ペルソナ4 落ち武者の神   作:三尺

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死と月(2012/5/6)

 敗者を閉じ込める牢獄から出すようにと、有里がエリザベスに頼んだのは本人だけである。他の者たちはそのまま留め置かれた。ただし敗者復活戦に挑む有里の姿は、やはりと言うかラウンジのテレビに映し出された。そして塔のバルコニーで大勢の偽物が一気に皆殺しにされる様は、セーフルームから出られない者たちを戦慄させるのに十分だった。

 

「有里さん、ムチャクチャっすね。マジで最強の男だわ……」

 

 荒事に慣れていて好戦的な完二も、思わず白旗を上げた。もっとも今のは有里自身の力ではなく、綾時と隆也から借りた力である。ワイルドなど足元にも及ばず、ベルベットルームの住人さえ凌駕しかねない、神かそれに類する力だ。そんな力の持ち主を利用したことが、敵の一つ目のミスだ。

 

「偽物、全部いなくなったのかしら?」

 

 そして雪子が指摘したこの点が、二つ目のミスである。有里を倒すべく復活した偽物たちを集中させたことで、かえって一網打尽になった。ここでは偽物を悠と陽介にも振り向けて、二人を倒して有里を孤立させるべきだったのだ。

 

「うん、それに今倒された偽物たちからペルソナの欠片は出なかったわ」

 

 風花が応じ、もう一つ重要な点を指摘した。もはや欠片を集める必要がなくなった為であろうが、結果的に偽物たちが再び復活することはないと判断できた。

 

「だから残ってるのは、鳴上君と花村君が戦っている相手だけのはず……」

 

 ラウンジの超大型テレビの画面は三つに分割されていたが、有里が映っていた中央部分は戦いが終わった為に消えた。しかし左右の部分はまだ続いている。

 

 

 画面の左側に映っている陽介と『悠』の戦いは、速さと力の勝負だった。陽介は機動力と手数で勝り、『悠』は一発の威力で勝る。地力では甲乙つけ難い、互角の戦いだ。こういう場合に勝敗を分けるのは、得てして実力以外の要素だ。ラビリスの声援は陽介の力になるが、それは連戦の疲労を一時的に忘れさせてくれる程度で、決定的なものにはならない。ならばどうするか?

 

「食らえ!」

 

 陽介は懐から大量の飛び苦無を取り出し、まとめて投げた。その数は二十本以上で、同時に起こす疾風の魔法で加速させ、軌道も各々バラバラにする。グランプリの決勝で金の瞳のラビリスを倒した、光の尾を引く流星の技だ。

 

「そんなものが効くか!」

 

 しかし『悠』は金の瞳を歪めて笑った。マガツイザナギが召喚され、長柄を上に掲げて赤い電撃の雨を広範囲に降らせる。この陽介の流星の技は本来それ単独で放つものではなく、連続攻撃の締めに使うべきものだ。ラビリスの鏡像と戦った時は、陽介自身の飛び膝蹴りとジライヤの蹴りから繋げた。実力が僅差の相手にいきなりやっても迎撃される。苦無を無駄にするだけだ。だがこの結果は織り込み済みだ。

 

「行くぜ!」

 

 陽介は電撃を見切れる。稲妻が走る軌跡が空間に引かれた線として見えるので、迎撃の余波で自分に向かってくるものも見える。その隙間を縫って走り、間合いを詰める。しかし『悠』は笑みを深くした。

 

 今の『悠』が広範囲に放てる魔法は、マガツイザナギの風と雷、または万能魔法だ。苦無の群れを迎撃するのに万能魔法は費用対効果が悪い。風を放てば陽介に吸収され、傷を癒す結果になる。ならば電撃を放つのが妥当だ。しかし陽介は見切れる。陽介が流星をいきなり仕掛けてきたのは、電撃を誘って間合いを詰める為。『悠』の読み通りだ。

 

「甘い!」

 

 マガツイザナギはまだ顕現を続けている。掲げた長柄を振り下ろすと光の線が空間に引かれた。それは無数に枝分かれし、捕まえた標的を切り刻む斬撃の網になる。電撃から連続して大技を使うのは『悠』にもかなりの負担だが、ここが勝負所である。陽介を倒すつもりで、全力で必殺技を放つ。しかし──

 

「追い風を!」

 

「何!?」

 

 陽介は走りながら補助魔法を使った。顕現したテセウスの緑の風を背中で受け、自分の速度を強化する。しかしこの距離で斬撃をかわすことは、さすがにできないはずだ。

 

「ぬおおお!」

 

 斬撃の網の中に自ら飛び込んだ。かつて足立が生田目を倒した時のように四方八方から襲ってくる波動を、全身で受ける。顔にも腕にも、背中にまで切り傷が一瞬のうちに刻まれる。しかし傷はついた直後に癒えていく。倒れることさえ許さない殺しの空間を、陽介は象徴化する前に駆け抜けた。抜けた瞬間、『悠』の視界から陽介の姿が掻き消えた。

 

「……やるじゃないか」

 

 短剣の先端はおろか、体の動きそのものが見えない圧倒的な速度で、陽介は『悠』の傍らを通り過ぎた。右の短剣を前に突き出した状態で停止する。『悠』は自分の首に右手を当てるが、指の隙間から血が零れだした。首は半分以上断ち切られている。人間なら致命傷だ。『悠』はやがて首から手を離し、地面に倒れ伏して泥になった。強引極まるが、陽介の作戦勝ちだ。

 

「く……」

 

 そして陽介は地面に両膝をつき、両手もつく。テセウスの追い風は傷を癒す効果もあるので、陽介は『悠』の必殺技を耐え抜いた。しかし流れた血がなかったことになるわけではない。

 

「ぜっ……! ぜえ、ぜえ……!」

 

 一瞬とはいえ治っては傷つきを繰り返した結果、失った血は疲労を倍加させた。手足の震えが止まらない。呼吸は極めて荒く、鼓動は痛いほど速い。ギリシャ神話の英雄のペルソナに目覚め、悠や足立に匹敵する力を得た陽介にも限度はある。

 

 今夜だけで既に五戦し、しかもワイルドと三度も戦って勝ち抜いたのだ。十分過ぎる戦果と言っていい。もう休んでいいと言われたら、喜んでこのまま眠ってしまうところだが──

 

『花村君! 頑張って!』

 

 ラビリスにこう言われては、寝ているわけにはいかない。ラビリスは元が兵器である為か、人間は機械と違って休息が必要という発想がまだないのかもしれない。

 

「お、おう……」

 

 陽介は乾いたタオルを絞る。震える膝を手で押さえて、無理にでも立ち上がった。因果な女と縁を結んでしまった以上、立ち上がらない選択肢はない。

 

「すぐに片付けるから、待ってろよ!」

 

『うん、待ってるから……絶対戻ってきてや!』

 

『ヨースケ、ここがフンバリどころクマ!』

 

 声援に背中を押されて、陽介は駆け出した。夜はまだ終わらない。

 

 

 悠は陽介とばかり戦っている。現実でやった素手のケンカを別にしても、今年のゴールデンウィークからだけでもう三回目だ。稲羽市と港区のペルソナ使いが全員集合し、ベルベットルームの住人まで乱入するこの一大イベントは、悠から見れば格闘大会の名を借りた陽介との三番勝負も同然だ。ここまでの戦績は一勝一敗。この駐車場めいた空間での対戦で、シリーズ戦は決着する。

 

(強い……! フードコートの時の比じゃない、マジで足立さん並だ!)

 

 河川敷に現れた『悠』と同様に、今夜のフードコートで戦った『陽介』はグランプリ時点が元だった。そしてやはりと言うか、この『陽介』は今夜時点が元だ。マガツイザナギとメサイアを使いこなす今の悠から見ても、テセウスを操る『陽介』は恐るべき強敵である。一瞬でも油断しようものなら、まさに瞬きする間に八つ裂きにされる。

 

 左の短剣を長剣で受けると、ほぼ同時に右の短剣が飛んでくる。悠はマガツイザナギを召喚して長柄を大きく振る。当然のようにかわされ、『陽介』は地面を這うようにして足を払ってくる。悠は少々の負傷は覚悟して踏み込み、長剣をゴルフスイングに似た動きで下から切り上げる。『陽介』が低い姿勢から更に体を傾けて回避すると、二人は互いに通り過ぎて位置を入れ替える。

 

 間合いが開いた瞬間、すかさず悠はメサイアに変更して氷を放つ。『陽介』は短剣を顔の前で交差させた防御の構えを取り、氷を凌ぐ。そして地面を蹴り、間合いを詰めてくる。悠がペルソナをマガツイザナギに戻して突撃させると、『陽介』は竜巻を放ってくる。

 

 特別捜査隊の本物のリーダーと偽物のサブリーダーの攻防は一進一退だ。電撃を当てられれば一気に決着できるが、見切りの技を身に付けた『陽介』には百発撃って一発当たるかどうかだ。撃てば不利になるだけなので、悠はまともに戦わざるを得ない。勝負をすぐに決めることはできない。そうすると──

 

(く、まずいな。また来たか……)

 

 ペルソナの耐性とは違う意味での悠の弱点である、体調不良が顔を出してくる。今夜の悠はまだ三戦目で本物の陽介ほど疲れてはいないが、それとこれとは関係ない。

 

 戦いながら悠は奥歯を噛み締めた。喉の奥が乾いてくるのを感じて、息をする度にそこがささくれ立つような気がしてくる。咳が出る前兆だ。グランプリではこのせいで陽介に敗れた。今の『陽介』を前に置いた状態で咳などすれば、単に負けるだけでは済まない。短剣で心臓を貫かれ、竜巻で首をねじ切られ、万能魔法で跡形もなくなるほど粉々にされる。象徴化する前に三回は殺されるだろう。

 

「まだまだ! じっくり楽しもうぜ、相棒!」

 

 勝負が長引いているのは、『陽介』は悠の体調不良を知っていて、致命的な隙をさらすのを待っている為もあるようだ。そしてそろそろ悠の時間切れが見えてきた。もちろん息を止めて戦うことはできないので、このままではやられる。ならばどうするか?

 

(……あれだ!)

 

 陽介は本物も偽物もそうだが、膂力、魔力、速度に優れ、耐久力にやや欠ける。そして目に見えない弱点として、運のなさがある。通学路でポリバケツをかぶったり、沖奈の駅前でバイクを破壊されたりしたのは、今となっては懐かしい思い出だ。そうした言わば星の巡りは、実戦では自分が使う精神攻撃が敵に決まりにくいという形で現れる。そして敵が使ってくるその種の攻撃が、人より効きやすいという形でも現れる。

 

 悠は賭けに出た。賭け金は勝負の行方、つまり自分の命だ。咳が出る前に間合いを詰める。『陽介』も逃げずに応じる。

 

「カグヤ!」

 

 永劫のアルカナに属する天人のペルソナを、今夜初めて召喚した。これは今の悠が使える他の二つのペルソナと比べて、生まれる元になった絆の深さでは勝るとも劣らない。しかし直接的な戦闘力では及ばないので、使う機会がなかった。それをここで呼び出した。

 

「ああ!? テセウス!」

 

『陽介』は怪訝な顔をしつつも、強大な二刀流の剣士のペルソナを召喚してきた。正面衝突ではカグヤはテセウスの相手にはならない。アテナイの王子は月の住人をきっと一手で切り伏せ、返しの剣で悠を襲うだろう。下手をすれば一気に押し切られる。そこで──

 

「消し去れ!」

 

 カグヤは翼のようなショールを揺らめかせ、天へ向かって伸び上がって吠えた。甲高い呼び声に応じて白い呪符が地面からいくつも湧き出て、『陽介』の周りを取り囲む。

 

「てめえ!」

 

 一種音楽的な、笛に似た音が流れ出すと同時に全方位から光が発せられた。敵を調伏する光の魔法だ。これと対になる敵を呪殺する闇の魔法もそうだが、決まれば余力に関わらず一発で倒すことができる。しかし不発に終わることも多いし、実力差が少ない相手にはより効きにくい傾向がある。余裕がないに等しい互角の勝負で使うには、リスクが大きすぎる。しかし──

 

「あがっ……!」

 

 悪霊退散のオーケストラは音が綺麗に揃った。『陽介』を中心として円形に並んだお札から、白い光線がいくつも発せられ、魔法陣のような紋様を空間そのものに引く。そして大きな光の柱が立ち上がり、ジュネスとアテナイの王子は崩れ落ちた。

 

 カグヤの光はグランプリでのエリザベスには効かなかったが、『陽介』には効いた。効かなかったら無駄な攻撃を隙と捉えられて、反撃が致命傷になりかねなかったが、そうはならなかった。ロシアンルーレットを生き延びた方と死んだ方のように、悠の幸運と『陽介』の不運が明暗を分けた。

 

『やった! スマートに決まったね!』

 

 塔の地下にいるりせの声が聞こえてきた。しかし悠は答えることができなかった。

 

「ゴホッ……」

 

 決着がつくまで喉の奥で待たせていた咳が出てきて、返事をするのを妨害されてしまった。悠は長剣を右手に持って下ろし、左手で口を覆った。何を吐いたのか隠す仕草は、もうすっかり意識しなくてもスムーズにできるようになったが──

 

「うっ……!?」

 

 今度の咳はこれまでと違った。喉の奥がささくれるなどと生易しいものではない。強烈な異物感が胸に現れ、まるで石が喉へと突き上げられてくるような感覚だった。腹が意図せず動き、腰が曲がって体を二つ折りにしてしまう。長剣を杖代わりにして体を支えようとしたが、右手も激しく震えてしまって立っていられない。たまらず地面に片膝をつくと、手で押さえることなどとてもできない声が咽び出た。

 

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……!」

 

『先輩!? 大丈夫!?』

 

 視界が赤く明滅し、頭は竜巻を食らったように揺れてグラグラする。咳き込んだ回数はきっとそこまで多くないのだろうが、一つ一つがあまりに激しく、数える為の頭の隙間さえ確保できない。三回なのか十回なのか本人にも分からなくなった頃、咳ではないものが口から出てきた。

 

「がはっ……!」

 

 赤いものが体の奥から飛び出てきた。もちろん魔人のペルソナではなく、塔の中と外に漂う霧でもない。今夜の天変地異を象徴する赤い霧は、普通に呼吸をする度に体内に取り込んでしまっているはずだが、それが体の中で暴れたわけではない。暴れたのは白い霧だ。

 

『先輩!?』

 

 悠は遂に血を吐いた。左手を口から離して見てみれば、掌は真っ赤に染まって制服の袖も汚れている。そして今となっては懐かしいくらいの白い霧も、少しだが出ている。この白色は、仲間たちにはあまり見られたくないものだった。血と霧の赤色に隠れて目立たなくなって気付かれずに済んだか、或いは逆に目立って気付かれたか。悠はそんなことを思った。

 

「もう、近いな……」

 

 死期が近い。この咳に殺されるか、敵に殺されるか、マーガレットが言うところの『使命』を果たして死ぬか。いずれにせよ、夜が明けるまでは持たないだろう。どう転んでも今夜が死に時だ。

 

『先輩、もうやめて! 今、有里さんが上に向かってるから! 花村先輩もいるし、後は二人に任せて!』

 

 そんな悠を、りせは止めようとする。ほとんどのコミュニティが失われて、それと共に悠の周囲の女たちが恋を終わらせる中、りせはまだ悠を想っている。それは稀有と言ってもいいありがたい話のはずだが、悠は他の女の名前を口にした。

 

「マリー……」

 

『え?』

 

「俺さ……今、マリーの気持ちがよく分かるんだ」

 

 陽介はラビリスの前で早紀に言及した。相棒たちはどちらも、生きた女の前で死んだ女について語った。ただ陽介は生きたラビリスの方を向いていたが、悠は死んだマリーの方を向いている。死そのものの方を向いている。

 

「死ななきゃいけないって……こういうことだったんだな」

 

 足音を立てながら迫りくる死。それは痛く、寒く、寂しいもの。そして何より、恐ろしい。犠牲になることがこれほどの苦しみだったとは、悠は思いもしなかった。だがそれを言ってはいけない。マリーは死ぬのが怖いとは言わなかったのだから。全ての恐怖や後悔を飲み込んで、ただ死ぬことだけを目的に前に進む。それを邪魔する権利は、誰にもないはず──

 

 虚ろの森で一人死ぬことを決意したマリーの気持ちを、今こそ悠は真に理解した。

 

(俺はここで……)

 

 悠はふと周囲を見回した。この塔の開けた場所はどうやって作られているのか分からないが、テレビの中のダンジョンのように入った者が抱く願望や、縁のある場所を選んで形作っているのかもしれない。悠が今いるこの場所は、天城屋旅館の駐車場を模している。

 

 ここは悠が自分の気持ちを自覚した場所だ。月に怯えるマリーを守ってやりたいと思って、マリーに恋していることを自分自身に認めた場所だ。

 

 ふと思い立って上を仰いでみたが、月は見えなかった。陽介がラビリスと再会した早紀が眠る霊園と同じ、純粋な赤と黒で気味の悪い模様が描かれた異界の天井があるばかりだ。月まで行くには、悠はまだ歩かなければならない。雑然と並ぶ車のオブジェの間を通り抜けて、上へ向かう階段を探しに旅館の形をした建物に向かう。

 

『お願い、待って! 行かないで! 先輩!』

 

 りせの懇願に悠は答えない。血で汚れた手と口を拭おうともせず、ただ先へ進む。

 

『センセイ! ダメクマ! 戻ってクマ!』

 

 りせに続いてクマの声も聞こえてきた。情報担当が三人もいる地下のラウンジは、誰の声を届けるのも自由にできる。しかしそんなものは、悠にとってはもう意味がない。

 

『悠! 待て! 待つんだ!』

 

 堂島の声も同じだ。泣いても脅しても、悠をそこに留めることはできない。弟子の声にも、自分を育てた叔父の声にも耳を貸さない。力尽くでなければ止められない。

 

 守りたい人をとうに失っている男には、もはや誰の声も届かない。言葉を持たないシャドウのように、虚無に沈んだ怪物のように、何を言っても通じない。血に染まった視界には、ただ死だけが映っている。

 

(マリー……)

 

 死んだ人の名を、つまりはこれから会いに行く人の名を心の中で呟くと、顔の傷が赤く光った。皆月の心臓に埋め込まれた、精神と物質の中間の存在のように光った。皆月のいる狂気の領域まで、あと一歩──

 

 

 

 

 悠が目指す月、陽介と有里も事件の解決の為に目指すそこに、最も近い場所。かつて影時間に存在したタルタロスに似た塔の頂上には、足立がまだいた。復活した偽物を倒す為に動くでもなく、皆月たちを探すでもなく、ただ上空を見つめていた。それは稲羽に来てから癖になってしまった、何事もそっとしておきたがる面倒くさがりのせいではない。

 

「あれが……」

 

 巨大な赤い月は歪んでいた。月自体が歪んでいるのか、その手前の空間に穴でも空いているのか、とにかく初めて来た時に見たような月はもうなくなっている。ミナヅキが呼び出すと言っていた存在が、顔を覗かせている。

 

 まさに『顔』である。人間の、荒々しい男の顔を思わせる形が月の中心に浮かんでいるのだ。ただし顔そのものは写真や彫像のように動かない。代わりに月の外周に時計の文字のように配置されていた十二の炎が、ゆっくりと右回りに回っている。普通の時計は針が動いて時間の経過を表現するが、この月の時計は時間そのものが動いている。

 

(アメノサギリとは全然違う。あれの十倍くらいヤバい……)

 

 昨年の12月、テレビの世界に突如現れた目玉の怪物は足立も見ている。あれは世界を滅ぼすだの何だのと大口を叩いていたが、足立にも及ばない並のペルソナ使い数人が結託する程度で、あっさりと倒された。だが今、上空に現れようとしているものは違う。アイギスのペルソナを依り代にしようとしているからだけではない。そもそも存在としての格、即ち神格が違う。それは前座と真打の違いであり、眷属と王の違いだ。

 

 神の光を見た者は、塩の柱と化して立ち尽くす。足立はその場から動けなかった。

 

「む……マガツ!」

 

 しかし動けないと言っても、赤く光る目の金縛りの術をやられているわけではない。床に縫い付けられてはいない足は普通に動くし、ペルソナも呼び出せる。召喚した赤と黒の魔人に電撃を撃たせた。狙いは屋上の端、階下に繋がる階段だ。

 

 しかし電撃は斬られた。そんなことは物理的にあり得ないのだが、とにかく雷は刀で斬られて霧消した。

 

「はん、どこ狙ってやがんだ?」

 

 刀の主は創面に楽しそうな笑みを浮かべた少年、皆月である。この大会では色々と策を弄していたが、実力も相当にある。足立の赤い電撃を軽く凌ぐ辺りは、やはり尋常ではない。足立はエントランスで皆月と対峙した時は、一対一でギリギリ倒せるくらいと評価していたが、今の防ぎ方を見るとそうも言っていられない。

 

(こいつ、超のつく気分屋か。調子いい時と悪い時の差が激しい……)

 

 エントランスでの皆月は、計画が大筋はともかく細部が思い通りにいかなかったので機嫌が悪く、それに引きずられて調子も悪かった。そして今の皆月は、計画が順調に進んで気分が良いので好調だ。正直なところ、正面切ってやったのでは足立でも厳しい。倒すには何か卑怯なことをしなければならない。

 

「ペルソナの欠片は、しっかりぶっ壊してくれたみてえだなあ? 手間省いてくれて、ありがとよ! ありゃあゴミシャドウを操るには必要だけど、あの女から剝がしたペルソナにはいらねえからな!」

 

「やっぱ、そういうことか……」

 

 足立がため息をつくと、皆月は笑みを深くした。唇の端が一瞬ひくつき、直後にこらえきれないとばかりに呵呵大笑した。ダジャレを言ってもいないうちから、腹を抱えて大笑いした。

 

「くくく……バーカ! バーカ! ブッワーカ! てめえの裏切りなんざ、ハナッからお見通しだっつうの!」

 

 敵を騙すにはまず味方から。足立は皆月の仲間になったつもりはなかったが、皆月も足立を仲間にしたつもりはなかったようだ。味方ですらないのだから、騙して当然だ。

 

 その辺のシャドウを集めて塊を作るのは嘘。ペルソナの欠片を集めて、降臨した存在に差し込むのも嘘。足立が裏切ってペルソナの欠片を破壊するのも計画の内。足立はやってからそれに勘付いたが、手遅れだった。化かし合いは皆月の勝ちだ。しかしそれならそれで、別の疑問が湧いてくる。

 

「頭いいんだねえ、君。でもだったら、何で僕を巻き込んだの?」

 

 足立を手駒として使うつもりがなかったのなら、そもそも今夜の戦いに巻き込んだ理由が分からなかった。公安を操って脱獄までさせた、その目的は何か。まさか話し相手がほしかったわけでは、つまりは足立に構ってほしかったわけではあるまい。

 

「そりゃアレを飼い馴らすのに、てめえの力が必要だからさ!」

 

 皆月は左の刀で上空を指し示した。ミナヅキが足立に語った策のうち、超常の存在を呼び出すというのは嘘ではない。現に今、皆月が示している先で出番を待っている。今すぐ現世に降臨したくて、うずうずしているような気配さえある。それでいてまだ降りてこないのは、何か理由があるのか──

 

「僕の力って、ペルソナのこと? そんなの僕以外にもたくさんいるじゃないの。何で僕なの?」

 

 ペルソナ使いなら、今夜はとにかく大勢いる。特捜隊とシャドウワーカーの本部と支部、足立も含めて二十四人、ラビリスと生田目も入れれば二十六人もいる。その中で特に足立を指名するのはどういうことか。自分か自分のペルソナに何か特別なところがあるのか、足立は考える。

 

(いやまあ、ペルソナに目覚める前からテレビに人を入れられたとか、ちょっと他と違うところはあるよ? でも、だからってなあ……それ言ったら鳴上君と生田目だって似たようなもんじゃない?)

 

 考えてみたが分からなかった。普段は明晰な足立の頭脳も、哲学的な話やオカルティックな与太話にはあまり向いていないので、推測も立たない。

 

 ちなみにペルソナが強いからというのは考えなかった。もちろん客観的に見れば足立は強い。最強の一角を占める実力者だ。しかし昨年から有里には敵わなかったし、今は皆月にやる前から精神的に押されてしまっている。おまけに悠や陽介まで後ろから迫ってきている。そんな状況なので、足立は自分自身を特別視することに抵抗を感じていた。並だとは思わないものの、最強であるとも思っていない。一番でないのは特別でないのと同じだ。

 

 つまり昨年の事件の犯人は、ある意味で『謙虚』になっていた。

 

「てめえが知る必要はねえ!」

 

 そして今年の事件の犯人は傲慢である。物事が思い通りにいかないと機嫌が悪くなり、いくと調子に乗る。要は子供っぽいわけだが、傲慢とはそういうものである。足立の意志とは関係なく巻き込み、戦いを挑む。不遜な少年は両手に刀を持って、謙虚な大人に突撃をかけた。

 

 かくしてP-1クライマックス四回戦第二試合、皆月対足立の始まりである。足立は通常参加ではないスペシャルゲスト枠なので、これが初戦だ。

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