ち主にそのまま戦わせた方が効率的だったはずである。あの二人ならば偽物の群れなど軽く蹴散らせただろうし、全てを解決することもきっとできる。だが有里はそうしなかった。
(責任は……僕にあるんだ)
かつての戦いを終えてから、二年と少し。その日々を有里は瞑目しながら思い返した。本来はなかったはずの幸せ、人間になるはずのなかった妻、生まれなかったはずの子供たち。上を仰いで目を開くと、空に浮かぶ赤い月が見えた。二年前に死ぬはずだった時にも見たのと似た、巨大な月だ。
(二年……か。僕はもう、十分生きたな)
これは嘘だ。生きれば生きるほど、未練は大きくなるばかりだ。幸せは重ねた分だけ、欲が深くなる。だがそれを言ってはいけない。まとわりつく生きたい欲望を切り捨てて前を見ると、天文台の床に二人の偽物が横たわっていた。妻と飼い犬の、その偽物だ。
(咄嗟にオルフェウスから変更したか)
コロマルのケルベロスは闇の力を無効化できる。『アイギス』は有里の技がどんなものか寸前で気付いたか、闇に強いが無効化はできないオルフェウスから、できるペルソナに変更したようである。だからこの二人は即死は免れたが、眠りに落ちている。大きな音がしたくらいでは目覚めない、魔法の眠りである。完全に無防備な状態だ。
──
有里は懐から拳銃を取り出し、二発撃った。同じ屋根の下で暮らす二人の偽物に、それぞれ一発ずつ。頭の中心を狙って撃った。それで二人とも形が崩れ、泥になって消えた。
オリジナル技を出しました。タナトス+ヒュプノスでミックスレイド『死と眠り』です。(敵全体に闇属性で100%即死効果。闇無効の敵にはバステ『睡眠』付与。睡眠は原作にない=誰も耐性を持たないので、誰であろうと効く)